長野冬季パラリンピック参加記録


Last Update : January 18th,2003
First Update : August 13th,1998

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 パラリンピック終了後、二年近く経った、1999年11月にやっと完成しました。間違った記述があるんでしょうけど、気が向いたら訂正したり、追加したりします。
 下表は、参加した日と内容です。

競技種目
場所
2月28日(土) (なし) M-Wave 競技役員打ち合わせ
3月6日 (金) (PM公式練習) M-Wave
3月7日 (土) 男女100m、男女500m M-Wave
3月8日 (日) ショート・トラック(公開競技) Aqua Wing 急遽競技追加
3月9日 (月) 男女1,500m M-Wave
3月10日(火) (PM公式練習) M-Wave
3月11日(水) 男女1,000m M-Wave
3月14日(土) 閉会式 M-Wave


2月28日(土) 競技役員打ち合わせ

 この日は、本当に打ち合わせ、というか顔合わせでした。
 M-Waveでは既に開会式の準備が行われていましたが、予定表を見ると、オリンピック終了後、すぐに準備がスタートしたようです。

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3月5日(木) 開会式

 ADカードを支給されているので、開会式を見ることもできたのですが、「ずく」がなくてTV(NHK-BS)で見ていました。
 パラリンピックの公式サイトでは、Real Playerで開会式を生中継していて、TVを見ながら、こっちの方も見ていたのですが、徐々にReal Playerの方が少しずつ遅くなるのは面白かったですね。
 しかし生放送を見ていて笑ったのは…やばいから止めておきましょう。
 なお、宙を飛んだ神田うのは替え玉だった、と選手達は言っていました。今、ビデオで振り返っても、確認できませんが…。

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3月6日(金) 公式練習

 公式練習初日です。
 事前では何カ国もエントリーされていたのですが、棄権が相次いだ上に、スレッジ・ホッケーとの兼務の国もあって、実質的には日本とノルウェーの大会になってしまいました。これじゃあ、去年のプレ大会よりひどいじゃないか…。
 公式練習も、日本チームは素早く来たものの、他国といえば…。

 一年ぶりに見た、スレッジ・レースの選手達は、すっかりアスリートの顔になっていました。二年前のお世辞にも運動選手と言えないような態度とは一変しました。レースが楽しみです。

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3月7日(土) 100m、500m

 メダルラッシュ!!
 正直言って、こんなに日本選手がメダルを取れるとは思っていなかったですね。驚きました。

 会場がM-Waveだし、オリンピックに関わった人達も多くいたので、オリンピックに関係する色々な事を聞くことが出来ました。その内容は、ここで述べることが出来ようなものではありませんが…。

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3月8日(日) ショートトラック(公開競技)

 前日の昼に、「明日アクア・ウィングでショートを公開競技でやるから、そっちへ行ってくれ」と言われ、競技役員一同がAqua-Wingへ行くことになりました。
 この日の、スレッジホッケー終了後に、スレッジホッケー出場選手で競技を行ったのですが、観客の皆さんも残ってくれて、それなりに盛り上がったレースとなりました。個人的には、スレッジレースは、ロングよりもショートの方が普及していくのではないか?、という感じを受けました。IPCでも、次回のソルトレーク・パラリンピックでは、ショートを導入したい意向のようですし、練習のし易さ等々考えると、今後は、ショートが主流になるのかもしれません。
 ショートが始まるまで、スレッジホッケーを見ていたのですが、結構面白かったですね。いや、結構、何て言ったら失礼、迫力があって、本当に面白かったですね。パラリンピック後のスレッジホッケーの盛り上がりは十分に理解ですますね。

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3月9日(月) 1,500m

 スレッジレース最長距離1,500m競技だけあって、素晴らしいレースがありました。LW10の渡辺選手のレースは、長距離レースのお手本のような、素晴らしいものでした。
 この日の渡辺選手は、「渡辺スペシャル」という、空気抵抗を減らすためのカバーを付けていました。彼は、レース中もそれ以外でもよく冗談を言っていたので、周りもこの「渡辺スペシャル」はギャグだろうと思っていたのですが、彼は本気でした。
 彼のレースのどこが素晴らしかったかというと、ペース配分です。700m、1100mの通過タイムは2位ですが、最後の一周のラップの落ちを1.81秒に留めたため、いわゆる「上がり勝ち」しました。1100mまでの通過タイムが1位だったのは武田選手ですが、700mまで飛ばしたのがたたってか、700〜1100mの周回ラップで渡辺選手に+2.3秒、1100〜1500mの周回ラップでは+3.1秒差が付いていました。渡辺選手のラップタイムは、

300m 700m 1100m 1500m
46.95 1:46.70 2:47.78 3:50.67
(59.75) (1:01.08) (1:02.89)
 という素晴らしいものでした。レースの後、車イスのランでも長距離が得意と聞いて納得しました。
日本のスレッジレースというと、男子だと武田選手、加藤選手、女子では土田選手、松江選手ばかりに注目がいっていましたが、実力のある選手が多くいるということを示した日でした。
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3月10日(火) 公式練習

 スレッジレースも後一日となりました。選手も疲労がたまっているようで、この日の練習は軽めでした。練習自体に来ていない選手もいました。控え室で談笑している選手の表情を見ても、疲労がたまっているのがはっきりしていました。ここまで来れば、後一日だから、気力で頑張ってほしいものです。

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3月11日(水) 1,000m

 最後の競技1,000m。各選手の疲労はかなりあり、選手談話室での表情や行動も疲れ切っていて、選手を支えていたのは気力だでした。
競技最終日のこの日は、天皇皇后両陛下がホームストレートでご観戦され、製氷中には観客に混ざってウェーブをなさるという、おまけまで付きました。
 競技結果は、武田選手の世界記録、土田、奥山両選手のパラリンピック新記録が出て、アイススレッジでの好結果を締めくくりました。

 我々競技役員にとっても最終日でした。選手は本当によく頑張っていたと思います。ホームである上に、外国勢が極めて少なかったことを差し引いても、彼らはどこに出ても恥ずかしくない結果を出したと思います。
 個人的には、三年前から選手の成長ぶりを見てきただけに、感慨深いものがありましたが、あえて各選手に話をすることはしませんでした。自分の頑張ってきた道のりは、彼ら自身が一番分かっているでしょうから。
 また、彼らと会うことはあるのか…お互いに競技をしている限りまた会うことがある、と信じて、競技への参加を終えました。

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3月14日(土) 閉会式

 一ヶ月前のバレンタインデーこういう状況でしたが、一ヶ月後のホワイトデーのこの日は、パラリンピック閉会式をM-Waveに見に行きました。
 必要以上の派手な演出もなく、良い閉会式でした。他競技を生中継しなかったNHKでしたが、閉会式は地上波でも生中継されていました。開会式同様、Real Playerでのインターネットライブも行われていたようです。
 閉会式の終わりはどうなるんだろう、と五輪の閉会式を見ていて思ったので、パラは最後の最後まで見てやろうとは思ったものの、大騒ぎは一向に終わらないし、いい加減早くM-Waveを出ないと渋滞に巻き込まれるしで、最後の最後まで見届けることは出来ませんでした。この画像は、閉会式が一応終わった時に撮ってもらったものですけどね。

 2000年シドニーパラリンピックはそれなりに盛り上がるとは思いますが、アイススレッジスピードレース自体の盛り上がりはどうなるんだろう、という疑問があります。氷を傷めないスティックの開発、練習場の確保、更新の選手の育成…課題は山積みにあります。
 私はかつて、M-Waveでスレッジの強化選手達と一緒に滑った事があります。その時、加藤選手とは、Mの氷について話をしたことがあります。ハンディがあることも、そうでない人も、氷の上の競技をする者が同じリンクで滑れるというのは素晴らしいことだと感じました。私もスレッジの普及のために、微力でも貢献できればと感じました。

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