夏が逝く(1990年6/21リリース)

 タイトルはわからないけど「宇多田ヒカルさん」の曲を聴いたとき、(「・・・恋に落ちても・・・。」というサビに歌詞がある曲)この曲を思い出した。
特に理由はない。曲調だろうか、歌い方だろうか。巷で騒がれているほど改めて凄いとは思わなかったし、音楽シーンを塗り替えるなんて大げさな感覚は持たなかった。確かに「いい」と、おもったけど、「夏が逝く」が僕の中で流れたのも確かである。僕は、早くから売れる、売れないではなく、自分にとっていい曲に巡り会えていたのかもしれない。
「すき」という感覚が「大切な人」に変わるまでの間に、いろんなものに押しつぶされてしまいそうになる。たとえば「変な噂をたてられたくない」という照れから「あいつはただの友達」といってしまった変な意地と後悔。そんな些細なことでずれていくくらい、頼りなく揺れる心。
5年もつきあってるのに一枚の写真もないまま過ごしてきた。お互い、恥ずかしさを押し殺して相手に渡す写真を用意はしてるんだけど、最後になって「まぁいいか、今度で」二人の夏は、来年も来る、と思っていた。
 仮に同じ海に一人できても、二人で見たときの海にはならない。あの日は永遠にあの日のままで、心の記憶にしか残ってない。しかも新しい記憶に書き換えられることはない。二人で見た夏は、二人でいてもその夏、その日だけのものである。それを一人で抱えるには、それがいつまでも永遠に続くことに気がつくと、あまりの切なさに負けてしまいそうになる。
大切な人は、別れて記憶になると帰ってこない。こんな当たり前のことに気がつくのが遅いのである。「やりなおせるなら・・・」逝った夏は戻らない。どんなに願っても、時間は帰ってこない。会いたい人は、別れさえしなければ、いつかは会える。ずっと好きで居続けさえすれば、いつかはずっと一緒にいられるようになる。こんな当たり前のことがなぜ?
ジャージーな感覚の曲。ふきのとうを知らない人はびっくりする曲の一つだろう。ふきのとうファンにとっては、当たり前にふきのとうのふきのとうらしい曲の一つである。
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