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人類はなぜ直立二足歩行したのか


 人類が類人猿(チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、など)と異なる点は、従来、次の点が挙げられていた。
  1 直立二足歩行に適応したこと
  2 道具を作ること
  3 火を使用すること
  4 言語を使用すること

 しかしながら、2の道具の作成については、ごく一部の類人猿ではあるが、道具をつくるものがいることが確認されている。詳細については、 霊長類の誕生 のページの【類人猿の文化(道具の作成と使用など)】の項目を参照してください。
 3の火の使用については、いつ・どのようにしてそれを会得したのかはっきりわかっていないが、人類が誕生した後、原人のころではないかとみられている。
 4の言語の使用についても、はっきりわかっていない。人類以外の動物においても、鳴き声で危険を知らせたり、求愛を行なったりする動物はいる。類人猿やイルカ、クジラなどが良く知られている。

 結局、2〜4のいずれも、類人猿と人類との境界線を示してはくれない。現在、その境界線は1の「直立二足歩行に適応したこと」によって区切られている。
 人類の誕生は生物遺伝子の研究やこれまでに発見されている化石などから判断しておよそ800万〜500万年前とみられ、アフリカの類人猿のなかから人類へ進化したものと考えられている。発見された化石から直立二足歩行していたかどうかが判断できる場合もあるが、この時期の化石は十分発見されていない。現在でも新しい化石の発見が続いており、新しい事実の解明が期待されている。
 詳細については、 300万年前より古い人類化石発見についての新聞報道 のページを参照してください。

 このため、人類がなぜ直立二足歩行に適応したかは、まだはっきりとはわかっていない。
 これまで、一般的には、次のように説明されてきた。
「アフリカの熱帯雨林が気候の変化によって減少したため、一部の類人猿は樹上から降りて草原のサバンナで生活するようになった。これに対応するため直立二足歩行に適応した。」と。
 しかし、この説には明確な証拠があるわけではなく、熱帯雨林が減少した時期と人類が直立二足歩行に適応した時期にずれがあるのではないかとする説もある。ここで注目されるのが、類人猿から人類への変化が起った一時期、水中での活動に適応した生活を送っていたのではないかとする説である。この説に基づけば、「なぜ人間は体毛が少ないのか?」「なぜ人間は向かい合ってSEXをするのか?」といった類人猿との相違点につて説得力のある説明ができる。

 いまのところ従来の説を有力視する学者が多いが、従来の説も新しい説も確たる証拠はなく、いずれも仮説の域を出ていない。新しい説のあることを知っておくことは、人類についての認識を深めるために有益なことだと考える。
 以下にみる3つの説(「アクア説」「ネオテニー説」「サバンナ説(従来の説)」)は、参考文献に掲げてある エレイン・モーガン(イギリスのテレビ番組の脚本家であった。)の著作などを基にまとめたものである。


【アクア説】
 人間の類人猿とは異なる形態のうち、次のものは水中で生活する生物の形態に似ている
 1 人間は類人猿と比べると体毛が少なく、皮下脂肪で体温維持をしている。また、人間の毛の生える向きは、泳ぐときに流れる水の向きに一致するという。
 2 人間は、向かい合ってセックスを行なう。水生生物では一般的だという。
 3 生まれてすぐの赤ちゃんは、水の中で泳ぐ。ただし、10か月程度を過ぎると、そうはいかないという。また、ロシアのある産婦人科医院では、水中での出産を一時期行なっていた例がある。
 これらの例のとおり、人間には類人猿とは異なる水中生物と似た形態があることから、一時期、水中活動を中心とする生活を行なっていた時期があったと考える。その時期に、水中での二足歩行を行い、泳ぐための直線的な体型を身に着け、人類への一歩を踏み出したのではないかというのが、アクア説である。

 この説は、オックスフォード大学のアリスター・ハーディ教授が1960年に「ニュー・サイエンティスト」誌に論文を発表したのが最初で、その後、エレイン・モーガンが大きく取り上げいくつかの著作を発表している。なお、ドイツでも、1942年に、マックス・ヴェシュテンヘーファー教授が、人類進化に関する著作でアクア説的な着想を述べていることがわかった。
 エレイン・モーガンの著作である「人は海辺で進化した 人類進化の新理論」のなかで、アメリカ・ワシントンDC・海軍調査研究所のレオン・P・ラ・リュミエール・ジュニアの著した興味深い論文が紹介されている。その概要は、次のとおりである。アフリカ・プレートとユーラシア・プレートがぶつかり合って地殻変動を起こしていた期間のある時期(670万年前〜540万年前の可能性もある)に、現在のエチオピア北東部海岸線にあたるダナキル地塁(マイクロプレート)が大陸から離れて島(ダナキル島)となっていた可能性があり、この島に取り残された類人猿は森林が減っていくなかで周囲の海に頼る生活を強いられて「アクア説」のとおり人類に進化していったのではないかとする。更に、この島がアフリカプレートとつながった時、まずアウストラロピテクスがアフリカの大地溝帯を通って南アフリカまで広がっていき、次に遅れてホモ・ハビリスがアフリカへ進出したのではないかとする。また、ダナキル島にあった火山から噴出す溶岩は、海岸に広がる礫(れき。小石。)の上を流れて礫を砕き、これを見て礫石器の利用を思いついた可能性があるし、溶岩に焼かれた動植物を食べて火の利用を体得したかもしれないとも述べている。
 もうひとつ、エレイン・モーガンの別の著作である「進化の傷あと 身体が語る人類の起源」のなかでも、興味深い論文が紹介されている。それは、アメリカ・メリーランド州のアメリカ癌研究所の研究チームのG・J・トデイロー、C・J・シャー、R・E・ベンヴェニステの3人によりまとめられた論文で、後に「ネイチャー」誌にも同内容の論文が発表された。論文の概要は、霊長類のヒヒ内在性C型ウィルスのDNAを遺伝子中に持っている。このウイルスに感染するとウイルスのRNAがその動物の細胞内でDNAに組み込まれて親から子へ伝えられていくが、ヒヒの場合はすでに発病しなくなっている。このウイルスが猛威を振るった時期には、他の霊長類に感染して発病したと考えられるが、今は感染力がなくなっている。調査結果によると、現在アフリカに住む全てのサルと類人猿からこのウイルスに対する抗体が発見されたが、アフリカ以外(南アメリカやアジア)を原産とする霊長類はこの抗体を持っていないことがわかった。ここで特異な点は、ホモ・サピエンスだけは、アフリカの原住民も含めて、この抗体を持っていなかったことである。そうすると、ホモ・サピエンスはアフリカ以外の地で進化し、このウイルスの脅威がなくなってからアフリカ大陸へ進出したという結論が導き出される。エレイン・モーガンは、ここでのアフリカ以外の地域には、上記のダナキル島が含まれるかもしれない、なぜなら、この島はアフリカ大陸と隔絶していた可能性があるからと述べている。

【ネオテニー説】
 「ネオテニー」は日本語では「幼形成熟」で、動物が幼生形のままで成熟する現象をいう。ネオテニー説では、次のような点を指摘し、祖先の類人猿から幼形成熟することによって人間への道を進んだとする。
 1 人間の頭の形は、類人猿の幼児の頭の形に似ている。
 2 人間の幼児は母親とともに過ごす期間が非常に長く、また、大人になるまでに長い時間をかけている。そして、寿命も類人猿に比べるて非常に長い。

【サバンナ説】
 従来から定説となっている説で、アフリカ大陸の気候の変化で森林が減ったため、草原であるサバンナに下りて生活したことが人類への進化につながったとする説である。
 1 食物が制約されるようになったため、草食から雑食となり、集団で狩をするようになった。手で武器を持ち、二本足で走るようになったと考える。
 2 草原で直接日光を浴びるようになったため、体毛がなくなり、汗をかくようになったとする。しかし、サバンナに生息するほかの哺乳類は体毛がなくなっていないのはなぜなのか、疑問が残る。
 3 狩のための武器やしとめた獲物を切るための道具などを工夫するようになり、知能が発達して脳が大きくなった。



【参考ページ】
霊長類の誕生
人類の誕生


【LINK】
LINK 社長室
・・・片岡電業社社長の片岡和憲さんのページ。このなかで、ライアル・ワトソン著「アースワークス」のなかの「水生のサル説」が紹介されています。





参考文献
「人は海辺で進化した 人類進化の新理論」エレイン・モーガン著、望月弘子訳、どうぶつ社、1998年
「進化の傷あと 身体が語る人類の起源」エレイン・モーガン著、望月弘子訳、どうぶつ社、1999年
「人類の起源論争 アクア説はなぜ異端なのか?」エレイン・モーガン著、望月弘子訳、どうぶつ社、1999年
LINK インターネットの「goo辞書:国語辞典」から「ネオテニー」(三省堂提供「大辞林 第二版」より)


更新 2003/8/21

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