1912年 中華民国臨時政府が成立(〜1928)1911年10月10日の武昌起義をきっかけに、中国各地に武装蜂起が広がり辛亥革命が始まった。 武昌を中心とするグループと、上海を中心とするグループで、中央政府の設立に向けての準備が始まり、この流れは合流して南京で会議が始まった。12月29日に臨時大総統選挙が実施され、孫文が選ばれた。 翌1912年1月1日には孫文を臨時大総統とする「中華民国臨時政府」が成立した。 南京を臨時首都とし、五色旗を国旗と定め、民国元年を宣言した。五色旗は、漢・満・蒙・回・蔵の5族を表している。また、各省代表を議員とする臨時参議院も設置された。 (出典: 辛亥革命 - Wikipedia ) 一方、清朝は、罷免されていた袁世凱を引き出して、袁世凱の北洋軍を使って反乱の鎮圧に努め、1911年11月1日には袁世凱を総理大臣に任命した。袁世凱は革命政府との交渉も始める。 また、袁世凱は1912年1月16日に暗殺計画に遭遇している。 (出典: 辛亥革命 - Wikipedia ) 清朝側と革命政府側との交渉の結果、1912年2月12日に清朝の宣統帝が退位し、孫文が辞任した後の中華民国第2代臨時大総統に袁世凱が就任した(北京で、1912年3月10日。)。3月11日に中華民国臨時約法(憲法的性質の基本法)を公布・施行。 この北京で誕生した中華民国政府(北京政府)は北洋政府とも呼ばれ、1928年の蒋介石軍による北伐完成により崩壊した。 袁世凱は当初は中華民国臨時約法の範囲内で政治を行っていたが、やがて権力を拡大し、約法をないがしろにしていく。 (出典: 辛亥革命 - Wikipedia および 中華民国臨時約法 - Wikipedia ) (注:この後の流れも、記述したいと思っています。) 【臨時大総統選挙】 1911年12月29日に行われた臨時大総統選挙では、各省の代表に各1票が与えられ、選挙に参加した17省のうち16票を獲得して孫文が臨時大総統に選ばれた。 選挙に参加した17省は、直隸省(後の河北省)、奉天省、山東省、山西省、河南省、陝西省、湖北省、湖南省、江西省、安徽省、江蘇省、浙江省、福建省、廣東省、廣西省、雲南省、四川省。(出典: 辛亥革命 - Wikipedia ) |
(注: したがって、投票に参加していない省は、甘粛省、貴州省、新疆省、吉林省、黒竜江省と思われる。また、省ではなかった、内モンゴル、外モンゴル、チベットも、入っていないようだ。(参考文献: 中国本土 - Wikipedia ) なお、外モンゴルは、辛亥革命直後の1911年11月30日に清朝からの独立を宣言しており、その後の紆余曲折を経て、現在は「モンゴル国」になっている。 1911年 モンゴルが中国からの独立を宣言 も参照のこと。 ) |
【臨時政府】 南京の臨時政府は、10部を設けた。主要ポストは次のとおり。(出典: 辛亥革命 - Wikipedia ) 臨時大総統 孫文 臨時副総統 黎元洪 陸軍部総長 黄興(参謀本部総長兼任) 海軍部総長 黄鐘瑛 外交部総長 王寵恵 司法部総長 伍廷芳 財政部総長 陳錦濤 内務部総長 程徳全 教育部総長 蔡元培 実業部総長 張謇 交通部総長 湯寿潜 総統府秘書長 胡漢民 法制局長 宋教仁 印鋳局長 黄復生 【中華民国臨時政府は3つある】 「中華民国臨時政府」には、次の3つがある。(出典: 中華民国臨時政府 - Wikipedia ) @ 辛亥革命によって、1912年に南京で成立した、孫文を臨時大総統とするこの政府。 |
〜 後に袁世凱が大総統となり、北京へ移される(北京政府)。 |
A 北京政府で、1924年の北京政変をうけて組織された、段祺瑞を首班とする政権。 |
〜 北京政変後、正式政府成立までの臨時政府として中華民国臨時政府が組織され、段祺瑞がその元首格である臨時執政として政権を担当した。 |
B 支那事変によって、1937年に北京で成立した親日政権。 |
〜 1940年に南京の中華民国維新政府(汪兆銘政権)に統合されて、南京に国民政府が誕生する。 |
【参考ページ】 1908年 中国の西太后が死去 1911年 モンゴルが中国からの独立を宣言 参考文献 辛亥革命 - Wikipedia 中華民国臨時政府 - Wikipedia 中国本土 - Wikipedia 中華民国臨時約法 - Wikipedia 「20世紀全記録」講談社、1987年(注:1991年に増補版が出ています。) コトバンク ≫ 辛亥革命 とは 2013/12/31 |