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BC149年 第3次ポエニ戦争(〜BC146年)


 カルタゴは第2次ポエニ戦争のあとも商業国として繁栄していた。
 第2次ポエニ戦争の講和の際に「カルタゴはローマの了解なしにアフリカ内の近隣国と開戦することを禁じられていた」のであるが、これを利用して隣国のヌミディア王マシニッサはしきりにカルタゴ領を浸すとともに、ローマがカルタゴの開戦を承認しないよう策を巡らせた。ローマの元老院にも大カトーなどのカルタゴ撃滅論が強く、カルタゴの応戦は了解されなかった。
 カルタゴが耐えきれずにヌミディアを攻撃すると、ローマは条約違反とみなして大軍を送った。カルタゴはローマに使者を送って申し開きをしたが許されず、逆に、カルタゴの武装解除・カルタゴ市民の海岸から10マイル以上への立退・カルタゴ市の破壊を命じた。
 この命令に激怒したカルタゴは、決死の籠城戦を覚悟した。女性や解放された奴隷も戦闘に加わり、3年のあいだ抵抗を続けた。ローマははじめ攻めあぐねたが、スキピオ・アイミリアヌス(注)が指揮を取ると、猛攻の末にカルタゴ市を陥落させた。
(注:ザマの戦いの将軍スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ)の長子の養子。小スキピオ。)
 降伏した際に生き残っていた5万人はカルタゴ総人口の1割であったという。彼らはすべて奴隷として売られた。また、カルタゴ市街は更地になるまで17日間燃やされた。



【参考ページ】
第1次ポエニ戦争
第2次ポエニ戦争
第3次ポエニ戦争(このページ)





参考文献
「世界の歴史5 ローマ帝国とキリスト教」弓削達著、河出文庫、1989年
「クロニック世界全史」講談社、1994年
「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年
「新制版 世界史辞典」前川貞次郎・会田雄次・外山軍治編著、数研出版、1983年


2003/10/13

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