「‥‥あのさ、隊長」 「ん?‥‥なんだい?」 「隊長は、その‥‥すみれのこと‥‥どう想ってる?」 「え?‥‥なんだい、いきなり‥‥」 「あ、いや、その‥‥」 あたい‥‥何言ってんだろ‥‥ 隊長がじっとあたいを見ている。 よ、弱ったな‥‥ みんな、先を歩いて‥‥少し離れてあたいと隊長が並んで歩く。 深川からの帰り路。 ちょっと下を向いて‥‥ 「‥‥隊長は、やっぱ、すみれみたいな‥‥感じの女が‥‥好きなのかな‥‥」 「はあ?」 隊長が少し間抜けた顔であたいを見る。 あたいは‥‥どんな顔してんだろ。 「いや、なんでもねえよ、あはは‥‥」 「‥‥すみれくん、か‥‥確かに美人だよな」 「そっか‥‥」 ちぇっ‥‥ 「まあ、高嶺の花だね。花組はみんなそうさ」 「え‥‥」 「手が届かないって。俺はモギリ、だからな」 「そ、そんなこと‥‥」 隊長‥‥ 高嶺の花、か‥‥ あたいが、花か‥‥ガラでもねえ。 でも‥‥ あたいにも‥‥花なんて似合うのかな‥‥ 「そう言えば‥‥」 「うん?」 「士官学校時代に練習艦で沖縄まで行ってね‥‥」 「え!?‥‥そ、そうなのか?」 「その時見た真っ赤な花。夕陽の化身のような真紅の花弁‥‥」 「赤い花‥‥」 「あれはきっと‥‥カンナの花だろうな」 「そ、そんなこと‥‥ねえよ‥‥」 沖縄の‥‥‥ハイビスカス‥‥ 赤い花。あたいと同じ色‥‥ 「ふふ‥‥でも、あの時は曇ってたからなあ‥‥晴れた日に見たら、もっと‥ ‥」 見せてやりてえなあ‥‥ 真っ赤に染まる花畑‥‥青い空‥‥青い海‥‥ 隊長‥‥ 「‥‥カンナ、君はここに残れ」 「で、でも、隊長‥‥」 「君にしか出来ない。君がここで敵を防いでくれれば‥‥」 「‥‥‥‥」 日本橋。 前門の狼、後門の虎‥‥逆だったかな? ‥‥隊長なら関係ねえか。 狼だろうが虎だろうが‥‥ 狼虎滅却、だからな‥‥隊長の必殺技は。 ‥‥二手に別れなきゃいけない。 親玉は地下にいる。 隊長はそいつを潰す‥‥隊長なら‥‥ あたいは‥‥ 「‥‥激、飛ばしてくれないかな、カンナ」 「え?」 「“隊長の力を見せてやれっ”‥‥ってやつ」 「え‥‥」 「気合い入るからな、あれ」 「隊、長‥‥」 「頼むよ」 「‥‥‥‥隊長の力を見せてやれっ!」 隊長が‥‥笑った。 スクリーンに写る、少しぼやけた隊長の笑顔。 あたいは‥‥ 「お−しっ、ここは頼んだぞっ、マリア、アイリス‥‥カンナ!」 「‥‥ご無事で」「お兄ちゃんも」「‥‥任せとけっ!」 「ついてこいっ、さくらくん、すみれくん、紅蘭っ!」 「はいっ」「行きますわよっ」「まかしときっ」 純白の光武の特攻‥‥ 隊長‥‥ ほんとは‥‥ほんとは、あたいも‥‥ 「‥‥カンナ‥‥行くわよ」 「はっ‥‥お、おうっ!」 「カンナったら‥‥アイリスだって、ほんとはお兄ちゃんと一緒に‥‥」 「そ、そうだよな‥‥わりい、わりい‥‥」 「ふふ‥‥」 「うひひ‥‥あれ?‥‥そう言えば‥‥」 「ん?」 「花組に来て最初に戦ったのも、マリアとカンナと‥‥アイリスの三人だった ね」 「‥‥そうね‥‥隊長は知っていたのかしら」 「へへへ‥‥よっしゃあっ、まとめてぶっ飛ばしてやるぜっ!」 くそっ‥‥ちっとも減らねえ‥‥ どっから湧いてくるんだ、いったい。 ‥‥マリアの機体、かなり消耗してるな。 こんだけの数じゃ後方支援なんて言ってられねえ。 まずい‥‥ 「アイリス、マリアの前に位置しろ」 「うん」 ちきしょ−‥‥回復する余裕もねえ。 一瞬あたいは気をそらしちまった。 ‥‥取り囲まれた。 「く、くそ‥‥」 「アイリス、カンナの傍へ‥‥‥くっ」 「だ、だめ‥‥」 ちきしょ−‥‥これまでかよ‥‥ 隊長‥‥ ガゴ−−−ンッ な、なんだ!? ものすごい音がしたぞ。 あたいらの周りに群がっていた脇侍‥‥ほんと脇役だな。 一瞬にして粉になってやがった。 日本橋のその向こう側‥‥ なんだ? 絨毯のように敷き詰められた脇侍が、モップで弾き飛ばされるように、文字どお り掃除されて‥‥その掃除屋が真っ直ぐこっちに向かってくる。 視界に現れたそいつは‥‥ 「?‥‥影、か?」 「確かに‥‥影にしか‥‥見えないわね」 「な、なんなの?」 そいつは霊子甲冑の、影、としかとれなかった。 光らない光武‥‥洒落にならねえな。 黒い光武だ。 滑るように動く、その漆黒の光武‥‥赤い目が睨む。 持っているのは長い太刀。 さくらのより長いな。 ド、ドドッ、ブッシュ−−−ッ 背中の配管からもの凄い勢いで蒸気が吹き出す。 空気が揺らいで‥‥景色が歪んで見える。 なんか‥‥違うぞ、この光武。 霊気も‥‥普通じゃねえ。 「‥‥花組のお嬢さんたちか‥‥大神隊長はどうした?」 「だ、だれだ‥‥」 「‥‥帝国華撃団・助っ人参上、ってとこだな」 「はあ?」「へえ‥‥」「‥‥‥」 「‥‥ははあん、あいつ特攻したか‥‥一緒に行かんでいいのか?」 「え?」 「ここは任せろよ」 「し、しかし‥‥」 「ふっ‥‥」 その光武は持っていた太刀を鞘に納め‥‥そして腕を胸の前で交差させた。 なんだ? 悪寒が‥‥ そいつの腕に稲妻がまとわり付く。 黒い‥‥稲妻‥‥ 夜の日本橋を照らす黒い光。 脇侍が思い出したように群がり始めた。 ‥‥正拳突きの構えをとる、その漆黒の光武。 違う、左腕の掌を前に。 その掌に何かが集まってくる‥‥闇、か? そして腰につけた右拳を‥‥ す、すげえ霊力だ‥‥ 「狼虎滅却‥‥」 た、隊長!? ズンッ 黒い脚が踏み込むその衝撃。 光武に乗ってさえ伝わる強烈な振動‥‥あたいは思わず倒れそうになった。 「仙気雷刃!!」 唸りを上げて突き出した黒い右拳から、さらに黒い闇が‥‥ そして‥‥ からくり人形が埋める凹凸の絨緞を、縫うように黒い稲妻の帯が奔る。 人形は風化したかのように、錆付いて‥‥そして塵になった。 日本橋は随分と見通しがよくなった。 「こ、これは‥‥」「すっごい‥‥」「す、すげえ‥‥」 「‥‥と言うわけだ。早いとこ応援に行きな」 「え‥‥」 ‥‥やけに涼しい声で言いやがる。 いったい何者なんだ‥‥ 「大神も寂しがってるだろうよ」 「で、でもよ‥‥」 まったく何処から湧き上がって来るのか‥‥日本橋はまた金属の絨緞と化した。 ‥‥ん?‥‥なんだあれ? 橋げたに‥‥人が立ってる‥‥お、おいおい、民間人がいるのか!? 「ま、まずいぜ!」 「神楽の舞か‥‥」 「え?」 神楽?‥‥なんか、橋の上で‥‥う、牛若丸か!? 羽衣をまとって、脇侍の刀を擦り抜けるように‥‥飛んでやがる。 女の子みたいだな‥‥金髪の牛若丸、か‥‥ なんか脇侍が‥‥統率が乱れてる‥‥イカレちまったんか? ‥‥ん?‥‥妖気が‥‥少し気配が弱まったか? 「‥‥ふむ、出所は押さえたようだな」 「え‥‥」 「在庫は尽きた。さ、もう行きな」 「せ、せめて名前を‥‥」 「‥‥花見に来た月見草だ‥‥縁があったら、また会おう」 そう言って、その漆黒の光武は再び掃除するべく橋を渡った。 長剣を片手に一騎駆け‥‥ 迎える紗那王と‥‥駆け抜ける武蔵坊、だな‥‥ あたいらしくもねえ‥‥惚れ惚れしちまった。 「月見草‥‥か」 「‥‥わたしたち以外に霊子甲冑を操る人間がいたなんて‥‥」 「‥‥世の中は広いってことか‥‥急ごう」 あたいらは隊長の後を追って地下へ降りた。 さっきの黒い光武の人‥‥気になるけど‥‥ それにさっきの技‥‥ 隊長と同じ‥‥系統かもしれない。 でもなんか違う。 ‥‥いったい何者なんだ? 「‥‥カンナッ、馬鹿な真似はするなっ!早くここを開けろっ!」 「おめえ何しにここへ来たんだよ、隊長‥‥」 ‥‥しょうがねえよな。 あたいが‥‥壁になんなきゃ‥‥ あたいは‥‥そのためにいる‥‥隊長の‥‥ために‥‥ 「カン、ナ‥‥」 「へへ‥‥先に行っててくれよ、隊長‥‥」 「‥‥す、すぐに戻るからなっ、絶対に無理するなよっ、いいなっ!」 「へっ、へへへ‥‥はいよ」 隊長‥‥ やっぱ、あたい‥‥最後まで、女らしく‥‥できなかったな‥‥ ちぇっ‥‥ ほんとは‥‥ほんとは、あたい‥‥‥あたいは‥‥ 隊長‥‥ 隊‥‥長‥‥ ‥‥大神隊長−−っ! ピチョン‥‥ ピチョン‥‥ 「‥‥カンナ‥‥カンナッ!」 ピチョン‥‥ピチョン‥‥ 「‥‥うう‥‥‥‥う‥‥ん‥‥あ?‥‥」 夢‥‥か‥‥ う‥‥何も見えねえぞ。 なんだ、いったい‥‥あたい、目が見えなくなったのか!? 「カンナ‥‥大丈夫?」 「ア、アイリスか?」 「‥‥うなされてたよ。恐い夢でも見たの?」 そ、そっか‥‥ あたいら幽閉されちまってたんだな。 「恐い夢‥‥いや、昔のな‥‥ちょっと寂しい夢だよ」 「‥‥寂しい‥‥お兄ちゃんの?」 「えっ!?な、なんで、そ、そんなこと‥‥」 「カンナが寂しがるなんて‥‥お兄ちゃんのこと以外、ないでしょ」 「う‥‥」 「それと‥‥ご飯が食べられないこと、かな?」 「う‥‥ん?」 「きゃははは‥‥‥‥ねえ、カンナ‥‥だっこして」 「お、おう」 あたいの膝の上に座る‥‥ あたいにしがみついて‥‥そしてあたいを見るアイリス。 暗くて見えないけど‥‥あたいを見ているのがわかる。 「‥‥寂しい?」 「‥‥いや、全然」 「アイリスも」 「へへ‥‥」 「‥‥聞こえるか?」 「ん?‥‥長官か?」 隣の牢屋から米田のおっさんの声が聞こえた。 なんか、気配を感じ取ったらしい‥‥ 確かにあたいも胸騒ぎと言うか‥‥苛立ちと言うか、変な感じがする。 妙に落ち着かない気分だぜ。 「‥‥始まったぞ」 「え‥‥」 静かだ‥‥ 始まるって‥‥何が? ‥‥助けが来たのか!? コンコン‥‥ 牢獄の扉をノックするヤツ‥‥ コンコン‥‥ 「入ってるよっ!」 あたいは思わず唸った。 「し、失礼‥‥ここは女性用か」 馬鹿正直に答えるヤツ。 「ひひひ‥‥カンナってば」 「‥‥じゃあ、こっちは十六夜ちゃんに任せていいかな?」 「十六夜、お兄ちゃんのためにがんばるっ」 「う、うむ‥‥で、では、俺はそちらの‥‥“宵待草”を‥‥」 「‥‥斯波、か?」 「ええ」 「しば?」「シバ‥‥?」 「結界が張ってあるぞ」 「‥‥建物の随所にありますよ。この部屋は‥‥大丈夫です。“内向き”の結界 のようですから」 「そうだったのか‥‥どうりで」 「みなさん‥‥扉の正面から離れてください」 「お、おう‥‥」 なんか‥‥ 大丈夫かよ。 「では‥‥」 「十六夜、行きま−すっ」 ガゴ−−−ンッッッッ パラ‥‥パラ‥‥ メキッ‥‥メキッ、メキッ‥‥ ドッシ−−ンッ‥‥ 「ゲホッ‥‥な、なんだよ‥‥もっと穏やかにやってくれよな‥‥」 埃が舞い上がって‥‥ ‥‥埃が見える。 廊下の薄明りも、牢屋の完全な闇に比べれば、それでも明かりには間違いない。 人影も見えた。 廊下の明かりの影で顔がよく見えない。 背の高いのと‥‥少し小さい‥‥女の子か? 「‥‥じゃあ、行きましょうか」 背の高いのが言った。 米田のおっさんも廊下に出ているようだ。 廊下に出ると‥‥ 背の高いのは、マリアぐらい‥‥神凪司令ぐらいの身長の‥‥ん‥‥金髪、か。 目も蒼いな‥‥日本人じゃねえのか。 それと背の低い女の子‥‥あっ!? 「大丈夫だった?‥‥十六夜、ちょっとやりすぎたかなあ‥‥」 「‥‥‥」 髪の毛が黒い‥‥アイリスじゃねえかよ。 こ、こりゃ‥‥あははは、隊長と司令なみだぜ。 「あなた‥‥だれ?」「あなた‥‥だれ?」 鏡に手を当てるみてえに‥‥マジでやってんのか、こいつら‥‥ こりゃ‥‥舞台に上げたら‥‥お、グッドアイデアだぜっ。 「‥‥アイリスで−すっ」 「‥‥十六夜で−すっ」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「アイリス、マイルス、ルリルリラ〜」 「十六夜、泥酔い、ハラホレリ〜」 「‥‥‥」 「‥‥‥」 「ベロベロベ〜っだっ」 「い−−−−だっ」 「ア、アイリスの真似しないでよ〜」 「そ、そっちこそ、十六夜の真似して〜」 うははははは、あはははは、こ、こりゃ、魂消たぜ。 自分に似たのは世の中に三人いるって聞いたことがあったけど‥‥ まさか、アイリスのそっくりさんに出会えるとは‥‥笑えるぜ。 「お−い‥‥一応緊迫したム−ドなんだけど。早いとこ脱出せんと‥‥みんなの 足引っ張るからな」 「お、おう‥‥い、行くぞ、アイリス」 「さ、十六夜ちゃんも‥‥」 「はーいっ」「はーいっ」 うはははは、ぬはははは‥‥か、片腹が痛えぜ‥‥ こ、こりゃ、是が非でも銀座に連れていかんと‥‥けけけけ‥‥ 「大丈夫かい‥‥おたくら、花組だろ?」 「あははああ、はあ、お、おう‥‥おめえは‥‥やっぱ帝撃の人間なのか」 「‥‥そいつは雪組の隊長だよ、カンナ」 米田のおっさんが後ろからフォローした。 「へえ‥‥」 「斯波慶一郎だ‥‥よろしくな、え−と‥‥」 「あたいは桐島カンナだ」 「カンナくんか‥‥よろしく。こちらは‥‥」 「月組の葉山十六夜で−すっ‥‥雪組隊長の恋人なの、うひっ」 「う‥‥」「‥‥やるじゃねえか」 「むっ‥‥花組隊長の愛人、イリス・シャトーブリアンで−すっ」 「アイリス‥‥おめえ‥‥」「あ、愛人だってえ!?」 「おめえら、遊んでねえで‥‥行くぞっ」 「お、おう‥‥」「おっと‥‥」 米田のおっさんが先頭に立った。 斯波‥‥雪組隊長がニヤッと笑みを浮かべてあたいを見る。 そして前を歩きだした。 雪組隊長、か‥‥ 極地戦闘を想定した部隊。 それを指揮する男‥‥ 一度手合わせ願いてえもんだぜ。 「‥‥そのうちな、カンナくん」 あたいの考えが‥‥ちっ、目に表れちまったか。 ‥‥まあいい。 言っとくが、あたいは最強の人間を相手にしてきたんだからな。 ‥‥帝撃司令と花組隊長という、な。 そのうち、か‥‥あたいをなめてるんじゃねえだろうな‥‥ へっ、あたいの腕がどれほどのもんか‥‥その時にたっぷりと見せてやるぜっ!
八章.暗夜航路(後編)
<その1> 「‥‥すいません、先輩‥‥」 山崎は階段の踊り場で眠る陸軍少佐に頭を下げた。 昼下がりの花やしき。 建物の中は活発な花やしき工場とは思えないほど静まりかえっていた。 階段に柔らかな日差しが入り込む。 精神操作による刷り込みも初期化も危険と判断した山崎は、“夢”を上書きする ことにした。 深層意識のさらに深層部に根付く赤い月‥‥月影と言う男。 その男の存在は否定させない。ただ存在基盤を現実のものではなく、夢という範 疇に含ませるよう意識に働きかける。深層意識を弄るのではなく、認識ルートを 新たに構築することで、月影という男の関連事項は全て夢という位置に繋がるパ スを創ったのだ。 帝撃への反感は、全て個人の感情に由来させる。 そして帝撃を封じ込めようとする外部からの意志の働き掛けは、全て夢という一 種のゴミ箱に繋がるように路を創った。 「これで‥‥うまくいけばいいが‥‥」 山崎はさらにこれらの操作を施すに能って、一種の催眠術を併用した。 夢組を成す必要条件‥‥霊能。 範疇は固定できないほどに広いが、山崎が自ら裏技と称する力‥‥それは五感の 束縛。ただしそれも一瞬‥‥それこそ精神の崩壊を招きかねない。 視覚・聴覚・嗅覚・味覚・そして体感を全て無感覚にさせることで、精神をむき 出しにする。被験者は自らの存在を確認するため、記憶の中の五感に意識を集中 する。そこに後付けの精神操作は影響されない。生きることを求める原始的な意 志のみが働くが故に、意識は深層まで展開する。勿論被験者の意思によらず。 しかる後に体感のみを開放させる。自分の位置が確保されていることを認知さ せ、そして‥‥山崎は肉体的束縛を施した。つまり‥‥当て身を。 さらにその後体感を再度封鎖する。 山崎はそこで容易に夢を見させることが出来た。 夢への逃避。 無感覚の恐怖は死に等しい。 今起っていることは夢であり、夢から目覚めたとき全ては元に戻る。 ‥‥そして、赤い月はその恐怖の証であり、被験者は自らの原始的な意識の防衛 本能を以って、それを排除しようとする‥‥ かなり大胆な方法だったが、山崎はこれしかないと判断、強行した。 ともすれば肉体的ダメージよりも大きな後遺症が残る可能性もあるが‥‥ 山崎は彼の精神修復力を信じた。 少なくとも軍人としての辛い鍛練を経てきた人だ‥‥ 「‥‥さて」 このまま彼らを放置しておくわけにもいかない。 幸いにして彼らのうち、赤い月‥‥月影の影響を受けているのは先輩である陸軍 少佐だけだった。山崎は残る彼の部下に対しては通常の精神操作を施した。それ が陸軍少佐が見たものは夢であることを、より強いものにしてくれるだろう。 5人‥‥山崎は最寄りの空き部屋に立ち寄り、そこに眠る陸軍の兵を運び込ん だ。今下手に騒ぎ立てたら‥‥作戦がお釈迦になってしまう。 「ふう‥‥あ、そうだ‥‥」 『‥‥舞姫‥‥舞っ、聞こえるか‥‥』 ‥‥反応がない。 いや、どうも別のことに意識を集中しているようだ。 山崎と神楽、そして舞姫との間には、通常の意思伝達、勿論意思の遠隔通信が常 識からは逸脱しているものではあるが、その力によらない特殊な認識手法が確立 されていた。それが夢組隊長とその側近である証明でもあったが‥‥“千里眼” と呼ばれる超認識力。五感による距離感覚に依存しない、実空間の位置付けに影 響を受けない力。 大神が横浜に連れ去られ、カンナとアイリスが幽閉されたことを認知したのは青 山に待機していた神楽。神楽は面識がないはずの大神の、その意識をなぜかマー ク出来ていたようだ。それは浅草にいる舞姫に伝達された。千里眼と神語りの併 用‥‥夢組隊長に匹敵する能力を有する二人の側近。そして舞姫は神凪へ。 そして今、山崎は舞姫の現状がこちらに意識を向ける余裕がないことを知った。 それは‥‥ 「ちっ‥‥お迎えがいたのか‥‥」 迂闊だったか‥‥由里さんまで‥‥ 山崎は走った。 「あの‥‥」 「‥‥なんでおじゃるか?」 「‥‥私、他に用事があるんですけど‥‥」 「お館様が‥‥由里殿とともにゆけと‥‥そう申されたのぢゃ」 「はあ?‥‥お館様?‥‥山崎さんが、ですか?」 由里とかすみ、そして椿の三人は、正午を少し廻った頃に花やしきに着いた。‥ ‥工場から繋がる翔鯨丸の格納庫への連絡路。そこに向かう途中、なにやらおか しな風体の女性に出くわした。 平安時代のそれこそ十二単の分厚い着物。しかも白無垢。‥‥婚礼衣装にも見え る。それを外出用に裾を短く切っているもんだから‥‥チンドン屋の花嫁か?‥ ‥とも思ったが‥‥よく見るとかなりの美人だった。 おかっぱの髪の毛は艶やかに腰まで延びている。それを襟元近く、赤い紐で結ん だ様は巫女そのものだった。肌はぬけるように白く、切れ長の目、形のいい眉、 少し薄めの唇は、どこかすみれにも似ていた。十二単の胸元はすみれのごとく開 け放たれ、豊かな胸の谷間が眩しい。 だが、やはり如何ともしがたいのが‥‥短く切った純白の着物の腰から下。白い 十二単モドキの下が、これまた限界まで短くした赤いミニスカートという恐るべ き出立ち。そこから生える白い太股と赤い布が創る妖しい影が妙にそそられる。 お名前は、と椿が恐る恐る聞くと‥‥ 舞姫ぢゃ、と答えた。 夢組の、なんと副隊長、ということだった。 帝劇三人娘は口をあんぐり開けて、目の前の、世界が違う美人を見た。 これでは山崎さんも‥‥と心底同情した三人娘。 夢組は変人が多いって噂を聞いてたけど‥‥これほどとは‥‥ わらわは出歩くのが苦手ぢゃ、案内してたもれ‥‥そこの‥‥白百合のようなお 人‥‥と言われて一人ご満悦の由里が残った。かすみと椿は速効でその場所を後 にした。はたと気づいた頃には舞姫と二人で工場の地下格納庫への階段まで来て いた由里。 仕事が早い由里は、20分で済むようなことを2時間かかってしまう杏華に対し てムカっ腹を立てたが‥‥それ以上のお人がここにいた。 階段を一歩降りるのに2秒かかる。 ふと振り向くと、舞姫がいないではないか。 ‥‥お待ちくだされ‥‥今少し淑やかに歩かれよ‥‥由里殿‥‥ ‥‥うぬぬぬぬ‥‥とろいっ! 山崎が、行けっ!と伝えてから階段をしかるべき場所まで下るのに10分かかっ てしまった。地上から地下三階までの下り階段を10分。 ‥‥はふっ‥‥わらわは‥‥歩くのが苦手ぢゃ‥‥ ‥‥うぬぬぬぬ‥‥とろいっ! そして当の地下第弐倉庫に到着するのに、さらに5分。1分歩くと、疲れたぞ え、と言ってはしゃがみこむ舞姫。由里はついに愛用に帽子をぬいで、八つ当た りをかました。ちょっとっ、あんたっ‥‥スカートの中、見えるわよっ‥‥普通 に歩いても地上から3分もかからないのに、結果的に5倍の時間を費やした。 「あそこか‥‥護衛が二人‥‥三人か‥‥」 「はひ‥‥はふ‥‥つ、疲れたぞえ‥‥」 「‥‥‥」 由里はじと目で舞姫を見た。 この人、普段はマジでフルノーマルの十二単を着てるんじゃなかろうか‥‥い や、だったらもっと鍛えられてるはず‥‥でも‥‥う−む‥‥ 第弐倉庫の前には銃を持った兵士がいた。二人が扉の両脇に立ち、一人は少し離 れた第壱倉庫の横の椅子に座っている。書類を書いているようだ‥‥下士官だろ う。 目的は既に舞姫から聞いている。 すみれが乗る試作型霊子甲冑、その改良した右腕が山崎の留守の合間に奪われて しまったようだ。 『かすみさんがいてくれたら‥‥』 しかし‥‥手間取っては、後に差し支える。 神凪に言われたことを思い出した。 風組の任務は翔鯨丸の死守。 翔鯨丸を失ったら神武の搬送のみならず、花組の援護が出来なくなる‥‥致命的 だ。 なぜそんなことになるのか‥‥理由はわからなかったが、神凪の目が危機を教え ていた。ここで時間を浪費している訳にもいかない。 速やかに片付けないと‥‥ 「さて、どうしたものか‥‥」 「‥‥夢でも見てもらおうかのう」 「は?」 「おほほほ‥‥わらわの舞をじっくりと堪能されよ‥‥由里殿や‥‥」 そう言って、舞姫はしとしとと格納庫前まで歩いていった。 まるで、見えない十二単の裾が足にまとわりついているように‥‥由里には思え た。 そして‥‥ぽかんと見つめる兵士の前で、舞姫の独り舞台が演じられた。 舞姫の舞。 白無垢が織り成す‥‥白拍子の舞だった。 この日の帝国劇場にかかる夕陽は、いつもより少し色あせて見えた。 主がいないが故にか‥‥光と影の。 そして半減した花たちの。 明日の公演は中止。 その張り紙を出した後、事務方二人と売店の売り子は何処かへ消えていった。 表玄関の扉が閉じられてロビーには天窓からしか光が入り込まない。 その赤い夕陽。 薄く赤らんだロビーには人影はない。 そしてサロン。 カーテン越しに入り込む夕陽‥‥少し悲しくソファを照らす。 いつもはだれかの横顔を照らす優しい赤も‥‥今は乾いた空気だけを通過する。 人がいないサロン‥‥ マリアは一人作戦室にいた。 ついさっきまで神凪がいた、その場所。 ‥‥これを預ける。 神凪は劇場を後にする際、愛用している長剣をマリアに渡した。 それはあたかも別れを彷彿させるようで、マリアは受け取ろうとしなかった。 ‥‥考えすぎだよ。 無手で敵に立ち向かうのか‥‥ ‥‥別に得物がなくても‥‥俺はつええよ‥‥ ぬけぬけと言う神凪にマリアは少しだけ胸のつかえがとれた気がした。 そして、ぎゅっと長剣‥‥修羅王を抱きしめる。 ‥‥そいつとは、もう10年以上一緒にいるな‥‥俺の念が染み込んでる‥‥ 司令‥‥レイチ‥‥ ‥‥一郎と再会した時に‥‥その役目は終わったのさ‥‥ 隊長‥‥大神、さん‥‥ ‥‥俺はもう‥‥使うことはないだろう‥‥君が持っていてくれ、マリア‥‥ そして神凪は微笑んで劇場を後にした。 ‥‥君はもう銃は持つな‥‥その時が来たら‥‥修羅王が君を導くだろう‥‥ マリアは暫くじっと修羅王を抱きしめたまま目を閉じていた。 そして‥‥目を開き、修羅王の鞘を握る。 じっと見つめる。 すると‥‥鍔元から淡い光が生まれた。 それはマリアの意思によってさらに強くなっていった。 霊剣荒鷹真打のそれと同じく‥‥ それよりも儚げに‥‥ マリアはそのまま腰の位置に修羅王を移動させた。 左手で持ち、そして柄を握る‥‥居合抜きの構え。 剣術など知らないマリア。 それが、あたかも免許皆伝者のような凄絶な気合いを放つ。 マリアの霊力に応じるように‥‥修羅王が鳴く。 光とともに。 そして修羅王の悲鳴に応じてマリアの霊力がまた上がる。 作戦室が冷凍室のような気温にまで低下した。 作戦室の机、その向こう側の壁際に、一輪挿しの細い花瓶が置いてある。 そこには‥‥一輪のあやめの花。 生けたのは勿論さくらだった。 一週間に一度必ず、そこにあやめの花を挿す。 その花も寿命を全うしようとしていた。 花弁をうなだれ‥‥介錯を求めていた。 マリアの目が輝く。 修羅王の鍔元の光も頂点を迎えた。 「‥‥狼虎滅却‥‥一文字風牙!!」 銀光だけが残像に残る神速の抜刀。 その銀光からさらに一雫の白い光が生まれた‥‥桜花放神の如く。 それは光にあるまじき滑らかな曲線を描いてあやめの花に降り注いだ。 あやめの花は‥‥瞬間最後の命を昇華させた。 ぴん、と首をはり、艶やかな色を復活させる‥‥ そして、そのまま‥‥その花弁は首元から‥‥すっと落ちた。 痛みを感じないかのように。 最も美しかった頃の花びらがそのまま床に咲いた。 一文字風牙‥‥狼虎滅却活殺奥義。活かして殺す。 第伍奥義の快刀乱麻、それが光の属性を得た時に派生する第六奥義の光の技‥‥ 即ち仙気雷刃・陽。神凪の放つ技は十文字雷破‥‥仙気雷刃・陰。二刀もしくは 両腕を交差させることに由来する。 第七奥義の無双天威により技を持つ者の属性が明確化した後、これらの前駆奥義 に回帰する。そして陽刻と月読に分派する。奥義に順番があるのは、北辰一刀流 の破邪剣征奥義と類似している。それも理由があったが‥‥ そのことはマリアにわかるはずもない。 ただ‥‥修羅王の意思がマリアには伝わったのは確かだった。 修羅王がマリアに告げた。 これを放て、と。 ‥‥仙気雷刃を放て、と。 荒鷹真打がさくらに告げたように‥‥雪華風神を放て、と。 ‥‥マリアは光の属性を持った。 チャッ‥‥ マリアは鞘に修羅王を収めた。 作戦室は元の暖かい部屋に戻っていた。 一輪挿しの置いてある壁際まで歩く。 床に咲いたあやめの花‥‥それをマリアは手にした。 さくらが生けたあやめの花。 それをマリアが介錯した。 あやめの花の香り‥‥‥それはマリアの香り。 マリアはその花を無彩色の自分のコートの上に咲かせた。 「‥‥早く帰ってきて‥‥レイチ‥‥大神さん‥‥」 地下司令室から一階に上がると、すぐに舞台袖に続く廊下が視界に入る。 左側の窓からは銀座の街並みが見える。夕陽がうっすらと入り込み廊下を赤く染 める。そしてすぐに小道具、大道具部屋へと続く扉。 右側は衣装部屋。そして楽屋。 いずれもひっそりと静まりかえっている。楽屋の主のアイリスも今はいない。 公演前日には衣装部屋も賑わう。が、それも今は人の気配がない。 そして‥‥舞台。 いつもは必ずだれかいる、その少し軋みがちの板張りのフロアも暗闇で覆われて いた。この時間帯から夜半にかけては‥‥やはり、主はさくらだった。彼女もい ない。 ここは帝国劇場だが‥‥今は息絶えたかのように静まりかえっていた。 舞台袖から廊下に戻り、そして階段に至る三差路。 右手は宿直室。 だれもいない。仮りそめの客は‥‥まだ戻ってきてはいない。 そして左手。すぐに支配人室がある。 ここの新しい主は、今は潮風に吹かれていた。 そして、その隣、事務室。 ここの主も不在だった。 ふと支配人室前の廊下‥‥その真向かいに位置する窓越しに、空気が裂けるよう な音が聞こえてきた。 中庭が見える窓。 一昨日の夜、大神が立った場所。 そして、その闇の果てに悲哀の銀光を見た場所だった。 それを発した者が、中庭にいた。 その鉄の刃が発する光は、もう悲しい色は見せてはいない。 死神の鎌首の如き色も‥‥すっかり消え失せていた。 ただ、空気をも切り裂かんばかりの剣気と霊気だけが、青紫色の光が彩る長刀か ら発せられていた。 決して軽くはない長刀を軽々と羽根のように旋回させ‥‥そして柄尻に左手を添 え、中心よりさらに後ろ半分の位置を右手で握る。刃先を前方より少し上向きに ‥‥柄を身体の中心線に合わせて再び構え直す。 神崎風塵流‥‥水鳥の構え。 対峙する者には長刀の霊気と剣気によって、一瞬担い手が見えなくなる。 ここから次の技が派生する。 飛燕の舞、鳳凰の舞‥‥そして、鳳凰蓮華。 神凪がすみれの技が不完全であることを指摘した、そもそもの理由がここにあっ た。 水鳥の構えが未完成な上、それを経由せずに鳳凰を産み出す。蓄積した霊力の十 分な伝達が出来ないのも無理はない。 すみれはそのままじっと矛先に霊力を蓄積した。 そして“気”をも流し込む。 ‥‥先の戦闘では不覚にも意識を失った。 怒りにまかせて放った最強の秘奥義も‥‥あれでは使えない。 力の制御が出来ないが故に、蓄積が神武の腕にまで及んだ。それは結果として神 武の腕を失うことになった。しかも失神するほど霊力を暴走させて‥‥無駄遣い もいいところだ。 それに、その先には‥‥ ‥‥神崎風塵流にはその上に究極奥義が存在する‥‥ 赴任して間も無い日、夜のサロンでの神凪の言葉。 今のままでは‥‥会得など出来るはずもない。 だが、もう少し‥‥ もう少しで、つかめそうな気がする。鳳凰蓮華‥‥その完全会得。 そして自分が乗る神武‥‥いや七瀬。試作型弐号機。あの零式と匹敵する機動力 と攻撃力を持つ。その機体だけは‥‥犠牲になどしたくない。七瀬という名前の その霊子甲冑だけは。 「‥‥七瀬には‥‥絶対に、絶対にそんなことはさせない!」 すみれの深いところで支えてくれる優しい人‥‥妹の七瀬、そして‥‥ 「‥‥あなたは‥‥絶対に死なせない‥‥‥もう二度と、わたくしの傍からは離 さない‥‥‥あなたは‥‥わたくしが護る!」 焦りとは違う何かがすみれを駆り立てる。 すみれの中で波打つ何か‥‥青い海のような力が、さらに強い霊気を育む。 そして、それは確実にすみれの技を、力を、さらに強大にして行くのだった。 さくらは一人部屋にいた。 ベッドに腰を下ろして、窓を見る。 一時間ほど前までさくらの部屋には“可憐”がいた。 “可憐”が花やしきに向かった後、さくらはただベッドの上でぼけっと座って窓 の外を眺めていた。空が青から赤に染まり、そしてその夕陽も間も無く沈もうと していた。 “可憐”はさくらに自分のことを事細かく話して聞かせた。 不思議だった。 それは“可憐”も同じだったようだ。 今日初めて会った女の子に自分の過去を話す。 聞くさくらも、不思議と違和感も抵抗も感じなかった。 神凪と同じ年齢‥‥さくらとは8歳離れている。 ひとりっ子のさくら。 姉妹や兄弟が欲しいといつも思っていた。 銀座に、帝劇に来て、それは半ば実現した。花組は家族になった。大神という長 兄を以って。そして神凪という父親を以って。 だがそれは今に至って‥‥すみれは母親になり、神凪と大神は兄でもなく父でも ない、二人の男性になった。女であるさくらにとって。 “可憐”はそんなさくらの想いを原点に戻してくれるような存在だった。 こんなお姉さんがいたら‥‥友達のような姉。8歳も離れているのに‥‥同い年 みたいな姉。すみれとは全く逆だった。 “可憐”は勿論本名ではなく、七特における暗証名だと言う。それは帝撃に配属 になった折りも継続された。そう‥‥自分は七特と帝撃雪組を兼務している、と 言うことだった。 雪組の副隊長‥‥辺境での戦闘を目的とする過酷な部隊、そこに女性がいる‥‥ しかも隊長を補佐するような立場にある‥‥マリアさんみたいに‥‥ シェーカーを振る黒いワンピースの淑やかな女性‥‥ さくらは驚いた。 それは‥‥ ‥‥わたしは大佐に拾われたの。 ‥‥え? 「わたしが丁度さくらちゃんぐらいの歳かな‥‥わたしが16の時だから、もっ と子供だった頃だね‥‥ふふ‥‥大佐も同い歳だからね、わたしと‥‥冬の横浜 でね、初めて会ったんだ‥‥」 「横浜‥‥」 「わたし‥‥ほんのちょびっとだけ‥‥破邪の血を受け継いでるのよ」 「えっ!?」 「‥‥もう何代も昔だから‥‥力なんてないけどね」 「そ、そうなんですか‥‥」 「それでも‥‥私を利用しようとした輩がいたの。全然使えないのにね‥‥私、 逃げてばかりの人生だったの‥‥」 「‥‥‥」 「そして出会った‥‥大佐、そういう連中を片っ端から始末していった‥‥そう いう仕事してたんだ、あの人‥‥あの頃はね」 「そう、なんです、か‥‥」 「‥‥さくらちゃんは‥‥わたしみたいなこと、なかったでしょ?」 「え‥‥」 「それはね、大佐がガードしてたからなのよ。大佐は‥‥特に真宮寺家には注意 を払ってたからね‥‥真宮寺大佐が不在の時とか‥‥」 「‥‥‥」 「後になって“四季龍”を編成したのも、そういう理由があったんだと思う」 「?‥‥しきりゅう?」 「うふふ‥‥神凪大佐‥‥実は大神大佐、ね‥‥出会った頃は大神麗一少尉だっ たけど‥‥16歳で少尉よ!?、すごいわよね‥‥」 「‥‥‥‥」 「大佐はあの後、すぐに中国に行っちゃったしなあ‥‥」 「あ、あの‥‥」 「ん?」 「ど、どうして‥‥名前を変えたんでしょうか‥‥神凪‥‥龍一、と‥‥」 「‥‥それは大佐から聞くことね‥‥わたしが話すことじゃないわ」 「‥‥そうですよね‥‥司令に‥‥でも‥‥いえ‥‥なんでも‥‥」 「うふふ‥‥聞けないか‥‥わたしもそうだしね‥‥わたしなんか、もう、一目 惚れってやつよ。わたしにはこの人しかいないっ、てね」 「あ、あははは‥‥」 「ふふ‥‥それでね、大佐と一緒にいられるなら何だってやるわ、って感じで、 陸軍に入ったんだ‥‥ま、一石二鳥よね。おかしな手合いも近付けないし」 「‥‥‥」 「辛かったけど‥‥後悔はしてない‥‥大佐がいっつも傍にいてくれたから‥ ‥」 「神凪司令と‥‥」 「うふふ‥‥やきもち妬いちゃって」 「そ、そんな、そんなこと‥‥」 「ふふ‥‥それでね、二年ぐらい前かな、わたしたち一緒に帰国して‥‥帝撃に 組み込まれたの。大佐は月組隊長、わたしは雪組の副隊長」 「へえ‥‥」 「いきなり実戦で雪組隊長と面会してさ‥‥あいつ知ってる?‥‥斯波っつうん だけど‥‥すんごいのよ。なにしろ生身で脇侍の群れと戦ってさ、片っ端からぶ った切るんだよ、紙でも切るみたいに」 「ええっ!?」 「もうビビっちゃってね‥‥大佐なみの男がこの世にいるなんてって感じでさ‥ ‥‥全く、シバ、って名字、シバ神からとったんじゃないのかな」 「うげ‥‥」 「もう一人‥‥雪組には‥‥すごい子がいてね‥‥」 「‥‥?」 「‥‥なんか‥‥さくらちゃんに‥‥似てるかな‥‥」 「?‥‥女の人、ですか?」 「ううん‥‥男の子よ」 「へええ‥‥」 「でも‥‥それ以上に驚いたのが‥‥花組の‥‥大神隊長‥‥」 「!!」 「初めて会った頃の大佐と‥‥おんなじ‥‥もう‥‥わたし‥‥メロメロよ‥ ‥」 「むっ‥‥」 「はああ、大佐が司令になるんだったら、わたしも銀座に来たかったなあ‥‥」 「い、いつでも来れるじゃないですか」 「うん‥‥でも‥‥」 「?」 「‥‥大佐の邪魔になるの‥‥いやだもん‥‥」 「あ‥‥」 「大佐に‥‥嫌われたくないもん‥‥」 「‥‥‥」 「‥‥わたし‥‥大佐が‥‥大佐が好きなの‥‥大好きなのよ‥‥」 「可憐さん‥‥」 「えへへ‥‥でもね、でも‥‥きっといつかまた‥‥一緒に仕事できるんだっ て、そう信じてるんだ‥‥」 「‥‥‥」 ‥‥わたしはね、わたしは‥‥傍にいられるだけで‥‥それだけでいいの‥‥ さくらはベッドに横になった。 仰向けになって天井を見つめる。 天井‥‥それは昨日、白鳥が舞った天井とは違った造りを見せていた。 白鳥が飛翔した天井は鍛練室‥‥その昨日のことを思い出した。 白鳥が舞い、黒豹が唸る前の静かな鍛練室の時。 『麗一さん‥‥』 神凪の‥‥涙。 あれは確かに涙だった。 ‥‥帰りたい。 『‥‥何処へ?‥‥大神さんと一緒に過ごした、あの少年の頃へ?』 あなたを待っている人がいる。 あなたを必要としている人がいるのに‥‥ ‥‥それはわたし。 わたしなのよ‥‥ マリアさんなのよ‥‥可憐さんなのよ‥‥ ‥‥みんなが‥‥あなたを必要としているのよ‥‥ さくらは身体を横にした。 そして枕に顔を埋める。 『‥‥わたしだけの人にはなれない‥‥麗一さんも‥‥大神さんも‥‥』 さくらはひっそりと泣いた。 だれが見ているわけでもないのに‥‥泣いていることが罪であるかのように。 さくらの涙が渇き始める頃、夕陽は没した。 黄昏時の薄明りが空を彩る。 そしてもうすぐ暗い雲間から月明かりが街を照らす。 それは夢の扉が開く時間だった。
Uploaded 1998.1.16
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