田中寒楼集

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松本正喜新婚祝句 昭和6

 

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菜の花の香に酔ふやらむ春の海    寒楼

魚島の海よりふかき御ちぎり    麦門冬

九州も島横島も島しほ麗ら       王樹

 

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紅白の椿生けたり一瓶に    車春

君手折る島の椿の赤さ哉    弥八

 

 

 

あもひで  松本死灰(「桜鯛」昭和1211月号 麦門冬居士追悼号より)

 

 駅へ自動車で馳けつけたは既に列車は停車して降客の姿も見えなかった。僕は改礼係に大牟田からの切符はないかと尋ねた。深夜ではあり、急行だから、機関庫があるために停まる糸崎駅に降りた切符は僅ですぐ に判った。僕は駅から走り出て「バクモンドー」と叫んだ。「オーイ」と返事があった。今迄うろうろしていた寒楼翁は「流石正喜君だ」と感じ入っていた。「お久しゅうこざいます」と挨拶してハッとした。実は麦門冬氏とは初対面だ。

昭和三年夏、寒楼翁が月斗先生の紹介状を手に九州行脚の折、麦門冬氏の大牟田を発って正喜の諫早を訪ねられる時、麦門冬氏より予報の一書を寄せられた。その翌日.雲仙から電報が来た。「ウンゼ ンホテル ニキテヰルスク オイデ カンローバ クモンド ー」。生憎町の歯科医師会の例会で小院の当番だったのでその旨雲仙へ電話した。以後.縁になって当時僕が出してゐた小俳誌「夕立」に寄稿して頂いたり、選をして頂いたりした。初対面と云っても所謂十年の知己だったのである。

 糸崎同人の天然居に先づ落着いて、船頭に交渉したら夜か明けてからにしょうと云うので、天然居で話し明かすことにした。当日は、寒楼麦門冬両大家並に院展の菜刀画伯を横島の沖鯛網に迎えるのを機会に糸崎で備後俳句大会を開いたのだったが、麦門冬氏は急患者のため、電報して句会に遅れ、深夜糸崎に着されたのだった。天然居では議論して夜を明かした。寒楼翁は芭蕉を、麦門冬氏は一茶を、僕は蕪村を称えて、一歩も譲らなかった。麦門冬氏は帰庵されてから、当夜は話に花が咲いて他の同人諸君を忘れてあんな議論したが、自分は飽迄同人であることを伝えて呉れと手紙で断られた。

 船頭が呼びに来たので、糸崎の諸君に別れを告げ、我等は昨夜横島から句会へ渡って来て待たせて置いた発動船に乗った。一睡してさめたら船は横島沖だ。もうしぱりは綱を曳いている。一ト先づ小庵に帰る。嫁いで来て間のない庵妻は珍客に失礼があってはと昨夜一睡もせず我等を待っていたと云ふ。麦門冬氏の電報を知らずにゐたので句会終了次第昨夜帰庵の予定だったのである。

この俳句大会と鯛網見物を機に創刊した「魚島」より句を抄録して思ひ出を新たにして筆を執ることにする。

 

  魚島へ船出浴衣や五月晴        麦門冬  

小庵の浴衣を出して着替えてもらった。伊達者の寒楼翁は旅衣のままで記念写真が小庵のアルバムに納めてある。

  鯛がつく当岐のはなの若葉哉      寒楼

  鯛が寄る当岐ばなより風薫る

  この瀬みな卵を産みに桜鯛

  燧灘に網うちかけて鯛を曳く

  見物の男女も鯛網を

  鯛をどす舷叩き美人哉

  鯛もろて掴んで船にもどりけり

  薫風や鯛網を見る人のすそ

  天が下の人見にござれ当岐鯛

  桜鯛すごい眼がつきにけり

  烏賊の泳ぐさまは恰も亀のやう

  烏賊は泳ぐことあとさまに又前に

  墨をはくこといやしくもせぬ烏賊よ

  烏賊泳ぐことの自在さ風薫ンず

 先づ当岐に船をつけたのである。当岐は横島に属してちっぽけな島である。ここの瀬には鯛がつく。丁度底曳はじめたところだった。Yをっさんの網だ。早速手舟に乗せて貰って僕等も手伝った。第六句の美人は即庵妻である。乗った乗った大小の鯛数百。ところがすぐ傍でいっしょに曳いたよその網には一尾も乗ってゐないではないか。Yをっさんは庵妻が舷を叩いた縁起だと何枚も鯛をくれた。こちらからも一升瓶を祝った。鯛ばかりでは見るのに変化がないので鳥賊やくろはぎなんども貰って船の生間に放った。

  海の春鯛網にさて化粧者      麦門冬

  魚島の鯛網衆や腰に蓑

  浴衣まくりて鯛網の板ン乱れ打ち

  鯛網のみるもひとでも雫哉

  燧灘を掬うて揚げぬ桜鯛

  魚島や腰蓑衆に祝ひ酒

  十七八の鯛もあるべししばり網   寒楼

  たちはしる鯛の叫びやしばり網

  ひうち灘ひびきてさけぶ桜鯛

  燧灘の鯛が網から舟の中

これはしばり見物である。網元はKをっさんだった。親船に乗って腰蓑を借って網を曳いたり、見送台に乗れば特等観覧席である。この網も大漁だったので鯛を貰った。この日は日曜だったので遊覧船も多かった。化粧者を積んで豪勢なのもある。網の衆に飲食物を与へて鯛をねだっていたが烏賊でも貰って引下ってゐる。寒麦両氏は僕等の顔の広いのに感心した。

  俎に外す簀板や沖膾       麦門冬

  烏賊料る慣れし手元や沖膾

  烏賊料る巧者はたれぞ沖膾

  返り血を額にうけつ沖膾

  沖膾用意忘れし皿小鉢

船を走らせつつ沖膾に舌鼓を打った。麦門冬氏は烏賊を料るのを珍しさうに見ておられた。

  船つけて醤油貰ふや沖膾希薄   麦門冬

  浦里の沖明神や桐の花      同

  堂ありてびんご神楽や風薫る   寒楼

  風かほる島の明神は祭かな    同

  舌出しの面が踊るや風薫る    同

  トンネルのやうな網干し浦祭   同

一行の大食に醤油を切らしてしまったのである。浦里を見付けて船を向けた。田島の小畠といふ小さな部落だった。祭らしい沖明神の幟が立って、小さな堂を囲んで人の黒山である。神楽だ。早速三氏を呼んで備後神楽を紹介した。三氏ともすっかり気に入って、船から再三使してやっとのこと戻られたことだった。

  風薫るくゎん音島に船がつく    寒楼

観音に舟からあがるとこに桐     同

船を阿伏兎に着けて観音さまにお参りし大悲閣から凪の海を大観した。寒楼翁はくゎん音島と云ってゐるが、一見島のやうだが実は岬である。

 薫風や一景浮ぶ玉津島      麦門冬

 玉津島は仙酔島の前はある小島で絵のやうに美しい。仙酔島に上陸して神后皇后の古蹟、善立所の四阿でアイスクリームを甜めながら勝景を満喫したのである。麦門冬氏は澤山買ったんだから俺はもう一杯おそへしておけと見事をっさんをくどき落した。 そして、尻拭紙をくれと云ったらをっさん倅の清書紙を渡した。すると.氏は字で尻を拭いては罰があたると、洋紙を揉んで柔らかくしつつ松林の中へ姿を隠した。

 愛でたさや鞆の苞酒桐の花    麦門冬

鞆にも船をつけて、名物の保命酒を買った。保命酒は備前焼の壜に入れて、藁苞を着せてある。

永き日もとっぷり暮れて帰庵した。くたびれて体か綿のやうになった。麦門冬氏は終便をきく。明日のことかと思へば今日帰らねばならぬ、と云ふ。いや驚いた。半病人の体にこの元気。

然しもう巡航船は無い。洋々、竹雪、紫峰か来て、寒麦両氏の俳話を謹聴して辞した。

 翌、朝食は麦門冬氏は御飯食はんと鯛の汁ばかり椀を更えた。記念の揮毫を願って、大鯛二枚を土産に差し上げた。

これは昭和六年のことで、これか初めての会遊で最後の会遊だった。

 以後毎年魚島には鯛の浜焼を送った。

 

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