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第6回(平成9年12月23日)
この昂ぶりを伝えたい!(12月20日甲子園ボウル)
12/23 1997.

土曜日、事務所で仕事に飽きてテレビをつけると甲子園ボウルをやっていた。法政対関学の一戦である。
 甲子園ボウルというもの自体御存知ない方がいらっしゃるかもしれないが、大学日本一を決めるアメフトの試合なのである。勝ったチームはライスボウルで社会人王者チームと戦う権利が与えられる。
 私はファンというほどではないが、アメフトは嫌いじゃないほうだ。せっかくの機会だから腰を据えて見ようと思い、得点を確認すると既に第3クオーター(以下、Q)まで終了して7対7の同点。両校のディフェンス陣がかなり堅い守りをしているらしく、緊迫した展開になっている。
 第4Qに入り、均衡を破ったのは法政だった。14−7。ここ10年で4回甲子園ボウルに出場し、しかし4度とも敗れている法政が優勝に近づく。72年に学生日本一になったことがあるとはいえ、ここで勝てば悲願の学生日本一、そしてライスボウル出場(ライスボウルが日本選手権となったのは83年から)となるらしい。競馬で言うならメジロライアンの宝塚記念のようなものだろうか。学生アメフト史に残る一戦ということになるのかなあ、などと思いつつ画面を見続けた。
 しかし、この戦いは私のそんな平凡な想像を遥かに凌駕することになるのである。
 まず、気迫で反撃に出る関学が、すぐにタッチダウンを取り返した。これで14−13。キックが決まれば同点、残り僅かな時間から考えて、引き分け・両校優勝になる可能性は高い。
 それでも、関学はその消極的な選択を良しとしなかった。あくまで単独優勝をめざし、2ポイントコンヴァージョンを選んだのだ(※)。もちろん、この選択が裏目に出れば1点差で負け。優勝そのものを逃す可能性が高い。結果は……。 エンドゾーン右隅、本当に最後の何センチという空間にボールは運ばれた。15−14。関学は賭けに勝った。信念が運命を動かしたと言ってもいい。たとえ敗れても、美しい挑戦として讃えられたかもしれない。しかし、関学は得点と、勝利の栄光まで引き寄せることに成功したのだ。
 ここで残り時間は約2分。法政は先ほどまで手中にあった優勝を取り返すべく、必死の反撃に出なくてはならない。いくらアメフトが逆転のスポーツといっても、かなり厳しい状況でのプレーである。
 しかし、試合は楕円形のボール以上に激しく動きを変えて転がっていくのだった。残り59秒、43ヤード地点のスクリメージラインから解き放たれたボールはRB池場に託された。池場は敵のディフェンダーを小刻みなステップワークで交わし、気が付けば誰もいない空間をひた走っていた。
 逆転のタッチダウン。20−15。キックも決まり21−15。1分を切った時間の中で、法政は再び優勝を手中に引き寄せた。スタンドの法政応援団は自校の優勝を確信して歓喜の声を上げた。が……。
 これでもまだ試合は終わらない。関学のキックオフリターンは30ヤード付近でのフェアキャッチ。エンドゾーンまではまだ70ヤード以上の距離がある。フィールドゴールでは逆転できない。しかも時間は50秒ほど。関学にとっては絶望的な攻撃であり、逆に法政にとっては簡単に防げるはずの守備だった。
 それでも関学オフェンス陣は冷静なプレーを続け、攻撃がひとつひとつ的確に決まっていく。ビッグプレーこそないものの、じりじりと追いつめるように、エンドゾーンへ迫っていく。もう攻める側の苦しさも、守る側の余裕もなくなっていた。30秒、20秒……時間を失う代わりに距離を得ていく関学オフェンス陣。必死の守りを見せる法政ディフェンス陣。その結末は……。
 残り4秒からのラストプレー。関学QB高橋が放ったパスが、エンドゾーン左隅へ、高い軌道を描いて飛んでいく。その軌道を追うように走るWR竹部。させじと迫る法政ディフェンダー。ボールが空中にあったのはほんの数秒だろうに、それはスローモーションのように、数十秒にも、もっと長い時間にも感じられた。……そしてボールは、吸い込まれるように竹部の懐に収まったのである。
 タッチダウン。21−21。ここまで何回、逆接で段落を連ねてきただろう。法政から関学へ、関学から法政へと転がり続けてきた優勝は、ついに関学のものとなりつつあった。あとはキックを決めれば22−21。2ポイントを狙った前回のプレーとは違う。キッカーは関西リーグMVPの太田。外れるわけがない。外すわけがない。
 しかし。
 これでもまだ決着がついたわけではなかった。。
 太田の蹴ったボールが、嫌な回転で飛んでいく。あれだけ広い幅があるゴールなのに、それを避けるようにボールは左へ流れていく。まさか……。しかし現実に、最後のキックは逸れてしまったのだった。
 逆転ならず。両校優勝。転がり続けた勝利はどちらのものともならず、あるいは両校のものとなり、ここに奇跡のゲームはついに終了の笛を聞くことになった。


アメフトはフィールドゴール3点、タッチダウン6点。タッチダウンの後にはエキストラポイントというプレーが付くのだが、これに2種類がある。キック(ほぼ確実に決まる)でバーの間を通すと1点追加。大抵はこれを選ぶのだが、2ヤードライン上から通常のオフェンスプレーを行うこともできる。これが2ポイントコンヴァージョンで、その名の通り2点が入る。ただしキックに比べてリスクが遥かに高いため、本当のここ一番でしか用いられることはない。

私はここまで、試合経過を、それも第4Qのみの試合経過を追ってきただけである。それでもこれだけの文字数を費やさざるをえなかった。読んでいただいた皆さんには分かっただろうが、それだけ、とてつもない試合だったのだ。
 なのに、スポーツニュースでこの試合が大きな話題になることはなかった。翌日のスポーツ紙も、有馬記念と伊丹監督自殺で一面は埋まり、甲子園ボウルは中面の、天皇杯サッカーと並びくらいのスペースでしか報じられなかった。
 冒頭に書いたように、私は熱心なアメフトファンではない。法政や関学のOBでもない。なのに、この学生スポーツ史に残るべき試合が小さくしか報じられないことが悔しくてしょうがないのだ。スポーツジャーナリズムというものがこの世にあるなら、これを伝えないでなにを伝えるというんだろう。
 もちろん私も商業メディアの事情というものは分かる。しかし、それにしてもこの試合が知られることなく終わるというなら、あまりに両校の選手がかわいそうだし、単にテレビで見ていただけの自分でさえ悔しくてならない。そこで微力ながら、せめてもの抵抗として私のHPに原稿を書いた次第である。
 もちろん、アメフトに逆転劇はつきものだし、選手のレベルを言うなら、例えばNFLとは比べものにならないだろう。それでも、感情を揺すぶられる試合展開ということでは、本当にこれ以上ないというほどの試合だったのだ。
 何度も言うが私はこの試合と本来なんの関係もない人間である。それでも「奇跡」が起こるたびに興奮の極みに達し、逆に辛い立場になった選手を画面で見ると、その心情が痛いほどに分かるような気がした。竹部がキャッチした瞬間には血液が沸騰しそうだったし、逆に唇をかみしめ頷く法政のキャプテンを見ると、同じように切ない気持ちになるのだった。池場が独走になった時には自分が走っているような気分になり、キックを外した太田の泣きじゃくる姿が画面に映ると、自分の涙腺にまでこみ上げるものがあった。
 馬鹿馬鹿しいと思う人もいるかもしれない。でも、我々がスポーツを見るのは、こういう昂ぶりを得たいがためのはずである。そして、スポーツジャーナリズムのひとつの使命は、その昂ぶる機会を皆に提供することだろう。なのに……。いや、愚痴の言い過ぎは良くない。過ぎると試合そのものを汚してしまうかもしれない。試合の素晴らしさを考えればどう報じられるのかなんて小さな問題なのかもしれない。とにかく両校選手の健闘を讃え、熱い試合をありがとうと言いたい。
 私はスポーツジャーナリストなどという偉そうなものではないが、自分の昂ぶりを伝えたかった。伝えるために文章を書いた。長い文章を最後まで読んでくれて皆さん、ありがとう。


追記:ライスボウル出場権はコイントスの結果、法政が獲得した。相手は社会人王者の鹿島。1月3日、東京ドーム……行くしかないだろ!



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