街 歩 き


東京の水辺を歩く

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・隅田川編

中央大橋(ちゅうおうおおはし) 地図
中央区佃二丁目と新川二丁目を結ぶシルエットのとても美しい橋。平成5年に掛けられた隅田川では最も新しい橋である。
写真左手が新川。ひたすら進むと東京駅八重洲口に出る。右手は佃島。
鬼の平蔵で有名な「長谷川平蔵」が人足寄場を造った言わば江戸の外れの地だった訳だが、現在は大川端リバーシティーという名前で再開発され、最高級マンション地帯となった。平成の世では、かつての面影は全く窺い知ることは出来ない。

右上に写りこんでいるパイプは、霊岸島の験潮所のフレームパイプです。形にも意味があるらしいのですが・・・省略。逆三角形をした何やら不思議な構造物です。


   

 
相生橋(あいおいばし) 地図
隅田川の分流に掛かる橋で、中央区佃と江東区越中島を結ぶ。近年掛け替えがされたばかりだが、歴史は古い(最初に掛けられたのは明治36年)。実質隅田川で中央大橋よりも新しい橋。

この写真左側が越中島。東京商船大学があり、この写真では分かりづらいが、
橋の奥の方に重要文化財の明治丸のマストが写っている。商船大学の敷地内に保存されていて、観覧も出来る。但し有料(280円)。


桜橋(さくらばし) 地図

隅田川の白髭橋と言問橋の間に掛かる橋で、台東区今戸と墨田区向島を結ぶ人道橋で、車は通行できない。白髭橋と言問橋の間に掛かり、昭和60年完成と、比較的新しい橋。
隅田川の花火大会では、この橋と言問橋の間の水上が打ち上げ場所の一つになる。
特徴的な]字型をしているが、 この写真は言問橋の上から撮った物なので、分からないのが残念。そのうちに撮って来ようと思います。

名前は一般公募で決められたのですが、その名の通り桜の頃は両川岸で花見が出来ます♪

東武花川戸鉄橋(とうぶはなかわどてっきょう) 地図

東武伊勢崎線が浅草松屋2階にある東武浅草駅から隅田川を渡って一路伊勢崎・日光方面を目指して走る。写真右側が浅草方面。

子供の頃
初めてここから電車に乗った時は、隅田川を渡る時にドブ臭くて参ったことを憶えている。近頃の電車はエアコン完備で窓を開ける事は少なくなったが、きっと今なら開けっ放しにしてもそうは臭わないだろう。確実にきれいになってきているのだ。戦前までは水遊びも出来たと聞く隅田川・・・どこまで再生出来るのだろうか?

高橋(たかは《ば》し)  地図

写真を撮ったあたりには、かつて八丁堀(桜川)の一ノ橋「稲荷橋」があり、都電廃止直前の街の姿を収めている写真集を見ると橋の姿が記録されているので、おいらが生まれた頃までは八丁堀という運河は残っていたらしい。中村主水の代名詞「八丁堀」は埋め立てられて、現在緑道公園として都会のオアシスとなっている。
この運河を先に進むと日本橋川に繋がっている。運河の名前は越前堀(亀島川)といい、日本橋川と囲まれた中州を霊岸島という(現在の中央区新川)。正面の大きなビルはキリンビールの本社。


南高橋(みなみたかは《ば》し) 地図

高橋を撮影したポイントから「回れ右」をすると、南高橋も撮る事ができる。バックには佃の大川端リバーシティーがそびえていて圧倒される。
千住大橋や、昔の新大橋(一部が明治村で保存)のような古い感じのデザインをした橋で、それもその筈。都内に現存する道路橋では最古の橋らしい。次回は、この橋をもうちょっと撮って更新してみたいと思います。

この辺りは、今も地名が残っているが湊と名が付くくらいに物資が集散する荷上場であったらしい。御覧のように船が数隻係留されていたが、言われなければ往時の面影は残っていない。

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