<その7> 大正四年の冬。 突如日本橋に湧き出した一匹の魔物に、恐怖の阿鼻叫喚の坩堝と化した帝都‥‥ 帝国華撃団の前身、陸軍対降魔部隊の編成が遅れていたら‥‥脅威の牙から一時 的に逃れ、まさに一時の平穏が訪れた冬。 30代前半だった神崎重樹は仙台出張に赴いた。表向き工場予定地の現地視察だ が、社用ではなく、プライベートで‥‥真宮寺一馬の依頼だった。 真宮寺家の様子を見てきてはくれまいか‥‥門から覗いた、如何にも古風な家柄 は神崎重樹の心を打った。わびさびの世界、儚い終末の美がそこに息づいてい る。 濡縁に一人の少女が座っていた。 まだ幼い‥‥あれがさくらちゃんか‥‥すみれと‥‥同じぐらいか‥‥神崎重樹 は少し暗い表情を見せた。 すみれの態度‥‥無理もないか。七瀬が往ってしまって‥‥私を冷たい父だと思 っているだろうな‥‥ もう一度さくらを見た。幼いさくら‥‥重樹の存在に気付いたようだ。 微笑んでいた。 重樹の発する霊力を見て‥‥重樹の悲しい想いに気付いて、か‥‥ 重樹は微笑み返して、真宮寺家を後にした。 この家には‥‥もう既に強い結界が張られている。懸念は無用だったな‥‥真宮 寺君‥‥だが、いったい誰が‥‥ 仙台は初めての訪問だった。 軍事・通信各機関は既に設置されている、東北の拠点。表向きの視察、とは言 え、なかなか興味を引かれる街だった。 真宮寺家を後にして立ち寄った東北帝国大学‥‥重樹は東京帝大を出たが、学術 研究、得に科学技術に関しては、寧ろ東北帝大のほうが先んじているのでは‥‥ と感じたほどだった。 青葉山を横目で見つつ、郊外へ散歩がてら‥‥そして澄んだ川の流れに出会う。 広瀬川。 雪の白が川辺を覆う、自然が作り出す美しき幻影‥‥重樹は一瞬で虜にされた。 冬の広瀬川、か‥‥ しばし眺めていた重樹。川の行き着くその先、海が見たくなった。 自動車を調達して、雪道を走る‥‥広瀬川に沿って。 ささめ雪が、そのうち大雪になった。 丁度海についた時点で車が動かなくなった。神崎重工製の機関部と足回りを搭載 していれば‥‥と、重樹はこの時仙台進出を心に誓った。 まあ、いいか‥‥凍死はせんだろう‥‥近くに宿もありそうだ。 東北の冬の海は、まさに自然の脅威を見せ付けてくれた。 激しい風、横殴りの雪、舞飛ぶ波しぶき‥‥それがすぐに凍り付くほどの気温。 神崎風塵流の継承者である重樹の体力、気力を以ってしても、辛いほどの環境だ った。 だが、清涼とした、その自然の力‥‥帝都でくすんだ身体を内側から浄化してく れるようだ。 ふと人の気配を感じた。 少し高台に小屋がある。掘っ立て小屋にしか見えないが‥‥人が住んでいたよう だった。 一人の少年が雪の砂浜に降りてきた。まだ‥‥幼少だ。さくらとすみれ、その二 人とたいして変わらないような少年。木刀を持って‥‥ 重樹は暫しその少年に見入った。 海に向かって構える少年‥‥ また人の気配を感じた。 雪の砂浜を歩いてくる黒い出立ちの美少年‥‥15、16歳ぐらいか‥‥ 逆立った髪形が印象的だった。それが横殴りの雪で白く覆われている。黒い出立 ちが白い景色の中で際立っていた。 長剣が闇を伴って黒く輝いていた。 血が騒いだ。 この少年が間違いなく‥‥大神家の者だ。こんなところで会えるとは‥‥ 詳細は知らないし、知る由もない。だが、神崎の血がそれを教えた。 神崎風塵流の先代継承者である重樹は、賢人機関すら把握していなかった大神家 の存在を、社長に就任する以前から知っていた。勿論それは大神一郎ではない。 父である忠義は、大神家には挑むな、と風塵流を継承させるに能って付け加え た。 重樹には理解できなかった。神崎風塵流は最強だと自負していた。神崎重樹は今 のすみれに匹敵する霊力保有者だった。すみれの持つ最強の奥義“鳳凰蓮華”を すみれと同じ歳で会得したほどの実力者。その上にある究極奥義までも‥‥この 時点で神崎重樹は神崎風塵流が生んだ最強の使い手となった。大神家?‥‥いっ たいその者に何があると言うのだ‥‥ 木刀を構えたままの幼い少年‥‥その少年を横目で見つつ、黒い出立ちの美少年 は真っすぐに重樹の場所まで歩いてきた。木刀を持った少年は、その黒い美少年 が通り過ぎた時、初めて木刀を振った。 木刀が‥‥雪を斬った。木刀で‥‥雪を斬る?‥‥重樹は目を瞠った。 いつの間にか、黒い出立ちの少年が重樹の横を通り過ぎようとしていた。 待ってくれ‥‥思わず声をかける重樹。黒い少年は振り向きもせず立ち止まっ た。 『‥‥私は神崎重樹と言う。初対面で不躾だが、これも何かの巡り合わせ‥‥手 合わせ願えないだろうか』‥‥重樹の言葉に振り向く少年。目が赤い色を呈して いた。 「‥‥自分を‥‥大神家の者と知った上で?」 「私は神崎風塵流の継承者‥‥貴殿の‥‥狼虎滅却抜刀術を汚す者ではない‥‥ お願い出来まいか」 「‥‥死して遺恨を残さぬなら立ち合おう‥‥我が名は大神麗一‥‥無の世界へ 導く者なり」 やはり大神家の血筋の者。このような若年で‥‥この気合、そして霊気‥‥重樹 は腹に力をため込んだ。‥‥大神家には挑むな‥‥いや、先入観は厳禁だ。 重樹は車に置いてあった長刀を取りに車に戻った。 がっしりとした重みに震えも和らぐ。神崎風塵流の正統継承者のみが持つことを 許される、霊刀と樹齢300年以上の神木から造られた柄‥‥鉄でも折れない、 その長刀が重樹の霊力に応じて紫色に輝く。 灰色の海を背景に対峙する二人。 木刀を持っていた少年がじっとこちらを見ていた。 もう陽が落ちて黄昏時の薄明かりが照らす海。いや、太陽は元々差してはいなか った。どんよりとした雲に覆われて、暗い空と激しい風と雪だけが包む、極寒の 地。 尋常な相手ではなかった。 重樹は冷たい汗をかいていた。まるで今の海のような‥‥ 奥義を出すしかない‥‥人間相手に。 闇を貫くはずの炎の胡蝶、神速の飛燕、紅蓮の鳳凰、そして極寒の地に燃え盛る 赤熱鳳仙花‥‥それが無の世界へと消えていく。このままでは‥‥相手を固定す るしかない‥‥蓮華で‥‥ 重樹は鳳凰蓮華を放つまでに追い込まれた。 黄昏時はいつしか夜の闇が覆っていた。 立ち合いは終わった。 『貴殿は‥‥後顧の憂いが残っているようだ。神崎風塵流と申したな‥‥覚えて おこう。貴殿の子息が戦うであろうその日まで‥‥』 その黒い少年は立ち去った。 重樹の霊力を残さず喰らい尽くして。 雪に埋もれた身体‥‥顔につく雪が心地よい‥‥ 木刀を持った少年が近寄ってきた。 そこで重樹は気を失った。 目が覚めたのは仙台の病院のベッドだった。 重樹は一命を取り留めたが、かつての霊力は痕跡すら残していなかった。そして ‥‥究極奥義は封印された。それは忠義の意思でもあった。究極奥義を持つが故 に‥‥触れてはいけない者に挑んだ。 重樹は究極奥義どころか鳳凰蓮華すら放てなかった。が、それが幸いした。命を 失わずに済んだのは幸運を通り越して神の僥倖に等しかった。無の世界への使 者、その戦いの果ては‥‥無だ。 重樹は本当なら客人として帝国陸軍対降魔部隊に参加するはずだった。それも適 わぬこととなった。さくらが神凪に対して思わず口にした言葉‥‥神凪がいれば 父は死なずに済んだ‥‥それは、重樹にも当てはまった。無の世界への使者と戦 わずば‥‥重樹の持つ巨大な霊力は降魔をも駆逐したはずだった。 神崎重樹は昔のことを思い出していた。 今乗っているのは、あの時の蒸気自動車ではない。神崎重工製の辺境仕様の高級 車。 横に眠る由里を見て、自分が若かった頃のことが脳裏に過っていた。 いつも車の片隅に置いていた長刀‥‥それも今はない。 神崎風塵流の正統伝承者が持つ神の長刀‥‥それはすみれに受け渡された。 帝撃に不穏な影がちらついているのは会長である忠義から聞いていた。 すみれにも‥‥ 「‥‥神の加護があらんことを‥‥」 重樹は祈った。 自らの残る霊力を全て捧げた、あの長刀に‥‥ その長刀は‥‥本来輝くべき霊光を失っていた。 代りに血で染まっていた。 神木の柄を握ったまま‥‥微動だにせず横たわる赤紫色の人影。 青白い顔だけが赤の彩りから逃れていた。 唇以外は‥‥蝋燭のように‥‥氷のように‥‥ その青白い顔に血の華が咲いた。 霧のように血が吹きかかってきた‥‥ 「愚かな‥‥君の相手は‥‥私ではないだろう‥‥何故、死に急ぐ‥‥」 「ガフッ‥‥ゴボッ‥‥ごほっ‥‥こ、この、まま‥‥し、死ぬ訳には‥‥せ、 せめて‥‥ひ、一太刀‥‥がはっ」 腹部を手刀で貫かれ、ロビーの赤い絨緞がさらに赤く染まる。 渾身の霊力と意思破壊の精神操作を以って放った拳も‥‥闇に消えた。 山崎の腕は月影の肩越しの空間に虚しく伸びるだけだった。 「や、山崎少尉−っ!!」 絶叫するマリア‥‥修羅王が導いた。 「んぬあああああっ!!」 殺意の霊力を伴った抜刀から放たれた銀光‥‥それは活殺の風には成らなかっ た。 壁になった山崎を迂回するように回り込む銀色の稲妻‥‥十文字雷破。 山崎の腹部を貫いた月影の左手、もう一方の右手をすっと掲げ、掌を稲妻に向け る。 銀色の稲妻は‥‥掌に生まれた闇に吸い込まれた。 「‥‥君まで後追いすることはない‥‥タチバナ副司令‥‥」 「はあ、はあ、はあ‥‥」 修羅王を青眼に構え、霊力を再び蓄積するマリア‥‥目の前で起った惨劇‥‥冷 静になれと言うほうが無理だった。 月影は左手を抜いた。 ズボッ‥‥ 山崎は倒れなかった。 そのまま月影と再び対峙する。 「‥‥天晴れなり、山崎隊長‥‥私は決して忘れない‥‥この国に帝国華撃団が あったことを‥‥夢組隊長の名を」 「がはっ‥‥ごぼっ、ごはっ‥‥ね、寝言なら‥‥寝てから、言え‥‥裏切り者 が‥‥」 「‥‥我が奥義にて貴殿を往生せしむ‥‥許せ、山崎隊長」 「ふ‥‥ふふ‥‥つ、通じるかい‥‥こ、この俺に‥‥」 あくまで‥‥さくらとすみれの前面に立つ山崎。 腹部から流れる血。 口元を彩る血。 目から流れる‥‥血の涙。 「下がりなさい‥‥山崎さん‥‥」 山崎の背後にさくらが寄った。 「だめ、です‥‥さ、さくらさ‥‥ごぼっ‥‥」 「動いてはだめ‥‥わたしの‥‥傍に‥‥」 そのまま光が山崎を包む。 その光はすみれをも包んだ。 山崎は導かれるように、さくらの輝く身体に吸い込まれた。 「貴殿は一人ではない、山崎隊長‥‥すみれさんとさくらさんが‥‥貴殿と共に ある‥‥永遠に‥‥」 再び構える月影。 臨界まで達した霊力が赤い闇を作り出す。 「山崎、さん‥‥」 「さ‥‥さく、さくらぁ、さぁ、ん‥‥」 じっと山崎を見つめるさくら。 山崎の瞳から流れる‥‥血の涙‥‥それを優しく拭う‥‥ 輝く身体‥‥天上の人‥‥山崎はその柔らかい胸に抱かれ、苦痛が遠ざかってい った‥‥そして意識も‥‥ さくらが創る光の半球、その横にもう一つの光が現れた。 光は二人の天使を生み出した。 金色と漆黒の髪を靡かせる双子の天使だった。 「な、何よこれ‥‥」 声を発したのは十六夜。アイリスは‥‥ 「!!!‥‥イリス・ジャルダ−−ンッ!」 アイリスはすかさず癒しの霊光の放った。 最早、霊子甲冑を介さずとも癒しの力を発揮出来る程に成長したアイリス。 そして感情よりも状況を優先する程にまで成長したアイリス‥‥ 山吹色のあやめの花びらが血に染まったロビーに舞う。 復活の花園が修羅場と化したロビーを埋め尽くす。 すみれに、そして山崎に‥‥ 「‥‥ああ‥‥これ、が‥‥花組の‥‥力、か‥‥」 山崎は目を閉じた。 少し微笑んだ‥‥ 苦痛は消えた‥‥さくらの胸に抱かれ‥‥そして、眠った。 ガゴ−−−ンンンッ‥‥‥ ズ‥‥ズズ‥‥ズ−−ンッ‥‥ 帝国劇場の正面玄関、その重い扉が破壊された。 塵が舞う。 薄明かりの中で‥‥ 塵は光になった。 白い光が人を創った。 闇を貫く凄絶な光の雷刃‥‥それが輪郭を創った。 人であり‥‥人にあらず。 それは白い狼だった。 「戻ってこられたのですか‥‥」 「我を目覚めし者‥‥汝に与えしは‥‥狼虎滅却なり」 破壊された天井からはいつしか星が見えていた。 雲は消えていた。 そして月は白く輝いていた。 青山の赤い月明かりも、いつしか白になっていた。 街灯がなくとも景色が見渡せるほどだった。 窓越しに建物の中まで月明かりが入り込んでいた。。 ただ、その地下は違った。 灯が点らない‥‥肉の壁が続く地下牢‥‥ 「‥‥いけねえ、吐き気が酷くなってきたぜ」 「‥‥ちきしょ−‥‥胸のムカツキが‥‥治まらねえ」 「‥‥‥‥」 青山司令本部の地下、そのさらに深い位置に掘られた地下道を三人は歩いてい た。壁は会議室モドキのそれと同じく、肉片で覆われている。 カンナと夜叉姫を襲う猛烈な嘔吐感は、その肉片から発する臭気からではなさそ うだった。二人の少女はそれほど柔ではない。 斯波は少しばかり焦った。 雪組隊長として‥‥勿論そんなことは初めてだった。 それも自分たちの境遇が生み出している訳ではないことも。 明らかに‥‥離れた場所で起きている何かを、二人は感じ取ったのだ。 『‥‥まずいな‥‥今、中止する訳にも‥‥どうする‥‥』 剣を握る手にうっすらと汗が浮き出る。 右手に持っていた剣を左手に持ち変える。 「二人とも‥‥もう少し、我慢出来るか?」 「‥‥勿論‥‥はやいに越したことはねえが」 「ああ‥‥全く同感」 「‥‥走るぞ」 「‥‥ああ」「おお」 三人は灯の点らない地下通路を走り出した。まだ、そのほうが‥‥肉体的苦痛を 与えれば、少しは精神的苦痛も和らぐ‥‥ まるで泥濘を走っているような感触の路を三人は走破した。 青山から‥‥浅草方面、地下道は遂に終点を迎えた。 終点‥‥いや、始点かもしれなかった。 広大な空間が三人の視界に映る。 「な、なんだよ、ここは‥‥」 「‥‥まさか‥‥ミカサの?」 夜叉姫が斯波を見た。 斯波は既に広場に下り立って、何やら物色していた。 「?‥‥何やって‥‥」「‥‥わかんね」 二人も広場に下り立った。 広場に入ると、先程来続いていた嘔吐感が少し和らいだ。 「あ、れ?」「‥‥少し‥‥まともになったか?」 「‥‥勘違いするなよ。予感が解消された訳ではない」 斯波が相変わらず何かを探しながら、二人に声をかけた。 「向こう見てみろ」 「向こう?」「?」 「広場の左端‥‥ここと対角線の位置、500メートル程向こうにある‥‥暗い ところだ」 斯波は振り向きもせず、なおも何かを探し続けた。 「ん?‥‥‥!?」「‥‥‥!」 「‥‥見えたか?」 「あれ、か?‥‥マ、マジであれを?」 「あ、あんなの‥‥ど、どうやって‥‥」 カンナと夜叉姫が見たもの、それは降魔の死骸だった。 数が普通ではなかった。少なくとも‥‥千匹、いや、一万匹分はある。 ミカサが収容されていたドッグの青山寄り、その左側にくびれがある。奥行きだ けでも500、幅も500、深さは100メートルほどはありそうだ。どうも後 部飛行左翼の収納ブロックだったらしい。そこに溢れんばかり降魔の死骸が積ま れていた。 降魔は正しい方法で駆逐された場合、実体化以前の状態に戻り、消滅するはずだ った。なぜ実体化したまま‥‥通常の生命体のように肉体を保持するのか‥‥ その死骸の上に何かが蠢いていた。 黒い霞のような、そんな影が陽炎のように揺らめいていた。 「あそこだけだ‥‥ここまで影響が及んでない」 「あ、ああ」「し、しかし‥‥」 「それに‥‥先程から続いていた予感、それが薄らいだ」 「‥‥何が言いたいんだ?」「‥‥‥‥」 「吸収する媒体がある、そういうことさ」 「‥‥?」「‥‥なんか知らねえけど‥‥それを使って?」 「ああ‥‥それを探してるんだが‥‥!」 それまで物色に専念していた斯波が急に振り向いた。 目を細めてカンナと夜叉姫の背後に視線を送る。 「‥‥鬼が出たか‥‥」 「!」「!」 カンナと夜叉姫は同時に振り向いて構えを取った。 かなり距離はあったが‥‥そこに数人の人影が見えた。 「すまんが‥‥二人で処置、頼めるか?」 「‥‥構わねえけど‥‥拘束する、なんて出来るかどうか‥‥」 「そうだなあ、あたしも‥‥こういう状況じゃ、辛いぜ‥‥」 斯波は再度物色に専念しなおした。 「無理だったら‥‥引導を渡してやれ。もう手遅れだろうからな」 「?」「‥‥わかったよ」 「それと‥‥向こうには、まだ近寄るなよ」 不可解な表情のカンナを夜叉姫が引っ張っていった。 「な、なんだよ‥‥」 「見りゃわかるよ‥‥」 それは接近するにつれ、形態が明らかになった。 人間。 軍人。 軍服を着ていた。 肉眼では認識出来ない暗闇、その霊視が明らかにしたものは‥‥ 「げっ‥‥な、なんだ、こいつら‥‥」 「‥‥‥南無阿弥陀仏‥‥こりゃ、お祓いに専念するか‥‥」 会話が途切れた巨大な空洞に、ただ、耳障りな音だけが響いた その空洞の先‥‥ 斯波たちが潜入した、青山方面からの通路とは反対側。 浅草側に位置する空洞の終端、そこからもう一つ通路が伸びていた。 かなり長い通路‥‥歩くにはかなりの距離がある。 その先には小さな空洞があった。 空洞と言うより、格納庫だった。 鯨の口。 即ち翔鯨丸格納庫。 シリスウス鋼で覆われた表面も、その腹の部分は気球被膜がむき出しの、最も弱 い場所だった。強襲揚陸を半ばの目的とした翔鯨丸の唯一の弱点だった。 かすみと椿はその腹の部分近く、艦橋の屋根に登っていた。 搭乗口に続くタラップは椿が処分した。 中に潜入できないように。 既に格納庫は一個大隊並みの兵士で埋め尽くされていた。破壊目的で潜入したの は明らかだった。夕暮れ前には格納庫に入り込んだかすみと椿、翔鯨丸のエンジ ンを起動した直後に取り囲まれた。 “死守する”一番手っ取り早い方法は、花やしきから飛び立たせることだったが ‥‥それも間に合わなかった。 浅草の住宅街を観音開き宛ら、ひっくり返すようにゲートが開く。 そのゲートの開放を行うための航空管制が必要だった。 いつもは風組が担当するそれも‥‥その張本人が翔鯨丸の上に乗っている。 この“狭い”格納庫で平気で銃を乱射してくる。翔鯨丸の腹には大戦終了後、薄 い被膜‥‥まだ研究段階だったはずの弐型シリスウス硬化溶剤が塗布されてあっ て、ある程度までは被弾も問題ない仕様になっていた。が、程度の問題だった。 かすみと椿は翔鯨丸の腹に弾丸が行かないように、場所を移動しながら応戦して いた。無論応戦と言っても、彼女たちに飛び道具があるわけでもないし、使える はずもなかった。椿が念のためにと持参した催涙玉ぐらい‥‥ 花やしき、翔鯨丸格納庫‥‥午後7:40分。 「まずいですよ、このままじゃ‥‥どうします?、かすみさん」 「‥‥由里はいったい何を‥‥このままじゃ‥‥ん!?」 かすみは格納庫の壁際、管制機関室の窓から誰かが合図を送っていることに気付 いた。 「‥‥翔鯨丸を離陸させるわよ、椿」 「‥‥え?」 「フォローが入るわ、行くわよ」 爆発が起った。 丁度格納庫通路の入口近辺だった。小規模だったが、銃声が止むには十分だっ た。 かすみと椿はすかさず上部緊急脱出口から操縦席に入り込んだ。 窓には被弾した跡が点在していたが、割れてはいない。弾丸は窓の中に固着する ような形で残っていた。この窓も大戦以降改造されたものだった。強化型透明硬 化樹脂に表裏面をフラッシュ・コーティングされ、本体部分は石英ではなく、パ イレックス製の二重ガラスが採用された。その内部には壱型硬化溶剤が挟み込ま れている。 可視光線の透過損失を抑えるのが一番の問題で、紅蘭には手におえず、そこは氷 室が担当した。 操縦桿をかすみが操作し、本来由里が行うべき航法管制を椿が受け持つ。 「‥‥大丈夫?」 「な、なんとか‥‥」 「‥‥由里‥‥まさか‥‥いや、考えちゃいけないわね」 通信が入った。 『‥‥1分後にゲートを開放、同時に翔鯨丸のアンカーを解除します‥‥マーカ ーは点灯しないので注意するように。時計を合わせるのでよろしく‥‥3‥‥2 ‥‥1‥‥どうぞ』 「‥‥はい、大丈夫です」 『‥‥秒読みは10秒前に開始‥‥行き先は‥‥‥どうしよう‥‥‥そうだ、か すみちゃん、“神の衣を創りし者”の館へ向かって』 「了解」 「あ、あの‥‥」 『‥‥何か?』 「わ、私は‥‥椿、高村椿と言います」 『‥‥可憐です』 「ありがとうございました」 『‥‥向こうで合流しましょう。由里さんもいることだしね』 「!‥‥了解しました」 「‥‥可憐さんか、久しぶりだな‥‥これが終わったら、お茶会でも開きましょ う」 「どういう人なんですか?」 「‥‥可憐な人よ」 「‥‥う−む」 『‥‥発進10秒前‥‥』 「あ、いけない‥‥」 「誘導頼むわよ、椿‥‥マーカーがないから、あなたの指示だけが頼り」 「は、はい‥‥」 発進の挙動に気付いたのか、銃撃が激しさを増してきた。 強化ガラスにガンガン着弾してくる。 この分では‥‥腹にもかなり食らってるはずだ。 持てばいいが‥‥ 『‥‥3‥‥2‥‥1‥‥ゲート開放、アンカー解除、翔鯨丸発進せよ』 オオオオオオオオオオオオオオ−−ン‥‥ サイレンが響き渡る。 ゲートが開いた。夜空が見えた。星明かりが‥‥まるでビロードのように輝いて いた。 ガクンッ‥‥ アンカーブロックが展開する。兵士たちがまるで渦に飲み込まれるように、穴に 落下していった。同情は‥‥禁物だ。ほとんど無防備のこちらを平気で銃撃して くるような連中だ。上の指示とは言え‥‥非道すぎる。 「‥‥翔鯨丸、発進しますっ!」 かすみが操縦桿を引く。 カンナと共に帝撃で航空機運用が出来る二人の少女。 かなり訓練を積んではいるものの、夜間のしかもマーカー誘導なしでのフライト はかなり辛い。おまけに風が入り込んでくる。予備品とも言える音波探知機と外 壁のマーキングのみで位置補正を行うしかなかった‥‥半ば勘で。 「‥‥左に‥‥5度旋回してください‥‥3秒間です」 「了解」 「‥‥頭を‥‥10度上げてください‥‥2秒間です」 「りょ、了解」 「‥‥5秒後に最終ゲートをくぐります‥‥3‥‥2‥‥1‥‥艦橋部、ゲート 通過しました」 「ヘリウム圧力正常、機関出力正常‥‥3分後に発進出力から巡航出力へ‥‥2 分後に九段下方面に旋回‥‥‥はふっ‥‥よくやったわ、椿‥‥」 「‥‥はあっ‥‥でも‥‥」 「‥‥‥‥」 「どうして‥‥こんなことに‥‥」 「‥‥椿」 「はい?」 「‥‥あなた‥‥月村隊長のこと、憶えてる?」 「月、村‥‥え?‥‥風組隊長って‥‥かすみさんじゃ‥‥」 「知らないのか‥‥月村隊長、ちょうど‥‥二年前かな、日本橋の戦いの時、あ の直前に失踪しちゃったのよ」 「月村‥‥わたし、それ以前に‥‥ずっと前に入ったのに、全然知りませんよ」 「そっか‥‥ふふっ、あの人、照れ屋さんだもん‥‥わたしに‥‥機関管制と操 縦を教えてくれた人‥‥勿論あやめさんにもね」 「へえ‥‥」 「優しい人だったなあ‥‥雰囲気が‥‥神凪司令に‥‥なんとなく‥‥似てるか も‥‥」 「へえ‥‥かすみさん、神凪司令が好みなんだ‥‥」 「うん‥‥って、あんた、な、何言わせるのよっ」 「いひひひ‥‥歳もバッチリあってるし?」 「ばばば、ばかな、こと、い、言わないでよっ」 「ぬひひひ‥‥でも、よかった、かち合わないで」 「はあ?」 「あ、い、いいえ、な、なんでも‥‥」 「‥‥でも‥‥月村隊長がいたら‥‥」 「‥‥‥‥」 「何処へ行ってしまったの‥‥隊長‥‥」 かすみは操縦桿を片手で抑えながら窓の外を見渡した。 夜空の星が、まるで地上にも種を植え付けたようだった。 夜のフライト‥‥椿は勿論、かすみも初めてだった。 椿が少しだけ航法管制から離れた。窓に寄る。 「‥‥きれいだなあ」 「そうね‥‥」 「‥‥みんな‥‥大丈夫かなあ‥‥」 「大丈夫。神凪司令がいる‥‥大神さんがいる」 「‥‥‥‥」 「帝国華撃団に‥‥絶望はないわ」 「‥‥そうですね‥‥そうですよねっ」 夜の帝都を飛翔する翔鯨丸。 いつもは鋼鉄の鎧を運ぶ鋼鉄の鯨も、今は二人の少女を乗せて星の海を渡った。 月が見える。 純白の月。 赤い月はもう消えていた。吸血鬼が出そうな月ではなかった。 こんな夜に出るのは‥‥狼だ。 椿とかすみは同時に一人の人物を心に描いて苦笑した。 守護の狼‥‥でも送り狼にもなるかも、と‥‥ でも、あんな狼なら‥‥赤頭巾ちゃんになってもいいなあ、と‥‥<八章終わり>
Uploaded 1998.1.16
ふみちゃんさんの「花組野外公演」第八章です。 帝國華撃團五師団、とうとう勢ぞろいしました! それぞれに個性的な隊員を率いる、これまた個性的な隊長! 花組をのぞく四師団をちょっとまとめてみますと・・・ということみたいです(たぶん”ぬけ”はないと思いますが・・・)。 対する敵は、というと・・・月影、強すぎるっ!! すみれをあれほどに・・・うーん、アイリスが出てこなかったら、どうなってたんだろう? ちょっとドキドキものです。 さらに、戦闘はまだまだ第一幕が終わったばかり。 月影と大神の対決の場と化した帝劇、そして、異変の起こった花やしき。 これからどうなるんでしょう? さあ、皆さん。ふみちゃんさんへ感想のメールを出しましょう!
風組 夢組 月組 雪組 月村(隊長)
榊原由里(副隊長)
藤井かすみ
高村椿山崎真也(隊長)
舞姫(副隊長)
神楽
夜叉姫
無明妃銀弓華月(隊長)
葉山十六夜
音無弥生
朧斯波慶一郎(隊長)
可憐(副隊長)
氷室柿右衛門
八景島玲子
村雨
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