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第6章 沖縄県南大東島 太平洋上の離島(2001年 1月)
06.那覇03 なつかしい国際通り
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☆これまでの旅☆
久しぶりにやってきた沖縄。南国沖縄は暖かい。しかし、そこに連続するアク
シデント。フェリーが、飛行機が、挙句の果てにA&Wごと国際ショッピング
センターまで。はてはて、南大東島に到着できるのか?
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●なつかしい国際通り
沖縄の繁華街、それが国際通りだ。「奇跡の1マイル」と呼ばれ、戦後の沖
縄復興の象徴的場所。その国際通りは県庁の前からはじまっている。
5年ぶりの国際通りは、沖縄名物のハンバーガーショップのA&W(エンダ
ー)が無くなっている反面、マクドナルド、ロッテリア、モスバーガー、そし
てミスタードーナツがあちこらに出店していた。
さらにドトールまで出店している。国際通りにはスターバックスの方が似合
うような気がするが、まあ、それはそれ。
国際通りを歩きながらが、ふと温度計を見る。24℃、暑い。時間は14時。こ
れが真冬の1月だ。さすが南国。
沖縄の人は、沖縄の冬は風が強いから結構寒いよ、というが、大阪の冬はい
くら暖かいからと言って20℃を超えることはないだろう。やはり沖縄の冬は温
かい。南国だけあって陽射しがちがう。まるで雲南のようだ。
途中、安里川を交差するところで高架の工事をしていた。モノレールだ。慢
性化している渋滞、鉄道が無いので複雑化して沖縄人すらわからないというバ
ス路線。だから移動は大変。それを緩和するために数十年ぶりに沖縄に鉄道が
走るわけだ。
○建設中のモノレール
○ゆいレール 沖縄都市モノレール株式会社
●沖縄逓信博物館「オキコム」
沖縄県庁と那覇市役所のすくそばにある大型ショッピングセンターのパレッ
トくもじの4階に、沖縄の郵政の変遷をとおして沖縄の歴史を学べる沖縄逓信
(ていしん)博物館、愛称オキコムがある。
展示は琉球王朝時代の通信手段、烽火台のジオラマに始まり、琉球藩時代、
戦時中、米軍占領下時代へと移っていく。
印象に残るのは戦争直後の郵政関連だ。激しい地上戦が行われた沖縄ではほ
とんどの郵便局が破壊され、郵政事業は事実上停止状態となった。
その後米軍が沖縄、宮古、八重山、奄美の群島別に郵政事業を再建し、各地
で暫定切手が発行された。
ザラ紙にガリ刷りの簡素な切手に局長印が押されただけという「久米島切手」
や、日本の切手に当時の沖縄民政府通信部長の私印を押した「平田印切手」な
ど、各地の事情ごとにさまざまな暫定切手が発行されていたことが分かる。
その後は1ドル切手、B円の100円切手、そして琉球切手など、切手を通して
沖縄の歴史が見えてくるところだ。
国際通りのはずれ、入場料無料。それで郵便という視点で沖縄の近現代史が
わかる。
●石敢当
沖縄の名物のひとつに「石敢当(いしがんとう)」というものがある。本土
にもごくわずかだがあるようだが、ほとんどの人は沖縄でしか見たことがない
だろう。
「石敢当」とは、古代中国西漢の大勇力士の人名で、その名を記した碑を守
護神としたことに由来するという。
中国では石敢当というのは道教の神の名前になっていて、ぼくはマカオで石
敢当を見たことがある。石碑の沖縄に対して、祠の中国という感じだ。
石敢当は沖縄のあちこちにあるのだが、沖縄一の繁華街と言える国際通りの
中央、三越百貨店にもある。
その説明版によると、古代中国の陰陽家がT字路の突き当たりは妖魔などが
たむろするところで、その妖魔を祓うために、「石敢当」と書いた石碑を立て
たのがはじまりといわれるようだ。
しかし、今では、車除けとして道の突き当たりに立てられることが多いと聞
いた。実際、住宅街の路地の角、ちょうど車が当たりそうなところによく見か
ける。
○国際通りの三越の前にある石敢当
○マカオの石敢当
●まちぐわーの牧志公設市場
県庁からまっすぐ伸びた道、国際通り。そのまんなかあたり、南側一帯にア
ーケードが縦横に走っている。
アーケードつきの平和通りや市場本通りとその周辺の路地には、生活雑貨や
衣料品、餅や菓子など、日常生活に密着した店が並ぶ。この一帯は「まちぐわ
ー(市場)」と総称されている。
そのアーケード街もあちこちに100円ショップがある。ぼくのような貧乏な旅
行者にとってはありがたいが、少しさみしい。なにしろ、100円ショップには沖
縄らしいものはほとんど無い。品揃えは大阪の100円ショップと同じだ。
しかし、真中あたりにある市場、牧志(まきし)第一公設市場。ここは沖縄
の食材が並ぶことで有名な市場で、場所柄観光ポイントでもある。
牧志公設市場は2箇所あるが、旅行者の間では、「牧志市場」といえば多く
の場合は牧志第一公設市場のことになる。
見た目はどこにでもあるような市場があるだけだ。ところが、一歩中に足を
踏み入れるとそこは沖縄らしい世界が広がる。
●泣き声以外は
一見昔ながらの普通の市場のように見えるが、本土のスーパーはもちろん市
場でも見かけないようなアジアンなものが山のように積み上げられている。
また、「鳴き声以外はすべて食べる」という豚は、頭、内臓、足と本当に鳴
き声以外は売られている。
そして台の上に並んでいる魚の色は、真っ青だったり、真っ赤だったりと、
本土のスーパーでは見ることができないような鮮やかさだ。反面、観賞用の魚
のように見えて、食べるのはちょっとためらわれる。
ゴーヤーやペニイモなどはもう有名だ。時々天井からぶら下げられている黒
い渦巻き状の物体は、ウミヘビの燻製だ。
2センチぐらいの小魚が瓶の中にぎっしりと、しかも整然と詰められたスク
ガラス。めずらしい食べ物はまだまだある。東京と変わらないような現代的な
国際通りの中の沖縄。それが牧志第一公設市場だった。
しかし、沖縄の人から聞いた話では、地元の人は買い物に行かないという。
もはや、観光客に「沖縄」というイメージを売るための市場になってしまった
のかもしれない。
●牧志市場の2階の食堂
この市場は2階もおもしろい。そこにあるのは食堂街。沖縄そばはもちろん
沖縄の一般的な科理が食べられる。
さらに1階で買った素材を調理してくれる店もある。1階でおいしそうな安
い魚介類を買って2階で料理してっもらうのがとてもいい。沖縄的だ。
そのときぼくが立ち寄ったのは、御食事処つばめ。店の前でお兄ちゃんと目
が合ったので入った。彼は中国人のようだ。沖縄とつながりが深い台湾の人だ
ろうか。
沖縄そば小300円。大は400円。小と言ってもそこそこ量がある。おなかがあ
まりすいていなかったので、十分な量。
紅ショウガたっぷりでおいしく、スープはラーメンとうどんの中間のような
普通の味。麺は灰汁を使うということだが、まったく灰汁の味がしない。今は
色素で色をつけているのだろうか。
●牧志御嶽
牧志市場から国際通りに戻り、安里の方に向かうと、牧志御嶽(うたき)が
ある。「御嶽」は、簡単に言うと本土の神社のようなものだ。「牧志」とつい
ているが、市場からは遠い。
コンクリートで立派に壇が組まれて、さらにその上にコンクリートの建物が
つくられている。荘厳さが感じられず、コンクリートの灰色が無味乾燥な感じ
を与える。
6年前はここまできれいで立派ではなかった。いや、汚いといっているので
はない。神寂れた、いかにも聖域といった感じだった。それが、今はコンクリ
ートでなにやら騒がしくなっている。
特に、東之御嶽の御神体に相当するイビが新しくなったようだ。実は、この
コンクリートの立派な祠の主祭神は東之御嶽で、牧志御嶽はその横にちっちゃ
なイビがあるだけだ。
○2001年の牧志御嶽
○1995年の牧志御嶽
●つづく●
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