北京原人の化石と石器北京原人(シナントロプス=ペキネンシス)の化石は、中国の北京郊外の周口店で、1927年に発見された。 周口店にはいくつかの調査地点があるが、最も早くから調査され、多数の人骨を出土して著名なのが「猿人洞」と呼ばれる第一地点である。ここは、石灰岩洞窟が崩れた結果形成された亀裂で、内部の堆積は40mにおよび13層に区別されている。13層のうち10層が前期旧石器時代、3層が後期旧石器時代とみられている。前期旧石器時代からの出土化石は、46万年から23万年前という測定値がえられている。 ここから出土する石器には礫器と剥片石器があり、礫器にはチョッパー、剥片石器にはスクレイパー(削器)・尖状器・彫器などがある。 石器の種類については、次のサイトが参考になりなす。 埼玉県立博物館 ≫ 人類博物館 500万年進化の旅 ≫ 世界の人類進化と道具 ≫ 石器の拡散 鹿の肉を好んで食べていたようであり、その骨が焼け残っていることから、火を使用していたと考えられている。また、獣の骨は砕かれており、髄の部分も食用にされたらしい。人間の骨も砕かれており、頭骨は頭蓋底の部分がこわされており脳味噌が取り出された可能性がある。食用にされたのか宗教的な意味があるのかはいまのところ不明である。 また、大量の焼けた榎の実が見つかっており、これは植物を食用としていたことを示す東アジア最古の例である。 従来この遺跡は人の居住跡とみられているが、数十メートルという深さをもつ洞窟が居住に適しているかとの疑問が出されており、洞窟内の灰や焼土も自然発火によるものではないかとの意見もある。 【その他のアジアの原人および遺跡】 西候度遺跡 中国山西省。多数の動物化石、石器、加工痕のある鹿角、焼けた獣骨が出土した。 古磁気測定年代から約180万年前とされた。動物化石に絶滅種が多いことも、この年代を支持している。 この遺跡について2点の異論が出されている。ひとつは、石器は自然に割れてできたもので、鹿角の加工痕は堆積の過程によりできたものであり、焼けた獣骨は自然の発火によるものではないかというもの。もうひとつは、測定年代が古すぎるのではないかというものである。 元謀(げんぼう)原人 中国西部の雲南省の北部山地の元謀県で、人の2本の上顎門歯が発見された。古磁気測定から約170万年前のものと考えられている。歯の裏側がシャベル状に窪んでおり、モンゴル人などアジア人の特徴を備えている。北京原人よりも原始的な特徴を備えている。 また、石英製の石器も出土している。石器には、スクレイパー(削器)と石核がある。 ともに出土している動物化石は、ほとんどが絶滅種であった。 火の使用を示す木炭のかすも発見されている。 この遺跡についも測定年代が古すぎるとする異論があり、50から60万年前とする意見もある。 藍田(らんでん)原人 中国陝西省南部の藍田県にある藍田遺跡群は、公王嶺遺跡と陳家窩遺跡からなる。公王嶺遺跡の年代については、古地磁気測定によって、115〜75万年前の間で異なった数値が出されている。 人の頭蓋骨、下顎骨が発見されている。頭蓋骨は厚く、眉上隆起が大きく、額が扁平で後方に傾斜しており、脳容量は約780ccで、原人段階のものとされる。 石器は、この頭蓋骨の出土位置よりも上層で発見されており、年代の新しいものである。形態が不規則で、礫器と剥片石器からなる。礫器にはチョッパーが、剥片石器にはスクレイパー(削器)があり、このほか石球が出土している。 また、動物化石も出土している。三門馬・リデッカイノシシ・野牛など北方草原地帯のものもあるが、量的には南方のパンダ・剣歯象系のものが多く、当時の環境が現在よりも温暖湿潤であったことを示している。 朝鮮半島の原人 咸鏡南道で勝利山人の歯が発見された。 また、京畿道全谷里の河成段丘上の遺跡から、石英製のハンドアックス(握斧)、クリーヴァー(ナタ状石器)などの石器が多数発見されている。この種の石器は、韓国各地から発見されている。 ベトナムの原人 ラン・ソン県の洞窟群では獣骨の堆積のなかからホモ・エレクトスの化石が発見されている。 タイの遺跡 少なくとも60万年はさかのぼるとみられる3つの遺跡が発見されれいる。 【アジアの前期旧石器遺跡の年代について】 中国では150万年前より以前の遺跡が複数発見されている。200〜240万年前の遺跡もある。 これは、ヨーロッパの遺跡よりも古い年代を示している。欧米の学会では「原人は、100万年前ころに、アフリカから旧世界に広く拡散した」とする仮説が一般的で、アジアの遺跡が示す古い年代は測定誤差と考える傾向があるが、複数の測定原理に基づく測定法で計測されており、石器とともに見つかる動物相とも矛盾していない。 アジアの遺跡がヨーロッパの遺跡よりも古いものがあるということになれば、1987年に分子生物学の分野から提出されたいわゆる「イヴ仮説」(現世人類はすべて、15〜20万年前にアフリカにいた一人の女性(イヴ)の子孫であるという仮説)の正当性に疑問を投げかけるものである。 【イヴ仮説】 現世人類はすべて、15〜20万年前にアフリカにいた一人の女性(イヴ)の子孫であるという仮説が、1987年に分子生物学の分野から提出された。 2001年5月11日付け北海道新聞の記事によると、アメリカの大学の研究グループが行った調査で、北東アジア(日本、中国を含む)、中央アジア、東南アジア、ポリネシア、インド、イランなどのアジアの広い地域から12,127人の男性のY染色体を調査した結果、すべての男性がアフリカでかつて起きたY染色体の突然変異の3つのうち少なくとも1つの突然変異を継承していることがわかった。 【参考ページ】 原人の使用した石器 人類の誕生 【LINK】 埼玉県立博物館 ≫ 人類博物館 500万年進化の旅 ≫ 人類500万年進化の旅 ≫ 世界で発見された原人たち ≫ 北京原人 参考文献 「新訂版チャート式シリーズ 新世界史」堀米庸三・前川貞次郎共著、数研出版、1973年 「ビジュアル版 世界の歴史1 文明の誕生」江坂輝彌・大貫良夫著、講談社、1984年 「世界の考古学7 中国の考古学」小澤正人・谷豊信・西江清高著、同成社、1999年 2001年5月11日付け北海道新聞 「朝日=タイムズ 世界考古学地図 人類の起源から産業革命まで」クリス・スカー編集、小川英夫・樺山紘一・鈴木公雄・青柳正規日本語版編集参与、朝日新聞社、1991年 埼玉県立博物館 ≫ 人類博物館 500万年進化の旅 ≫ 世界の人類進化と道具 ≫ 石器の拡散 更新 2003/9/15 |