関東ロケ(1997年7月)
北陸ロケ(1997年8月)
東京ミニロケ(1998年2月)
北関東ロケ(1998年3月)
関東ロケ(1998年4〜5月)
給水塔見学会(1998年5月)
- 関東ロケ(1997年7月)
- 19日 出発
名神高速道路に乗って横浜を目指すが、彦根駅のプラットホームが煉瓦であったという情報を思い出し、寄り道(^^;)。名神に戻る途中で女子高校生二人が親指を上に突き立てて車道に出るが「あぶないなぁ」と思ってよける。直後にヒッチハイクだということに気付いてルームミラーで後方確認すると、こっちを見ている。ここでブレーキを踏めば・・・と思っても「いくらなんでも制服姿じゃねぇ・・・」と再加速(^^;)。
東名高速に移って袋井で降りる。ここは楽器(同系列会社でエンジンも ^^)メーカーとして有名な企業に出張する際に何度か降りたIC(普段は浜松ICだけど ^^;)なのだが、まさか近代建築巡りで降りるとは思っていなかった。結局は既に画像提供があったスルガ銀行袋井支店と、忠太マニアとして押さえておきたい可睡斉護国塔のみであった(他にも目当てがあったが現存せず)。
再び東名高速に乗って、降りたのが横浜なのは、売りに出していたPowerMac 6100/60AV を届けるためである。相手の奥さんのお父さんが横浜市水道局に勤めていたということを知り、いろいろ聞く。根岸の旧競馬場についても教えてくれた。このあと横須賀に移動。
- 20日
猿島に向かう船を待つが、夏休み初日とあって大混雑であった。猿島から戻ると海上保安庁の巡視船に乗せてもらえるというので、もしかしたら海堡なんかが見られるかと思って乗り込んだ。岩礁状の海堡は見れたが大きな物は見えなかった。米海軍基地の近くまで寄ったので、煉瓦のトンネルを見ることが出来た。このあと走水水源に寄り横浜に向かう。
- 21日
- 22日
- 23日
- 北陸ロケ(1997年8月)
- 21日 CP−500購入
仕事が終わって日本橋に行くが、既に時刻は7時半で、多くの店はシャッターを降ろしていた。山田ビルの向かいの細道にあるI2(アイツー)で安かったのがチェック済みなので、行って見たが在庫無し。しかたなくソフマップ・デジカメ専門店に行ったが、ここも在庫無し。ソフマップ・Mac Collection 2 に在庫が数台あったのを思い出し、行ってみると一台だけ店頭にあった! 「もしかして最後の一台ですか?」と聞いたが「いや、まだありますよ」と涼しい顔で返された。ソフマップ・デジカメ専門店に戻り、15MBのメモリを買ったが、PCカードアダプタが在庫無し。閉店準備中のI2 に戻って聞いてみるが、ここも在庫無し。とりあえずケーブルで転送できるので、PCカードアダプタはあきらめた。
帰り道で「来週からまた金いるのに、これで10万近く使ってええんか?」と自問するが「ええんや、これはロケに必要な道具なんや。」と自分に言い聞かせる。
- 22日 ロケ出発前日
仕事が終わって帰って来たが、心身共に疲れて準備に身が入らない。
関東ロケの時もこのパターンで準備不足だったことを思い出し、出発を1日遅らせることにした。
画像は、これまで頑張ってきたカメラ2台とフィルムスキャナーなど(モバイルの友、パルディオ321Sも ^^)。
- 23日 ロケ準備
1日遅らせて正解だったと実感するほど準備が足らなかった。第一、地図がない(^^;)。他にも足りない物は多く、買い物に明け暮れる一日であった。
図書館に行く途中にある、ねじりマンポの隧道を撮ってみる。複々線化した方の鉄橋には「門の前架道橋」と書かれているのに気が付いた。「煉瓦の方も同じ名前だよね?」
いつものように、近代建築ガイドブックと日本近代建築総覧と地図を調べて、最短で廻れるコースを考えるが、結構遅い時間になって(^^;)「明日大丈夫か? いや日付変わっとるぞ。」と睡眠時間が心配された。
- 24日 初日(晴天)
小浜:小浜駅給水塔、小浜聖路加教会、白鳥会館、謎の煉瓦塀
福井銀行玉前支店が見当たらないので、斜向かいの大下漆器店のおかみさんに聞いてみた。結構親しそうなお客さんと揃って親切に教えてくれる。彼女らにとって思い入れの深い建物のようで、その解体されるまでの話を詳しく語ってくれた。解体されたのが「去年くらい」と言うのを聞いて冷静でいられなくなる自分を感じた。
その反応を見てか(^^;)、他の煉瓦建築を教えてくれた。近代建築ガイドブックに「小浜市民具資料舘」とある物件は「白鳥会館」となっていた。「名前が変わっただけで良かった(^^)」
敦賀:高橋商店倉庫、旧室菊堂、敦賀市立博物館、北陸本線旧線隧道
補強工事中で通行止めになっている葉原トンネルの近くに充填材の空き缶や煉瓦が置かれている。煉瓦には「+」の刻印があった。
今庄:今庄駅給水塔
武生:武生市公会堂
煉瓦のショールームだったと言われる辻利商店は確認できず(;.;)。
福井:東古市駅舎、東古市駅倉庫
福井駅前のホテルにて。
- 25日 二日目(晴天、金沢にてにわか雨のち晴天)
加賀:加賀市中央公民館、織田理容店、共に現存せず(;.;)。
予想していた場所に平成的な公民館が建っている。公民館のおばちゃんに聞いいてみると「昭和63年に建て替えた」とのこと。ヘアーサロン・オダも現代的な(でも「あぐり美容院」的な所ではない)建物に変わっていた。
福岡第一発電所、吉野第一発電所
こういう発電所は山奥にあると思っていただけに、こんな国道沿いに揃って現存しているのが嬉しく思う。煉瓦の窓枠に合わせてアルミサッシを特注する気配りから、この建物を「まだまだ使うぞ」という意気込みが感じられる。
松任:時間がかかった割には収穫無し。
金沢:末浄水場の撮影中にわか雨に襲われ撮影中断。定番の博物館、図書館、近代文学館をチェック。最大のポイントであった浄水接合井は現存せず(;.;)。
金沢駅近くのホテルにて。
- 26日 三日目(晴天)
金沢:尾山神社神門、近代文学館、博物館を撮影。博物館見学(蓄音機のコレクションが特別展示されていた)。
津幡:津幡駅・駅灯室(ランプ小屋)。プラットホームも煉瓦です。
小矢部(石動):旧北国銀行現存せず。
高岡:配水塔、源井上屋、富山銀行、菅野邸、本保商会を撮影。陽光プリントは現存せず。
配水塔が資料舘になっているのは知らなかった。昭和4年の水道管布設工事の写真には富山銀行が写っている(必見)。
新湊:牧田組は現存せず。猫が多いので、とりあえず収穫ゼロは免れた(^^;)。→近代建築ガイドブックの地図がわかりにくかったので見逃していた。後日撮影済み→牧田組
富山駅近くのホテルにてシステムクラッシュ(T.T)。なんとか、画像データだけは回復できたが、通信関係のアプリケーション全滅(;.;)。復旧を諦めて寝る。
- 27日 最終日(晴れ時々曇り)
富山:東富山駅 駅灯室。隣の水橋駅の駅灯室は現存せず(かつてあった場所は更地のままで、煉瓦のかけらが散らばっているのが痛々しい)。
砺波:旧富山紡績(株式会社ファブリカトヤマ)。ここは広い(^^)。敷地外から眺めるだけでも充分なのだが、中に入って撮りたくなる欲望を抑えきれず、頼み込んでみると「敷地の奥の方はダメだが、事務棟・正門の辺りからなら良い」とのこと。寛大な対応に感謝します。
高山:日下部味噌醤油製造株式会社。旧醤油蔵(?)は角一亭(飲食店)として生まれ変わっているよう。
名古屋の実家に移動(北陸東海自動車道のおかげで、明るいうちに名古屋に到着)。
- 28日
ディスクの回復を試みる(何度か大阪に帰ろうと思った^^;)。
別パーティションのボリュームにシステムを移動するのに成功! なんとか復帰(一部障害が残っているが、今のところ支障無し)。
- 東京ミニロケ(1998年2月)
- 14日
北陸ロケで大活躍したデジカメは既に売られ、デジタルビデオに買い換えられていた。
知人の結婚式に出席するために東京に向かう。披露宴が終わって宿に戻ったときには既に暗くなっていたが、近くの明治学院、高輪消防署二本榎出張所の位置を確認。
- 15日
生憎の雪。ロケには最悪の天気だが、かまわず強行。聖心女学院(煉瓦塀、正門)、明治学院、高輪消防署、高輪プリンス洋館、味の素、商船大学、本郷教会、東大諸施設、岩崎邸煉瓦塀、表慶館、芸大、上野図書館、三河島下水処理場。
- 16日
天気が良くなったので再び明治学院、高輪消防署に行く。高輪プリンス会館は発見できず。十条近くの旧東京砲兵工廠施設(煉瓦壁と煉瓦塀)を見て大阪に帰る。
- 北関東ロケ(1998年3月)
- 26日
転勤で名古屋に引っ越してきたばかりで荷物も片付いていないのに、ロケの準備は進めていた。
名古屋を出発し、甲府の伊東忠太モノかつ塔モノである恩賜林記念碑に行き、平瀬浄水場に行く。軽井沢に上がり碓氷峠の煉瓦橋梁、隧道、丸山変電所を撮りまくる。旧富岡製糸工場に寄り前橋の宿に向かう。
- 27日
大間々コノドント館、桐生市水道局諸施設、桐生信金(建て替え)、伊勢崎の時鐘楼、鐘紡新町工場、高崎の若田浄水場(水道資料館)、前橋の敷島浄水場、上毛倉庫等を撮影し昨日と同じ宿に戻る。深谷や熊谷は割愛した。
- 28日
シモレン、足利、今市浄水場、日光の発電所に行くが改築済み、水戸の宿に向かう。
- 29日
三菱銀行、配水塔他、水海道学校、水戸商業、土浦一高、牛久シャトー、旧川崎第百銀行佐原支店他、成田市立図書館書庫(現存せず)、佐倉市美術館、千葉刑務所(外門から眺めるだけ)、千葉トヨペット。市川の法華経寺は割愛したが近くの国道14号線沿いに煉瓦蔵を発見。
- 30日
- 関東ロケ(1998年4〜5月)
- 給水塔見学会(1998年5月)
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