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第6章 沖縄県 太平洋上の南大東島(2001年 1月)
23.首里08 金城町の石畳の道と大アカギ
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☆これまでの旅☆
南大東島へ行く前に、やってきたのは有名首里城。お城の次に竜譚池、県立博
物館と見て回り、次に行ったのは弁ヶ嶽。このあたりでは最も高い場所。ふた
つの御嶽をお参りしてから頂上目指して上っていくと、遠くお城が見えました。
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●金城町の石畳の道
安谷川嶽をすぎ、県立博物館の横を抜け、首里城の西側を通って城の南側に
出ると、まず看板がある。それを見て坂を下ると、また広い道に出て、そこか
ら首里城の南側の急斜面を下るようにはじまるのが、金城町の石畳道だ。
そこから下の道まで古い石畳の坂道が約300メートルにわたって続く。琉球王
国時代の面影がしのばれる道だ。
琉球石灰岩で造られた石畳の表面は、ところによっては深くくぼみ、長い年
月の間、人々がここを歩いていたことがわかる。
この道は首里城と南都島尻を結ぶ要路、真珠(まだま)道の一部で、1522年
(尚真王)につくられた。
首里城の近辺は、太平洋戦争末期のアメリカ軍の艦砲射撃により徹底的に破
壊されたが、この金城町近辺は死角にあったため、沿道の赤瓦屋根の屋敷とも
ども奇跡的に戦禍をまぬがれた。
○金城町の石畳道
●内金城嶽
石畳の坂を50メートルほど下り、脇道を左手に行くと内金城御嶽(うちかな
ぐすくうたき)がある。
沖縄本島に広く伝わる鬼餅(うにむーちー)伝説発祥の地、それがこの御嶽
だ。
御嶽の境内には、大きなアカギが生えている。もちろん、戦火を免れた木々
だ。
東の大嶽は石組みの中に門がある御嶽で、低い塀が大アカギを囲っているの
で、アカギがイビ(御神体)だろうか。
正面に石門、石囲いの中にアカギの古木とその下に三個の石が立てられてい
る沖縄独特の形式だ。
西にある小嶽には、砂岩3つが石灰岩に立てかけられている。これらがイビ
だろう。旧暦12月8日の鬼餅節の由来伝説があるのがこの小嶽だ。
その鬼餅伝説は、鬼になってしまった兄に、知悪と勇気に満ちた妹が瓦をま
ぜたむーちー(餅)を食べさせて退治したという物語。毎年旧暦12月8日は厄
払いの日としてうにむーちーを作る風習が今も伝わっているという。
●大アカギ
境内にある大アカギは20メートル前後と高い。ここは大アカギ以外にもガジ
ュマルなどに覆われ、静寂と神々しい空気を醸し出している。
説明板によると国指定天然記念物。推定樹齢二百年以上と思われるのがある。
全部で6本。樹幹にはホウビカンジュ、ハブカズラ、シマオオタニワタリ、ク
ワズイモ、ハマイヌビワなどが着生している。それだけ古くて大きな木だ。そ
していくつかが御神体のようになっている。
アカギは琉球列島、熱帯アジア、ポリネシア、オーストラリアなどに分布す
るトウダイグサ科の樹木。沖縄県内では普通に見られる樹木だ。
しかし、大木群が人里に見られるのはここだけ。第二次大戦前まで首里城内
や場外周辺にも大木が生えていたが、戦争でほとんど消失してしまったからだ。
○大アカギ
●ふたたび石畳道
内金城嶽から再び石畳道に戻り、さらに下っていく。気になるので帰りにち
ょっと時間を計ってみた。18時15分、金城町スタート。
道を下っていくと、伝統的な琉球木造建築を再現した首里金城村屋があり、
自由に上がって休憩できるようになっている。
この場所はかつてふぃーじゃーもーと呼ばれた広場で、坂道を行き来する人
々が裏手にある金城大樋川(かなぐすくだいひーじゃー)の水でのどを潤した
という。
坂を下りきると大通りにぶつかり、その向こうに小さな金城橋が架かる。現
在の石畳道はこの手前までだが、かつての真珠道はこの橋から先、識名を通り、
さらに遠く島尻へと続いていた。
そして川沿いの道を西へ歩き、安里に着いたのは18時45分。およそ30分。意
外と近い。
●つづく●
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