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第9回(平成10年 5月 4日)
冠号馬名馬の記念レース
 5/ 4 1998.

だいぶ前に書くといっておきながら数ヶ月が経過。たいへん申し訳ない。やっとこのテーマに入らせていただく。

要するにホクトベガの記念レースを作れというファンの声があって、それが1年前には非常に強かったわけだ。で、冠号(この場合はホクト)の付いた馬名は記念レースの対象にしないJRAの方針にも批判が集まっていたと。それについて私は思うところがあったので、ひとつコラムのテーマにしようと思っていたのだが、そのままずるずると時間が経ってしまっていた。

最初に嫌な指摘から書いておく。これは書くか書くまいか悩んだんだけどね。さすがに商業誌には書かなかった。
「冠号馬名の記念レース認めても、ホクトベガは入らないかもしれないよ」
 なんて嫌な指摘なんでしょう。自分で書いたことだけど。でも、そうかもしれないでしょう。逆にホクトベガを優先したら、クリフジやメジロラモーヌが後回しになるのか、ということにもなるだろうし。結局、馬に順序なり上下・優劣をつけることは非常に難しいと思うのである。

かつては私も「記念レース推進派」であった。ミスターシービーやシンボリルドルフの記念レースが無いのはおかしいと思ってたし。しかし、今となっては、中央に関しては全て無し(既にあるものは別として)ということでもいいように思う。
 理由はいくつかある。ひとつは先に書いたように、基準を作る難しさ。顕彰馬でもいちいち騒がれるのに、記念レースとなるともっと難しい。
もうひとつは、対象レースをどれにするかの難しさ。ゆかりのあるレースを対象にしたいのはもちろんだが、全ての馬に適当なレースがあるとは限らない。よほど基準を厳しくしないと(推進派の人の基準はかなり甘いようなので)「議席が埋まっちゃった」みたいなことになりかねない。

最後に、これが最大の理由なのだが、要するにファンの気持ちが入っていなければ空虚な形式論でしかなくなるという問題がある。
 最近の悪い風潮だと思うのだが、「馬が死ぬ」→「ブーム的な追悼ムード」→「気がつくと引き潮のように去っている」みたいな流れに非常にイヤな何かを感じるのだ。追悼が自己目的化しているとでもいうか。「悲劇に酔う」という構造については常々指摘してきたことだが、その流れで記念レースを作ってしまうことは、記念レース本来の意味とは明らかに異なる。

で、実際、ホクトベガに関してはかなりブーム的な部分があったと思うのである(もちろんそれは馬の責任ではないのだが)。ホクトベガの場合、川崎で記念レースができるという話があった。それはダート交流競走を世に知らしめたホクトベガを記念するのに非常に良い形だと私は思ったし、それがエンプレス杯であればなおさら好ましいと思われた。しかし、その段階でも一部の投稿マニアはJRAの姿勢を批判するような真似をしていたわけである。それを見るに、もう抗議なり非難なりが目的であるとしか思えないし、その勢力の後押しで記念レースができたとしても、私はその「記念」を素直に受け入れることはできない。

結局のところ、いくら形を作っても、人間の気持ち次第なのである。1年前に金切り声で記念レース創設を訴えていた人が、今ではすっかり忘れてしまっているということもありうる。1年前には何の関心も寄せなかった馬券おやじが、10年後にふと川崎の小料理屋で「ホクトベガってのは強かったよなあ……」とつぶやくこともありうる。私はブーム的な追悼よりも、後者の方が本物だと思うのである。

私はこれから毎年、ドバイに行くたびホクトベガのことを思い出すだろう。その代わり、積極的に追悼原稿を書くことはないだろうし、記念レースができなくても別に構わない。それを薄情と言われるなら、私は薄情者ということでいい。


発売中の「サラブレ」に書いたレースインプレション(ドバイワールドカップ)は本項と関連性があります。よかったら読んで下さい。



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