長野市オリンピック記念アリーナ エムウェーブ
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★★★
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1998年2月の長野オリンピックのスピードスケート会場、その後行われた、1998年3月の長野パラリンピックの開閉会式場、アイススレッジ・
スピードレース会場、として有名なスケート場です。
1996年秋にオープンした、日本国内初の屋内400mリンクです。
何ともおそろしいことに、 このスケート場が、現在の私のホームリンクです(爆)
- 氷の感じ
どこのリンクでも感じたことのない感触です。柔らかいのに、滑る。
水の純度がとても高いように感じるものの、それが面白くない、というか、個性がない、と感じることもあります。
標高が300mしかないため、標高1000m以上のリンクで滑った後、Mに来ると、なぜか体が重く感じます(気のせい?)。
- リンクの雰囲気
滑りながら、ここでオリンピックが行われたんだ〜、と感傷にふけることもあれば、観光客の視線を感じながら滑る恥ずかしさがあったりと、何とも色々なこ
とを感じるリンクです。もっとも、ホームリンクで、それだけ数多く行っているのだから、当たり前ですかね。
1996年の開業当初は、東西のカーテンがなかったので、太陽や月を見ながら滑ることが出来ましたが、五輪前に、冷却効果向上のため、カーテンが張られ
てからは、外の感じが分からなくなってしまいました。
1998-1999シーズンに「氷筍」が試験的に導入されました。私の滑った感じでは、劇的に滑るとは思えませんでした。氷の一つ当たりの結晶が大きく
なった分、結晶と結晶の間のつなぎめが摩擦として感じました。それは、霜の付いたリンクを滑っているのに近いものがありました。氷筍には従来の氷とは違っ
た管理方法が求められるようであり、それがある程度確立しないうちは、氷筍を安易に導入すべきではないと思います。
1998年3月に廃止された、屋内333mリンクです。
ほぼ毎シーズン10月10日前後にオープンして、3月20日頃に閉鎖していました。10月に滑ることができる333m以上のリンク、というと秋田のリン
クとこのリンクだけなので、毎シーズン国内の選手達が滑りに来ていました。
- 氷の感じ
西側のストレートは、日差しが当たるせいなのか、10月や3月の午後には氷が、よくとけていました。
氷は軟らかかったです。触った感じでは硬いのですが、滑っていると軟らかく感じるのは、水質に特徴があるからでしょうか?
- リンクの雰囲気
スピードリンクの内側には、ホッケーリンク(Bタイプ)があって、ホッケーの試合をやったり、フィギュアが音楽をかけながら練習をしていました。また、
ゲームコーナー、卓球場、そして食堂などもあって、にぎやかなものでした。平日は静かで不気味なくらいでしたが。
こんな雰囲気なので、一人で滑りに行くと、誘惑に誘われてしまって…。
- その他
400mリンク育ちの私には、ストレートが数歩で終わってしまう333mリンクは、疲れるだけであまり好きじゃなかった。もっとも、ショート育ちの奴は
違うことを言っていましたが。
「ゴールドメダルを日本へ」(長野へだった時もあったように記憶しています)、という大きな垂れ幕がありました。その思いは、長野オリンピックで本当に
実現しました。本当に感慨深いものです。
スピードリンクの営業は、1997年3月で終わりました。M-Waveが開業して、役割をバトンタッチしたためです。Mがあっては、長野スケートセン
ターがあっても、営業していくのは非常に困難だからです。
ホッケーリンクは、1998年3月末で営業を終えました。長野五輪中に、ホッケーやフィギュアの練習会場として使われたからです。この時の営業終了を
持って、長野スケートセンターはその歴史を閉じました。スケートを滑る場所として、また、アルバイトをする場所として、私たちは大変お世話になりました。
麻績村にあった天然リンクです。滑れなくなったのは、15年くらい前ではないかと思います。
ご多分に漏れず、スケートを滑れるほど凍ることなく、この地域の子供達は、長野まで滑りに来ています。今や高速道路を使えば、麻績IC〜須坂ICまで
15分位でこれますからね。
最近、この地域出身の選手がナショナルチーム入りしつつあります。
松本市から四賀村に抜ける国道143号線沿いにある、かんがい用溜め池です。
この池は、何と、明治時代?に第一回のインカレが行われた会場です。嘘だと思うのなら、インカレのプログラムを見てください。また、現地に行くと、記念
碑も建っています。
長野から松本に行くときは、いつも田沢からR143を通るので、いつも六助池を見ては、「インカレ発祥のリンクだ」と思う癖がついています。
松本市浅間温泉から美ヶ原に向かう途中にある、かんがい用溜め池です。浅間温泉国際スケートセンター
のすぐ下にある池、と言った方が分かるかも知れませんし、釣り好きな方には、へらブナ釣りで知られる所です。
昭和50年代までは滑走できたようですし、私が松本に住んでいた昭和60年代にも滑走できそうな時期がありましたが、氷が張らず、全くダメです。湖畔に
ある国民宿舎「レイクサイド美鈴」の新築工事や、美鈴湖の湖岸工事などもあって氷が張らなかったんですね。
松本市浅間温泉から美ヶ原に向かう途中、美鈴湖を過ぎてすぐに右に入った所にある、パイピングリンクです。日本で一番滑るリンク、世界でも屈指の
滑るリンクです。
- 氷の感じ
おそろしく良く滑る氷です。まさに「鏡のような氷」です。500mの時の第二コーナーなどは、スピードが出過ぎて、回りきれない位です。
M-Waveは確かに良く滑るのですが、浅間に来ると、やっぱり浅間は良く滑るなあ、と思います。
このリンクの最も良い氷の時は、12月上旬の浅間選抜の時ではなく、何と2月上旬の松本市民大会の時です。松本市民大会は、リンクの営業を終了するその
日に行われますので、どんな状態の氷かに興味のある方は、行ってみて下さい。
- リンクの雰囲気
静かな良い感じです。昼の大会の時は、本当にいいものです。
しかし、夜の練習の時は辛いです。静けさがかえって、辛さを加速します。15年以上前は、朝練も出来たそうですが、霜だらけのリンクで滑るのはもっと辛
い、と私の先輩は言っていました。
- その他
W杯が開催されるのをきっかけに、製氷機・冷却パイプの取り替え、控え室の新築、コーナーマットの取り替えがされました。これによって、製氷能力がアッ
プして、より良い氷が維持できるようになりました。
このリンクの氷作りには、信大生がバイトで参加します。私も何度か参加しましたが、カルガリー五輪のあったシーズン('87-'88)の時に日本新が連
発された時には、うれしかったような、こんないい加減な奴らが作った氷でいい記録が出ていいものかと、複雑な思いでした。
このリンクは、かつての私のホームリンクでした。夜間練習の時は、開始時に-1度だった気温が、終了時には-15度だった、なんて事もあったりして、思
い出のリンクです。
中学生の時、浅間で行われた県中に出場して、散々な成績だったことから、当時はあまり好きなリンクではありませんでしたが、今では大好きなリンクです。
カルガリーができて以来、「高速リンク=カルガリー」、となってしまいましたが、浅間のリンクに屋根を付けたり、完全な風よけを作れば、M-Waveな
ど問題にならない国内最速、そしてカルガリーと匹敵するような高速リンクになると思うのですが…。
塩尻峠を、塩尻から岡谷に向かって走ると、だいぶ下った頃、右へ行く道があり、そこを行った「やまびこの森」のなかにあります。岡谷側からです
と、塩尻峠で道が広くなって快調に飛ばしはじめた頃、左側に入る道が見えてきます。
ここには、アウトの400mリンクと、インドアのリンクがありますが、場所は隣接していません。
インドアの方は、アイススレッジホッケーのメッカ、みたいなところで、スレッジホッケーの練習や合宿が盛んに行われています。また、インドアのほうは通
年営業しています。
残念ながら、アウトの方は滑走未経験です。
- 氷の感じ
インドアは平均的な感じです。アウトは滑走経験がないので分かりません。
- リンクの雰囲気
インドアは、ホッケーリンク独特の汗くさい感じがなくて、そこが良いですね。アウトの方は分かりません。
- その他
アウトの方には、氷の中にペースメーカーとしてライトが埋め込まれているとか。ちょっと使いづらいんじゃないかなあ、と思うんですけど…。
ここのアウトのリンクは風が強いそうですが、塩尻峠にあれば、そりゃ当たり前ですよね。
やまびこでは、スラップスケートの販売もしてますから、滑ること以外でも行ってみるのは良いかも知れません。
国道20号線を上諏訪から茅野方面に走って、途中を曲がり、踏切を渡って間もなくの、道路沿い、にあったリンクです。中央東線の車窓から眺めるこ
ともできました。
諏訪実業高校の北側あって、夏は野球場のようで、バックネットとスコアボードがありました。パンピングはグランドに埋めていたため、リンク中央には砂の
山がありました。
- 氷の感じ
前述のとおり、冬以外は野球場で、しかも国道沿いのため、砂がリンクに入り込んでしまい、滑る氷ではありませんでした。
氷自体は、柔らかめだったような印象があります。
- リンクの雰囲気
リンク中央に盛ってある砂山が邪魔して、リンクの向かい側が見えず、ラップをとったりするのには向いていませんでした。トイレなんかも仮設のようなもの
だったような気がしますが、確かではありません。
インのインで流しているときに、ゴーという音がして、ふと見ると、特急電車が走っていた、なんていうのは、これはこれでよかったですね。
- その他
とにかく砂がリンクに入る、ということで、中高生時代このリンクで練習していた後輩は「とにかくエッヂがよく減るんですよ。それに滑っていると、青いせ
ん光がよく光るんです」と言っていたのが印象的です。
このリンクがいつ廃止されたかは分かりません。おそらく、1990年前後ではないかと思います。
長野県ジュニアという小学生の大会があって、このリンクで毎年開催されていました。また、私が中学2年の時に、このリンクで県中が行われました。
以外と何回も滑っていたリンクだなあ、と改めて思います。
上諏訪から霧ヶ峰に向かう途中にある湖で、1980年代には完全に滑ることが出来ませんでした。当然私も滑ったことはありません。
この湖は、よく滑る、ということで伝説的なリンクでした。どれだけ伝説的なのか、それはハッキリしないのですが、 K.I.さんのホームページ
を見ていただければ分かるとおり、かつては色々な大会が開催されていました。
そんなリンクなら一度は滑ってみたい、と思ったものの、未だに叶っていません。地球が温暖化したり、水質が悪化する一方では、この願いも絶望的です。
しかしながら、前述の諏訪の後輩は、果敢にも無人の蓼ノ海で滑ったらしいです。
茅野駅より車で数分、茅野市運動公園の中にあるスケート場です。このリンクが出来たのは1990年代に入ってからだと思います。
このリンクは、冬季以外はゴルフ練習場(打ちっ放し)になっています。最初に見たときに、何だこりゃ、と思ったのですが、スケートリンクの活用として
は、これは盲点だったなぁ、と思いました。少なくともテニスコートにするよりも儲かりますし。
- 氷の感じ
滑ったのがシーズン閉鎖の前日ということもあって氷は締まってしませんでしたが、ポテンシャルの高さを所々に感じました。きちんとした時期に行けば結構
硬い、私好みの氷なのかも知れません。
- リンクの雰囲気
ゴルフの打ちっ放しは西から東に向かって打つようになっていて、打つ場所が第3第4コーナーにあるものだから、スラップ音がよく反響し
ます。何となく上手くなったような気になってしまいます。
打ちっ放しということでリンクサイドにネットがありますが、残念ながら風よけにはなっていないようでした。
東に蓼科山や車山、西に南アルプスが見え、景色は非常に良いです。東海第三高校がすぐ近くに見えるのはご愛敬でしょうか。
- その他
ここには食べる所がありません。飲料の自販機だけですので、昼食をはさんで滑ろうというのであれば、食事は持参する必要があります。
このリンクの周辺には、東海第三高、茅野高、長峰中、宮川小と学校が多くあって、スピード・スケーター達にとって重要なリンクとなっていますが、
冬季以外はゴルフ練習場にするといったアイディアは、高齢者も市民大会で滑る茅野市ならではの素晴らしいものだと思います。
富士見町にある、長野県富士見高校の校庭に水をまいて作った、333m天然リンクです。今もあるのは不明です。多分ないとは思いますが…。
- 氷の感じ
以外と硬かったように思います。天然氷としては滑る方です。
コースの幅が狭めなのは仕方ない所でしょう。
- リンクの雰囲気
何と言っても校庭ですから、野球のバックネットはあるわ、校舎や体育館は見えるわで、面白かったです。
北海道では、こういう校庭リンクが普通にあるんでしょうね。
何しろこのリンクで滑ったのは、1970年代後半ですから、記憶が曖昧で、これ以上は書けません。
北佐久郡立科町と茅野市の両方にまたがる、観光地としても有名な湖です。現在は滑ることは出来ません。
- 氷の感じ
あまり滑る感じはありませんでした。唯一滑った時は、前日が大雪でベストな状況ではなかったので、判断することは出来ませんが。
- リンクの雰囲気
大雪の翌日に滑ったものですから、雪があった、という印象しかありません…。
- 他
リンクへは、湖の大門峠から登ってきた茅野市側の駐車場から入っていった記憶があります。
白樺湖も水質が低下して、今やなかなか凍結しないようです。茅野市北部の出身者には「子供の頃白樺湖で滑ったよ」という人が多いのですが、周辺にスキー
場も多くあり、今や完全に「思い出の中のスケート場」になりました。
白樺湖より車で5分程度立科町側に行った所にある湖です。白樺湖の半分程度しかない、静かな湖です。現在はなかなか凍結せず、滑ることは出来ませ
ん。この湖で滑ったことはありません。
女神湖で思い出すのは、軽井沢や松原湖で、女神湖という文字がプリントされた帽子をかぶっているオジサンを何度も見たことです。その名前の事もあって、
どんな所なんだろう、と思っていたのですが、女神っていうイメージは…。
旧菅平有料道路を、菅平ICから5分くらい車で走ると看板があります。旧菅平有料道路を少しはいるとあるようです。
私は滑ったことがありませんが、上田市営で、一周200〜300mくらいの小さなパイピング・リンクという事を聞いています。
昨今のスケートを取り巻く情勢から、このリンクはとっくに閉鎖されたと思っていたのですが、毎年リンク開きのニュースが出る度「おお、まだあったのか」
と驚きを隠せないリンクです。なくなる前に一度は滑らねば、と思う一方「あのリンクで滑っても、エッヂを傷めるだけだから止めておいた方が良い」という風
の便りも聞きますので、どうしようか…と毎年思っています。
中軽井沢から長野原方面に行くと「千が滝」という地区があり、そこに昔からあるスケートリンクとホテルです。1996-97シーズンを以て400mリン
クは閉鎖され、アイスアリーナと冬期だけ営業するアウトのホッケーリンクだけになりました。400mリンクのあった所はスノーボード場になっているほか、
温泉も出ているので日帰り入浴施設も出来ました。
私にとっては思い出も多くあり、非常に相性の良いリンクでした。
- 氷の感じ
硬からず、柔らかすぎず。滑りすぎず、程良く引っかかる。という感じで私にとっては一番好きなリンクでした。標高が高いのも良いです。
- リンクの雰囲気
浅間山か見え何となくヤル気を起こさせます。かつては日曜の午後にアイドルショーが行われたりして、華やかでした。
- リンクの歴史
二十数年前には、インドア333m(?)のリンクがありました。
アウトの400mリンクは1986年?の世界スプリント?の際にリニューアルされ、リンクの向きが変わりました。
新しいアイスアリーナは1980年代後半?の国体の折りに作られました。
このリンクについて語り始めると、思いがありすぎて一言で話すことは出来ません。軽井沢の歴史を知る人たちと飲みながら語らうのが一番かも知れません。
軽井沢駅の北口を出て右側(群馬県側)に少し歩いていくとあった、天然のリンクです。
ホッケーリンク程度のものだったと思いますが、滑ったことがないので何とも分かりません。現在では無いと思います。
佐久市野沢にあった天然リンクです。「湖」というよりも「池」と言った方が適切だと思います。元はかんがい用のため池です。
- 氷の感じ
なにぶん覚えているのは私が小3の頃なので…。
- リンクの雰囲気
滑りに来ていたのは、周辺市町の小学生だけですから、何ともにぎやかだったように思います。
- 他
この池が凍らなくなって何年か経って、パイピングリンクが作られました。
洞源湖にパイピングを敷設して作られたリンクです。作られたのは、1990年頃ではないかと思います。1997-98シーズンを以て閉鎖される予定でし
たが、周囲の反対もあり1シーズン伸ばされ、結局1999-2000シーズンが最後の営業となりました。
- 氷の感じ
氷が平らになっておらず、人工のリンクとしてはこれ以上ひどいリンクにお目に掛かったことはありません。
リンクの周りの泥がドンドン入ってきているし、それを取り除く努力もしていませんでした。おまけに、氷がとけかかっていていても、ザンボでお湯をかけて
いるのですから…。
これなら自分でリンクを整備した方が良い、などと思ったものです。
- リンクの雰囲気
天然氷の時代を彷彿させるものが多少はありましたが、氷の状態の方が気になってしまいました。
- 他
氷は大したものではなかったのですが、軽井沢スケートセンターがなくなり、このリンクもなくなったことで、佐久地方のリンクは松原湖だけとなりました。
洞源湖から山を登り車で10分くらい行くとある池です。別荘地帯にある池で、ため池としての役割もあるようです。
昭和50年頃にできたもので、当初はこの池を何とか観光資源として生かそうとしたようですが、失敗に終わりました。
なお、近くにはテニスコートや温泉宿のほか、ローラースケート場もありますが、山の中ということが災いしてか、訪れる人もなく、未だ営業しているのか分
かりません。
- 氷の感じ
天然氷でしたが、なかなか硬めで良い氷でした。松原湖に比べると、水質から来る氷の良さでは勝っていましたが、氷の硬さでは若干劣っていました。
- リンクの雰囲気
田んぼリンクが池になったようなものですから、更衣室などありませんし、トイレもこ汚い公衆WCが一つある程度です。
- 他
天然氷がはらなくなり始めた頃に出来たリンクだったので、佐久市や臼田町の小学生はよくこのリンクに通ったものです。
今やこの池は冬でも氷が出来ることは無いようですし、夏場も全く利用されておらず、非常に残念です。
南佐久郡臼田町立臼田小学校の近くの田んぼを借りて作っていた「田んぼリンク」です。
「田んぼリンク」を知らない人のために説明すると、田んぼに水を入れて凍らせる、という至って単純なものですが、水を入れる前にワラを良く取っておかな
いと氷にワラが入ってしまうとか、暖かくなると氷全体が沈んできて氷上に乗っている自分も沈む、というようなことがあります。
- 氷の感じ
氷質云々というものではありません。滑れりゃいい、という天然氷ですから…。時に氷全体が沈むのはご愛敬?
- リンクの雰囲気
校庭の裏ですから和気あいあいという感じですね。
- 他
田んぼサイズなのでコーナーを回りきれず道路に出てしまうという人もいました。
地球温暖化や水質悪化もあるので、今はもう氷がはらないのかもしれません。
田んぼに氷をはるなんて、田んぼの所有者にははた迷惑だなあ、とか、氷をはるならもう少し良いはり方があるな、などと今は思っています。
南佐久郡八千穂村にある溜め池です。溜め池ですから、当然天然氷です。現在はどうなんでしょう…多分凍らないでしょうね。
- 氷の感じ
そんなに悪くなかったような覚えがあります。そのあたりは田んぼリンクとは違いました。
- リンクの感じ
池は土手で囲まれているので、すり鉢の中って感じです。だからか、風が吹いていたような記憶はないですね。土手が芝生だったのを良く覚えています。
- 他
父親に連れられて、佐口湖の土手でワラビをとった記憶があります。
このリンクでは南佐久地方の小学校の大会が行われていたのですが、それ自体覚えている人はもう少なくなっているのかもしれません…。
南佐久郡小海町にある湖です。松原湖という単独の名前のものはなく、池のような稲湖、大きくて一般的に「松原湖」として紹介される長湖、かんがい用の溜
め池である大月湖、以上三つを総称しています。当然天然氷ですが、稲湖は余程の事がない限り滑ることはできませんでした。大月湖は400mリンク一面、長
湖は400mリンク二面、ホッケーリンクが何面も取れたほか、ワカサギ釣りも出来ました。
- 氷の感じ
長湖は天然氷としては標準的でした。製氷すればそこそこ滑りました。ただ、残念なことに、このリンクでは八ヶ岳からの強風がしばし吹くため、向かい風に
なると全く進まず、追い風では何もしなくとも進む、ということがよくありました。
大月湖は人工氷と比較しても遜色のない氷でした。特に氷温が下がって締まった氷はなかなかでした。風は長湖と違ってあまり吹きませんでした。
- リンクの感じ
長湖ではNHKラジオを流していて、それがまた良い感じでした。休む所などないので、氷の上にビニールシートと毛布をひいて、アンカを抱いてただただ寒
さに耐えている程度です。今考えると、小学生にはかなりハードな事だったと思いますが、当時は別に何とも思いませんでした。湖から出る時に、ワカサギ釣り
のオッチャンの釣果をさりげなくチェックする、なんていう楽しみもありました。
大月湖は400mリンク一面取れる程度ですので、本当に練習するだけ。特にここは地元小中学生のための秘密練習場みたいな所だったので、よそ者である私
たちが合宿でお邪魔する時は本当に気を使いました。
- 他
今の私があるのは松原湖のおかげと言っても過言ではありません。大月湖ザンボ転落事件とか想い出に残ることも多くあります…。
今は人工氷のリンクが出来てしまったので、天然氷での滑走はなく、長湖でワカサギ釣りをしている程度です。仕方ないと思うものの、この地域のスケート選
手を育て続けた湖ですから、なんとかならんかなぁ、と思うこともあります。
前述の松原湖の大月湖を少し登ったところにある人工氷のリンクです。出来たのは1990年頃で
しょうか…ハッキリしたことは分かりません。
おそらく、日本の人工氷のリンクとしては最も標高の高い所にあるものではないかと思います。
- 氷の感じ
大月湖を人工にした感じです。大月湖時代を知る者としては、予想通りの氷質が嬉しい所です。
- リンクの感じ
八ヶ岳が真っ正面に見えるのも大月湖に似ていていいです。
テントで出来ている休憩所もありますが、ここが以外と暖かいのが嬉しいです。
- 他
1998年長野五輪の前、何とオランダ・チームがこの地で合宿をしました。ロメが滑った3000mではすごい記録が出たそうですが、非公式記録会だった
のでリンク記録にもなっておらず、また、ちきんとしたタイムも探すのが困難です。このリンクを選んだオランダ・チームの選択は正しく、本番の五輪では彼ら
が大活躍したのは記憶に新しい所です。
リンクの通路には彼らのサイン入り写真があるので、ぜひ見てみると良いと思います。
野辺山にあるインドアのホッケーリンクで、ショートトラックのW杯なども開かれるメジャーなリンクです。名前から分かるとおり大手バス会社の経営です。
私は滑ったことはありませんが、このリンクからは今井選手(私と同郷!)を始め多くのスケート選手が育っています。
- 氷の感じ
観客席から見た感じではまあ滑りそうです。
- リンクの感じ
微妙な位置に霧が出ることが多いらしく、私がW杯を見に行った時も出ていました。ショートの関係者が「煙いリンク」と言っていたのを記憶しています。