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第14回(平成10年 8月15日) |
続・POGバブルにおける須田鷹雄の位置づけは? |
8/15 1998. |
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前回のコラムに対する反響が意外に大きく驚いているのだが、単に野次馬的興味から読まれるのはちょっと避けたい気もするのである。ま、一般読者の人はいいんだけど、競馬出版物関係者で読んでる人いますね、そう、あなたです(笑)。そういう人の中には須田vsかなざわの戦いとかが勃発してほしい人もいるだろうが、私が主に言いたいのはそういう個人攻撃レベルの話ではなく、もっとマクロの話なのである。 そもそも、前回のコラムにも書いたとおり、亀和田さんもかなざわさんも、特段の悪意があったわけではなかったということは私も十分承知しているのだ。「悪意あったよ」と言われたらどうするかって問題もあるが(笑)。亀和田さんはこの世界の専門家じゃないから単純に「ああ、須田のやってる商売は上手いとこ突いたんだなあ」って思ったんだろうし、亀和田さんが掛け持ちしてる2つのPOGって両方とも私と一緒ですから。直接会った時に「亀和田さん、ああいう表現は困りますよ」って普通に言えるし、亀和田さんも「すまんすまん」で一件落着になるだろう。ただ、そういう個人間の問題と誌面に載った印象というのはまた別だから、その辺の意味で「成金じゃないよ」ってことは強調しておきたいと。どうしても成金扱いしたかったら金をくれと。そういうことです。 また、あの座談会全体のニュアンスというか、現場の状況(誌面のできるまで)というのも、私もこの世界長いからだいたい分かる。
ま、こういうところでしょう。トータルに見たところで、個人レベルではそんなに怒りは感じない。でも、公共の誌面としてはどうかと思うね。 そもそも、競馬王という雑誌はどういうつもりでこういうやりとりを載せているのか。本当は昔揉めた経緯のある雑誌だから批判書きたくないんだけど(個人的な恨みから書いていると思われるのは嫌だから)、今回ばかりはちょっと書かせてもらう。単に反対意見も載せた方がリベラルなんじゃないかというような発想で載せているなら、どこか違うのではないだろうか。それでやるなら批判としてもっと成立しているものを載せるべきだろうし、賛成派とのバランスの間であるべきPOGの姿という結論が出てしかるべきだろう。かなざわさんの言ってることはPOG批判としても的ハズレなんであって、道理を無視した好き嫌いの表明ではプロの仕事と言えない(載せてる側も含めての話)。しかも彼の場合はこれが初めてじゃないからね。 くどいようだが私が言いたいのは私的なことではないのである。かなざわさんがどれだけPOGが嫌いかというのは知っているし、なのに自分の回りでこれだけPOGが流行っていたらムカつくのももっともなことだろう。しかし、だからといってレベルの低いPOG叩きをするのはどうかということだ。それは、「俺の馬が」呼ばわりするファンと精神構造的には同じレベルではないのか。POG嫌いの人って腹立ちすぎて我を忘れちゃってるのかな。古矢徹さんとかもPOG本にPOGの悪口書いてくれたりしたし(昨年の別冊宝島)。 また、将来こういうレベルのPOG叩きが蔓延してくるのではないか、最初に書いたマクロ面ではこれが最も心配なのである。今の競馬誌におけるPOGブームというのは、前回も書いたように「これくらいしかおいしいネタがない」という発想に基づくものでしかない。ダビスタ、ジョッキー、グッズときてPOG(ちなみに次の「ブーム」は「金満王国」みたいな馬券関係になるようだ)。その程度の考えで誌面を作っている人々というのは、ブームが引いたらいつの間にか消えていくわけである。それが静かに消えていくだけならいいのだが、一部にマナー悪いPO愛好家がいるために、POGを否定する形で退出するケースも出てくるのではないか、それを危惧しているのだ。ほとんどの雑誌は今までのいきさつがあるからいきなりPOG批判はできないだろうが、それこそ競馬王あたりはドラスティックに態度を変える可能性があるからね。一応釘差しておく。 なにやら大仰な話になったが、そもそも、なんで「POGを好きな人はやる、嫌いな人はやらない」というだけのことではいけないのか。なんでPOGを嫌いな人はPOGそのものを消滅せんと欲するのか。それは我々が嫌いな人にまでPOGをやらせようとするのと同じではないのか。 |
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