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(平成9年11月7日)
緊急特集 韓国競輪体験記(その2:到着編)
 11/ 7 1997.

私、須田鷹雄が蚕室競輪場を訪れたのは、10月31日(金)のことだった。同行者は大学時代の後輩のY氏。静岡県出身で地元選手をこよなく愛し、現在は梶原亜湖選手の活躍に期待を寄せる24歳のナイスガイである。彼は前夜、明洞のぼったくりバーで10万ボラれ(ウォンではない。もちろん、円)、かつ痛風という難病に苦しんでいるにもかかわらず(24歳だろ、おい)気迫で蚕室にたどり着いたという状況であった。ともあれ、ガッツだけはあるようだ。
 競輪場への行き方については前回を参照していただきたい。
 我々はタクシー運転手から「金曜はやってねえんじゃないかな?」というガセ情報をカマされていたので、ひょっとしたら開催していないかもしれないと考えつつ、とりあえず偵察という感じでオリンピック公園内を歩いていた。これがまた、のんびりした公園なんだ。あちこちで新婚カップルの記念撮影とかしてるし。とてもじゃないが、灰色のおやじ達が集う園とは思えない感じで。

しかし、集ってたよ、おやじ達は。
 どうやら前回書いた公園脇からの入口がメインルートらしく、我々は異端な到着の仕方をしていたのだった。しかし、オッズモニターに群がるおやじ達の気配が我々の競輪アンテナに届かないわけがない。我々2人は競輪場に感動の到着を果たした。……といってもいきなり2コーナー寄りの半端なところに着いてしまったので、ぐるっと回ってメインぽい入口へ。去る6月に観音寺競輪で国内50場制覇を果たした私だが、これでソウル競輪も踏破し、これで感動の全アジア競輪場踏破ということになる(写真1)


競輪場

(写真1)アジア制覇の瞬間


感動の踏破はいいが、いきなり困ったのが次にどんなアクションを起こしていいのかという素朴な疑問。まずもって、競輪新聞を売っている場所すら分からない。しかも周囲は英語表記すら無くハングル一色。タイ語・アラビア語と並んで「字面からの推測を許さない三大言語」の一角を成すハングルだけにこれは非常に厳しい。

そこで私は「世界の共通語・ボディランゲージ」を駆使。そこらにいた兄ちゃんを捕まえ、「新聞を読んで検討する男」のジェスチャーを繰り出した。水の江瀧子も絶賛せざるをえないそのジェスチャーは男にすぐ伝わり、ヤツは新聞売場の場所を教えてくれた。これで無事に競輪新聞をゲット(死語の世界)。返す刀でインフォメーションカウンターを発見し、出走表と日本語パンフレットも獲得(写真2・3)。これで戦うための準備は整った。こうして我々は、ついに蚕室競輪場のスタンドへと踏み込んだのであった(写真4)


パンフレット

(写真2・3)
出走表とパンフレット

パンフレット
競輪場

(写真4)蚕室競輪場のスタンドから



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