遂に出た!驚愕のトンデモ中国史本!
こういうのが大マジメに書店の歴史コーナーに置かれると言うのも凄いものだ。そのあまりにもぶっ飛んだ内容に私は思わずレジに走ってしまった。 長らく中国史に関わってきたつもりだが、いやー、何度も言っちゃうけどこんな本が「歴史本」として売られているというのが凄い。 事実誤認・支離滅裂・誇大妄想・自意識過剰…いやもういろんな言葉が奉られそうだ。科学関係でこの手の本は珍しくないのだが、歴史のしかも中国史という一ジャンルに絞ってこういう本が出たというのは…なんとも面白い(笑)。 これはツッコミがいがあるというものである! 正直な話、アラ探しというのがこんなに楽しいものとは知らなかった(笑)。おまけに久々に中国通史の勉強にいそしむハメとなり、僕の学力向上にも役立ってくれたのである!噛めば噛むほど味が出てくるなかなか笑える珍本だ! のめりこんだ挙げ句、HPに専用コーナーまで作ってしまったわけだ。みなさんも一つ本書を読んでみて歴史の勉強をしてみよう!もちろん「反面教師」であることは言うまでもない。この本にジャンジャン突っ込みを入れる事が出来るようになれば、あなたもいっぱしの中国史通である! 自分であら探しをやってみたい人は買ってみても良い。ただ一応ここのページの内容を見た上で考えること。「こんな奴に儲けさせていいのか!?」って気も起きてくるかもしれないからね(立ち読みでも十分突っ込みは入れられるぞ!)。 |
◆そもそもどういう本なのか?
著者は本書の紹介欄によると、なんでも慶応大学法学部卒、米ウィスコンシン大学大学院修士課程卒、カリフォルニア大講師を経て、現在明海大学不動産学部教授だそうである(青山学院講師、その他各種研究所の研究員とある)。専門は国際関係論・比較防衛学・外交史だそうな。なるほど、一読した限りでも、この本のテーマは「国際関係」「防衛」の視点から「中国の脅威」をアピールする点にあるようだ。それ自体は分からないでもないのだが、それを言いたいが為に中国通史を古代から現代までやってしまったところがこの本の凄いというか呆れるところ。
とにかくこの本は全編にわたって「中国人はいかに残虐か、侵略的か、非人間的か」を述べまくる。ときおり勢いで筆が滑って朝鮮史にも言及し、ついでとばかりに「朝鮮がいかに中国に対し卑屈で小中華意識を持っていたか」も書いてしまう。で、何が言いたいかというと「日本人がいかに優秀な民族であるか」という結論が出てくるわけだ。何のことはない、「中国叩き」「朝鮮・韓国叩き」を装って「日本自画自賛論」をやっちゃってる本なのだ。正直なところ読後感は「これってホントに中国史の本だったか?」というところだった。
著者の書くところによると日本における中国史は「明」の部分が多すぎる、残虐と侵略性に満ちた中国史の「陰」の部分を書いた本が少なすぎる、じゃあ自分が書いてやる、というのが本書を書いた動機だそうだ。そこで過去10年間に数百冊(ほぉ…)に及ぶ中国関係の本を読み、中国・韓国に足を運んで各研究機関(前書きで列挙している)で討論し、本書を書き上げたという。その割には巻末の「参考文献」が異様に少ない(82点)のが妙なのだが…しかも山川出版社の「中国史」とか「世界史年表」なんかの概説書や陳舜臣やら司馬遼太郎やら作家の小説やエッセイなどがかなり混じっている(あ、NHKの「堂々日本史」まである!)。いや、混じっていてもいいんだけど(まぁ大学の卒論では蹴られるけどね)専門書の割合がかなり少ないような気がするぞ。
それに著者が本書で何度もあげる「書かれざる中国の残虐性」の実例とやらも大概の中国史本に出ている話ばかりで別段珍しくも無いような気がするが(専門家でなくても中国史マニアならたいてい知ってる話ばかりだ)。みた限りそこらの書店の中国史関係の本を当たれば書ける程度の内容しかない。これが10年の成果なんだろうか、やれやれ、ご苦労なことである。では以下に細かい所を見ていこう。
◆中国の人口激減は大虐殺のせい!?
この本で著者がしきりに引き合いに出し、中国人の残虐性の根拠にしているのが中国史の混乱期に繰り返される「人口の大激減現象」だ。著者の杉山氏が典拠としているのは、ザハーロフという19世紀(!)のロシア人研究者の研究を元に満州鉄道調査部が作成した「中国人口の歴史的変遷」という文書である。この資料そのものについては後日僕も調査をしてみたいが、どうもこの資料をもとに杉山さんが展開する話には首を傾げたくなるところがいっぱい出てくる。(現時点で確実におかしいと分かったところを以下に挙げる。さらに追加するかも)
125ページに「『晋』の西暦280年においては1616万人であったものが、『隋』の統一する前年の580年の人口は900万人に激減していた」とある。これはまぁ良い。しかしその後に凄いことが書いてある。「ところが、隋が統一して平和が訪れ、大運河の建設によって南北間の経済が著しく活発になると、中国経済は成長発展し、人口もわずか30年間に、4000万人を突破する勢いを見せることになる」…たった30年間に四倍以上も人口が増加したというのだ!30年って1世代だよ。夫婦二人が6人以上の子供を産めば人口は四倍になるだろ、と単純な計算をしてはいけない。その間も人間は死んで行くんだし、昔は幼児死亡率も高い、それに全ての夫婦がそんなに産めて育てていけるわけもない。現代日本の戦中・戦後生まれの僕の親の世代もやたら多産だったが、いくらなんでも人口が四倍になったって話はないだろう。常識的には考えにくい話なのだが、杉山さんが頼りにしている人口増減グラフ(59ページ)も確かにこの時期急増(っていうか垂直に跳ね上がっている!)しており、杉山さんもそのまま矛盾も感じずに書いてしまったようなのだ。
実はこの問題の答えは簡単だ。この人口データは当時の王朝政府が作った「戸籍」がもとになっている。隋王朝による統一が出来た途端に人口がいきなり四倍になるのは単に戸籍調査がちゃんと行われて民衆が国家によって把握されただけにすぎない。乱世になると人が大量に死ぬのは事実だが(日本の乱世なんて可愛いもんだ)、そのひどい戦乱を逃れて大量の難民も発生するわけで、戸籍から消えることと死亡することは決してイコールではない。中国史では常識だと思うけど?
この手の人口論で最も目を引くのは清の時代の「太平天国の乱」のくだりだろう(240ページ)。この乱の結果、なんと1億6528万人が命を落としたというのだ!杉山氏は「餓死者が3000万人いたとしても、残りの1億3500万人は殺戮によって命を落としたこと」になるというんだが…。現在の日本の人口まるごとより多い人間が10年ほどで全て虐殺されたことになる。第二次世界大戦全体でもそんなに死ななかったような気がするのだが、杉山氏にとってはこのデータが全てを物語っているといわんばかりである。これも戦乱によって住民が難民・流民化して戸籍に把握されなくなったことを考慮しなきゃいかんでしょ。こんないい加減な根拠で「中国人は残虐だ!」と言われてしまっては中国人もたまったもんじゃないだろう。
◆遊牧民族は虐殺をする!?
上記の中国人口大激減現象の原因を「中国人の残虐性」に求める一方で、杉山さんは妙なことを口走り始める。「遊牧民体質を持った民族や国家が抗争を行なうとき、異民族に対する処置が凄惨を極める場合が多い」と言い出すのだ(87ページ)。これ自体は「そういうケースもあるだろ?」とい大目に見ることもできるが、この後がひどい。この実例として「モンゴル帝国ジンギス汗による中央アジア諸民族の大虐殺、ロシア帝国による異民族虐殺、ハプスブルグ帝国によるマジャール人やスラブ民族に対する残虐行為、フランス王妃カトリーヌによるサン=バルテルミの大虐殺、英国人・クロムウェルによるアイルランド人大殺戮、スペイン帝国によるインカ帝国の抹殺、アメリカ人による北米インディアン大虐殺など、枚挙にいとまがない」と言い出すのだ!いま太字にした部分はどう見たって「遊牧民」の所業じゃないんじゃないか(特にマジャール人のケースはむしろ彼らの方が「遊牧民」だったと思うが)?その後に「遊牧・狩猟民族」と自分でフォローを入れてるけど、どうも歴史上の虐殺事件を羅列しただけに思えるのだが…。
その後ではスターリンの大粛清やヒトラーのユダヤ人虐殺を「イデオロギーとは関係のない虐殺」として上の例の中に含めてしまう。同書60ページに「ヨーロッパ史における虐殺は、民族が異なる場合と、宗教・イデオロギーの違いによる場合である」と自分で書いたことをあっさりお忘れのようである。以下に中国の文革で数千万、天安門事件で数百万人の殺害(そんなに入るのか、あそこに?)、ポル・ポトの200万人殺害(カンボジア人が遊牧民とは初耳だ)、さらにフツ族・ツチ族の対立による虐殺(だからあれって遊牧民か?)、バルカン半島の虐殺事件(おいおい!)などまで「遊牧・狩猟民族の残虐性」として挙げてしまう。この調子じゃ世界中みんな「遊牧・狩猟民族」ってことにされちまいそうな勢いだ。じゃあ日本人はどうだ?と思ったら案の定、「南京虐殺事件は、中国政府による完全な捏造である」ときた。あのねぇ、南京事件以外にもいくらでもあるんだよ、日本人による虐殺事件は。それに思うんだけどどの民族も農耕・牧畜開始(1万年前ぐらい)以前は狩猟民族だったんと違うか?
「なぜ、虐殺行為が乾燥した土壌に住む狩猟・遊牧民的体質の民族に多いのか、学問的解明は進んでいないが」などとのたまっているが(だいたい上記の「実例」にあてはまらない例が多すぎるぞ!)、そもそも「学問的解明」をするような問題なのか、それって。「また遊牧民的風土では、女性による残虐な仕打ちの歴史も沢山ある」とか言い出して呂后や則天武后・西太后を挙げ始める。ひょっとしてそれだけしか挙げられない?だいたい女性の例をいくつか探したところで男性がやった残虐行為にはおよばんでしょ。何が言いたいの?
まぁ百歩譲って遊牧・狩猟民的風土を持つ民族(「風土」ってのがクセモノだが)残虐だという彼の仮説を受け入れてみよう。しかしそれをやるとこの本全体の論旨が狂ってしまうのである!繰り返すがこの本は「いかに中国人は残虐か」というのが趣旨だ。漢民族がいかに周辺民族を侵略しまくったかという強調が何度もなされている。ところが全体を読み通すと「中国人=漢民族」がどういう民族なのかコロコロと変化するのだ!
まず確認できる最古王朝・殷について「この帝国(へ?)の出自が遊牧民であったことを類推させる貴重な証拠・資料がある」と言い出してそれを論証する。まぁこれはまぁまぁ言えなくもない。続く周(これも「帝国」だそうだ)ももとは遊牧民族って話も聞くところなのでまぁ良いだろう。ところがいつの間にか周から春秋戦国、さらに秦にかけて中国王朝は「農耕民族」であり「遊牧民への侵略国家」と位置づけられていく(あれ?)。そのぶん「匈奴」の抵抗が華々しくとりあげられるわけだ。ところが後漢が滅び、三国から五胡十六国、南北朝を経る間に減少した漢民族に代わって周辺異民族が中国に入ってきて漢民族と融合し「現代に繋がる新たな「中国人」を形成した」(116ページ)とする。いや、これはその通りである。しかしその時点で「漢民族はほぼ絶滅した」というんなら「4000年の漢民族の侵略の歴史」っていうテーマはどうなったんだ?53ページから54ページにかけて農耕民の遊牧民への侵略のプロセスをとうとうと書いていたのはなんだったんだろう?どうも杉山先生、「中国人憎し」のあまりその侵略性を述べるのとその民族的な混血状態を述べる(そのことによって「中華」を否定するわけだ)のを両方やってしまい、ゴチャゴチャになっちゃったようである。
通して読むとこの著者、遊牧民をけなしたいんだか誉めたいんだかよく分からなくなってくる。モンゴルの部分は妙に好意的になるんだけどね…
しまいには清による「弁髪令」をもって「漢民族は全中国から姿を消すことになった」とおっしゃる!なぜかというと「総髪と中国服を着れば中国人であり、弁髪と胡服を着れば夷狄になる」と孔子が言ってるからなんだそうだ。だとすると杉山さんがさんざん残虐だと叩いている現在の「中国人」ってどこの人のことを指しているのであろうか。どうも「残虐な中国人」ってのの定義そのものが怪しくなってきてませんかね。文中何度か「満州はもともと中国領ではなく、中国が侵略して得たものだ」という趣旨の記述があるけど(その裏の意図は見え見えだな)、弁髪令の時点でみんな「満州族」になったんなら「満州はやっぱり中国のもの」って事になっちゃいませんか?書いてて混乱を覚えなかったのかな?いや、すでに混乱されていたのかも(笑)。
そもそも「漢民族」ってのがすでに定義しがたいほど多様な存在になのだ。歴史的にも各種民族が入り混じり、杉山さんのいう侵略的な農耕民族(それでいて遊牧民的風土を持つという…なんのこっちゃ)の純粋漢民族なんていやしない。逆にそのことで「中華思想」を否定したいという意図も見え見えだが、別に漢民族でなきゃ「中華」でないとは決まってない。そもそも特定の民族が「残虐で侵略的」という説明は常識的に成り立たないんと違うかな。
この辺、もっと書きたいことがいっぱいあるんだが、長くなってきたので後の各論に任せたい。
◆日本人はなぜエライか!?
最初にも書いたが、この本のもう一つの大きなテーマは「日本人はこんなにエライ民族なのだ」という主張だ。この論証がまた涙が出るほど面白かったが、しまいにはホントに情けなくて涙が出てきたりするシロモノだ。
まず冒頭でインド人と中国人の意識調査の話が出てくる。それによると中国ではもっとも嫌いな国として日本を挙げ、インドでは最も好きな国は日本となっているという。このデータの出所がどうも気になるがその調査は後日として、その後に注目したい。「インドは(中略)インドはじめアジア諸国が独立を達成できたのも、日本の力が大きく与っていたという認識を持っている」というのだ。インド人全員に聞いてみたいところだが、これってどうも一部日本人の妄想に過ぎないようだ。インド独立の父・ガンジーも初代首相ネルーも日本の戦中の行為をしっかり非難している。こういう主張をする人は代わりに日本と手を結んだ独立の闘士チャンドラ=ボースを引っぱり出すが(「プライド」って映画があったな)、彼が日本の政治家・軍人に不信感を持っていた話や最後に日本を見限ってソ連に行こうとしていた話を絶対に持ち出さない。だいたい「日本のおかげで独立できた」なんてインドや東南アジアの人の努力を馬鹿にしてないか?
中国人の残虐性に対して日本人の温厚性を説く部分の論証も凄い。日本は前政権の建築物や文化や人材を破壊せず大切にするという部分はまぁ良いのだが(でも中国だって次の王朝に仕えた人はいっぱいいるはずだが)、日本における死刑の少なさを根拠にするところには驚く。「平安時代400年のうち、後半の200年間は一人も死刑を執行されてないし(根拠はなんだ?だいたい源平合戦の時何人死刑になったっけ?)、「斬り捨て御免」といわれ、武士の横暴がまかりとおっていたかのようにいわれる江戸時代でも、後期の200年間で(江戸時代って260年しかないはずだが)、武士による町人の無礼打ちはわずか三人しか記録(あんのか、そんなのが)されていない」と書いているのだ(66〜67ページ)!納得しないでよく読もう。前半の根拠も不明だが、後半はもっとひどい。無礼打ちと死刑では話の次元が全然違う。ほとんど詐欺師の論法である(いや、詐欺師の方がもっとうまいかも)。江戸時代にどれだけ残酷な拷問が行われ、磔・斬首・獄門など凄まじい刑罰が行われていたかってことはテレビの時代劇でだってやってるだろうに!ちなみに明・清時代には死刑はなんと皇帝自ら許可を出さないと処刑は行えないという現代に匹敵する制度が中国にはあったことを付記しておこう(もっとも地方レベルでこっそり処刑したり「事故死」させたりしてるのだが)。
次に飛んで秦の始皇帝のくだりでは徐福の話を持ち出す。あの「不老長寿の薬を海上の蓬来山に取りに行ってくるから童男・童女と船を仕立ててくれ」と始皇帝に持ちかけた人物だ。そもそもこの話自体が眉唾な部分が多いのだが(そもそも史記では実際に行ったかどうかも不明のハズだが)、杉山さんは蓬来山を日本の事と断定した上で(まぁあちこちに徐福の墓があるんだけどね)、「中華文明の最高権力者である始皇帝が、不老長寿の薬草を求めるにあたって、自領内の漢中や中原でなく、東方の蓬来山(日本)にあると信じた点は興味深い。(中略)始皇帝時代の日本が、すでに徐福が神の国と指摘するほど文明が高く、極楽世界の噂が海外にまで広がっていたのかもしれない」(83ページ)ととても楽しい妄想にふけってらっしゃる(笑)。
隋唐時代になると日本はこれに使節を送って外交関係をもつわけだが、予想通り(笑)ここで「日本は他の東アジア諸国と違い中国を中心とした冊封体制には入らなかった」という主張が出てくる。遣隋使や遣唐使はあくまで「文字や体制あるいは技術の習得」にあったとして明治維新期のヨーロッパ留学と比較するわけだ(148ページ)。ところが遣唐使の派遣の実態を見ていくと毎年のように送る時期から2,30年もの間派遣しない時期があったりして、「勉強しに行く」にしてはやたらバラツキがあるのだ。よく調べていくと遣唐使派遣時期は外交関係がギクシャクする時期に集中しており、どうも遣唐使は単純な「集団留学」ではなかったと見る方が正しいようだ。留学・文化の摂取は副次的なものだったと考えた方が理解しやすい(西嶋定生らの著作を参照のこと)。
それにこの本では「中華思想」に基づく中国を中心とする東アジア国際関係を叩きまくるけど、日本だって人のことは言えない。新羅や渤海に対しては対等国の扱いはしていなかった。日本は日本の「中華思想」で「冊封体制」を作っちゃったに過ぎない。江戸時代でも琉球は服属国にして「朝貢」とおんなじような事やってたもんな。
モンゴルによる「元寇」のあたりでは案の定(笑)「日本のサムライ軍団」(なんでカタカナなんだ?)の強さを強調する(189ページ)。ここでは神風よりも日本武士の強さばかりが述べられた上、フビライが日本武士団を「世界最強を自負するモンゴル兵よりもはるかに強く、これ以上モンゴル兵を戦死させると、大中国の統治に大いなる支障を来すと冷静に判断したために違いない」と推測する(195ページ)。モンゴルってヴェトナムに攻め込んで三度も敗北するんですがね(案の定、この本ではその事には一言も触れない)。強さってよりも単に地形的な制約が大きかったろうし、実は杉山さんもしっかり書いていたりするのだが元寇の構成員は征服された高麗・南宋の人々が多く含まれており戦意に乏しかったと言われる(高麗人反乱説もある)。ところが杉山さんは日本武士を「世界最強のモンゴルを破った」と絶賛する一方で中国人・韓国人に対し「平和な日本を侵略した元祖」として反省を迫ったりする。つまり侵略はあっちが元祖で秀吉の侵略戦争は「カラクニに対する復讐戦」とまで言い出すのだ(191ページ)!前のところで好太王碑文を挙げて「日本にも海外派兵するだけの国家が成立していた」と自慢してた(123ページ)のは何だったんだ。頭が痛くなる話である。
うーん、まだ書きたいことがわんさかあるんだが(ホントにこの本はツッコミがいがありすぎるのだ!)、それは後日書くとして一旦まとめに入ろう。
杉山さんの日本賛美論は「終章」にいたって頂点に達する。アメリカの政治学者ハンチントンの「文明の衝突」を引用して(この本もかなり問題があるような気がするんだがなぁ…)、日本文明が独自の文明であることを強調した上、その特性を述べ始める(以下、254〜255ページ)。
「これまで挙げてきた四つの文明圏の国々の場合、闘う前には必ず敵よりも多くの兵数を揃えることに腐心する。兵数が敵よりも多ければ必ず勝ち、少なければ必ず負けるということは、遊牧・狩猟民族(また出た!)には共通した心理である」
さて、この人が何を言いたいかもう予想がつくだろう。以下のようになる。
「ところが日本だけは、他の文明圏と違った対応をしてきた」…ひょっとしてこの人、日本以外は全部遊牧・狩猟民族だと思ってるのか?じゃあ農耕の漢民族が侵略するって言ってたのは…などというツッコミは以下の論証で吹っ飛ばされてしまう(笑)。
日露戦争では日本陸軍(26万)とロシア軍(36万)が戦い、日本軍が勝利している。その描写が凄い。「劣勢にもかかわらず、犠牲をものともせず、また戦場で休むことなく攻撃をしつづけ、ロシア軍の強力な大部隊を打ち崩してしまった」この説明がナンセンスなことは専門書でなくとも司馬遼太郎の「坂の上の雲」あたりを読んでも分かる(杉山さん、やたら司馬から引用するクセに肝心のところをお読みでない)。日本軍があまりにも無謀な突進をしてくるのでロシア軍は「常識」から日本軍を大軍と錯覚したのだ。それに「打ち崩した」というほどの敗北をロシア陸軍が食らった事は一度もない。
また太平洋戦争についても言う。「強大な米軍に対し劣勢となって勝利の見込みがなくなると、爆弾を手に米軍戦車に飛び込む玉砕戦法や、片道燃料だけで爆弾を抱えた飛行機で、米軍に突撃する神風特別攻撃隊で起死回生の勝利を得ようとしたが(ここで文章が転換するところが見事!)、これこそまさしく武士道精神の極端な発露であった(ひえぇぇ!)。現在ではイスラム原理主義の過激派や北朝鮮軍が、旧日本軍の玉砕戦法を取り入れているほどである(ちょっと、あんた!それって自慢してんのか!?)」
もうここまでくると絶句である。農耕民族・日本人の温厚性の話はどこいっちゃったんだ?それにこの「小勢で大勢に当たる」ってのは軍事の常識として戒められているはずだ。杉山さんが大好きらしい司馬遼太郎も「織田信長の凄いところは桶狭間が二度あるとは思わず、常に敵より多くの兵を揃えようとしたところだ」と言ってるんだけどね。なるほど、こういうこと言う連中が「大東亜戦争」を戦ったわけだ。よく分かった(笑)。
最後に「日本の伝統文化や各種技術が世界中に拡大している」というところを紹介しよう。
その部分によると「柔道、剣道、居合い、空手、合気道、杖道、弓道、相撲、日本舞踊、華道、茶道、カラオケ、太鼓、琴、三味線、尺八、俳句、将棋、アニメ等々、国際化している文化は極めて多い」のだそうだ。なんか日本の伝統文化をズラズラ羅列しただけのような気がするのは僕だけか?海外に尺八や将棋が波及しているとも思えないが(あ、漫画がない!)…単に紹介されてるってんなら中国文化の方が圧倒的だろ?
さらに「食文化を見ても、寿司、てんぷら、刺身、すきやき、しゃぶしゃぶ、和菓子などは高級料理として普及し(どこで?)、庶民の味としてはやきとり、おにぎり、インスタント・ラーメン、牛丼、醤油、味噌、納豆(おいおいおいおい!)など、急速に国際化している」のだそうだ。なんかこれも思いついた日本の食文化を羅列しているようにしかみえないが…(インスタント・ラーメンは確かに日本発の偉大な文化ですけどね)。食文化で中国に勝とうってのは無理ってもんじゃないですかね。
まぁそこまでの長い記述で怒りまくりツッコミを入れまくった僕には、この最終章の爆笑ページが一服の清涼剤であったのは確かだ(爆)。
ああ、長々と書いてしまった。しかし実は各論的アラ探しをまだひとつもやっていない。それはおいおい公開していくことにしよう。これがまた凄い量で、爆笑を禁じ得ないものばかりだ。
ではオチに以下の引用を。140ページに次のような文がある。
「「下らない」という言葉は、実は「百済にない文物はない」という意味が初めで、これが省略されて「百済ない」となり、時代を経るにしたがって意味が変化してしまったという説があるほど、百済は文化が発展していた」
俗説に引っかかりましたね、杉山教授。「くだらない」は江戸時代に出来た言葉で、京都から江戸にくるものを「下りもの」といって高級品扱いしたことに由来します。つまり「高級=くだる」の逆で「低級=くだらない」というダジャレ言葉が発生したのです。「という説があるほど」とかいって逃げを打っておられますが、書くからにはちゃんと調べましょう。ホント、くだらない…(^^;)