ゴーマ通信第15号
(2001年6月23日発行)
ポスター画紹介
作:山本広介さん 題:『同感・異議』
作者からのお手紙
今回は私なぞの絵を採用していただいたということで、何か役に立つのかと思うと多少嬉しくもあります。ポスターも拝見しました。予想よりも規模の大きい集会なようでびっくりしました。
さて、あの絵に関しての感想というか思いについてですが、実のところ、描いた時はほとんど何も考えずに思うが侭に描いたというのが率直な表現でしょう。当時は私もまだ中学生でパソコンアートにも慣れていませんでしたし。ただ、今改めて言葉として感想を添えてしまえば、(無粋でもありますが)おそらく、人の二面性を深層的に?意識してた、ともいえます。暖色側の頭が発散的で攻撃的な思考を表し、寒色側が冷静、あるいはシニカルで神経の細いそれを表している、といったところかなぁ。ただ、この二頭はあくまで二つでひとつであるというのは、間違いなくあったと思います。人の内面は本人の意識する以外の場所で別の可能性を必ず秘めているというか。客観的に自意識を分析して初めて気づく自分の別な姿というか。
何だかんだ言って後付けでいろいろ語ってしまいましたが、やはり装飾しすぎないのが一番良いかと思います。
(山本広介)
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『同感・異議』という題のこのパソコンアートには、インターネット上で偶然出会いました。17才の少年が13才の時に描いたそうです。今大会の趣旨「認められる世界」ということを青少年問題を具体的な事象として考えていく中で、人の二面性を描いたこの絵に、強く心を引かれました。現実の生活の中で、私たちは本当に何に同感し、何に異議を唱えているのでしょうか。そして、認め合えない世界はどこなのでしょうか、まさしく大会へ向けての私たちの思いを描いています。
(広報部)
広報部会ポスター作成風景 こちらをご覧下さい。
ゴーマのまじめなページ第一回 仏青ホームルーム
(那珂組光照寺住職 郡島俊紀師)
「歴史を学ぶ」ってどういうことだろう
「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史と公民の教科書がベストセラーだという。ホームページを見ると、歴史教科書に記載の「戦争は悲劇である。しかし、戦争に善悪はつけがたい。どちらかが正義でどちらかが不正という話ではない。」というのが「つくる会」の原点であり、また「大きな戦争を回避するためには、小さな戦争も辞さないといった姿勢も必要なんですよ。」と彼らは主張する。
戦争協力法、盗聴法、国旗国家法など次々に「戦争のできる当たり前の国」への環境が整えられる。後は靖国神社公式参拝から国家護持、教育基本法改正、憲法改正と続く。教育で創り出すべきは、「国」にいのちを捧げる兵士ということであろう。
しかし、過去の歴史の事実に目をつぶるのは「つくる会」の人たちだけではない。「凡そ皇国に生を受けしもの誰か天恩に浴びせざらん、・・・殊に国家の事変に際し進んで身命を鋒鏑におとし一死君国に殉ぜんは誠に義勇の極み・・・」という消息はいまだに生きている。
「今日、盛んに宣伝されている自由主義史観なるものは、自由主義の名にかくれて歴史の真実である影を見ようともしない、狐火の光に酔いしれた歴史観です。」(円日成道)
現実の中の「影」に気付いたときに何が出来るか
念仏は現実の社会とは無関係であるとして、智慧の光明に照らされながらも影を見ることはなく「もったいなや、ありがたや」とその光に酔うとき、いつか来た道をまた繰り返す。仏青の例会に一歳になる子供を連れて参加してくれる会員がいる。やっと寝返りをうつようになったかと思えば、いつのまにか這い出し、もうよちよちと歩く、毎月の例会が楽しみである。しかし、この子の生きてゆく時代はどのようになるのだろうか。この子が念仏の道を歩まんとするとき、その足下に私の足跡はあるのだろうか。
「ナチスが共産党を弾圧した時、私は不安に駆られたが、自分は共産主義者でなかったから何の行動も起こさなかった。次に、ナチスは社会党を弾圧した。私は更に不安を感じたが自分は社会主義者でないので何の抵抗もしなかった。それからナチスは学生・新聞・ユダヤ人と順次弾圧の輪を広げていき、その度に私の不安は増大したがそれでも私は行動に出なかった。ある日遂にナチスは教会を弾圧してきた。そして私は牧師だった。だから行動に立ち上がった。が、もうその時はすべてが遅すぎた。」(マルティン・ニーメラー牧師)
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『ゴーマ通信 ○△□の掲示板』
私は、ある団体の役員をしている者です。今年で二年目になり中の雰囲気にも慣れ、少しばかりの余裕も出来、やりがいすら感じるようになってきました。『認められる』という言葉を聞き、役員一年目で味わったことをお話しします。
その団体の中にはもう何年も所属はしていたのですが、仕事が忙しいこともあり会合があってもいかないし、どちらかというとあまり協力的な方ではありませんでした。ところが昨年、私に役員の話が来たとき今までの私を振り返ると「絶対に出来る分けがない」と、断り続けました。しかし、なかなか引き下がってもらえずに悩んでいた時、今まで非協力的だったこんな私の存在を認めてくれるのかと思ったら嬉しい気持ちでいっぱいになり、結局引き受けることにしたのです。
しかし、そんな気持ちも束の間で、いざやり始めると自分と他の役員の方々との仕事ぶりを比べてしまい、気持ちばかり先走って行動がともなっていない自分がイヤでミジメで次第に休みがちになってしまったのです。そんなある日、一人の人が「最近出てこないけどどうしたの?みんな心配してたよ。」と、言葉をかけてくれたのです。その時、役を引き受けるまでのいきさつを思い出しました。「私は私であり、私は他の人ではない。こんな私でも必要としてくれているのだ。私は認められているのだ。」と思えた時、何かがふっきれてとても気持ちが楽になったことでした。
「認め合う」ということはいろんな言葉や行動でわかるけど、「認められる」ということはそれに加えて自分自身の受け取り方ではないでしょうか。これから私は、その時味わった思いを大切にし、日々を過ごしていきたいと思っています。
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福岡仏青ホームページ 紹介
情報化社会の流れに乗って、我等が福岡仏青もこの二月からホームページを開設しています。現在のところ、最近のゴーマ通信の記事や、仏青関連の行事予定表、寺族青年野球部の活動報告、仏青九州大会の準備状況などを掲載しています。 これまでのメディア(例えば紙媒体)だと、お寺を経由しての限られた方々にしか情報をお伝えすることが出来なかったように思います。しかし、ホームページを利用することによって、寺族仏青の方々はもとより、一般の若者の方々にも、広く私達仏青の活動をお知らせすることが出来るようになりました。
「文字だけでなく、写真やイラストも入れて欲しい」というご意見や「掲示板を作って欲しい」というコメントを参考にしながら、今後ともこのホームページを発展させて行きたいと思います。また、浄土真宗や仏青についてあまり知識を持たない方々にも分かりやすいページを目指して内容を更新していくつもりです。是非一度ご覧になり、ご意見ご感想をお寄せ下さい。
福岡教区寺族青年野球部『福岡JETA通信』
寺族青年軟式野球九州大会が、五月三一日、雁の巣球場で開催された。前日は、かなりの雨が降っていて試合が出来るかどうか危ぶまれたが、当日はうって変わっての晴天に恵まれよい試合日和となった。
福岡JETAの試合結果
***第一試合***〈対宮崎 十一対三で勝利〉
二回に打線が爆発し一挙に五点を取ったのだが、それで気がゆるんだのか、途中流れが変わり追いつかれるのでは・・・といやな雰囲気になった。二,三回宮崎を何とか三点で抑え、四回には再び気を引き締めなおした結果、十一対三とまずまずの白星スタートとなった。
***第二試合***〈対長崎 二対0で勝利〉
この試合は、前の試合とはうってかわり投手戦となった。宮崎戦から連続出場していたにも関わらず、老いを感じさせない「いぶし銀」小山田の投球と、堅い守備により長崎を0点で抑え連勝と波に乗った。
*** 決勝 ***〈対熊本 〇対二で敗北〉
いよいよ決勝である。前回優勝チームとの対戦というプレッシャーもあったのか、守備では細かいミスが目立ち、攻撃では、ランナーを出すもののなかなか打線がつながらず得点することが出来なかった。やはり熊本の実力の方が上だったのか・・・しかし、その熊本を二点で抑えることを出来たのも確かである。
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総合優勝 熊本
二位 福岡
以下長崎、鹿児島、宮崎の順
(佐賀は都合により棄権) |
好プレー、珍プレーも続出し、緊張有り笑い有りの楽しい試合だった。よい汗を流し同じように日焼けしたみんなの姿を見るとほほえましく、羨ましく思ったのは私だけではなかったと思います。各チームとも、大なり小なり反省点は色々あったと思うが、それを次の試合に生かして頑張ってほしいと思います。
福岡MVP小山田選手よりひとこと
「ふひ〜っ!疲れたのだ〜。」
広報メロン
地元の消防団に入団してはや五年が経つ。団員の中には、小学生の頃よく遊んでもらい様々なこと(いいことも、わるいことも)を教えてくれた先輩方がおられます。入団以来、その先輩らと(後輩も含め)過ごす場が出来、つい先日も楽しくボーリングをしました。私の中では何か懐かしい思いと、あの頃に戻っているような時間であります。当時を振り返ると、“遊び”のなかに皆が年齢を超え一つになろうとする目的があり、そこにはお互いが支え合う手だてがあったような気がします。(「また明日ね〜!」と言って帰っていったあの日)またこうして、あの頃の友と同じ“時代(とき)”を過ごせることに喜びを感じています。今思うことは、人間同士の様々な“経験”が思い出として残っているように思える。これからも、思い出を作っていきたい。 |