花組野外公演

作:ふみちゃん

(注:スパム対策のため、メールアドレスの@を▲にしています)





序章.来客あり






「‥‥ちょっと‥‥いつまで待たせんのよっ」 「は、はい、ただいま‥‥」 ちぎる。 「もう、はじまっちゃうよーっ、はやくしてよーっ、お兄ちゃんっ」 「は、はいっ、今すぐに‥‥」 ちぎる。ちぎる。 「あ、あの‥‥」 「は、はい、ただいま‥‥」 「‥‥大神さん‥‥」 「は?、はい」 「これ‥‥読んでくださいっ」 「はい?‥‥あ‥‥」 一時停止。 「おいっ、ぼけっとすんなっ、後ろつっかえてるぞ」 「はああ‥‥はあ?‥‥は、はいっ」 ちぎる。ちぎる。 「ちょっと‥‥えっ、もう始まるじゃないのーーっ」 「ええっ!?はっ、はいーっ」 ちぎる、ちぎる、ちぎる‥‥ ちぎって、ちぎって、ちぎって、ちぎって、ちぎって‥‥‥‥完了。 「大神さんっ、お疲れさまでしたーっ」 椿が売店から声をかける。 「‥‥‥‥」 反応なし。 「‥‥平和ね」 銀座の繁華街、そのほぼ中央に位置する一際高く大きな建物‥‥帝国劇場。 歌と踊り、舞台に駆ける少女たちが魅せる物語‥‥帝国歌劇団の夢物語。 行き交う人々は、必ず振り向いた‥‥その煉瓦作りの建物を。 劇場に向かう人々は、必ず生きる喜びを得た‥‥その夢物語の中で。 平穏を脅かす異形の者との戦いは、一年前に終わった。 銀座崩壊‥‥ 黒之巣会と称する、江戸幕府復興を目論む秘密結社が引き起こした一連の騒動 は、帝国華撃団の活躍によって終結を見た。 しかし、その発端ともなった、パトリアーカルクロス‥‥六破星降魔陣の残した 傷跡は、封じたはずの降魔を再び地上に招き入れる要因となった。 帝都を襲う不浄の魔物‥‥復活する不浄の城‥‥そして、姿を現した魔界の君臨 者。 現実化する世界の終末‥‥ それを阻止したのは、やはり帝国華撃団だった。 暗黒の扉が再び閉じられる時、人々はその城に桜の花びらが舞うのを見た。 ゆえに、人々は呼んだ。 サクラ大戦‥‥と。 人々の記憶の中からも、帝都全域そして世界中を震撼させたあの出来事は薄れて 行った。 時を経るごとに。 ただ、それを目にすることで、いやが上にもあの惨劇を思い出させる‥‥その不 浄の城は残った。 帝都の街並みは以前の美しいものに戻っていた。 朝日とともに人の息吹が蘇り、夕陽は人々を暖かく出迎えた。 鋼鉄の衣装を身に纏った少女たちは、今はもう華やかな舞台衣装だけを着るだけ でよかった。 劇場のモギリに立つ青年も、今ではそのモギリだけが拠り所となってしまってい た。 帝国海軍少尉。 任官後すぐに帝国華撃団へ配属、同花組隊長に任命。 大神一郎。 彼は一年前に終了した東京湾での戦いの一週間後、海軍司令部に召還された。 帰還命令だった。 帝国華撃団の評価は先の大戦で確かに上がった。 主力とも言うべき花組、それを率いた大神に対しては、勿論言うまでもなかっ た。 とりあえず帝国華撃団本体は保持する。 また、これを構成する各部隊も現状維持。 しかし花組隊長はこれから外す。 帝国議会に海軍の圧力がかかった。 大神の帝撃への配属は、花小路伯爵の推薦、と言うより根回しによって成された ものだった。 ‥‥海軍司令部としては遺憾も甚だしい‥‥ 海軍の大神への評価は、大神本人が思っていた以上に大きなものだった。 ‥‥彼は士官学校首席、そして将来は海軍の司令職に就くべき人間。 その実力は先の大戦で遺憾なく発揮してくれた。 いつまでも訳のわからない場所へ置いておくなど以ての外。 今更相手が魔物や妖物など、はっきり言って時代錯誤もいいところ‥‥ 現実を目の当たりにしても、平穏の到来が緊張感を消していったのか。 ‥‥それは譲歩しても、もう十分ではないか‥‥彼は返してもらう‥‥ あるいは大神を取り戻したいがための詭弁だったのかもしれない。 海軍司令部はそれほど無能な人間ばかりではない。 人を見る目を持つ者も多く存在した。 大神はそれほど嘱望されている人材だった。 大神に拒否できるはずもなかった。 大神の心の片隅に帝劇に配属されたばかりの頃の想いもあった。 初心は忘れてはいなかった。 自分は軍人。 帝都を‥‥平和を護るためにある。 だが‥‥ 大神は悩んだ。 少女たちに打ち明けた時の‥‥彼女たちの表情を、大神はどうしても忘れること ができなかった。 再び咲いたはずの花が‥‥まるでその色を失ったようだった。 それほど大神の存在は、彼女たちの中で確固たる地位を築いていた。 泣いた人‥‥アイリス。 怒った人‥‥すみれ、カンナ。 悲しんだ人、でも大神の意志を想った人‥‥さくら。 現実を受けとめた人、でも一人部屋で泣いた人‥‥紅蘭、そして、マリア。 選ぶ道は決まった。 最初から決めていたのかもしれなかった。 そこが自分の愛すべき場所、愛すべき人々の住む場所だったから。 そこが護るべき場所だったから。 処遇は花小路伯爵と司令である米田中将に一任することで、大神の進路は自然に 落ち着くことになった。 即ちモギリ。 即ち帝国華撃団・花組隊長。 大神の中尉昇格はこの時抹消された。 そして‥‥大神の海軍司令の路は閉ざされた。 その代償は。 大神のまわりに再び花が咲いたこと。 呆然とすること10分、大神はようやく気を取り直して後片付けをし始めた。 今月の演目は”西遊記”。 勿論、根っからの花組ファンはいつでも来場するが、なにしろ演目が演目だけ に、 子供の数がいつもの倍以上に膨れ上がる。 最も被害を被るのが、その矛先とも言えるモギリだった。 「つ、疲れた‥‥」 「あの‥‥」 「ん?」 事務室に行こうとする大神を、女性の声が止めた。 ロビーの中央に立っていた一人の女性。 群青のチャイナドレスを着た女性だった。 20代の中盤に差しかかったと思しき風体は、いかなる屈強な理性の持ち主だろ うと、それを済し崩しにしてしまいそうな色艶があった。 濡れたように光る長い髪を、後ろで束ねて‥‥襟元の後れ毛が際だって見えた。 少し青みがかった大きめの瞳も濡れるように光っていた。 日本人ばなれした嵋梁は、まるで神話の彫刻のようだった。 それとは対照的に少女のような淡い桜色の唇。 それも少し濡れたように輝いている。 ほっそりとした顔だち、首筋‥‥そしてチャイナドレスが描く妖しい影、その稜 線‥‥ 肩で切れる布から先‥‥胸の前で組まれる、白く細い腕。 その腕に圧迫されて悲鳴をあげそうな豊かな胸。 華奢な腰つき‥‥そして滑らかな曲線を経て到達する、チャイナドレス特有の切 れ込み。 そこから生まれる、また白い脚‥‥男の想像力をいやがうえにも駆り立てる脚だ った。 「はああ‥‥」 「あの‥‥大神、さん‥‥ですよね‥‥」 「はああ‥‥は、はいい‥‥」 「今‥‥お忙しいですか?」 「‥‥いえ‥‥いええ」 「よかった‥‥」 その女性は大神のすぐ前まで歩み寄ってきた。 背丈は‥‥踵の高い靴を履いて、大神と同じぐらいだった。 それが目の前まで‥‥息のかかるぐらい近くまで。 脳が溶けるような甘い香りが漂ってくる。 「劇場のお仕事‥‥まだ‥‥かかりますの?」 『ごくん‥‥』 「‥‥そ、そうですね」 「‥‥残念ですわ‥‥わたし‥‥大神さんをお誘いしたくて‥‥ここに参りまし たのに‥‥」 「んぐ‥‥ええっ!?」 「‥‥わたし‥‥大神さんのこと‥‥ずっと見てましたわ」 「!!」 その女性は大神に密着した。 「わたし‥‥普段は横浜にいて‥‥帝都にはめったに来れないんです‥‥」 「は、ははいいい‥‥」 「でも‥‥大神さんとお話ししたくて‥‥」 「は、はいい‥‥」 「やっと‥‥初めて‥‥こうして‥‥」 「は、はいい‥‥」 「‥‥わたし、あなたと‥‥一緒に‥‥」 「そ、そそそそ‥‥」 その若い女性は大神の首に腕をまわした。 そして耳元で囁いた。 「!!!」 「‥‥わたしのこと‥‥憶えていて‥‥くださいね‥‥大神さん‥‥」 「ああ、あの、あの、あああなたは‥‥」 「わたしは‥‥り‥しゃお‥れん‥‥李暁蓮、といいます‥‥忘れないで‥‥大 神さん‥‥」 ゆっくりと、その若い女性は大神から離れた。 「また‥‥参りますから‥‥そのときは‥‥」 大神はぼけっとしたまま、その女性を見送った。 後姿が恐ろしく刺激的だった。 チャイナドレスが艶やかな白い脚にまとわりつき、その少し上には妖しい影を作 っていた。 玄関を降りたところに迎えの蒸気自動車が停車していた。 横には白いスーツを着た男が立っていた。 珍しい風体をしていた。 白いスーツも目立つが、何と言ってもその髪‥‥ 銀色の髪。 白髪ではなかった。 歳は20代前半ほどにしか見えない。 サングラスをしていて、目は覗けない。 女のような唇。 女のような色香を漂わせていた。 反対側に立つもう一人の男。 青いシャツに黒いスラックス‥‥背が高い。 2メートル近くありそうだった。 やはり銀色の髪。 やはりサングラスをしている。 顔だちは屈強そのものだった。 後部座席に‥‥何か黒くわだかまる物が見えたが‥‥ 車に乗り込む直前、その女性は一瞬振り向いて大神を見つめた。 少女のような唇が妖艶な笑みを作っていた。 「はああ‥‥」 「‥‥大神さん」 「はああ‥‥」 「大神さんっ!」 「は‥‥えっ?‥‥あ、椿くん‥‥なに?」 「でれっとしちゃってさ‥‥みんなに言いふらしちゃおっかなあ‥‥」 「え、あ‥‥こ、これは、その‥‥」 「‥‥恋人?」 「ち、違うよ‥‥」 「それにしては‥‥すごかったなあ‥‥」 一部始終を売店から見ていた椿は、あまりの大胆さに声もかけることができなか った。 大神を愛しそうに抱きしめるその女性は、ぼーっと見つめる椿にちらっと一瞥を くれた。 唇が大神の頬の影で閃いていた。 嫉妬を抱くには、その女性はあまりにも妖艶で、美しすぎて‥‥ 自分が惨めに思えてしまった。 「‥‥大神さんのファン、かなあ‥‥結構いるし‥‥」 「え?」 「あ、ううん、なんでもないです‥‥でも‥‥すごかったなあ‥‥」 「うん‥‥」 「うん、て‥‥ほんとに知らない人、ですか?」 「‥‥り‥‥しゃお‥れん‥‥李暁蓮さん、か‥‥」 「ふーん‥‥」 「チャイナドレス‥‥まさかとは思うけど‥‥紅蘭の‥‥親戚の人、かな‥‥」 「でも、あんまり似てないような‥‥」 「うん‥‥そう、だよな‥‥」 「なんか‥‥へん、ですよ、大神さん‥‥」 「はああ‥‥すっごい、いい匂いがしたなあ‥‥」 「ふーん‥‥」 大神は目の焦点が合っていなかった。 椿が事務室まで無理矢理引っ張っていった。 「みんな、おつかれさま」 舞台がはねた後、大神はいつものように少女たちを出迎えた。 「つ、疲れましたわ‥‥」 「‥‥なかなか‥‥粘りやがるな、おめえも」 西遊記の公演後は大体こうだった。 孫悟空役のカンナと妖鬼夫人役のすみれ‥‥ 主役の二人の演技は、いつも演技を超えてしまっていた。 「あははは‥‥もうちょい楽にやりゃええのんに‥‥」 「お疲れさん‥‥紅‥‥」 大神は突然、頭痛に見舞われた。 脳が重い石ですげ替えられたようだった。 それでも眉間にしわをよせただけで、大神は耐えた。 「?‥‥大神はん‥‥どないしたん?」 「‥‥え‥‥あ、いや‥‥よかったよ、紅蘭‥‥」 「あんがとさん‥‥」 紅蘭は怪訝な表情で衣装部屋へ向かった。 『‥‥風邪、かな‥‥身体も‥‥なんかだるい‥‥』 突然襲った頭痛は鎮静化したものの、大神は身体が妙に遊離する感覚を覚えてい た。 「大神さん‥‥体調悪いんじゃ‥‥」 さくらが心配そうに寄り添う。 アイリスもすぐに走りよってきた。 「‥‥お兄ちゃん‥‥なんか、顔色わるいよ」 「え‥‥あ、あはは‥‥疲れたのかな‥‥たぶん、少し横になれば‥‥」 「無理はなさらないでください‥‥隊長‥‥」 労をねぎらうはずが、逆に心配されてしまった。 マリアの目に冷たい色はなかった。本当に心配しているようだった。 『‥‥ほんとに‥‥なんか、おかしいな‥‥部屋に帰ろ‥‥』 大神は自室に戻った。 頭痛とともに脳裏に沸き上がったもの。 何か気にかかることがあった。 頭の‥‥記憶の片隅にあるもの‥‥ 思い出せなかった。 「明日になれば‥‥その後は‥‥休みが、待って‥‥いる‥‥」 大神はベッドに横になるなり、すぐに深い眠りに入っていた。 大神はそのまま次の朝まで目が覚めなかった。 まるで冬眠するかのようだった。 夢を見たような気もしたが、それも思い出せなかった。 「頭痛も直ってる‥‥身体も、問題ない‥‥気のせいだったのか‥‥」 大神は手早く身支度を整え、ロビーに向かった。 何かロビーのほうが騒めいていた。 ロビーに着くと、そこは人でごった返していた。 「すごいな、こんな早くから‥‥あ、おはよう、椿くん」 「あ、おはようございます、大神さん‥‥遅いですね、今日は」 「え‥‥げっ、もうこんな時間かっ!?」 ロビーの壁際にある大時計は9時30分を示していた。 開演まではまだ30分あるが、入場開始が可能な時間である。 当然モギる人はもう準備完了していなければならない。 「や、やばいい‥‥」 今日は第三週目の最終日で、明日からは休演日が続く。 それゆえの人の多さだった。 『こ、こんなことなら、紅蘭に目覚まし時計でも作ってもらえばよかった‥‥』 大神の終了状態は、あたりまえだが昨日を凌いでいた。 視線が、かつて人込みのあった地点からまるで動いていなかった。 「あれま‥‥」 椿が苦笑しながら、売店の準備を続けていた。 開演前の時間帯よりも公演終了直後のほうがやはり売店は繁盛する。 商品を裏のダンボール箱から補充する。 今はもう公演が開始されて、ロビーに大神と椿以外の人影はない。 ブロマイドを整理していると、玄関に人の気配を感じて椿は振り向いた。 あの女性だった。 未だ茫然と立ち尽くしている大神に向かっていく。 途中またちらりと椿を一瞥する。 口元には薄く微笑みともつかない笑み、らしきものが作られていた。 モギリのテーブルの内側‥‥大神が立っている横に、するりと入っていく。 「‥‥大神さん」 「‥‥え‥‥あっ、‥‥しゃ、しゃおれん、さん‥‥」 「憶えていて‥‥くださったんですね‥‥‥‥うれしい‥‥」 李暁蓮と名乗る妖艶なその女性は、そう言ってまたぞろ大神にぴったりと寄り添 った。 ぼけっとハサミを持っている大神の右手に、その女性はそろりと触れ、 そしてハサミを優しく奪ってテーブルの上に置いた。 その手はまた大神の右手に戻った。 「今日も‥‥だめ、ですか?」 「あ、あの、あ、ああ明日から、きゅ、休演日になななりますから‥‥」 「わたし‥‥今日まで滞在できるんです‥‥‥‥やっぱり‥‥だめですか、今日 は‥‥」 「ああああ、あの、その‥‥す、すいません‥‥」 「‥‥つれない人‥‥‥‥でも、わたし‥‥次も、来ますから‥‥次は絶対です よ‥‥」 「はああ‥‥あ?‥‥!!!」 暁蓮は自分の唇を大神のそれに押しつけた。 『ななななななななあああああっ!!!』 大神の頭は完全に溶けようとしていた。 見ず知らずの、こんな美しい女性が、いったいなぜ‥‥ 大神のまだかすかに残った理性が、吹き出るアドレナリンを回避しつつ必死で探 索を行った。 暁蓮は自分の身体の、大神に向いている全ての曲面を大神に接触させるべく、力 の方向を大神に向けた。同時に塞がれた唇を介して入り込む、何か艶めかしいも のを感じた瞬間、大神の探索はあっけなく途切れた。 椿は口をあんぐりと開けて、手に持った商品をばさばさと落とした。 一分程経過して‥‥暁蓮は大神からゆっくりと離れた。 顔だけ。 1センチ程の距離で話す。 「わたしのこと‥‥忘れないでほしいの‥‥‥‥だから‥‥そのおまじないをし たの‥‥」 「あぐあぐあぐあぐ‥‥」 「忘れないで‥‥わたしのこと‥‥‥‥忘れないで‥‥‥‥お願い‥‥大神さん ‥‥」 暁蓮は艶のある唇をさらに濡らして大神に囁いた。 大神の耳には最早、その声が春の野原を飛ぶ小鳥の囀りにしか聞こえなかった。 大神の視線は、暁蓮の目から動かすことができなかった。 唇と唇が1センチ、目と目が5センチあまりの距離にある‥‥その濡れた瞳を、 さらに潤ませて見つめる暁蓮の目を。 暁蓮はもう一度同じことを繰り返し、そしてゆっくりと距離を置いた。 「次に会う時こそ‥‥わたしは、あなたのもの‥‥‥‥あなたは‥‥わたしの‥ ‥もの‥‥」 言葉の最後がフェードアウトしながら、暁蓮はゆっくりと翻り、劇場を後にし た。 李暁蓮‥‥彼女の存在は、大神の五感にしっかりとインプットされた。 大神は放心状態で立っていた。 椿も全く同じだった。 「大神さんっ!全然数が合ってないじゃないですかっ!!」 事務室へ行くなり、由里の雷が落ちた。 「寝坊なんか、するからっ、んん〜、もうっ、ちゃんっとやってもらわなくっち ゃ‥‥」 『はああ‥‥しゃおれん、さん‥‥かあ‥‥』 「まったく、ガミガミガミガミガミガミガミったら、もうっガミガミガミガミガ ミガミ‥‥」 『やっぱり‥‥中国の人、なのかな‥‥』 「ガミガミガミガミガミガまでして、その上ガミガミガミガミ、しかもガミガミ ガミっ」 『年上、だよな‥‥あやめさんとは、少し違う‥‥かなり違う‥‥』 「ガミガミガミガミガミーっ、はあはあはあはあ、ガミガミガミガミっ、このガ ミガミガミ‥‥」 『はああ‥‥また‥‥会えるのかなあ‥‥』 「ガミガミガミィーッ、はあはあ、はあ‥‥あ‥‥ちょっと、聞いてるの?、大 神さんっ!?」 「はああ‥‥」 「ぬぬぬぬ‥‥聞いいいてねええってかああ、くおんのおおおっ!」 「はああ‥‥ごふっ!?」 「お茶が入りましたよ‥‥おや?」 かすみと椿が事務室に戻ってきた。 大神はソファの上にうつ伏せになって眠っていた。 中休みが始まるのに先だって、軽い打ち上げをしよう、ということになった。軽 いお茶会のようなものだった。 サロンに少女たちが集まった。 やはり調子が出ているのは、主役級の二人‥‥すみれとカンナだった。 大神が遅れて入ってきた。がっくり肩を落として。 「‥‥なんや、大神はん‥‥元気ないな‥‥さては、事務方にどやされたんと違 うか」 「うん‥‥」 「あははは‥‥大神さん、もしかして切符の数、合わなかったんでしょ」 「うん‥‥」 「ふふ‥‥まあまあ‥‥隊長、こちらへいらしてください‥‥」 マリアが労るように大神に椅子を薦める。大神を取り囲むように、少女たちが配 列を組み直した。 大戦が終わった後、廃墟と化した銀座‥‥それでも花組の公演は時を経ずして再 開された。 勿論劇場は‥‥ミカサの艦橋を兼ねていたため、所謂青空劇場、だった。 それでも人々は集まった。 花を愛でるために。 安らぎを求めて。 少女たちは舞った。 そして舞台がはねると、いつものように落ち着く場所に集まり、談笑する。 その中心にいるのは‥‥必ず大神だった。 一時期訪れた大神不在‥‥海軍への召喚。 その時は、まるで喪に服しているような雰囲気だった。 少女たちの喜びは、常に大神と共にあった。 たとえ少女たちが主人公であっても。 大神は花を咲かせる澄んだ水であり、空気であり、大地そのものだった。 そして‥‥大神は戻った。 花は再び咲き誇った。 桜が咲く頃‥‥ 帝国劇場は再建された。 「お兄ちゃんっ、アイリス、どうだった?」 「へ?‥‥あ、ああ、よ、よかったよ、うん」 「‥‥ちゃんと見てたの?」 「へっへっへー‥‥あたいの勇姿、目に焼きついただろうが、え?隊長」 「はああ‥‥もう、ばっちり‥‥」 大神の脳裏にあの後姿が焼きついていた。 群青がひらめく艶やかな白い脚‥‥ 「ほ、ほんとか!?‥‥あ、あたい‥‥やったぜ‥‥」 「猿の分際で‥‥このわたくしの華麗な演技、いかがでした‥‥少尉」 「はああ‥‥俺‥‥獲物に‥‥なりたい‥‥」 大神の脳裏に潤んだ瞳が浮き上がってきた。 脳が蕩けるような芳しい甘い香り、柔らかい身体‥‥ そして‥‥あの唇‥‥ 「う、うれしいですわ‥‥そ、そんなに、わたくしのことを‥‥少尉‥‥」 「へー‥‥珍しいこともあるもんやな‥‥猿と化け物に、そないに感動するなん て‥‥」 「なんか言ったか‥‥紅蘭‥‥」 「よく聞こえませんでしたわ‥‥」 「じょ、冗談やて、冗談、あははは‥‥‥‥ん?‥‥大神はん‥‥なんや様子お かしいな‥‥」 紅蘭が大神の顔を覗き込む。 大神はとろんとした表情のまま、目が宙を彷徨っていた。 「大神はん‥‥ちょっと、大神はんっ」 「はああ‥‥へ?‥‥あ、紅蘭か‥‥んぎっ」 大神は紅蘭の顔を見た途端、昨日よりもさらに猛烈な頭痛に見舞われた。そして ‥‥どういう訳か、似てもいないのに暁蓮の顔と重なって見えた。 「失礼な‥‥うちの顔見て、そないに苦しむことない‥‥‥‥あれ、マジか、大 神はん」 「うぎぎぎ‥‥い、いや‥‥な、なんとか‥‥んぎぎ‥‥」 「だ、大丈夫ですか、隊長‥‥なんか昨日も‥‥お身体の具合でも‥‥」 横に座ったマリアが心配そうに覗き込む。 他の少女たちも同じだった。 しばらく我慢の時間が続いた。 カーテンから昼下がりの明るい陽射しが差し込んできた。 「はあ、はあ‥‥はあ‥‥‥‥だ、大分、落ち着いた‥‥いったい、これは‥ ‥」 「‥‥うち、藥持っとるけど‥‥飲んどくか?」 「いや‥‥もう‥‥平気だよ‥‥」 「ほんまに?‥‥ほんまに、ええんか?」 「うん‥‥」 大神は再び紅蘭の顔を見入った。 いつもの紅蘭の顔。 大きな円らな瞳、そばかすがあって、化粧気のない、おさげ髪の少女。 暁蓮とは似ても似つかない‥‥対角線に位置するような、その子供のような表 情。 『‥‥違う、よな‥‥全然‥‥』 「な、なんや‥‥そんな‥‥うちの顔、じっと見て‥‥い、いややわあ‥‥」 大神の視線が真紅のチャイナドレスに移る。 『ここが‥‥明らかに違う‥‥い、いかん‥‥』 紅蘭が顔を真っ赤にしてうつ向いていたため、 ‥‥どこ見とるんや、このドスケベ‥‥ という反発は食らわずに済んだ。相対的に周りの顔も赤くなりつつあるが、これ は由来するところが違った。 大神が先に言葉を発した。 「あ、あのさ、紅蘭‥‥」 「な、なに‥‥」 「君の親戚か、家族に‥‥李暁蓮って女性‥‥いるかな‥‥」 「?‥‥り‥‥しゃお‥‥れん‥‥?‥‥ううん、おらへんな‥‥」 「うーむ‥‥家族の人とか、は?」 「うちは‥‥子供の頃‥‥戦争に巻き込まれて‥‥お父ちゃんとお母ちゃんは‥ ‥」 「あ‥‥ご、ごめん‥‥」 「あははは、ええんよ‥‥お姉ちゃんは、どないなったのか‥‥わからんな。二 人いるんやけど‥‥容蘭と芳蘭‥‥名前がちゃうで」 「そっか‥‥」 「なんで?」 「え?‥‥あ、あはは、な、なんでもない‥‥」 「ふーん‥‥」 なぜか様子のおかしい大神に、沸き上がった憤怒の感情が肩透かしを食らわされ た少女たち。 すぐにいつものサロンに戻った。 『‥‥頭痛は、治まってきたな‥‥身体が浮いている感じが、する‥‥やっぱ風 邪か?』 「あ、そうだ、大神さん‥‥」 「‥‥え?」 「明日から休みに入るんですけど‥‥それで、大掃除をしようか、ということに なって‥‥」 「あ、ああ、手伝うよ‥‥舞台裏かな?」 「はい。小道具と大道具部屋もついでに‥‥ここんところ忙しくて、全然やって なかったから」 「わかった。明日だね」 「はいっ。よろしくお願いしますね」 「うん」 しばらく談笑が続いた後、皆自室へ戻っていった。 大神も一人自室でベッドの上に横になり、天井をぼーっと眺めていた。 何か考えることがあるような気がしたが‥‥何も思い至らなかった。 「あ‥‥そう言えば‥‥」 机に向かう。 その上に置かれた一封の手紙。 「昨日モギってた時にもらったんだよな‥‥結構かわいい娘だったような‥‥」 実は椿が呟いたように、花組公演を見に来る者の中には大神のファンが意外に多 く存在した。ただ手紙を貰うのは、ここ数箇月記憶になかった。 「どれどれ‥‥」 拝啓 大神一郎さま。 いつも花組のみなさんの公演、楽しく拝見させてもらっています。 とっても素敵で‥‥わたしもあんな風になれたらなあ、っていつも思っていま す。 でも‥‥大神さんも‥‥とても‥‥素敵です。 モギリの大神さん‥‥なんか頼り甲斐のあるお兄さんのようで‥‥ あ、すいません、こんな‥‥ またお手紙書きます。 わたし、すごく口下手で‥‥ 名前はそのときに‥‥ いつも見ています。 がんばってくださいね。              かしこ 「か、かわいい‥‥モ、モギリも捨てたもんじゃ‥‥」 大神は懸命に記憶を逆のぼった。 それらしい女性は思いだせない。 ただ、かなり幼い少女だったような記憶があった。 椿ぐらい‥‥ 髪がそんなに長くなかったような‥‥ なにしろ、あの人込みの中。 しかもその後の暁蓮の強烈な印象で‥‥ほとんど掻き消されてしまっていた。 「うーむ‥‥俺、もしかして、運が‥‥‥‥いや、慢心は身を滅ぼすぞ、うん‥ ‥でも‥‥はああ‥‥いいなあ‥‥‥‥いやいや、謙虚に‥‥‥‥でも‥‥はあ あ‥‥」 大神は夕食も取らずにまたぞろ深い眠りに入った。 目が覚めるのは、やはり翌日だった。 そして、長い眠りは大神の記憶‥‥幼い頃の記憶をじっくりと夢の中で再現して いった。


NEXT

Uploaded 1997.11.01




ふみちゃんさんの大作、「花組野外公演」の序章、いかがでしたでしょうか?



大戦から一年。

あいかわらずモギリにふける大神。



けれど、そこに現れる謎の美女!!

しかも、大神にラブラブ状態!?





・・・なんか、うらやましいぞ!(でも、怪しさ大爆発だけど、暁蓮さん)





あれほど恵まれた環境にいながら、さらにモテルか、大神よっ!?

何だか、不条理・・・どうせ、私にゃあ・・・(泣)





と、とにかく、次章からいよいよ、本編の始まりです!

皆さん、期待してご覧下さいませ!!




ふみちゃんさんへのご意見、ご感想はこちらまで

(注:スパム対策のため、メールアドレスの@を▲にしています)

「花組野外公演」表紙に戻る
サクラ大戦HPへ戻る