鄭舜功(ていしゅんこう)
倭寇対策にあたり、日本情勢探索のため戦国日本に渡った人物。広東・新安の出身だが詳細はほとんど不明。無位無官の人物だが、なぜか日本情報に明るかったと思われ、嘉靖34年(1555)にわずか半年だけ倭寇対策の総督となっていた楊宜に日本渡航を命じられ、琉球を経由して日本に渡った。
日本に入国した鄭舜功は約2年の日本滞在中、主に豊後で活動していたものと思われる。だが彼が著書『日本一鑑』に収めた日本情報はかなりの広範囲に及んでおり、なかでも当時の日本語を多数収録したことは、後世に言語学上の重要な資料を残すことにもなった。また『日本一鑑』中の「海市」「流逋」の記事は王直をはじめとする海商・海賊達個々人の行動について他の史料には見られない独自の情報を多く含んでおり、16世紀倭寇を研究するうえで重要な史料となっている。このことは彼自身もこうした海商・海賊たちとつながりを持つ人間だったのではないか、との憶測を呼ぶところもある。
嘉靖36年(1557)に鄭舜功は広東に帰国したが、ここでなぜか許梓を発見して捕らえている。しかし自分を日本に送った楊宜はとっくに更迭されており、鄭舜功はあくまで私的に日本渡航をしたことになって流刑に処される事になった。自分の無実を訴え功績を証明するために書かれたのが『日本一鑑』の一書であるが、かなりクセのある文章で読みにくい資料でもある。結局彼は生前にその功績を認められることもなく(倭寇関係の書でも鄭舜功に言及している史料もほとんどない)、その後の消息も不明である。
主な資料
鄭舜功「日本一鑑」
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