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 第6章 沖縄県 太平洋上の南大東島(2001年 1月)
     17.首里02 守礼門をくぐって

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☆これまでの旅☆
往路那覇のラストは首里観光。最初に到着したのは玉陵(たまうどん)。王家
の陵にお参りしてからいよいよ首里城。ほかにもいっぱい「城」はあるけど、
本土の城とはちょっとちがう。「グスク」と「しろ」はちがうのだ。
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●首里杜館

 話を首里に戻そう。
 玉陵(たまうどん)から道に戻って歩くと、すぐに信号があり、そこに真新
しい建物があった。それが首里杜館(すいむいかん)。
 首里城公園の入口にあり、地下が有料駐車場だ。レストハウスのようで、ま
た博物館のようでもある。五年ほど前に来たときにはなかったと思う。
 首里城を中心とした立体地図が展示されている。首里城が地勢的にどのよう
だったのかがよくわかる。また、首里城本殿の骨格模型がある。これで、本殿
の様子もよくわかる。
 駐車場やコインロッカーがあるので、首里周辺観光のキーポイントになるだ
ろう。
 この建物を出て、道に戻ると守礼門が見えてくる。いよいよ首里城が近いこ
とを感じる。

●首里城の変遷

 首里城の創建年代は不明だが、13世紀末から14世紀頃とも言われている。
1429年、この城を拠点とした尚巴志が三山を統一し、首里城は琉球の中心の城
となった。
 首里城は琉球国王の居城であり、政治や祭礼の場でもあった。標高120〜135
メートルの丘陵地で眺望がきき、湧き水も豊富で地勢的、軍事的にも理想的な
場所だったようだ。
 琉球王朝の誕生とともに王城としてこの地におよそ500年間続いてこれたこと
が何よりの証だろう。
 しかし、琉球処分により王は東京へ移住。主が日本軍とかわったため、太平
洋戦争で壊滅状態になった。
 首里城を含め首里城公園一帯は本土復帰後修復が始まり、1992年から首里城
正殿周辺の一般公開が始まった。城の修復は現在も続いている。

●守礼門

 そして守礼門をくぐる。二千円札の図案になるほどの有名な門で、首里城と
いうと正殿よりもこちらを思い出す人の方が多いかもしれない。
 今は無い中山門に続く首里城の第二の門で、琉球王国時代の尚清王代(1527
〜1555)に創建されたと伝えられている。
 中国建築の影響を受け、「門」といいながら扉が無いのが中国の牌楼によく
似ている。そして二層の屋根は日本風の入母屋造で、沖縄らしい赤瓦葺き、中
央に「守禮之邦」の扁額が掲げられている。
 もとは「待賢」、そして「首里」の扁額がかけられていたが、尚永王代
(1537〜1588)から冊封使の滞在中だけ「守禮の邦」と書かれた扁額がかけら
れるようになり、尚質王代(1648〜1668)から常時揚げるようになった。それ
以来「守礼門」と呼ばれるようになったと言う。
 目の前にあるのは1933(昭和8)年に国宝に指定されたが、沖縄戦で破壊さ
れ、1958年(昭和33)に復元、そして1992年に修復されたものだ。
 門前の道はかつて綾門大道(あやじょううふみち)と呼ばれ、両脇には王族
の御殿や寺があり、豊かな森が広がっていたというが、今は森が広がるのは玉
陵のあたりくらいで、学校や商店、民家が並ぶ普通の道だ。
 今は門の前では、沖縄の民族衣装を着た女性と一緒に記念撮影ができ、民族
衣装を着ることができる。ここは観光地、もちろん有料だ。

○守礼門
守礼門

●園比屋武御嶽石門

 守礼門を抜けて左側にあるのは、園比屋武御嶽(そのひやんうたき)石門。
国王が長く外出するときに道中の安泰を祈願した拝所で、いくつもの拝所を巡
礼する王府の行事「東御廻り(あがりうまーい)」の第一番目の拝所だった。
 もちろんここも太平洋戦争中にアメリカ軍の艦砲射撃などで壊滅状態になり、
戦後、1957(昭和32)年に石門のみ復元された。
 裏側には何も無く、あるのは門だけ。ある意味ハリボテのような御嶽だ。裏
には深い森が広がっていたというが今は斜面の下に小学校か幼稚園があるだけ
だ。
 もともとこの石門は1519年(尚真王)ごろの創建で、第二尚氏の祖、尚円王
の生誕地、伊是名(いぜな)島にある御嶽の「スヌヒャン神」を勧請してまつ
ったためこの名があるといわれる。

○園比屋武御嶽石門
園比屋武御嶽石門

●つづく●
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