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第13回(平成10年 8月15日)
メジロブライト発走問題に関して
 8/15 1998.

掲示板で話題を振っておきながら色々あって時間が経過してしまったメジロブライト問題。遅くなったが私の見解を書かせていただく。

結論から言うと、「発走で問題なし」というのが私の考えである。心悸亢進もなく、跛行も認められない以上、除外する理由が無い。立ち上がっただけだから心悸亢進は無かったはずだし、乗っていた河内騎手が馬体異常は無かったと認めているようだから(←これはあるTMを介した又聞きによる情報だが)、馬体には問題なかったのだろう。「見た限りでは分からないが乗ったら分かる跛行」というのはあるが、「乗っても分からないが見て分かるハ行」というのは無い。

除外を主張する人たちは「馬の心理面の影響」を言っているようだが、確かに、馬のメンタル面に注意を払うことは大切なことである。ただ、それと今回のジャッジを直線的に結びつけるのはどうだろう。全く競走が不可能なパニック状態ならばそれを理由に除外というのも考えられるだろうが、メジロブライトの場合は外枠発走になって以降はそれほど問題はなかったわけである。あれで除外というならば、焦れ込みの激しい馬などは毎度除外になってしまう。
 また、結果として大敗したことをとり「やはり精神面での影響が大きかったのだ」とする意見もあるようだが、大敗の要因としてはホウエイコスモスから受けた不利もあるわけだ。というか、前述の「又聞き」では、河内騎手はそちらの方が大きかったと言っていたそうである。にもかかわらず駐立不良トラブルのみを取り上げるのは果たして妥当なのか。少なくとも「不利もあったとはいえ」程度の一言で片づけるのはバランスを欠くと思うのだが。
 繰り返すが、馬の心理面に配慮するのは大切なことである(私はむしろそういうことを主張してきたライターだ)。しかし、競馬を行っていく上では、あくまで総合的な判断というのものが必要となる。「馬優先主義」あたりを読んで感化されたファンが「こんなにも馬のことを思っているワタシ」に酔うのは、まあそれはそれで結構なことなのだが、それをそのまま開催執行に応用できるわけではない。馬には心理面もある、というのは事実だが、馬には心理面だけしか無いわけではない。総合的に判断してどうなのか、ということではないだろうか。

今回の宝塚記念は、売り上げの下がっている状況下での開催だったために、「売り上げ確保のための強行出走」という疑念を生みやすい環境はあった。しかし、「除外にすべきところを発走させた」と主張するならば「除外にすべき」の根拠をしっかり主張するべきなのである。それをせずに全てを「JRAの売り上げ重視主義」に結びつけるのは、本当は真っ当な評論手段ではない(競馬マスコミには真っ当な評論活動がほとんどないのだが)。Gallopの読者欄は所詮素人のすることだから仕方ないにしても、プロの原稿はもう少ししっかりしてもらいたい。例えば、騎手や調教師に取材をかけることを何故しないのか。これが逆(騎手や調教師が「発走は問題あり」と主張している状態)だったら、嫌というほどコメントが載るだろう。なのに今回関係者コメントが殆ど見えないというのは、厳しく言えば作為的な報道をしているということになる。「JRA悪の帝国論」のヒトは、「関係者はJRAの圧力を恐れて何も言えない」とでも言うのかもしれないが、メジロはマックイーン降着の時にあれだけの抗議をしたオーナーだということを思い出してもらいたい。

もちろん、私は「除外にすべきだった」という意見が存在してはいけないなどとは思わない。異論というのもあってしかるべきである。ただ、語る人間のレベルだけは問いたいと思う。例えば、北海道で後藤正俊氏に会った時に話をしたら、氏は除外派であった。私とは意見が異なるわけだが、私と後藤氏の間でこの問題に関する討論をするというなら、どちらが勝つというようなことではなく、内容のある議論ができるだろう。それは、後藤氏も私も普段からそれなりの意識をもって競馬に向かい合っている、またそれなりのバックボーンを持っているからである(本当は私なんぞは失格なのだが、競馬マスコミ界の低レベルさゆえに一定の偏差値を保てる)。ところが、各紙面ではもっと低い次元で、しかも一方通行の書きっぱなし、載せっぱなし原稿が読者の目に触れていく。この構造に対するもどかしさというのは、私の愚痴原稿をさんざん読まされてきた読者は十分お分かりのことと思うが、なんとも耐え難いものなのである。

なんでもJRA批判に結びつける原稿というのは、安易に正義の快感が手に入るからか、概して読者ウケが良いものである。しかし、それに驕っていると、本当に批判すべきテーマまでもが埋没してしまう(私は別に常にJRA寄りなわけではなく、厩舎制度など言いたいことは少なからずある)。それに加え、なんでも「JRAが悪い」に帰結させていると、ファンから考える力を奪ってしまうことにもなりかねないと思う(Gallopの読者欄はその一例であろう)。そういった副作用にもそろそろ気付くべきなのではないだろうか。メジロブライト1頭のためにえらく大げさな話になったが、しかし良いサンプルなのでこのようなことも書いてみた。「ファンが命の次に大切なお金を賭けているのにJRAは売り上げ重視主義のためにブライトを無理矢理発走させた」みたいなお手軽原稿が幅を利かせているうちは、JRAはかたくなになるだけだし、ファンは愚かになるだけだし、なにも解決しないだろう。

<追記>

 このコラムを書くにあたって、須田鷹雄掲示板では読者の皆さんに意見を述べていただくようにお願いした。コラムのアップを後にしたのは、私の意見に読者が影響されることがないよう、よりフェアな状況で書いてもらうためである。
 私の予想では「除外にするべき」派が上回るかと思っていたのだが、いざフタを開けてみると、意外に「出走やむなし」派が多く、というかむしろ優勢であった。私が皆さんを見くびりすぎていたのか、あるいはヤキの入った馬券者で諦観意識の強い人たちなのか(笑)、理由は分からないが、一般誌面とは異なる傾向だと言えよう。
 そこで思うのは、当HPではこれだけ「異論」もあるのに、どうして各地で「あれは除外が正当だった」が定説になってしまっているのかということだ(ほとんどの雑誌ではなんの断りもなく「みんなあれに対しては怒って当然」みたいなことになっている)。須田鷹雄商店だけが異次元空間なのか、そんなことはあるまい。要するに、ファンにも考える力のある人とない人がいて、考える力のない人を動員することで、多数決を利した定説作りができてしまうということだ。しかし、それは怖いことである。世の中に反対運動はあっても賛成運動はない、という例えを想起してもらえば分かるが、ある主張を声高に反対を叫ぶ勢力が、検証されることなく不当に天下を取ってしまうこともありうるわけだ。本当はマスコミというのはそういう構造に対する調整能力を持っていなければならないのだが、現状は一方の勢力に加担してしまう傾向があるようである(これは競馬マスコミに限らず、ニュースショー的な流れ全般に言えることだが)。

ちっとはバランスを取った方がいいと思うので、ここで私がメジロブライト問題に関し、「ひとり賛成運動」を行っておこう。JRA! あれは出走でOKだから色々言われても気にすんな! でもあのゲートに飛び乗った職員(JSSの人だったか?)はあまりにファインプレーだったので、できれば金一封でもあげてくれ。それだけ希望しとく。メジロ牧場もビール券とか送ってあげるといいと思う。



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(有)ドラゴンプレス