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安田喜憲著
「『天変地異』と『終末』・3つの話」
雑誌「歴史街道」1999年7月号「特集・ノストラダムスに惑わされるな!」より
 
 今回取り上げるのは本ではなく雑誌記事。それも月刊歴史雑誌「歴史街道」(PHP研究所)の特集記事である。 

 この雑誌は今度の7月号で、歴史雑誌のほとんどが黙殺状態の観のある「ノストラダムス」を特集にもってきてしまった。そう、あの「1999年7の月」が来ちゃったからである。しかしさすがに「人類滅亡」を真に受けて書いているわけではなく、タイトル通り「ノストラダムスに惑わされるな!」ってのが趣旨となっており、ああいうオカルト予言を批判する立場から書かれている(…らしい)。 

 そう、いま僕が「らしい」とつけたあたりにこの記事をここでとりあげた理由がある。どーも読んでいるとこの記事自体に妙な事がずいぶん書かれているのだ。雑誌記事は「掲示板」で対処する予定だったが、図版も示したいのでこちらで取り上げることにしてみた。 
 


◆ノストラダムスは「終末」を予言したか?

 この記事というかエッセイの著者は「国際日本文化研究センター」の教授・安田喜憲氏だ。この人がどういうお方なのかはまだ調査中なので詳しいことは分からないのだが(雑誌とはいえ略歴ぐらい掲載して欲しいものだ)、この人が文中で挙げている参考文献の中にご自身の著書「歴史と気候」(朝倉書店)「森を守る文明・支配する文明」(PHP新書)というのがあるので、まぁなんとなく日頃やってることがうかがい知れる。この文章でも根底に流れるテーマは「自然と人間の共存」「自然を大切にした日本文化」という事で一貫している。このテーマのもとに、「森の文明が「ハルマゲドン」から人類を救う」「紀元100年、突然の気候変化が招いたもの」「気候変動と時代変革の不思議な関係」という三つのお話が展開されている。

 さて僕もけっこう物好きだから、巷にあふれる「ノストラダムス解説本」のたぐいをチラチラ読み、それをおちょくりまくった批判本のたぐいも目を通している。日頃(意外に思われるかもしれないが)一般向け歴史雑誌にはあまり目を通さない僕がこの「歴史街道」を手に取ったのも「ノストラダムスに惑わされるな!」という見出しが気に入ったからだ。さぞかし科学的で徹底的な批判が展開されているんだろう、と思いきや…読み出した初っぱなから妙な記述が目に飛び込んできたのだ。

 (新約聖書マタイ伝24章の引用から続く)終末のとき、太陽も月も星もそれまでの秩序を失い、大天変地異が起こると新約聖書は語るのである。そして、その大天変地異が、1999年と7の月のときに起こるとノストラダムスは予言した。

 ノストラダムス本に(批判的な意味で)詳しい方はすぐに「へ?」と首をかしげるはず。ノストラダムスは「1999年7の月」に「世界の終末」だの「人類滅亡」だのということなぞ予言詩の中で一言も言っていないのだ。あまりにも有名なあの一節は単に「空から恐怖の大王が降りてくる」だの「その後火星が平和に支配する」だのといった意味不明の言葉が並べられているにすぎない(訳文は研究者によりいろいろですが)。だいいちノストラダムス本人が3797年まで起こることを書いている」と言っちゃっており、彼が1999年7の月に「世界の終末」を予言するわけがないのである。この辺のことは、かなりの本に書かれているので詳細は省くが、この「1999年7月に人類滅亡」という説はほぼ日本でだけ流行している説なのだ。広めたのはあの「大予言」の作者五島勉氏である。この人のノストラダムス本がいかに彼の勝手な「創作」であったかは「と学会」の一連の本で暴露されているのでそっちを参照されたい。
 この文の著者である安田氏はノストラダムスをネタに雑誌に記事を書こうというのに、こんな基本的なことすらご存じないらしい。冒頭(まだ第一段落なのだ)でいきなりこれである、その先はどうなることやら…僕はここまで読んで「ネタが出来たぜ!」と大喜びでレジに走った。ホント、性格の悪い男である(笑)。

 さて読みすすめてみると期待どおり(?)大変な大ボケ記述が続いている。無理もない。出発点が間違ってるんだもんな。安田氏はノストラダムスの終末予言をキリスト教的終末論と結びつけ、これが「西洋の直線的世界観」だとする。これはこれでまぁまぁ間違ってないんだけど…それに対し東洋の世界観は終末の世界を語らず、循環と再生の世界観だったとするわけだ。

 にもかかわらず、大天変地異の訪れを語り、終末の世界を予言するノストラダムスが、なぜかくもマスコミでとりあげられ話題になるのか。それはいかに東洋の、とりわけ日本人の世界観が、西洋の世界観に汚染され毒されているかを如実に物語る証に他ならない。

 はいはい。まぁ日本人がある程度西洋的世界観に毒されてることは否定しないけど、その証拠にノストラダムスを挙げるのはやめたほうがいいんじゃないでしょうか。「終末の世界を予言」したのはほかならぬ日本人の五島勉さんなわけで、現在の状況としては日本人の方が西洋人より終末思想にはまってると言えますよ。オウムはほかならぬ日本で発生したことを忘れちゃいけません。あれについては西洋人の方が「日本は異常だ!」って思ったろうし。それにこの「歴史街道」もしっかり「ノストラダムスをとりあげちゃったマスコミ」な訳だしなぁ(笑)。

 で、まあ冒頭の大ボケはおいといて、この人の主張は「いま必要なのは西洋的な直線的世界観ではなく東洋的な循環的世界観だ!」ということである。ま、それはそれで傾聴に値する高説である。しかしどうもこの人の書く話自体にも妙なところが目につくのだ。たとえば1万4000年前に気候変動があったというくだり。

 農耕はこのようにして始まった1万4000年前、長かった氷河時代が終わり、地球は後氷期とよばれる温暖な時代へと大きく動き始めた。そのとき、大天変地異が人類を襲ったのである。地球の温暖化は極地の氷を融かし、大洪水を引き起こした。また南西モンスーンの活発化によって、氷におおわれない亜熱帯や温帯の地域においても、大洪水が多発した。このときの恐怖が、遺伝子の中に記憶され、大洪水伝説を生み出す契機になったと私は思う。

 氷河時代が終わって温暖化したといって、みるみる氷が融けて大洪水になるってもんでもないと思うんだけどなぁ(海面上昇は起こっているが)。それと「遺伝子に記憶される」っていう表現は比喩なんだろうか。「中国4000年の真実」にもあったけど(掲示板参照)、この手の本書く人って遺伝子ならなんでも出来るようなこと書く人が多いような気がするぞ。遺伝子に記憶しなくても伝説として語り継いでいくことは十分あるわけで…そもそも大洪水伝説ってそんなにあちこちにあるのだろうか。あのノアの洪水伝説だってメソポタミア地方の洪水伝説の継承に過ぎないと思ったけど。大洪水なんてのは大河のほとりではしょっちゅう起こってることだしね。

 さて遺伝子のことだけど、この人が盛んに使う「利己的遺伝子」なる言葉がある。ドーキンスとかいう人の造語らしいが、そっちはまだ調べてないので詳細は省く。まあ要するに自分の遺伝子を存続させたい本能と心地よさを求める本能に特徴づけられる遺伝子だそうだ。安田氏によれば現生人類はこれが強烈なのだと主張している(厳しい氷河期を生き抜いてこれを獲得したという)。農耕を開始した人類はこの利己的遺伝子をさらに覚醒・増幅(?)させ、都市文明を築いていく。
 ところが。3000年前に再び天変地異が地球を襲い地球は寒冷化した。「この時代に巨大宗教が誕生した」と安田氏は言う。キリスト教と仏教のことである。この宗教の教祖(イエス、シャカ)達は「他者のために自らを犠牲にする自己犠牲の心地よさ」を説き、利己的遺伝子の本能のままに生きてきた人類が初めて「他者の命の尊さと、他者の命とともに生きる痛みを発見した」のだと書き記している。
 どうもその「寒冷化した時代」の幅がいつまでなのか気になる。イエスとシャカの間には少なくとも500年の開きがあるはずだ。この後の部分で「イエスやシャカの時代から2000年がたった今」と書いているからひょっとして同時代人とお考えなのだろうか(お釈迦さんと孔子は同時代人だったらしいが)?だいたい「シャカ」は部族の名前でご本人はあくまで「ガウタマ=シッダールタ」のはず(中学以下の歴史ではなぜかいまだに「シャカ」と教えるが。慣習というやつかな)…まぁそんなこたぁそれこそ「釈迦に説法」でしょうけどね(爆)。 しかし彼ら以前の宗教だってあるわけだし(キリスト教のルーツになった宗教だって多いはず)彼らよりずっと後の巨大宗教イスラム教のことだってある。その辺、どう説明するのだろう?

 で、こうした歴史に触れた後、安田氏の核心のテーマが出てくる。

 しかし、その後のキリスト教や仏教が、自己犠牲の対象としたのは、人間に限られていた。マタイの終末の世界や、仏教の末法思想は、人間のみの世界の出来事である。そこでは、終末の世界の到来によって、命をうばわれる人間以外の動植物のことはまったく忘れされてしまっていた。ノストラダムスの予言もまた同じだった。終末の世界を説く予言者は、人間のことしか考えていなかった。
 しかし、イエスやシャカの時代から2000年がたった今、現代型新人は自然との共存という重いに課題に直面し、苦悩している。それは心地よさを求める利己的遺伝子の本能のまま、人間のことだけを考えてきたつけが、今、露見しはじめたのである。

 まぁこういうわけで安田氏は自然との共存の理想を説くわけだ。それはそれで立派な意見だと思うんだけど、どうも宗教関係の知識が根本的に間違っておられるような気もするな。聖書でいう終末思想はそれ以前のユダヤ教、ゾロアスター教のそれを引き継いだもので、別に「世が終わる」ことは「天変地異で人類滅亡」を意味しているわけではないはずだ。みんながみんな「命を奪われる」とは言ってなかったような気がするんだが。むしろ過去に死んだ者もみんな甦って天国と地獄に人々を振り分ける「最後の審判」なるものがあるということになってるはず(ちなみにアシモフのSF短編でこのネタがある。先祖が現代にゾロゾロ甦ってくるという爆笑の傑作だ)。イスラム教も同様の終末観をもち(だから火葬をしない)、ノストラダムス本人もそのつもりだったんだと思う。「天変地異(あるいは人災)で人類滅亡!」という終末観にとらわれているのはむしろ日本人のほうなのだ。そういえば、平安時代に「末法の世」だと大騒ぎしたのも日本ぐらいだったような気がするんだけど…。
 そして…どうも批判しているはずの安田氏もこの「世界観」にとらわれているようなのだ。それは第三章で明白に出てくる。

◆気候変動が歴史を作る!?

 この安田氏の研究の最大のテーマはズバリ「気候と歴史」であるようだ。気候変動が歴史に与える影響の例をこれでもかとばかりにこの短い文章内に列挙されている。非常に興味深い意見だし、納得のいく指摘があるのも確かだ。ただどうも「単なる思いこみ」というかコジツケに見えなくもない話も出てくる。

 この文章の第二章では古代中国にあったテン[シ眞]王国のことを取り上げている。紀元前400年から紀元100年まで中国雲南省に存在した王国のことだ。現在の昆明市あたりを都とし、「東西交通の十字路」として交易で繁栄していたと言われる。安田氏はこの王国が紀元100年に突然衰亡したのを材料に「紀元100年の気候変動」が世界史に与えた影響を説くのである。

 「紀元100年に気候変動があった」という根拠は、この人達のグループが福井県水月湖の湖底堆積物に含まれる黄砂から復元した中国大陸の気候変動データにある。この辺は僕は門外漢なので検証のしようもなく、この人達の示すデータをとりあえずそのまま受け止めるしかない。ま、とにかくそれによると「テン王国が繁栄した紀元前200年から紀元後100年の間の気候は温暖だった。ところが紀元後100年から気候は突然に寒冷化する」のだそうだ。そして「この気候の寒冷化と呼応するかのように、紀元後100年から中国での気象災害が急増してくる。そして、各地で盗賊の横行や反乱が続出するようになる」という。そしてそのために東西貿易が衰えてしまい、テン王国は衰退へ向かうと安田さんは主張している。ふむふむ、と読んじゃう部分もあるが、前漢が滅んで新がとって代わり、後漢が成立するまでの混乱期(1世紀初め)がテン王国が繁栄した「温暖期」にあたっちゃうことはどう説明するんだろう。
 そして読み進むと安田さんの「紀元100年気候変動」の影響は中国にとどまらないことが明らかになる。中国の「貿易相手国」であるローマまでがこの気候変動の影響を受けて衰亡する、そしてやはり東西貿易が衰退した、としているのだ。紀元100年代から200年代にかけて(ちょっと対象範囲が広くないか?)いくつもの疫病の災禍がローマ帝国を襲ったことがその象徴だという(しかしペストとかの疫病の流行って気候寒冷化と連動するもんなのかな?)。面白い話だとは思うのだが、「紀元100年の気候変動」の根拠になっているのは福井県の湖底から出た黄砂から導いた「中国大陸の気候変動」のデータではなかったでしたっけ(だいたい前章でイエスの時代が寒冷期だったって言ってたような…)。なんでそれがいきなりローマ帝国にまで及んでしまうのかな?そもそも100年代ならローマ帝国は全盛期ともいうべき「五賢帝」の時代だったはずだが…仮に気候変動による影響がぼちぼち出ていたとしてもテン王国の滅亡(100年頃)に間に合わないことになってしまう。さらに言えば「東西交易の衰退」もけっこう怪しい。紀元100年代に後漢とローマの間の国々(クシャーナ朝・パルティア王国)は相変わらず交易で繁栄してるし、だいたいローマ帝国のマルクス=アウレリウス帝の使者が海路経由で後漢に来たのは紀元166年のことなのだ。
 まぁ200年代に東西の帝国が似たようなシチュエーションで衰退していくのは僕も興味深いところだと思っていて、これを気候なんかで説明してくれると面白いとは思うんだが、この文章での説明はやっぱコジツケだとしか見えない。

◆日本は天変地異をこうして生き抜け!

 ではいよいよラストの第三章である。ここで話の中心は日本文化と森との関わりに移っていく。
 安田氏は第一章で述べたように「西方ユーラシアの片隅で、予言者(原文のママ)が終末の世界を予言した時代は、気候寒冷期だった」とここでまた繰り返す。しかもイエスを「預言者」でなく「予言者」としっかり誤解して(雑誌側の誤植だったら申し訳ないが…でも文の趣旨から言うとご本人の誤解のように思える。それと第二章の話とかみ合わないような気がするのだが…)。で、その3000年前から始まる気候の寒冷化により日本では縄文文化が崩壊し弥生時代が到来、この際中国大陸の動乱を逃れた「ボート・ピープル」が稲作農耕社会の立役者となったとする。この辺もいろいろツッコミが入れられそうだが、きりがないので先を急ごう。
 稲作農耕社会となった日本だが、稲作は受け入れながらも肉食用の家畜は受け入れなかったと安田氏は強調する。その原因は「森の縄文文化の伝統を長らく持ちつづけた日本人にとって、家畜がその森の文化を破壊する元凶であったからであろう」と説明している。このあたり、安田氏が大変な熱意をもって語るところで、「森をめぐる永劫の再生と循環の世界観を守った」として日本人の賢明な選択を絶賛するのである。この「森を大切にする日本文化」として最澄・空海が森の中に寺を造ったことも例に挙げている。まあ古来の山岳信仰との融合という部分があるからこの辺は「なるほどね」と思うところではある。

 こうした話を進めながらやはり気候変動と歴史の関わりについての例も列挙していく。とくに大きな例として上げられるのが奈良から平安にかけて起きた地球温暖化で、これにより畿内では干ばつ、洪水が多発、さらに平安遷都期に桓武天皇の近親者が相次いで病没したことも「地球温暖化の中、腸チフスやコレラ、そしてマラリヤなどの疫病が流行したものとみられる」のだと指摘している。第二章では寒冷期のためにそうした疫病が流行したと書いていたような気がするんだが…。ともかくそうした気候変動の時代を生き抜く宗教として最澄や空海は「森」を選択したと強調するわけだ。こうした最澄と空海のはじめた平安仏教は神仏習合思想を生み出し、日本の精神世界を1000年以上支配することになったという(鎌倉仏教の話はどこへ?)

 そしてその精神世界に転換が訪れるのが明治維新期だという。そしてここでも「気候変動」があったのだ、と安田氏は主張する。「第二小氷期とよばれる気候寒冷期」があったといい、これが天明・天保の飢饉(1783〜1787、1833〜1836)を引き起こし、ひいては幕末の動乱・明治維新を引き起こしたというわけだ。で、ここでの精神世界の転換時も重要なのだ。「日本人は西洋から新たな技術は導入しても、その背後にあるキリスト教を受け入れなかった」という強調がなされている(しかし戦国から江戸期に大量のキリシタンがいたような気がしたが)。そう、ここでも日本人は「賢明な選択をした!」と言いたいわけだ。

 終末の世界を予言し、直線的な世界観を説くキリスト教は、縄文時代以来の森の文化と再生を循環の世界観を生きる日本人にはあわなかったのである。

 ここまで僕がツッコミを入れていたように、むしろ日本人はそういう安っぽい「終末予言」のたぐいを受け入れる、あるいは思いつく素地を西洋文明との接触以前から持っていたところがある(ついでに言うと中国にも伝統的にこの手の「終末思想」は登場する)。だから安田氏のいう「賢明な選択」をしたかどうかは極めて怪しいところなのだ。この手の「日本人は常に賢明な選択をする」といった「日本文化万歳論」みたいな妄想を言う人は結構いて、とくにPHPで書く人によく見られる傾向だ(理由は見当ついてるんだけどね)
 それと、そもそも気候変動と精神世界の変化はそんなにリンクしているのだろうか?本文では根拠(のつもりらしい)として「屋久杉の安定炭素同位分析から明らかにされた歴史時代の気候復元図」なるものが掲げられている。参考までにコピーを見て欲しい。このグラフによると確かに飛鳥・奈良時代の寒冷期から平安初期の温暖化という大きな変動は目に付く。だがそれ以外にもかなり大きな谷間が見受けられるがあれは問題にならないのか?そして問題の「第二小氷期」とことと思われる寒冷期が1600年から1800年代にかけて見受けられる。気温上昇期にいろいろ天災が起こるということだが、江戸時代に入った時期に急激に寒冷化した際は何も問題が起きなかったのだろうか?また幕末の動乱から明治にかけてはむしろ気温は安定しているようにみえるが?天明の飢饉って浅間山の噴火も要素に加わった東北関東の局地的なもんじゃなかったっけ?などなど、このグラフを見ていて思いつく疑問には限りがない。「気候が歴史に影響を与える」という意見そのものには異論はないのだが、安田さんの言うところにはどうも説得力が感じられない。初めから言いたいことが決まっていて後からムリヤリ気候変動とコジツケているように思えるのだがどうなんだろう。

 さてノストラダムスの話をしつつ、なんで気候変動の話もしてるんだろうか。それはこの文章のラストで明確な形を現してくる。

 きたるべき21世紀が、地球温暖化によって台風や洪水、さらには旱ばつが多発する天変地異の時代になることは、平安時代の地球温暖化の事例からみても確実である。そして気候変動期には、これまで存在した国際貿易体制が崩壊することも、テン王国の滅亡の事例からわれわれが学んだことである。

 なんだか「ノストラダムスに惑わされるな」というタイトルからは予想もしない方向へ来てしまった。そう、実は安田氏自身が「天変地異による終末思想」を抱き、危機感を持っているのだ。地球温暖化の問題や自然破壊の問題には僕も危機感があるんだけど、安田さん、ちょっとそこまでの論理展開に無理があったように思えるなぁ。

 天変地異の時代、日本人が生き抜くための道は、欧米の文明にまどわされることなく日本独自の道を選択することである。その日本独自の道とは、森の文化、森の思想にもう一度思いをめぐらすことである。生命の永劫の再生と循環の世界観に立脚した国土づくりと国家の計画を立案する事である。私はそれを「森の環境国家の構築」とよんだ。

 結論で出てくることじたいはそれはそれで素晴らしいとは思う。しかしどうも力点は「欧米文明にまどわされるな」というあたりに置かれてるような気がする。そして「ノストラダムス」はそうした「欧米文明」の代表者として取り上げられているのだ。だが多くの人が指摘するように、安田氏が思い描くような「ノストラダムス終末観」は日本人のオリジナルの部分が多く、そうした終末観を多くの人が信じてしまったというあたりも「日本文化」だ、とも言えるのだ。安田さんご自身が「天変地異」の危機を訴えている辺りにもチラッとそれがうかがえる。「日本だけが特別な国」としちゃうあたりにも日本の一連の「ノストラダムス本」との共通性があるようにさえ僕には思える。

 「歴史雑誌もなかなか油断できない」と読みながら思ったものだ。「ノストラダムス叩き」を装って、しっかり「終末の危機感」をあおるというウルトラCはなかなかのもんである(笑)。まず批判の対象をキチンと勉強しろよなー、などと人のことは言えないかな(^^;)
 


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