■□□□□▼ 旅のフィールドノートから ▼□□□□■□□□□■□□□□■

 第6章 沖縄県 太平洋上の南大東島(2001年 1月)
     20.首里05 王家の竜潭池

◆◇◇◇◇◆ 旅のフィールドノートから ◆◇◇◇◇◆◇◇◇◇◆◇◇◇◇◆
―――――//―――――――――――――――――――――――//―――――
☆これまでの旅☆
首里城に登ってみたぞ。守礼門にはじまり、次から次へと門を抜け、上へ上へ
と上がっていくと、とうとう到着、奉神門。門をくぐると、そこは中国? き
れいで豪華な正殿が登場。もちろん、中に入って見学しました。
―――――//―――――――――――――――――――――――//―――――

●右掖門

 北殿を最後にして今度は首里城を降りていくことになる。その最初の門が北
側にある右掖(うえき)門。ここも城壁に桁を渡した楼門形式だ。
 ここは、外周にある通路を遮る門で、御内原(おうちばら)への通用門とし
て使われていた。
 門をくぐって降りていくと、遠くに歓会門が見える。現在の首里城の実質的
第一の門だ。右手には正殿がある首里城、左手には那覇の市街が見える。
 ここから久慶門へと緩やかな石畳が続く。左側の城壁は、戦前からの遺跡の
上につぎ足して復元されたものだ。

●寒水川樋川

 右掖門から下りる途中には、城内の生活用水、防火用水として重要な水源だ
った寒水川樋川(すんがーひーじゃー)がある。
 ここは、竜樋とちがって、木で作られて囲いで覆われ、緑に澄んでいる水に
は直接触れることはできない。
 井戸の中にはシダが生えている。一年中水があるのだろう。

○寒水川樋川
寒水川樋川

●久慶門

 歓会門よりも入り口らしく塀の中央に開いた門が久慶(きゅうけい)門だ。
すぐに竜潭(りゅうたん)公園が見えてくる。
 表門の歓会門に対し、「ほこり御門(うじょう)」と呼ばれる久慶門は、主
に女性たちが出入りした通用門だった。
 歓会門と同様に木造瓦茸きの櫓をもつ石造アーチ門で、現在は城郭内見学コ
ースの出口のようになっている。

○久慶門
久慶門

●竜潭公園

 首里城の北に広がる大小の池が竜潭公園。この池は円覚寺跡の西側にある円
い池だ。
 首里城の久慶門から見えるのは小さい方の円鑑池(えんかんち)。その奥に
ある大きい方が竜潭。
 池の水は、白緑色ににごっている。泥が流れ込んだのだろうか。池の中ほど
には弁財天堂が立つ中之島と、そこへ架かる天女橋が見所となっている。
 弁財天堂は1502年(尚真王)に建てられ、当初は朝鮮国王から贈られれた
「方冊蔵経(ほうさつぞうきょう)」を納めるための経堂だった。
 その後1609年(尚寧王)の薩摩侵入で蔵経は焼失し、代わって円覚寺にあっ
た弁財天像を移してまつるようになった。以来お堂の名は弁財天堂になり、観
蓮橋と呼ばれていた橋も天女橋の名に代わったという。
 天女橋は琉球石灰岩の切石が積まれた単アーチ橋で、ラクダの背のようだと
いうことで駝背橋とも呼ばれる。
 橋の勾欄は、石造りながら木造風の井桁形式という日本式で、日中の様式が
共存する琉球の特徴がここでも見られる。
 こう書くと大きな橋を想像するかもしれないが、それほど大きくは無い。

●王家の池

 円鑑池の周辺の一角にはアーチ型の竜淵橋(りゅうえんきょう)が設けられ、
その向こうには広大な人工池の竜潭が広がっている。
 円鑑池には首里城内からの水が流れ込んだが、池が増水すると竜淵橋の下を
くぐって竜潭へ注がれていた。竜淵橋にはかつて獅子や竜などのすばらしい石
彫が施されていたという。
 谷の地形を利用して造られた竜潭は、竜の頭のような形からこの名があると
いうが、どこが竜の頭なのかは、わからなかった。
 1427年に尚巴志が、冊封使一行の接待のために造らせた池で、風水も考慮さ
れたようだ。
 池には魚が多く棲み、周囲には花木が植えられ、水面には首里城が映るなど、
琉球随一の名勝だったという。冊封使を招いての宴では、この竜潭に竜舟を浮
かべてハーリー船競争を楽しんだという。

●つづく●
                   Copyright 2004-2005 Fieldnotes.
□□□□▲旅のフィールドノートから▼□□□□□□□□□□□□□□□□□
前へ▲■ 第6章 沖縄県 太平洋上の南大東島■▼次へ