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竹田日恵・著
「『竹内文書』が明かす『魏志倭人伝』の陰謀
2000年/4月発行・日本文芸社
外観
 
 
 またまた前回から5年ぶりの更新…それでいて前回予告した通りのそのまま「続編」となっているという、恐るべき更新体制である(笑)。このHPはホント、作者の移ろいやすい気分次第であちこち唐突に更新するから油断がならないのである。
  さて今回とりあげるのは同じ作者による前作とほぼ同時期の執筆と思われる一冊で、自費出版ではなく「日本文芸社」からの刊行。とはいえ日本文芸社自体がト ンデモ本を多々出すところだけに、これまたかなりブッとんだ内容となっている。前回は「南北朝」がテーマだったが、今回はやはりトンデモ史観と関わりの深 い「魏志倭人伝」がテーマとなっている。


◆これだって「邪馬台国本」だ!

 日本古代史において長らく人気のあるテーマが「邪馬台国論争」だ。日本という国の成り立ちに関わる大問題であり、卑弥呼という魅力的な有名キャラも存在し、なおかつその所在すら不明というミステリー性も高い。さらにはそのほぼ唯一の手がかりが「魏志倭人伝」(正確には「三国志」の「魏書」に含まれる東夷伝倭人条)と いう、それほど長くもなく誰もが手軽に原文を目にできる文章ということもあり、一般人でも専門の学者と同じ土俵に立ちやすい。おまけにその解答がハッキリ と出る心配も当分ない(笑)という条件も重なり、昔から多くのアマチュア研究者が「邪馬台国謎解き」に挑み続けて来た。それは同時に思い込みの激しい「ト ンデモ歴史観」が介入しやすいということでもあり、これまでコンスタントに出版され続けてきた膨大な数の「邪馬台国本」の世界は、程度の差こそあれ「トン デモ史観大行進」の様相を呈しているとさえ言っていい(もっとも学界においても畿内説・九州説で対立する学者間で相手の主張をトンデモ呼ばわりしている例は見かけるが)

 そういったトンデモ邪馬台国本についてはそれをテーマにした書籍も出ているのでここでは省くが、その中には「そもそも邪馬台国は日本にはない」という説も含まれる。もちろん史料解釈上完全否定はできない話で(魏志倭人伝の通りに行くとグアムに行っちゃうという意見もあった)比較的まじめな一部研究でも主張されてはいるのだが、沖縄や台湾はまだしも、ジャワ島やフィリピン、カンボジア、はてはエジプト説(木村鷹太郎のもの)なんて物凄いものまである。また、そもそも邪馬台国が魏に「朝貢」していることが気に入らず日本(ことに大和朝廷)と結びつけることを嫌う傾向も昔からあり、それがエスカレートして日本以外に邪馬台国を置こうとする人たちもいた。今回取り上げる竹田日恵氏の魏志倭人伝本もその流れに位置付けることもできる。
 
 なにせ前回の『後醍醐天皇』を読めば分かるように、竹田日恵氏は「竹内文書」を真実の歴史と盲信しており、そこに書かれた「超古代には日本の天皇が全世界を支配していた」「天皇は宇宙の中心的存在」という壮大なスケールの超古代史を信じている。そんな彼に言わせれば、中国に朝貢した邪馬台国など日本に存在するわけがないのだ。そもそも「邪馬台国」「倭国」自体が空想の産物であり、実はそれは朝鮮半島にあった大国「大韓国」をおとしめるために作りあげられた幻想である、というのが竹田氏が本書で展開している説だ。
 「大韓国って何!?」と驚く人も多いだろう。これは竹田氏が『魏書東夷伝』中の「韓記」(韓伝とも。朝鮮半島南部の馬韓・弁韓・辰韓について記した部分)の「裏面解読」を行った結果その存在を「発見」したもので、後年の高句麗の領域にほぼ重なる朝鮮半島の大半と満州・沿海州を支配する大帝国である。竹田氏の解読した「史実」によると、実は中国の三国時代に魏が優位に立てたのはこの「大韓国」の軍事支援があったおかげであり、その後魏はこの大韓国と大戦争を行ったが屈辱の敗北をする。魏を受け継いだ晋において陳寿により正史『三国志』が執筆されるが、陳寿は中華思想にもとづいて中国にとって屈辱的なこの「大韓国」の存在を歴史から抹殺するため、その歴史を「韓記」「倭人伝」に分散して小国であるかのようにみせかけた……というのが大雑把な本書の趣旨だ。
 
  「魏志倭人伝」をタイトルにしつつ、実は歴史から消え去っていた中国をも凌駕する朝鮮民族の大帝国があった!と主張するあたりがユニークと言えばユニー ク。ふと思ったのが、これ、韓国や北朝鮮の一部にある「古代大朝鮮帝国」のトンデモ史観の影響を受けているのではないかという疑惑も浮かぶ。本書中にそうした記 述は見当たら ず、あくまで竹田氏が「魏志倭人伝」「韓記」の裏面解読によるものとしているのだが、楽浪郡の位置を遼東方面に移動させるのは北朝鮮の歴史観と通じるし(竹田氏は好太王碑の位置を根拠にするがそもそも楽浪郡滅亡後に建てたものなので無意味である)、 中国への批判・敵愾心が強く見えながら韓国に対してはそれが見えない点など、どうも憶測を呼んでしまうところはある。


◆「裏面解読」とはいったい何だ!?

 さて竹田氏は以上のような「真実の歴史」を、「三国志魏書東夷伝」の「倭人伝」「韓記」本文の「裏面解読」によって読み取った、としており、本文中でもその解読法が詳しく述べられている。では彼の言う「裏面解読」とはいったい何か。
 言うまでもないが「三国志」は中国の歴史書であり、全て漢字の漢文で記述されている。漢文という奴は実は専門の学者でも中国人でもスラスラ読めるものではなく、文章をどこで切るか(本来の漢文では句読点も返り点もない)、 またその字句の意味を何と判断するかによって大きく読み方が変わってしまうものでもある。「魏志倭人伝」をめぐる「邪馬台国論争」の一因もそうした漢文の 性質にあるのだが、それをいいことに文法的ルールをまったく無視した「解読」を行って、自分が全て解き明かしてしまったと胸を張る人も昔から多い。この 点、ノストラダムスの予言の解釈業界と似たところがある。竹田氏の「裏面解読」はそれを極端に推し進めた例と言っていいだろう。
 だが竹田氏の解読法は「裏面」とあるだけに凄まじい。文法無視はもちろんのこと、漢字一字に複数の意味がある(漢和辞典を引けばわかりますね)ことを利用して拡大解釈をする、さらには漢字一字を「分解」してそれぞれについて意味を読み取ってしまい、それらをまとめて原文とはまったく違う内容を「解読」してしまうのだ。

 本書内にその実例が多く挙がっているのだが、そのうち比較的分かりやすいものを紹介しよう。
 以下は『魏志倭人伝』で楽浪郡から邪馬台国に至るルートの記述の最初の部分だ。

 従郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東至其北岸狗邪韓国…
 (通釈:郡から倭に至るには海岸に沿って海路を行き、韓国を経て南や東に進み、その北岸の狗邪韓国に至る。)

 この部分の序盤を、竹田氏は以下のように「裏面解読」する。

「郡から倭国に至るためには(従郡至倭)」
「郡」 の字は「君」と「おおざと」に分けられるので、「君」と「邑」として解釈する。「君」とは君主の立場を示すから、ここでは本体の韓国を意味する。「邑」は 人が集まって住む場所だから、文字が集まっているもの、つまり記事を象っている。こうして「郡」という一字だけで、「韓国の記事」という意味が浮かびあ がって来る。次の「従」は従うという意味から表裏一体の関係を表わし、「倭」は文字通り倭人の記事を指す。「至」は最終地点に到達することから、「奥義を 極める」となるのだ。
「海岸に循って船で行く(循海岸水行)」
「海」 は「水」と「毎」の二字に分ける。陰陽説では火は陽、相対する水は陰と考え、陰である水は従う立場となり魏に従う倭人を意味する。「毎」は草が盛んに生い 茂っている状態を示すことから、田の美しい様を表わすので、多くの文字で飾られた記事を指す。こうして「海」の一字で「倭人の記事」ということになる。 「岸」は額(ひたい)という意味を持っていることから記事の冒頭を意味し、「循」は順番に事を行うこと、「水」は文章の流れを、そして「行」は「見てい く」という状態をそれぞれ表わしているのである。

 …当人は理路整然のつもりらしいが、もうなんでもありの解釈にあっけにとられてしまう。こうした解読の結果出てくる訳文は、

「韓の記と表裏一体の関係にある倭人の記の奥義を極めるには、倭人の記の冒頭から順番に文章の流れを見ていくことだ」

 となってしまう。陳寿は邪馬台国へのルートを記すように見せかけて、実は魏志倭人伝の解読法を告白していたというのである!

 また、、「対馬国」「一大国」「末盧国」が紹介されるくだり。

 至対馬国其大官曰卑狗副曰卑奴母離至一大国官亦曰卑狗副曰卑奴母離至末盧国…
(通釈:対馬国に至る。その大官は卑狗(ヒコ)といい、副官は卑奴母離(ヒナモリ)という。一大国に至る。官はまた卑狗(ヒコ)といい、副官は卑奴母離(ヒナモリ)という。末盧国に至る…)

 「対馬国」はもちろん対馬のこと、「一大」は「一支」の誤記で「壱岐」のこと、「末盧」は「まつろ」と呼んで現在の松浦のこと、とするのが通説だ。だが竹田氏の眼力にかかると、この三国は以下のように「裏読み」されてしまう。

<対馬国>
「対」…対象を   
「馬」…韓国とした(馬は馬韓の略称であり、馬韓は韓国の本拠地であることからここでは韓国全体を象徴する)
「国」…占いの(国を建てるという意味から、卦の成立した状態、占いを象徴する)
<一大国>
「一」…同じようにして
「大」…「魏志倭人伝」全文に対する(大は全体という意味を持つから、ここでは「魏志倭人伝」の全文を指す)
「国」…占いの
<末盧国>
「末」…結局のところ
「盧」…「魏志倭人伝」の記録は正しくない(盧は飯を入れる器という意味であり、ここでは文字を多く盛っているもの、つまり「魏志倭人伝」の記録を指す。また、盧には「黒い」という意味もあるので、正しくないという意味も表わしている)
「国」…文章(ここでは占いではなく、文字を集めたもの、つまり文章を意味している) 

 さらにどういう「解読」をしたのかいくら読んでも理解しがたいのだが、「卑狗」や「卑奴母離」について竹田氏は「易経」に載る占いの「卦」と解釈しており、これらをまとめて先ほど挙げた「魏志倭人伝」の原文から以下のような全く別の文章を読み取ってしまうのだ。

 『対 象を韓国とした占いの判断を得るために、韓国に対する最初の占いの形(=現在を表わすもの)を卑しい昆卦に定め、副えた占いの形(=未来を表わすもの)を 晋卦に定めた。同じようにして、「魏志倭人伝」の全文に対する占いの判断を得るための形を卑しい昆卦に定め、内容を詳しく調べるための形を晋卦に定めた。 結局のところ、「魏志倭人伝」は正しくないという判断を得るのである』(p81)

 「倭人伝」漢文の「解読」だけではない。竹田氏は陳寿が「大韓国」に対する呪いをかける意図で「魏志倭人伝」を創作したのだから、その解読には『易経』の卦(占い)の知識が必要と主張しており、何かというと『易経』本文を引用する。例えば『易経』に「其の背にとどまりて、其の身を獲ず。其の庭に行きて、其の人を見ず。咎(とが)なし」という文章があると、「この文章の「其」を「魏志倭人伝」に置き換えると、陳寿の言いたかったことがそのまま現れる」と言って、以下のような解読をしてみせる。

 「倭人伝の筋書は全部間違っているから、倭人伝から実態を得ることはできない。仮に倭人伝の記に従って行ってみても、そこに書かれている倭国を見ることはできない。だから倭人伝には罪がない」(p83)

 さらに『易経』の晋卦の解説文の「晋は、康侯用て馬を賜ること蕃庶。昼日に三たび接せらる」という部分を以下のように裏面解読してしまう。

「晋」は倭人伝。
「康」は空しいという意味をもつことから、架空のという意味になる。
「侯」は王城から五百里〜千里の範囲を表わすので、ここでは倭人伝の示す範囲、つまり倭国を指す。
「用」はもって。
「馬」は馬韓。
「賜」は一緒にするという意味から、同じものに見なすと読み解く。
「蕃」は王に服さない異民族のことであるから、ここでは実在の韓国を指す。
「庶」は分家・官位のない人のことを意味するので、陰の存在を意味する。
「昼」は倭人伝を意味する。これは太陽を主である韓国とみなし、太陽に従って現われる昼間を倭国にたとえている。
「日」は前の昼に対応して韓国と読み解く。
「三」は天地人の三つを象徴し、文章全体を指す。
「接」は合うという意味を持つことから、裏腹の関係において一致するという意味になる。

 …という調子で解読した結果、次のような文章が生まれてしまう。

 「倭人伝というのは倭国という架空の国をもって韓国と同じものにみなし、実在している韓国の陰の存在とした。だから、倭人伝と韓の記とは、文章全体が裏腹の関係において一致しているのである」(p83〜84)

  というわけで、竹田氏は「魏志倭人伝は大韓国をおとしめるためのまったくの創作」という暗号を「魏志倭人伝」そのものや「易経」のあっちゃこっちゃから読 み取ってしまう。竹田氏は「倭人伝」「韓記」が実はもともと「大韓国」の情報を分離して書いた表裏一体のものと主張しているのだが、その証拠として二つの 記事に対応する同じ文字が含まれていることを挙げ、巻末に付録としてその対応表を載せている。全文引用は長いので、その冒頭の一部を引っ張り出してみよ う。赤太字は竹田氏が両者が表裏一体の証拠とする「同じ文字」である。

(魏志倭人伝)(韓記)
在帯方東南海之中依山島国邑在帯方之南東西以海為限南与接方可四千里
旧百余国漢時見者今使訳所通三十国漢時属楽浪郡四時
所居絶島険多深林道路如禽鹿径良田食活乗船南北糴名曰澣海多竹木叢林差田地耕田猶不足食亦南北市糴浜山海居草木茂盛行不見前人好捕魚鰒水無深浅皆沈没取到伊都官曰爾支副曰泄謨觚柄渠觚二種一馬韓二曰辰韓三曰弁韓辰韓者古也馬韓在西其民著種植知蠶桑作綿布各有長帥大者自名為臣智其次為邑借散在山海城郭
皆統属女王国郡使往来所駐36王常用馬韓人作之世相継辰王不得自立為王

 各節の上にある番号は竹田氏が勝手につけてるものだが、「倭人伝」の方は順番通りながら飛び飛びで(飛ばしたところは占いの説明をしているだけなので意味はないのだそうな)、それに対応する(と竹田氏が主張する)「韓 記」の方の文節はご覧の通り順番はバラバラ。しかも同じ文字があるのは確かだが、諸国の地理情報を書いた文章である以上「土」「山」「海」「王」といった 字が両方に出てくるのは当たり前だし、「有」「曰」「之」といった文字はどんな文章だって頻出するもの。おまけにごらんのとおり一致する文字は全体のほん の一部に過ぎない(両者の一行目だけ一致が多いのは近い場所の地理情報だから当たり前)。文字の順序が入れ替わることについては「それによって呪いをかけたのだ」と説明しちゃうんだから、もう敵なしである。

 さらに竹田氏は「倭人伝」の中で邪馬台国以下の国名を列記する箇所に「次に斯馬国有り」という部分があるのに目を付け(原文では「次有斯馬国」なのだが、なぜか竹田氏は「次斯馬国有」と入れ替えている)

「次」…次に並んでいる国は
「斯」…ことごとく
「馬」…韓国の
「国」…なかにある国名から
「有」…得たものである
 すなわち、「倭人伝」に登場する二〇カ国の国名は、ことごとく本体である韓国の国名をもじって作った架空の国名だと陳寿は言っているのである。(p93)

  と、「解読」してしまう。なお竹田氏は邪馬台国の女王「卑弥呼」もまったくの創作としており、「韓記」の中に「優呼」という箇所を見つけて、これと対にし た架空の命名であり、「卑弥呼」という悪い字のイメージ、醜い女性のイメージを使って韓王をおとしめたのだ、と主張している。

 上記の例を見てもわかるだろうが、はっきり言ってナンデモありの拡大解釈(あらゆる文字から「倭人伝」「韓国」が読みだせてしまう)と強引きわまる解読法であり、この方法ならどんな文章からでも読 み手が期待する「解読」ができてしまう。竹田氏は「裏面解読」の結果真実の歴史を読み取ったとしているのだが、これは最初から「魏志倭人伝は嘘っぱち」と 考える竹田氏が結論先にありきで都合よく読み取っているとしか見えない。本書の中で解読法を詳しく記している部分で読み取られている「裏面」が、みんな 「倭人伝は創作」「大韓国の話を分離したもの」という内容ばかりなのもそのせいとしか思えない(同じ暗号を何度も繰り返す意味って?)

  だいたい陳寿が書いた『三国志』ならともかく、それよりずっと前に編纂された『易経』の中に倭人伝やら韓国の話が読み取れてしまうこと自体がオカシイ。さ らにオカシイのは、真実の歴史をねじまげ隠蔽し、呪いをかけるために書かれたはずの「魏志倭人伝」本文に、なんでわざわざ「これは実はウソです」という告 白を暗号の形で書かかなきゃいかんのか、ということだ。
 これについては竹田氏も少々言い訳がましい解釈を書いている。陳寿は当初は中華思想に凝 り固まっていたので中国を凌駕していた「大韓国」を抹殺・解体して「韓記」「倭人伝」を書いたのだが、陳寿はやがて「太古、日本のスメラミコトが全世界を 支配した」という「事実」に目覚めて後悔し、「これはウソです」という告白を本文の裏面に書いておいたのだ、という説明だ。その「告白」を解読した時、竹田氏自身も「目を疑った」そうだが(笑)。
 反省した陳寿はいったん書きあ げた「三国志」を反省して世に問わず撤回したものの、後年裴松之が復活させてしまい、中華思想が強まる結果となった…なんてことも書いているのだが、もちろんそんな事実はない(とツッコんだところで「真実は覆い隠されている」の一言で済まされるんだろうが)
 こうした「書き手は歴史を捏造するために史書を書いたが、のちに反省して真実をその裏面に書きこんでいた」という論法は、次回取り上げる予定の竹田氏の『日本書紀』解読本でも使われている。


◆「裏三国志」?小説・韓魏大戦争!

  長々と紹介してしまったが、以上は竹田氏の「裏面解読」のほんの一部に過ぎない。それもまだ理解できる(?)箇所だけを引っ張りだしたもので、何やら複雑 な占い解読をしているところは理解不能なのでいちいち紹介しない。しつこく書いていることをまとめれば要するに「魏志倭人伝」はまったくの創作であり、 「倭国」「邪馬台国」は日本とは無関係であるという主張だ。
 竹田氏自身もあまりくどい解読説明ばかりでは読者も退屈だろうと考えたようで、「その分真実の歴史の流れの部分は小説風に読み物として楽しんでいただくようにこころがけた」と 巻頭に書いている。そんなわけで本書の第四章はそのまま小説仕立てで「韓魏大戦争」の展開を語る形になっている。もちろん「韓魏大戦争」なんて「三国志」 などの歴史書に書いてあるわけがない。全て竹田氏が「裏面解読」により読み取ったという「真実の歴史」だ。ただしその解読法についてはほとんど説明がな く、どうやってこんな複雑な筋書きを読み取ったのか読者にはさっぱり分からない。とにかく「倭人伝」の倭国、邪馬台国に関する記事は全て実は「韓国」の話 であるということになっているので、「魏志倭人伝」に登場する難升米や載斯・烏越・壱与といった人物は全て「韓国」の人物としてこの小説中に登場する。ま たいわゆる「倭国大乱」や邪馬台国と狗奴国の紛争の話が「実は韓魏戦争を覆い隠すための創作」ということになっていて、そこから竹田氏がイマジネーション をふくらましたものと思われる。

  「三国志」マニアには分かる話だが、諸葛孔明が五丈原で死んだのち、彼のライバルであった司馬懿仲達は遼東の公孫淵を征討する。竹田氏が語る「真実の歴 史」によると、このとき司馬懿は魏の明帝に「韓国」との対等軍事同盟を提案して実現、「韓国」の軍事協力を得て公孫氏を打倒したことになっている。その後 魏はその例として「親魏倭王」の金印を韓国に贈り(先述のように「竹田史」では倭とは韓国のことなのである)、これが魏が韓国を見下すものだとして韓国側が激怒した、なんて展開が小説仕立て、セリフもたっぷりに読みやすく語られている。

 やがて魏と高句麗(ここでは韓国の臣下国になっている)の国境付近の居酒屋(笑)で、魏の兵士が韓王の悪口を言ったことから刃傷沙汰が発生、なぜか「西安平事件」と名付けられるこの事件を好機とみた司馬懿は韓国との軍事同盟を破棄し、高句麗遠征を実行する。この魏の動きに対し韓王は「人民の苦しみを思うと戦争はしたくない」と悩みに悩み、先祖の霊を祭る御霊屋に入って祈ると、先祖の霊が「人 類はすべて一つの血から分かれ出ているのだから、本来は戦争をしてはならない。しかし、人類の中心となる人物がいなくなった今日、人類は動物の霊に操られ て戦争を好むようになってしまった。だから、たとえ戦争を好まなくても、人類の中心人物が現れない限り、戦争は避けることはできないのだ」と、なんだか「竹内文書」を連想させるようなセリフ(笑)を言って韓王に開戦の決断をうながす。

  魏軍は初め連戦連勝で進撃するが、実はこれは「韓国」側の罠だった。ある冬の日、魏軍の陣営に土地のものが酒肴を差し入れ、魏の兵士たちが喜んでこれを飲 むと、そこにはなんと眠り薬が入っていた(!)。これによって韓軍は魏軍の隙をついて進撃、戦闘模様がくだくだしくも勇壮に描かれることになるのだが、と もかく「韓国」が圧勝、魏軍は大敗を喫することになる。
 載斯は「魏志倭人伝」に出てくる人物だが、この小説では「韓国」軍を率いた武将とされていて、なかなかカッコいい人物に描かれる。彼は巧みな戦術で戦いに勝利しながらも戦争の悲惨さ、空しさをやたらに口にする。魏軍を打ち破った勝利のなかでも彼は「何のための戦いだったのだろうか。韓国を守るためか、それとも奪われた領土を取り返すためだったのか。天から授かった大地を人間が勝手に奪い合い、境界を決め、お互いを殺してまで奪い合う。今の人間は、何か目に見えない怨霊のために操られているのではないだろうか」とつぶやく。すると彼の心の中で何か別の声が響く。「俺は人間どもの高慢ちきな心を操っているだけだ。俺が高慢な奴らを使って戦争をさせているのだから、人間に慢心がある限り誰にも戦争をなくすことはできない」と。さて、これが誰の声なのか、これらのセリフはいったい何が言いたいのか、竹田氏のこれまでの主張を読んでいれば見当がつくというもの。もちろんこれらのセリフは「裏面解読」の方法すら説明はなく、竹田氏が全て都合よく空想して書いているのだ。

  総じて「韓国」側は王も武将たちも平和主義者で、戦争の悲惨さを嘆き、戦没者を悼み、犠牲者をこれ以上出さないために敵国・魏に対しても非常に寛大な態度 で講和を呼びかける。敗者である司馬懿はこれに大感激、「韓国」の人々の大人物ぶりを称え、自身の思いあがりをいましめて「一人の君主に誠心誠意仕えること」が人間の知恵などだと悟ってしまう(ここもまた何が言いたいのか察せられるところ)。 かくして「韓国」と魏は領土返還の上で講和し、やがて韓王が亡くなると壱与が即位し、両国の対等かつ有効な関係を結ぶことになる。その後、司馬氏の建てた 晋による中国統一にも「韓国」が大きな役割を果たしたことになっている。一般に司馬氏が魏から実力で強引に「簒奪」したことになっているのだが、ここでは 司馬一族は「真実に目覚めた」せいか理想化されており、魏の皇帝が本気ですすんで禅譲したことにされている。
 なんだか仮想戦記を思わせる「小 説」スタイルの「真実の歴史」叙述はこの辺で終わっている。僕の知る限り竹田氏の他の本でこのような小説的な書き方は見られないので、「三国志」に絡むこ ともあって広く読んでもらおうという意図でそうしたのかもしれない。まぁいろんな意味で面白いと言えば面白かったが…

 
◆日・中・韓の絆を蘇らせる!?
 
  繰り返すことになるが、その後陳寿が『三国志』を書くにあたって「中華思想」の立場からこの中国にとって屈辱的な歴史を隠蔽した。だけど陳寿は反省して裏 面に真実を書いていたため、竹田氏がそれを読み取ることになった、とされている。そんなに凄い大国であった「韓国」がその後どうなったのか。竹田氏の本を 読んでいても良く分からないのだが、とにかくそれから百数十年のうちには「大韓国」は滅亡し、歴史書の上でも「抹殺」されたためにまったく存在しないこと になってしまった、というわけだ。

 とにかく竹田氏が言いたいことは「倭は日本ではない!」という一事に尽きる。邪馬台国のあとに中国史書に出てくる、いわゆる「倭の五王」についても日本の天皇なんかではなく、実は高句麗の王だとしている。高句麗の王に長寿王(394-491)というのがいて、その名のとおり、記録によると98歳という異例の長寿を保ったとされる王なのだが、竹田氏は長寿王は実は五人の高句麗王の事跡を一人にまとめた架空の存在だと主張している。その根拠は、長寿王の名が『三国史記』の高句麗本紀に「巨連」と記されていることにある。「巨連」を「巨」「車」「辵」(しんにょう)に分解したうえで、

「巨」…天の意味を持つことから、王者を指すとともに過ぎることを意味するので、ここでは長寿王の在位期間を表わす。
「車」…連ねること。ここでは讃・珍・済・世子興・武の五王を連ねることを意味する。
「辵」…道を行くことで、この場合は在位期間を意味する。

 と分析し、「長寿王の在位期間は、讃・珍・済・世子興・武の五王を連ねた在位期間に当たる」と超絶解読しちゃうのだ(p103〜104)。なんで高句麗側の資料でそんな書き方をしなくちゃいけないのかといえば中国におもねったためだとしているのだが、それでいて「裏面」にそんな暗号を書くのか、これまた全然分からない。

 念のため書くと『旧唐書』のように中国の正史の一部では「倭国」と「日本」が別の国のように書かれている場合がある(のちの倭寇時代でも「倭」と「日本」を分けて考える説は実際あった)。 隋に来た倭国の使者も自国の王を「タリシヒコ」という男の王だと言っており、当時女性の推古天皇の時代だったことと矛盾しているため、あるいは大和朝廷で はない別の国が「倭国」なのかも、という説もないわけではない。しかしその後の経緯からいってもこれは単なる情報の混乱で、「倭国」と呼ばれてたのがやが て「日本」を自ら名乗るようになったということと考えるのが自然だろう。
 竹田氏は聖徳太子が送ったとされる国書の「日出る処の天子…」というくだりを引いて「誇り高き文章に、奴隷国倭国の面影を見ることはできない。太古か宇宙の中心であったスメラミコトの存在を無視しては、大国に送ったこの文章の本意は理解できないのではないだろうか」な どと書いている。この話は中国側の『隋書』の倭国伝に出てくるのだが、それについては捏造とは考えないらしい。逆に竹田氏は『日本書紀』のほうこそ朝鮮系 帰化人たちによる歴史の隠蔽・捏造だと主張しており、のちにまたまたその「裏面解読」をやってみせることになる。そこではなぜか本書はもちあげていた聖徳 太子が日本征服の陰謀組織の先兵としてボロクソに叩かれちゃうのであるが、それについては次回に。

 最終章では『竹内文書』の内容が延々と紹介され、太古日本は世界の中心であり、天皇(スメラミコト)は日本や地球どころか宇宙の中心的存在であることが述べられてゆく。またその根拠の一つとして「世界は日本の雛形である」という、一部で有名なトンデモ説も図入りで紹介されている。大本教あたりが言い出したとされるもので、ユーラシア大陸が本州、アフリカが九州、オーストラリアが四国(嘉門達夫の歌で「俺ってオーストラリアに似てへんか?」と話す四国、ってのもあったな)、北アメリカが北海道、グリーンランドが樺太、ヒマラヤが富士山、揚子江が利根川、アラビア半島が紀伊半島…という調子で、世界中の地形を日本地図にあてはめちゃうものだ。これにはいくつかバリエーションがあるようだが、本書では下図のようになっている。

竹内文書の外八州

 この地図、なぜかニュージーランドが二か所にある(笑)。また各所の地形をかなり強引にあてはめているが、九州=アフリカについてはまったくないのが気になるところ。そして扱いに困る南アメリカ大陸については戦前日本領だった台湾ということにしている(これも戦前すでにそういうバージョンがあったようだ)。この「雛形説」では日本で起こることは世界で、世界で起こったことは日本で、それぞれ対応する場所で起こることになっていて、竹田氏は「先日、台湾で巨大地震があって間もなくメキシコでも同じような大地震が起こった」のも台湾が南米大陸の雛形だったからと推測している。だけどメキシコって北アメリカ大陸のほうにあるんだよね。

 さてそんなわけだから、『竹内文書』によれば日本こそが世界の中心であり、太古の世界はスメラミコトを中心に仰いで平和に暮らしていた。ところが今から三千数百年前に、そのスメラミコトを否定し平和を乱す「宗教」が出現し、「万民は平等」という誤った思 想を広めてしまったために、人々はスメラミコトへの敬意を失って慢心し、守銭奴的執着心をもって争いを起こし、世の中は乱れてしまった…というのが竹田氏 の「史観」だ。そうした宗教をバックに古代イスラエルのソロモン王が世界征服の野望を抱き、それを引き継ぐフリーメーソンが「選民思想」により世界各地で 陰謀を企て……とまぁ、よくあるユダヤ陰謀論にも話はつながっていくのだが、竹田氏によれば中国における「易姓革命」「中華思想」もそれと同様のスメラミ コト否定の誤った思想だということになる。漢字も易学も日本のスメラミコトが使用していた「宇宙構造図」から生まれたものであり(これも面白いネタなんだけど、長くなるんで省略)、もともと日本が文明のルーツ「親国(おやぐに)」であり、中国はそこから分かれた「支那(えだぐに)」なのだと言っている。えー、こういう「自国こそが一番」という発想がまさに「中華思想」そのものなんですが(笑)

 竹田氏によると人々の心からスメラミコトを中心的存在と信じる心が失われたために、スメラミコトの祭り「大嘗祭」による恩恵を受けることができず、世界は邪霊の猛攻にさらされているのだという。そして「今 や世界はフリーメーソンによって生み出された人類総白痴化時代を迎え、環境破壊による人類滅亡の危機が迫っているのに、多くの人がその恐怖を実感していな いという極めて異常な状態となっている。もはや、自国の領土拡大や、個人の金銭欲に振りまわされている場合ではない」(p199)と大変な危機意識を抱いている。
 ではどうすればいいかというと、「太古の平和な時代の常識に従うことである。つまり、スメラミコトを宇宙万有を統御される存在だと信じることである」の だそうだ。それだけでその無限の力によって霊的呪縛はすぐに取り去られるという。この辺の話は前回の「後醍醐天皇」でも出てきていて、竹田氏が「天皇が宇 宙の中心的存在」と日本大学の一室で宣言したらたちまちフリーメーソンの呪縛は解けた、という話になっていた。だが奇怪なことに、「後醍醐天皇」によると その宣言は「平成四年(1992)一月」に行ったはずだが、本書の執筆終了は「あとがき」によると「平成十二(2000)年三月」。どうも日本大学での宣言はあまり効き目がなかったようにしか思えないのだが…

 恐らく本書は日・中・韓が歴史問題でしばしば紛糾することに作者が危機意識を抱いて執筆したものと思われる。「だから真実の歴史をみんな知りましょう」と呼びかけるわけだが、それが宇宙的スケールの日本天皇中心史観なんだからたまらない(笑)。

 『三国志』と「魏志倭人伝」の裏面解読は、中国人にとっては自国の正しい歴史を知り、古の良き誠心を取り戻す拠りどころとなるだろう。同じく、韓国人にとっては、自国の歴史に誇りを取り戻し、悪化してしまった日本との関係を作り直すよき機会になってくれると信じている。
  そして、日本にとっては、宇宙の中心であるスメラミコトと成り得る唯一の人間を擁する国としての誇りを取り戻すきっかけとなって欲しいと思う。日本人の誇 りの拠りどころは、金銭や文化や現実的な力ではない。世界の親国の民として、世界の人々に人間本来の姿を率先して示すことにあるのではないだろうか。 (p199)

 これが本書の結論、末尾の部分である。どうも竹田氏は「中華思想」には強い敵意を持ってるようだが、韓国に 対しては親近感があるようで、「真実の歴史」でも「大韓国」なるものを読み取ってその偉大さを強調しているのは、韓国人はおだてて喜んでもらおうという意 図があるようにも読める。もっともこれも『日本書紀』解読本だとだいぶ姿勢が変わって来るのだが…

 「あとがき」では現代日本人がいかに 「魏志倭人伝」に毒されているかを激しく嘆いている。このあたりの嘆き方は以前とりあげた出雲井晶さんにも通じるものがあり、日本が中国の属国であったと 教育で教えるのは我慢ならん、という右翼系の業界ではよく聞かれる意見そのままのようだ。
 ただし竹田氏の場合は『後醍醐天皇』にも見られたよう に現在の天皇を信奉する立場から平和憲法遵守の立場をとるのが大きな特徴で、日本政府が「魏志倭人伝」教育を通して中国人に「中華思想」を呼び起こさせて おきながら、一方でアメリカの核の傘の下に入って中国からの攻撃を防ごうとしているとして、「これでは戦争放棄の憲法を掲げているのは形だけで、戦争の種を蒔いているのは戦後の日本政府であるといわれても致し方ないであろう」と妙にねじれ現象を起こした物言いもしている。そして「だからこそ、間違った歴史を一日でも早く改めることが、戦争をなくすための第一要件なのである」としめくくり、あくまで戦争否定、平和志向の姿勢なのである。だけど彼の言う「正しい歴史」ってのがそんなシロモノでは、耳を貸す外国人なんていないと思うんだけどねぇ。


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