<その5> 

暗い通路に乾いた音が響く。 
鯨の食道から胃袋へ、まるで腐肉のような道筋を経てきたが‥‥ 
足音が奏でる乾いた金属音は、奔る二人の耳には殊更に心地よい音楽に聞こえ
た。 
迷路のような道もカンナと斯波にとっては問題なかった。 
方向を迷わせるおかしな結界もなさそうだ。 
「‥‥こっちか」 
「当たりだな。意外に近いぞ‥‥」 

斯波の言葉どおり、目的地には3分程で到着した。 
そこは機関部品専用倉庫。 
かなり広い。帝国劇場の敷地なみの広さだった。 
二人が探すのは乙型霊子反応基盤の初期型で輸送艦に使用されるタイプのもの。 

「‥‥広いな‥‥こん中から探すのか‥‥」 
「さっきの感覚を忘れていなければ見つけられるよ、カンナくん」 
「‥‥なあ」 
「ん?」 
入り口に立って周囲の気配をさぐる斯波にカンナが話しかける。 
斯波は聴覚だけをカンナに向けた。 
「あいつ‥‥夜叉姫、のことだけど、さ‥‥なんで銀座に来るなんて言ったのか
な‥‥」 
「‥‥山崎隊長がいる」 
「うん‥‥でも、それだけかな‥‥」 
「‥‥‥‥」 
斯波は暫く注意を周りに向けてから、まるで独り言のように呟いた。 
もう倉庫の中央付近まで来ていたカンナ‥‥倉庫に響く斯波の声が楽器のように
も聞こえる。 
「霊子甲冑のシリスウス装甲‥‥妖力耐性を向上させるために呪文処理が施され
てるが‥‥」 
「‥‥よく知ってるねえ」 
「あれは夜叉姫さんがやってるんだよ」 
「えっ!?」 
「確か銀座配備の卯型は原形を留めないぐらい、神凪司令が相当手を入れてるは
ずだろ?‥‥最後の仕上げが残ってるって訳さ」 
「‥‥そうだったのか‥‥あいつが‥‥」 
「俺もそのうち行くことになるからな、そん時はよろしく、カンナくん」 
「‥‥えっ!?、雪組もか?」 
「いや、俺だけだ‥‥この続きは落ち着いてからにしよう‥‥」 
「ん?」 
「‥‥お客さんが来たようだ」 
「!」 
入り口に立つ斯波は倉庫の中ではなく、今しがた来た通路に視線を向けていた。 
扉に手を延ばし、そして何やら指でなぞるような仕草をする。 
さらに胸元に手を戻し‥‥今度は札のような紙切れを取り出す。 
それを扉に貼る。 

「‥‥任せていいんだよな?」 
「まあね。探し物に専念してくれ‥‥気が散るかもしれんがな」 
「‥‥討ち漏らしてもかまわねえよ」 
「ふふ‥‥」 

いつのまにか通路の灯は消えていた。 
闇が覆う。 
電源が落ちた? 
いや‥‥違った。 
灯を遮蔽するものがそこにいたからだった。 

ズ‥‥ズズ‥‥ 
何か引きずるような音。 
ピチャ‥‥ピチャッ、ピチャ‥‥ 
何か滴るような音。 
倉庫から漏れる光も、そこには届かない。 
いや‥‥違った。 
光を吸収しているようだった。 

「‥‥さすがに龍脈の心臓部は他と違うな‥‥ん?」 
ズズ‥‥ 
我慢しても滲み出る斯波の霊光は吸収出来なかったのか、その遮蔽物は姿を徐々
に表してきた。 
排泄物が通過する大腸を肉眼で拝めるとしたら、このような光景かもしれない。 
通路の間口いっぱいに埋め尽くされる腐肉のかたまり。 
表面が得体の知れない液体でヌラヌラとテカっている。 
その表面が局所的に波打った。 
沸騰する溶岩のごとく、ブツッ、ブツッ、と周辺に肉片を腐汁ごとまき散らす。 
おそるべき腐臭だった。 
普通の人間なら臭いで気が狂ってしまうだろう。 
その沸騰している腐肉の一部分から、何かが吐き出された。 
まるで排泄物が排泄するような光景。 

「‥‥この世の限りない醜悪もかわいらしく見える」 
じっと倉庫の入り口に立っていた斯波はゆっくりと前進した。 
吐き出された二つの排泄物の5メートルほど前で立ち止まる。 

「カシュッ‥‥クエエ‥‥こ、ここは‥‥んぐ‥‥どこだ‥‥お、俺のをを、身
体はわわ、んぎゃっ、傷うををを‥‥」 
「んげげげ‥‥おげげげ‥‥く、苦しいよおおお‥‥はぎゃぎゃ‥‥」 

その二つの肉片は少しずつ形を復元していった。 
黒い塊は結局は腐った身体のようだった。 
そしてもう一つは赤黒く変色していく。 
それは‥‥子供のような身体に変形していった。 

「ほほう‥‥‥これは、これは‥‥」 
「んげげ‥‥はぎっ!?、き、きしゃま‥‥シ、シババ、シバとかいう‥‥クソ
ガキでは‥‥」 
「あ‥‥ほ、ほんとだ‥‥ひ、ひひ‥‥いつぞやの借り、返してやるよううう‥
‥」 
斯波はさらにゆっくりと接近した。 
欲しくてたまらなかった玩具を与えられた子供、そんな表情を見せる斯波。 
ガチャッ‥‥ 
「?」「‥‥なんの‥‥つもり?」 
剣を捨てる。 
剣などで戦うなど‥‥収まりがつかない。そんな斯波の表情だった。 
握り締めた拳をさらにきつく‥‥そして血がしたたり落ちる。 
「もう二度とお目にかかることはないと思っていたが‥‥くっくっく‥‥いいぞ
‥‥なかなか、いいぞ、お前ら‥‥」 
「うぎぎ‥‥何がおかしいひひひ‥‥」 
「‥‥殺してやるよ‥‥お兄ちゃん‥‥」 
さらに近づく斯波。 
「くっくっく‥‥一つ聞いておきたいんだが‥‥」 
「うじゃっ?」「‥‥よ、余裕ぢゃないか」 
「‥‥神凪司令の力はどうだった?」 
「‥‥う、うるしゃいっ!」「こ、殺してやるっ」 
「くっくっく‥‥そうか、そうか‥‥怖かったか‥‥痛かったか‥‥」 
「き、きしゃまの次は‥‥つ、月影と、あの女ぢゃっ」 
「そうだ、そうだっ」 
「くっくっく‥‥あーはっはっはっはっは」 
斯波はついに声を出して笑った。 
倉庫で探し物に専念するカンナが一瞬戸惑うほどだった。 
「にゃ、にゃにがおかしいっ!?」「ぶっころすよ‥‥たべちゃうよっ」 
「くっくっく‥‥はああ‥‥司令が貴様らを始末したと聞いた時は‥‥気が狂い
そうだった‥‥」 
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 
「‥‥ん?‥‥お前ら‥‥復活した訳ではないのか?」 
その二匹の物の怪は地上にいた頃の姿を完全に復元した訳ではなかった。 
腐汁が滴り落ちる。 
作り物の身体に仮初めの意識を植え付けられ‥‥しかし妖気は以前よりも高い。 

「‥‥そうか‥‥地上に残った記憶を‥‥残留思念をその腐った身体に刷り込ま
れた訳か‥‥」 
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 
「そうだな‥‥大神家の闇の力を食らった者に復活などあり得んからな。なるほ
ど、中国陰陽の闇の力は侮れんな」 
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 
「でも俺はうれしいよ‥‥俺はお前らと再会するのを‥‥ほんとに楽しみにして
たからな‥‥」 
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 
「ここには“彼女”はいない。だが‥‥あの時の借りは‥‥十年分の利子をつけ
て返してやるよ‥‥くっくっく‥‥」 
「うにゅにゅ‥‥にゃめりゅなよ‥‥」「ぼくらを‥‥甘く見ないでほしいな‥
‥」 
「おおっ!?‥‥いいぞ、いいぞ‥‥もっと調子に乗れっ、もっと気合いを入れ
ろっ‥‥くっくっく‥‥俺を落胆させるなよ」 
「うぎぎぎ」「ばかにしやがって‥‥」 
金色の鬣が震える。 
風に靡くように‥‥雪華に凍えるように‥‥ 
金色の瞳が萌える。 
黄金の夕陽。黄昏の太陽。 
唇が少しだけつり上がっていた。 
そして背中に立ち上がる全てを燃やし尽くす炎‥‥それは迦楼羅炎。 
「なんじゃっ?」「あ、あつい‥‥」 
「ほう‥‥俺の炎が見えるか?‥‥氷の世界に生きる俺の炎が‥‥」 
もう斯波は二匹の目の前まで接近していた。 
手を延ばせば触れられるほどに。 
「あ、あちゅい‥‥」「あ、あつ、あっつうっ」 
近づいたぶんだけ後退しようとする二匹の物の怪‥‥ 
すみれを、さくらを翻弄した黒い霞。 
杏華と紅蘭の後を追い回した赤い子供。 
神凪に始末され、もう二度と復活するはずのなかった二匹の妖怪。 
かすかな記憶を元に復活を遂げた。 
それも‥‥ 
「そんなすぐには消さんよ‥‥勿体ないからな」 
「だ、だみゃれっ」「もう許さん‥‥」 

赤と黒の輪郭がぼやける。 
実体化する前の姿に‥‥影の状態に。 
動きが確かに以前とは違った。 
早い。 
氷室が戦った甲冑なしの甲冑降魔、それをも凌ぐ反応速度だった。 
上級降魔以上の妖力を持つと神凪が評価した中国産の妖怪。 
まばたきする間に斯波の背後に回り込む。 
ブンッ 
黒と赤の線が空間を奔った。 
バシッ 
それを両手で受ける斯波。 
「!」「!」 
「‥‥ぬるいな‥‥もっと気合いを入れろ」 
攻撃に移る一瞬、実体化した影の腕をガッチリと掴んで嘯く黄金の戦士。 
そのまま両側の壁に投げ付ける。 
神凪ほどの体躯を持つ斯波とは言え、恐るべき膂力だった。 
空中でバランスを取り、壁に着地する赤と黒。 
「ぬぬ‥‥!?」 
そして体制を整える間もなく、黒の目の前に姿を表す斯波。 
「ぬるすぎるぞ‥‥死ぬ気でやれ‥‥」 
腐りかけの顔面を鷲掴みにされ、黒の影はまたぞろ反対側の壁‥‥赤い子供がよ
うやく地面のほうに着地した場所に投げ付けた。 
「おわわわっ!?」「く、来るなああっ」 

ドカッ 
赤と黒の影はお互いに顔面から激突した。 
影の状態になっても、お互いが影であればやはり衝突は避けられないらしい。 
呻く姿はある種、滑稽にも見えた。 
「お、おにょれ‥‥」「‥‥もう‥‥容赦せんぞ‥‥」 

黒い物の怪から吹き荒れる妖気は、かつてすみれや山崎と対峙した時をも凌いで
いた。 
そして赤い子供も同じようにありったけの妖力を吹き出す。 
淀んだ空気が陽炎のように揺らめく。 
「食ってやる‥‥」「‥‥お前は殺す」 
「くっくっく‥‥いいぞ‥‥もっと‥‥もっと俺を怒らせろ‥‥俺を本気にさせ
ろ‥‥」 
吹きつける妖気が空気を揺らす。 
斯波の黄金の鬣が風に揺れた。 

斯波の霊気に呼応するように、周囲の空気が歪んだ。 
その歪みは赤と黒を生み出した、排泄物の如き大元の腐肉の塊に触れ、そしてそ
れを刺激したようだった。肉が波打つ。腐汁がまたぞろ吹き出す。 
そして‥‥再び何かを生み出した。 

バサッ‥‥バサッ、バサッ‥‥ 
ギギギギ‥‥ギギッ‥‥ 
排泄される不浄の物は、聞きなれた泣き声をあげた。 
それは産声すらも不浄の者に相応しいものだった。 
通路を埋め尽くす‥‥降魔。 
薄桃色の表皮は氷室が遭遇した甲冑なしの甲冑降魔。 
「‥‥おみゃえは骨も残さじゅ喰らってやりゅ‥‥」 
「ひひひ‥‥その後は‥‥向こう側にいるお姉ちゃんだ‥‥」 
「‥‥‥‥」 
斯波の周りを取り囲む薄桃色の降魔。 
数匹が倉庫に向かう。 
「‥‥あ‥‥お、おいっ、あのお姉ちゃんは僕が食べるん‥‥」 
赤黒い子供もどきが焦って倉庫に向かう。 
が、斯波が遮った。 
「‥‥心配するな」 
「え‥‥」 
降魔の一匹が倉庫の入り口に脚を踏み入れた。 
その瞬間‥‥ 

ガンッ‥‥ガンッ、ガンッ、ガンッ‥‥ 
「ギガガガガ‥‥」 
扉からいきなり氷の柱が生えた。 
巨大なつららが両側から新たな柵を作る。 
倉庫に向かった降魔は残らず串刺しの刑に処された。 
ギガガガガ‥‥ 
ギギイイイッ 
暴れまくる降魔だったが‥‥そのつららはびくともしない。 
青白く輝く氷柱は降魔を動かす暗黒のエネルギーを吸い取るかのように殊更に輝
きを増した。 
やがて串刺し降魔は干物のように干涸びて粉になった。 
「な、な‥‥」「な、なんだよ、あれは‥‥」 
「下級降魔如きが‥‥この俺から逃げられるとでも思ってるのか‥‥」 
「うぎぎ‥‥」「‥‥そしたらお兄ちゃんを殺せば‥‥」 
「そうだ。お前らは‥‥俺のことだけ考えればいい‥‥俺を倒すことだけに集中
しろ‥‥一秒でも長生き出来るようにな‥‥」 
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 
斯波の周りを囲んでいた降魔は、その半径を縮めてきた。 
捕食すべき餌を他の降魔に奪われないよう‥‥我先に飛び掛かろうと必死の形相
だった。 
目を閉じ合掌する斯波。 
お参りするかのような仕草。 
「ふへへ‥‥い、今更拝んでも‥‥」 
「‥‥人間は七度生まれ変わる‥‥魂の救済には試練が必要だ‥‥」 
「なに?」 
「しかし‥‥その殆どは七度同じ外道を繰り返す‥‥」 
「な、なんだよ‥‥」 
「‥‥お前らもそうか?」 
「な、何を言って‥‥」 
合掌した斯波の掌の隙間から光が滲み出てきた。 
黄金の光。 
まるでそこに黄金が隠されているかのようだった。 
「では七度殺す‥‥何度生まれ変わっても‥‥何度でも殺す」 
ゆっくりと掌を放していく‥‥光の根源は黄金ではなかった。 
掌の間に稲光が奔る。 
斯波の手は電極のようにも見えた。 
放電は止むことなく左右の掌を奔る。 
そしてその掌の間、放電の中央に黄金の珠が生まれた。 
まるで太陽のように‥‥ 
黄金の光が通路を照らす。 
「お前らは少し下がってろ‥‥まだ始末したくはないからな‥‥」 
赤と黒に慈悲を与えるような台詞、そして背中に見える炎と掌の稲妻は、まさに
不動明王のようだった。 
「う、うっとうしいっ、食ってしまえっ」 
赤黒い子供の叫びを最後まで聞かず、降魔は一斉に飛び掛かった。 
涎をまき散らして‥‥耳障りな声をあげて。 
「吽・天・婆佐羅‥‥即帰命、金剛界大日如来‥‥」 
飛び掛かった降魔は空中で動きが止まった。 
その中央から、今や通路に溢れんばかりに縦横無尽に奔る稲妻に捕獲されたかの
ように。 

「破邪七滅‥‥」 
黄金の稲妻は斯波を中心に放射線状に延び、球形のプラズマを形成した。 
まるで菊の花びらのように。 
「‥‥菊華雷神ッ!!!」 
  

バーーーンッ‥‥ 
  

電極の間に超高電圧がかかる時の音。 
そんな乾いた音が通路に木霊した。 
カンナも動きを止めた。 
「なんだ?‥‥斯波の兄さん、大丈夫なのか‥‥」 
和らいでいた嘔吐感が再び胸を突く。 
斯波が言っていたように、予感が解消された訳ではないようだ。 
「‥‥ちっ、いったい何処にあるんだ‥‥早くしねえと‥‥」 
広い倉庫を隅から隅まで探しまくる。 

*** 霊気波長変換素子・試作第弐号‥‥花やしき支部・第一研究室管理 *** 
*** 極短波光通信用素子・第弐工程終了済‥‥花やしき支部・特別研究室・朧管
理 *** 
*** 補助推進機関用制御回路‥‥花やしき支部・第三研究室管理 *** 
*** 霊子核フレーム・乙型・破損品‥‥花やしき支部・特別研究室・氷室管理 
*** 
*** 補助霊子力増幅器/背圧制御弁‥‥神崎重工・川崎研究所・藤枝主任委託 
*** 

釘打ちされた木箱に書き込まれた文字を見ながら探す。 
感覚でわかるだろう‥‥という斯波の言葉も信用しない訳ではないが、見逃した
らまた最初からやりなおしだ。 

*** 霊子力増幅器・後期型/試作壱号機対応品‥‥銀座本部・李紅蘭管理 *** 
*** 補助霊子力増幅器/卯型試作機用予備‥‥花やしき支部・神凪管理 *** 
*** 壱型シリスウス硬化溶剤/第壱工程完了済‥‥銀座本部・李紅蘭管理 *** 
*** 並列処理型蒸気演算機・大神機専用‥‥花やしき支部・特別研究室・山崎管
理 *** 
*** 遠隔障壁形成装置・消耗品類‥‥花やしき支部・神凪管理 *** 

「‥‥うーむ‥‥開けたら‥‥マズイんだろうな」 
途中カンナの気を引くものも幾つかあったが、優先すべきは霊子反応基盤だ。 
倉庫の端から探索を始めたカンナはちょうど中央にさしかかったところで妙な気
配を感じた。 
わずかだが嘔吐感が薄らいでいく感覚。 
「‥‥近いな」 
薄暗い倉庫の中で、そこは頓に暗かった。 
カンナの目を以てしても文字は読み取れない。 
顔をその木箱にこすりつけるようにして読み取る。 
「‥‥霊子‥‥反応基盤‥‥乙型‥‥おっ、これか‥‥」 
木箱を棚から下ろす。 
かなり重い。 
釘で封印されているが‥‥木箱は邪魔だ。 
上蓋に署名がされている。かなり古い。 

*** 特殊精密部品ニツキ持出ヲ禁ズル *** 
*** 帝国陸軍対降魔部隊・山崎真之介管理 *** 
*** 連絡先:帝国陸軍司令本部・藤枝あやめ *** 

「‥‥神様のお墨付きはもらってるよ‥‥」 
カンナは木箱を手でこじ開けた。 
ギリギリ釘がねじれる音と共に開けた箱の中は、真っ黒な物体が覆う。 
鉛だった。 
「どおりで重いはずだぜ‥‥」 
鉛のカバーをはずす。 
その途端、猛烈な脱力感がカンナを襲った。 
「な、なんだ‥‥か、身体の、ち、力が‥‥」 
黒い鉛のケースに収められた約20センチ四方の金属片。 
金属の板の上に何やらコーティングしていて、その上に部品が並ぶ。 
起電力がないにも関らず、何故か部品一個一個がボヤッとネオンのように輝いて
いる。 
カンナはそのボードを鉛の箱から抜いた。 
カンナが持つと、霊子反応基盤・乙型を構成する部品は輝きを失った。 
脱力感も喪失している。 
「‥‥錯覚だったのかな‥‥ま、いいか、急がねえと」 

入り口まで戻るカンナだが、出るに出られない。 
扉は開けておいたはずだが、代りにつららが延びていた。 
コンコン、と拳で叩いてみるが、普通の氷ではなさそうだった。 
「‥‥これは骨が折れそうだな‥‥」 
基盤を少し離れたところに置いて構えを取るカンナ。 
必殺技でも使わなければ破壊出来そうにない。 
「‥‥それは破壊できんよ、カンナくん‥‥」 
つららの向こう側、煙が通路を覆う。 
ただでさえ見通しの悪い通路だが‥‥薄靄の中に人影を確認できた。 
「無事だったか‥‥なんだい、この煙は‥‥」 
「‥‥少し派手にやった‥‥」 
斯波が姿を表す。 
少し暗い表情だった。 
「‥‥まさか逃げられたとか‥‥」 
「‥‥あっさりと始末してしまった‥‥くそっ‥‥」 
「はい?‥‥あ、そうだ、このつららをなんとかして‥‥」 
「ああ‥‥」 
氷柱を挟んでカンナの前に立つ斯波。つららに何気なく掌を充てる。 
シュッ‥‥シュー‥‥ 
すぐにつららは氷解した。 
何故か水たまりは出来ない。昇華したのか‥‥ 

焦げた臭いが漂う。 
肉が焼けた臭いだが‥‥あまり食欲をそそる臭いではない。 
「いくら腹へってるって言っても、腐った焼き肉はなあ‥‥」 
それに嘔吐感が解消されない。 
壁面が炭化している。 
そして、床には人の形をした影がこびりついていた。 
二つ‥‥そして周りにも‥‥こちらは10個ほど。翼が生えている。 
「‥‥焼き過ぎは身体によくねえぜ」 
「ああ、全く‥‥くそっ‥‥俺としたことが‥‥」 
「‥‥とにかく夜叉姫んところに戻ろうぜ‥‥モノは見つかったし」 
「そうだな‥‥ん?‥‥待てよ‥‥」 
「なんだい?」 
「コピーとは言え、あいつらが復活したとなると‥‥白いヤツも‥‥」 
「え‥‥白いヤツって‥‥!‥‥白いヤツって、まさか‥‥」 
「‥‥これはますます時間がないな。急ごう」 
「あ、ああ」 
  

「遅えな‥‥こっちはもう準備が出来てるってのに‥‥」 
壁に背中を預けてミカサの祠を見つめる夜叉姫。 
降魔の死骸から漂う陽炎は相変わらずだった。 
「‥‥何が悲しくてこの世に戻ってくるのかねえ‥‥そんなに地獄はいやかい
?」 
「キキキ‥‥」 
「少し楽にしてやろうか?」 
陽炎が泣く。 
泣いて‥‥そして、死骸から飛び立つ。 
夜叉姫のいる位置には近寄らない。 
その反対側にある外界への通路へと去っていく‥‥笑いながら。 
「‥‥哀れみは無用、か‥‥外道は何度生まれ変わっても‥‥所詮、外道に過ぎ
ないのか‥‥」 

‥‥そのために俺はいる‥‥この世の限りない悪徳を喰らうために‥‥ 
大戦末期、花組が聖魔城に特攻をかける直前‥‥特級指令第壱号が発動された。 
五師団は帝都主要個所に配置すべく花やしきから出発しようとしていた。 
花組は翔鯨丸で発進。 
夢組は御所へ。 
その周囲を月組と雪組が包み込むように配置する背水の陣だった。 
五人そろって轟雷号に乗り込もうとする白装束の四人の巫女、そして蒼い着物の
夢組隊長。 
花やしき地下の発着場所、そのすぐ横に立つ黒い人影。 
黒い戦闘服に身を包んだ破壊神。 
悲しい瞳、でも強い光を放つ瞳で、その人は夢組にエールを送った。 
‥‥お前たちは俺とは違う‥‥夢組は夢を与える‥‥花組が花を齎すように‥‥ 
そしてその人は敬礼をした。夢組全員に。 
‥‥必ず生きて戻ってこい‥‥みんなのために‥‥お前たち自身のために‥‥ 

「‥‥神凪司令‥‥あんたも‥‥あたしに夢をくれた‥‥」 
夜叉姫は壁から離れた。 
そして胸元に手を入れ、鉢巻きのような長い布を取り出す。 
赤い鉢巻き。それは大戦末期に舞姫が夢組全員に手渡したものだった。 
中央には白い文字‥‥“帝国華撃団・夢組” 
端にはそれよりも小さな文字の詩。 
‥‥恋知らず‥‥蒼き光に寄り添えば‥‥夜叉にもなりぬ‥‥その人のため‥‥ 
「あたしの名は夜叉姫‥‥あたしに夢を与えてくれた人を護るため‥‥夢組隊長
を護るため‥‥そのためにあたしはいる」 
鉢巻きを頭にまわして、文字が額にくるように結ぶ。 
マニッシュな栗色の髪に赤いアクセントが輝く。 
  

「‥‥待たせたなっ、持ってきたぞっ」 
カンナと斯波が到着した。 
「ああ‥‥さっさとやろうぜ」 
カンナから受け取った基盤を差し込む夜叉姫。 
電源を入れる。 
操作盤に触れる夜叉姫の指‥‥こんなにも細かったのか、とカンナは暫し夜叉姫
の手に魅入った。 
コアに霊子力が注入され始めた。 
後は‥‥連鎖反応を誘導するだけ。 

「よし、後は俺がやる‥‥二人とも速攻で青山に戻れ」 
操作盤に向かう斯波。 
カンナと夜叉姫はその真後に立った。 
「ん?‥‥早くいけよ、間に合わんぞ」 
「‥‥そうはいかねえよ」「そういうこった」 
「‥‥死に急ぐこともないだろう?」 
「確率1/3‥‥運を引き寄せるのも夢組の仕事、さ」 
「‥‥‥‥」「へえ‥‥いいこと言うじゃねえか」 
「方角を読み、龍脈を感じる‥‥そして行くべき方向を定める。三人いれば‥‥
1/3も3/3に変わるってもんだ」 
「‥‥‥‥」「はあ?」 
「そんなもんなんだよ。それを可能にするのが夢組‥‥そう、夢組がある限り帝
撃に絶望はない」 
「‥‥‥‥」「てめえ‥‥そりゃ、あたいらの隊長の台詞だぞっ」 
「うるせえな‥‥さあ、斯波の旦那、やっちまえっ」 
「‥‥作戦が終わったら飲みに行こうか、三人で‥‥奢ってやるよ」 

ガチャ‥‥ 
何気なく、なんの前置きもなく、斯波が最終駆動回路の電源を入れた。 
ヴヴヴ‥‥ 
耳鳴りがした。 
すぐさまコアに移動する斯波。 
ヴ‥‥ヴィ‥‥キーン‥‥ 
それは耳鳴りを通り越して声帯にまで影響を及ぼした。 
声が出ない。 
斯波の後姿がぼやけて見えた。 
『な、なんだ、こりゃ‥‥』 
空気が歪む。 
そして‥‥ 
ズズズズズズズズ‥‥ 
今度は低音が空洞を支配した。 
霊気が渦を巻き起こす‥‥目に見えない台風だった。 
身体が引き千切られそうな感覚に、カンナは耐えた。 
台風に目が発生した。 
それは斯波だった。 
斯波に吸い込まれるように‥‥霊気が集まる。 
それもいつまでも持つ訳がない。 
斯波が吸収しているのは明らかに負の霊力だった。 
『い、いけねえ‥‥このままじゃ‥‥』 
夜叉姫を見た。夜叉姫は既に斯波の背後に回り込んでいた。 
斯波を背後から抱きしめるように‥‥夜叉姫は斯波の両腕に自分の手をおいた。 
『‥‥な、なかなか、いい眺めだ、ぜ‥‥』 
そしてカンナもその夜叉姫の背後に回る。夜叉姫の肩に手をおくカンナ。 
三人の身体が金色に、白色に、そして真紅に輝いた。 
『く、くそったれがああっ!』 
カンナは必殺技に投入するべき霊力を夜叉姫に与えた。 
そして夜叉姫は斯波に。 
「激‥‥帝・国・華・撃・団‥‥」 
そして斯波はコアめがけて‥‥ 
「‥‥迦楼羅降臨ッ!」 

ズズーン‥‥ 
ズズ‥‥ズズ‥‥ 
地震。 
空洞が震える。 
高い天井、その上には帝都の街が広がっている。 
今は雨。 
雨の代りにパラパラと落石が降ってくる。 

そして無音になった。 
逆に耳鳴りがするほどの静けさ。 

「‥‥どうだ?」 
「‥‥あたしは‥‥生きてる」 
「斯波の兄さんは?」 
「‥‥おい、大丈夫か?」 
「‥‥‥‥」 
金色の鬣は‥‥こめかみに近い部分を除いて、何故か黒々と輝いていた。 
それが本来の髪の色なのか‥‥ 
ただ、こめかみに近い部分だけが金色のままだった。 
まるで昆虫の触角のように閃く金色の“触毛” 
「ど、どうなってんだ‥‥」 
「俺は悪魔だ、なんて言うんじゃねえだろうな‥‥」 
「言わんよ‥‥」 
「おっ?」「あっ!」 
ゆっくりと振り向く斯波。 
目は閉じたままだった。 
「な、なんともないか?」「だ、大丈夫かよ‥‥」 
「ああ」 
斯波はカンナと夜叉姫の手をとった。 
「ありがとう、二人とも‥‥見かけによらず‥‥優しいんだな」 
「う、うるせえっ」「だ、だまれっ」 
「ふ‥‥取りあえず最大の難関はクリアした。後は‥‥」 
「汚染処理か」「いや、掃除だ」 
「‥‥やりやすい方向で行こう。なんにしても‥‥まだ不安材料はあるしな」 
霊子核機関は正常に動作した。 
コアの外観は金色に輝いていた。 
いつか‥‥大神が神武のエンジンに霊子力を逆流させた時のように。 
カンナは少し感傷的にそれを見つめた。 
斯波から正方向の霊波摂動を受けたコアは周辺部に滞在する負の霊力、つまり妖
力を吸収し始めていた。 
内部で霊力を増幅、外部からは妖力を吸収、これを変換。 
降魔から沸き出していた影も、外部に放出される前にコアに吸い込まれていく。 
霊視が出来る者にとっては、滑稽な映像に見えた。 
「種が尽きるまで、こいつは動き続ける‥‥放っておいても構わんだろう」 
「なあ‥‥目、いかれちまったのか?」 
夜叉姫が聞く。 
話している間も斯波は目を開くことがなかった。 
本当に心配しているらしく、斯波の瞼にその細い指をあてた。 
「‥‥ああ、そうしてくれると‥‥気持ちいいよ、夜叉の姫君」 
「か、からかうなっ!‥‥ほんとに、なんともないのか?」 
「‥‥たぶん大丈夫だよ‥‥ただ‥‥」 
「‥‥‥‥」「ただ‥‥なんだよ」 
「‥‥もう俺の目は‥‥人間の目ではないかもしれん」 
「‥‥‥‥」「え‥‥」 
斯波はゆっくり目を開けた。 
少し伏せ目がちに‥‥ 
そして夜叉姫とカンナを見る。 
「!!!」「!!!」 
「‥‥どうだ?」 
「これ、は‥‥」「ど、どうして‥‥」 
「‥‥こうなると思ってた‥‥もう、俺の目は薬では‥‥元に戻らない状態だっ
た」 
「え‥‥」「そ、それは‥‥」 
「コアから反射してきた霊波を受けて‥‥行き着くところまで行ってしまった、
って訳さ」 
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 
「感動している暇はない。急いで戻るぞ、二人とも」 
「あ、ああ‥‥」「‥‥‥‥」 

出所は押さえられた。 
だが奔る三人の表情は決して明るくはない。 
胸をつく不安。 
そして‥‥斯波のこと。 
カンナと夜叉姫は先頭を疾駆する獅子‥‥黒髪の獅子を見つめた。 
ここに来るときに見た黄金の鬣はない。 
ただ後ろからでも時折触角のような金髪が靡くのが見えた。 
金色の触毛。 
それはまさに二対の角のようにも見えた。 
鬼。 
鬼が奔る‥‥ 
そして、その鬼の目は‥‥ 
  
  

「‥‥さすがに‥‥二人だけ、だと‥‥調子に乗れんな‥‥」 
「ふ、ふふ‥‥弱音を、吐くとは‥‥らしくないな、板前‥‥」 
青山のロビーを抜けて建物に侵入した七特の四人。 
それも今は板前と黄泉の二人。 
七人で行動するのが基本だが、神凪・可憐・秋緒を欠いている上、無明妃の護衛
のために畳屋と才蔵が抜けている。一騎当千の実力を持つ精鋭だが、相手が中級
降魔の大軍ともなると勝手が違う。 
五匹は始末した。 
が、この時点で板前と黄泉は満身創痍の状態だった。 
鉤爪の攻撃を巧みに避けて、降魔の肉体で最も弱い部分‥‥喉元に攻撃を集中す
る。 
途中までは上手く行っていたが、知能がないと考えられていた降魔も学習したよ
うだった。 
単独では襲わず、二体一組で襲ってくる。 
板前と黄泉は防戦隊形を取るしかなかった。 
「‥‥はあ、はあ、はあ‥‥くそっ‥‥久しぶりだぜ、こんな、息切れすんのは
‥‥」 
「はっ、はっ‥‥ふーっ、こんな有り様、大佐には、見せられんぜ、全く‥‥」 
ギギギ‥‥ 
五匹倒してまた湧出る五匹。 
通路を埋め尽くす不浄の塊。 
きりがない。 
「‥‥七特も‥‥鍛えなおさんと、いかんな‥‥」 
「‥‥そう、だな‥‥生きて、帰れたら、な‥‥」 
「お手伝いしましょうか?」 
ギギッ!? 
降魔が一斉に天井を見上げる。 
餌を運んでくる親鳥を巣の中で待ちわびる雛鳥にも似ていて、恐ろしく滑稽な光
景だった。 
板前と黄泉は天井を見なかった。 
だれの声か、はわかっていた。 
千載一遇の機会を見逃すほど七特は柔ではない。 
「もらったっ!」「地獄へ行けっ!」 
板前の得物は文字通り出刃包丁。 
黄泉の武器は数珠、それも拳大の珠からなる巨大な数珠だった。 
ザクッ 
ズンッ 
喉元を切り裂かれ、その喉元に巨大な数珠を叩き込まれた降魔の一匹は最寄りの
仲間を道連れに10メートル余りも吹っ飛ばされた。 
ギガガガガ‥‥ 
喉元から湯気が上がる。 
くしくも今日不在の三人を除いた七特の四人は霊力保有者ではない。 
その四人が霊力の代りに妖力に対抗する武器として得たのは“勁”の力だった。 
神凪の発勁、カンナの必殺技と同じ。 
ただの有機物を揺り動かす力。 
生命の根源。 
それは霊力とは軸線は違うが、元をたどれば同じと言えた。 
霊力と馴染み、育みあう力。 
妖力と反発し、相殺しあう力だった。 
板前と黄泉は自らの得物を介して、ありったけの勁を降魔に叩き込んだ。 

ギガッ、ギガガガガ‥‥ 
断末魔の痙攣を示す一匹の降魔。 
「はあ、はあ‥‥くっ、こ、これ以上は、さすがに‥‥」 
「た、種切れ、だ、ぜ‥‥」 
「‥‥休んでてください、お二人とも」 
「そうね‥‥後は私たちがやるわ」 

天井に貼り付いていた天使が舞い降りた。 
「帝国華撃団、参上ッ!‥‥ってか」 
「ふふ‥‥柿右衛門さん、こっちにくればよかったのに」 
嬉々と声が震える対照的な美女二人。 
雪組の八景島玲子、そして月組の音無弥生。 
玲子の日本人離れした褐色の肌と顔立ちは、どうも国籍が違うことによるらし
い。 
それが何故日本名を名乗るのか‥‥その亜熱帯を思わせる霊気。 
そして、椿と同じ年齢でありながら、あやめに匹敵する妖艶さとアイリスをも凌
ぐ愛らしさを両立する弥生。 
手には扇子を持っている。 
口元に寄せる仕草は最早17という年齢を感じさせない。 
すたすたと降魔の目の前まで歩み寄る。 
「優しくしてあげるわ‥‥」 
そして扇子を仰ぐ。 

ギガガ‥‥ 
熱風でも浴びたかのような降魔の苦しそうな表情。 
弥生は再び扇子を口元に寄せた。 
瞳が妖しく輝く。 
真宮寺一馬が見出した、その力が解き放たれるのか‥‥ 
そして何気なく扇子を振るう。 
「な、なんだっ!?」「や、やばいっ」 
通路一面に伝播する巨大な波飛沫。 
後方で待機していた板前と黄泉にまで余波が及びそうになって、二人は慌てて天
井に張り付いた。 
先ほどまでの玲子と弥生のように。 
通路を埋め尽くす降魔が、まるで揺り篭のように揺れる。 
天井に張り付いて状況を見つめる板前と黄泉だったが‥‥上から見ると地上は特
に変化を見出せない。 
激しく波打っていたように見えた通路も、降魔が自分で踊っているために派生す
る錯覚でしかなかった。 
「‥‥錯覚?] 
「‥‥そうか、催眠術か」 
青白い波は降魔の表皮を樹氷の如く凍り付かせていた。 
弥生の背後にいた玲子がすっと入れ替わる。 
そして何気なく、するりと降魔の群れに入り込む。 
「!?‥‥う、腕が‥‥な、なんだ?」 
「‥‥あれが雪組の蜘蛛女だよ」 
玲子の腕の動き‥‥それは得物を絡め取るための呪いにも見えた。 
そして、それは千手観音のようにも見えた。 

「‥‥消えなッ!」 
ガゴーーンッ‥‥ 
裂帛の気合いと共に放たれた無数の拳と脚技。 
重量で遥かに勝る降魔の群れを、まるで爆弾でも炸裂したかのように蹴散らす。 

弥生の扇子で力を抜かれた降魔たち。 
玲子にとっては赤子も同然だった。 

ギギギ‥‥ 
「しぶといねえ‥‥」 
壁に叩きつけられて、文字通り壁紙と化した降魔。 
まだ息はあった。 
眉間に血管を寄せる玲子。 
そして通路には未だ溢れんばかりの降魔の群れ。 
しかし、壁紙と化した降魔を補充するような新たな沸き上がりは認められない。 
「‥‥出所は押さえられたみたいだな」 
「よーし、休憩は終わりだっ」 
天井から舞い降りる七特の堕天使。 
群れをなして迫る降魔に対峙する四人の戦士たち。 

「‥‥待って。何か‥‥います」 
「‥‥何が出て来ようが‥‥狩り取ってやるわっ!」 
降魔の先頭、その中央の空気が歪んでいた。 
降魔から発する妖気ではなかった。 
歪みが生み出そうとしている者‥‥ 
それは‥‥ 
「あれは‥‥」 
その姿を認知しているのは、この四人の中では弥生だけだった。 
先の花やしきでの事件。 
アイリスを襲い、大神が暴走した、あの夜の出来事。 
花組を監視していた神楽は勿論のこと、地元で暴れた物の怪を月組の弥生が知ら
ないはずもなかった。 
そして、それ以前‥‥真宮寺一馬と邂逅し、山崎真之介に導かれて中国に渡航し
た際に遭遇した魔界の使者。 
「お前‥‥白蓮?」 
「くっ‥‥はああ‥‥うぐっ‥‥あ‥‥わたしは‥‥生きて‥‥いるの、か?」 
「‥‥知ってるの?、弥生ちゃん」 
「‥‥まずいです、玲子さん。わたしたちでは‥‥彼には‥‥」 
「何者なんだ‥‥」「月影の‥‥仲間、なのかい?」 
板前は月影は知っていた。 
初期の七特を壊滅に追いやった者。 
その当事者でもあった板前だが、目の前に現れた美しい白い青年は見覚えがなか
った。 
「正確には違います‥‥でも‥‥確か、すみれさんに始末されて‥‥」 
「なるほど‥‥これは‥‥面倒ね‥‥」 
玲子は納得した。 
あの大神をして互角に渡り合えた魔物。 
そして花組のツートップ、すみれとカンナをして苦戦を強いられた物の怪。 
「ぐはっ‥‥わ、わたしは‥‥いったい‥‥」 
その白い影‥‥弥生が白蓮と称した、その青年自身も訳がわからなかったよう
だ。 
白い鳳凰によって天に召した。 
それは自分もわかっていた。 
それが何故‥‥ 

ギギギギ‥‥ 
降魔が周りに従う。 
主の命令を待つように。 

「‥‥黙っていても埒があかないわね‥‥わたしたちの役目はまだ終わってはい
ない」 
一歩踏み出す玲子。 
弥生も意を決したように横に並ぶ。 
そして板前と黄泉がその斜め前に配置する。二人の女神をいつでも護れるよう
に。 
「待てっ」 
後ろから声が聞こえた。 
聞き覚えのある声。 
玲子と弥生にとって一番頼りになる声でもあった。 
「柿の字っ!?」「柿右衛門さんっ!?」 
「そいつは‥‥俺が、相手をする、ぜ‥‥」 
肩で息をする氷室。 
背中から湯気が立ち上がる。 
雨に濡れた服、そして髪。 
湯気とともに再び立ち上がる燃え上がる霊気。 
「‥‥次から次と‥‥楽しませてくれるじゃねえか‥‥」 
「あなたは‥‥大神くんと‥‥同じ匂いがしますね‥‥」 
「‥‥てめえに比べられるのは気分が悪いぜ‥‥黙らせてやるわっ!」 

玲子と弥生の間に割って入る氷室。 
今にも飛び掛かろうとした瞬間、通路の向こう側に新たな気配を感じてとどまっ
た。 
それは掃除屋。 
まさにモップで蹴散らされるように、通路の彼方まで埋め尽くされていた降魔の
群れは壁紙と化していった。 
「‥‥ちっ、戻るのがはええぜ」 
「え?」「隊長‥‥」 

そう、掃除屋は三人いた。 
先頭を切ってモップをかけるのは勿論斯波。 
そして両側でちりとりを操作するが如く、もれたゴミを処分するのはカンナと夜
叉姫。 
そして、その後ろ。 
三人の後方に、もう三人が姿を現した。 
浄化された訳ではないが、少なくとも降魔の壁紙が彩る廊下を歩むのは純白の日
本人形。 
そして両脇を固める屈強な戦士二人。 

降魔の群れは時を経ずして粛正された。 
白い影を残して。 
「ふう‥‥間に合ったか。やはり、復活を遂げたようだな」 
斯波が呟く。 
何処で拾ってきたのか、ゴーグルをかけている。 
目を伺うことは出来ない。 
ただ、髪の毛の色が黒々と輝いていた。 
こめかみ近くの、まるで触毛のように輝く二房の金髪を除いて。 
「おーや、隊長‥‥いつの間に髪を染めたんだ?」 
「ついさっきだ。似合うか?」 
「なかなか‥‥特に、その残った金髪がイケルぜ‥‥なあ、玲子」 
「う、うん‥‥」 
「あれ‥‥玲子さんたら、赤くなっちゃって‥‥」 
「う、うるさいっ」 
「‥‥あまり話込んでる時間はありませんよ」 
斯波の背後から姿を現す純白の日本人形、無明妃。 
同じように白い影の前、一番近い場所に接近する。 

「あなたを導いたお人は‥‥」 
「‥‥わからない‥‥だが‥‥わたしは‥‥もう、お嬢様には‥‥」 
「?」「お嬢様?」「‥‥なるほど」「‥‥ふむ」 
未だ不可解な表情をする玲子と弥生を尻目に、無明妃と斯波は何処か納得した様
子だった。 
「これは俺の獲物だぜ、隊長に無明さん‥‥見物していてもらおうか」 
「お待ちください、氷室さん‥‥もう少し確認させてください」 
「?」 
「あなた‥‥確か、白蓮、と申したはずですね‥‥李暁蓮、という女性の従者の
はずでは?」 
「‥‥お嬢様は‥‥わたしを捨てた‥‥もう、わたしは‥‥」 
「‥‥‥‥」「‥‥‥‥」 
「だから‥‥わたしは‥‥」 
「だれのためか知らねえが‥‥やる気がねえんだったら、あたいがもらうぜっ」 
カンナが出る。 
一度は戦った相手だ。 
素手で立ち会うのも一興‥‥それに、あの時止めを刺したのはすみれだ。 
今度こそ、花やしきでの借り‥‥大神とアイリスの受けた借りを返す番だった。 

「待て待て‥‥どうも、彼は今回の作戦上、不確定要素らしい。度外視してもよ
さそうだ」 
斯波がカンナを押さえて口ずさむ。 
そう、まるで詩でも歌うように。 
「ああっ!?‥‥何呑気なこと‥‥」 
「みんな、速攻で銀座に戻れ。後処理は俺と無明妃さんでやる」 
「‥‥作戦は終わった、と?」 
「ああ‥‥残るは花やしき、そして銀座、だ‥‥わかってるだろう?」 
「‥‥そうですね。さ、みんな、撤退よ」 

未だくすぶるカンナを夜叉姫が、氷室を玲子が促して撤退していった。 
作戦は終わったのだから。 
壁紙と化した降魔も、いつの間にか消滅していた。 
ただ壁と地面に亀裂を残して。 

風が靡いた。 
白い影の銀色の髪の毛を撫でる。 
白い日本人形の白い髪を。 
そして斯波の黒髪、金色の触毛を。 
「‥‥これでゆっくりと話が出来るでしょう」 
「心あたりがありそうですな、無明妃さん」 
「‥‥どうでしょう」 
じっと見つめあう三人。 
静寂が青山司令本部を覆った。 
ただ、雨音だけが響く通路。 
作戦は終わった‥‥花やしきを残して‥‥銀座を残して。 
 
 



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