☆歴史のトップページに戻る
過去ログ8401~8500
#8400
はりはり亭 2009/02/10 20:16
>tomohiro様
もとのTV番組に関する不満はごもっともだと思いますが、
>自分の中では兵庫県南部地震は太平洋戦争よりも
小さな出来事に成りつつあります。
と言うのはやはり比較に無理がありすぎでしょう。
兵庫県南部地震に比較されるべきは最近の二度にわたる新潟の地震であり、イラン南東部地震であり、四川省の大震災でしょう。
番組で上位に上がったのは、番組の用意した質問がおおざっぱであり(私は未見ですが)、小覇王さんの言うとおり、それが皮膚感覚的に身近だ、ということに過ぎないでしょう。
神戸の震災はいくつかの文学作品を生みましたが、本格推理と震災事件の融合ということで忘れられないのは谺健二の「未明の悪夢」です。これを読んで驚いたのは、震災といういわば天災の被害者と人為の極みたる戦争の被害者との間に多くの共通点があることでした。
軽々に「小さな出来事」と言い切れない重みを感じます。
#8399
小覇王 2009/02/10 12:03
個人的な体験
>tomohiroさん
太平洋戦争が阪神大震災より軽い出来事だとは全然思いませんよ。ただ、個人的にはリアルタイムで体験した(と言っても現地にいたというわけではありません)1995年一連の事件の方が資料でしか知らないWW2より印象深いと言うのも事実です。NHKの番組のアンケートにしても多分そんなに前の出来事では無いので印象に残り選択した、という人も多かったのでは無いでしょうか。後はやっぱり被災者や被害者にとっては最大の出来事でしょうし。
>あんただって人のいえないくらい無茶してきただろう!
これだと、まるで水木さんが過去に悪いことしてたみたいですね。
「あんただって人のこと、いえないくらいの無茶してきただろう!」
に訂正させていただきます。
http://burebure.blog.ocn.ne.jp/burebureblog/
#8398
tomohiro 2009/02/10 07:25
太平洋戦争では
>小覇王様
太平洋戦争などと兵庫県南部地震では、
比べたらどうなるでしょうか。
そういうことを考えると、
兵庫県南部地震は、小さな
出来事で終わるのでは。
当時、狐につままれたような気持ちで一杯でした。
自分の中では兵庫県南部地震は太平洋戦争よりも
小さな出来事に成りつつあります。
http://blog.goo.ne.jp/misakimizugi
#8397
小覇王 2009/02/10 00:22
同級生がいっぱい
>徹夜城さん
>手塚治虫生誕80周年
早すぎですよね。当時、はっきり言って昭和天皇の崩御より、個人的にはショックな出来事であったのが思い出されます。1928年生まれと言うから、同級生にミッキーマウス、池田大作、浜田幸一、チェ・ゲバラなどがいますね。
水木さんに関しては・・・「あんただって人のいえないくらい無茶してきただろう!」と突っ込みたいところですが、あの人は悠々自適の見本みたいな気もします。
>tomohiroさん
1995年は良くも悪くも戦後の節目の年として記憶されると思いますよ。阪神大震災とオウム事件でイメージされるでしょう。しかし、社会党の総理大臣として久々に就任したのに、あんな何十年に一度起こるかどうか分からない事件に二度も遭遇して、今となっては気の毒だったですね。当時は何やってんだ、ってな感じだったのですが。
http://burebure.blog.ocn.ne.jp/burebureblog/
#8396
tomohiro 2009/02/09 17:19
兵庫県南部地震の20世紀のポジション
最近nhkが戦争証言を集めるようになったようで・・。
で、その戦争も絡む20世紀の話題です。
大体1990年代後半から2000年代前半ぐらいの
頃、あなたが選ぶ20世紀最大のニュースという
番組があったのですが、
その中で一番は兵庫県南部地震でした。
いわゆる20世紀の歴史で重要かもしれない
事柄を無視して、是が一位なのはこういう観点や切り口も
あるのかと思いました。
そして、兵庫県南部地震は20世紀の歴史では
どういう風に語られるのか。そして、
どのようなポジションに位置づけられるのか
そんなことを考えています。
そして、その話題は風化させないように証言を
集め続けるのだろうか。
そして、色々なことで話題が何十年後も
考えるような事があるのだろうかと。
#8395
EN 2009/02/09 16:06
史点感想など
ちょっと多忙でなかなかこのサイト訪問できず、久しぶりに来てみたら史点が2度も更新されていました。お忙しいなか御苦労さまです。さて感想ですが、あのジンバフエの政策はたしかに驚かせました。日本でも給付金やらいろいろと騒がれていますが、不評ですね。まあ一人一万しかもらえないですからねぇ、経済対策にはとてもつながらないでしょう。他の記事もいろいろと見させてもらいました。今日は手塚さんの命日だったのですね。早く亡くなられた漫画家でした。
#8394
徹夜城(昨日は手塚特集漬けだった管理人) 2009/02/09 10:44
今日は没後20周年
本日は手塚治虫の命日、「治虫忌」です。
今年で没後20周年、生誕80周年ということでNHK-BSでは秋の誕生日(旧明治節・文化の日)まで延々いろいろと企画を放送するそうです。80年というとまだ十分生きていてもおかしくない人なんですよねぇ。つくづく早死にであったことに驚くと同時に、今も存命であるかのように作品のリメイクやアニメ化が続いているというのも驚異です。前も書いたことですが、僕の教え子の中学生には「手塚治虫は20年も前に死んだ人」と聞いてビックリしてる連中がいました。
昨日はNHKが過去に製作した手塚関連番組の再放送をやっていたんですが、あの「トキワ荘」の解体直前に放送された1981年のNHK特集が貴重でした。僕も本放送以来の再見になります。トキワ荘住人達が同窓会をする内容を中心にしていましたが、すでに故人となった方のなんと多いことか…水木しげるさんが言ってましたが、あの人たちは若い時に無茶しすぎたんでしょうか…
>民本主義者さん
ご指摘の通りですね…やっぱり経済に弱い僕でした(^^;)。先ほど「対処」ということで訂正してあります。
#8393
民本主義者 2009/02/09 00:15
史点復活!ノンノン
>今年に入ってジンバブエ中央銀行はインフレ解消のための超高額紙幣を矢継ぎ早に発行し始めた
超高額紙幣を発行しても、インフレ「解消」の役には立ちません。
「インフレに対応して」
とか
「インフレに引きずられて」
と表記するのが適当かと。
超高額紙幣が発行されたら、現金の持ち運びが、かさばらないから便利になって、
素早く物品と交換することができるようになるので、かえって
インフレを亢進する要因になります。
一枚の紙切れに書かれた金額が多くなればなるほど、
インフレは激しくなるのであって、インフレ「解消」には役立ちません。
#8392
サーフェイス 2009/02/07 19:18
北斎=隠密説は
葛飾北斎は何回も引越しや画号を変える奇行から隠密説がありますが
(北斎という画号も、長く続かなかったとか)
(マンガ無限の住人の宗理という名前は北斎の画号と同名)
彼は膨大な数の絵を残しており
その創作スケジュールからしたら彼は隠密だったとしても
絵を描くのに忙しすぎて隠密の仕事は、こなせなかった
だろうと思われます。
旅を多くしたのは純粋に絵をスケッチしたり構想のための
ものであろうし、江戸期は交通の自由も不便で中々
手形はおりないようでしたが
(水戸黄門の漫遊が非現実的なのは、まず手形が下りない)
葛飾北斎は、北斎漫画のほとんどを占める剣士や武人の
剣術武術の絵の多さから武家に何かコネを持っている人の
ようで、あるいは武の絵のモデルをしてもらうほど
高級武士と親密であって
そのつてから交通手形が振られやすかったのかも
しれません。
マンガ無限の住人の宗理センセイは本当に隠密で
手形を簡単に融通できる人になってますけどね。
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1402
#8391
tomohiro 2009/02/02 16:44
白狐魔記
白狐魔記なる児童文学は御存知でしょうか?
化けることが出来る狐が源平の爭亂、モンゴル来襲、南北朝の爭亂、
本能寺の信長の横死といった日本史の出来事・Eventに遭遇するという話題です。
この児童文学は信長の死後の時代をやるのでしょうか。
やるのであれば、幕末維新のエピソードでお願いしたいであります。
新選組・篤姫・龍馬といった人間を登場させるのか考えている所存であります。
もし、平穏な元禄から天保であれば、滝沢馬琴、大塩平八郎、隠密説のある
松尾芭蕉などを登場させても面白いかもしれない。あ、北斎もいるか。
#8390
はりはり亭 2009/01/31 20:15
#8389は私「はりはり亭」の発言です。名前が抜けました。申し訳ありません。
#8389
2009/01/31 20:13
十一郎様
>実は、「世界三大宗教」と主張しているのは日本だけと聞いたことがあります。
これは興味深いご指摘ですね。私も以前宗教の勢力図をちらと調べたときに、仏教人口は少なすぎるのではないかと思っていたので、うなずける部分があります。お隣りの韓国も昔は「仏教国」と習ったものですが、今では大統領自ら「仏教徒は後進的だ」と発言するキリスト教国になってしまいました(と言って良いのかな)。でもたしかに米国にもそれなりに信者もいるはずだし重要な宗教ではあるのだから一言欲しいところです。関係ないかもしれませんが、人種差別を論ずるとき、白人と黒人の問題に焦点を絞りすぎて黄色人種をすっかり忘れている、というよくあるパターンを思い出します。
オバマさんの演説はいろいろ言われていますが、別にこの人に限らず「アメリカ」の枠から抜け出せる米国人政治家がいるとも思えないので、「所詮オバマもこの程度か」式の批判が多いことは逆に私には驚きでした。まあ転ぶまではお手並み拝見と言ったところです。
ところで仏教といえば、最近知ったのですが華厳思想とイスラームのタウヒードには影響関係があるそうですね。後期密教とイスラームの関係以前から興味があったのですが、華厳とイスラームと言うのは初耳でした。誰かこのことについて一家言お持ちの方がいらしたら是非意見をきかさて欲しいのですが。
#8388
十一郎 2009/01/30 10:41
イケメン王子
すでに古い話題ですが、ブータンでは先王が早々と退陣したもん)、やけに若い童話の登場人物がごときイケメン王子の誕生(笑)。世界の歴史とか見ていると、老人のような年齢の王子ばかりで、実際に純愛ロマンスの主人公になりそうな若くイケメンの王子なんてまずいませんから、目立つことこの上ない。父王もイケメンだった上、まだ老いには遠いからナイスミドルって感じ。
この本物イケメン王子、東南アジアの某国へ外遊した時は、その国で結婚したい男性ナンバー1選ばれたりもしましたっけ。
>オバマ就任演説
どうしてもアメリカ先住民の存在は都合が悪いんだな・・・と思ってしまったので、今一つ感動できませんでした。
それこそ建国神話より、リンカーンの故事を引いていただきたかった。
>「世界三大宗教」でありアメリカにもそこそこの信者がいるはずの「仏教徒」
実は、「世界三大宗教」と主張しているのは日本だけと聞いたことがあります。
仏教は、確かにインドを源流とする古い宗教ですが、国民の多くが信仰している国は日本とタイ、ブータンくらい。他はチベットや東南アジアの各地域に残ったり再輸入されている程度。
インドの人口が半端なく、周辺国にも信者がいるため、すでに仏教徒よりヒンズー教徒の方が多いらしいのです。
海外の神秘的な宗教という感覚があるから、演説で出てこなかったのかもしれません。
#8387
黒駒 2009/01/29 21:50
征露
そういえば、最近地元の自治体史を読んでいたのですが、近現代の資料編にこの「征露」があちこちで用いられていることが、将来の日露関係に悪影響を及ぼすのではという新聞記事が収録されていましたね。解説部分を読んだら、後に「鬼畜米英」が普通に用いられる時代とは異なる空気、とありましたが。
#8386
サーフェイス 2009/01/29 13:06
古代マヤ絵文字
わたしは携帯やパソコン打ち込みに絵文字とか使えない
不器用者ですが、このあいだ、何かの拍子に
古代マヤの文字のことが載っている本をみる機会が
あったのですが、初めて見たのでビックリなんですが
あそこらへんの絵文字つうのが、ほんとに文字のような
感じが薄く、絵なんですね文字が。
エジプトの象形文字や古代中華の漢字の前段階の亀刻文字
などは、ちょっと省略してイジレば文字になりそうな
感じがあるのですが
古代マヤ絵文字はマンガの線画のごとく
ギッシリした絵の文字、古代マヤは筆記は石板の
彫刻でやったので
古代マヤというのが石の彫刻に関しては世界屈指の
レベルを誇るそうで、見れば納得なんですが
石で出来ているものには何でも絵や絵文字の彫刻が
ぎっしり充満しています。
あそこらへんの文献というと
4コマ漫画みたい1ページに細かい絵がギッシリで
というか1文字単位が絵の文字列が何段にもなっている
感じで、初めて古代マヤ文字の解読に挑戦した学者は
奇跡でも起こらない限り解読は不可能とまで言った
というそうですが、それでも最近は古代マヤ文字の
解読も進んでいて、古代マヤ王朝は、集権王朝ではなく
多くの部族の首長がいて合議で暫定王をたてるような
感じのもので、また今では同じメキシコの国の中の
高原のアステカとユカタン低地のマヤとは交流は
あんまりなくて、この地にスペインが攻めてきたときも
アステカとマヤを個別に攻撃して支配したのだそうです。
スペインは驚くほどの少人数でメキシコを征服したのですが
スペイン人の持ってきた伝染病で死んだ原住民が多く
また、征服戦争は、必ずしも徹底はしていなくて
密林へ疎開した原住民の抵抗勢力をスペインも
人手不足もあってシツコク掃討できず、そのうちメキシコは
独立しましたが独立政府(といってもスペイン系優位の国ですが)
も抵抗勢力の掃討は徹底は出来ず
1994年以降に再燃したメキシコのユカタンでの
反政府武装蜂起は、コルテスたちが掃討し残した抵抗勢力の
流れが脈々と残っているものだそうです。
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1382
#8385
NF 2009/01/27 00:52
「史点」感想など
>徹夜城様
>地方じゃ十分に「皇族」扱いされた
頼朝辺りにも言えそうな。実際、頼朝は幕府を作る際に将門の故事をかなり意識していたという話を聞いた事がありますし。
>そもそも日本の東と西はほとんど別国家の様相
文化的な差異の大きい別個な単位が東西に存在したのは間違いないようですね。方言語彙の分布にしても京を中心にした同心円の事例がある一方で東西別個に中心があるような例もあるそうですし。ただまあ、中国やインドも同様に南北で文化的差異が大きく文字通り別国家だった時期も多いのを考えると、日本の場合は東国も形式上はほぼ一貫して朝廷の宗主権を認めていた分まだそんなに差異はないのかな、とも思ってしまうわけですが。ただ、鎌倉幕府と朝廷が別国家というのは言えそうで、その観点からすると南北朝は再統一への過程と言えなくもないような。
で、「史点」に関連して。
>イスラエルとハマス
ホントに銀英伝世界みたいなところがありますね。あの世界では選挙前にコウセン気分を盛り上げて戦争する同盟だけでなく、帝国も皇帝即位何周年を武勲で祝うために出兵というのがあったりしてどちらも政権が「利用」していたのを連想してしまいました。イスラエルとハマスが裏でつるんでる、とまで言うつもりはないですが、双方とも無意識のうちに呼吸を飲み込んで事実上の「相互恵」関係になってるんじゃないか、とは思ってしまいます。住民はたまったものじゃないですが。しかしだとすると、イスラエルに仮に「マッカーサー」がいたとしてもハマスに(戦争を止めさせられる)「昭和天皇」が出るはずもないわけで、あまり戦中日本は適切なたとえじゃない気が。
…そういやふと思ったのですが、大河「太平記」で後醍醐崩御後に尊氏が「これで戦をやめよと命じられる人がいなくなった」とこぼしていましたが脚本が二次大戦を念頭に置いていた可能性はないのかな?と考えたりします。
>エジプト
まあ、日本は歴史のある国と言われますが、文化圏としてみると寧ろ新しい部類ですからねえ。ヘロドトスがエジプトを訪問したときにはピラミッドは既に古代の遺跡として観光スポットになって黒山の人だかりだったという話を連想してしまいました。…我々にしてみればどちらも気が遠くなるような昔なんですが。歴史が古いというのも宋ですが、その古いものが残っているというのもまたすごいですね。周囲が乾燥帯なのも影響しているんでしょうか。
>中国
まあ、「ネトウヨ」(一応社会主義国なのでこの言い方はおかしい気がしますが)は向こうにもいるらしいので、問題はネトウヨよりこちらにあのような勇気ある提言をできる人がいないことなんでしょうねえ。僕も含めて。匿名の陰に隠れて誹謗中傷が広がったのはネットの罪でしょうけど、一方で情報の取捨選択の幅が広がり意見が言いやすくなったのは大きな功でしょう。中国も変わりつつあるのですね。それ自体は大変良い事だと思いますが、先が読みにくくなっているなあ。日本の国益上は余り急激な変化は好ましくない気もするので気分はちょっと複雑。カナダの対米感情もそうらしいですが、隣に超大国が存在する事自体が頭痛の種になりうるわけで(苦笑)。
>オバマ大統領就任
とりあえず、小浜市はホワイトハウスに押しかけてフラダンスするのは思いとどまってくれたようで一安心。これまでがこれまでなので期待が大きいのは当然でしょうね。ところで、こうした難局で「建国神話」により盛り上げられるのはちょっと羨ましい。日本の場合、「建国神話」といっても神武東征では反発する向きも有りそうだしそもそも知らない人もいそうだし…。幕末辺りを引き合いに出すのが日本の場合は無難なんでしょうね。「建国神話」に関連して言えば、毎年八月に戦争関連の話題があるのは平和への祈念云々だけじゃなくて、「戦争や抑圧による苦難、そして占領軍による民主化」というのが「戦後日本」にとっての「建国神話」になってるからというのもあるんでしょうね、と最後に「戦後」という「私元号」につなげてみました。
http://www.geocities.jp/trushbasket/
#8384
徹夜城(昨日は大相撲で盛り上がってしまった管理人) 2009/01/26 14:00
「電化元年」なんてのもありました。
テレビ放送が始まった1953年が「テレビ元年」であると同時に「電化元年」と呼ばれています。もっともこの手の「勝手年号」は「元年」だけであとが続いた試しがありません。
>民本主義者さん
「征露元年」というのもあるんですね。これ、何年ぐらいまで実用例があるんでしょ。
そう言われてみると「戦後」という「年号」はかなり実用度の高い私年号と言えそうです。「もう戦後ではない」「戦後の総決算」だのいろいろ言われてますが、結局は「戦後」という時代が延々と続いてる気がします。はるか後世の歴史書では「戦後時代」というくくりがなされてそうな…(いや、現在でもそれに近い時代区分ですね)。
台湾はまだ「民国○年」が使われていて、一応これも年号の一種とみなせるのではないかと。「人民共和国」のほうはあまり年号的な使われ方がされてない気がしますが、今年が「建国60周年」ということになるわけで。
清によって中国が征服されたのち、「夷狄」である清を認めない立場では明の最後の年号「崇禎」がしぶとく使われ続けていたという話を聞いたことがあります。朝鮮も表向き清の冊封を受け入れましたが、儒学者のなかには個人的に「崇禎百何十何年」といった年号を使う人がいたそうな、という話を聞いたことが。
>阿祥さん
僕は将門の地元の住人ですから…何度も書いてますけど、地元の盆踊りの歌詞に「おらがお国で自慢のものは、なんといっても将門さまよ。国を作った人だもの」という一節があります。確実に戦後の作だと思いますけど…
将門も伝説領域の人ですので、伝えられてる話がどこまで事実か判然とせず、「新皇」と称したことについては疑問視する意見もあったかと思います。将門の行動を見ていくと中央政権に正面から反逆を試みた気配が薄く、成り行きでああなっちゃった、ということもありますので。
ただ将門自身、桓武天皇からそれほど離れてない子孫でして(桓武のひ孫が「平」姓となり、その孫が将門)地方じゃ十分に「皇族」扱いされた可能性もあったんじゃないかと。もし将門が本当に関東に独立国家を築いちゃってたら、いまごろ茨城南西部が「首都」なんですけどねぇ(笑)。将門が「王都」と定めたとされる岩井が周辺と合併して「坂東市」と名乗ったのもたぶんに将門を意識していると思われます。
そもそも日本の東と西はほとんど別国家の様相だったのでは…ってな学説もありますが、深入りすると大変なのでこの辺にしておきます(^^;)。
>奥野さん
かつては死後に「贈り名」として天皇の「歴史人物としての名前」が決まったわけですけど、この習慣だと当人は自分が後世どう呼ばれるかわかんないわけです。評価も含まれるからかなり気になってお亡くなりになっていくんじゃないかと(笑)。
「後醍醐」のように生前から自称して決めておく例はそれ以前にもあったらしいのですけど、後醍醐の場合はかなり強烈な意志をそこにこめてるのが特徴です。彼が吉野で死んだとき、北朝では一時先例にならって「徳」字のついた諡号も検討したそうですが、やはり故人の遺志を尊重して「後醍醐」にすることにしたといいます。
そこいくと一世一元制は選ぶ段階で本人がタッチできますし、死後にどう呼ばれるかもう分かってるわけで、当人にとっては安心できるシステムなのかもしれません(笑)。「平成」なんかはストレートに「平和に成る」で、その前の昭和が戦争時代であったことと対照させる意図があったんだろうなと思ってます。
>小覇王さん
中世の情報伝達速度も案外バカにできないんですが、確かにあんなにゴチャゴチャと改元やってると地方によってはその情報が伝わるのにタイムラグが生じてしまうでしょうね。
いまちょうど、戦国時代の手紙史料をまとめた「戦国のコミュニケーション」って本を読んでまして、電話もメールもなく人間が届けるしかない時代の情報伝達の面白さにハマっている最中でして。
>サーフェイスさん
お書きのガザ問題については、今回の「史点」でその関係を書いていたこともあって、こちらではレスを控えてました。とりあえず終わったようですけど、結局なんだったんだと思うばかりです。そのうちまたおんなじことを繰り返すんじゃないかと。
>大相撲
実は昨日のうちにほぼ書きあげていた「史点」中に朝青龍のことをちょこっと書いてまして、昨日は優勝してくれないと困るなぁと思って見てたんです(笑)。
なんだかスポーツ漫画みたいな展開でありました。
#8383
民本主義者 2009/01/26 00:02
私年号
日露戦争の勝利を記念した石碑や絵葉書に「征露元年」とあるのは一種の私年号だという論考は、浅羽通明さんが「別冊宝島」の天皇論の号に書いていたような。
(昔は硬派だったのよ、あのムックは)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E9%9C%B2
こちらのWikipedia「征露」の項目には「日本の私年号の一つ」とあります。
しかし、これが私年号だったら「戦後60年」だって私年号になっちゃうんじゃないかなあ?
#8382
奥野 2009/01/24 22:39
元号の話あれこれ
「平成」は意外に早くから選定作業が始まっていたのですね。僕はあの時もう高校生になっていたのですが、意外に憶えていないものです。しかし「次の元号の審議を始めてます」なんて話、天皇本人が知ったらやだろうなあ。
一世一元で味気なく思うのは、即位の段階で天皇の「名前」が決まってしまうから、政治的メッセージを示す手段になりにくいという点。例えば、天皇本人が「俺は後醍醐」などと言い出すような例は、一世一元が続く限りもはや現れないわけです。あるいは怨霊封じに「徳」の字を入れるケースとか(崇徳、安徳など)。
中世における関東の私年号については、鎌倉公方(古河公方)が東国において独立に近い状態を保ったことと関係がある、と聞いた記憶があります(出典は忘れてしまったのですが)。阿祥さんが書かれている平将門、あるいは鎌倉に拠点を置いた歴代の武家政権、最後まで中央政府に従おうとしなかった後北条氏の事例などを考え合わせると、関東というのは中々に興味深い地方であると思いますね。現在では関東が日本の「中心」になってしまったから、「地方」としての関東というのは却ってイメージしにくくなっていますが。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/
#8381
阿祥 2009/01/24 10:59
平将門
海音寺潮五郎氏の「平将門」を読んだのですが、平将門は、私年号は宣しなかったようですが、「新皇」を名乗り天皇に即位したというのでいささか驚きました。(歴史専門家には常識なのかもしれませんが。)日本史では古代から連綿と続く天皇制がゆるぎなくあって、古代の成立期は不安定であったにしても、中世以降はそんな正面きって天皇制には向かう、自ら新しい天皇であり京都朝廷と対等の政権であると宣言するというような事はなかったと、てっきり思っていました。将門の政権は、実際はごく短期に鎮圧されてしまい、単なる“乱”として歴史上では片付けられていますが、もし何らかの事情でそのまま関東に政権として定着して、日本を二つに分割したかもしれないと考えると、非常に興味深い歴史上の“if”だと思いました。
中国明末のヌルハチの勃興期等をみると、ヌルハチの軍事的能力と明に対する私怨から始まった満州族の反乱が最終的に明朝を倒してしまいます。明朝中央の腐敗という理由もあるのですが、事件の展開としては良く似ているように思います。
#8380
小覇王 2009/01/21 23:42
歴史的瞬間
遂にオバマ大統領が誕生しましたね。一応就任式をテレビの生放送でずっと見ましたが、歴史的瞬間を目撃したと言っていいんでしょうね。後は911テロの映像なんかも生で衝撃的でしたが・・・
しかし、あの就任式一連の行事、同じことを(今回は特別規模が大きかったのですか?観衆は多かったでしょうが)日本で首相が変わるたびにやってたらとんでもないことになるでしょうね。まあ、そこらへんも直接選ばれた元首との違いですかね。
>元号
「私年号」ですか。戦国時代なんかは地方ごとに別個の年号を使っててもおかしくない感じですが、一応全国共通の年号を使ってるんですよね。
ただ、現在みたいに今日から新元号!ってスムーズに伝わるわけではなく、地方では改元のニュースが伝わらなかったり、伝わるのが遅くてしばらく前元号を使い続けている、というのも多かったようです。半年から一年ぐらいずれがあったらしいです。(出典を示せなくてスイマセン)
http://burebure.blog.ocn.ne.jp/burebureblog/
#8379
サーフェイス 2009/01/19 19:05
どこへ逃げようにも
きょう、どうやらイスラエル、ハマス双方、
停戦の動きだということで
目出度いことだと思います。
個人的には、どっちの肩も持たないつもりなのですが
イスラエルの主張~空爆で巻き添えを食った民間人ら
空爆の事前にアナウンスなどで退避勧告を出したのに
逃げなかったのでイスラエルに責任はない、との報道も
あんな狭い、イスラエル軍に包囲されている
中東屈指の人口過密地の何処に逃げる所があるのか
大いに疑問です。
それに自分の家の隣にハマスのアジトがあったとして
イスラエル軍が今から砲撃して巻き添えでオマエん家
も吹っ飛ぶから逃げろとアナウンスされても
その警告を受けたヒトはイスラエル軍に
正当性を感じる事は有り得ないでしょう。
そうやって戦災を受けて家を失った
パレスチナの民衆に援助、仮設住宅や寄付を
しているのは主にハマスであるのが
ハマスへの支持が減らずイスラエルへの憎悪が
増えている悪循環
>NF様
ハカマタレは藤原一族だという説があるそうですね。
藤原ナニガシ氏が笛を夜吹いて歩いていて
ハカマタレが追いはぎをしようとしたが
スキが無く追いはぎソビレたのは
一説には、笛吹き人の弟がハカマタレだったから
というもの。
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1364
#8378
徹夜城(暇なうちにいろいろ見ておく管理人) 2009/01/18 22:10
「ルーツ」を見終えて
1977年に放送されたテレビドラマの名作「ルーツ」を、先ほど見終えました。
別に意識したつもりはなかったんですが、ちょうど黒人大統領誕生直前に見終えたわけでして。
いや~やはり、名作と呼ばれるだけに面白かったですね。キツい話の連続でもあるのですが、視聴者を飽きさせない話運びは名人芸といっていいかと。そして歴史上の有名人ではなく、ある平均的な(?)黒人一家のホームドラマにして大河ドラマという内容は、いま見てもけっこう新鮮です。
ドラマ自体は南北戦争後主人公たちが自由を手にするところで終わり(つくづく思いましたが、このドラマで連打される「自由」という言葉の何と重いことか…ブッシュ政権時代になんと軽々しく使われたことか)、原作者のアレックス=ヘイリーがドラマの最後に登場して自身に至る系譜を語ります。アフリカから連行されてきたクンタ・キンテから7代のちの子孫がヘイリーということなんですな。その後の歴史を埋める「ルーツ・ネクストジェネレーション」という続編も作られたそうですが、日本ではまだソフト化してないのかTUTAYAには置いてありませんでした。
原作者によると祖母から聞かされた先祖の話(ドラマ中でも子孫たちが繰り返し初代のクンタ・キンテの物語を伝えていく)をもとに12年の調査を行って、それをもとに作った物語だそうです。さすがに200年も前の先祖の話となると詳細は分からないでしょうからかなりフィクションを加えているとは思われますが…
なお、歴史ものではさっそく「チェ・28歳の革命」も見てきてます。事前に聞いてはいましたがかなりドキュメント風味な作りで、史実には忠実なんでしょうけど淡々とした印象でした。作品としての評価はまた趣向を変えたという第二部を見ないと何とも言えませんね(「レッドクリフ」もパート2待ちです)。
>奥野さん
「福徳」という私年号の話は知りませんでした。ウィキペディアで「私年号」という項目をあたってみたんですが、意外にかなりの数あるんですねぇ。
元号決定の手続きに関してですが、これもyoutubeで昭和が終わった日関連の動画(当時のニュース番組)を梯子してるといろいろ分かってきます。少なくとも9月に昭和天皇が吐血して重体が報じられたニュースの中で「内閣は万一に備えて新元号の選定作業に入った」との言葉が流れてます(このニュースを読んでるのが20年前の笠井アナ!)。たぶんそれ以前から漢学者などに候補を選ばせているようですけどね。
そして実際に「平成」と決まったその日にその過程をTVで解説しているのが下の動画。
http://jp.youtube.com/watch?v=u3oeZMJIjg4
これによると「修文」「正化」も最終候補になっていたようですが、実質「平成」ということで内定していたようですね。「大正」もそうだったという話ですから、先日出た「昭和」と「光文」の件もその過程で情報漏れしたことで誤報になっちゃったのでは。
「平成」が発表されるまで「新元号大予想」番組を見てましたが、いままであまり使われていない「光」が有力だ、と誰かが言ってたのを覚えてます。
ところで、先日書店で、
「平城天皇」(吉川弘文館「人物叢書」)
という新刊タイトルを見て一瞬ドキリとしたもんです(笑)。
年号がややこしくなるのは南北朝時代ですね。自分がついてるのが南朝か北朝かで手紙の年号をいちいち変える(なんせ尊氏・直義もやるからなぁ)。おまけに新田義貞が新天皇・恒良を建てた「北陸王朝」ではその実態消滅後も独自年号が使われ続ける。北朝の中でも「直義・直冬党」が独自年号を使ったりしますし、もうグチャグチャ(笑)。当時の武士たちも「えーと、いまオレの立場では今年はナニの何年だっけ?」って苦労したんじゃないかと思われます。
空母「ブッシュ」ですが、一応歴代大統領の名前を付けるという習慣のうえのことではあるんです。調べてみると、
「ジョージ・ワシントン」「エイブラハム・リンカーン」「セオドア・ルーズベルト」「ドワイト・アイゼンハワー」「ハリー・トルーマン」「ロナルド・レーガン」そして「ジョージ・ブッシュ」が空母の名前になってます。
しかし歴代全部が使われるわけじゃありませんし、大統領以外の軍人・政治家の名前がついてる空母もあるようですから、「ブッシュ」が選ばれてるのはやっぱり恣意的なものを感じざるを得ないんですね。「レーガン」と二代続けてになりますし。
日本でも明治時代に欧米にならって軍艦に人名をつける案があったそうですが、なんでも明治天皇自身が「もし沈没でもしたらその名の人に失礼じゃないか?」と言ったとかで、山や旧国名をつけることになったっていうんですね。
#8377
奥野 2009/01/17 14:56
アメリカさんもそろそろ代替わりですね
>元号
一世一元のルールって、いつかは必ず元号を「変えなければいけない」ってことでもあるんですよね。しかし事の性格上、普段から次の元号を考えておくわけにもいかないような気がする。実際のところ、代替わりになってから慌てて考えているのか、それともいくつかストックがあるのか、どういうルールになっているのでしょうか。
元号といえば、しばらく前に新宿歴史博物館(大変面白い博物館でした)に行った時、「福徳○○年」と記された板碑を見ることができました。日本史上このような元号が制定されたことはなく、いわゆる私年号なのだそうです。中世の関東では屡々見られた現象だそうですが、江戸/東京が日本の中心となる時代より遙か前、関東が1つの文化圏として独自性を持っていた頃の産物なのでしょうか。
今の日本では、どれほど反骨精神旺盛な者であっても、勝手に元号を作ってしまうという話は聞かないですね。自治体でも何でもいいですが、誰かやってくれたら面白いのに(無責任)。
>空母ジョージ・ブッシュ
引退した親父に軍艦って、何だかグレート・デギンみたいな話ではあります。
「ジョージ・ブッシュはどこに配備されたのですか?」
「沈んだよ。先行しすぎてな」
「父上がよく手放されましたね」
「父がジョージ・ブッシュを手放すと思うか?」
「思いません」
「では、そういうことだ…」
しかし、例えばロシアや中国で新造艦に元首のお父さんの名前をつけたりしたら日本のマスコミはものすごく揶揄するだろうに、アメリカだとごく普通に報じてしまうのが何とも。日本にとって事実上の宗主国だから言いたいことが言えないというのとも違い、アメリカ(やヨーロッパ)のやることは全て「ノーマル」なものと受け止めるという、一種の思考の型ができあがっているように感じます。まあ、それこそが宗主国と従属国の関係なのでしょうけれど。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/
#8376
NF 2009/01/14 23:44
説話
>サーフェイス様
初めまして。盗賊「袴垂」は切腹して果てた早い事例としても知られていたように思います。この頃の説話が皇室タブーもお構いなしだったのは間違いないようで、鎌倉期の説話集「古事談」の場合、最初が帝王部で時代順に最初が称徳天皇なんです。そのせいで本を開いて最初に飛び込んでくる文章が「称徳女帝は道鏡の逸物でも満足できず山芋で」云々というお話となっております。この手の話を編纂したのは貴族階層だったようで、貴族間でゴシップを集めたものでしょう。高貴な人のエロネタなどは寧ろ好餌だったのではないかな、と思います。そういえば「源氏物語」も当時の宮廷に実在する人物を元ネタにしたゴシップ小説という側面がありましたが后の密通云々が寧ろ同情的に描かれていましたね。
…僕は口を開くとすぐシモネタに走ってしまうようで、いけません(汗)。
http://www.geocities.jp/trushbasket/
#8375
サーフェイス 2009/01/14 21:40
今昔物語の実在人物
わたしは古文は全く読めませんが現代文訳してある
説話集を見かけると読みます、最近「今昔物語」が
意外と、おもしろいなと思っています。
以前まで、この説話集はオトギバナシか仏教説教
だらけだろう、ぐらいの認識しかなかったのですが
さいきん出ている現代訳版を読んでいくと
実在した著名日本史人物が、出てくることがあり
おどろいています、源頼光や源平創成期の
有名な源氏や平氏の長者たちが出てきたりします。
まるで石川五右衛門かルパンを連想するような
怪盗「ハカマタレ」が今昔物語の説話に何度も
登場して、ほかにも、盗賊、追いはぎ
ムチを使う女盗賊などなど、こんな昔に
ピカレスク小説があったのかというほど
犯罪者が主要キャラの話があったりします。
あと、すごいのは皇后が祈祷師と不倫した
などという皇室なんのそのな説話もあって
この当時は皇室ゴシップも遠慮がなかった
のでしょうか。
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1351
#8374
EN 2009/01/14 18:00
昭和の始まり
もう年が明けてから半月近く経つんですが、今年もよろしくお願いします。 昭和が終わってもう20年経ちましたが、そういえば昭和の年号が決まった際、とある新聞社が新元号の大誤報スクープをしたという事件があるんですね。「光文」と報道したみたいで、当時の主幹が辞任する事態にまでなったそうです。真相についても諸説あるらしくて、某百科事典サイトによると当時の宮内省が情報が漏れたことに怒って、決定していた光文から昭和に変えた説まであるんです。本当かどうかは分かりませんけど、あの激動の昭和の始まりには、こんな逸話があったんだなと思いました。
#8373
徹夜城(久々に海賊関係に首を突っ込んでる管理人) 2009/01/13 23:12
見逃していた映画
ちょっと暇がとれたもので、TUTAYAからDVDを何本かレンタルして鑑賞してます。昨年見る予定で見逃した張芸謀監督の「王妃の紋章」なぞ…それにしてもずいぶんな邦題であります(便乗が明らかだもんな)。
正直なところ「大金かけてひどい映画をつくるなぁ」という感想。原作戯曲(?)は何やら古典で有名らしいんですけどね。映画はかなり思い切って変えていると見た。
分かる人に分かるようなたとえをすると、黒澤明「乱」をもっと陰惨でドロドロでひどくしたような…「絵」はきれいなんですよ、いちいち。終わってしまうと「で、なんだったの?」と言いたくなる。コン=リーとチョウ=ユンファという凄い組み合わせなんだけどなぁ。
で、なんでこれを見たかというと、珍しく五代十国時代が舞台になっているため。チャン=ツィイーが主演した「女帝(バンケット)」も五代の設定で、なぜかかぶってしまったのでした(後者は「ハムレット」の翻案で、どっか似てます)。
後日映画のほうで書こうと思いますが、「K-20怪人二十面相・伝」はなかなかの快作ですよ。歴史とは関係ないだろと思いきや、「太平洋戦争が回避された昭和20年代」という架空世界を舞台にしており、戦前の華族制度や軍の支配などがそのまま残り、より激しい格差(身分)社会があるという設定が妙にリアルなのであります。敗戦を一種の革命とみなす学説を思い浮かべつつ見てしまいました。
明智小五郎役で出ている仲村トオルは、以前韓国映画「ロスト・メモリーズ」に出演しておりまして、こちらも「第二次大戦で敗北しなかった未来の日本」が舞台。それに気がついたら「K-20」の世界では日本はまだ植民地を持ってるのか?という疑問も。映画中にはいっさい出てきませんけどね。
>NFさん
毎度濃い感想を書いていただき恐縮であります(^^;)。
海賊に対して海賊出身のものをぶつける対策というのは明代の倭寇対策で実際に見られますね。あの王直だってそれで生き残る可能性は十二分にあったんです。もそっと後の鄭芝竜なんかはその実例になりました。
海賊といえば、その後サウジのタンカーは解放されましたが身代金は300万ドルとか。乗っ取る費用に50万ドルかかってるそうですから、十分黒字であります(笑)。ほかには中国軍艦が初めて台湾船舶の護衛についた、なんて話も出てきましたね。
どうしても一連のニュースを見てると、我が国の倭寇とか瀬戸内海賊とかの前例を連想しちゃうのですよねぇ。中国人多数の後期倭寇でも金持ちの身柄を押さえて身代金をせびる、という実例がかなりあったようですし、室町~戦国期の瀬戸内海賊なんて通る船から通行料をとるのは当たり前、払わなきゃ正当な手段として攻撃・略奪するという連中でしたから。朝鮮使節とかイエズス会宣教師たちの記録読んでるとちょっとしたカルチャーショックがあります。
>サーフェイスさん
僕は倭寇研究をやってまして、さらには「倭寇側」の立場にたつポジションにおりますので、ソマリアの件でもたぶんに海賊さんたちに情が移る傾向がありまして(笑)。実際、平和なときであれば海賊なんてしないですむはずなんです。各国の海軍がソマリアに向かいましたが直接的に掃討するつもりは今のところないようですし、根本的な対策はソマリアの内戦自体を収拾しないとどうにもならないとだいたいの人は分かってるんです。同国の教育相だったかが「国際社会の無関心がこの事態を招いた」という言い方をしてました。
>奥野さん
こちらこそ、今年もよろしく(^^)。
年号の話ですが、明治になって一世一元になる前の最長の年号は「応永」でしたよね。35年まである。「室町太平記」でも触れたエピソードですが、当初足利義満は「洪」の字を入れた年号を強く主張し(明の「洪武」を確実に意識したとされます)、それが公家たちにはねつけられたため「応永」を意地になって変えなかったという見方もあるようで…もっとも父・義満に反感をもっていたとされる子の義持もずっと維持してました。この異例の長期年号の原因はなんだったのか、まだ考える余地がありそう。
また、「明治」からなぜ一世一元にしたんだろうという疑問にまだ明確な解凍は出てないんじゃないでしょうか…?明の洪武帝から始まる一世一元制なので、明史をやった僕などは「明の治」なんだと冗談を言ってますけど(笑)。
アメリカ大統領に合わせて「ブッシュ4年」とか「オバマ3年」とかいうのも面白いかもしれません(実際、最長8年だから換算はしやすいですね)。
ブッシュといえば父ブッシュのほうは空母の名前になっちゃいました。あと一週間の大統領である息子さんが先日の式典で「望むものほぼすべてを手に入れた男に何を贈ろうかと考えた末に空母を思い付いた」と言ってたのには、冗談とはわかってるけど少々あきれてしまいました。空母が親孝行ですか(笑)。
ケチがつきつづける「ブッシュ」の名前がついた空母、変なことがおこらなきゃいいんですけどねぇ。
#8372
奥野 2009/01/12 18:14
21年
今年に入ってから初めての書き込みとなります。本年もよろしくお願いします。
しかし、「昭和が終わった日」からもう20年ですか。僕はまだ高校生だったのですが、相撲好きの同級生が初場所の中止に憤っていたことを思い出します。あと、実はロシア正教のクリスマス(すなわちユリウス暦で12月25日)にお亡くなりだったんですね。
平成もはや21年。明治以降は一代一元号が原則となったので珍しくも何ともありませんが、それ以前の元号だと二十何年という数字は新鮮に映ります。応永とか天文とか、天正も20年まで行ってましたっけ?これだけ世相がガタガタしてくると、いっそ改元によって心機一転…とか言い出す人は、流石に保守派の中にもいないですかね。
もっとも、今の世界で一番影響力があるのはアメリカの政府だろうから、ここは一つアメリカに元号を導入してもらい、改元して天に詫びるというのはどうでしょうか。ちょうど為政者も代わることだし。
それはさて、今年もよろしくお願いいたします。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/
#8371
tomohiro 2009/01/12 17:02
それはしりませなんだ。
>黒駒様
甲府道祖神祭りは存じないです。
各地で道祖神祭がやっているのは
伝聞しております。
天保の打ち壊しから復興を意図して
開始されたのは興味深いですね。
道祖神祭は
群馬・長野・新潟あたりで
行われていると聞きます。
私の近所では旧相模国地域では
どんど焼きを左義長というと聞きます。
三浦半島に近いテリトリーが
どんど焼きらしいのですが。
#8370
黒駒 2009/01/12 10:51
近世にはじまった民俗事例
あけましておめでとうございます。
>tomohiro様
近世史と民俗学、道祖神信仰とくれば、甲斐の甲府道祖神祭りをご存知でしょうか。ちょうど山梨県内各地で道祖神祭礼が行われている時期であるのですが、明治期に廃絶してしまったものの近世甲府城下町では華美な道祖神祭りが行われていて、甲府は地下に上水が通っているので山車を用いることが出来ず、代わりに町屋の軒先に飾幕絵を掲げてしました。この幕絵製作に甲府商人たちは財を尽くし広重をはじめ江戸の浮世絵師を地元に招いています。広重の『甲州日記』写本発見が話題になりましたがね。
山梨県立博物館ではこの甲府道祖神祭りをジオラマで再現していて広重の手がけた県指定文化財の幕絵も所蔵しているのですが、同館の近世史担当の学芸員さんは、まだ論文化しておらず仮説段階なのですが、甲府町人がここまで道祖神祭礼に財を尽くした要因に天保騒動からの復興祈念という背景を考えています。天保騒動とは甲斐東部の郡内地方からはじまり一国規模となった大規模な打ちこわし騒動で、徳川斉昭は上方での大塩の乱とともに国内の不安要素として日記に記しています。幕末の有名人だと江川太郎左右衛門も騒動の波及を警戒していますし、隣接する多摩地方ではこれを契機に農村剣術が振興され、新撰組連中が出てくる背景にもなっていると思うのですが、この天保騒動は甲府城下にも及んでいるため、打ちこわし被害からの復興を企図して道祖神祭礼が開始されたのではないかと、県博の学芸員さんは想定しています。
#8369
tomohiro 2009/01/11 17:55
民俗学と近世史
実を言うと私は道祖神や庚申塔などの石仏・民間信仰・民俗学に
興味を持っておりまして、
そういった物に興味を持つと同時に江戸時代・近世に興味を持ってみようと
思ったのです。現在現存する民俗芸能、民俗的に貴重な物は
江戸時代にルーツを持つ物が多いのです。
それ故に、江戸時代の元禄時代から天保頃の歴史に興味を持ったのです。
民俗学と近世史の連動を考えるのは楽しいです。
http://blog.goo.ne.jp/misakimizugi
#8368
サーフェイス 2009/01/11 12:30
漁師が海賊は短絡
漁師が海賊をやっているとハヤシ立てるのは
軽はずみ、かなと思います。
ちょっとまえダイビングをやる知人の話ですが
世界で隠れたダイビングスポット
ものすごくキレイな海でダイビングしたら最高なところには
中東戦争で機雷とか浮いていて誰も
おっかなくてヒトが寄り付かなくなった海は
ものすごくキレイな海で魚介類、海洋生物、豊富だそうです。
ソマリアや紅海あたりの猟師は戦乱とかで本業が出来なくなった場合も
あり、それらを一方的にヒールにしてしまうのは、ちょっと。
さいきんは海賊退治に自衛隊を あのあたりに派遣なるやという論も
浮上して、そこあたりは慎重に論じてもらったほうがいいでしょう。
#8367
NF 2009/01/10 22:45
ぎゃー、文字化けしました。すみません。
さっそく「史点」に関連して徒然なるままに。すみません、同じ内容を投下したんですが文字化けしてしまいました。原因になりそうな文字を消して再投稿します。前のは申し訳ないですが、消去お願いします(汗)。
>麻生首相
…個人的にはまだ応援したい気分はあるんですけどね、でも今の与党がグダグダなのはどうしようもないしなあ。しかし、オタクとか2ちゃんねるとかの支持を受けて政権をとった麻生さんはまさに「異形の王権」なわけですが、混沌とした政局を収められず低迷している辺りも後醍醐そっくりな気がしなくもない(汗)。
>同じ本をまたお買い上げになっていらっしゃるのだ(汗)
…僕も古本屋でやってしまうことがあります。自分ではまだ早いと思っているのですが。
>先日更迭された幕僚長に元ネタ吹き込んでるお方
中公新書「ドイツ参謀本部」は普通に面白かったのですがね、日本がらみでは色々ありそうですね、あの人の本は。
>遺髪や衣服から大量のヒ素が検出
ナポレオンにも似たような話がしばしば出ますけど、どうなんでしょうね。
>国家正史「清史」
やっぱり伝統漢文で書かれるんでしょうね。
>後宮にいる太后がイギリス人を愛人にする
秦のロウアイみたいに宦官と見せかけて後宮に、ってやっぱり無理がありそう。西洋人ってだけで怪しまれそうですし。
>海賊がタンカーを奪取して村にひいてくると村人がこぞってお祝い
まるで鯨ですね(苦笑)。「漂着」した船を接収したわけですな。
ところで、ウクライナ武器密輸班VSソマリア海賊って、何だかマフィアVS海賊といった趣でアクション映画向きなネタですね。
>戦争ビジネスの皆さんも海賊さんたちといい勝負
海賊を鎮圧する「水軍」の正体は…って感じの話ですね。考えてみれば「賊」を鎮圧する側も似たり寄ったりな存在だというのは前近代では寧ろ普通でしたが、「国軍」以外にもこういった存在が目に付くようになっている辺り、「近代国家」の枠組みが変化しつつあるのかも。
>自衛艦の派遣
今回に限らず、航路の海賊取締りや商船護衛目的の派遣はきっちりと決めてしっかりやる必要がありそうなんですけどね。ソマリアだけじゃなくてマラッカ海峡の海賊対策だって日本にとっては重要ですし。石油輸入航路が不安定になると資源に乏しい日本としては文字通り死活問題ですもの。こうした有事の対応も法制できっちり決めておかないと、現行法の拡大解釈は逆に暴走につながりかねないと思うのですけどね。
>「神」への裁判
昔なら、「判決。原告は火炙り。以上」になりそうな気が(苦笑)。しかし、人間以外を被告にして裁判をするのは西洋の伝統みたいで、中世西欧の動物裁判は有名ですが、穂積陳重「法窓夜話」にアイスランドで日々の生活を妨げる幽霊相手に裁判した話もありました。
>世界中のさまざまな悲劇も全部神様の仕業
長いスパンで全宇宙を上手く運営するため、世界を一つの演劇に見立てて全生命にそれぞれ役柄を振り分けているという「世界劇場」の考え方がキリスト教世界にはある、と聞いた事があります。ただ、短い期間を生きるだけの人間からすれば、神が退屈しのぎ目的で自分たちを弄んでいるようにも思えてしまうわけで。…って何だか「魔塔戦士SaGa」みたいな話になりましたな。
http://www.geocities.jp/trushbasket/
#8365
徹夜城(ようやく冬期講習が片付いた管理人) 2009/01/07 20:35
昭和が終わって20年
ようやく殺人的なスケジュールから解放されまして、更新作業なんかもしてます。今回の「史点」ネタにははずれる予定の話題から。
今日の平成廿十一年(爆)1月7日は「昭和」が終わったあの日からちょうど20年目なんですねぇ。それで今日武蔵野陵で儀式をやったりしておりましたが。あれから20年経つのかと柄にもなく感慨にふけりました。
正月気分がほどよく抜けた七日の朝、僕は7時前後に起床したと思うんですが、もうTVで「そろそろ…」という雰囲気の報道をしてましたね(実際にはその時点でもうお亡くなりだったんですけど)。そして「いよいよか」と待機していると、8時前(さっき確認しましたが7時55分から)に公式に「崩御」の発表。youtubeにあったそのときの映像がこちら。
http://jp.youtube.com/watch?v=LDb-CyrlOgg&feature=related
それから新元号「平成」が発表されるまで、昭和回顧番組などもやりつつ、どっかの民放番組では新元号予想を勝手にやって盛り上がったりしていた記憶があります(笑)。もう3か月も待機状態みたいなもんだったので、案外明るい雰囲気だった記憶もあるんですよね。なかなかお目にかかれない事態だということもあって。
その日に予定されていた高校ラグビーの決勝戦が中止になり、両校優勝になっちゃったりしてるんですよ。それで「優勝校」になっちゃったのが茨城代表だったのでよく覚えてます。今だと普通にやったんじゃないかと思うんですけどねぇ、あのときは何やら異様な自粛ムードがありましたね。20年後の今日、何事もなく行われてるラグビー決勝を見ていて、そんなこともあったなぁと思い出しました。
>坂東太郎さん
そうですか、やはり三島外記の殉死は研究者からも注目されているものだったのですね。僕は吉川弘文館の人物叢書「細川頼之」でチラッと言及されているのが気になって「明徳記」で原文をあたり、「これは使える!」と喜んじゃったのですが、ちゃんと研究対象として注目されていると知り安心(?)しました。僕自身は南北朝はあくまで「趣味」なのでそれ以上突っ込んで研究まではしなかったんですけどね。
#8364
坂東太郎 2009/01/05 22:55
ありがとうございます(深謝)
>徹夜城さま
坂東太郎です。
ご丁寧にご教示くださいまして、ありがとうございました<(_ _)>
『群書類従』の版本によって違いがあるとは思いもよりませんでした。
行き詰っていましたので大変助かりました。
手元の版は「右明徳記、勢州林崎文庫本をもって書写校合す」で終わっていますので、明らかに徹夜城さまのお手元のものと違っています。
三島外記のくだり全文引用してくださってありがとうございます。こんなに長文だったのですね。
実は管理人様ご指摘の通り、この件は殉死を考える上で重要な事例でして、山本博文氏の『殉死の構造』(講談社学術文庫)に最初の殉死の例(明徳記の中にあるように後追いの討死などを除きます(^_^;)として紹介されています。
これを小文の中で言及するにあたって、元史料に当たりたいと思っていた訳でした。
殉死は戦国時代には見られず、江戸時代初期に流行したそうです。
戦国の荒々しい気風をそのまま残した武士たちが討死がかなわなくなった世の中でせめてもの奉公として殉死していったのですが、殉死者の経歴を見ていくと武士たちの心性に関して興味深いことがわかってくるのです。一言での説明は難しいため、詳しくは山本氏の著書をご覧ください(^_^;)
阿部一族の事件(史実とフィクションの違い)、伊達政宗・細川忠興の殉死者などが検討されていて、ぐいぐい引き込まれます。
ですので、三島外記の殉死は江戸時代以外の殉死の希少な例ということです。
これからもお邪魔させていただきます。
本当にありがとうございました。
#8363
徹夜城(昨日から仕事始めの管理人) 2009/01/05 11:03
明徳記の該当部分
>坂東太郎さん
どうも、はじめまして。管理人の徹夜城でございます。確かにやってる期間だけは老舗レベルのHPであります(^^;)。興味をもってお読みいただければ幸い。
ご質問の「明徳記」の三島外記入道の件ですが、僕が参照したのも群書類従合戦部収録のものです。いまコピーを引っ張り出して確認しましたところ、この三島外記入道殉死のエピソードは版本によっては存在しないようです。群書類従の「明徳記」は細川頼之の葬列の描写で終わってますが、そのあとに「以下内閣文庫所古版本に依って補充す」とあり、いくつか後日談の記述の追加があるのです。
三島外記入道のくだりだけなら大した量ではなかったので、原文をそのまま書き写してみました。原文はカタカナですが、面倒なのでひらがなにしてあります。そう読みにくくもない文章だと思います。
「爰に不思議なりしは、武州入道の内に、三島外記入道と云者あり。武州と同年成しかば、朝夕雑談の合手にして、年久馴近付けるが、武勇の道にも甲斐々々しかりける間、武州情を懸て主従の礼を忘て只朋友の志をなし玉しかば、外記入道不断物語の次でには、我不肖の身として、連日御遊の砌に候て、奉公忠勤の礼をわすれて、歓楽遊興珍膳に飽るのみならず、栄耀累年の恩課に仰られて、一家を顧る事、厚恩更に報じ難し。去れば自然の時、先立申さんは是非なし。若武州禅門先立給ふ事もあらば、一日も後れ申間敷物をと、申居たりしが、武州御陰れと申ければ、頓て念珠を取て、中間一二人召連て、屋形へも参ぜず、直に勘解由小路朱雀の道場へ参て、聖に十念受て、白地に出体にて、道場の傍に、古き御堂の在所へ立寄て、西に向て手を合せ、南無教主弥陀善逝極重悪人無地方便の御本願誤せ給はずば、今日の新幽儀武蔵入道常久霊位、竝従死外記入道が意を来迎引摂し給て、一仏浄土所生の縁を示し玉へと懇に口説つゝ、念仏百返計唱て中間をば、道場へ参らせて、御寺衆一人御渡り候へとて、未帰らぬ其間に、腹十文字に掻切て、刀を咽に突立て、手を合せてぞ臥たりける。凡人の家僕たる者、戦場にて主と同討死するも、腹を切も、古今の間に多かるべし。又は主の討死する所を見捨て迯も有ぞかし。病死の別を悲て、正く腹を切て、同死径に趣事、前代未聞の振舞哉と、各是を称美して、皆感涙を流しけり。」
「ムロタイ」でも言及しましたが、「病死した主君に殉死」というのはこの時期では「前代未聞」だったんですね。それも正統派の切腹です。この一件は細川頼之という人物を考える上で非常に興味深いだけでなく、「日本切腹史」においても重要な意味をもつんじゃないかと僕は思ってます。この話が印象的だったから「室町太平記」では「三島外記」を第一回から登場させて、この殉死まで引っ張り引っ張った次第です(笑)。残念ながらこの「三島外記」、武勇も相当な人だったらしいんですけど、殉死以外の詳しい活躍が全く分からない。専門家がしつこく調べれば何かありそうな気もするんですけどね。
「殉死」が武士たちの間で広く行われたのは戦国以後なんでしょうか。森鴎外「阿部一族」でもテーマにされるように江戸初期まで濃厚にあって、主君の側近なんか殉死するのが当然視されていたようですし(四代将軍ごろに禁止されたんでしたっけ)。
主君と家臣の濃密な人間関係、ということでは小覇王さんが話題に出されてる衆道的な要素も強く感じますし、また一方で次第に形式化して世代交代の推進、あるいは殉死することで自分の家の繁栄をはかる手段と言った側面も指摘されてます。
むかしドラマの「真田太平記」を見て、それから原作を読んで、真田信之の側近でドラマでも大活躍だった鈴木右近がのちに殉死したことを知って驚いたもんです。それも信之が90過ぎという大長寿で、右近も80過ぎて殉死を遂げるという凄い話でして。この辺の話は「真田太平記エピローグ」になる長編「獅子」で読めます。
>天地人
第一回は一応おさえておこうと録画して、鑑賞しました。
とりあえずオープニングは歴代の中でも傑作とみていいと思います。やはりカッコいい。
阿部寛の謙信はこれまででもっとも男くさい謙信ですね(笑)。神がかり的な狂気を感じさせるところはさすが。というか阿部寛が演じるとみんなそんな感じで。先日「坂の上の雲」のメイキング番組やってましたが、秋山好古も確かにハマっております(笑)。
#8362
小覇王 2009/01/05 01:42
謹賀新年
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくおねがいします。
とりあえず「天地人」第一回を見たのですが、阿部寛の謙信しか印象に残らなかった気も。
でも、確かに秀吉は今までになく似ているかも。ただ逆に若い頃の秀吉に違和感が残りましたが。
そういえば、秀吉は衆道にまったく興味がなく、家臣が美男子の小姓をあてがったら、
「お前に姉さんはいるか」と秀吉が聞いた、なんて逸話もありますね。これは秀吉が上流階級出身ではない証拠とも言えるのではないですかね。
「天地人」も景勝と兼続のそういう話にすれば特定の支持を集められるかも。
そういえば人間の器の大きさを表現する「ケツの穴の小さい男」といった表現が衆道に由来するのではという本を今日読みました。
・・・正月から下品な話で失礼しました。
http://burebure.blog.ocn.ne.jp/burebureblog/
#8361
坂東太郎 2009/01/04 16:50
いきなり質問で失礼します
はじめまして。調べ物をしていて貴サイトへたどり着きました。歴史の長い素敵なサイトですね。
いきなり質問で申し訳ないのですが、管理人様またはその他の方でもご教示いただけましたら幸いです。
「室町太平記47」にある三島外記入道の殉死のエピソードなのですが、小文で引用しようと思い、原典を当たろうと思いまして、『群書類従』第13集所収の『明徳記』を見たのですが、該当のエピソードの記載が見当たらないのです。
岩波文庫版の明徳記には記載があるのだろうかとも思うのですが、身近な図書館には所蔵していないため、確認できません。
もし、このエピソードが何版の『明徳記』の何ページにあるということがお分かりでしたらご教示ください。
当方、最近現代語訳太平記を読み始めまして、南北朝時代に興味を持っているものです。韓国時代劇も何タイトルか視聴しました。また、お邪魔するかもしれませんが、よろしくお願いいます。
#8360
NF 2009/01/04 10:55
あけましておめでとうございます
遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。今年も妙な事を口走るかと思いますが、生暖かく見守っていただければ幸いです。「とらっしゅばすけっと」、今年は南北朝関連の更新も出来ればしたいと思います。
それにしても、南北朝漫画が三本とは、珍しい事があったもんですね。一本くらいブレイクしてくれたら…。個人的には、長谷川「ナポレオン」みたいに男臭くはっちゃけた南北朝作品が一つあればありがたいのですが。…って、何の話をしているやら。
えー、改めて、本年もよろしくお願い申し上げます。
http://www.geocities.jp/trushbasket/
#8359
tomohiro 2009/01/03 19:02
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
http://blog.goo.ne.jp/misakimizugi
#8358
サーフェイス 2009/01/03 10:57
果心居士
あけましておめでとうございます、ことしもよろしくおねがいします。
ことしも日本史キャラが出る漫画を作っていきたいとおもいます。
いま、さしあたって興味ふかい人物、「果心居士」でございます。
漫画「無限の住人」は今までフィクションコスチュームコミック
だと思っていましたが
(アチラの感覚では時代劇といわず時代衣装劇って感じらしい)
山田浅右衛門なる人物が実在の首切り請負人で刀剣鑑定人らしく
ちょっと驚いていたのですが
(このヒトは死罪人の肝臓から薬つくって販売した恐るべき人)
果心居士というキャラが出てきたので、何だかコレも意味ありげ
なる名だなと思いきや、本当の日本史伝承で出てくる名前で
逸話が、どれもウサンくさいのですが、まったく架空とも
いえないかも?らしい人物で
私は、こういう絶対に歴史教科書には載らないキャラに
スポットを当てたいと思っていたので。
どうやら大和のひと、興福寺の破門の徒が出自とされる説も
あるので、同時代の大和の国の人々いうと松永久秀や
筒井順慶、柳生石舟斎、可児才蔵などが
果心居士と関りありそうな気もするのですが
可児は美濃の人ですが興福寺でヤリ術を習ったそうなので
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1318
#8357
孟きょう 2009/01/01 20:45
謹賀新年
>徹夜城様
明けましておめでとうございます。本年度もよろしくお願いします。
なんやかんやで気になる南北朝もの漫画ですが、岡村センセのタッチ上ちゃんと描いてくれますか心配です。尊氏を豪快な熱血ヒーロー的に描きすぎると彼の魅力やこの時代の魅力が表現しきれないと思うんですよねえ、・・・(顔は美形でもいいのですけど)
#8356
徹夜城(結局更新できないまま年を越しちゃった管理人) 2009/01/01 00:34
あけましておめでとうございます
新年あけましておめでとーございます。
気がつくとサイト全体で11月9日以来更新してないんです…もう二か月近く。「史点」は麻生内閣の命脈ともども年を越しちゃいましたし(爆)。
今年はザビエル来日460周年、王直死去450周年という節目であります(笑)。誰も指摘してない気がするけど、昨年は足利尊氏将軍就任670年だったんだよな。
ともあれ、今年もよろしくお願いいたします。
ところで…
そのまま立ち消えかとひそかに恐れていた岡村賢二・画「私本太平記」は予告通り無事に「戦国武将列伝」誌に第二部が開始されました。なぜかサブタイトルに「足利尊氏」とデカデカとついちゃいました。まぁ「列伝」と銘打った雑誌だからなんでしょうけど。しかし戦国武将専門誌だけに浮いてしまうのは否めない…
今回分では箱根・竹之下合戦だけで贅沢に一回つぶしてしまいました。それでもちと展開が速すぎてよく知らない人にはついてけないんじゃないかと危惧。尊氏の出家騒動も案外あっさりしてますし(これは吉川英治の原作もそうだったかな)。佐々木道誉は最初から尊氏と示し合わせて新田軍に投降、箱根の戦いで寝返りを打つという展開になってます。
読後感ですが、むやみに尊氏が凄い凄いと持ち上げるセリフがあるわりにどこがどう凄いのかよく分からんような。この点、吉川英治も「矛盾の人」として処理に苦労してるんですけどね。
一方、「マガジンGREAT」の「山賊王」は赤橋守時が壮絶に討ち死に。古典「太平記」そのまんまに中国の故事を引いたりしてます。稲村ケ崎突破作戦もだいたい予想通りの少年漫画チックなアレンジになってました。
さて注目は今回初登場した長崎高資の子飼いの猛将・島津四郎。いかにも少年漫画的な強敵として登場、主人公・樹といざ一騎討ち…というところで以下次号、になってるんですが、これやっぱり「太平記」どおりズッコケおちになるんでしょうかね。
さてさて、驚くべきことに、南北朝ネタの連載漫画がもう一本登場しました。「スーパージャンプ」誌1月19日号(12月中発売のもの)に「ナギ戦記」なる「楠木正成伝」の連載が開始されちゃったんです。新人の方なんだそうですけどね。
いちおう青年誌ということでいきなり多聞丸(のちの正成)が女のところへ夜這いしてるシーンがあったりしますが(もっともその相手も「久子」ですから後の妻です)、どうも全体の雰囲気は「山賊王」に近い少年漫画チック。
第一回を見た限りでは、どうも「多聞丸」は出生不明の青年で、悪党である「楠木入道」とは全く無関係の設定のようです(むしろ第一回では敵味方関係のように描かれる)。そのうち実は隠し子で、なんてことになるのかもしれませんが、漫画作品だけに他の正成主役作品以上に思い切ったアレンジをしてくるように思います。
少年誌よりは歴史長編連載が可能な舞台だとは思うけど、正成となると討幕から湊川まで計算に入れなくちゃならないし、無事に描けたとして何年かかるものやら。「山賊王」だって10年以上計画になってますもんね。
というわけで、なんと南北朝時代漫画の連載が三本もあるというとんでもない年明けになりました(笑)。
正月休み中に歴史映画と漫画で南北朝!ぐらい更新したいもんなんですけど、大丈夫かなぁ(^^;)
#8355
サーフェイス 2008/12/27 06:14
日本史架空人物辞典
自分が描くマンガに歴史実在人物を出したりしていますが
自分は、それはフィクションだと前置きしてやっていますが
それでも、その出した人物の足跡を全く知らずにマンガに
するのも何なので参考に、ちょっと調べたりします。
ネットで調べれば、お手軽ですが限界もあるため
もよりの図書館を活用しますが
おもしろい本を図書館で発見、題は
「日本史架空人物辞典」
この本は、猿とび佐助や霧がくれ才蔵など
伝承超人のことがのっている辞典で
とくに、この両忍者大家に関して
司馬遼太郎氏、これらのような伝説人物を
いちいちウソの人物だとメクジラ立てて怒る
ヒトはヤボだと言ったとか書かれていて(笑
この辞典は忠臣蔵の大石内蔵助
太平記の足利尊氏や楠木正成の名前も載っています。
いえ、これらの人々の存在が架空だと辞典で
指摘しているのではなく伝承に脚色の多い群雄と
して辞典にのっているようなのです。
上泉伊勢守信綱や柳生石舟斎の名前も、のっていて
「無刀取」なる超人伝説がある人々なので
のっていて不思議はないかも
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1295
#8354
つね 2008/12/25 00:20
ありがとうございます。
徹夜城さん、お忙しい中、返信ありがとうございます。
このサイトで南北朝関連について質問をして「分かりません」であれば、
諦めもつくというものです。
「太平記大全」では第43話の解説に、載せられていました。
理由は分からなくても、義詮が正行を敬慕していたことは確実だし、
戦乱の中での敵味方の交流(この場合は片想いですが)は、いい話だと思います。
#8353
徹夜城(こっそりと修正作業をしたりする管理人) 2008/12/23 23:36
25分で見られる「室町太平記」
著作権的にはナニなのでありますが、放送当時見逃していた南北朝時代部分が見られて嬉しかったのです。とくに「室町太平記」の内容とほぼカブる第26話がなかなか見ものだったので紹介。
「まんが日本史」第26話「南北朝の統一」
http://jp.youtube.com/watch?v=kD2Mi8yEQJA
この「まんが日本史」は小学館「少年少女日本の歴史」を原作(というか参考)にしているので章立てもほぼ踏襲、セリフや構図にも共通点が多いのです。しかし漫画版が鎌倉幕府崩壊から義満の死までを4章構成にしたのに対し、アニメ版は5章構成。とくに原作の第8巻第4章の義満時代を「南北朝の統一」「室町幕府の繁栄」の2章に分けたため、それぞれ原作より情報量が多くなっています。
「南北朝の統一」の回は足利義満と細川頼之の情愛物語としてなかなかうまいシナリオになってるな、と感心しました。当時見てなかったはずなのに、「ムロタイ」と似たセリフや場面が目につきます。また原作では完全に無視された楠木正儀が登場しているのも嬉しい。頼之の臨終に義満が立ち会っている場面は明らかに史実にもとるのですけど、泣かせますねぇ。頼之の死後の南北朝統一実現後、義満の見上げる夜空に頼之の姿が浮かぶ場面もいい。
「南北朝時代を描いた映像作品」じたいが大河以外ほとんど存在しないので、このアニメはその意味でも貴重なんですよね。他の回も見所が多いです。後醍醐天皇はほとんど悪人ヅラのような(笑)。
>つねさん
義詮が「正行の隣に葬ってくれ」と遺言した件は「太平記大全」ではなく「室町太平記」のほうで触れてました。僕もすっかり忘れてましたが(汗)、改めて読んでみると「高野山」のくだりが誤りなので訂正しておきました。実際には二人の墓は京都・宝筐院にあるんだそうです。
宝筐院のHP↓
http://www.houkyouin.jp/index.html
上記のHPにそのへんの事情がさらっと書いてありますが、出典については分かりません。僕も何の本で読んだんだっけ…といま書棚を探し回っているところです。
義詮がなぜ敵である正行を敬愛していたのかは分かりません。ただ「太平記」でも正行は情深い武将として賞賛されてますし、父親同様に敵からも天晴れと思われていたのは事実なんでしょう。ただ北朝公家の重鎮・洞院公賢などは正行らを明白に賊徒呼ばわりしていたようなので、仮にも北朝を建てる武士の総帥の将軍自身が正行を敬愛するというのはやっぱり異例といえたのでは。個人的につながりがあったとはとても思えないんですけど、偉大な父をもった者同士なにか感ずるところがあったかもしれません。
また尊氏が正成について「公私ともにつきあいがあった」として首を家族に届けた話がありますし、楠木正儀がのちに北朝に鞍替えすることなどから、案外足利・楠木両家には親愛関係があったのかもしれません。
>衆道
戦国期にはごくふつうに武将のたしなみとしてやってたとよく言われますね。信玄も男だらけの三角関係の手紙(「浮気はしてないよ~」と弁解する内容)を残しておりますし(笑)。
つい先日NHK衛星で黒澤明「影武者」をやってましたが、信長と森蘭丸の関係は直接的ではないとはいえ、そう思ってみれば意味深な演出が加えられてます。
話が飛ぶようですが、「仁義なき戦い」のモデルとなった人物がある取材に答えたところによると、やくざ社会の人脈でも少なからず刑務所内の同性愛関係が「絆」になってるケースが多いのだそうで…その辺、戦国武将たちも似た感覚だったかもしれません。
>サーフェイスさん
まぁ謙信に限りませんが、歴史人物には「通俗的イメージ」というやつが世間にはありますからね。謙信というと「こうあってほしい」というイメージもあるんでしょう。ガクト謙信はその通俗的イメージをブチ壊しつつ、珍説として流布する「女性説」に近いイメージを持ってきた、かなり冒険的なキャスティングだったと思います。
そういや先日の「田茂神論文」について「謙信女性説みたいな珍説」と評してた人がいましたっけ。
#8352
サーフェイス 2008/12/23 18:00
上杉謙信といえば
そういえば、とんでも説とはいえ、「謙信=淑女説」けっこう
聞きますね、で、上杉謙信を支持する人が「謙信=淑女説」
に対して、ものすごい怒って否定に躍起になるのも見受けられ
ガクト謙信ですら怒ってnhkに苦情いってくる人が
あったくらいだし。
自分じしんは、創作のネタなら「謙信=淑女説」は
宝塚のネタみたいもので、あったっていいきもしますが。
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1270
#8351
つね 2008/12/22 00:44
自己レス
もしやと思って「太平記大全」を覗いてみたら、きちんと触れられてましたね。
ここで、きっかけなどが述べられてないということは、どこにも書かれてないということでしょうね。失礼しました。
#8350
つね 2008/12/21 16:52
質問
Wikipediaを見ていたら、
「足利義詮は『敬慕していた楠木正行の墓の隣に埋めてほしい』と遺言して実行された」とありました。義詮が正行を尊敬するきっかけとなった出来事などは知られているんでしょうか。
>篤姫
私は「龍馬死すとも」と最終回だけ見ました。「翔ぶが如く」の鹿賀丈史さんの大久保と比べると、原田泰造さんの大久保は不安感を目に漂わせておどおどした態度のように見え、実に新鮮な大久保像でした。
#8349
NF 2008/12/21 00:16
もうすぐクリスマス
もうすぐクリスマスですね。関連していなくも無い動画を。
ttp://jp.youtube.com/watch?v=8fJagpX5POU
それにしても、「ヒトラー最期の12日間」のこの場面はやけにパロディ動画を見る期がするんですが、何が原因なんでしょう?
ところで、わが国でクリスマスが定着したのは日露戦争直後辺りだそうです。意外に古いというべきなんでしょうか。
>mozawa様
まあ、景勝と兼続ですからね。事実ではないようですが、景勝が小姓しか近づけないのを憂えた兼続が小姓の格好をさせた美女を近づけて同衾させたという家光のような逸話も伝えられているようですし。それにしても信長と前田利家・森蘭丸といい、信玄と高坂弾正といい、この時代はこの手の話が多いですな。
ところで、兼続といえばコミックバンチで「義風堂々!直江兼続 前田慶次月語り」なる作品が。「花の慶次」のスピンオフ作品として原哲夫先生が原作をされているそうです。「花慶」テイスト満載の男臭い作品であってほしいものです。現時点では、「ナポレオン」の次くらいに楽しみにしている漫画です。
http://www.geocities.jp/trushbasket/
#8348
サーフェイス 2008/12/19 12:43
山田風太郎さんというと忍者もの
山田風太郎さんというと忍者ものが定番で
だいたい伊賀と甲賀で戦っているのが多いですが
伊賀と甲賀が、そんな執念深く戦い続けた事実は
あまりないようですね、せいぜい関が原の戦いで
石田三成が近江の領主だったカラミで甲賀が西軍
伊賀が東軍と。
伊賀というと服部ばかり目立ちますが
伊賀は江戸時代より前の争乱時代、伊賀一揆時代は
伊賀は3勢力で百地と藤林と服部で3分割統治の体制で
有名な服部半蔵が徳川に仕えるようになってから
服部が躍進したらしいと。
ところで観光の売りも入っているかもしれないが
伊賀甲賀の忍びは千五百年以上の歴史がある~
なんて文が出て、そんなに昔からあるかよ、とも
思ってましたが
壬申の乱では大友の皇子は母が伊賀の出で
間者の名産地・伊賀の豪族が大友皇子を支援
また、大友皇子は近江に遷都を計画していて
近江甲賀の隠密行動に優れた山地の民が
大友皇子に味方、とのことがあるので
そこからきているらしい?
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1228
#8347
tomohiro 2008/12/18 21:50
サイトを作りました。
管理人様、及び常連の皆様
サイトを作りました。
オリジナル原稿による小説サイトです。
現在はへっぽこな小説が主流ですが、
ゆくゆくは臺灣を中心とした
アジアについてのColumnも
書いて行きたいです。
尚、此処のサイトは別館の方にLinkしました。
よろしくお願いします。
あ、臺灣のことですが
多くの台湾人と知り合いましたが、
いまいち韓國と比べて幸せではない
と感じている人が多いように思いました。
自分たちの国の映画は日本やアメリカよりも
劣るという話をよく聞きました。
私はそういう臺灣を聖地とあがめる人間とは
少し違った視点から臺灣を眺めていきたいです。
http://blog.goo.ne.jp/misakimizugi
#8346
パパゲーノ川崎 2008/12/18 21:18
訂正
全64巻→全64話です。ちなみに特別編は2回もありました。
#8345
パパゲーノ川崎 2008/12/18 21:17
ついにホジュン鑑賞終了
DVDを借りて、観続けた韓国歴史(医者)ドラマ”ホジュン”
全64巻+特別編1巻全て観終わりました。
あ”-長かった。灰になりそうです。笑)
それにしても、特別編の超おふざけは何なんでしょう。
出演者、製作スタッフの皆さんが相当ストレス
溜めてたのかな。
このドラマもすでに8年前の作品。
で、この経験を生かして、”チャングム”を製作し
今度は韓国だけでなく、東アジア圏で大ヒットとなるわけですな。
#8344
mozawa 2008/12/18 12:21
テンペストほか
テンペストは読了しました。。。。私的には微妙です。絶賛されるほどではないのでは。下巻になるとだれてきます。
琉球語の対訳は興味を持ちましたけれど。琉球政府の仕組みなども面白く、時代は違いますが「琉球の風」を見たくもなりました。
天地人の笹野秀吉
私も見ました。嵌ってますね。どうして今までキャスティングされなかったんだろう、というくらい。
阿部謙信より、私はGackt謙信の方が好きですね。阿部ちゃんだと、男臭さが強くて禁欲的な感じがしない。
北村一輝と妻夫木くんの間に衆道な匂いを感じてしまいました。
#8343
徹夜城(「ルーツ」鑑賞は3代目に突入した管理人) 2008/12/18 00:07
最後まで話題に事欠かないな
何の話かといえばブッシュ大統領の「靴投げ事件」の件で。しかし身のこなしは意外と素早かった(笑)。
これからは記者会見では日本風に靴を脱いでもらおうかというギャグがあるそうですな(笑)。
>サーフェイスさん
「テンペスト」は未読ですが、僕の関心をひくジャンルではありますね。荒山徹みたいに日朝関係史ネタで次々と書いてる人もおられるし、後期倭寇ネタも早く書いておかないと先越されそうな気がする(^^;)。
歴史小説といえば、山田風太郎「婆沙羅」を読み終えました。大河「太平記」放送前年の1990年に雑誌連載されたもので、この作家にしては珍しく「便乗作品」といっていいです。この時期ほかにも大河便乗で南北朝小説が多く出たのですが、なかでも独創的かつ異色作といっていいでしょう。
タイトルから察せられましょうが主人公は佐々木道誉です。南北朝大河をいずれやるなら主役有力候補と僕も思うこの人ですが、意外と主役にした小説は少ないんですよね。山田風太郎のこの小説は歴史展開はダイジェストでドンドン飛ばしていくんですが(ページ数はかなり少ないほうです)、南北朝の怪物・道誉と同時代の群像たちとのかかわりで一章ずつまとめていくという面白い構成。最後は足利義満と世阿弥が登場してます。
とくに大胆な創作は「観応の擾乱」は実は道誉の謀略だったというくだりでしょう。全部が全部というわけでもないんですが、一般に尊氏の芝居であったとされる高師直のクーデターや、師直兄弟の殺害、直義の毒殺まで道誉が発案・実行したことになってます。尊氏は基本的にかつがれてるだけのお人よしなんですが、最後になって道誉のやったことに気付き、激怒したりするんですね。
一般になじみのうすい南北朝ということで、山田風太郎は読者向けのサービスとして他の時代や人物との比較を何かと持ち出します。なかでも尊氏・直義兄弟を幕末~明治の西郷隆盛・大久保利通のコンビに例えているのはなかなかウマい。確か他の人でもこのたとえをつかっていたと思いますが。
ところでこの小説で紹介されてましたが、いわゆる「天正本」と呼ばれる太平記の異本の一つは佐々木道誉を希代の武将と絶賛するくだりがあるんだそうで。その記述のある「太平記」を道誉が尊氏たちに見せて「お前が書かせたんじゃないのか」と言われちゃうくだりがあったりしました(笑)。
>小覇王さん
「篤姫」は第一回と最終回だけまともに見ました(笑)。最終回は途中を見てなくても特に問題なく見せちゃう内容で、最終回としてはなかなかうまくまとめていたと思いますよ。しかしあんなに当たるとは思わなかったですね。しょっちゅうやってるように思う幕末もので当てたのは初めてなんじゃないでしょうか。
来年の「天地人」の予告編映像も流れてましたが、序盤は阿部寛の謙信が見ものになりそうですね。あと笹野高史さんの秀吉が一瞬映りましたが、こりゃー大河史上もっとも「似ている」秀吉になりそうな予感があります(笑)。
大河も幕末と戦国と忠臣蔵を行ったり来たりで新鮮味に欠けてきてるのは毎年言ってることなんですが、企画が斬新でも視聴率が悪いと結局叩かれるのでプロデューサーとしても慎重になっちゃうんでしょうね。不況になってくるとNHKだって台所事情はありますからますますカネのかかる新企画はやらなくなりそうな…
そういやNHKオンデマンド始まりましたね。古い大河ドラマ・歴史ドラマなどをこういうサービスで見れると嬉しい。とりあえず大河では「翔ぶが如く」が見られるようです。今年の「篤姫」と何かと比較される作品ですね(紀尾井坂の変もちゃんと描かれましたし)。
#8342
サーフェイス 2008/12/17 07:32
テンペストというのがベストセラーみたいですね
池上永一というかたの「テンペスト」という時代小説が
人気があるそうですね、沖縄王朝の話というエスニック?な
かげとら様へんじ、ありがとうございます。
剣術指南という言葉は私も間違って覚えているかもしれません。
剣術うまい人が他人に剣術おしえるのを剣術指南だと思っていたので。
剣が上手くても人に教えて継承しないと剣流派って代々つづくの
むつかしそうですね
ところで剣術は剣術として、それが剣士にとって出世に影響するか
しないか人それぞれ時代それぞれ、みたいですね。
歴史ドラマで剣士といっても結局、政争とカラミがないと
あんまりメジャーなドラマにはなりにくいみたいですねぇ
剣豪だけでドラマを作っていくのは武蔵の話しか聞かないですが
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1199
#8341
小覇王 2008/12/16 22:57
ミスりました
福山雅春→福山雅治
でした。スイマセン。
http://burebure.blog.ocn.ne.jp/burebureblog/
#8340
小覇王 2008/12/16 22:33
来年は直江、再来年は・・・
>いつでもドアさん
返事が遅れて申し訳ございません。おっしゃるとおりのシーンです。
ああいう重装歩兵のイメージが中国には無く、ローマやギリシアのイメージがあったので。
ローマ帝国の使者が中国を訪れたのは後漢の時代ですし、影響もあったかっも知れませんね。
さて、結局一度も観ることがなかった、大河ドラマ「篤姫」ですが、もう再来年の題材も決まったみたいで福山雅春の坂本龍馬だとか。何か、戦国と幕末を行ったりきたりしてますね。そろそろ視聴率が悪くてもいいから思い切ったことをしてみるべきでは。
個人的には関東の北条五代、保元・平治の乱あたりがまだ未開拓かなと思いますが。
後、福山は龍馬より桂小五郎が似合うイメージがあります。
http://burebure.blog.ocn.ne.jp/burebureblog/
#8339
景虎 2008/12/15 17:42
了解いたしました
>サーフェイスさん
はい、その読みであっています。
実は、良いハンドルネームを思いつかなかったので、歴史上の人物の名前を使用しました。ネットで景虎を名乗る人を数人見たことがあるので、もっとマニアックな名前にすればよかった・・・とちょっと後悔しています。
>宍戸
なるほど、そういう事ですか。
義経や法眼は天皇家でいう神武天皇のような伝説的存在で(義経は実在が確定していますが)、多くの流儀に登場しますから、宍戸家俊が開祖というのは間違いないでしょうね。ただ、江戸時代以前で剣術指南という役職をあまり聞かないので、ちょっと疑問を感じただけです。
#8338
サーフェイス 2008/12/11 07:51
史実かは不明
>カゲ?とら?サマ?
難しい字なので読み方これで、あってますでしょうか?
ひょっとして上杉謙信の本名あやかりしハンドル名?
マニアなハンドルネームで大したもんですね普通
なかなか恐れ多くて歴史偉人の名は使えないもので
>史実なのでしょうか?
それは分かりませんが宍戸家俊が細川政元に
雇われていたのは、そうなのでは?
政元というかたは結局、用心棒の
竹田孫七に殺されていますから、そんなに
格闘が強い人でもなかったのかも
宍戸家俊は妖しい逸話が幾つかある人ですが
現在もある貫心流剣術の歴代継承者に
名が記され、いちおう剣士なんではないですか。
この流派も源義経の師匠の鬼一法眼が祖だとか
宍戸家俊が祖だとか諸説きいて、よう分かりませんが
鞍馬八流といわれたり名も改名おおいので
貫心流という名での祖は宍戸という説を私は
支持してますが何ともいえません。
「義経記」という書物は足利時代が成立といわれて
いるようで、この時代から源義経かんれんの
復権が、さかんだったのでしょうか。
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1178
#8337
景虎 2008/12/10 18:45
濃い話題ですね
>サーフェイスさん
細川政元はともかく、宍戸家俊とはまた珍しいですね。
ところで、宍戸家俊が剣術指南というのは、マンガの設定なんでしょうか?それとも史実なんでしょうか?家俊が魔法(修験道)の指南をしていたとか、武芸者だったという話は知っていましたが、剣術指南をしていたという話は初めて聞いたので、興味があります。
#8336
サーフェイス 2008/12/10 07:17
時代考証
徹夜サマご返事、感謝です
>足利義政以降の時代
ここらへんの時代は、まったく取り上げられませんよね
まぁ、だから今から創作のネタにするのは、ここらへんが
誰もやってないから、やりようがあると思ったりも。
このサイトの太平記かんれん創作のメインキャストの
細川一族の、足利義政以降時代の細川の当主・政元が
なかなかインパクトある人で、衆道主義だったり
山伏マニアだったり将軍をクビにしたり。
この人の代で細川京兆家の最盛期という見方も
あるそうですね。
いま、この細川政元の剣術指南をやった
宍戸家俊の雌伏期ので、ちょい役で宍戸殿が
出るマンガを描いて
下記サイトで自由掲載してます。
この宍戸殿というのも宍戸錠さんと関係あるか
ないかは知りませんが、興味ふかい人ですね。
>時代考証
私も甲冑をモデリングしてパソコンで漫画に
レンダリングなどしていて気付いたのは
いくら精密に時代設定道具を作っても
いざパソコンに入れて画像出力しても
長時間かけて作ったアイテムが
パソコン能力の限界でパソコンが
フリーズするので作りこんだ物が
編集段階で使用不可能ということに
まぁ妥協って
しかたないんじゃないでしょうかね
こういう歴史モノの製作現場
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1178
#8335
徹夜城(多忙なくせにあらたなドラマに手を出してしまった管理人) 2008/12/09 23:32
「ルーツ」に手を出してしまった。
どうも…しばし御留守にしているうちにレスをためこんでしまっているようです。
シーズンがら忙しいので更新もままなりませんが、下手すると史点更新と麻生政権の寿命とのレースになっちまいそうな気もしますので、なんとか今週中ぐらいには更新しておきたいものです。
で、忙しいくせについついTUTAYAに行って「王建」なんぞ借りて見てます。なんせ200話あるそうですからねぇ、チビチビと見ておかないと。これはまだ新作なので一泊で返してるんですが、それだけではもったいないと一週間レンタルで旧作もついでに借りちゃう。で、ふと目にとまってしまったのがアメリカの大河TVドラマシリーズ「ルーツ」でした。名前だけはよ~く知ってましたが見たことはなく、黒人大統領誕生記念ついでに見始めました。…で、こちらもハマっちゃったと(笑)。
ひところ大ブームになった有名作なので説明不要かもしれませんが、一応説明しておくと黒人作家アレックス=ヘイリーが自身の祖先(ルーツ)を調査し、それをもとに書いた大河小説のドラマ化で、アメリカにおける大河ドラマ「ミニシリーズ」の先駆けとなった作品です。18世紀なかばに西アフリカに生まれたヘイリーの祖先、クンタ・キンテが奴隷商人にとらわれ、過酷な奴隷船に積み込まれてアメリカ南部の農場の奴隷となる…という第2回まで見たところですが、まだ「アメリカ合衆国」は存在しておらず、植民地とイギリス本国間の政治対立がチラチラとセリフで語られ、独立戦争が間近であることが分かります。第一シリーズでは3代目の南北戦争を経て奴隷解放までいくようですね。続編の第2シリーズでは現代の原作者まで行くんだとか。
「ルーツ」のヒットでこの手のミニシリーズが次々と作られるわけですが、僕が見たものでは、この掲示板でも以前話題になった「遥かなる西部~我が町センテニアル」がまさに「大河ドラマ」でした。こちらはコロラド州の架空の町の歴史を200年にわたって主役を交代しつつ描いてましたっけ。
>中国史時代考証
いろいろ話題が多く出ましたね。僕も古代中国の美術考証となるとさすがに門外漢ですが、中国本国もふくめてイメージ先行で適当に作ってるものも多いんじゃないかという気はしてます。「横山光輝三国志」など日本での三国志のビジュアルイメージに影響を与えた「連環画」(劇画)の三国演義だって明代ぐらいのイメージだという話を聞いたような(そもそも三国演義じたいが明代に完成してるわけですが)。
「レッドクリフ」はストーリー的には遊びつつ、ビジュアル面ではリアルにしようということなんじゃないでしょうか…「始皇帝暗殺」と「HERO」が同じ時代・似たテーマを扱いながらまるっきりデザインが違うというお話がありましたが、後者が完全にファンタジー・武侠ものであることも一因でしょうね。
連想で思ったことですが、日本の江戸時代に描かれた戦国時代もののビジュアルイメージは逆に時代をさかのぼって源平合戦か南北朝あたりの鎧武者のが多いような…
そして日本の江戸時代の時代劇はあまたつくられてるわけですが、これだって当然260年もある江戸時代ですから時期によりかなり違いがあるはずなのに、だいたい共通したイメージで描かれちゃってますね。景虎さんもお書きのように幕末が基準になっちゃってるんでしょう。江戸初期でも幕末と一緒になっちゃうのは撮影所でセットや衣装を使いまわしてるから…ということもあるんでしょうが。
「ラスト・サムライ」になると作り手が確信犯的にサムライ=戦国武者のイメージでビジュアル化しちゃって、映画の中だけの「士族反乱」ができあがっちゃいました。これがまたあちこちで日本イメージの再生産につながっていくのでありましょう。
阿祥さんもお書きのように、「レッドクリフ」も東アジア多国籍状態の制作体制ですね。監督が以前コメントしてたところによると韓国俳優も一時検討されたらしいです。日本からは渡辺謙が曹操というもっぱらの噂でしたが、流れちゃったのが残念。正式にオファしたかどうかは未確認ですけどね。中村獅童は最近すっかり外国映画に出てくる日本人役者代表になりつつあるような…いっそのことあの役は「実は倭人だった」なんてオチも楽しかったかもしれません(笑)。
ジョン・ウー監督は「レッドクリフ」をハリウッドの「グラディエーター」などの史劇大作にたとえてますが、あっちゃこっちゃの多国籍な俳優とスタッフを使って全く異国の歴史劇を作り続けたハリウッドみたいなことが東アジアスケールで現在進行中であるわけです。「墨攻」「MUSA」なんかもそうでした。「蒼き狼・地果て海尽きるまで」なんてのもありましたが…(汗)。
そのうち東アジアスケールで外国人俳優とスタッフで日本史映画を作っちゃう、というケースも出てくるように思うんですね。日本人としては複雑なところですが、「敦煌」だとか「蒼き狼」だとか、日本もさんざんよそさまの歴史映画やってますし(笑)。
それにしても「レッドクリフ」はチョウ=ユンファがドタキャンしちゃったのが残念。もともとは彼が周瑜で、キャラもだいぶ違っていたそうで。トニー=レオンになったことでストーリー自体も大幅に変わっちゃったそうです。それがいい方向に転がることもあるかもしれませんが。
>サーフェイスさん
はじめまして。管理人の徹夜城です。どこでお聞きになったかは知りませんが、とくに「足利びいき」を標榜しているつもりはないんですけどねぇ…まぁ大河「太平記」を中心に太平記・南北朝ファンサイトな性格が強いのは確かです。
足利義材とはまぁ渋い線を。足利義政以降の足利将軍たちは話題にのぼることすら珍しいですからね。義輝・義昭ぐらいでしょうか、戦国ファンにもよく知られてるのは。
足利将軍といえば、先日の等持院の尊氏木像手首盗難事件はいまだに未解決。尊氏といっしょに十二代目の義晴の手首も盗まれていたそうですが、「マニアックな選択だなぁ」とツッコミを入れていた歴史ファンは多そうです(笑)。
>歴史映像の話題。
このところいくつか歴史映像ネタの情報が集まってます。
まず来年秋からNHKが「三国志」「平家物語」以来、久々の人形劇番組を始めます。なんと「新・三銃士」だそうで…三谷幸喜さんが脚本だそうですが、どういう感じになるのか楽しみ。まさか「実は女だった」はないと思いますが…(あ、「新選組!」では使ってたな、三谷さん)。
それから「聖徳太子」「大化改新」に続く古代史ドラマ第三弾として「大仏開眼」製作が発表されてます。脚本はやはり池端俊策さん(もちろん「太平記」の方でもあります)。この古代史ドラマ第三作は本来は「壬申の乱」の予定だったんですが、やはり予算の問題があったようで残念ながら大仏に変更になったわけです。しかし奈良時代もほとんど映像化作品がないので楽しみ(「天平の甍」ぐらいしかない)。発表によると孝謙女帝と吉備真備を主人公にするんだとか。意外にも聖武天皇が主役じゃないんですね(当然出ては来るでしょうが)。
それと、近日の24日にTBSで放送する昭和史ドラマも注目。ビートたけしの東条英機の写真がようやく出ましたね。なかなか豪華キャストで、「日本のいちばん長い日」の開戦バージョンになるのでは…と注目してます。これまた池端俊策さんの脚本なんですよ(笑)。たけしさんも池端作品常連者の一人で、「太平記」の北条高時も当初はたけしさんが演じる予定だったと聞いてます。
#8334
いつでもドア 2008/12/07 01:21
小覇王様の疑問ももっともと思われます
『クライマックスの戦いでは魏軍が「300」のスパルタ軍みたいな戦術を取ってましたが、歴史考証的にはどうなんでしょうか』
→これは盾を持ってかたまっているシーンのことでしょうか?一応そう勝手に解釈させていただいて以下のことを書いていきます。間違ってたらすいません。
私もレッドクリフは観にいきました。300も観にいっています。
今回のレッドクリフのワンシーンを見て、私は以前に読んだ本のことをふと思い出しました。
「古代文明の謎はどこまで解けたかⅡ」という本に「虜囚となったローマ歩兵部隊」という項目がありまして、漢の時代の戦いに、どうもローマ帝国軍のような盾の使い方をしていると思われる人たちと戦ったかのような話があるそうなのです。はっきりと断言は出来ないまでも、或いはローマ帝国の人間だった人たちが古代中国と戦っていた可能性もあるのではということです。あまり細かく話すと長くなりそうで、私の拙い文章を読むよりは本を読んでいただいた方がよさそうなのですが、これが本当ならば三国志の時代はその後のことだから、魏軍がローマ帝国の戦法を学んで実践した可能性もあったりなかったりと思えてくるのです。実際、漢王朝の時代にローマ皇帝の使者が来たこともあったとのことですし。
小覇王様、どうもまとまりのない文ですみません。簡単に言えば、個人的には意外とあのシーンはありえたかもしれないなと思えたということです。
で、話は一転して違う話。
今日、テレビを見てたらトム・クルーズの新作が紹介されていました。あのヒトラー打倒を目指したワルキューレ作戦の映画化のようで、私は前に「オペレーション・ワルキューレ」というDVDを見ているので、ちょっと見ていて辛いもの、やりきれないものがありました。今回の映画がいいとか悪いとかいうんじゃなくて(第一まだ見てないし、見られない)、もうどうなるか知っているから辛いんですよ。
前に「アドルフの画集」というヒトラーがまだ画家を目指していた頃を描いていた映画を見て、それから「ヒトラー最期の12日間」という映画を見た時は本当に辛かった。あの画家を目指してた青年が、あんな地獄をつくったのかと思うと、もう重過ぎて辛かった。特にゲッペルズの子供たちが殺されていくシーンは直視にたえないくらい辛い。でも、その子供たちが死んだことは悲しいことに事実だから変えることが出来ない。
「アドルフの画集」はヒトラーもあんな恐怖の独裁者にならない人生をおくれたかもしれないという悲しさと、下手をすると私もまたヒトラーのようになってしまうかもしれないという怖さを感じました。「最期の12日間」はもう辛い。あの映画でさえ描ききれなかった悲惨なことがまだあったんだろうけど、あれだけでも辛かった。でも、それでいいのかもしれませんね、戦争ものは。
こんな残酷なことはもう観たくない、スクリーンもしかりだが、ましてや現実には。また観たいなんて思えるような映画では、少なくとも戦争を繰り返さないようにしないといけないという気は起きないでしょう。
管理人様、長々と書いてしまってすみません。これは削除されても結構です。
#8333
たらちね小僧 2008/12/07 00:09
転養子
急に、寒くなりましたね。
ネットを回っていて、養子縁組を重ねて、複数の人の養子になることが、
現在の日本でも可能なことを、40数年生きてきて、初めて知りました。
それを、転養子とか、転縁組とかいうようです。
島津本家と近衛家と、2度養女に行った、篤姫のことが
やっと納得できました。
#8332
景虎 2008/12/06 19:07
考証話
なんだか時代考証で盛り上がっているようですね。
考証的な部分に注目すると、普通とは違った視点で鑑賞できるので楽しいものです。まあ、こだわり過ぎると、逆に楽しめなくなるような気もしますが。
>徹夜城さん
>宋代中国の甲冑
明清時代の絵師が参考にしたのが宋代の甲冑だそうですし、三国演義そのものが宋代の影響を受けているようなので、そういう意味では原作に忠実とも取れますね。日本的甲冑は謎ですが。
そういえば、日本の時代劇考証は、基本的に幕末になっているそうです。江戸初期でも中期でも幕末。時代が近いからやりやすいという事なんでしょうか?
#8331
サーフェイス 2008/12/05 13:34
足利義材というかた
このサイトは足利びいき太平記専門サイトだと聞きまして
ちょいと寄ったる次第で記帳しました、はじめまして。
足利義材というひとのことを調べていて、なかなか
足利関連は資料も少なくサイトも少ないので
ここは屈強なサイトですねぇ。
足利義材と言う人は管領・細川政元と政争して
将軍を一回クビになり北陸へ逃げて越中まで
落ち延び、またユーターンして越前へ行って
大内や神保の支援で将軍に返り咲いて
いるそうですね。2回目の将軍には改名して
義稙将軍と呼ばれたそうで。
しかし細川高国と対立して、また京を追放され
以降は将軍に成れなかったそうですね。
諸国を放浪したので流転公方と呼ばれたそうで。
なぜ足利義材を調べているかというと自分は
おもに足利幕府時代の時代設定のマンガを
ネットで掲載しておりまして、いずれ調べを
煮詰めてマンガの話の筋にしたく思っています。
下記のアドレスでは現在、完成したマンガを
掲載中で自由に読んでいかれます、気が
むかれましたら、どなたも、どうぞ。
http://www.dreamtribe.jp/comic/works.asp?work_id=1163
#8330
小覇王 2008/12/04 11:55
紙の用途
紙の発明は前漢までさかのぼれるそうですが、最初は物を記す用よりも、衣服として利用したり、物を包んだりする用途の方がメインだったと聞いたことがあります。
また、非常に高価だったので物を記す用としては結構後々まで竹巻を併用してたらしいです。
>レッドクリフ
僕も観ました。劉備と孫尚香の恋愛フラグが一応立ってありましたが、三国志を知らない人が見ると孔明との間に恋愛が成立すると勘違いしてしまいそうですね。
クライマックスの戦いでは魏軍が「300」のスパルタ軍みたいな戦術を取ってましたが、歴史考証的にはどうなんでしょうか。最後に出てきたサッカーシーンも気になります。
後は長坂の戦いのシーンでの趙雲は後の歴史を知るものとしては、お前があそこで頑張らなければ蜀はもっと長く続いたかも知れないのに!と思ってしまいますね。
http://burebure.blog.ocn.ne.jp/burebureblog/
#8329
つね 2008/12/04 00:30
時代考証
私は素人ですが、確かに「レッド・クリフ」は3世紀の中国のイメージそのままという気はしました。
>イスとテーブル
管理人さんの話で、全然別の映画ですが「パッション」を思い出しました。当時の言葉まで復元したほど時代考証に気を使っている映画なのですが、回想シーンで出てくる「最後の晩餐」はイスとテーブルなんですよね。これは間違いという指摘をどこかで見かけたのですが、ダ・ヴィンチのイメージが強いですからね。
>靴を脱いで上がるカット
私も映画を見ていて「へー」と思いました。しかし、先に部屋に入っているはずの重臣達の靴は見当たらない。誰か片付けてくれたのか、他の入り口から入ったのか・・・
>紙
紙は後漢の蔡倫の発明だったはず、とWikipediaを見るともっと古くて紀元前の発明になってました。でも曹操からの降伏勧告は竹簡だったので、何かで使い分けてるんでしょうか。孫権からの返書は白「紙」だったので、外交文書は竹というわけでもなさそうですし。
しかしこうした時代考証はどこかの偉い大学の先生なんかがしてるんですよね(多分)。レッド・クリフはとにかく、他のいい加減な映画の時代考証などをしていたら権威に傷つくんじゃないかなあ。「映画は映画」で割り切っているのかな。
#8328
かどきち 2008/12/03 23:17
三国演義の鎧は・・・
半年振りの書き込みになります。
そうですか、ドラマ「三国演義」の赤壁での鎧は、やはりおかしかったんですね!
余りに安っぽく、日本のところどころ日本の兜に似ていると思っていたんですが・・・何でわざわざ日本の鎧を参考にするんでしょうね?(^_^;)
「太王四神記」の鎧は、ファンタジーそのままだったんですね。
確かにテレビゲームっぽいとは思っていましたが・・・
さて、そうですか、レッドクリフの鎧はそれらしいですか!
まだ見に行ってないんですが、そろそろ見に行こうかと思っております。
一つ疑問というか、良く分からないのが、例えば中国の映画で同じ時代のものでも、映画によって全く違う鎧になってたりすることです。
例えば「始皇帝暗殺」と「ヒーロー」など。
まあ、徹夜城様が言うとおり、その辺の時代考証が適当と割り切れば、疑問に思うこと事態、無意味なことですね(^_^;)
#8327
阿祥 2008/12/03 23:11
かみさんが見たがった“レッドクリフ”
僕もレッドクリフ見ました。有楽町の日劇で950席が8割がた埋まっていたからすごいですね。うちはかみさんがなぜか突然に見たいと言い出してそれならと、実に10年ぶりぐらいに映画館に足を運びました。何か歴史ファン以外の人たちを引きつけるものがあるのでしょう。
僕は“ロード・オブ・ザ・リング”のようなファンタジー系のアクション映画のようなのりだと思いました。必ずしも“三国志”がどうとかいうのではなく、武侠ドラマのようなアクション映画を、たまたま赤壁の戦いを題材につくったようなものじゃないかと。徹底したエンターテイメントとしての作品ですね。だから一般の人もたくさん足を運ぶのじゃないでしょうか。
ちなみに台湾人のかみさんは林志玲とか金城武とかに関心があった気配があります。配役も中国人だけじゃなく東アジア全域から集めているというのは戦略的にもいいように思います。僕はテーマソングとそれを歌っている“アラン”が気に入っています。音楽は日本人岩代太郎氏が担当、歌っているアランは日本で売り出し中のチベット系中国人です。エイベックスも積極的に関わったのでしょうね。
僕は建築の仕事で中国人や台湾人と共同作業をいつもしています。ですので、こういう映画の仕事でも東アジアのいろいろな国の人たちが一体となって作品を作っているというのをみると、業種は異なるけどいい作品をたくさん作って欲しいなと感じます。
僕が気になったのは毛筆で紙のようなものに書いていたところです。あの時代は紙はないのだから、布なのかしらんと思って見ていました。
#8326
パパゲーノ川崎 2008/12/03 20:26
ホジュン
僕のほうは、お医者さんのドラマ”ホジュン”マラソンがもうすぐ終了であります。
なにせ、64話もあるので、一年がかりでした。
チャングムの前に製作されたドラマなんで、役者がチャングムと同じ人が
出ていたりしました。
チャングムとは違い、かなり泥臭い話なんで、日本での人気はいまひとつですが
(食事時に見られないシーンもちらほら。)
でも、韓国では大ヒットドラマ。
お暇な人は、ぜひ観て損は無いですよ。
#8325
mozawa 2008/12/03 08:13
やっと終わったのですか
朱蒙。
まだやってたのか。びっくりです。再放送だと思ってました(汗)。
私は地上波でやってるときにちょっとだけ観ました。
「チャングム」のチェサングン役の女優さん(キョン・ミリさん?)がまた意地悪役で、「チャングム」と同じにしか見えなかったのを覚えています。
レッドクリフ
女優の小雪が出ているプラズマTVとのタイアップCMがガンガン流れて、宣伝効果があったのではないでしょうか? 車内広告も大分見ました。
赤壁、とか三国志、とか知らずに観ている人も多いのでしょうね。
#8324
徹夜城(受験シーズン到来で多忙な管理人) 2008/12/02 23:50
歴史ドラマをまた一つ見終えて
BSフジで毎週一回ペース、1年9か月もかけて放送されていた韓国歴史ドラマ「朱蒙チュモン)」をようやく昨日見終えました。全81話。いや~長かった、長かった。だいたいのストーリーは途中でわかっちゃったんで「歴史映像名画座」にはもう入れちゃってあるんですが。
高句麗建国者のドラマなんですよね。あえてドラマを見終えるまでは史料関係の確認はしないでおいたのですが、かなり自由奔放に脚色してるなぁと思っていた部分が案外元ネタありで驚いたところもあります。
まぁなんせ神武天皇と同レベルな存在ですから(劇中「三足カラス」が出てくることでつながりがあったりします…まぁヤタガラスが三本足だという話は記紀神話にはなかった気がしますが)。史実と対象と言っても、すでにどこまでが史実なのか分からない伝説的存在。二人以上の人物の建国伝説が同一人物の話にゴッチャにされていった形跡もあるんですね。ドラマはそこらへんを神話よりはリアルに脚色しつつ(たとえば神様が王妃に孕ませ卵で生まれてくる、なんて話は人間の話に差し替え)、かなり現代的な感覚でドラマ化してました。この「現代的な感覚」ってのは韓国時代劇に共通してみられるもので、歴史ドラマとしてみるとツッコミを入れたくなるところが多いのです(日本の大河ドラマにも無いとは言いませんけど…)。
あと美術・衣装面での時代考証はかなり気になる。見栄え優先の衣装・甲冑のデザインは「太王四神記」みたいにファンタジーにしちゃってればそう問題はないのですが、「朱蒙」はなまじリアル路線の体裁なのですごく浮いちゃってる。ヘンなたとえですが甲冑や戦闘場面なんか特撮ヒーローものを見せられてる感覚に近い(笑)。
あと王族から庶民まで徹底的にイスとテーブルの世界なのにはどうも違和感が…紀元前1世紀、中国の影響だってかなり受けていた当時の朝鮮半島(というより満州に近い)でああいう生活を送っていたとは思えないんですよ。中国でもイスとテーブル状態に定着するのは唐代以降だったはずですし…同時並行で見ている中国ドラマ「大漢風」(項羽と劉邦の大河ドラマ)でもイスではなくゴザ座りが目につきます。イスとテーブルは北方民族系の文化だった気もするので扶余や高句麗がそうであった可能性がないとはいいませんけど、あんな綺麗な感じじゃない気がします。
>つねさん
「レッドクリフ」、予想外の大ヒットで興行元も驚いてるらしいですね。4週連続成績1位で、洋画不作傾向の今年とはいえ最大のヒット作になってしまったみたい。「三国志」だけに日本ではそこそこ当たるだろうとは予想されてましたが、過去に中国・香港の三国志映画で大コケした例もあり、脚色の激しい「レッドクリフ」にはコアなファンはかえって足を運ばないのでは…という予想もあったみたいで。しかしふたを開けてみると意外に三国志ファン以外の層が多かったらしいのです。ジョン・ウー監督だから…ともちょっと思えないんですけどね。ヒットの要因はまだまだ謎です。
つねさんもお気づきのように、ほとんどオリジナルの話になっているとはいえ、細かいところで原作(どっちかというと演義)を生かしてますね。劉備がわらじを編んでる場面とか(笑)。しかし張飛がお習字をしているシーンはさすがに初めて見た(笑)。
上記の「朱蒙」の話とつながってくるのですが、話は大いに遊んでいる「レッドクリフ」、衣装・甲冑・美術面の時代考証はかなりしっかりしているように見えるんですよ。専門家ではないのであくまで印象ですけど、「3世紀中国ならこうであろう」というイメージにピッタリなデザインで統一されています。それこそ「イスとテーブル」じゃなかったでしょ、全編。むしろ日本人には「日本風だな」と思えるような場面(靴を脱いで上がる一瞬のカットとか)があったように思います。
三国志映像も過去にずいぶんつくられてますけど、美術考証はちょっと…というのが多かった。中央電視台のTVドラマ大作「三国演義」は素晴らしい出来ですけど、鎧デザインは明らかにヘンでした。赤壁周辺は明らかに日本の武士の鎧をヒントにしたオリジナル甲冑になってましたし、それ以外の部分も日本映画「敦煌」で出てきた宋代中国の甲冑をそのまんま拝借してました。
怖いのはこういう中国側で間違って作っちゃってるデザインを「本場が作ったから」と信じてそのまんま日本に「逆輸入」するケースも出てきて拡大していくことでして…
#8323
つね 2008/11/30 20:40
「赤壁」見ました。
管理人さんも書かれた「レッド・クリフ」見てきました。
私は史実派ですが、物語として割り切ってみればかなり楽しめました。
登場人物もかなりイメージどおりでした。ただ金城武の諸葛亮は、私のイメージとは違ったような気がしました。いつも笑みを浮かべていて捉えどころの無い確かに存在感のあるキャラクターで好きになれますが、私は正史にせよ演義にせよ、謹厳実直なイメージを持っています。よく見ると孫権の説得にはほとんど役に立っていない。まあ史実もそうですが。
あと甘興は、なぜ甘寧そのままで出さなかったのか不思議です。
曹操役の人は、どこか渡瀬恒彦に似ているなあと思って見ていました。敦煌のイメージですね。
戦争シーンは迫力ありましたが、なにゆえ策を使って有利な状況に持ち込んだのに、劉備軍の猛将たちに一人ずつ戦わせるのか謎です。もしや将来のために劉備軍を弱体化させようという周瑜の深謀遠慮かと思いました。
孫権の虎狩りとか周瑜の負傷とか、わざわざ言わなくてもいい皮肉を言って切られる孔融などは史実から拾ってきていますね(周瑜の負傷は本当はもっと後ですが)。関羽が塾の先生やっているシーンについては私も覚えがありませんでしたが。
#8322
徹夜城(こんな夜中に書き込む管理人) 2008/11/23 02:22
いろんな意味で拍子抜け
いささか不謹慎な表現と思いつつタイトルをつけましたが、日本全体で今そう思ってるんじゃないでしょうかねぇ…
事務次官経験者を狙う時点でどうも「年金」ではないんじゃないかという気は僕もしてたんです(この点では下に書いた佐々氏の説に近かった)。しかしここまでムチャクチャな話(むかし保健所にペットを殺された恨みだとか…)だったとは…今まで報じられてる話からすると一種のストーカーということになりましょうか。あきれ返りましたが、そう言われるとこの不可解な事件も腑に落ちるところがあります。
政治的なものでないほうが世の中のためにはいいと安堵する面もありますが、今年は土浦、秋葉原、と続けてわけのわからん憎悪にかられた殺傷事件が続くというイヤな流れではあります。
#8321
徹夜城(速報に反応して書きこむ管理人) 2008/11/22 22:38
出頭…?
mozawaさんへのレスが遅れているうちに、どうやらひとまずの「解決」なんでしょうか。
このところ政治的なテロというよりは怨恨の線が強いのでは…という声が出ておりましたが(つい先ほどもやってましたが、あの佐々さんがやたらに主張してましたな)、先ほど「自分がやった」と警視庁に出頭してきたのがいるそうで、どうも確定っぽいんですね。
本音を言えば怨恨の線のほうが心の安定が得られるんですが、政治的な意図をもったテロだとするとイヤな時代になってきたという気はします。
>mozawaさん
ネット上の書き込みというのはリアル世界よりも強気な言動や普段は口にできないようなことを主張しちゃう傾向が強いですから、僕はそう心配はしてないんですけどね。それが多くなるのはやっぱりマズイわけで、Yahooのスレッドでもたしなめる声が多いのは救いではありました。また、「連続殺人」とわかった時点でネット上の書き込みにも多少変化があった気はしてます。
Yahooといえば例の田母神論文支持58%に組織的投稿があったことが週刊文春にスッパぬかれてましたっけ。
#8320
mozawa 2008/11/18 21:47
年金テロ?
元厚生次官夫妻の刺殺は、てっきり物取りかと思っていたら、もう1件発生。
なんだか、「腐ってる官僚に天誅」みたいな雰囲気がネット上(yahooの書き込みなど)にあることが非常に気になります。
戦前、要人暗殺を快哉する人がいたのと似た雰囲気のような気がして。
#8319
あがたし 2008/11/17 07:28
尊氏自筆(?) in 鎌倉
鎌倉の覚園寺の構造材(本堂の天井にある梁)に,尊氏自筆と伝えられる願文が残っています.たしかにあまり整った字ではなかったですね.もちろん,あまりに「汚い字というほどでもありませんでしたが.
多少カナクギ流のところがありまして,それならばこれは定家様かも?と脇にいた専門家に聞いたら全然違うとのことでした(あがたし自身は生の古筆にかんしては全くの素人).
真偽は分かりませんが,戦時中だか戦前だかには「国賊」尊氏の願文を撤去するように強要されたことがあり,それを突っぱねたこの寺は尊氏同様に「国賊」扱いを受けたという話があります.
ところで,尊氏というと先月管理人さんが紹介してくださったこんなニュースがありましたね
「足利将軍の木像の手首など盗難 京都・等持院」(産経,2008.10.4)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/081004/crm0810040148004-n1.htm
下手すると覚園寺の天井梁を盗もうとする怪盗が現れるのでしょうか.
#8318
徹夜城(今日は日曜なのに一日中仕事をしていた管理人) 2008/11/16 23:32
尊氏の字
>NFさん
僕も書道は「個性的」なクチです(笑)。尊氏の書についてはあまり知らないんですが(そもそも書の良しあしもよくわかんないんだけど)、あまり王道的にうまいものではなかったということのようですね。直義や師直がしっかりした書を書いてるところからすると。楠木正成も書体に高い教養を感じさせるという話もありましたが…しかし書だけではなんともいえんところでしょうけどね。
尊氏はよく地蔵や達磨の絵を描いてますが、これらは僕からみるとなかなかの腕前と思います。もちろん定型通りのものなんでしょうけど、割と迷わずすいすい書いててデッサン力はある気がします。
和歌についてはそう秀歌というわけでも…という評価をどっかで見たような。ただかなり若いころから力を入れていたのは事実なんでしょう。母親の清子も和歌をよくしたようですし、弟の直義もいくつか入選作があったはず。執事の高一族も代々和歌の素養があったらしい。そういう文化的環境が尊氏の文化人的気質を産んだのかもしれません…もっとも直義はバリバリの政治家、師直はバリバリの軍人になっちゃってますけど。陳舜臣さんが尊氏を宋の趙匡胤と比較して「建国者の気質がその王朝の体質を決定する」みたいなことを書いておられましたが、この観点から尊氏と室町幕府論をやるのも面白いかな、と。
それにしてもああいう和歌(今度こそ入選して!)を詠んでいちゃあ、それを採用した人に頭が上がらなくなるのも道理か(笑)。尊氏がどうも後醍醐に対して煮え切らないのは歌を採用してもらった弱みなのか(笑)。
>台湾ドラマ・映画
僕も台湾の映画もTVドラマってぜんぜん見てないんですが、それは僕の好みの歴史ものがないからでありまして…一昔前なら「正統中国」を意識するために歴史ものを作ったようでもありますが(日本映画ですけど、大映「秦・始皇帝」は台湾ロケでした)、現在ではむしろ素材としては敬遠されちゃうでしょう。そして台湾独自の歴史となるとそれこそ鄭成功か、近現代史ものかということになってしまう。
僕が唯一見た台湾映画が「悲情城市」で…これはようやく台湾でタブーが解かれだした蒋介石の国民党政権における弾圧事件がドラマに含まれていました。この映画に出てたトニー=レオンが今じゃ「レッドクリフ」の周瑜ですもんねぇ。
阿祥さんもお書きのように、台湾自体は関東地方ぐらいの規模ですから作るものもおのずと…とも思うのですけど、歴史ものを抜きにすると、現代劇ではなんとなく韓国と台湾のものってよく似ている気もするのですけどね(韓国の現代劇ドラマは僕もさすがにあまり見てませんが)。そもそも現代史の経緯がどこか似ていますし。ただ前総統(中国語では総統も大統領も同じ)の逮捕というのは、かつての韓国で繰り返された構図ではあります。
#8317
阿祥 2008/11/14 21:25
台湾のドラマと中国のドラマ
台湾についての日本の報道は、アンチ中国というスタンスでなされていることが多いように思います。必ずしも台湾の現実を見ていない。共産党政権に対する民主主義、中国の反日にたいする親日、このドラマに対する論点もそういう風に感じられます。僕は台湾のドラマ(歴史ドラマですが)では感心したことはありませんが、中国のものはよくできているものが多いと思ってよく見ています。
何しろ人口2000万人強の国で作るのだから、スケール的に行って日本の関東圏ぐらいの人もいません。そんなに財力と労力をかけてドラマを作っても市場は大きくないし、あったとしても中国大陸なので難しい問題があります。
ただ個人的には台湾のテレビドラマやバラエティー番組の感性は嫌いではありません。中国でテレビ番組を見ていても台湾のものはすぐにわかります。なんとなくやさしくて、話す口調もおっとりしています。厳しい口調の大陸の中国語と比べると非常に柔らかい感じがします。
ドラマの作り方も日本人に近いものを感じます。それが身近に感じられるか、日本の真似と思うかで評価は分かれますが、僕としてはあまりオリジナリティーを感じないという否定的な感じが否めません。
中国のドラマや映画は奇想天外、日本人ではここまでやるまいというような展開が多くあり、歴史の違いとそれに伴った人間の考え方の違いを感じざるを得ません。その点、見ていて意外性に富んでいてドラマとしても比較文化論的にも面白い作品が多いと思います。
#8316
tomohiro 2008/11/14 08:37
twドメインはユートピアなのか?
最近、台湾ドラマに興味を持って
臺灣に凄く興味を持っている
tomohiroです。
昨今、反韓・反中派を中心に臺灣を聖地としてあがめる
傾向が強いですが、本当に聖地なのか
台湾ドラマを媒体に聖なる土地である臺灣を追求してみたい
と思いました。
反韓・反中派の人間は韓国ドラマをパクリだと非難しますが、
その彼らが「日本から原作を取って丁寧な作りをしている。」
と褒めそやす台湾ドラマに興味を持っている私としては
日本のマスコミでは韓流ドラマの後継者として台湾ドラマが
持て囃されているけれども、あなたの国の評判
ではどうなのか。
と言う質問を臺灣の人間にしてみたことがあるのです。
返ってきた言葉は、
「日本のドラマなどに比べてセンスが古い。」
「日本や韓国のドラマと比べて安直に作っている。」
など日本のマスコミが韓国ドラマに批判的な言動をして
台湾ドラマを褒めそやすのとは違った意見が返ってきました。
少しぐらいは、自分の国の物を肯定的に考えてもいいのに
と思ったぐらいです。
日本のマスコミは臺灣には口ぶりの甘いことばかり
言う人が多いですが、こういう影の部分も報道すべきでは
ないでしょうか。
先日、足を運んだ近所の書店にある洋書売場に
臺灣の情報誌が置かれていました。
そこには、日本マスコミが褒めそやす台湾ドラマ
の情報よりも日本のドラマやHollywood映画の情報が
重点的に報道されていました。
彼から見た洋画の方が重く見られているには
皮肉に思いました。
この文章を書いた理由としては
先日「太祖王建」の情報が載っていて
面白いという発言があったからです。
もしかしたら、臺灣よりも
「太祖王建」を制作できる韓国の方が
優れた、国際的に評価できる物があるのではと
ふと考えてしまいました。
臺灣にも日本や韓国にないいい所が有ると思うのですが、
その国の人が不満に思っていることも沢山あるなと思いました。
そして、逆に日本や韓国が評価できるものも有ると言うことを。
p.s.
近日中にサイトを作ろうと思いますが
オリジナル小説サイトにしたいと
考えています。
内容によっては中国の海賊や秘密結社
に取材した作品を書きたいです。
(香港と澳門を含めた廣東地域、臺灣・福建地域周辺に取材したいです。)
#8315
NF 2008/11/14 00:25
学校書道の時間に「個性的だ」と評された自分が言うのもなんですが
>徹夜城様
尊氏の勅撰集入選についてですが、(村松剛氏「帝王後醍醐」だった気がしますが)彼の歌を選出したのが後醍醐であった事に注目し尊氏が後醍醐に親愛・畏敬の念を持った一員ではないかと推測していた気がします。なるほど、単に天皇だからというより「自分を認めてくれた人」というのがあれば、それは精神的に頭が上がらない訳で。しかし、尊氏という人は無名時代に勅撰集入選を果たす程の教養人な割に筆跡は其れに相応したものではなかったらしいのが面白いです。高柳光寿氏「足利尊氏」で尊氏の筆跡は、従来の概念、すなはち普通の書道からいふと、決して上手とはいへない。」とか「彼の筆法は従来の書道にない筆法であるし、また後世の書道にもない筆法である。だがしかし一種の筆法として特殊の味を持つものであることには相違ない。」とか「味が深い」なんて言われている有様で。おまけに秀吉の筆跡を引き合いに出して「児童の文字と思へばよい。運筆は不自由である、しかし運筆をさせる精神は自由である。規格といふものを知らない。」「上手に書かうなどといふようなケチな心が少しもない」点で通じるものがあると褒めてるんだか貶してるんだかという評価をされていました。ちなみに同じような環境で育ったと思われる直義や師直は見事な筆跡だったそうで。尊氏…。
>幕僚長殿の論文
…心情はまあ分かるのですが、彼の立場であれはまずいでしょうね。あと、参考文献は挙げてほしい(苦笑)。あと「内容が理に適っているか」「国益に適うか」「その言い分を通せる状況か」どの観点から見ても問題が山積み。併合した地域の王族の扱いについては電羊斎様が仰ったとおりで、カンボジアのシアヌーク元国王もそうした立場だった事やカシミール問題も藩王制が残っていたのが一因だったのを追加して指摘すれば十分でしょうし。植民地支配により植民地が発展したという点については間違いではないんでしょうけど、それを言い出したらインドだってまともに全地域統一がなされたのはイギリス支配が初めてでしたからね。ある程度長期にわたり広範な支配が安定している「インド」の「近代」や「国民」はイギリスが作ったともいえるわけで。文化史を概観するとそれは痛感しますし、「インドの歴史」を書いたパニッカル氏(インド独立初期の要人)もそれは認めていたような。
あと、「日本だけが侵略国家呼ばわり」という問題については「仕方ない、負けたんだから」という単純な以外に帰着しようがないかと。それが嫌なら第二ラウンドって事になりかねないわけで、それは勘弁して欲しい(苦笑)。そりゃ、日本にだって非がある一方で言い分もあった。けど、叩きのめされてそれを引っ込め、「私が悪うございました」と相手の言い分を飲む事で五年をかけて独立を回復し、二十年にわたり「平和」の実績を示し「連合国」の仲間入りするという風に長い時間をかけて国際社会に復帰した。その中で日本の立場を回復し言い分を通すのに必要なのは声高に正統性を訴える事ではなく、時には屈従を舐め膝を屈してでも粘り強く妥協を探る以外に無いわけで(その意味では戦後日本外交はベストでないにしろベターな実績を残してきたと思います、今後どうかは分かりませんが)。「前科者」のレッテルを貼られてるわけですから。そりゃ「言論の自由」がある訳ですから個人が何を言おうが自由なんですが、国家の高官が、それも制服組のトップがあの手の発言をする事で日本国や自衛隊が変な目で見られ言いがかりの口実になりかねない事が分からんかったのかなあ。TPOとしてもまずいし、戦略としては拙劣で戦術としても危うい。…大丈夫なんでしょうか、ウチの国防。ただでさえ周辺諸国の顔ぶれや軍事力がああなのに(汗)。これで自衛隊に変な風当たりが強くならなければいいのですけど。
http://www.geocities.jp/trushbasket/
#8314
徹夜城(久々に劇場に行った管理人) 2008/11/13 23:17
「赤壁」見てきました。
久々に歴史映画の話題。こちらの伝言版にはやはり「歴史映画」としての話題を中心にします。
演義でもない、正史でもない、ジョン・ウーの三国志ワールドです、ということなんですね。演義派・正史派とこだわるむきにはぶっ飛んだ内容であるとも思えました。大筋で赤壁の戦いに至る展開をなぞってはいるんですが、話の8割方はオリジナルでした(第一部に関しては)。主役はあくまで周瑜で、サブ主役が諸葛亮という形ですし、両者の確執は全く描かれない。でも「三国志」なんだよなぁ、やっぱり。映画としての出来はなかなかのものだと思いますよ。
歴史映画マニアとしては配役にいろいろニヤニヤしちゃうところがありまして…関羽役のバーサンジャブは中国ドラマでチンギスハーンを演じ、日本の「北条時宗」でクビライを演じた方。実はチャガタイ・ハンのご子孫なんだそうです(!)。しかしまぁチンギスやクビライが関羽になっちゃうとは。
趙雲役の胡軍は「大漢風」で項羽役。映画序盤の趙雲大暴れの場面には「大漢風」の烏江のほとりの項羽大奮戦の影が…(笑)。
曹操役の張豊毅といえば、TVドラマで韓信、映画では「項羽と劉邦」で劉邦、「始皇帝暗殺」では刺客・荊軻と歴史ものではよく出てるお方。
呉の武将・甘興(元海賊という設定なので甘寧がモデルと思しい)役の中村獅童は一番最近の映画では徳川家康やってましたし(笑)。
歴史ものとはほとんど縁がなかった気がしますが、金城武の諸葛亮、なかなかハマっております。キャラクターとしては演義よりは史実に近いリアルな位置づけになっていて独特の存在感があります。
あと、宣伝ではなぜか全く触れてなかったのですが、映画のメインヒロインは小喬…と見せかけて、実は孫権の妹・尚香です。そう、やがて劉備と結婚して「孫夫人」となる女性ですね。この映画では大変な大活躍。演じるは「少林サッカー」のヴィッキー=チャオです。
孫権の妹が大活躍ということでは、むかし日テレ「金曜ロードショー」枠で放送された「横山光輝三国志」が思い起こされますが(笑)、あれを思い起こすと今度の映画、どっか似てるんですよね。「三国志」エッセンスを思いっきり吹っ飛ばしてエンターテイメント化したということではソックリ。もっともこちらのほうがもっと上出来だと思いますが。
ところで今度の映画で個人的に気になったこと。
劉備の陣営を周瑜が訪ねる場面で、関羽が子供たち集めて塾の先生やってるシーンがあるんですよ。これ、吉川英治の創作だったように思うんですが、それがあちらに伝播したのか?それとももともとあっちにもそういう話があるのか?ご存知の方はお教えください。
関羽が塾の先生してるのは、東映動画で製作した劇場版三国志アニメでもチラッとあったんですよね。
>電羊斎さん
田母神さんの「論文」ですが、あえて言いますと現在の国防体制に関して制服組の立場から異論がある、というのをもう少し違った形で論じるならまだよかったんだと思ってるんですよ。しかし前段の歴史論における論理がハチャメチャなのでこれが仮にも一軍のトップということにある種の恐怖を感じちゃうわけです。報道によると浜田防衛大臣は一読した直後に更迭を決めたとされますが、実のところ歴史認識ウンヌンの話よりマジメにこういうのに実力部隊を指揮させちゃいかんと焦ったんじゃないかという気もしてます。
海外の反応は…「陰謀論」のレベルなのでまともに相手にしないことにしてるフシもありますね。アメリカでもチョコチョコ報じられてるようですが、なぜか反米には踏み込めない日本の右派の皆さん(だから「コミンテルンのせいで日米戦になった」というヨタ話に飛びつくんだよな)はその辺で忘れることにするかもしれません。
#8313
電羊斎 2008/11/13 13:30
論文その他
田母神論文ですが、こちら中国では米大統領選や金融問題やらの陰に隠れた形で、マスコミの扱いもあまり大きくなかったですね。中国当局が抑えているというのもあるんでしょうが。
そういえば、こちらでも「小浜市」があちこちでこぼれ話的に報道されてました(笑)
私も遅ればせながら田母神論文を読んでみました。
まあ、一論文としてのレベルは確かに低いですねえ。ほかの方も書いておられますが、たしかに「あれで300万かよ!」と言いたくなる出来です。
私が気になったのは、「コミンテルン陰謀論」と「日本の植民地支配が人道的だった」ところの根拠が非常に弱かったことですな。
ここにおられる方には釈迦に説法でしょうが、コミンテルンと中国共産党はむしろ対立してまして、特に1930年代後半に毛沢東がソ連留学組から主導権を奪ってからはほぼ絶縁状態でした。現代の中国の革命ドラマでもコミンテルンは毛沢東の「正しい」戦略を邪魔する悪役として描かれる場合が多いですな。
特に、日本の植民地支配が欧米列強よりも人道的ですぐれていたとして、現地王族、有力者の優遇や現地人の軍人への登用などを挙げていますが、これは英領インド、マレー、仏領インドシナ(ベトナム、ラオス、カンボジア)の植民地支配にも顕著に見られる現象ですので、根拠にはならないですね。
現地の有力者を懐柔するというのが植民地支配の基本ですからな。
また、中国人労働者(クーリー)も働き口を求めて大挙満洲へと流入していますが、これだけをもって日本の植民地支配が人道的であったとはいえません。同じ現象は東南アジアをはじめとする欧米列強の植民地でも起きていますので。
満洲にせよ、マレーにせよ、飢餓や戦乱に明け暮れ、明日のわが身すら危ない中国よりはましだったとはいえますが、それだけで「圧政」ではなかったとは断言できないと思います。
あと、論文としての出来は別にして、手順や手続きを完全に履き違えていますね。
実は私も元自衛官(陸上自衛隊)でして、現場の不満や怒りはよく理解できます。
ここでは具体的に述べる余裕はありませんが、確かに外国の軍隊と比べいろいろな点で「手足を縛られて」いますし、政府や国民にはもっと自衛隊をバックアップしてほしいなという不満もあります。
ただ、国防について言いたいことがあるのなら、一定の手順を踏み、冷静な言葉づかいと整った論理で発言すべきですな。
自由社会を守るべき自衛官として、世の中には無制限な自由というものがないことも理解すべきでしょう。
http://honin.spaces.live.com/
#8312
EN 2008/11/12 18:01
日本は侵略国か
例の田母神さんの論文問題、やはりいろいろ騒がれましたね。まあ自衛隊の最高幹部にいる人間が政府見解に反する論文を公然と発表してその論文の募集先に空自の関係者が大勢応募して指示の疑惑が出てくるようじゃ更迭はやむを得なかったですね。ネットアンケートですが、大体この手のアンケートってよく偏った意見が出ませんか。だからそんなに気にするほどのことはないだろうと思うんです。余談ですが、産経新聞が昨日、募集先の会社の広告を使って論文を全文公開しちゃったようで。こんなの全文公開して真に受ける人いるんですかね。
#8311
徹夜城(「レッドクリフ」は明日見る予定の管理人) 2008/11/12 14:22
投稿少年・高氏
ふと書店の歴史コーナーにあったこんな本が目にとまり、さらにその内容をチラッとみて即買いしてしまいました。今年の7月に出てた本なんですね。
小川剛生・著「武士はなぜ歌を詠むか・鎌倉将軍から戦国大名まで」(角川叢書)
タイトルで内容の察しはつくでしょうが、第二章が「乱世の和歌と信仰―足利尊氏と南北朝動乱」と題してまるまる尊氏と和歌の関係を論じてるんです。こういう観点からまとめたのは面白いなぁ、と。
知らなかったんですが、高氏くん、歴史の表舞台に登場する前に勅撰和歌集に入選してるんですね。嘉暦元年(1326)成立の「続後拾遺集」に21歳で一首入選してます。大河ドラマ「太平記」だと高時が執権辞任、守時が執権就任というドタバタがあり、高氏が登子と結婚したころですね。入選した和歌というのは、
「かきすつる藻屑なりともこの度はかへらでとまれ和歌の浦波」
というもの。意訳しますと「私が書き捨てたつまらぬ歌ではありますが、今度こそ落選せず入選してもらいたいです」という、漫画投稿歴をもつ人間にはものすごく身につまされる内容です(笑)。こんなんで入選するんかい、と思うところもありますが、掛け言葉も巧みに使った作品という評価なんでしょう、たぶん。有力御家人の御曹司とはいえ権力者とは言い難い立場ですし、さすがに勅撰和歌集となるとえこひいきはなかったはずです。
この歌には高氏がこれ以前に「落選」の憂き目をみたことが示唆されてますが、本書によるとこれに先立つ勅撰和歌集は「続千載集」で元応元年(1319)の成立。高氏はこのときまだ数えの15歳、ほとんど元服直後のことですが、すでに和歌の投稿を熱心にやっていたということになるわけです。
その後、世情が騒がしくなってきた元弘元年(1331)に「臨永集」という私選集に高氏の和歌が三首選ばれていて、そのうち一首は、「述懐の心を」と題して
「これのみや身の思い出となりぬらん名をかけそめし和歌の浦浪」
というもの。意訳すると「和歌の道で多少名が知れたことだけがわが生涯の思い出となるであろう」という、当時まだ数えで27歳の彼の「その後」を知る者からするとビックリするような歌なんですね。すでに和歌で一定の評価を受けていたこともうかがえますが、同時にその後の高氏がしばしば見せる隠遁願望・厭世気分が早くもこの時期にあるような気も…もともと文化人的気質の人だったんですかねぇ、やっぱり。
>奥野さん
「皇子たちの南北朝」は僕も面白く読みました。後醍醐も相当なもんですが、そのために苦労した子供たちの運命もまた非常に面白い。宗良親王の波瀾万丈の生涯、「征夷大将軍の歌詠み」ということでは実は尊氏といい対称になってるんですよね。上記の話題でもいえることですが、南北朝の群像はまだまだ面白い話が人知れず眠っている、という気がしてます。
戦没者慰霊碑はいわゆる「忠魂碑」かな?と思うのですが、どうでしょう?僕の地元にもありますよ。やはり戦後に建てたものです。靖国の地方版である護国神社のたぐいでもいえることですが、戦後になってそう簡単に切り替えたはずはないんですね。戦争に対する比較的冷静な評価なんて実はかなりたってから可能になったんだと思ってます。
>mozawaさん
僕の方は昨日になってようやく緒形拳さん追悼企画で放送されたドラマ「破獄」を見ました。吉村昭の原作で、実在した「昭和の脱獄王」をモデルにしたドラマで緒形さんが無口ながら迫力満点に演じておられました。
なんと四度も脱獄を繰り返したという人物で、そのテクニック(笑)には怪盗ルパンもビックリです(ルパンの脱獄歴は3度ありますが、うち2度は政治的駆け引きによる超法規的措置の釈放です)。とくに彼の脱獄を阻止するために特製された手錠(鍵穴なし)を食事の味噌汁をかけて一年がかりで腐食させ脱獄したという史実には仰天!
>小覇王さん
ま、ネット上でお手軽に騒いでる連中にウヨ的強気発言をするのが多いのは確かですが、その大半はネット上で騒ぐだけの内弁慶ですから。最近その底の浅さが世間的にもわかってきて、「ネット上で~」というのはあまり気にされなくなってきてる気もします。
当の田母神さんも「ヤフーで56%が賛成してた」などと言ってましたが、ああいうところでの投稿じゃ…逆にそれで半分ちょっとかい、と思いもしましたし。僕が見物してる某ウヨ団体の掲示板でも「2chのスレッドでチェックしたが賛成・反対が6:4だった」とガッカリしてる書き込みが…(笑)。この団体さん、田母神問題発覚の当日に例の内紛がらみの裁判で敗訴してそちらでも大騒ぎになってたんですけどね。
もともとアパとの関係は深かったし、だいたい投稿総数の3分の1が関係者(実質指令出してるでしょ、ありゃ)、最初からどういうのを求めてるかは丸分かり、「出来レース」の可能性はかなり高いでしょうね。選考委員の一人は自民党議員の代理で出た秘書で田母神論文には「0点」をつけたとの証言があるようなので、それが本当だとするとかなり怪しい選考だったということに。案外落選した他の隊員のもののほうがずっと「まとも」なことを書いてたかもしれません(笑)。
にしてもあんなのがトップのうちに有事にならなくて幸い(苦笑)。歴史認識以前の問題として軍事的に考えても無茶苦茶な理解能力しかもってないのが分かりますから。昨日の朝日新聞で、秦郁彦・保阪正康両氏の対談でボロクソに批判されてましたっけね。読売も今日の社説でかなり厳しく書いてます。
#8310
小覇王 2008/11/12 01:22
審査員は渡部昇一
>奥野さん
>例の田母神さんの論文
確かにあれで300万もらえるなら楽ですね。あれはもう最初からああいう方向の論文を募集してたみたいですね。それにしてもあれが最優秀賞というのは他のはどんだけレベル低いんだ、などと思ったりします。ただ、主催者と受賞者は個人的なつながりがあったようですし、出来レースだったんじゃないかとうがった見方をしてます。しかし、今日の国会での開き直りも凄かったなあ。ある意味中山前国土交通相並にもうしゃべるな、と麻生さんたちは思っているのでは。
ただ、少し気になったのはようつべ上のコメント欄なんかで今回のを見ると田母神氏を支持する声が異様に多いように感じられたこと。全部が全部とは思いませんが少し前にココで話題になった、ネットの右傾化、というのを思い出しました。
かくいう僕はようつべコメント欄で少しやりあってしまい、しかもそれが動画と関係ないことだったので反省しております。
http://burebure.blog.ocn.ne.jp/burebureblog/
#8309
mozawa 2008/11/11 21:43
大河太閤記「本能寺」視聴
いまさらですが、観ました。
回想シーンの桶狭間と早馬のシーンに、管理人様のおっしゃる記録映像らしさを感じました。
本能寺を城郭として捉える広さと、矢ではなく竈で起こした火から小分けにして点火して行くのが印象に残りました。
特に、後者の竈で火起こしについては、1965年という放送年を感じさせられました。
高度成長真っ只中とはいえ、たった20年程前まで火起こしが日常だった時代からこその発想、描写ではないかと。今の時代劇なら、いきなり火矢や松明が出てきますよね。
伝説の高橋信長は初めて観ました。
が、それ以上に蘭丸役の片岡後醍醐が美しかったです。
後醍醐とは別人でした。
#8308
奥野 2008/11/10 22:23
「戦後」の歴史感覚
僕は元々戦国時代に対する興味が強かったのですが、それでも行った先の城跡の近くに足利や新田関連の史跡があると足を停めるようになったのは、ずっと徹夜城さんのところに出入りさせて頂いている功徳だと思います。こういう形で興味関心の範囲が広がっていくのは楽しいですね。
それから、しばらく前ですが、森茂暁『皇子たちの南北朝』という本を書店で見つけて買いました。このタイトルに目がいったのもやはり徹夜城さんの影響大でして。非常に面白い本でした。特に「漂泊の征夷大将軍」こと宗良親王の人生は感動的で、この人を主役にした小説やドラマがあってもいいんじゃないかと思います。
ところで太田の大光院を訪れた時の話ですが、境内にあった戦没者慰霊碑がなかなか興味深いものでした。建立は昭和28年と戦後の作であるにも拘わらず、文面が戦前の価値観そのままなのです。「諸士等身ヲ君國ニ捧ゲ遂ニ異境ノ花ト散ル」「英魂長ヘニ國家ノ柱礎タリ」「希クハ英霊神力ヲ増上シ長ヘニ護國ノ霊威ヲ加ヘンコトヲ」云々と。思わず「戦争ってもう終わってるんですよね?」と問い返したくなるような内容です。
こういうのを見ると、つくづく日本人の「戦後」の受け入れ方は一筋縄でいかないものだなあと感じます。少なくとも、戦争に負けてみんな自虐史観を叩き込まれましたという単純な話であるとは思われない。地域による意識の差も大きいことでしょう。「戦後」日本の歴史感覚は、いま改めて問い直すべき問題なのかもしれません。
なとということを、例の田母神さんの論文を読んで思ったりしました。それにしても、アレで300万か…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/6218/
#8307
徹夜城(カウンターパンチをくらった管理人) 2008/11/07 12:51
倭寇考古学
>黒駒さん
確かに倭寇のような海賊連中は文献資料では限界があり(鎮圧する側しか資料を残してくれません)、遺跡などの考古学的資料が求められるところなんですが、この遺跡というやつもなかなかないんですよ。海賊だけに一か所に長期滞在してくれませんから。
ただ、以前五島列島の福江島に行ったとき、現地で「勘次が城」という石を積んだ砦のあとのような遺跡を見物してきたことがあります。僕が海賊コーナーに載せてるあの二体の「倭寇像」があるのがそこでして、地元教育委員会により遺跡として整備され、すぐそばにミニチュアで砦の全体像が再現されてます(倭寇たちの人形が置いてありました)。
伝説によると江戸時代に「勘次」という男が発狂して石を積んであっという間に作っちゃった、ということになってるらしいんですが、恐らくは「倭寇」の遺跡であろうと判断されているわけです。この砦のすぐそばには「唐人瀬」という地名もあり、これも江戸初期ごろに中国船がここに難破し、現地の人が船を襲撃・略奪する騒ぎがあったことに由来すると聞いています。
中国の舟山群島にはあちこちに拠点があったはずですから、ちゃんと調査すれば考古学的資料も見つかるかもしれません。
アクセスカウンタの件、ご報告ありがとうございました。いつもチェックしてるわけではないのですが、しばらくエラーが起きなかったんで油断してました。推測値で直してあります。
#8306
黒駒 2008/11/07 04:34
倭寇考古学?
ふと疑問に思ったことなのですが、倭寇の活動を示すのは文献上のみで、考古学的遺構や遺物からは確認できないのでしょうか?
倭寇の根拠であった離島の遺跡であるとか、交易や密貿易を裏付けるような考古遺物はあるのかなと疑問に思ったのですが、どうなんでしょ。ところで、こんな時間に覗きにきたらカウンタがリセットされてました(笑)。
#8305
巫俊(ふしゅん) 2008/11/07 02:14
伊賀
忍者電車はかなり前衛的なデザインですから、「忍者のペイント」であることは別として、素直な気持ちで愛着抱くのは難しいですね(笑)
忍者電車が走ってる伊賀鉄道は、今でこそ大阪から伊勢をつなぐ近鉄電車の支線という印象がありますけど(近年に第三セクター化されました)、
もともと近鉄電車は大阪経済圏と伊勢神宮を結ぶ為に開発された為、奈良県と三重県のあいだにある小盆地である伊賀地方の南部を通過して松阪、伊勢の方に向かっています。
伊賀南部の名張市より以南には天を衝くような紀伊山地系統の山脈が連なる為、鉄道は古代の東海道を通って伊勢に抜けていきます。
まあその、つまり伊賀で最大の旅客能力をもつ近鉄電車は大阪圏、東海圏への連絡にこそ意味があれ、伊賀市内における地域間連絡という意味では、忍者列車のある伊賀鉄道も時間に余裕のある高校生を運ぶローカル普通電車という以上の価値をもっていません。
そうでありながらも、伊賀鉄道は地域の数少ない路線ではあるので、最近は車内物産展をやったり駅舎を新築したりと頑張っているようです。
#8304
巫俊(ふしゅん) 2008/11/07 01:43
オバマ
>オバマ
もともと諸葛亮とか楠正成とかが理想の人物というか、素朴な気持ちで好きだったので、オバマはその人柄を知った頃から応援してみたいと思いましたね。
諸葛亮、楠正成、パンジシールの虎(アフガン)、オバマ、この四人が巫俊(ふしゅん)の少ない人生の中で、光り輝いた歴史上有名な人物であると思います。
理想は理想として別として、オバマが極めて「黒い」公民権運動の負の遺産を背負っていることも事実で、そういえば諸葛亮にしても楠正成にしても「悪党」的な性格をどこかにもっていて、世間の流れに抗したり、ある種の既成事実的な「階級」と戦おうとするところが似ていると感じますね。
諸葛亮やオバマなんかは、勿論エリートの出身ですが、どこかひんまがった魂をもっていて、動乱の中で権力地盤を固めた劉表政権やブッシュ政権の惰性的な政治を許せないという気持ちをもっている。
私が諸葛亮とか楠正成とかのストーリー(歴史)から強い薫陶を受けていた頃、ちょうど9・11の同時多発テロが起こりました。
諸葛亮や楠正成のような指導者がいれば、世界は、日本は劇的に良くなるはずだと。楠正成が米大統領だろうと、河内の市長だろうと、僕の学校の学級委員長だろうと(笑)必ず世の中は良くなるはずだ、昔はそう思ってたんですが。
だけど、世界は9・11の衝撃で多極化が進み、私が諸葛亮と楠正成の再来だと惚れた反タリバーン連合(北部同盟)のマスード総司令官はあっさり死亡。
今にして思えば、21世紀冒頭の歴史はブッシュに始まりオバマが幕を引く、面白い組み合わせじゃないですか?
マスードはあっさり死んじゃって新聞でも北部同盟はいつも悪者だし(笑)、紙面に出てくる顔はブッシュばかり。
落胆していたところにオバマの登場。理想が理想通り行くとも思えないですが末永く見守りたいものです。
思えばブッシュが登場してオバマが出てくるまでの私の人生は荒れに荒れたものでした。
人は理想というものを失うと、というより理想を支える円滑な人間関係であるとか前向きな気持ちが失われると、それまで理想を信じて悪行に染まらずに来た書生であるということが、人生の処世術に大きなマイナスを与えます。
理想が理想として生きていた頃は大過なく済んでいたことがあっても、卑怯な人間や悪が世の中を支配するようになると、今まで悪を遠ざけていたことは美徳ではなく、只の経験不足であり、人より応用が利かず不器用な人間というレッテルを甘んじて受けねばなりません。
臨機応変の才とは、善であれ悪であれよく経験し、状況に応じて判断できるということですから、昔の私みたいに、潔癖な正義の味方を自任し、そして弱く、心変わりした友人を止めることもできない、そんな人間には諸葛亮や楠正成の職分は務まらないのだと思います。
楠正成も後醍醐天皇の変心を諌めることができず、湊川で敗死してしまったあたり、悪党に徹し切れなかったのだと感じますね。
ところでオバマの登場って、左派にとっては久々の指導者であり、前向きな人物像の登場ですよね。
大統領選の予備選が始まったころ、保守系のとある方は「共和党が勝利する」と確信していたくらいで、そういえば安倍首相といい、ペイリン知事といい、思想信条の前に人格がだらしない人物が連続したことが、さぞ右の方にとって痛手でしょうね。
最近の日本の政治では、ネット上では左右の応酬が激しいのに反して、自民党にしても民主党にしても左右両勢力を地盤にしているというか、左右両勢力は地盤ではないというか、ネットでは「左翼を殲滅する」と発言した人が自分は中道であると自称していたりするのに対し、はっきりした左翼系政党(?)が共産党(?)くらいでは、左派が党派として増進する機会って、日本には無いんですよねぇ。
ネット上の保守系の方は安倍万歳とか言う余裕もあったんだけど、左派の方には安倍のような存在すらいないという。
その代わりがオバマか?
#8303
NF 2008/11/07 00:36
歴史的な選挙結果になりましたね。選挙資金集めと有権者の参加意識を高めるのと一挙両得な方法をとったのも奏功したと聞きます。とりあえず、小浜市は「名誉市民」はともかくフラダンスは止めた方がよいのでは(苦笑)。
>十一郎様
リンク先拝見。軽皇子の件は存じていました。宣長もその事例を念頭においていたんではないかな、と思ってます。ところで、伊勢物語の事例では友人は「妹とラブラブしていた」説をとったようで。
ttp://trushnote.exblog.jp/9214212/
あと、小野篁が妹に手を出したという伝承があったようで「篁物語」として物語のネタになっています。史実ではないらしいですが、かなり後になっても物語として同情的に伝わっているのが驚きですね。
詳細な内容は
ttp://trushnote.exblog.jp/9536266/
ttp://trushnote.exblog.jp/9564355/
…最近、たまに出てきたらこんな話ばかりしてる気がする(涙)。
http://www.geocities.jp/trushbasket/
#8302
徹夜城(最近は字幕なしでフランス語DVDを見せられている管理人) 2008/11/07 00:33
とりあえず、元上司にあたる人は
>十一郎さん
この「論文」なるもの(秦さんも言ってましたが、論文と評することすらはばかられる駄文ですな)については時間があったら「史点」でもチラッととりあげようかと思っているんですが、内容があまりにアホらしいのでいちいちツッコムのがかえって難しい(笑)。だいたいその手の方々の間での「常識」を並べてるだけでなんら新味がないんですもん(本人も他人の著作を読んでの寄せ集め、って白状してますもんね)。そもそもまとめると「罠にはめられて解放戦争しました」という訳の分からない主張をしてるわけで(笑)。
元上司にあたる石破前防衛大臣はいろいろ聞かれるのでブログで書いてました。なかなかいいまとめ方だと思います。これでそちら方面からは「国賊」呼ばわりされたそうで。
http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8451.html
とくにこの一文が的確。
「…「民族派」の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、読んだとしても己の意に沿わないものを「勉強不足」「愛国心の欠如」「自虐史観」と単純に断罪し、彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。」
>景虎さん
オバマさん、確かに大変な時にあたっちまった、ってところはありますね。前政権の負の遺産をイヤってほど抱えちゃったし。もっともだから新鮮度の高い彼が選ばれたということでもあるんでしょう。
昨日どっかのニュース番組で、ベトナム戦争で威信が傷ついたときに「癒し」を求めてカーターが選ばれた例にたとえてる人がいました。カーター政権は結局影の薄いまま不人気になって一期で終わってしまい、むしろカーター氏は90年代に大活躍することになったわけですが、少なくとも選出時には「『癒しのカーター』が求められていたんだ」という話には、なるほど、と。オバマ氏が「癒し」なのかどうかは分かりませんけどね。
ただ振り返ってみると、俳優のデンゼル=ワシントンとか、ゴルフのタイガー=ウッズですとか、それ以前の「アメリカの黒人」イメージをカッコよく塗り替える例が90年代以降目立っていた気はするんですよ。そう思うと変化は着実に進んでいたと思えるんです。
伊賀の「くのいち電車」は…(汗)。松本零士デザインと気がつかなければ、ただの不気味な電車ですね(笑)。
松本零士さんといえば、先日の11月3日文化の日、「手塚治虫生誕80周年」のイベントで講演をしていたそうで。
いえね、手塚治虫って生きていたとしてもまだ80歳なのかとかえって驚くわけで。最近でもアニメ化作品があるせいか、いまどきの中学生でも手塚治虫がかれこれ20年も前に逝去している人であるとはまったく思わず現役漫画家と思い込んでいるケースが多いようです(僕はすでに教え子で2例見ました)。
#8301
景虎 2008/11/06 20:06
オバマ、ナンジャ、ニンジャ
オバマさん、大統領になっちゃいましたねえ。
何をするのか、しばらく様子を見てみないと分かりませんが、大変な時期に大統領になったものですね。きっと、経済対策で失敗したら相当叩かれるのでしょう。健闘を期待したいところですが。
>巫俊さん
伊賀と聞くと、どうしても忍者を連想してしまいます。
江戸時代以前には忍者という単語はなかったと言いますし、忍術流儀も江戸時代のものです。そうすると、忍者は江戸時代に都会で生まれたのでは?という気がしますが、それでも忍者のイメージは強いです。
伊賀で忍者と言えば、松本さんデザインの忍者電車があるようですね。
http://specialrapidservice.blogzine.jp/photos/iga/dsc07047.html
こういうのは結構好きです。
☆歴史のトップページに戻る
過去ログ8401~8500