倭人襲来絵詞・第三日
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☆太湖は太古の昔から

 さて前日の最後に出したクイズはお分かりになっただろうか。簡単ですよね!映画ファンならば。
 「莎翁情史」="Shakespeare in Love"日本公開タイトル「恋に落ちたシェークスピア」
 「搶救雷恩大兵」="Saving Private Ryan"日本公開タイトル「プライベート・ライアン」
 そう。アカデミー賞でオスカーを争った二作品のことだったのである。さすが中国、漢字しかないからタイトルは基本的に自国語に訳す。「プライベート・ライアン」なんてむしろ邦題より原題に忠実だ(日本のタイトルは大幅に意味を減じてしまっている)。「莎翁情史」の方は原題通りとは言い難いが、何ともいえぬ風情がある。日本公開タイトルなんてどうにかなんなかったかと言いたいところだ。
 この他にも中国での外来語表記はなかなか面白い(「肯特基」がケンタッキーとかね)。なまじ漢字文化圏の人間にはほとんどクイズの世界である。

 面白がってテレビを見ていると、何やら時代劇っぽいのを放送していたのでしばらく見る。しかし言語力のつたなさから結局何の話か分からずじまい。風俗は清朝期のものだったけど…。しかし驚いたのはそのドラマのBGMだ。なんとアニメ「もののけ姫」のサントラ(作曲:久石譲)からの完全なイタダキなのである!何度も聞いた音楽だから間違いない。何曲も使いまくっていた。さすがに歌は入っていないが「ものの〜け〜たち〜だけ〜」の曲が流れるなか弁髪ゆった俳優達が熱演していた(^^;)。妙にあっているところが笑えたが…果たして許可は取っているのか?日本のワイドショーなんかでも同様のことがあるが、あれはちゃんと著作権をクリアしている。が、どうもこれは怪しいなぁ…。中国や香港と言えば昔から「海賊版」のメッカだしな。

南京の眺め この後ようやく眠りにつき、気が付いたら起きていた(笑)。案外早く目が覚め、モーニングコールも余裕で待ち構える。朝食はホテル最上階(24階)のレストランでバイキング(海賊史専攻にふさわしい)。さすがに高層からの眺めは素晴らしい。高所恐怖症を忘れるほどの眺めだ。もっとも見えるのはごく当たり前の建物群だけどね。やはり蘇州に比べても大都会。高層ビルがニョキニョキ乱立していた。この日もやはり小雨混じりの天気で、下界の道路ではカッパが車をつけて集団で走っていた(笑)。
 出発前にフロントでチェックアウトを各自で済ませる。昨日かけた国際電話代その他をとられる。一方的に中国語(北京語)で話してくるが、まぁだいたいの見当はつくというもの。支払いを済ませてバスに乗り込む。ところが「○○号室のお客様!」とガイドの梁さんの声。あれ、俺の部屋番号だな、と思って手を挙げると、
「冷蔵庫のジュース代が払ってないそうです」
「へ?さっき飲んだってちゃんと申告したけどな?」
「なんかホテル側の不手際みたいです」
 というわけで再びフロントへ。向こうがミスを認めていたが、僕の話も通じていなかったのも事実。やっぱ語学力は無いとダメですね。
 それと、たぶんこの時のことだと思うのだが…後で僕の財布の中身を調べたらヒョッコリと見慣れない「一元」硬貨が出てきたのだ。よく見ると、なんと香港1ドル硬貨。同じ様な大きさで「一円」と書いてあるものだから、フロントが両替のところにあったやつと間違えたんだろう。それとも密かに流通してるのか、香港ドル?
 ここで例によって歴史学的連想を(笑)。清朝中期のこの辺りで、どういうわけか銅銭「寛永通宝」なんかが勝手に流通していたことがあるのだ。もちろん日本の江戸幕府発行の銅銭である。どっからどう入ったものか判然としないのだが、それが民間とはいえ流通しちゃったというのが面白い。「お金」という奴は結局「交換」の仲介媒体なんだから、何だって良いと言えば良いのである。日本だって室町以前は明やら宋の銅銭使ってたしね。

 支払いも無事済んでバスは出発。渋滞気味の南京市街を走り抜けていく。それにしてもホント、中国の道路に交通ルールは無きに等しい。だいいち歩行者や自転車用の信号などありはしない。みんな様子を見て道路を渡っていくのだ。しかもホントにすれすれの間隙を抜けていく。バスが目の前を遮って過ぎ去るのを待っているときも可能な限り前進し、ホントに鼻先にバスの車体があるぐらいのところで待っているのをよく見た。よく秋葉原電気街で信号を無視して道路を渡り、道路の中央でつっ立っている中国人を見かけるが、なるほど、ここではそれが当たり前なのだ。
 町並みを見ていくと本屋やCD屋が目に入り、いささか悔しい思いをする。本とビデオCD売場はぶらついてみたいものである。日本でもやってることをここまで来てやるかと言われそうだが(笑)。それとついに映画館を発見。「大進軍」なる看板がかかっている。見たところ「長征」か「八路軍」ものっぽいが…ああ、観たい!日本じゃこんなの観られないもん。

 僕の勝手な嘆きをよそにバスは昨日走った高速道路に入り、一路無錫を目指す。ここで昨日酔っぱらって眠ったために見過ごした風景をじっくり鑑賞する。無錫まで高速で約二時間。前日の記事で触れた数十人の「暴走倭寇」が走り抜けた、まさにそのルートである。
 時折バスが停まり、運転手が降りてバス下部の荷物室を何やら覗いている。荷物の位置がずれたりしてるのかな。何度かそういうことがあった。途中の給油所でトイレ休憩なぞとりながら、やがてバスは無錫市内に入った。ここで例によって無錫の現地ガイドさんが登場する。
 で、この人がまた面白い人なのだ。流暢な日本語でバシバシとギャグをかましてお客さんをわかせていた。いやぁ日本の観光地でもなかなかあそこまでやるガイドはいないぞ。どういう特訓をするのであろうか。「宮沢りえヌード写真集」のネタは話が少々古いとはいえインパクトあったなぁ。日本人観光客相手に毎回言ってるんだろうな、あれは(笑)。

走行中に見かけた聖ソフィア寺院 このよくしゃべるガイドさんの話を聞きながら、バスは一路太湖の遊覧へ。どうも無錫は観光都市としてますます整備が勧められているようで、あちこちに施設が建設され案内板が数多くある。驚いたのはいきなり歴史劇のセットみたいな古い街や城壁が沿道に建設されていることだった。ガイドさんは「映画村を作っているんです」と日本人に分かりやすく説明。なるほど、そういえば本物の城にしてはややスケールが小さいような。ぼんやり見ていると、どういうわけかイスタンブールの聖ソフィア寺院が視界に飛び込んできた(爆笑)。おいおい、と思っているうちにヨーロッパ風のお城や宮殿が見えてくる始末。よく見ると「西洋城」という案内板が。こりゃあ「映画村じゃなくて東武ワールドスクエアの巨大版だな」と一人納得。だって西洋の映画を無錫で撮ってることはないわな。それにしても国籍不明のものを建てたがるのは日本人の専売特許かと思っていたら、案外中国人もおんなじなのでありますね。

 そんな妙な眺めを抜けて、バスはようやく遊覧船乗り場に。船は見かけは地味で小さいものだったが、いっぱしの快速艇である。料金は高いようで、一般中国人はあまり利用しないらしい(ツアーの貸し切りってのもあっただろうけど、それにしても人気がなかった)。ツアー一行が全員乗り込むと、さっそく快速艇は太湖遊覧に出発した。
 船着き場の辺りは湖の入江だったもので、太湖の巨大さはまるで実感できない。しかし快速艇がスピードを一気にあげて入江から飛び出すと、船の周囲に見渡す限りの水の平原が広がった。いやぁ、なるほどデカい。なにせ行けども行けども向こう岸という奴が見えない。当たり前だと思いつつ感心してしまう(この辺が箱庭環境に住む日本人の悲しい所だ)。中国の地図を見れば分かるがここは「太湖=デカい湖」というその名の通りの巨大な水たまりなのである。僕らの快速艇が小一時間で回ったのは、この湖の東北の端をかすめたぐらいに過ぎない。見た目にはほとんど海である。
 ただ何となく「湖」を感じさせたのは、淡水魚を捕る漁師によってあちこちに建てられた竿状の目印だった。実際これだけデカい湖にもかかわらず水深はまるで浅い。平均しても数m程度しかないそうである。この辺りのことはこの船に乗るガイドさん(この船だけに専属がいたのである)が詳しく説明してくれた。

 説明を聞きながら、僕は例によって歴史的回想。ちょうどこの間調べていた資料に太湖に活動する賊の話が出てきていたのだ。海賊じゃなくて「湖賊」というわけ。やっぱり塩の密売に関わる連中だったようだ。これだけデカければ山と同様、官憲の力の及ばない賊の拠点と成ることが出来たわけだ。もちろん湖の上に船を浮かべて立て籠もっているわけにもいかない。湖の中にいくつか島が存在するので、それらに拠点を構えていたらしいのだ。
 こうした勢力が「倭寇」と関わりを持たない方が不思議というもの。まだ明確には出来ないがどうも実際に「倭寇」との関わりはあったとみるべきだろう。また、こんな話もある。嘉靖27年(1548)に朱リョウ(僚のケモノへん。首領を意味する)という海賊が番人を率いてこの地方を寇掠し、太湖に入って洞庭山という島に登った。朱リョウ等はここで番人達を殺害し、奪った財宝を持ったまま逃げ去ってしまったという。この「番人」というのがポルトガル人なのかマレー人なのかは不明だが(この表記だけでは分からないのだ)、はるか異国からこんなところまで攻め込んできて仲間のだまし討ちに合うとは何とも…ご苦労さんとしか言いようがないなぁ(^^;)。

 そんなことを思い出しながら窓の外を見ていると、船のガイドさんから説明があった。
「みなさん、左手に見えますのが、「三国志(三国演義)」のドラマを撮っていた現場です」
 なにぃっ!?言われて驚き、左手の窓を見てみる。なるほど、水上要塞と思しきセットが組まれている。あれは確か赤壁の戦いの場面で見たような…と思っていたらその通りだったのであった。
「あのドラマの赤壁の戦いの場面はこの太湖を長江に見立てて撮影したのですよ。向こう岸が見えないから丁度よかったのです」
全然見えないけど三国演義のセット いや、なるほど、ここだったのか。気になってはいたんだ、あの場面をどこでロケしたのか。本物の長江で撮っても良かったんだろうけど、何かと条件が難しいような気もしていたのだ。あれだけの大規模な撮影、資材の搬送やスタッフの宿泊等、川の流域でそうそう良いところは無いような印象があった。ここなら市街地から近い上に辺りに邪魔なものもないし何かと好都合そうだ(それでも何カ所か別の所で撮ったのを編集しているのだろう)。セットは太湖に突き出した半島部に作られており、道路で直接現場に入れる。案の定だがセットはそのまま「三国城」として観光地化されている。僕は余りミーハーな三国マニアとは言い難いが(マイナー好みなもので)、映画ファンの血が騒いでしまいぜひ入ってみたいと思ったものだ。ここがツアー旅行の辛いところ。慌てて写真を撮ったもののご覧の通りの天候も災いして全然写っていない(涙)。
 ちなみに「三国城」のすぐ隣には「水滸城」まである。そう、「水滸伝」も中国では完全TVドラマ化を終えているのだ(なぜか日本にはなかなか上陸しない)。それもここで撮影されていたのである。そういえばここの風景なら梁山泊の雰囲気が出せるだろう。それやこれやあるから、いっそのこと映画観光都市にしてしまえと無錫は企んでいるんだろうな。

 小一時間ぐらいで太湖遊覧は終了し、お次は「無錫珍珠研究所」とかいう施設へ向かう。その名称を見てお分かりだろうが、要するにお土産売りつけコースの一環である(笑)。「珍珠」とは日本で言う「真珠」のことで、太湖でも養殖をやっているのだ。ただし日本での真珠貝とは種類が違うようで(だいたい淡水だし)、ガイドさんの説明によると製法もかなり異なるらしい。僕は以前日本の志摩の真珠養殖を見学したことがあるが、日本では確か貝殻のカケラか何かを真珠貝に含ませ、それを一つの大きな真珠に育てていた。こちらでは別に何も含ませないようで、貝の中に勝手にいくつも出来てしまうものを取るのだという。
 どうやら「研究所」とやらに到着。案の定通された部屋は真珠のアクセサリーがズラッと並んだ販売所である(例によって玉や磁気など関係ない工芸品も売られている)。こっちゃ買う金もないんだから、ここはもう規定時間が過ぎ去るのをひたすら待つ他はない。デカいテーブルに椅子が並べられてお茶が出されてきたので、これ幸いと着席してお茶を頂戴する(ちなみに中国ではウーロン茶にはまず巡り会えない)。

 …その時である。僕は背後に何やら怪しげな気配を感じた。ゆっくりと振り返ると、そこには80歳にはなろうかという白髪でシワクチャだが異様に眼光の鋭いお婆さんが立っていた。老人の多いツアーだがこんな人はいなかったなと思ったが、歩くのもおぼつかなそうな老人には席を譲るもの、思わず席を立とうとした。その途端、その老婆はおもむろに大きな包丁を握り締めてこちらへ突き進んできたのである!

 さて太古の太湖に思いを馳せて、海賊どもの夢から覚めりゃ、いきなり刃が目の前に、というところ。徹夜城の命運やいかに、それは次回で。

次へ進む。ついに中国鉄道初体験!