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竹田日恵・著
「後醍醐天皇竹内文書・楠木正成対足利尊氏
2000年/7月発行・明窓出版刊
外観
 
 
 実に5年ぶりの更新…僕のサイトは各所にそういうところがあるのだが、何年もほったらかしておいてある日突然更新してるというところがあり、実に油断がならないのである(笑)。要するに管理人が気分屋であれこれ多方面に首を突っ込んでいるため何年か周期でもとのところに戻ってくる、ってことなんですけどね。

 さて「てこ歴」再開にあたってその最初の一冊に選ばれたのはご覧のとおりのタイトル。僕の大好きな南北朝時代の歴史本だ。もちろんこれ、書店の「中世史」の棚に置かれていたんですよ。「後醍醐天皇」「楠木正成」「足利尊氏」とビッグネームの名前が並び、いつも関連本に飢えている南北朝マニアの血を騒がせるものがあるが、そこになぜか「竹内文書」の文字が割り込んでいるところが本書のポイント。さていかなる内容なのか…


◆「南北朝」は日本史のブラックホール!

 古代から近代まで、日本史の各時代にはそれぞれに魅力があり、それぞれに多くの歴史ファンがつき、多くの歴史読み物も出版されていている。つくづく日本人って歴史大好きだなぁと思うんだけど、その中に一箇所、「ブラックホール」とでもいおうか、人々が避けてほとんど立ち入ろうとしない、しかし立ち入ったが最後抜け出すことが出来なくなるディープな世界が存在する。そう、それこそが南北朝時代(14世紀)。これがその南北朝にハマってしまった一人である僕の持論だ。
 後醍醐天皇の挙兵により鎌倉幕府が滅亡、しかし後醍醐天皇の建武政権もわずか二年で崩壊し、足利尊氏による室町幕府の創設がなされるが、皇室が二つに分裂して全国を60年にわたって大混乱に陥れるというムチャクチャ劇的な時代なんだけど、あまりに混沌としているためか今なおこの時代のファンは絶対的に少数派だし、それにともない小説・ドラマ・歴史雑誌などで扱われることも実に少ない。また、なんといっても「皇室」の問題が濃厚に絡んでくるため敬遠されがちという面もある。

 昔から南北朝時代に関する歴史観は常に「アブなさ」を漂わせていた。南朝・北朝どっちが正統であるかという議論はその当時から大問題で、水戸黄門こと徳川光圀が「大日本史」において「南朝正統論」をブチあげ、楠木正成を「大忠臣」と持ち上げたりしたあたりから変な熱が入り始める。「皇国史観」の確立と共に後醍醐天皇と南朝への異常なまでの崇拝、その一方で足利尊氏を「大逆賊」とみなす過激思想が幕末の志士達を覆い、足利将軍三代の木像の首を切ってさらすといった妙な行動に走る者も出た。
 そんな彼らが作った明治政府は南朝関係者を祭る神社をあちこちに建てまくり(1900年には皇居前に正成像が立つ)、さらに明治も末になってから歴史教科書に「南北朝」という表現があることにイチャモンがついて国会で大論争になってしまい、明治天皇みずから「南朝が正統」と宣言しこの時代を「吉野朝時代」とよぶことになったりもしている。ご存知の方も多いだろうが明治天皇につながる現在の皇室は「北朝系」なのでかなりきわどい問題であるのだが。
 昭和に入ると足利尊氏を評価する文章を書いたために辞任に追い込まれた大臣も出てくるし(足利名産の織物が「逆賊織」と呼ばれたこともあった)、軍国色が濃厚になってくると「大楠公」こと楠木正成の「七生報国」(七たび生まれ変わって国に報いる)が盛んに喧伝され「お国のために命を捨てろ」という特攻隊の発想にもつながっていくことになる。
 敗戦直後には、「熊沢天皇」を始めとする「南朝皇室の子孫」を称する人物がゾロゾロ出てきて「自分が本物の天皇だ」と主張し、一時にせよGHQが注目するという珍現象もあった。後醍醐、正成や尊氏に対する歴史評価はようやく自由になったとは言えるのだが、とかく南北朝の議論というのは変な熱を呼び起こしがちなのだ。

 また南北朝時代そのものが「オカルトの宝庫」であることも見逃せない。だいたい南朝・北朝が奪い合った皇室の正統性の根拠が「三種の神器」 なるオカルトアイテム(笑)なわけで、南北朝合体後も南朝系勢力が皇居に押し入って神器を奪い、それを赤松家家臣がまた奪回するという事件も起きるなど後々まで尾を引いている。この時代の主役ともいえる後醍醐天皇は自ら密教系の呪詛を行っていたと伝えられるし、その側近だった怪僧文観(もんがん)は「真言立川流」というセックス・サイキック宗教(笑)で後醍醐をサポートしていた。この時代を描いた軍記物語「太平記」にはしばしば烏天狗による「陰謀史観」が出てくるし、正成が「聖徳太子未来記」なるノストラダムス大予言みたいなものを読むくだりも有名だ(これ、ホントにあの五島勉氏が本にしてましたな)。南朝のバックボーンとなる勢力というのが非農耕民や山伏のような宗教勢力であったこともこの時代にただようオカルト臭さの原因のように思える。


 さて、こう何かとアブなさのある南北朝時代。それを要素の一つにしている最大のオカルトアイテムといえば「竹内文書」だ。
 なにせその方面では有名なものなので、このコーナーを覗くような方はすでに「竹内文書」なるものについて知識をお持ちだろうとは思うが、簡単に確認を。明治の末に茨城県磯原(北茨城市)の地に「皇祖皇太神宮」なるものを建立し「天津教」という新興宗教を起こした竹内巨麿(1875〜1965)がその教義の根拠として公開したもので、雄略天皇の時代に平群真鳥という人物が「神代文字」で書かれていた歴史を漢字仮名混じり文に直したと言うふれこみの文書群を一般に「竹内文書(文献)」と呼ぶことになっている。その内容たるや、超古代に日本の天皇が全世界を支配しており、モーゼやキリスト、釈迦や孔子、マホメットまでが日本で学んだという壮大なスケールのものだ。
 この天津教は「皇祖皇太神宮」なんてものを造るなどしたため昭和初期に不敬罪に問われて弾圧されたが、一方でその「八紘一宇」的な歴史観が国粋主義者や軍人層の関心を引き、あの東條英機までが磯原に皇祖皇太神宮を訪ねていたりもするからなかなかバカにならない。戦後にはいつの間にかムーやアトランティス、UFO、さらには天皇は世界はおろか全宇宙の中心であるといったSF的オカルトアイテムまで追加されてゆき、そのあまりの大法螺ぶりに、いわゆる「古史古伝」のチャンピオンとまで呼ばれている。
 「竹内文書」そのものについては多くの書籍やネット情報があふれているし竹内文書そのものについて語るのはこのコーナーの主旨ではないので説明はこの辺にしておく。

 意外と触れられることが少ないのだが、この「竹内文書」、南北朝時代についてのかなり変わった歴史認識をその根っこに持っている。
 一般の歴史常識としては、足利尊氏に敗れ吉野にこもった後醍醐天皇は、京都を奪回できぬまま吉野の地で1339年(南朝の延元4、北朝暦応2) の8月16日に死去したことになっている。ところが「竹内文書」に含まれる「南朝秘録」では、後醍醐天皇は単に死を装ったもので、その日に後醍醐天皇の皇女良子の嫁ぎ先である竹内氏の導きにより彼らが神主をつとめる越中の「皇祖皇太神宮別祖太神宮」に移ったとされている。それから各所で戦いつつ関東に入り、興国二年(1341)8月に常陸国にたどりついたが足利方の僧侶らの襲撃を受け、同9月16日に後醍醐天皇はその負傷がもとで亡くなった…というのである。
 後醍醐天皇をわざわざ越中経由で常陸に来させてそこで「戦死」したことにした理由はおおむね察せられる。竹内巨麿が養子に入った竹内家がどうやら越中にいたらしいこと、そして巨麿自身が常陸・磯原に拠点を構えたことから両方の土地を後醍醐天皇と結びつけ、その神格化された威光を自らの教団の箔付けに使おうとした、そんなところだろう。いわゆる「竹内文書」には「後醍醐天皇御真筆」「長慶天皇御真筆」なるものまで含まれていたが(長慶天皇とは大正時代まで即位の確定ができなかった南朝第三代天皇。その不確かさのため他の古史古伝の類でも引っ張り出される)、これは狩野亨吉の論文「天津教古文書の批判」(昭和11)で同一人の筆跡による偽造と鑑定されてしまっている。
 さらに…いつ作ったのかは分からないが、磯原の地に「後醍醐天皇陵」まで作られてしまってるようなのだ。今回とりあげている本の巻末に「付録――常陸にある後醍醐天皇の御陵参拝記」なるものが収録されており、この本が出る前年の平成11年1月11日に本田氏なる人物(著者の竹田日恵氏ではない。たぶん)が国道6号線沿いにある「御陵」に参拝したおりの一部始終が地図入りで語られている。どうも本田氏が竹田氏にあてて出した手紙なのではないかと思われるのだが、彼は「御陵」に参拝して「陛下、さぞご無念でありましたでしょう」と涙し、付近の住民は後醍醐天皇の忠臣の子孫ではないかなどと勝手なことを書いている(笑)。吉野にある後醍醐天皇陵は京都に向けて北向き(普通陵墓は南向き)に作られていることは有名だが、この常陸の「後醍醐陵」も西向きになってるあたりはお約束か。
 この程度で驚いてはいけない。なんせ竹内巨麿は「モーセの十誡(戒)石」なんてものまで北茨城の地に祭っちゃってるぐらいなんだから(笑)。


◆後醍醐天皇は人類の救世主だった!?

 さて、「まくら」が長くなってしまった。ようやく本書「後醍醐天皇・竹内文書」の内容にとりかかれる。
 とにかくこの本の著者・竹田日恵氏は「竹内文書」の内容を100%本気にしている。というより竹田氏は「竹内文書」の内容と合わない歴史書は全て偽り=偽史であるという前提に立っている。皇室の祖先を神様と結びつけ「皇国史観」の根拠となったともいえる「古事記」や「日本書紀」まで陰謀により作られた偽史であるとして否定してるんだから相当なものだ。え?誰の「陰謀」だって?そりゃもちろん、それらの執筆に関わった外国からの「帰化人」による陰謀です(笑)。さらに「フリーメーソン陰謀論」が大々的に展開されているあたりもお約束。こうした外国勢力があの手この手で「竹内文書」の伝える日本天皇が世界を支配していたという「史実」(それどころか宇宙の中心でもあるそうだが)を覆い隠そうと陰謀をめぐらしてきた、としているわけだ。
 であるからして、南北朝時代を知る最大の史料であり一般にも広く親しまれた軍記物語『太平記』についても、著者が仏教的価値観から真実をねじ曲げており、足利氏による「改竄」もあった書物(足利氏が「太平記」製作過程で多少介入したのは事実)であるとして竹田氏は否定的にとらえている。特に竹田氏が強調するのは後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒を企図したのは一般に言われる権力奪取のためではない、という一点。じゃあ何のための倒幕かといえば…なんと「人類滅亡の危機を救うため」なんだそうな。

 「宇宙戦艦ヤマト」じゃあるまいし(笑)なんでそんな話になるのか本書の主張をまとめると、そもそも人類は他の天体から移住して以来悠久の年代にわたって「宇宙の中心」である天皇のもと「世界一家同胞」の平和な状態で暮らしていたのに、「天皇否定の宗教」(仏教、キリスト教、イスラム教などをひっくるめてる) が発生し人間平等という「誤った」思想が世界にはびこり、天皇は日本一国の君主に転落しちゃったそうなのだ。それによって世界は弱肉強食の闘争明け暮れる世界となり、やがて日本にも帰化人による仏教導入や歴史書の「偽造」によって太古世界の「正しい歴史」も抹殺されてゆく。武家に政権が移ると「天皇否定の宗教」に操られた人々は皇室を二派にわけて対立させることで天皇家消滅をはかったが、この絶体絶命の危機に後醍醐天皇が登場、かつて人類が平和に暮らした「天皇中心の太古の世界」に復すべく倒幕を企図した、とまぁこういう展開になる。後醍醐天皇が皇室の状況に危機感をおぼえ平安以前の天皇親政復古をめざしたというのが一般的な説明だが、平安なんてもんじゃない、超古代にまでさかのぼっての「復古」を目指したというわけだ。

 本書のあちらこちらに「宇宙構造図」という魔法陣みたいな図形が掲載されている。「竹内文書」に出てくるものらしいが、なんでも宇宙万有の主宰者であるところの太古天皇(スメラミコト)を表す図式とのことで、ここから世界の全ての文字が作られたのだと竹田氏は主張する(この件については同著者の他の本に詳しいのでここでは割愛する)。この宇宙構造図の意義を「英邁な後醍醐天皇」は理解したため倒幕計画に走ったというわけ。そのくだりを引用してみると…

 この宇宙は、母体である中心点を基にして、宇宙生成の初期、宇宙の膨張期、星雲の誕生、恒星の誕生、惑星の誕生、生物の発生、エネルギーの発生に至るまで、すべてに中心点が存在し、段階的にしかも重層的に全一体として統一されている。
 宇宙万有、何一つとして中心点のない物は存在しない。しかも宇宙の大本の中心点を人類の代表者である現身の天皇に定めたのは、宇宙の調和統一を永久に保つ唯一の方法というべきであろう。
 そして現身の天皇は大嘗祭で天地万有を祭り、宇宙の主宰者としての位に登極されるのである。だから、宇宙の調和統一を破壊に導く幕府の存在と両統間の対立は絶対許されるべきことではなかった。
 故に後醍醐天皇の天皇親政の御意思を中心確立の原理から判断しなければ建武中興の意味を理解することは出来ないのである。
(46ページ)

 いやはや。ビッグバン以来の宇宙生成史と、たかだか700年前の日本中世史のリンクという事態には「宇宙戦艦ヤマト」も轟沈してしまう(笑)。
 そんなに大変な動機をもって始められた倒幕計画はあっさりと成功するが、その後の建武政権もこれまたあっさり倒されてしまったのはみなさんご承知のとおり。 その点はどう説明するんだと思っちゃうところだが、竹田氏は「後醍醐天皇の回天の事業は『天皇を否定する宗教』の前に余りにも微力であった」(58ページ)と壮大なスケールの動機の割にあっさりとその弱さを認める(そもそも後醍醐天皇その人が「殺害された」としているわけで)。だが彼に言わせると後醍醐天皇はあくまで「天皇は宇宙の中心」という真理を訴えるだけが眼目であって政治的成功を求めてのものではないのだという。そして「建武中興によって全国の日本人は天皇の御存在に目覚め、足利幕府の衰微と共に有力な武将は天皇を奉じて日本の統一をはかろうとした」(54ページ)とその意義を強調する。強調するあまりか「織田信長は足利尊氏を滅ぼすと」(54ページ)なんてチョンボを書いちゃったりしてますが(笑)。

 とにかく竹田氏に言わせれば「人類滅亡のために踊らされている北条氏に対し鉄槌を下されたのは、人類を守るための必然の処置で、人類は後醍醐天皇の建武中興によって滅亡を救われたといわねばならない」(67ページ)のだそうで、建武政権がたった三年で崩壊したことなどは全く問題にならない。そして、後醍醐天皇を批判する人々に対して怒りの声、というより憐れみの声とすら感じられる以下の文を記している。

 この様な将来の結果を見通して行われた後醍醐天皇の建武中興に対し、あたかも謀反人の様にののしり騒ぐ人達は、例え知識の宝庫を手にしていようとも「天皇否定の宗教」の霊に利用されている一時の迷いとしか考えられない。一日も早く人間本来の魂に復帰してもらいたいものである。(67ページ)


◆「大忠臣」正成と「大逆賊」尊氏!?

 とまぁ後醍醐天皇を「人類の救世主」と持ち上げるわけだから、当然その天皇に忠節を尽くし玉砕し戦前も大忠臣と称えられた楠木正成についても凄まじい持ち上げ方をすることになる。そう、もちろん「楠木正成は太古の天皇中心の平和な世界に復するため、後醍醐天皇の分身として活躍した武人である」(69ページ)ことになってしまうのだ。
 繰り返すが楠木正成は戦前・戦中において最高の大忠臣として神格化されていた。しかし竹田氏に言わせればそれは「太平記」や「梅松論」(足利よりの立場で書かれた軍記物語)の正成賞賛記事をもとにしているので根本的に間違ったものであり、「楠木正成の精神を汚すもの」(70ページ)とまで言い切られてしまう。戦後の正成評価についてはそれこそ一顧だにしておらず、「はっきり言って、今日まで楠木正成を正しく理解した著書は皆無であるといって過言ではない」「恐らく彼の本当の精神を真に理解しておられた方は、後醍醐天皇御一人であったと拝察される」(70ページ)として自説を唱えだすのだ。なんであんたにそれが分かるんですか、とついツッコミを入れたくなるところではあるが(笑)。

 竹田氏の見解によると楠木一族は「サンカ(山窩)」の出身であったことになっている。「サンカ」とは明治以降何人かに言及・研究されている「漂泊する謎の民」のことでその実態の真偽については議論があるが、「謎の民」という位置づけもあってなにかというと『古史古伝』と結び付けられやすく、ともすればオカルトっぽい方向にもつながりやすい(南北朝ネタでは北方謙三氏が書いた北畠顕家を主人公とする小説「破軍の星」に明らかにサンカっぽい集団が登場する。とくにトンデモ系というわけではないが)。竹田氏にいたっては「サンカの起源は人類がこの地球に移住した頃から存在する」(75ページ)としている始末(笑)で、彼らは皇室を支える役割を有史以来続けてきたとされているのだ。その出身である正成が「天皇中心の太古の平和世界」を実現するため後醍醐天皇に呼応したのは至極当然、というわけ。
 楠木正成といえば赤坂城・千早城での奇策を繰り出すゲリラ戦で有名だが、「その知謀の元は楠木家に伝わる太古の兵法書であった」 (82ページ)と竹田氏は断言する。孫氏や六韜三略といった中国の兵法書の原本は「皇祖皇太神宮」に伝えられていた兵法書を略したものであり、その原本が神宮の神主から楠木家に伝えられていたのであろう、というのが竹田氏の主張だ。それでいて湊川の戦いで玉砕しちゃうのがよく分からないのだが(笑)、その玉砕も含めて正成がとことん天皇に忠誠を尽くした(もちろん忠義心からではなく「宇宙の中心」だからです)ことを竹田氏はとことん絶賛しちゃうのだ。ところで新田氏や名和氏など他の南朝忠臣たちが全く無視されてるのはなぜなんでしょ?

 正成がこれだけ絶賛されるということは…そう、当然の如く足利尊氏は「大逆賊」としてこれでもかとばかりに非難される。
 冒頭にも書いたように江戸時代以来「尊氏=大逆賊」観は日本に広く浸透していた。敗戦後ようやく尊氏論に自由度が出たとはいえ、桜田晋也氏の小説「足利高氏」のように戦前価値観を引きずったまま何が何でも尊氏を悪人呼ばわりしたがる本も存在する。だから「尊氏悪人説」じたいは今さら珍しくもない…のだが、さすが、竹田氏はスケールが違う。もう予想がつくだろう。そう、「尊氏は人類史上最大の大罪人」なのである!(笑)。
 なにせ竹田氏にとって尊氏は建武政権を打倒しただけではない、「竹内文書」にあるように「後醍醐天皇を殺害した犯人」でもあるんだからその断罪ぶりにはまさに拍車がかかっている。尊氏を評価する人に対しては「宇宙の中心である天皇を否定して、自分が天下で一番傑い者であると妄想することを好む者は誰でも足利尊氏が大好きである」(101ページ)とか「オーム真理教の信者にとって教祖は人類を救う救世主として尊敬されるように、天皇に反感を持つ者にとって足利尊氏はすばらしい人物に見えるだろう」(102ページ)なんて書いてるぐらい(なお、そのオウム真理教の教祖について「幸福の科学」系の雑誌が「足利尊氏の転生」と書いたことがあったはず。どう関連するのかは不明)。とにかく尊氏のやることなすことに、「狂気じみた行動」「狂態」「日本滅亡の鬼」「世界人類を滅亡に導く」「悪魔」とまぁ次から次へと激しい筆誅を加えているのだ。

 一応尊氏自身の野心につけこむ形で「天皇否定の宗教」のマインドコントロールがあったのだ、という説明はあって「足利尊氏の死後の魂は永久に墓の中にあって過去の大罪に苦しんでいるだろう」 (124ページ)と書きつつも、やっぱり尊氏個人を大罪人として激しく罵る姿勢は一貫している。尊氏は建武政権を倒し後醍醐天皇を「殺害」しただけではない、全国にある皇祖皇太神宮別祖大神宮の抹殺指令をだしたとされており、その後室町幕府の指示により僧侶集団によって全国の「神宮」の破壊、神主の殺害、古記録の焼却が行われた…というのだ(ここで唐突に「ただし日蓮宗の僧侶だけは神宮破壊に一度も加わっていない」(119ページ)という一文が割り込んでるところはチェックポイント)。これによって古代の「事実」は忘れ去られ、日本を悪い方向に持って行ってしまった、というわけで…

 また日本書紀も古事記と同様に日本征服の目的で作られていたから、この様な偽りの歴史書に基づいて作り上げられた神国思想は、幕末から明治時代、大正時代、昭和時代に継承され、遂に敗戦となって消滅した。
 現代人は日本を敗戦に導いたのは、日本人の思い上がった神国思想によるものと思っているが、この様な危険思想に導いた者は、太古の真実を抹殺した足利尊氏であることを忘れてはなあらない。
(120ページ。原文ママ。太字は筆者)

 …のだそうだ。なんとまぁ、太平洋戦争の敗戦の責任まで尊氏に背負わせてしまうつもりらしい(笑)。「なあらない」という文末は誤植なんだろうけど、竹田氏の絶叫のようにも感じられる(笑)。
 繰り返すが、竹田氏は尊氏自身はその慢心のために「魔物」の霊(「天皇否定の宗教」とかフリーメーソンとかそういうもののことらしい)にとりつかれて「人類滅亡の道具」になったのであって、「建武中興の犠牲者といってよく世にこれ程不幸な人物はないであろう」(265ページ)と憐れんでみせたりもするのだけど、その直後に、

 もし足利尊氏の霊を安んじるのであれば、日本人自らが彼が全人類に対する反逆児であったことを認め、一日も早く天皇中心の平和な世界に復すること以外にはない。(266ページ)

 なんて書いたりするんだからあんまり同情している様子はない(笑)。
 それにしても「後醍醐天皇の建武中興が政治的には敗北しつつもその後の日本人を目覚めさせた」というのが前章までの主張だったはずなのだが、「尊氏の反逆によりその後の日本人の目がくもらされた」 という主張が同時になされてしまっているという矛盾に気付く読者も少なからずいるのではなかろうか。同様のことは元寇や日露戦争勝利など外国からの攻撃で日本に危機が迫るとなぜか「霊のはたらき」で外国人までが日本を守るために味方になってくれるという話を書きつつ、大化の改新や日本書紀や古事記、はては第二次大戦にいたるまで日本史全体にわたって「天皇否定の宗教」の謀略が働いていると主張している点にも言える。まぁいわゆる陰謀史観本の多くがこのパラドックスに陥ってますけどね。


◆勝負はとっくについていた!?

 実はこの本、かなり分厚い。なんと380ページもあるのだ。ここまでダイジェストで内容を紹介したのは第一章「後醍醐天皇」第二章「楠木正成」第三章「足利尊氏」までの内容で、そこまでで124ページを費やしている。そのあとはいわば各論というか検証部分で、倒幕から建武政権崩壊までの歴史をなぞっていくだけ。言いたいことは最初の三章でほぼ言い尽くし、あとはその繰り返しという観もあるのでここではその部分に絞って紹介させてもらっている。
 ここまでにも何度か触れているが、この著者は「竹内文書」だけが真実の歴史を伝えていると盲信しており、古事記や日本書紀、太平記や梅松論についても「天皇否定の宗教」の陰謀によって作られた偽史扱いしている。それでいて面白いのは、彼が本書中で語る南北朝時代の物語は大半が「太平記」からそのまんま引っ張ってきたものであるという点だ(笑)。もちろん「竹内文書」および竹田氏の史観と噛み合わないところは「捏造」として退けているが、戦前盛んに取り上げられた後醍醐天皇と楠木正成の美談のたぐいはほとんど全て「真実を伝えている」として引用しちゃうんだからご都合なものだ。
 
 この本の主張の面白い点は、戦前戦後を問わずそれまでの南北朝史観を全て「間違っている」と排除しながら、結局のところ戦前の南北朝史観をそのまま踏襲しているという点だろう。それを「全人類」だの「全宇宙」だのというところまでスケールアップしてるのがオリジナリティだが(笑)、戦前には誰もが知っていた「太平記」の話を長々と書き綴っているところなど、この著者(1927年生まれとなっている)が「軍国少年時代」に刷り込まれた歴史観そのままに文を書き連ねているという印象を受ける。
 ただ、この手の本には珍しく本書は少なくとも好戦的ではない。戦争については絶対否定の姿勢を見せるし、敗戦にいたる「神国思想」についても間違った考えだとは思っているらしい(北畠親房についても批判的)。とにかく天皇の詔には絶対に従わなければならないというのが竹田氏の主張だけに、

 それでは、これからの時代において天皇の詔に絶対随順するとはいかなることであろうか。
 それは今上陛下が御即位の時詔された通り、日本の平和憲法を守ることである
 たとえ、それが戦勝国から押しつけられ、しかも現代の国状に適しないものであっても、これに絶対随順することが世界平和への最も正しい近道であることを確信しなければならない。
(99ページ)

 と言い切っている。この手の本で、ここまでハッキリと日本国憲法、それも平和主義条項を絶対肯定する文章も珍しい(笑)。もっともこの人の思い描く「世界平和」ってのは全人類が天皇に従うという構図であるわけなんだけど。

 この本、後半に入ると南北朝史ばなしから離れてメソポタミアだのモーゼやソロモン、フリーメーソンから日本神話までもうなんでもありな「竹内文書」の話になっていく。いちいち説明するのもめんどくさいし、そもそもこの手の日本中心史観&陰謀史観は毎度おなじみといっていいぐらいのありふれたものだからここでは触れない。
 ただし、一つだけ本書にはユニークな点がある。本書の前書きから後書きまで、何度か出てくる話なのだが、有史以来続いた日本侵略の陰謀は実はつい最近「消滅」しちゃった、と主張しているのだ。たとえば「はじめに」にこういう部分がある。

 私の様な者がどうしてこの様な大事業の真髄に触れることが出来たかといえば、楠木正成の「七生滅賊」の精神に魅せられたためという外はない。
 「七生滅賊」の精神が先師から教えられた宇宙構造図解明の動機となり爾来天皇の御神気の御加護に導かれ不思議な体験を経ながら悟ることが出来たのである。
 そして平成四年一月日本大学の一会議室から「日本天皇は宇宙の中心的御存在である」という宣言を行なった時、それまで陰から世界を支配していたフリーメーソンの魔術力は突然消滅した。
 その後の日本および世界の情勢が急変したことは一般周知の事実であって、フリーメーソンによる世界征服の野望は消えうせたのである。
(11ページ)

 はいはい、有史以来続いていた世界征服陰謀団との戦いは13年も前に終結してしまっていたようです(笑)。それも大学の会議室でのたった一言で、というあたりが素晴らしい。うーむ、陰謀史観本は数あれど「私がとっくに終結させた」とアッサリ書いちゃったのも珍しいのではあるまいか。

 ところでここで気になるのがその会議室の場所が「日本大学」と明記されている点だ。これがホントに日本大学なのかどうか、僕はまだ調べていない。とりあえず分かることは竹田氏のプロフィールに「日大皇学研究所理事長」という肩書きがあることだ。その会議室の宣言というのも「日大皇学研究所」の「公式宣言」であることが巻末「まとめ」の372ページに見える。これ、ホントに日本大学の関係機関なのかはなはだ怪しく感じるのだが、確認は出来てない。
 では「日大皇学研究所」あるいは「日本大学皇学研究所」でネット検索をかけてみよう。竹田氏も理事長として名前がひっかかってくるのだが、「会長」として実に面白い人物の名前も出てくるのだ。その名は有栖川親仁(ありすがわ・ちかひと) という(笑)。先年、右翼団体日本青年社の名誉会長にもなり、結婚式詐欺で世間を騒がした「ニセ有栖川宮」は「有栖川識仁」であってそれとは別人なんだけど、こちらもやっぱり「ニセ有栖川宮」のお一人なのだからややこしい(笑)。この人について検索をかけてみると日本ペトログラフ協会会長の吉田信啓氏と一緒に講演会に参加していたり、なにやらトンデモ系の方々と接点が多いようだ。っていうかその存在自体がそもそもトンデモなんですが(笑)。

 本書カバーに載る竹田日恵氏のプロフィールを紹介すると、
 「1927年徳島県生まれ。海軍予科練卒業。戦闘機、零戦、紫電改・搭乗員として従軍。日本大学からカリフォルニア大学に留学、哲学博士。緒方竹虎副総理秘書を経て相模工業大学理事長学長を務め、現在、外務省所管財団法人友邦協会会長。文学考古会会長、日大皇学研究所理事長として「竹内文書」「古代歴史」「ユダヤ問題」等の研究を日本大学本部で開講している」
 …とまぁ、どこまで信じていいものやら分からない華やかな経歴が書かれている(他の著書でも一緒)。「友邦協会会長」という肩書きについてはネット検索でも思わぬところで思わぬ人と並んで登場しているので(各自やってみてね)それを名乗ってることは事実のようだが、過去に「友邦協会」を名乗っていた団体は現在「中央日韓協会」と名前を変えているし会長もまったく別人。ここにもなにやら怪しげなニオイが漂ってしまうところ。
 「日本大学」についても日大の公式サイトで開設研究所をあたってみても「皇学研究所」なるものは見当たらない。もう5年前に出た本だから当時はどうだったか知りませんけど。
 まぁ…なんというか、検索をたどりつつ思ったのは「この業界は奥が深い」ということでしたね(笑)。

 さて、本書あとがきには「平成十二年元旦」と書かれている。これがこの本の執筆終了時点であるらしい。すでに平成4年の「公式宣言」でフリーメーソンの陰謀を打ち破り、この本はいわば「勝利宣言」だと思うのだけど…
 なぜか本書執筆からわずかに三ヵ月後、竹田氏はまたも日本を侵略する陰謀団との戦いを続行するような本を書いちゃってるわけですが、それについては次回にまわします(笑)。

<補足>

逆!
この原稿のアップ直後、「史劇的伝言板」に「NF」さんから本書について以下のような書き込みがありました。

「表紙の尊氏と正成の家紋がそれぞれ逆だったりするんですが、内容に比べると些細な問題でしかないのが何とも。」


「ええっ!」と驚き、表紙をよく見ると…あちゃーっ!(笑)(左拡大図)
「楠木正成」の名の上に足利氏の家紋「二つ引き両」が、
「足利尊氏」の名の上に楠木家の家紋「菊水紋」が描かれています…
わたくし、不覚にも今まで気付きませんでした(^^;)

この表紙の妙に下手な後醍醐天皇像は気になってはいましたが(本文中にもこの感じの妙なイラストが何ヶ所かある)、まさかこんな大チョンボをやっていたとは(笑)。
カバーには「イラスト・字 黒須幸子」と記載されており、さすがに竹田氏がこんな基本的な勘違いをするとは思えないので、どうもこの黒須さんのミスなのではないかと。版元の明窓出版は自費出版を扱うところであるらしく、この手のチェックはいい加減だったかも。
竹田さん、気がついたら激怒したろうなぁ…もしかしてこれもフリーメーソンの陰謀なのか(笑)。



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