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No.233 中国山東省2003−62.復路2 変わる女の子たち

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●女の子たち

 ぼくは数回日中間のフェリーに乗っているが、日中間フェリーの定番である
日本へ研修に行く、または日本の研修から帰る女の子たちが今回もいた。
 これから日本に研修に行く中国人の女の子たちは、今までの女の子たちと一
緒だった。
 しかし、今回一緒だった女の子たちは、今までと違っているところが多かっ
た。
 たとえば、今までは出航のときに結構泣いている子が多かったが、今回は一
人も見かけなかった。
 それから、格好も今までは田舎の女の子風だった。具体的にいうと、着古し
た感じのジャンバーと簡単なパンツスタイル、髪は黒くて長髪を頭の後ろで一
度たばねてたらしている。顔も、昔の張藝謀の映画に出てきそうな感じだ。だ
から、どの子も同じに見えてしまっていた。
 しかし、今回の女の子はもちろんそういう感じの子もいるが、みんなばらば
ら。個性的だ。たとえて言うなら、今の張藝謀の映画に出てきそうな感じの子
達だ。
 会社から支給されたと思える同じデザインのジャケットを着ていたが、それ
を着ないで自分の服を着ている子もいた。
 髪の毛は、茶髪の子もいっぱいいたし、ショートカットもパーマあてている
子も多かった。長い子は後ろでまとめているのは同じだが、髪飾りをつけてい
る子もいたし、化粧している子もめずらしくなかった。

●変わる女の子たち

 だから、最初は研修の人たちとは思わなかった。みんな結構おしゃれだった
から、女子十二楽坊のような音楽ユニットか雑技団チームが、公演のために日
本に行くのかと思っていた。
 あと、今までの子は恥ずかしがりやなのか、ほとんどの子は部屋の外にでて
こなかった。
 それに、見かけるのはいつも同じ子ばかりで、ちょっとしたきっかけが話し
ても恥ずかしそうにどこか行ってしまう。
 ところが、今回は2日目くらいかいっぱい部屋の外に出てきていたし、向こ
うからいろいろと日本語で話しかけてくるので驚いた。
 彼女たちは2ヶ月しか勉強してないって言っていたが、できる子はちゃんと
日本語の会話ができた。
 多くの子は、テキストに書いていることを暗誦しているような感じだったが、
できる子は文法を理解していて、単語を組み合わせて文章を作っていた。ぼく
が話したことをほかの子に通訳していたから理解していたはずだ。
 ただ、そういう子は研修以前に日本語を勉強していたのかもしれないが。だ
から、ぼくが彼女たちと話したのは、ほとんどが日本語で、中国語は、彼女た
ちが日本語を理解できないときに使うくらいだった。

●兄弟姉妹

 彼女たちが日本語の練習をしていたときに、兄弟がいる子が多かったことだ。
それは当たり前と思うかもしれないが、中国には「一人っ子政策」と呼ばれる
ものがあり、子供は一人であることが推奨されている。
 もちろん、二人目が生まれたからといって国によって命の危機にさらされる
ということはないが、罰則があるらしい。だから、兄弟がいるというはめずら
しいのだ。もっとも、日本語の勉強のために適当に言ってるのかもしれない。
 彼女たちの来日目的ははっきりと聞いていないが、おそらくは研修だろう。
来日目的を「研修」にすれば一般従業員として働くよりも、給料を安く抑える
ことができる。東京で平均月7万円と言う話もある。
 発展が著しい今の中国なので単純に言うことができないが、首都北京で20歳
くらいでこの金額を稼ごうと思うと、数億人の中を勝ち抜いたごく限られた人
であることは間違いない。
 もちろんこれ以上の給料を稼いでいる人もいるが、10代の女の子が稼げる金
額ではない。
 ましてや出身は北京への出稼ぎが多い河北省だといってた。今までの貧しい
農家の子供たちというイメージじゃなかったが。
 したがって、日本人並の給料となると、1年働くだけで、田舎の農村なら何
年も何十年も暮らしていけるだけの金額になる。

●アメリカ人研究者

 帰りの船にはアメリカ人の家族が乗ってた。中国人とよく話していたので中
国語はかなりうまいようだ。しかし、日本人とは話さないので日本語は話せな
いと思っていた。
 ぼくは、行きの船と同じ中国人が乗っていたこともあり、中国人と話すこと
があったためか、そのアメリカ人から話しかけられた。
 その人は、アメリカの田舎の大学で中国史を教えている人で、研究のために
北京に1年滞在したあと、京大で数ヶ月研究を続けるために来日することにな
ったという。
 中国には19年前に留学していたので中国語がうまいのだ。さらに、京大にも
留学経験があるので日本語もかなりうまい。そう、ぼくは彼とは日本語で話し
ていたのだ。
 中国語はちょっと訛があるものの、中国人に聞き返すことも聞き返されるこ
ともなかったからかなり話せるようだ。
 ただ、日本語は発音はきれいで文法もしっかりしてるけど、まだまだ知らな
い単語は多いようだ。とはいえ、彼の専門は元明史。日本にも留学していたく
らいだから、歴史については普通の日本人よりも突っ込んだ話ができる。

●元明と明清

 さて、彼の専門である元明史だが、元と明が一緒というのが変だなと思って
いた。一般的に、日本では元はそのままか宋と、明は清とまとめられる。
 しかし、話を聞いてみると、彼のもともとの興味は明にあり、明を理解する
ためにその前の時代である元の研究も始めたということ。そしているしか元に
はまり込んだという。もちろん、元を対象にしているので、結果的に広くモン
ゴル帝国も対象となっている。
 さらに、漢族の王朝だった明と、満族の征服王朝である清とは一緒にできな
い、と力説していた。確かにその通りだ。とはいえ、元も征服王朝だから、明
と一緒にできないのだが。
 そのような研究者だから、このフェリーで日本へ運ぶ資料の総重量は100キロ
を超えるという。
 そして、彼が日本にやってくる理由もモンゴル帝国が関係している。彼の専
門は文献史学のようなので、文献研究が必要である。
 もちろん、中国には元史のような漢字の資料はあるが、そのほかのモンゴル
帝国があった中央アジアの資料は中国語ではなく、ペルシア語で書かれている
という。たしかにそうだろう。
 ところが、中国には漢語(彼は日本語でこういった)文献が読める学者はい
るのだが、ペルシア語も分かる研究者は非常に少ないという。それでどちらも
理解できる中国史の専門家がいる京大へいくことになった。

●アメリカ人の中国観と日本観

 そのような話をいろいろ聞くことができて興味深かった。彼はどう思ったか
わからないが、日本人でも中国人でもないアメリカ人の中国観はとても興味深
かった。
 しかし、アメリカの地方でよく中国の研究ができるなと思っていたら、アメ
リカでは中国に対して興味を持つ人が少ないことを嘆いていた。確かに。万年
モンロー主義のアメリカだから、それも納得できる。外国に興味がないという
のは、一般の中国人も同じだが。
 田舎の大学ということもあるだろが、彼が言うには、一般的なアメリカ人に
とっての中国のイメージは、国民全員が武術ができる国だという。昔の日本の
イメージと一緒だ。
 あと、彼は中国の研究はすごい! こんなやり方もあるのか! と言う論文
が結構あるといっていた。簡単にいえば大学の研究とは思えないほど大雑把だ
という。その点、日本の論文は仕事が細かくていいといっていた。
 同様なことは中国を知っている日本人も指摘することだが、ぼくは台北の故
宮博物館などを見ていて民族性として漢族が大雑把だとは思えなかった。むし
ろ、社会的状況のほうが影響するのではないかと思っているのでそのことを話
してみたら、台湾には非常にいい論文を書くひとが何人もいるので、確かにそ
うかもしれないと同意した。

●瓜子

 船の旅は3日間。その間中旅の資料をまとめて話をするだけで疲れてしまう。
途中ぼうっと時間を潰したくもなるものだ。
 そのとき便利なものが瓜子だ。ひまわりの種。これを食べてると時間がつぶ
れる。ということで船の中で食べていたのだが、あまり注目されなかった。
 ただひとりだけ、「日本人はこれがおいしいですか? 鳥の餌ですよ」と中
国人からいわれた。彼は面白い人だ。
 行きのように遅れることもなく、揺れもほとんどなく、楽しい船旅だった。
 1ヵ月半ぶりに帰ってきた大阪は暖かった。電車に乗ると周りの人は完全な
冬の格好だが、ぼくは秋の格好。なにせ、ぼくが訪れた天津あたりは真冬の大
阪くらいだから。風がないのですごしやすかったが。

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