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オペラ「夕鶴」
第44回大阪国際フェスティバル

日時
2002年4月14日(日)午後3:00開演
場所
フェスティバルホール
独唱
釜洞祐子(つう)、小林一男(与ひょう)、今村雅彦(運ず)、松下雅人(惣ど)
合唱
堺市少年少女合唱団
演奏
京都市交響楽団
指揮
現田茂夫
曲目
團伊玖磨…歌劇「夕鶴」
座席
Lサイド1階P列17番

春になって

 あまりにも早すぎる春の到来に桜も慌てて散ってしまいました。今ではもうツバメが巣作りに励んでいます。
 この演奏会は「朝比奈隆の軌跡2002」の1日目と見事にバッティングしていて、チケットを購入する際どちらを選択するか苦渋の選択を迫られましたが、ご存じのように今となってはその心配も消滅してしまい、喜んでいいのやら何だか複雑な心境となってしまいました。

ジャパニーズ・オペラ

 日本のオペラにも傑作は数多ありますが、この「夕鶴」は間違いなく日本を代表するオペラだと思います。その「夕鶴」が生誕50年の節目に初演の地・大阪に帰ってきての上演となりました。
 このオペラを作曲した團伊玖磨さんも去年中国で客死し、彼のほぼ1周忌みたいな様相もありました。

 どうでもいい話しですが、このコンサートのチラシに使われてた写真で、つうの顔にぼかしが入っていたのが気持ち悪かったです。後に配られたものにはぼかしも取れ、隅に「提供/日生劇場、つう=松本美和子」とクレジットが入っていたので、最初は版権関係の具合が悪かったのだろうと邪推しています。

團伊玖磨…歌劇「夕鶴」

 オケの配置など
 座席に着くと、舞台上では緞帳(どんちょう)が降ろされていて、オーケストラピットが沈められていました。
 ピットを覗くと、チェロとコントラバスが左側へ寄り、管楽器が右側へと寄せられた配置をしていました。編成もホルンとトロンボーンが2本の2管編成で、その他にハープと小太鼓、大太鼓などの打楽器も見ることが出来ました。
 やがて開演時間がやってくると会場の照明が落とされ(シンフォニーコンサートに比べるとかなり暗い)、指揮者の登場となりました。しかし現田さんの姿は1階席からはほとんど見えず、拍手も2階席を中心に起こりました。

 舞台セットなど
 序曲に続いて幕が上がると、シンプルで抽象的なセットが眼前に広がりました。演出をしたのは「夕鶴」ならこの人と呼ばれる小栗哲家氏です。
 白を基調とした、料理に使うボウルの底のような舞台で、右隅に障子をイメージするような三角の衝立があり、そこが与ひょうとつうのわび住まいを表していました。そして舞台上空には帯状の布を折って角を出したものが浮かび、空に流れる一筋の雲のようでした。また雪が音もなく降りしきる様は思わずため息が出るほど美しく幻想的でした。
 舞台の両脇には台詞を表示する電光掲示板が1本ずつ立てられていましたが、歌われるのが基から日本語だったことと、歌手の言葉がきちんと聞き取れたことがあり、そちらへ目が取られる分だけ不要だったのではなかったと思いました。

 台本など
 基になった物語はあまりにも有名で、これを知らない日本人はモグリだと言える「鶴の恩返し」です。これを木下順二氏が完璧な台本に仕立て上げたのをテクストとしています。
 オペラの台本というと表現の制限上、そのほとんどが単純明快で解りやすいものですが、この台本は演劇で使われるものをそのまま使っているため、必要最小限ものが無駄なく配置され、日本語を大切にした非常に美しいものとなっています。しかも内包されるドラマは深く、哀しく、この台本を選択した時点で、このオペラの成功は約束されていたものと思われます。
 音楽自体もドラマティックな設計がきちんとしたもので、2時間にも及ぶこのドラマをまったく緩くことなく聞かせてくれます。ただ口ずさめるメロディがほとんどないこと(これは西洋音楽のメロディと日本語のイントネーションとの融合という西洋音楽導入以来の命題)と、私が想像する「夕鶴」の世界よりやや雄弁なオーケストレーションをしていたのが、期待していたものと若干ずれたものとなっていました。

 歌い手など
 全員白熱した舞台だったことは言うまでもありませんでしたが、なにより全員の声が良く聞き取れたことがオペラにしては意外で、出演者の技量の高さを表していたと思いました。
 プリマドンナの釜洞さんの透明で清楚な声はつうに良くマッチしていて、大変素晴らしいものでした。
 与ひょうの小林さんもバカで正直者の与ひょうを上手く表現していて、この役の誠実さが伝わってくる演技でした。
 悪役の惣どを演じた松下さんは腰の入って堂々としたワルぶりが見ていてスカッとしました。悪巧みも根の純朴な所から出ているため心底から憎しと思われない演技はかなりのものでした。
 なにより運ず役の今村さんのコミカルな演技がツボにはまりまくっていて、この役の良いことも悪いことも素直にやってしまう性根の良さがビシビシと伝わって来ました。演技にまったく無理がないと感じるあたり、今村さんがこの役を当たり役としていることも充分頷けるものでした。
 オケや指揮者には取り分けなにもありませんが、歌手のジャマをしない、サポートに徹した堅実な演奏だったと言えます。

 内容など
♪ばあやに きせる ふとぬうの
   じいやに きせる ふとぬうの
 この童歌から舞台は一気に夕鶴の世界になりました。こどもたちを演じた堺市少年少女合唱団の子たちも可愛らしい演技でした。
 この冒頭から与ひょうがつうの機を織っている姿を見てしまうまでが第1幕で、ここの見所はつうの「あんたはわたしとは別の世界の人になっていく、わたしはいったいどうすればいいの」のアリアで、このアリアが歌われた後は一旦オケが止まり会場からは「ブラボー」の歓声が起こりました。
 またスコア上の演出で感心したのは、与ひょうがつうに鶴の千羽織を織ってくれるよう頼むシーンで、今まですべて歌で進められていたのにいきなり与ひょうが「だから、つうよ布を織ってくれ」としゃべり出した所です。この異化効果は強烈で、純真さを失った与ひょうの言葉に驚愕するつうの心情(つうは純真な心を持つひとの言葉しか聞こえない)が痛いほど伝わってくるものでした。ですから、この後つうは大雪のなか外に飛び出し、与ひょうをそそのかした惣どと運ずを捜し、「あのひとを私から奪わないでおくれ」と叫ぶ姿は鶴の化身といったものを越えた鬼気迫る怒りに満ちたもので、思わずゾクリとしてしまいました。
 また与ひょうがうたた寝をしているときに、巾着袋の小判を取り出し、「みんなこれのためなんだわ」と呟く際にもそれまで雄弁に鳴っていたオケが沈黙し、底知れぬ憤りと哀しみを感じさせました。
 そして再び布を織れば「死んでしまうかもしれない」と思いながら、与ひょうが自分のもとに帰ってきてくれるのなら構わない、と決心する件は胸が痛くなり、すっかりつうに感情移入してしまいました。
 で、そのつうが機を織る姿を惣どと運ずにそそのかされて見てしまった与ひょうが、「つうがおらん! つうがおらん!」と表へつうを捜しに行く姿を見て、バカな奴と思いながら、あまりにも純粋すぎるふたりに見てるのが辛くなりました。ここで一旦幕が降り、休憩が入りました。

 第1幕終了の時点で1時間半が経過しており、あとは30分ほどのクライマックスを残すのみなのだから、全1幕ものとした方が良いような気がしましたが、取り敢えずテンションを入れ直して第2幕に臨みました。
 ふらふらになりながら2枚の布を与ひょうに渡し、「1枚は売って、もう1枚は大切にしてね……」と別れのアリアを歌う箇所では、あまりの哀しさに思わず涙ぐんでしまいました。
 別れを告げたつう(この時の衣装が鶴をイメージさせるもので素晴らしかった)を下からふわっと布が包み込み、ゆっくりと天へ登っていくと、いつの間にかつうの姿は消えていました。
 「つうよ……、つうよ……」と慟哭する与ひょうを後目に、
♪ばあやに きせる ふとぬうの
   じいやに きせる ふとぬうの
 と登場した子供達が「おばさん、あそんでけれ。おばさん、おらんのけ? いつ帰るのかの?」と歌います。
 ここで子供のひとりが
「あっ、鶴だ! 鶴だ! 鶴が飛んでる!」
 と叫ぶと出演者全員の視線が右の空から左の空へと注がれました。
「ふらふらしながら飛んでいきよる」
 本当はいないはずなのに、この私の目にも夕焼けの中ふらふらしながら飛んでいく鶴の姿が見えました。
「つうー!」
 大切な布を片方落としながらも力の限り叫ぶ与ひょう。愚かしくも与ひょうの落とした布を狙う惣ど。ここで緞帳がゆっくりと降ろされ、2時間半にもおよんだこの歌劇も感動的に終わりを告げました。

おわりに

 幕が降ろされると会場からは大きな拍手が湧き起こり、すぐさまカーテンコールが行われました。
 子供達、惣ど、運ず、与ひょう、つうの順番に現れるとその度に盛大な拍手が湧き起こりましたが、最期のつうが登場すると一際大きな拍手と歓声が舞台に送られました。
 この後、指揮者の現田さんもステージに現れ、5人手を繋いでのカーテンコールとなりました。
 やがて幕が降ろされ、客席の照明が灯されると観客はまだ興奮冷めやらぬまま会場を後にしました。

 総じて、感動的な「夕鶴」に触れることができて大満足だった演奏会でした。

 さて次回は高関さんと大阪センチュリーによるブルックナーの4番です。
 群馬響とのブルックナーが一部で高い評価を得ていますが、実際に聞くのは初めてです。さてさてどんなブルックナーを聞かせてくれるか大変楽しみにしております。

 と、書いてましたが、このコンサートには残念ながら行くことが出来ませんでした。ですので次回はマズア&NYフィルの京都公演となりました。
 難曲なのにやろうとする人が結構いるブルックナーの3番がメインの演奏会です。さてさてどうなりますことやら。


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