倭人襲来絵詞・第三日
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☆線路は続くよどこまでも

 包丁を手にこちらへ前進してきた老婆であるが、おもむろにテーブルにトレイを置いた。そこには養殖場から持ってきたばかりと思われる黒っぽい貝(カラス貝か?)が一つ転がっている。くだんの老婆、スッと包丁をその貝の口に挿し込むと、ザクザクザク、アッという間に解剖を終えてしまった。そう、真珠採取の実演だったわけね(^^;)。
 貝の中身が開かれると、そこにはガイドさんから聞いたとおり、いくつもの真珠の粒がこびりついていた。さすがに小さいものばかりだし、形もいびつなものばかりではあったが…。ここでこのお婆さん(なんでもホントに80過ぎだったらしい。なぜこんな老人が実演するのか謎だ)がこれまた流暢な日本語で「日本のと違って一つの貝からいくつも採れる」とアレコレ解説する。その場で採取した真珠はサービスで欲しい人に分けちゃっていたが、僕はというと貝の中身が美味しそうに見えて仕方がなかった(笑)。いや、僕だけでなく男性陣のかなりの人が同じ思いで貝を見ていたような。
 この後はお決まりの買い物タイムである。ツアー参加のオバサンたちが目の色を変えて品定めと値引きに奔走している。外は雨だし、買い物に興味のない僕などはとにかくヒマを持て余すばかり。

 ようやくここの見学が終わると、お次は昼食である。なんでも無錫はスペア・リブ(排骨)が名物なんだそうでガイドブックなんかにもそれが書かれている。昼食にもやはりこれが登場した。確かに美味しかったが、一人一本だけなんだよな(涙)。他の料理を半分ぐらいにしていいから(昼食でも怒濤のようにメニューが運ばれるのである)排骨がもっと欲しかったぞ。

 昼食を食うと今度は「恵山泥人廠」を見学。読んで字の如く、泥まみれの人が働いている工場…ではもちろんない。「泥人」とは粘土で作った人形細工のことだ。何でも400年の伝統(ってことは明代からやってるわけだな)を持つ無錫の特産品なんだそうな。工場に見学に入ると、実際に工員達が人形製作の作業をしていた。粘土の人形と聞くと「焼き物」という先入観があったが、ここの「泥人」は粘土でこしらえた人形を乾燥させるだけで火では焼かない。この「恵山」から採れる粘土は粘りが相当に強く、わざわざ焼いて固める必要もないとのことなのである。工場のあちこちに形だけの人形が置かれて乾燥させられていた。乾燥が済んだ人形は工員達の手によって彩色されていき、最後にはなかなか立派な工芸品として完成する。仕上がりは焼き物と違って光沢が少なく、手作りの暖かみが感じられる。展示されている人形の中には人間国宝クラスの職人が作ったものもあり、確かになかなかの美術品。中国ネタの題材がほとんどだが、中には日本の着物姿の人形や、クリントン大統領の人形といった変わり種まで展示されていた(笑)。

三国志人形 こういう工場見学ってのご多分に漏れずお土産購入タイムがついてくる。工場の一階に売店があり、多種多様な「泥人」が売られていた(お猪口など食器類もある)。そうかさばるものでもないし、気に入った人形があれば買ってみようかな、と僕には珍しく買い物心を起こして物色してみる。すると「三国志」の主要4メンバー(劉備、関羽、張飛、諸葛亮)のセットが30元(日本円換算はだいたい15倍するとよろしい)で売られていたので話のタネに購入してみる。他にも「西遊記」の四人セットなんかもあったが…本音は「水滸伝」関連が欲しかったところ。

 さてこの泥人形工場の見学が終わると、いよいよ無錫を離れて次の目的地・杭州への移動開始だ。蘇州以来のバスとは運転手さんともどもここでお別れ。我々は無錫駅に向かい、そこから列車の旅となる。ふふふ、鉄道ファンの血が騒ぐというものだ!ついに中国鉄道の初体験である。このツアーの僕個人の目玉の一つはこの列車利用の点にあったと言っても良い。全部バスだったら参加しなかったかも知れない(笑)
西子号表示板 無錫駅には発車時間まで余裕で到着。無錫駅は日本の地方大都市の駅と造りのよく似た、なかなかの大型駅だ。外国人の団体専用の通路・待合室を通ってホームに着くと、すでに列車はホームに入っていた。「おおっ!二階建てだ!」と思わず声を上げる。我が地元を走る常磐線の中距離列車にも使用されている二階建て客車が何両も連結されていたのだ。もちろんこちらは自由席ではなく座席指定で、日本で言うところのグリーン車にあたるようである。写真の行き先表示板にあるとおり、この列車は無錫発杭州行き特快「西子号」で、途中停車は蘇州・崑山と上海のみである。いったん上海まで戻るわけで、地図で見るとえらく遠回りをすることになるのだが、それしか鉄道がないのでやむを得ないとのこと。僕が持っている戦時中の倭寇研究本に出ている地図では、蘇州から太湖の東を抜けて杭州へ行く鉄道が確かに書いてあったんだけどなぁ。廃止されたのか?後で現代中国の地図でも調べたが、やっぱりそういう線路は載っていなかった。

 ツアーの取っていた座席はほとんどが二階席。客室に入ってみて驚かされたのが各座席についているシートカバーに全て「康師傅」の広告が入っていることだった。「康師傅」ってのは中国で売ってるインスタントラーメン(日本で言えば「出前一丁」みたいなもんだろう)で、太ったコック姿のオジサンマスコットが目印である。以前中国帰りの先輩に食わせていただいたことがあるが、しかしまぁ列車の中までこんなに広告を出すとは…。
 車内はほとんどがいわゆる向かい合わせのボックス・シート(4人席)だが、二階の端に一人専用の座席がある。連れもいない僕などはそこにドッカと腰を下ろす。車窓を落ち着いて眺めるにはこの方が好都合だとも言えるしね。
 ふと客車の乗降口に目をやると、そこに標語らしき文字が掲げられている。何だろう、と思って読んでみると…

 謙虚使人進歩
 驕傲使人落后


 原文はもちろん簡体字。「謙虚は人を進歩させ、傲慢は人を堕落させる」ってぐらいの訳が適当だろうか。いやぁ良い言葉じゃないですか、肝に銘じておきましょう。しかしまぁ列車の中にまでこんな人生訓を掲げるとは…と思ってよく見るとそこにはこの言葉を言ったお方のお名前が「毛沢東」と書いてあった(!)。うむむむむむむ…(汗)。さすがは主席、よく分かってらっしゃる(爆)。色んな意味で凄い言葉ですね、中国人民は列車に乗るたびにこれを見て自らの戒めとしているのでありましょうか。他にも郭沫若なんかの言葉も掲げられていた。

 さて、列車は定時通り走り出した。さすがにこの辺りの鉄道はほとんど狂い無く時刻表通りに動いている。一緒に乗っていた人の話では、以前はなかなか時間通りに動くものではなかったそうで、さすがにこの辺かなり改善されているのだろう。
 さすがに中国の列車は重量級だ。二十両近くはあるんじゃないかと思われる重い客車群を、一台の、まさに重量級のディーゼル機関車が力強く引っ張ってゆく。この辺りでも鉄道の電化は全く進んでいないようで、ディーゼル機関車に牽かれた列車しか見かけることは出来ない。高速道路やら何やらいろいろと整備が進むこの地方であるが、「電車」なるものを見ることはない。ひょっとすると電力不足とかあるのかな〜などと思ってもみたが、無理に電化を進めるもんでもあるまい。(ちなみにガイドさんは平気で「電車」と言っていた。最近の日本語では線路の上を走ると全て「電車」となるようだが、鉄道ファンとしては許し難いところなんだよな)

 「西子号」は豪快に江南の田園風景の中を突っ走ってゆく。そこはさすがに特急列車、チマチマとした小さな駅にはわき目もふらず吹っ飛ばしてゆく。しかしこうした小さな駅が僕にとっては貴重なのだ。高速道路でもそうだったが、日頃資料や地図で見慣れている土地なんだよね。だからアッという間に通り過ぎる駅でも、動体視力を発揮して瞬時に駅名標を読みとると「あっ!ここかっ!」という騒ぎになる。もちろん僕個人だけの「名所」だから一人で騒いでもしょうがないんだけど。それにしてもこの辺り一帯の町で「倭寇」に縁がなかったところは皆無なんと違うか、ってぐらい知ってる地名が続くもんだ。

 「西子号」はやがて蘇州に到着。ここで新たな乗客(やはり日本人を中心に外国人観光客が目に付く)を乗せて出発する。次の停車駅は崑山である。実は今ちょうど読んでいる資料に、この崑山を舞台とした面白い話を読んでいるところだったので、下車して訪問するわけにはいかないものの、その土地を車窓からじっくりと眺めたいと思っていたのだ。ちょうど停車してくれるようだしね。
 蘇州を出て一時間ぐらいだっただろうか、列車は駅に停車した。事前に聞いていたところによると、ここがその崑山というわけなのだが…辺りに駅名標が無く、確認がとれない。周辺は工場も建ち、地方中規模都市そのまんまといった感じである。キョロキョロとあたりを見渡しているうちに発車時刻になってしまった(日本のように「発車します」などというアナウンスは無かったような気がする)。せめて崑山を通ったという証拠の写真が撮りたいな〜と思ったのだが、なかなかその証拠物件になるものが目に入ってこない。
崑山駅名標 とうとう列車が走り出し、ついに観念しかけた時である。列車の進行方向に駅名標が立っているのを遂に発見!あわてて使い捨てカメラを取り出し(これしか用意していないのだ)、ファインダーを覗くヒマもなく、前を通り過ぎながら勘でレンズをそちらにむけてシャッターを切った。その結果がこの写真。ここに載せたのはちょっとネット用に圧縮しているので画質は落ちてるが、オリジナルはけっこう綺麗に撮れていたんですぜ、適当にシャッターを切った割には。

 この崑山は今見るとどうということはない、普通の中規模都市である。しかし僕はやはり感慨に耽らずにはいられなかった。先ほど書いたようにちょうど今執筆中の論文のために読んでいる資料に、この崑山で起こった事件が詳細に記されているのだ。この事件にはこれといって大物の人物も登場しないが、「嘉靖大倭寇」を語る上で注目されなければならない現象が起こっている(と、少なくとも僕は考える)。それは… 

 さてついに乗ったぜ中国鉄道、列車は大地を駆け抜けて、心は時間を駆け抜ける、というところ。この土地でいったい何が起きたのか。読みたい方は次回を読んでね。

次へ進む。列車は歴史の町・杭州へ!