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第14回(平成10年 5月 7日)
読売の野球はアメリカの戦争と同じ!?
 5/ 7 1998.

掲示板を見るに「野球の話題は意外と食いつきがいい」ということが判明したので(笑)、引き続き野球でいかせていただく。

私は言うまでもなくアンチ巨人なわけだが、なにが嫌っつって、「アンチ巨人というのは、結局巨人軍の存在の大きさを認めてるがゆえのものでなんたら」とかいう物の言い方ね。それは70年代までのアンチ巨人でしょう。本当にジャイアンツが強かった時代の。今のアンチ巨人っていうのは、江川事件を頂点とする「まだ盟主とか言い張ってなりふり構わない読売体質」に対するツッコミだと思うのである。まずはその辺から整理しとかないと。野球経営上の反読売っていうのはあっても、ベースボール文脈での巨人に対する対抗意識っていうのはもう無いと思うんだけどね。実際ジャイアンツ、別に常勝じゃないし。個々の選手ともかく、戦い方として参考にすべき点もないし。

 それはさておき、私は最近のジャイアンツの「とにかく取ってこい」的な野球には魅力を感じない。96年に日本シリーズで対戦した時に(私が対戦したわけじゃないっすね。オリックスが対戦した時)痛感したのだが、巨人の野球には美学がないのだ。パラメータの高い選手を集めりゃなんとかなるだろうという、まるでファミスタのような発想。ナベツネの表現ではそれが「経営努力」ということになるようだが、経営の努力はしていても、野球上の努力は皆無なのではないだろうか。

なまじ資金が潤沢にあるからそういう事態になるわけだが、言ってみれば「アメリカの戦争」のようなものだと思うのである。物量勝負、大量殺戮どかーんとカマせばなんとかなるだろうっちゅうやり方。それは例えば古来からの兵法論とは対極にあるもので、おそらく戦争マニア(←というジャンルがあるかどうかはよく知らないが)には無粋な戦い方として人気がないはずだ。野球でもコアなマニア(例えばベースボールマガジンの読者欄とか)にはアンチ巨人が多いわけだが、それはやはり無粋な物量野球に対して空しさを覚えるからだろう。
 そういえば、アメリカと巨人軍の間には他にも共通点があるな。時代錯誤な「俺が主役だ」的世界観を持ってるところとか、自己の利益を公共の利益とすり替えるところとか。合法でありさえすれば人の道に背いても構わないという姿勢も(笑)。人望で人を寄せ付けるタイプというよりは力で屈服させるタイプ、と括るのもわかりやすい。そうやって例えていくと江川事件ってのは枯葉剤か(笑)。

ま、アメリカの喧嘩の強さや、読売の資金力に酔いたいタイプのファンがいることは、それはそれで理解できる。しかし、そういう戦い方って、勝ってやっとトントンっすよ。負けたら目もあてられない。
 そのことは、30億円補強のあげく昨年どうだったかを想起してもらえれば分かるだろう。あと、ダイエーね。ダイエーはプチ巨人になろうとして、あげくの果てに親会社が経営難という最悪のシナリオ。ま、巨人とダイエーを全く同じに論じるのは正確な論議ではないのだが(読売はメディアを持っているという決定的な悪質さがある)、思想の無い野球の行く果てがどんなものか、という意味においては巨人ファンにも参考にしてもらいたいところである。

ちょっと果てしなく長くなりそうなので、とりあえず今回はここまで。続きはまた次回。
<追記>
 アンチ巨人ネタばかりを書いていると「反巨人のための反巨人」と思われそうだが、私は野球をする(我々の側としては、見る)上でみっともないものは全て嫌いである。
 例をあげると、ひと昔前のロッテの負け犬根性(笑)。インチキ首位打者問題(これは松永が絡んでるだけに俺はうるさいよ)とか、目前での胴上げを阻止するための抗議引き伸ばし事件とか。今の千葉ロッテは当時に比べると良くなったと思うが、ああいう「自分さえよければ」的なやり方は、要するにナベツネと同次元だろう。金を持ってないナベツネ。最悪(笑)。ま、インチキタイトルは他球団にも例があるけどね。
 あと、弱いことが恒例化した阪神&阪神ファンってのもいかがなものか。なんだかんだ言ってもホントは本気で優勝目指してる、というのでなくては球団として存在する意味が無いと思うんだけど。ネタとして消化するにもほどがあるでしょ。



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