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 第6章 沖縄県 太平洋上の南大東島(2001年 1月)
     18.首里03 首里城へ登城する

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☆これまでの旅☆
首里観光の最初は玉陵(たまうどん)。王家の陵にお参りしてからいよいよ首
里城だ。「シロ」と「グスク」のちがいはなんだろう。まずは目の前の首里城
に登ってみようと、守礼門までやってきた。沖縄一有名な門かもしれない。
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●首里城縄張概略図

・・・・・・・・■・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・東・・・・■・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・▲・・・・■・・・・・・・・・・┏━━━━━━━━━━┓・・・・ ・北◆□◆南・・■・・・・・・・・・・┃ ┃・・・・ ・・・▼・・・・■■■■■・・・・・・┃ 正殿 ┃・・・・ ・・・西・・・・■・・・■┏━━━━━┫ ┃・・・・ ・・・・・・・・■・・・■右掖━┓ ┃ ┃・・・・ ・・・・・・・・■・・・■┃┃■┣━━╋━━━━━━━━━━╋━━┓・ ・・・・・・・・■・・・■┃┃■┃ ┃ ┃南 ┃・ ・・・・・・・・■・・・■┃┃■┃北 ┃ ┃殿 ┃・ ・・・・・・・・■・・・■┃┃■┃殿 ┃ 御庭 ┃・┏┛・ ・・・・・・・・■・・・■┃┃■┃ ┃ ┃番┗┓・ ・・・・・・・・■■■■■┃┣━┻━━┫ ┃所 ┃・ ・・・・・・・・■・・・■┃┃■■■■┃ ┣━━┛・ ・・・・ ・・・■・・・■┃┃■ ■┣━━━━━━━━━━┫・・・・ ━━━━━━━┓■・・・■┃┃■ ■┃ 奉 神 ┃・・・・ ←県立博物館 ┃■・・・■┃┃■ ■┣━┳━━━━━━┳━┛・・・・ ━━━━━┓ ┃■・・・■┃┃■ ┃広┃ 首里森┏┓┃■・・・・・ ・・・・・┃ ┃■・・・■┃┃■ ┃ ┃ 御嶽┃┃┃■・・・・・ ・・・・・┃ ┃■■■■■┃┃■ ■┃福┃ ┗┛┃■・・・・・ ・・・・・┃ ┣━━━久━┛┣━━漏刻┻━┫下之御庭 ┃■・・・・・ ・・・・・┃ ┣━━━慶 ┃■■┃┃■・┃ ┃■・・・・・ ・・・・・┃ ┃■■■■ ┃■■┃┃■・┗━━━━┳┳┛■・・・・・ ・・・・・┃ ┃■ ┃■■┃┃■■■■■■■┃┃■■・・・・・ ・・・・・┃ ┃■ ┗━━瑞┃■・・・・・・┃┃・・・・・・・ ・・・・・┃ ┃■ ┏━━泉┛■・・┏━━━┛┃・・・・・・・ ・・・・・┃ ┃■ ┃■■■■■・・┃┏━━┓┗━━━┓・・・ ・・・・・┃ ┃■ ┃・・・・┏━━┛┃・・┗━━━┓┃・・・ ・・・・・┃ ┃■ ┃・・・・┃┏━━┛・・・・・西のアザナ・ ・・・・・┃ ┃■ 歓会━┛・・・・┃┃・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・┃ ┃■■■┃┃■■■■■■木曳■■■■■■■■■■■■■■ ・・・・・┃ ┃・┏━┛┃・・┏━━━┛┃・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・┃ ┣━┛┏━┛・・┃┏━━┓┃・・・・・・・・・・・・┏━ ・・・園・┃ ┣━━┛・・┏━┛┃・・┃┃・・・・・・・・・・・・┃ ・・・比・┃ ┃・・・・┏┛┏━┛・・┃┃・・・・・・・・・・・・┃ ・・・屋■┃ ┃・・・・┃┏┛・・・・┃┃・・・・・・・・・・・┏┛ ・・・武■┃ ┗┓・・・┃┗━━━━┓┃┃・・・・・・・・・・・┃ ・・・御■┃ ┗┓・・┗━━━━┓┃┃┃・・・・・・・・・・・┃ ┏ ・・・嶽・┣┓ ┗━━━━━━━┻┻┻┻━━━━━━━━━━━┛ ┃ ・・・石・┃┗┓ ┃ ・・・門・┃ ┣━━━━━━━━━━┳┳━━━━━━━━━━━━┓ ┃ ・・・・・守礼門・・・・・・・・・・┃┃・・・・・・・・・・バ・┃ ┃ ・・・・・┃ ┃・・・・・・・・・・┃┃・・・・・・・・・・ス・┃ ┃ ・・・・・┃ ┃・・┏━━━━┳━━┛┃・・・┏━━━━┓・駐┣┛ ┃ ・・・・・┃ ┃・・┃  ┃┏━━┛・・・┃ ┃・車┃ ┃ ・・・・・┃ ┃・・┃ ┃┃・・・・・・┃ ┃・場┣┓ ┃ ・・・・・┃ ┃・・┃ ┗┻━━━━━━┛ ┃・入・┃ ┃ ・・・・・┃ ┃・・┃ ┃・口・┻━┻ ・・・・・┃ ┃・・┃ 首里杜館 ┃・・・・・・ ・・・・・┃ ┃・・┃ ┃・・・・・・ ・・・・・┃ ┗━━┻┳━━┳┳━━┳━━━━━━━━━┛・・・・・・ ・・・・・┃ ┏━━━┫ ┃駐車場入口・・・・・・・・・・・┳━┳・ ・・・・・┃ ┃・・・┗━━┛┃ ┃・・・・・・・・・・・・┃ ┃・ ━━━━━┻━┻━━━━━━━┛ ┗━━━━━━━━━━━━┛ ┃・ ┃・ ━━━━━┓玉┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛・ ・・・・・┃陵┃・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・┃↓┃・・・・・・■:石垣等・・・・・・・・・・・・・・・・

●首里城の門と城郭  首里城は、日本の城によく似ている。丘の上にあり、そこに至るまでにはい くつもの門をくぐらなければならず、道も迷路のように複雑だ。  首里城を囲む城郭には、城内外を仕切る外郭と、その内側の内郭とがある。 内郭の方が先にでき、外郭は16世紀に増築された。  外郭の東西両端には、西のアザナ、東のアザナと呼ばれる高所があり、物見 台として使われていた。  外郭に設けられた門には、歓会門、久慶門、木曳門などがある。このうち歓 会門、久慶門は同じ形式で、アーチ状の域壁に櫓を載せている。  内郭に設けられた門は、瑞泉門、漏刻門、右掖門など。これらもやはり同形 式の門で、垂直に切り取った城壁に櫓を載せている。  内郭のさらに内側にあるのが広福門、奉神門で、奉神門は正殿などとともに 御庭を囲んでいる。  なお守礼門は、今はない中山門とともに、城外の綾門大道に立てられ、外敵 を遮る役割を持たない飾り門だ。 ●歓会門  舗装道路から登城の道に入り、最初に出会うのが歓会門。中国風のアーチ式 城門でつくりは沖縄風だが、城壁の上には入母屋造、本瓦葺きの木造建築の櫓 が重ねられている。山城の首里城では、こういった門の様子は本土の城と同じ 様な感じだ。  この門は1477年(尚真王)の創建。「あまえ御門(うじょう)」と呼ばれる 首里城の第一門で、国王や役人、外国からの賓客などのみが出入りした正門だ った。  まだまだここは入り口という感じで、城郭内の観覧はここから始まる。 ○歓会門 歓会門 ●木曳門  歓会門をくぐる前に、そこから少し離れたところにもう一つの門が設けられ ている。それが木曳門。名前が表すように、城の工事用の資材の搬入に用いら れ、ふだんは石を積んで閉じられていた。  というのは、昔の話で、現在は常時開いていて、車椅子利用客の出入口とな っている。  しかし、石段を登る派手な歓会門に対して、こちらは石壁の中にぽっかりと 開いた穴のように見える。  今回は、木曳門を通らず、歓会門から登城することにした。 ●竜樋  歓会門を抜け、石段を登っていくと、途中に井戸がある。竜樋だ。石灰石の 壁から竜の顔が突き出し、口から水が流れ出ている。水は透明だが、湧き水な のか、観光用の水道水なのかはわからない。  水を注ぐ石彫りの竜樋(りゅうひ)は、1532年(尚清王)に中国からもたら されたもので、この首里城周辺で奇跡的に戦火を逃れた物のひとつだ。ただし、 鼻は失われた。  琉球王朝時代は、国王や冊封使(さっぽうし)の飲料水ともなり、琉球一と 讃えられていた。山でありながら、このように水が豊富なところが首里城の特 徴だ。  恐らくは本土の多くの地域では想像もできないことかもしれないが、ダム湖 があちこちにつくられた現在ですら夏の沖縄は給水が制限されることがある。  人口が少なかったとはいえ、それが近代以前ではどうだったか。水を支配す ることが琉球を支配することになったにちがいない。  ちょっと気になるので味を見てみた。水は那覇の水道水のような生臭さはな いが、どことなくぬめっとした感じがあった。 ○竜樋 竜樋 ●瑞泉門  竜樋のすぐそばにあるのが瑞泉門だ。この門は1470年(尚円王)の創建とい われる。垂直に切り立った石垣の間に木造の櫓を渡した造りになっている。 ●漏刻門  瑞泉門を抜け、さらに石段を登っていくと、次は漏刻門。瑞泉門と同じ形式 の門で、櫓の中に時間を計る水時計があったため漏刻門と名づけられたという。  いよいよ本殿に近づいてきたような感じがする。ここは丘の上に近い。  門を抜けたところにかつては日時計があり、太鼓を打ち鳴らして時刻を報じ た。  駕籠での入城を許されていた高官も、この門からは駕籠を下りて歩いたそう だ。 ○漏刻門 漏刻門 ●広福門  漏刻門を抜けると、今までの狭い石段とちがいちょっとした広場になってい る。ここからは那覇市街を眺望できる。  そして漏刻門の水時計を補助するための日時計である日影台と、万国律梁 (ばんこくしんりょう)の鐘とそれを納めている供屋がある。現在ここにある のは鐘のレプリカで、実物は近くの県立博物館に収蔵されている。  そして、ここにあるのが第四の門である広福門だ。ここは、今までのような 石壁の上に櫓が渡された門とちがい、広福門は木造の櫓門で、屋根は赤瓦茸き の入母屋造になっている。いよいよ本殿だろうか。  この門の両側はかつての役所で、東側は戸籍や治安を扱う大与座、西側は社 寺仏閣関係を扱う寺社座だった。 ○広福門 広福門 ●首里杜御嶽(すいむいうたき)  広福門を抜けると、下之御庭と呼ばれる広場があり、そこには首里森御嶽が ある。以前は無かったように思ったが、説明版によると1997年に復元されたと いうことだ。だから、以前来たときには無かったのだ。  石灰石が敷かれた広場の中に石灰石で囲いがあり、その中に木が生えている。 それが御嶽らしい。塀の一部に門が作られていて、それを開けるとイビ、本土 風に言うと御神体(依代)があるのだろう。首里場内で最も格式の高い御嶽で、 これ以外にも「十嶽」といって、10ヶ所の拝所があったらしい。  このあたりから南の外郭にかけては京の内と呼ばれる広大な聖域空間で、城 内に点在する多くの拝所で神女たちによる神事がとり行われた。  そしてまだ門があるが、ここから先は有料になる。広福門の下之御庭側には 券売所があり、首里城公園のパンフレットもある。そしてコインロッカーや車 椅子のレンタルもある。 ●つづく●                    Copyright 2004-2005 Fieldnotes. □□□□▲旅のフィールドノートから▼□□□□□□□□□□□□□□□□□
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