<その5>



青山司令本部‥‥午後7:10分。

「これからどうすんだい?」

「そうだな‥‥とにかく、カンナくんとアイリスちゃんは銀座に戻ってくれ。そ

れで‥‥」

「おいおい、もしかして‥‥あたいらは戦力外だっつうのか?」

「そうではない。銀座を開けとく訳にはいかんのだよ‥‥少なくともタチバナ副

司令は戦闘には参加できんはずだからな」



斯波と十六夜はカンナとアイリス、そして米田を地下牢から救出した後、裏庭に

至る階段を上っていた。地下牢への通路入り口には護衛が三人ほどいたが、夜叉

姫があっさりと“眠らせて”しまったために、幽閉されている場所を特定するの

に手間取ってしまった。

米田はやることがあると言って、途中で4人と別れた。

カンナと斯波は引き留めたが、そのまま本部司令室に向かったようだ。

尤も、老いたりとはいえ陸軍対降魔部隊を率いた男だ、敵襲があってもなんとか

するだろう‥‥斯波は渋るカンナを抑えて、米田の意向を酌むことにした。



「‥‥銀座が‥‥なんだっつうんだよ」

「真宮寺大佐の娘さん‥‥さくらくんと言ったかな?‥‥それと、神崎重工のお

姫様‥‥こっちは‥‥えーと‥‥」

「すみれだよ」

「そうだった。彼女ら二人しかいないだろう‥‥山崎隊長が向かっているが、間

に合うか‥‥銀座に敵襲でもあったら、それでジ・エンドだ」

「へっ、あいつらをなめたら‥‥それに司令も‥‥」

「‥‥神凪司令は不在だ」

「!!」

「それに、本作戦は花組は除外されている。神凪司令の指示でな」

「そんな‥‥司令はいったい‥‥何処へ‥‥」

「‥‥君らの想い人を奪い返しに、さ‥‥当然だろう?」

「!‥‥そうか」

「お兄ちゃんのお兄ちゃんが‥‥やっぱり‥‥助けてくれるんだ‥‥」

「そうだよ。だから‥‥二人とも銀座に戻ってくれ」

「‥‥わかったよ」「うん」



「何やってんだよ‥‥ちんたらしやがって、全く‥‥」

一階まで上ると護衛の兵士が床に眠りこけていた。

その横に立つ長身の女性。長身‥‥カンナといい勝負だった。

体格的には全く引けを取っていない。2メートル近くありそうだ。

顔立ちは‥‥それとは裏腹に美少女そのもの。

これにはアイリスも驚いた。杏華に勝るとも劣らない。

少し茶色味を帯びた大きめの瞳。長い睫毛。桜色の頬。小さめだが、整った鼻。

そして薄紅色の‥‥それこそ、さくらんぼのような唇。これほど釣り合いのとれ

ない外観もなかった。

「‥‥お姉ちゃん‥‥かわいいね‥‥」

思わず口に出してしまうアイリス。

「よ、よせよ‥‥あ、あたしは夜叉姫ってんだ、よろしくな、え−と‥‥」

「アイリスって言うの」

「そっか、アイリスか、お、おめえもかわいいぜ」

「ぽっ‥‥」

髪の毛はカンナと同じほどの長さだが、色が違って栗色。無造作に切った髪形は

カンナとは少し違うマニッシュな雰囲気を醸し出していた。

さらに問題はその外見。

衣装。これは舞姫を凌ぐナリだった。

十二単ではないが、神楽のそれに近い白装束を、これまたすみれの如く大胆に胸

の部分を明け放ち‥‥そこは確かにカンナといい勝負だった。そして振り袖部分

を腕まくりしたような構造に仕上げている。

まるで燕尾服のような白装束の下半身側は、淑やかに合わせ目などあろうはずが

ない。カンナの着用しているスパッツの短いもの‥‥膝上までの真紅のスパッツ

を身に付け、その下、長い脚の先は、どう見ても軍用ブーツ。

細目の真紅の腰帯、その結び目はまるでアイリスの戦闘服を飾る蝶の羽根を思わ

せた。長い固定紐の結び目を、やはり後ろに移動し、触手のように垂らす。それ

はすみれに似ている。その腰紐と腰帯に絡まるように、何やら金属の鎖のような

ものが巻き付いている。

サイケデリックな装いは、銀弓がいれば片腹を押えることに努力せねばならず、

作戦どころではなかったはず。



これにはさすがのカンナも魂消た。

「お、おめえ、チンドン屋か?」

「‥‥てめえ、助けてもらっておきながら‥‥何様だ、コラ‥‥」

「ほう‥‥この桐島カンナ様とやろうってのか?」

「‥‥‥」「‥‥‥」

全くの初対面でいきなり対決ムードをむき出しにするカンナと夜叉姫。

お互いに目線が真正面に位置する相手は初めてなのか、よけいに激しい火花が散

った。

拮抗する体格だけに、修羅場は必死だ。

「あのさ‥‥暇じゃないんだけど‥‥」

「邪魔すんじゃねえっ!」「すっこんでろっ!」

「‥‥はい」

「桐島カンナっつうたな。花組か?‥‥そういや聞いてるぜ‥‥てめえ、うちの

隊長を随分と可愛がってくれたそうじゃねえか‥‥」

「あんだとお!?‥‥あんんんで、隊長がおめえの隊長なんだよっ!」

「‥‥アホか、てめえ‥‥うちの山崎隊長だよっ!」

「‥‥ちっ、なんだ、旦那の部下か。おめえ、夢組の人間か?」

「だ、旦那だと!?‥‥山崎隊長は、ま、まだ若えんだぞっ!」

「おや?‥‥ははあん‥‥その様子だと‥‥さてはおめえ、旦那に‥‥」

「う、うるせえっ」

「あの−‥‥俺の話を‥‥」

「残念だったなあ、旦那は花組のことがお気に入りなんだよ‥‥ふむ、成程な‥

‥おめえみたいなのがいるから‥‥旦那のヤツ、逃げ出して来たんだな」

「な、何だと!?‥‥マジかよ‥‥傷つくじゃ、ねえかよ‥‥」

「あ?‥‥お、おめえ、結構かわいいじゃねえか」

「ば、馬鹿にすんなっ」

「すまねえなあ‥‥旦那はあたいと“ペア”を組むように司令から言われてんだ

よ。もう立派な花組の一員だぜ。舞台にも上がったしなあ‥‥へへ、銀座からは

離れられねえんじゃねえか?」

「うぬぬぬ‥‥」

「へっへ−、旦那の面倒はあたいらがきっちり見てやるからよっ、おめえは安心

してお祓いでもしてなっ」

「あ、あの−‥‥」

「だ、黙って聞いてりゃ、いい気になりやがって‥‥表に出ろっ、この琉球ザル

がっ!」

「あんであたいの生まれた場所を知ってるんでえっ!?‥‥もう勘弁ならねえぞ

っ、この、この、○○×○△○がっ!」

「て、てめえこそ、○×△△で、しかも○○○の分際でっ!」

「ああっ!?、お、おめえだって、○△△で、しかも×××だろうがっ!」

「あの−‥‥」

「ぐぬぬぬ‥‥」「うぬぬぬ‥‥」

「はああ‥‥誰か‥‥助けて‥‥」

ずかずかと先頭を歩く長身の二人。

斯波はがっくりと肩を落とした。

この時ばかりは夜叉姫を配置させた神楽を恨んだ。

アイリスと十六夜だけでも問題なのに‥‥泣きたいところだった。

自分よりも背の高い二人の女性と、まだ10歳を少し超えたばかりの二人の少

女。これが本当に特令第参号か?



「二人とも‥‥子供ねえ」

「もう少し女らしくしたらいいのに‥‥それじゃお兄ちゃんに嫌われちゃうよ」



「もう手遅れかもね‥‥反面教師とはあのような体裁を言うのよ。あなた、アイ

リス、ああなっちゃだめよ」

「十六夜ちゃんって大人なんだね‥‥勉強になるわ‥‥」

十六夜とアイリスが納得しあう。

「!‥‥んぎぎぎ‥‥」「!‥‥んぐぐぐ‥‥」

何も言い返せないカンナと夜叉姫だった。

斯波にしてみればチャンス到来だった。

翻して、この時ばかりは十六夜を配置させた銀弓に感謝した。

「そ、そうだよ、作戦があるぢゃないか、なあ」

「けっ‥‥」「ちっ‥‥」







青山司令本部、裏庭‥‥午後7:15分。

司令本部の裏手に位置する二階建てのプレハブ。本部に常駐する兵士の寄宿舎に

なっていた、その建物に灯が点った。多数の人間が終結するような足音が静寂な

敷地に木霊した。建物を囲うように埋め込まれていた結界石、それを音をたてな

いで破壊したにも関わらず‥‥斯波と十六夜が破壊した地下牢の扉、その音に反

応したようだった。

「ちっ、隊長のヤツ‥‥あんなバカでかい音立てやがって‥‥」

「‥‥仕事くれるわね。私たちで処置するから‥‥弥生ちゃん、後ろでフォロー

してくれる?」

「ええ‥‥でも、ただの“人間”ならいいんですが‥‥」

「それが問題‥‥どれ、確認してみるか‥‥」

「‥‥わたしが先行しましょうか?、柿右衛門さん」

「あの、弥生ちゃん‥‥その‥‥名前じゃなくて‥‥できれば名字で‥‥」

「あははははははは、あ−っはははははは、いひひひひ‥‥」

「‥‥行き遅れの年増が‥‥索敵は得意だろう、お前が行けっ」

「あははは‥‥あ?」

「絶景か見てこいっ、八景島のオババッ」

「こ、このクソガキ、年上に向かって‥‥‥玲子様と呼べっつうてんでしょうが

っ」

「や、やっぱり、わたし確認してきますよ、ね、ね‥‥」

「ぬぬぬ‥‥」「んぎぎ‥‥」



青山司令本部外回りを担当した三人。

雪組の氷室柿右衛門と八景島玲子、そして月組の音無弥生。



氷室は大神と同期の21歳。出は陸軍士官学校だが、合同訓練で何度か顔を合わ

せているため、お互いによく知っている相手でもあった。

階級は中尉‥‥実は氷室の中尉という肩書きは技術士官としてのものだった。本

来なら隊長もしくは副隊長クラスであるべき氷室が、隊員として雪組に席を置く

理由の一つもそこにある。花やしき支部常駐待機要員、そして帝撃花やしき工場

主任研究員。山崎が紅蘭を李主任と呼ぶ、その同じ主任員。

この青年も山崎同様、神凪が引き抜いた。従って紅蘭や山崎とも面識がある。専

門はフレームで、カンナ機に搭載されている参型霊子核フレームもこの青年が開

発した。さらにそれ以前、光武の間接操縦型、つまりアイリス機の完成時に、専

用の筐体‥‥弐型霊子核フレームを試作したが、結局弐型は汎用性がなく、神崎

重工での採用は破棄されてしまった。

当初神凪は七瀬の右腕を氷室に依頼するつもりだった。しかしその時氷室は甲冑

降魔の浅草からの侵攻拡大を阻止すべく既に配置についた後だった‥‥ここにい

る弥生の報告を受けて。

ちなみに帝劇5師団は風組を除いて各組から必ず一人が花やしき工場に派遣され

るような構造になっている。供給される装備品が、当たり前だが神崎重工もしく

は帝撃花やしき工場で造られる物が殆どであったため、それに精通している人間

が必ず一人必要だった。つまり花組の紅蘭、夢組の山崎、花やしきに配置した月

組の朧、そして雪組の氷室。

神凪が銀座に赴任した翌日、花やしきに向かったマリア。目的は大神ユニットに

搭載されている“保護”機能だったが、その説明と外装シールド形成装置の存在

を明かした人物でもある。

背丈はカンナよりも高い。褐色の肌はカンナのそれよりも濃く、日本人離れした

彫りの深い顔立ちをしている。姓はともかく、名前もバッチリはまって、如何に

も暑い場所向き戦闘マシーンの様相だ。髪は大神よりも少し長めの天然パーマ‥

‥まるで炎のようなその髪形も暑さを助長していた。勿論それなりの色男ではあ

るが。

そして、何より‥‥マリアの熱狂的ファンでもあった。それは副司令としてのマ

リアに対しても、帝劇のマリアに対しても。マリアが主演する公演日には、かか

さず銀座に足を運ぶ。勿論変装して。その体格ではバレバレなのだが‥‥大神の

じと目を受けつつ、こそこそと一等席に陣取る氷室。マリアさあん、とは呼ばず

に、タチバナさあん、と黄色い声をあげるところは氷室らしかった。



「マリアに対する態度とはえらい違いじゃない‥‥この柿の種野郎がっ」

「か、柿の種だと!?、そ、それに、お、お前、今、マ、マリアと言わなかった

か?、馴れ馴れしいにも程があるぞっ、副司令と呼べ、副司令とっ!」

「ふ−ん‥‥そんなにいいわけ、タチバナ・副・司・令・がっ‥‥取りなしてあ

げましょうか、柿右衛門ちゃん?」

「え‥‥そ、そんな‥‥い、いいよ、お、俺なんか、そんな‥‥」

「‥‥ちっ、アホくさ‥‥」



氷室とは犬猿の仲だが、極地戦闘では必ずペアを組む相棒の玲子。

氷室より二つ上の23歳。斯波と共に雪組結成時から参入している古株であり、

そして‥‥第二代花やしき支部長でもある。

マリアに対して“マリア”と呼ぶのは勿論帝撃発足依頼の友人であるが故で、仕

事となれば別だった。

神崎重工に諜報員が入り込んだ折り、その時の待機要員‥‥斯波、氷室、銀弓、

十六夜の四人のうち、隊長の二人、つまり斯波と銀弓を派遣させたのも、玲子な

らではの判断だった。第一級の重要事件と判断したが故に‥‥その後のことは勿

論、支部長としての副司令への報告だった。

あやめは自分の後継に紅蘭を置くつもりだった。あやめの意向は本人に、そして

米田に伝えられたが、異を唱えたのは紅蘭本人だった。マネージメントよりも現

場を優先した紅蘭‥‥あやめが結果あのようになり、米田は紅蘭の意向を酌むこ

とにした。

候補は帝撃5師団内部から数名上がった。

マリア、可憐、かすみ、神楽、そして玲子。

マリアは既に副司令として登用する予定。可憐は七特と兼任。かすみは銀座本部

駐在で離すわけにはいかない。神楽は米田も把握出来ないような‥‥挙動に些か

不審な点があった。従って消去法で残ったのが玲子だった。

氷室とペアを組むだけあって、ゆるくウエーブのかかった長い黒髪、褐色の肌と

目鼻立ちのくっきりした顔だちは、如何にもラテン系の様相。マリアほどの背丈

だが、それ以上に印象的なのが非常に長い手足。カポエラでもやらせたら様にな

りそうな雰囲気だが‥‥どうも、本当にやるらしい。艶かしい身体の線がぴっち

りと浮き出るタイトな服装も、それに合わせたような気配だ。

帝国劇場で氷室とラテンダンスでも踊ったら、別種の帝劇ファンが集まりそう

だ。

弥生は吹き出しそうになった。

確かに‥‥“柿右衛門様ああっ”とか、“八景島さあんっ”などという、黄色い

声を帝劇で聞くには問題がありそうだ。客を奪われた歌舞伎座が怒りの抗議文で

も送ってくるかもしれないし。



『あれ?‥‥変なのが混じってるな‥‥』

その弥生はもうすぐ17歳。こちらはその年齢に合致するように椿と同期。十六

夜と双璧をなす、月組のくノ一‥‥それも見る者が息を飲む程の美少女だった。



例えば‥‥帝劇の真宮寺さくらのファンは、李紅蘭のファンにはならない。そし

てイリス・シャトーブリアンのファンは、マリア・タチバナのファンにもならな

い。更に神崎すみれのファンは桐島カンナのファンにはなり難い。逆もそう。オ

ーラルというファンもいるにはいるが、熱狂的な常連客は必ず特定のアイドルを

望む。

この音無弥生という少女は違った。

男性が望む全ての要求を満足するような存在だった。

少女でありながら妖艶な色気を醸し出す容姿と仕草‥‥保護欲を駆り立てる保護

者の甘く切なく優しく穏やかな吐息と声‥‥そして華やかさの中でボケをかます

気質。

生来のくノ一と言えた。

椿よりも若干早く帝撃入りした弥生は、当初劇場の売り子に登用される予定だっ

た。が、あやめが反対した。公演以外の目的で帝劇に訪れる若い男性が後を絶た

ないだろうと判断したからだが‥‥それだけならいいが、帝劇花組の存在すら危

ぶまれる可能性がある。さらに問題はその後に赴任する大神の存在。大神は特定

の少女だけの信頼を得てはいけなかった。

そして椿が帝劇入りし、所属のスイッチを行った。椿は風組隊員として銀座駐

在、弥生は月組隊員として花やしき駐在。つまり椿は当初月組に配属予定だっ

た。椿は月組隊員としての素養を満足していた、ということだった。無論大神は

知るよしもない。

弥生の力が発揮されたのは大戦前から。士官学校在学中の大神を監視していた月

組、その任務は朧から弥生に受け渡された。時を経ずして、大神に接触を図ろう

としていた人物が現われた。どうも日本人ではなさそう‥‥まともな雰囲気でも

ない。大神を誘拐する意図が明らかになった時点で、弥生はその連中を暗殺し

た。何度となく現れては片付ける‥‥そして大神が帝撃入りした時点で、その連

中は手を出さなくなった。勿論弥生がその後も常時監視していたこともあったが

‥‥大戦末期には弥生もお役御免となった。

米田とあやめは、正体不明の者が大神に接触を図ろうとしたのは認めたが、それ

を始末出来るほどの力がこの少女にあるとは思ってもみなかった。そもそも二人

には弥生という少女の経歴がわからないまま‥‥音無弥生という名前が本名であ

るかすらも‥‥まだ幼い、10歳にも満たない彼女を見い出したのは真宮寺一馬

だったから。



「‥‥“虫”がいましたよ」

「よ−し‥‥玲子、兵隊さんはお前に任せるぞ」

「あんた‥‥一人でメインディッシュを‥‥」

「ふっふっふ‥‥大神ぐらいの相手でいて欲しいがな。こっちの成長具合も試せ

るってもんだぜ」

「そう言えば‥‥柿右衛門さん、大神さんと立ち合ったことが‥‥」

「あの、名字で‥‥‥大神とは分けたままだからね。そのうち決着をつけてやろ

うと思ってたんだ」

「あのさ、小耳に挟んだんだけど‥‥大神隊長、神凪司令と兄弟らしいよ」

「な、なにい!?」

「ほ、ほんとですか!?‥‥ど、どおりで似てると‥‥」

「‥‥そうか‥‥零式の“霊子波位相変換機構”は大神家の‥‥そういうことだ

ったのか‥‥司令しか使えない訳だ‥‥」

氷室は一瞬主任技師らしい顔立ちに戻った。

どこか‥‥紅蘭が花組の少女たちに見せる表情にも似ていた。

誰にも頼らず、一人土台を支える技術士の顔。

「?‥‥はあ?」「りょ、りょうしは‥‥は?」

「あ‥‥いや、なんでもない‥‥」

「しかも‥‥今や司令とタメはれるほど強いって噂よ。あんたじゃ、もう手に負

えないんじゃない?‥‥村雨くんなら‥‥どうかな‥‥」

「ぬう、だが俺も寝ていた訳じゃ‥‥」

「マリアもいつも一緒だしねえ、大神さんって呼んでさ‥‥‥あ、いや、大神さ

ん、そんな、いけないわっ、あああ‥‥‥な−んてね」

「ぬぬぬ‥‥大神の野郎‥‥」

「大戦の英雄と、今やその上官との禁断の恋‥‥‥いいぢゃないか、マリア‥‥

あああ、大神さああん‥‥‥ふう、あんたはお呼びじゃないわね」

「うう‥‥ちきしょ−‥‥ちきしょ−‥‥」

「いひひひ、泣け、泣け‥‥さ−て、弥生ちゃん、お掃除に行きましょうか」

「は、はい‥‥柿右衛門さん、あきらめないでっ、がんばりましょうねっ」

「うう‥‥」「いひひひ‥‥イジメがいのあるヤツ」







青山司令本部‥‥午後7:15分。

凸凹の一団は司令部ロビーに進んだ。

左手には玄関がある。夜になって閉鎖され、薄明りが点っている。

5人は人目のつかない物陰に隠れるような形でかたまった。先程一瞬だったが外

から騒めき声が聞こえた。気付かれたか‥‥カンナたちを救出する際に出した破

壊音が原因か?‥‥だが、それを発した当人の斯波と十六夜は、それほど気にし

てはいないようだった。

「さっき言ったように、二人は銀座に戻ってくれ。俺らはまだやることがあるか

ら‥‥」

「‥‥待てよ、やっぱあたいは残るぜ」

「お、おい‥‥」

「劇場も気になるが‥‥そこのガラの悪い姉ちゃんと、このまま黙ってお別れす

るのは‥‥なおさら忍びねえからな」

「ちっ、さっさと帰りやがれ。てめえがいたら足手まといになるんだよ‥‥銀座

で花でも摘んでろ、アホウ」

「‥‥言いたいことはそれだけか?」

「わかった、わかった‥‥はあ、しょうがない‥‥十六夜ちゃん、悪いけどアイ

リスちゃんと一緒に銀座に行ってくれるか?」

「ええっ!?‥‥せっかくお兄ちゃんと一緒になれたのに‥‥別れちゃうの?‥

‥十六夜を捨てるの?」

「そ、そんな‥‥」「ほ−、そこまで‥‥」「光源氏と呼んでやろうか?」

息を飲む斯波。じと目で見るカンナと夜叉姫。

斯波はもう涙目になっていた。これが特令第参号でなければ、速攻で逃げ出して

いたところだ。

本当に寂しそうな十六夜をカンナが説得した。

「十六夜って言ったか?‥‥おめえ、銀座には‥‥いひひひ、この兄ちゃんより

もいい男がいるんだぜ。二人もな」

「‥‥‥」「カ、カンナッ」

「ぬふふ‥‥どうでい?‥‥一見の価値はあるぜ」

「‥‥もしかして、龍一兄ちゃんのこと?」

「龍一‥‥なんだ‥‥司令のこと、知ってんのか?」

「だって龍一兄ちゃん、月組隊長だったんだよ‥‥‥龍一兄ちゃんのバカッ、十

六夜捨てて、どっか行っちゃってさ‥‥一緒にお風呂だって入った仲なのに‥

‥」

「ななななんんんだとおおおっっ!?」

「ななななにいいいいいいいっっ!?」

「ぅうっっっっっっそおおおおっ!?」

「ひっ!?」

カンナ、夜叉姫、アイリスの叫び声に、思わず腰が抜けそうになる斯波。

「し、信じられねえ‥‥あ、あの、し、司令が、こ、こともあろうに、こ、こん

な、お、幼い少女と、ふ、風呂に一緒にだと!?‥‥‥こ、これは夢だっ、夢の

続きを見てるに違えねえっ!」

「あ、あの‥‥神凪、司令、が‥‥あこがれだったのに‥‥あああ‥‥あたし

ゃ、もう‥‥幼児体形には戻れねえよ‥‥」

「も、もしや‥‥お、お兄ちゃんのお兄ちゃん、アイリスのことも‥‥ア、アイ

リスはお兄ちゃんだけの、もの、だよ‥‥だめ、だよ‥‥お兄ちゃんの、お兄ち

ゃん‥‥アイリスは‥‥アイリスは‥‥」

「ん?」

両拳を目の前で握り締めるカンナ、両肩をがっくり落として天井を見つめる夜叉

姫、ぼけっと顔を赤らめるだけのアイリス。

そんな三人を不思議そうに見つめる十六夜。斯波は少し離れたところから少女た

ちを遠目に見つめていたが、さらに離れた。

「い、十六夜ちゃん‥‥」

「なあに?」

「ア、アイリスちゃん連れて‥‥銀座に‥‥向かってくれるかな‥‥」

かなり遠い位置から話し掛ける斯波。

「‥‥そうだね。龍一兄ちゃんも居るらしいし‥‥よしっ、今度こそ尻に敷いて

やるっ」

「‥‥‥‥」

「‥‥だからと言って、お兄ちゃんは自由になれるわけじゃないからね‥‥わか

ってるでしょっ!?」

「うう‥‥」

似たような表情の十六夜とアイリスは、連れ立って銀座に向かった。

陽が沈んだ後の帝都を二人の少女が徘徊するのも気が気ではなかったが、あの二

人なら大丈夫だろう‥‥斯波は二人の少女の姿が消えるまで見送った。



「さて、行こうか‥‥」

「ぬぬぬ‥‥司令のヤツ、さくらとも懇ろになって‥‥すました面して、とんで

もねえ野郎だ‥‥許せねえ‥‥あ、あたいはどうなんだよ‥‥」

「山崎隊長にも会えず‥‥司令にも見放され‥‥あたしゃ、いったい、この先ど

うすれば‥‥だれか‥‥時間を戻してくれよ‥‥」

「あの‥‥行こうか?」

「くっそ−っ、なんであたいはこうも役どころが悪いんだよっ、恨むぜ親父っ、

もっと、もっと“優女”に産んでくれりゃ‥‥」

「‥‥親父は子供産めねえって、アホウ」

「‥‥揚げ足取ってくれるじゃねえか‥‥よ−しっ、わかった、表出ろ」

「気が合うじゃねえか‥‥この胸のムカツキ、てめえを半殺しにして解消してや

るぜっ」

「あの‥‥行きませんか?」

「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」

お互いに顔を向き合い、そしてがっくりと肩を落とすカンナと夜叉姫。

「‥‥虚しいぜ」「‥‥ぢぎじょ−」

「よ、よしっ、仕事しようなっ‥‥まずは“鬼の眠る間”に潜入して、そいつを

拘束するぞ」

「ああ?‥‥拘束?‥‥何だよ、叩きのめすんじゃねえのか‥‥」

「‥‥歳はとりたくねえもんだ」

「然る後に移動して‥‥お、おい、聞いてくれよ」

またぞろ睨み合うカンナと夜叉姫。

「そ、それでだな‥‥寧ろ、そっからが問題だ‥‥」

「‥‥?」「‥‥‥」

「やはり、カンナくんに残ってもらったのは‥‥正解かもな。神凪司令と‥‥タ

チバナ副司令の指示には反することになるが‥‥」

「‥‥面倒な相手なのか?」

「‥‥実戦での経験がモノを言うからな。そう言う意味では‥‥神楽さんが夜叉

姫さんを配置させたのも頷ける」

「‥‥あたしはお祓いよっか、そっちのほうが得意だからな」

「よーし、まずは“鬼退治”だな‥‥さあっ、桃太郎について参れ、雉さんにお

猿さんよ」

「き、雉?‥‥き、き‥‥」「‥‥おめえ、後で殺す」

「じょ、冗談だよ、い、行きましょ、ね、ね」

三人は斯波を先頭に走り出した。



走る速度が普通ではなかった。広い司令本部、その廊下をつっきり、上ってきた

階段とは反対側に位置する別の階段を三階まで一気に上る。

カンナは言葉にはしなかったが、内心驚いていた。

斯波か、雪組隊長は伊達じゃねえな。それに‥‥この夜叉姫という女、普通じゃ

ねえ。このペースはあたいでも辛えのに‥‥涼しい顔して付いてきやがる。

「‥‥なんだよ」

「いや‥‥」

侮れねえ。

米田のおっさん、帝撃は花組だけじゃねえって言ってたな。確かに‥‥

そして前を行く斯波を見つめる。

闇を貫く金髪。金色の髦を靡かせて走る獅子のようだった。

大神と共通する何か‥‥そして大神にはない何かがそこにあった。

「へっ‥‥へへへ‥‥見通しは暗い訳じゃねえってか‥‥」

「?‥‥何言ってんだ?‥‥切れやがったか」

「‥‥あそこだな」

斯波は三階廊下の途中で止まった。

真正面、廊下の行き止まりに扉があった。

通常は会議室として用いている比較的広い部屋。廊下の幅に合わせて鏡開きに造

られていた。建物の最北端に位置するその部屋は、その階下は空洞になってい

る。そこまでは米田から聞いた。どうも階下の空洞は地下まで通じているらし

い。その後の話は‥‥銀弓が作戦開始一時間程前に飛んで知らせに来た。

「‥‥おかしな気配がする」

「へえ‥‥花組の特攻隊長という噂はマジらしいな」

「‥‥用意はいいかな、お嬢さんたち」

斯波は腰に括り付けていた剣を抜いた。

刀ではない。まさに剣だった。

西洋の諸刃のサーベル、それも肉厚で鎬も広い。修羅王に匹敵する長い刃渡りを

持っている。濡れたように輝くその剣‥‥日本刀の斬馬刀に相当するような業物

らしかった。かなりの重量のはずだが、片手でひょいっと棒切れのように廻すあ

たりは、扱う人間も尋常ではないらしい。

一方の夜叉姫が手にしたのは、腰に巻き付けていた鎖のようなものだった。柄が

付いていて、それが小太刀程の長さだ。お祓い棒のようにも見える。

が、本来和紙で造られる祓い羽根は、明らかに金属で出来ているような光沢を見

せている。しかも長い。まるで金属の鞭のようにも見えた。これで笑みでも浮か

べようものなら、あまりにも様になり過ぎて洒落にならない。事実、夜叉姫は而

して唇を吊り上げた。

「‥‥おめえら、普通じゃねえな」

「ん?‥‥てめえ、無手か?」

「へっ、この桐島カンナ様に光り物なんぞ似合うか。あたいの拳と脚はそれだけ

で凶器だぜ」

「うーむ、もうバレっちまってるだろうな、地下牢の破壊音で‥‥面倒だ、見通

しをよくして進もう」

斯波は扉に手をかけず、中に入った。

つまり破壊して。







浅草花やしき支部、司令室裏‥‥午後7:05分。

「移動したか‥‥当たり前か」

「‥‥待合室に人がいるようね‥‥ほら、電源が入ってる」

「歓迎されてはいないだろうな‥‥俺が我慢出来る程度であって欲しいが‥‥」



銀弓と可憐は、山崎が潜入した隠し通路から司令室を覗いてみたが、由里と神崎

重樹の姿は既に消えた後だった。ただ床に数個所、血痕が残っているだけ‥‥

「‥‥由里さんの血だとは思えないわね」

「‥‥‥」

「恐らく神崎社長‥‥」

「‥‥急ごう」

銀弓は歯ぎしりして通路を逆行した。

可憐は暫く司令室を見つめた後、銀弓の後についた。

「ねえ‥‥」

「‥‥ん」

「何故、神崎重樹氏がこんなところに来たと思う?」

「来たと言うより、呼ばれたんだろう‥‥軍用人型蒸気の製造、その要請ってと

ころか」

「あの甲冑降魔以外の?」

「‥‥俺と斯波隊長、以前神崎重工に潜入したことがあってね。その時におかし

な連中を見つけた。中国産だったが‥‥二人は始末した。一匹逃したが‥‥尾行

していったら、そいつ、こともあろうに青山の司令本部に入りやがった」

「‥‥‥‥」

「勿論、報告しなかったさ。錯覚だと思ったからな‥‥だが、今にして思えば‥

‥けっ、さしずめ機動歩兵でも編成しようってハラだろうぜ」

「それで‥‥国内を制圧、往く々々は国外進出ってところか‥‥」

「恐らく最初は中国だろうな、同じ地元の下衆を使って‥‥‥ちっ、これだから

軍人は‥‥刷り込まれるのは当たり前だぜ」

「‥‥‥‥」

「先輩に‥‥万が一のことがあったら‥‥俺は辞表を出すよ」

「何を言って‥‥」

「牢獄に入るもよし‥‥ふっ、可憐さんは横で見てるだけでいいからな」

「‥‥‥‥」

可憐は返答のしようがなかった。

帝撃には未練がないと言う銀弓。自らの斥候能力が災いしたのか、士官学校を卒

業する頃には、陸軍の裏の裏‥‥その汚れた領域まで見出してしまっていた。理

想とは常に現実とはかけ離れた領域に成り立つものだ。いや、現実がそうだから

理想が生まれるのか‥‥

帝撃に引き抜かれたことは逆に幸運だったかもしれない。士官学校には入った

が、軍人になるぐらいなら退学するつもりだった。由里を特別視するのはそんな

理由もあった。今こそ導いてくれた恩人に感謝の証を示す時だった。

可憐にはその気持ちがよくわかった。

同じ雪組の隊長である斯波が言っていた‥‥彼は帝撃で最も孤独な人間かもしれ

ないな‥‥銀弓の刹那的な気質は、ともすれば帝撃の行動指針にそぐわないこと

もあった。そこに正義があるから戦う?‥‥では正義とは何だ?

可憐はじっと銀弓の後姿を見つめた。

『軍人嫌いの青年か‥‥』

手が血で染まった可憐。それは同じ赤い血が流れる人間の血。

それも正義という大義名分を以って。

一方、その正義という看板の裏で横行する不条理な現実。

人間の業として魂に刻まれた七つの大罪‥‥それが現実化する世界、それが戦争

だった。一年前の大戦は、まさにその大罪に由来したものだった。そのために魔

界の長は甦った。

神凪は帝国華撃団構想が生まれて間も無く、可憐を帝撃雪組に兼任配置するよう

働きかけた。自らを慕って軍隊入りした可憐、そんな彼女を苛む辛い現実から回

避させるべく‥‥だが結果、可憐が雪組副隊長を兼任するのは大戦勃発後だっ

た。

勿論七特は相当まともだった。神凪が指揮する第七特殊部隊‥‥七つの大罪を駆

逐するべくして召集された七人の“墜天使”。迫害された人々を救う七人の精

鋭。闇を喰らう闇の集団。

だが相手はそうもいかない。そのために七特は存在した。だから‥‥目を背けた

くなるような現実にも目を向けなくてはならない‥‥

銀弓の気持ちも可憐には伝わった。

軍隊とは‥‥そんなものだ‥‥戦争とは、そんなものだ。

目の前の青年の想いは‥‥間違ってはいない。

「でも‥‥みんなが‥‥そうじゃないよ」

「‥‥わかってるさ」

二人は出口までの長い通路を無言で進んだ。



花やしきの隠し通路から廊下に出る直前‥‥倉庫のような部屋を介してその隠し

通路は形成されていたのだが、銀弓はそこの天井にダクト口を見つけた。薄暗い

が格子網の窓から漏れる外の灯が視界を保った。

「‥‥可憐さん、俺の肩に乗って‥‥あれ、外してくれるかい?」

「天井から、か‥‥了解」

倉庫の天井はかなり高い位置にあった。3メートルあまり。

しゃがんだ銀弓、その肩に可憐は後ろからひょいっと飛び乗った。

そのまますっと立ち上がる銀弓。曲芸を見るような動作だった。

「‥‥上、見ないでよ」

「わ、わかってるよ」

意外に短いスカートで参上した可憐。

肩に乗った、その細い足首が横目に映る。

『ごくん‥‥‥見たい、気が、する‥‥』

我慢しきれず、可憐の脚に沿ってじわじわと横目で上を見上げる銀弓。すけべ目

に負けない、なかなか気色悪い視線だった。

『ご、ごくん‥‥す、素晴らしい、ふくらはぎが‥‥こ、これが、七特の膝か

?、雪組の膝なのか!?‥‥おおっ!?、ふ、太股がっ、太股がああ‥‥そ、そ

してえええ‥‥』

ズゴッ‥‥

暗闇が視界を覆った。可憐の足の裏だった。

「‥‥見るなっつうたでしょっ!」

「し、失礼しましたあ‥‥」

しょんぼりと蓋が開くのを待つ銀弓。

「開いたわよ」

「行きましょか‥‥」

そして二人は天井裏へと侵入した。







浅草花やしき支部、表玄関‥‥午後7:20分。

「ほほう、これはこれは‥‥出迎えご苦労ぢゃのう‥‥」

銀弓と可憐が侵入して少し時間を置いてから、表玄関から堂々と参上した舞姫率

いる玄武班は、いきなり廊下で黒い霞の大軍と遭遇した。侵入者を確認すると同

時に湧き出すような仕組みになっているらしい。玄関が直接ロビーと結合する形

を取っていないため、間口はそれほど広くない。ロビーの先には花やしき工場へ

通じる通路がある。勿論普段は立ち入り禁止になっているが。

「‥‥ロビーまで押し込めば、いよいよ舞姫様の出番ですね」

「‥‥‥‥」

「おーほっほっほっ、気にせんでもええぞね、村雨殿‥‥朧殿もお気遣いは無用

ぢゃて」

ご満悦の舞姫は踏ん反り返って二人の後についた。

二人とも舞姫の待遇については心得があるようだった。

言葉を発することのない村雨の、その意思を受け継いだ返答でもあった。

「引き付けるだけ引き付けてたもれ‥‥華月殿と可憐殿が動き易くなるでのう‥

‥」

頷く村雨と朧。

「では行きますか‥‥」

「‥‥‥‥」

左手に木刀を持ち居合い抜きの構えを取る村雨。その斜め後ろに朧。



雪組の村雨、月組の朧‥‥共に帝国華撃団創設から参入した若年戦士。

無論二人とも本名ではない。



米田が仙台の真宮寺家の墓参に向かった折り、海岸に寄り道した際に見つけたの

が村雨だった。さくらと同じ北辰一刀流を駆使する剣客。年齢は斯波より五つ

下、19歳。

雪が舞う砂浜。海に向かって木刀を振るう少年がいる‥‥米田は気になって近く

に寄って行った。まだ13歳だったその少年が木刀で“斬って”いたもの、それ

は雪だった。

雪の粒が一振りで二つに別れる‥‥木刀には付着させずに、そして雪は潰さずに

‥‥

恐るべき技量だった。

米田自身も、そして真宮寺一馬も、雪の降る日に余興で試して、結局出来なかっ

た技だったのだ。それを小学を出たと思しき年齢の少年が、しかも木刀で実践し

て見せる‥‥米田は息を飲んだ。

暫く眺めていると、今度は不穏な気配が生じた。

瘴気?‥‥降魔ほどではないにしても、同じ類いの不浄の物の怪だった。何故こ

のような僻地にそれが湧きだすのか‥‥米田は刀を構えて、物陰から出て行こう

とした。

米田はそこで目を瞠った。

瘴気はその少年が召喚したものだった。勿論悪意はなく、自らの技を確認するた

めに呼び寄せた哀れな標的だった。ギギギ‥‥と不愉快な悲鳴を挙げる、その黒

い瘴気‥‥少年は躊躇わずに斬った。黒い瘴気は潮風に消えた。

霊力は感じ取れない。霊力を伴わずに斬る?‥‥しかも木刀で‥‥

米田は即、その少年をスカウトした。

雪はいつしか雨に変わっていた‥‥

名を聞くと‥‥名乗らない。言葉を発することの出来ない少年だった。

人気のない海沿いの村に一人寂しく過ごす少年。

濡れた髪の毛が瞳を隠す‥‥米田はその少年を“村雨”と名付けた。

花やしきに居を構えることになった村雨少年を、米田は柄にもなく、様子を伺い

に何度となく訪れた。

地下訓練室‥‥上半身裸で木刀を振るう村雨少年。その背中に火傷の跡を認めて

米田は唸った。稲妻のような形状の火傷‥‥あたかも稲妻に打たれたような傷跡

だった。

降魔戦争終結一年後に生まれた帝国華撃団構想、その中で最も早く成立したのが

雪組。米田は村雨を雪組に配置した。それはまだ18歳だった斯波が雪組隊長と

して赴任した年でもあった。米田は村雨の処遇を斯波に一任することとした。



その同じ年に朧はあやめにスカウトされた。銀弓より二つ下、18歳。

子型霊子甲冑・桜武の試作機が完成したことにより生まれた帝撃構想だったが、

その主力となる花組を補佐する部隊が必要だった。花組を派遣できない極地での

戦闘、そして先行索敵部隊‥‥霊的素養を満足する花組要員の確保がままならな

い折り、それでも不浄の物の怪は現れる。雪組は求める声によっていち早く生ま

れた。そして月組も。

賢人機関によって発見された少女たち、そのスカウトの実質第壱号となる李紅蘭

との接触を図るため、あやめは海外への渡航準備に入っていた。

出港の前日、桜武試作機を確認するために立ち寄った神崎重工川崎工場。あやめ

は神崎重工から与えられた宿舎に一泊した。翌日の早朝に横浜に向かうつもりで

いた。

‥‥その夜、強盗が入ったと言う知らせを受けた。捕まったのはまだ12歳の少

年。

貧しいから盗んだ‥‥その少年はそう言った。手に持っていたのは試作乙型霊子

反応基盤の金メッキプレートだった。

すぐに護衛を振り切り逃走する少年‥‥追う神崎重工警備陣、そしてあやめ。

あやめは舌を巻いた。自らの体術を以てしても追い付けない速さ‥‥そしてよう

やく包囲しても捕獲できない身のこなし。あやめは先回りして、その少年を待ち

伏せた。

説得は容易だった。

ひとりぼっち。だれも助けてくれる人はいない‥‥養うべき家族もいない。

その少年も村雨同様、名前は名乗らなかった。捨てられた、と言った‥‥名前な

ど付けられなかった、と、その少年は泣いた。

あやめはその少年を自らの部屋に招き入れた。

ベッドで眠る少年‥‥あやめはふいに窓の外を見た。満月‥‥霞がかってあまり

明るくはない。この子は月組に配置しよう‥‥あやめはその少年を“朧”と名付

けた。

一緒に来る?‥‥あやめはその少年を連れて大陸へ渡った。

朧少年はあやめの訪れる先々で先行索敵の任を担った。その報告はすぐに駐在す

る帝国陸軍第七特殊部隊に伝達される。そして“平地”になった場所へあやめが

入り込む、ということになった。このことは当のあやめ本人も気付いていなかっ

たが。

七特はこのとき二班に別れて行動していた。それも米田と神凪の指示であって、

得に中国での月影の存在を懸念した神凪の提案だった。勿論神凪はあやめのこと

はこの時点では全く知らず、ただ帝撃からスカウトマンが来る程度のことしか聞

いてはいなかった。紅蘭、マリア、そしてアイリスとの接触が完了し、あやめは

帰国した。

朧少年は14歳。そして正式に月組隊員として登録された。

大神が隊長として花組に赴任し帝撃の主力が完成した頃、村雨と朧は行動を共に

するようになった。17歳と16歳‥‥その年齢をそぐわない実力を示す二人の

少年。

朧が潜行し、敵を村雨が斬る。

後に月組隊長として赴任する銀弓と雪組隊長の斯波のコンビ“月光雪華”‥‥電

光石火をもじったらしいが、それに匹敵する連係だった。



「ふっ!」

村雨が必殺の気合いを以って、木刀を横殴りに振る。

“木”に有るまじき光を放った。

それは‥‥さくらの放つ桜花放神に酷似していた。そして雪華風神にも。

白色の矢が、黒い影矢を率いて花やしき通路を埋める黒い霞を貫く。

まるで滝に飲み込まれるように黒い霞が消えていった。

「いただきっ」

ロビーまでの路は出来た‥‥いや、その路が出来る前に、朧は突っ込んでいた。

光と影の矢を追いかけるように。まさに疾風の如く。

両手から金粉が舞ったように見えた。

通路の壁際に残った実体化していないはずの黒い霞‥‥それにまとわり付いて、

糸に引かれた操り人形の如く、走る朧に引かれて行く。村雨がすかさず追随す

る。

通路は完全に無人‥‥いや無塵と化した。

村雨の抜刀、そして朧の“糸”‥‥

米田が微酔いに詠んで曰く、“雪降る月の調べ”。

酒の名前でもあったらしいが。

“動”の“月光雪華”に比肩する“静”の連携技。

「見事よのう‥‥美しいぞえ‥‥」

麗しの姫君は浄化された路をおっとりと進んだ。







川崎にかかる湾岸道路の終始点‥‥“ハマイチ”が乗り込んだ頃、空からは煌々

と月明かりが照らしていた。帝都と横浜では赤く見えた月も、なぜか神凪の目に

は純白に映っていた。

「‥‥寒くないか、神楽」

「いえ‥‥大神隊長もいますから」

神楽は大神を挟み込む格好で、神凪の腰に手を置いていた。

運転席後部に座る大神のさらに後ろ‥‥大神の背中に神楽の横顔が張り付く。

大神の体温が密着する神楽をあたためる。

「‥‥大神はどうだ?」

「まだ眠ってます」

「そうじゃない。お前が‥‥“綻びの接吻”を与えた感触だよ」

「!‥‥知って‥‥」

「神楽‥‥大神には関るなと、大戦の時にも言ったろ‥‥」

「‥‥‥‥」

「配役は初めから決まっているんだよ‥‥」

「私には‥‥人を愛する資格はないと?」

「‥‥自由だよ。大神以外ならな」

「だって、大佐は‥‥大佐は、私のことを見てはくれないから‥‥だから‥‥だ

から、私は‥‥」

「大神を自分のものに?‥‥だから、大神の中のマリアを‥‥消そうとしたの

か?‥‥暁蓮と名乗った彼女と、それじゃ同じだろ‥‥」

「‥‥‥‥」

神凪はじっと前を見つめていた。

冷たい風が髪の毛を揺らす。潮風はもう届いてはこない。

同じ風が神楽の金色の髪を靡かせる。

大神の背中に、金の羽毛が生えたかのように‥‥

「私の記憶を、私の想いを‥‥与えただけ‥‥私の心を‥‥」

「お前の望み‥‥適えてやろうか、神楽‥‥」

「え‥‥」

「大神が覚醒する、その時に‥‥」

「大佐‥‥」

「その頃には‥‥俺は‥‥」

「神楽は‥‥神楽は、常に神凪と共に‥‥あります」

神凪の声に何を見出したのか、神楽の瞳はいつしか涙で濡れていた。

泣くことも、笑うことも、怒ることも、喜ぶこともない‥‥退魔の巫女。夢魔に

して人にあらず‥‥鉄面皮の、その目に涙が溢れる。

大神の背中に顔を埋める。

‥‥同じ匂いのする、その想い人の分身に。

「あなたの傍においてください‥‥私を‥‥愛してください‥‥」



帝都の灯が見えてきた。

もうすぐ銀座に入る。

「もっと早く会えていたら‥‥」

神凪は吹き付ける風に目を細めながら、記憶の中の少女に呼びかけた。

その少女は笑っていた。群青のチャイナドレスを着た‥‥おさげ髪の少女。

「李暁蓮‥‥暁に咲く蓮華‥‥滅びの香りか‥‥」

その女性は泣いていた。群青のチャイナドレスを着た‥‥地の蛇。

「蘭の容しさは‥‥もう忘れてしまったのか‥‥」









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