K氏のガーデニングダイアリー
 


April.2.2001 updated
Posted by a Weekend Gardener

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    Dr.Matumoto庭を訪ねて(2) セカンドステージ

 他人の家をジロジロ見るのは不謹慎である。しかし、そうせざるをえなかった。たまたま最初に目についたのが玄関脇の北側の壁。そこからぐるり、何種類ものつるバラがはいのぼり、まもなく緑の館に変身する家。春を告げたミモザアカシアはすでに盛りを過ぎ、花、樹木は新緑の季節の一歩手前。庭はもちろんのこと目に入る壁も、犬走りも家のすべてがガーデニングのための舞台装置になっている。

大株になったクリスマスローズ

 ことし、Dr.の庭に異変。庭の中央にあったテラスがウッドデッキに変わる。最初、自分で手がけていたものの、しゃれた庭環境をみて、知り合いの専門家が「ぜひ、私に手掛けさせてほしい」と制作中。いま英国に出かけていて、完成までまだしばらくかかりそう。ゆったり広々として、真新しい木の香がしている。居間であり、庭である。それぞれの延長上に交わる空間になっている。これがDr.の中に変化を呼び込んだ。

 以前のテラスにはフェンスがあった。その向こうは隣家との境目で単に通り道に過ぎなかった。フェンスが取り払われたことで、いっぺんに視界が広がり、それなりに完成していたはずの庭に新たな空間を見つけた。いったん途切れかけていた創作意欲が、ふたたびよみがえった。こちらからは最南端だが、北側の隣家の家陰にあたる一帯だ。そこがシェードガーデンに作り替えられつつある。煉瓦の曲線の小道とボーダーガーデンだ。ガクアジサイや半日陰の植物。それに隣家との塀にはランの鉢もさりげなく置かれていた。

 それを見て、いつも頭のどこかに引っかかっていたことが、氷解した。南側に庭をとると、いつも花は陽射しのあたる、さらに南側に向く。つまり北側の隣家からみた方が、花の様子がわかるということだった。なぜ南側の庭がいいといわれているのか。もし、広い庭であれば、北側に庭を造った方が、陽ざしの方向に向く花姿を見られることになる。まあもっとも、狭いとそんな訳にもいかないが…。うん?そうか。わが国では住宅が建て込んでいるから、狭い庭なら南側にとらざるをえない、ということか。


シェードガーデンがお目見え
 Dr.の庭のシェードガーデンは、南国の強い陽射しをさまざまなところから反射光を取り込む位置関係にあって、比較的明るい。春先、梅雨のジメジメ感をガクアジサイの花が忘れさせ、真夏は濃い緑が涼しさを送る。そしてウッドデッキや、居間に向いて花が咲くような構造になっている。これに背中を押されて、再び、新しい庭づくりへ、一からやり直しに挑んでいるようだ。

 そうした気配りや、工夫は随所に。庭には何本ものハナミズキがあって、西日の当たる木の下には大株のクリスマスローズが咲き誇っている。それも陽射しが日に日に強くなるに従って、葉陰ができ、涼しい半日陰に変身させるなど落葉樹の活用もいい。もちろん、冬場は陽射しがあたる。

 それに犬走りがことごとくレイズベッドに変わっている。古装飾煉瓦を積み上げて、最上部の一段目と二段目のみをモルタルで固め、下部はそのまま。十二分な水はけのための工夫だ。そこにはさまざまな植物が植えられ、縁を柔らかな垂れ下がる植物が飾っている。どれもとても元気。底がコンクリートの犬走りの活用だけでない。十分な土の深さ、容量がとれない家回り装飾石積みの上部も、レイズベッドが多用されている。そこから緑というか、バラの館の意匠となるつるバラが壁を飾る。そうしてどの木にも草花にも近づけるように、煉瓦道が伸び、どこからでも手入れができる。

 50数種類のバラをはじめ数多くの植物が、さまざまな工夫の中で生長している。うつむきかげんで恥ずかしいがり屋のオールドローズやイングリッシュローズは背丈高く剪定されて、表情が手に取るようにわかり、顔を近づければ、そのまま香りが届いてくるようになっていたりする。微妙な四季の変化が手に取れるようだ。まさにウッドデッキは、Dr.にとってガーデニングのセカンドステージとなった。



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