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◆今週の記事
◆日本初の女性首相
いや〜〜ずいぶん長いことサボってしまいました。前回の更新が恒例四月バカでしたから、半年以上が経っちゃってますね。この間に毎年恒例の贋作サミットもなんとかやろうとしたんだけど果たせず…まぁ更新してなくてもアクセスに大した変動がないということも確認しちゃったが。
これだけ長期書けなかったのは公私もとに…というのは大袈裟ながら、いろいろと結構忙しい状況になったから。毎日疲れちゃって物書きをする精神的余裕がなくなっちゃったのだ。広大な我がサイトのあちこちで見られるように、一度筆を止めると再会するのはなかなか難しいのである。この間にローマ教皇が代替わりしたり、イスラエルのガザ攻撃がいつまでも続いてようやく終わるらしい状況になったり、ミスタープロ野球と呼ばれた長嶋茂雄が亡くなったり、あのアポロ13号で奇跡の生還を果たしたジム=ラヴェルが亡くなるなど、書きたいネタは結構あったのだけどズルズルと書けないままだった。
そして秋に入り、毎年恒例のように日本の首相も変わった、それも史上初の女性首相。近隣の韓国や台湾には遅れたが、アメリカよりは早かった。我が国の歴史で女性が最高権力者になった例としては卑弥呼、神功皇后(卑弥呼と同一人かもしれんが)、古代の女帝たち、そのあとは「尼将軍」北条政子くらいかなぁ。
ということで、この件などを機にリハビリ気分で書き始めてみた。アップ予定より二週間も遅れてしまったことも付記しておく。
昨年10月1日に発足した石破茂内閣は、直後の衆院選、今年7月の参院選で敗北を重ね、石破さんがもともと党内の非主流派だったこともあって党内で「石破おろし」の動きが8月に本格化していた。一度は読売新聞が「首相退陣決意」とトバし記事を出し、直後に石破首相本人が続投姿勢を示したため「誤報」ということになったのだが、結局9月に入って党内の「おろし」の勢いに抗しきれずに実際に退陣表明となった。
これを受けて自民党総裁選が前倒しで行われ、有力候補が先の総裁選で石破氏に敗れた高市早苗元総務相、昨年「令和の米騒動」で名を売る形になった小泉進次郎農水相の二人となり、一時小泉優勢の憶測もあったがフタを開けてみれば一応順当に高市さんが勝利、ちょうど結党70周年を迎える自民党史上初の女性総裁の椅子に座り、そのまま日本史上初の女性首相になることが確実視された。
ところが、である。その直後に大きな波乱が起こった。1996年以来実に四半世紀近くも続いた自民党との連立・協力関係を解消すると言い出したので日本政界は騒然となった。
公明党は表向きはともかくとして、日蓮正宗系宗教団体「創価学会」を支持母体とする「宗教政党」だ。出だしのころは自民党から政教分離問題でにらまれたりもしたが、田中角栄の日中国交回復に一役買ったこともあり、「中道」と称して野党ながら自民党と微妙な距離をとってきた歴史がある。いわゆる55年体制が崩れて1991年に非自民連立政権が成立した際にはこれに参加、その流れを汲む巨大政党「新進党」に合流したこともあったが、そちらが空中分解すると自民党に接近、1996年に小渕恵三内閣の時に正式に自民党と連立政権を作って、以後つい先日まで国土交通大臣のポストは常に公明党議員が占め続けてきた。
自民党だけでは国会の議席が過半数にいかないから数を補うために他党と連立を組む、この形は55年体制崩壊後、1990年代からかれこれ30年ばかり常態化していた。その中でも自公連立は相思相愛は言い過ぎにしても密接な関係を長いこと続けてきた。勢力としては自民党の方が圧倒的に大きいし、あの郵政解散などいくつかの選挙で自民党が単独で大勝しても公明党との関係は持続してきた。福田康夫じゃ選挙に勝てないってんで引きずりおろし、勝てそうな麻生太郎に交替させた(実際の結果は自公の下野だったが)のは公明党の意向が大きかったとも言われ、実質自民党内の有力派閥と見なしてもいいぐらいの存在感があった。一度は自民と一緒に下野しても見はなしたりはせず、一緒に政権を奪回、カラー的に合わない気もした第二次安倍晋三政権の安保法制整備になんだかんだいいつつ協力もした。これまでこの党は国政でも地方政治でもとにかく与党側にいて身の安泰をはかる、という強烈な自己保存本能を感じてきたものだ。
それが高市さんが自民総裁になった途端に連立離脱…というから驚いたのだ。そりゃまぁ高市さんはこれまで安倍ガールズ筆頭という印象で保守的・タカ派的傾向があるとされてきたが、それが理由で今更離脱、というのもピンとこない。このところの選挙で自公に不利に働いた旧安倍派に多い裏金問題政治家を起用したことに腹を立てて、との見方もあるけどそれもどうかなぁ、と。公明党離脱のあと、結局日本維新の会が自民と閣外協力で連立を組むことになったのだが、以前から自民の中で維新に秋波を送る動きはあったので、高市総裁決定時にその流れは水面下で決まっていて、それなら先に離脱してやる、ってことだった…と推理もしてみるのだが。
かつて公明党は支持母体の創価学会との関係で政教一致と批判され、自民党が公明党を黙らせるために「池田大作の国会喚問」で脅してきた歴史もある。その池田大作も一昨年死んじゃったから喚問される心配もないから軽々と離脱した…なんてことはないだろうな(笑)。安保法制強力の際は創価学会の一部から党への強い批判もあったというから、そんなことも影響したかもしれない。
ともかく、公明党が連立離脱したため、自民党の総裁=総理大臣とはいかなくなる可能性が一時出た。自民以外の政党(まぁ共産党は仲間に入れてもらえないが)が手を組めば、非自民の首相をいただく政権が生まれる、つまり十数年に一度しかない政権交代が実現する可能性が出てきたのだ。その構想で首相の最有力候補は国民民主党の玉木雄一郎代表ということになって、当人もその覚悟はあると発言もしたが、まぁ当初からそう見られていたように、短い夢で終わった。
すでに自民から声がかかっていたと思われる日本維新の会が野党側の連立協議から離脱、そのまま自民と「閣外協力」という一歩引いた形での連立となった。大臣を出さない閣外協力としたあたり、維新も過去に自民党と組んで吸収あるいは自滅していった政党の轍を踏むまいとしているようでもある。連立にあたっての政策合意のなかに「国会議員定数の削減」があったが、今のところ自民側もそう簡単には飲めない様子で、一応来年以降に先送りされそうではある。しかし「議員定数削減」って「無駄を省けていい」みたいな調子で賛成しちゃう人も少なくないのだが、国会議員ってさまざまな意見をもつ国民の代表であって、効率がいいからとその数を減らすのって民主主義的にかなりアブナイ。これ言い出すと究極の所「一人でいいやん」ってことになっちゃうし、そこまでいかなくtも世襲議員ばかりの貴族院化がいっそう晋可能性だって高い。少数精鋭ならぬ少数ボンクラ国会になっちゃうことも十分ありうる。
維新って大阪を中心に関西ではかなりの強さだが、全国レベルではいまいちパッとせず、公明党みたいに他の政党にまで票を回すほどの選挙強さはない。また一発屋というか一旗あげてやれ的な人が多いせいか、これまで政治的・個人的スキャンダルを起こす人が高確率で出る政党でもある。僕の地元の維新参院議員も秘書給与詐取でつい先日党除名、議員辞職、在宅起訴になってるし、維新の国会議員としてのトップである横田代表にも疑惑が報じられて騒ぎになっている。
まぁそもそも僕は幕末維新関連の名前を借りてイメージ作りをする政治家ってのは基本的に信用してない。
10月21日に国会で指名を受け、天皇から史上初の女性総理大臣に任命された高市氏。前述のように安倍晋三元首相の側近的存在で保守的傾向の強い女性政治家たち、俗にいう安倍ガールズの一人として頭角をあらわし、安倍氏死去後は保守業界のホープとして首相候補としてもてはやされるようになった(「安倍ガールズ」のうち総理の座を意識して保守色をトーンダウンして失速した人もいたな)、男尊女卑傾向が強い気もする保守(それもかなり右寄りの)界隈で総理に熱望されてたんだから、この界隈でもさすがに女性蔑視傾向はなくなったのかもしれない。
高市首相の誕生で選択的夫婦別姓の実現は一気に遠のいた、なんて記事もみかけたが、高市さんって、以前は戸籍は夫の姓に合わせながらも国会議員としては旧姓「高市」を名乗るという(国会議員はペンネーム、芸名でも構わない)実は「選択的別姓」みたいなことをしていたお方でもある(現在は夫の方が高市姓にしている)。
就任直後に来日したトランプ米大統領と会談、続けてAPECで韓国・中国ともトップ会談を行い、まずまずうまくこなして両国から「タカ派」イメージへの懸念を払拭したようにも見えた(「韓国のり大好き」発言とか、この外交日程を理由に靖国神社例大祭行きをやめたのも何気にポイントだったかと)。イタリアのメローニ首相も今のところそうだが、極右政治家と言われながらも実際に国のトップになってしまうと現実的に動かざるをえない、ってことはあるのかな、とも思った。初の女性首相というインパクトもあり、外交的成果もあって世論調査は軒並み7〜80%台という驚きの高い内閣支持率を叩き出したのには、本音の所首を傾げたけど。
そこでわかに浮上してきたのが近日中の解散総選挙説。人気の高いうちに解散し、選挙で現在の少数与党状態を解消しようという目論見だ。高市首相自身は「考えてない」と発言してるが、解散について「考えてない」と言うのは定番でアテにならない。ただ、内閣支持率とは別に自民党の支持率はあがってないとのデータも出ていて、解散して勝てるとは限らない。また、これまで長いこと選挙協力してきた公明党との縁が切れ、創価学会の動員票(別に学会員でなくても友人知人に働きかける票がかなりあると言われる)が自民党に流れてこないことが特に都市部でどう影響するのか。創価学会も高齢化が進んで以前ほどの動員力はないとも言われるけど…
しかし11月に入ってからの臨時国会では「地」が出てきてしまったということか、「台湾有事は日本の存立危機事態になりうる」と発言して中国を怒らせたし、非核三原則のうち、特に「持ち込ませず」について改変を検討する姿勢も見せている。ただこの前後のトランプ大統領の発言を見ていると(まぁ自国の損得で徹底してるからな)、少なくとも彼のアメリカでは後ろ盾としては心もとないよなぁ。
◆ルーブルで泥棒を
ニュースを聞いてまず思ったのが、昔のオシャレな、オードリー=ヘップバーンとか出てそうな映画みたいなタイトルで(笑)。
フランスはパリにあり、世界的観光地として知られるルーブル美術館が、去る10月19日に泥棒に入られた。それもよくある夜中にこっそりではなく、開館間もない午前9時半ごろ、昇降リフトつきの作業車で美術館に乗りつけて作業員風のベストを着た四人組が車の昇降機を使って二階にあがり、窓を切断して「アポロン・ギャラリー」という展示室に押し入り、そこに展示されていた19世紀のフランス王室(皇室)ゆかりの歴史的装飾品のうち9点を盗み出した。そしてスクーターで逃走、この間わずか7分間。作業員風の外見から、観光客や警備員の目をひかなかったようでもある。まぁさすが怪盗ルパンのお国…などと思ってしまったのは僕だけではあるまい。
具体的に何が盗まれたのか調べてみると、あのナポレオン1世の皇后(ハプスブルグから招いた二人目の妻)マリー=ルイーズが身に着けたネックレスとイヤリング、七月王政の国王ルイ・フィリップの妃・マリー=アメリのネックレス・イヤリング・王冠、第二帝政ナポレオン3世の皇后ウージェニーが身に着けたブローチ・ティアラ、そしてナポレオン1世の最初の妻・ジョゼフィーヌの娘(連れ子)でオランダ王妃となったオルタンス=ボーアルネの装飾品、いずれも写真で確認したが物凄い数のダイヤモンドやサファイヤ、エメラルドで飾り立てられた豪華きわまるものだ。今並べたかつての所有者たちの名前だけでもフランスの歴史上の大物ばかり、その宝石の一部はフランス革命で刑死したマリー=アントワネットの所有物から抜き取ったものだそうで、ますます歴史的価値を感じてしまう。
なお、盗難にあった品は全部で9点と報じられ、間もなく8点と訂正された。犯人たちは逃走中にウージェニー皇后の宝冠を現場近くに落としていったためだ。
歴史的価値と美術的価値とがある逸品ばかりで、フランスの内務相も「価値ははかりしれない」と言っている。それこそアルセーヌ=ルパンが好みそうなお宝ではある。
雑学になるが、フィクションの人物であるルパンは、ルーブル美術館最大の所蔵品である、レオナルド=ダヴィンチの「モナリザ(ジョコンダ)」を盗み出し、ルーブルには自ら作った精巧な偽物とすり替えたことになっている。そのことが書かれた小説が発表された三年後、1911年にルーブルから「モナリザ」が本当に盗まれてしまう、という大事件が起きている。もちろん大騒ぎになり、ルパンシリーズの作者モーリス=ルブランはこの事件について「ルパンの友人」(という設定に小説ではなっている)の立場でマスコミにコメントを求められたりしている(笑)。
この「モナリザ盗難事件」では、詩人のアポリネールや、その友人の画家ピカソが容疑者として一時逮捕されたことでも知られている。犯人はイタリアの青年で、イタリア国内まで「モナリザ」を持ち込み、売り飛ばそうとしたところで逮捕され、「モナリザ」は無事ルーブルに戻っている。ただ犯人自身は「モナリザは本来イタリアのもの。取り返しただけだ」と主張したため、当時のヨーロッパの「愛国者称揚」のムードもあって軽い刑で済まされてしまった(「愛国無罪」ってやつですな)。
「モナリザ」といえば最近では環境テロリストの標的にされて、いろいろ投げつけられてしまっているが、さすがに防弾ガラスでしっかりと防備されている。だから盗難の心配もそれほどないのだけど、今回の犯人グループはそうした美術品ではなく、ハナから王族たちの豪華宝飾品をターゲットにしていた。有名美術品だとこっそり売却も難しいし、運搬や隠し場所でも苦労する。一方で宝飾品のたぐいはその歴史的価値などは無視して宝石をバラバラにはがしとってしまえば、運ぶにも隠すにも売るにも好都合だ。このため、フランスでは盗まれた豪華宝飾品の数々が無事に戻ってくる可能性はかなり低いと、直後には見ていたようだ。まぁ百年前のモナリザ盗難時もあきらめムードだったらしいが。
だが思ったよりも早く、容疑者が次々と捕まっている。もちろん、それこそピカソたちの例もあるから真犯人とはまだ断定できないのだろうけど、この文章を書いている時点で犯人グループと見られる合計7人が逮捕されている。しかし盗まれた品々の行方については今のところ音沙汰なしだ。
イヤな話になるが、一部でルーブル内部に協力者がいたのでは、との憶測も出ている。犯人グループのあまりの素早い犯行ぶりと、監視カメラの位置を知って避けて動いているらしき様子からそんな推理も出ているわけだが、そもそも最近ルーブル美術館は国からの補助が削られて、あんなに有名なところでも経営難になっており(そういや大英博物館でも同じ話があったな)、警備の予算も削られているために「これでは十分な警備ができない」と従業員たちのストライキが起こったりもしていた。そういう疑いを抱くのも嫌なんだが、今度の盗難事件がちょうどそうした懸念を現実に見せつける形になっているので、誰か内部の協力が…という考えが浮かんでしまうところではある。
ところで、犯行に使われた例の昇降機つきの車両、ドイツのメーカーの製品だそうで、事件の直後に、ルーブルの現場にそれが置かれている写真を広告に掲載して「迅速に動けます」としっかり宣伝に使っていたという話には笑ってしまった。
◆アダムが耕しイブが紡ぎしとき…
このタイトルで何のことかすぐ分かる人は、そこそこ世界史マニアだろう。イギリスで起こった農民反乱「ワット・タイラーの乱」の際に指導者のジョン=ポールが言ったとされるスローガン…なんだけど、いま調べてみると正確には「王」ではなく「ジェントリ」つまり貴族など支配階級を指す単語が入るのだそうな。だが日本では長いこと「誰が王であったか」と紹介するのが一般的で、いしいひさいちのギャグでも夫婦間の暗号に使われていたのを覚えている(笑)。
ま、とにかく、先日全米で大規模に行われた反トランプデモで「No KINGS!」(王はいらぬ)というスローガンが目立っていて、上記の言葉を連想しちゃったわけだ。そういや王貞治さん、文化勲章を受賞されましたね。
アメリカ大統領はもちろん国民の選挙で選ばれるものだが、その権力・影響力の大きさから実質的な「世界の王」であることは間違いないだろう(ああ、王さんもよくそう呼ばれてたな)。しかしそれでも権力に各種制限はかけられていて、そうやりたい放題にできるわけではない…
と思っていたのだが、二期目に入ったトランプ大統領の「王様」っぷりには、「史点」更新が止まっていたこの長い間、ほとほと呆れかえっていた。「王」といっても完全に「暴君」と呼ぶべきだろう。
二期目就任直後から、トランプ政権は選挙勝利に貢献したテスラ会長イーロン=マスクを事実上の閣僚にして「効率化省」を率いさせ、途上国への支援など自分たちが気に入らない役所を破壊、役人も大量に解雇した。大学の自治などお構いなしで、逆らうような大学には補助金を質にとって脅迫、パレスチナ問題で大学生がイスラエル批判のデモをしようものなら「反ユダヤ活動」とレッテルを貼って弾圧、スミソニアン博物館などの歴史展示にも文句をつけて黒人差別な先住民迫害などアメリカの歴史の暗部に触れるような展示をひっこめさせようとまでしている。最近の流れで先住民の呼称「デナリ」に変えられていた北米最高峰を「マッキンリー」に戻すなんてこともしている。
総じてアメリカの白人保守層が好む歴史観、世界観をベースに持論を展開することが多く、南アフリカで白人が逆差別されてるとしてこうした「難民」だけは受け入れる姿勢を示したり、最近ではナイジェリアでキリスト教徒が迫害されているとして軍事的「懲罰」までちらつかせた。麻薬問題を理由に(これはこれで深刻な話ではあるが)ベネズエラ船舶を攻撃したり、メキシコへの越境攻撃すらほのめかす昨今だ。
そういや首都ワシントンでの大々的な軍事パレードなんて、それこそ独裁国家みたいなマネをしてたよなぁ。
アメリカ大統領って、そんな権限まであったか?と僕も首をかしげてしまう話が続いているのだが、国際的に大問題となったのは世界中の国にふっかけた「相互関税」だ。「アメリカは世界中からたかられてきた」と言わんばかりの被害者意識から、それもアメリカというより彼個人の好き嫌いで国ごとの関税率を決めちゃってるようでもある。インドの場合はロシアから石油を買ってるから、カナダの場合はその一州がトランプ関税批判尾CMを打ったから、ブラジルの場合は前任者がお好きで現職大統領が嫌いだから、といった調子で50%もの高い関税をふっかけた。ホントに「ケンカを売ってヒンシュクを買う」という貿易政策だが、あと三年はトランプが大統領であり続けるわけで、各国とも一応アメリカと交渉していくらかまけてもらったりもしているが、関税って実際にはアメリカの輸入業者が納めるもので別にアメリカ政府が各国からむしりとっているわけではないのだが、どうもトランプさんはそう理解しているらしく、その関税で集まったカネを国民にバラまくといった構想も出している。輸入品の価格に上乗せされたものを徴収するのだから消費税みたいなものでもあるが。
外交面では、驚いたことにノーベル平和賞を本気でとるつもりのようで、ちょうど起こったタイとカンボジアの国境紛争の和平を仲介し、延々と続いているイスラエルとハマスの紛争(というよりほぼイスラエルの一方的攻撃になってるが)にも首を突っ込んで一応の和平合意に持ち込んではいる。ただトランプ大統領は基本的にイスラエル寄りで(まぁアメリカ政権は代々そうだが)、戦後のガザ地区については住民を一時的にせよ全員移住させてリゾート地化するとか、不動産富豪らしい構想を能天気にブチあげたこともあった。
タイとカンボジアの和平もいったんは成立したが、またチョコチョコと紛争再燃の動きもあり、それに対して「関税率を上げるぞ」と脅してためさせようとしているのには、さすがに苦笑もしてしまった。
普通に考えればトランプ大統領が平和賞を贈られるとは思えないが、日本の高市早苗首相をはじめ、トランプ氏をノーベル平和賞に推薦すると言った首脳はいくらかいる。まぁああいうタイプは怒ららせちゃいけない、どうせ受賞なんかないからおべっかをつかっておこう、というあたりなんだろう。
お隣韓国でも同じ考えなのか、日本に続いて訪問した際に韓国の李在明(イ=ジェミン)大統領は新羅時代の王冠のレプリカをプレゼントしてご機嫌をとった。まさに「王様」扱いしておべっかを使ったわけだが、もしかしてレプリカの王冠を贈ることで「レプリカの王様」と暗にからかった…なんてことはないだろうなぁ。
よくそれで平和賞を狙うよな、ともう一つ思ったのが、国防総省を「戦争省」と改名させたことだ。ま、国防などと言いつつ侵略するパターンはよくあることだから、正直になっていいのかもしれないが、「戦争しよう」なんて名前じゃ平和賞には程遠くなるよなぁ。この改名後、日本のマスコミも一時そろって「戦争省」と表記していた気もしたが、今はすっかり「国防総省」に戻っている。
その「戦争省」に、トランプ大統領が「核兵器実験の実施を指示した」といきなり表明して、さすがに驚いた。APECに出かけて中国と首脳会談する直前だったので、中国に対する牽制なのかとも思ったが、直前にロシアで原子力魚雷「ポセイドン」の実験が成功したので、それに反応したとも言われている。いずれにせよ他国がやってるからウチもやる、という調子の発言で、その「核兵器の実験」というのが未臨界核実験なのか爆発を伴うものなのか、本人は明言を避け続けている。仮に爆発を伴うものだとすると1990年代以来アメリカを含めた国連常任理事国の核保有五大国では行われていないものをアメリカ自ら破ることになるから重大事だ。ロシアのプーチン大統領も「そっちがやるなら応じるぞ」という態度だが、今のところ爆発を伴う核実験ではなさそうな気配。ただ、核実験を実施するのは国防総省(戦争省)ではなくエネルギー省であることもトランプさん知らなかったんじゃないかとも言われていて、そのエネルギー省の長官自身は「爆発を伴うものは困難」とマスコミに語っている。
これだけあれこれやっててまだ再選から一年しか経ってないのかよ、と思うほど、悪い意味で歴史的成果を挙げ続けてしまっているトランプさんだが、さすがに支持率も最低を更新し続け、支えていた「MAGA」信奉者たち(ともすれば陰謀論者レベルの者も多い)との軋轢も始まっていると言われている。そんな中でニューヨーク市長に急進左派のイスラム教徒のアフリカ系移民というトランプ的なものとは対極のっ人物が当選、来年の中間選挙に向けて共和党でも不安が広がっているとも言われる。もっともあの調子じゃ、トランプさん、中間選挙で不利な結果でも出た日には「不正選挙」呼ばわりして無効にするとか無茶をしかねない。2020年の大統領選の敗北だってギリギリまでひっくり返そうと画策し、議会襲撃事件だって事実上扇動したようなものなんだから。
世界中で「❍❍ファースト」だの排外的かつ反知性、排外的な政治風潮が流行ってるのも明らかにトランプの影響だし、こんな政権があと最低3年もこの調子でやってしまうと、いろいろとんでもないことになりそうな気がして、さっさと自滅してくれないかなと思うこの頃だ。なお、僕はかねてより日本国内のトランプ信奉陰謀論者たちをウォッチし続けているが、不思議なことに彼らはトランプの「革命」によってアメリカが初めて「共和国」になるという謎の主張をしていて(元ネタはアメリカ本土の陰謀論者だろうが)、じゃあ今までは王制だったの?とツッコんでしまうところ。彼らが妄想するトランプ体制ってのは見事なまでに王制的なんだけどなぁ。
◆一世紀を生きた元首相
歴代首相のなかで、存命の最長老…として知られ、昨年についに百歳に到達していた村山富市元首相が10月17日についに亡くなった。101歳という長命は、敗戦直後の首相・東久迩稔彦に次ぐ首相経験者で第二位の記録であり、最後の大正時代生まれの首相経験者でもある。
村山元首相は1924年(大正13)3月に、大分県大分市の漁師の家に生まれている。14歳の時に父を失い、苦学して東京に出て、昼は働き夜に通学するといった苦労を経て1943年に明治大学政経学部に入学。サークルは哲学研究会に入っていた(私事だが、僕の両親も明治大の同サークルにいて、村山さんのはるか後輩である)。しかし時代は太平洋戦争の真っ最中、工場への学徒動員はもちろん、文系学生ということで学徒出陣で在学中に徴兵もされた。戦場経験はしなかったが、敗戦時は軍曹になっていた。
戦後は地元大分で漁協を作ったり、市職員の労働組合に参加、その流れで日本社会党に入り1955年に大分市議に初当選、以後、大分県議を経て1972年に衆議院議員となって国政に関わるようになり、選挙での強さから社会党の幹部へとよじ登っていった。特に国対委員長をつとめた際に自民党ほか他党の国対と顔を合わせていたことが、その後の流れにつなげたようだ、
1991年に非自民・非共産の細川護熙連立政権が誕生、いわゆる「55年体制」が終了した。この時に村山氏はついに社会党のトップ、委員長の座についたのだが、1994年4月、羽田孜内閣の時に小沢一郎らにより露骨な「社会党外し」が行われ、村山氏はこれに激怒して社会党は連立から離脱した。この時の村山氏が血相を変えて部屋を出ていく映像は今でもよく覚えている。
連立を離脱した村山社会党に、野党に転落した自民党総裁の河野洋平、新党「さきがけ」の党首である武村正義が接近、数では自民の方が多いものの、あえて社会党の村山氏を総理大臣とする「自社さ連立政権」を作ることで合意する。これに対し、小沢一郎側は自民党内で村山擁立に反対していた海部俊樹元を担ぎ出し、19946月29日に衆議院で首班指名投票が行われた。どちらも過半数に達せず決選投票が行われて村山富市が第81代内閣総理大臣に指名された。
この急展開は、ホントにまさか、と思うほど(だいたい55年体制の長い仇敵である自民と社会が手を組んだのだ)、僕はたまたまこの時、大学の飲み会で終電を逃して翌6月30日に朝帰りしたため、この歴史的瞬間を見逃したのだが(笑)、朝の駅のキオスクでスポーツ紙一面に「村山」とデカ見出しが躍っているのを目にして「ん?阪神の村山実元監督が何かしたか?」などと思い、間もなく村山さんが首相になっちゃったと分かってかなり仰天したものだ。
そんなこんなで発足した村山自社さ連立政権。社会党の党首が総理大臣になったのは戦後間もない時期の片山哲以来で、海外では「社会主義者が日本の首相に!」と驚きをもって報じられていた記憶がある。だが「社会主義者」といっても、当時すでに冷戦のイデオロギー対立構造は終焉しており、だからこそ自民と社会が連立できちゃったわけで、しかも村山首相はそれまで社会党では憲法違反との声も多かった自衛隊の存在を明確に公認するなど、現実路線への方向転換も見せていた。そしてそれは日本社会党そのものが崩れ去っていく流れも作ってしまった(一応その後継として現在も社民党が細々と残ってはいるけど、つい先日ついに衆議院では議席ゼロとなった)。
村山政権はおよそ1年半ほどしか続かなかった…と言っても、最近の例を見ても分かるように日本の首相なんて1年も続けた「普通」レベルである。
この期間、特に1995年は日本現代史の記憶に残る年となった。1995年1月17日に阪神淡路大震災が発生。そして3月20日にはオウム真理教による「地下鉄サリン事件」が発生し、いずれも日本のみならず世界を震撼させた。それらへの政権の対応についてはあれこれ議論もされてるが、とにかく日本史上でもまれにみる出来事に二つも遭遇してしまったという点で、村山政権は記憶に残るものとなった。
そしてさらに。
1995年は第二次世界大戦終結、すなわち日本の敗戦からちょうど半世紀の節目に当たっていた、村山首相はこの点についてはそれまでの自民党政権では踏み込みにくかったところへ踏み込み、先の大戦への率直な反省と侵略された国々への謝罪の姿勢、今後決して戦争の愚行を繰り返さないことを内外にアピールした。国会における「不戦決議」と、8月15日に出されたいわゆる「村山談話」がそれで、ここでは社会党の党首らしさを示したのは確かだ(もちろん一部でブツブツ言いながらも自民党だって賛同している)。
この「村山談話」、発表した当時でもそこそこに注目はされていたと思うけど、その存在感はむしろ年を追うごとに強まっていった印象がある。保守・右派系の政治家で何かとこれを撤回、あるいは新たな「談話」で打ち消そうとする声もあったが、その後十年おきに出された小泉・安倍両首相の戦後談話は基本的に「村山談話」をベースにして踏襲そており(安倍談話は微妙に逃げを打ってるとは言われたが)、ほぼ完全に日本政府の先の大戦に対する公式見解として後世への「縛り」となった。この点に関しては村山富市という首相は歴代総理のなかでも重大な遺産を残した人だったといえる。
それから三十年の時が流れ、百歳を超える長寿を村山元首相は全うして世を去った。ちょうど戦後80周年にあたる年ということで、石破茂前首相も「戦後80年談話」の発表を目指したが、これは彼の政権が末期で混沌としていたこともあり結局お流れとなった。
その代わり、8月15日の戦没者追悼式典の追悼文の中で「反省」という言葉を復活させ、さらに退陣も迫った10月10日に「戦後80年によせて」と題する「所感」を発表した。この「所感」は「こんなことを感じてます」ってなもので「談話」に比べると軽い扱いになるが、石破さんとしては結構気合を入れた内容だな、というのが僕の「所感」。
この所感で注目されるのは、日本が先の大戦について語るときに、なぜか忘れがちな「なんで戦争になっちゃったのか」というところを重視してるのがポイントだ。日本の戦争映画を評して「戦争と天災の区別がついてない」という批評が過去からあり、それがまさに戦争勃発に至る経緯、日本人がどうしてあんな正気とは思えない戦争の泥沼へ突っ込んでいったのかという問題に、これまで正面から向き合うことが少なかったのは確か。まぁここ二十年くらいでようやくその問題への注目は出てきて、学者の研究やそれに基づいたドキュメンタリー、ドラマ、映画なども目につくようにはなっている。『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』というズバリの著作を出した加藤陽子教授が日本学術会議会員に推薦されながら当時の菅義偉政権によって外されたのも、この手の問題に触れたくない政治家がまだまだ多いということでもある。
石破前首相の「所感」では、「大日本帝国憲法の問題」「政治の問題」「メディアの問題」…といったように、戦争を回避できなかった原因を各分野について挙げている。憲法や政治の問題でいえば軍部が「統帥権」を握って政府の介入を許さず暴走する結果になったのは、当時の二大政党が統帥権問題を政略の具にしたことに原因があったことに触れている。また今年の終戦関連ドラマの素材にもなった、太平洋戦争直前に若手官僚らが戦争のシミュレーションを行い、ほぼその後の展開通りの必敗予想を出していた「総力戦研究所」のことにも触れ(報道によると小泉純一郎元首相の提案であったらしい)、それでも戦争へと突き進んだ為政者の責任を問うてもいる。
また、政治だけでなく当時の新聞などメディアの罪についても言及した。戦争が起こると新聞は売れる。、満州事変以後の、冷静な判断よりも熱狂が世を覆ってしまい、あとから見れば大失敗だった数々の政治・外交・軍事の決定にメディアが後押ししたことに触れていた。これも目新しいというわけでもないが首相の「所感」としてはっきり出るのは重要。もちろんメディアが煽ったというだけでなく、国民の方もそういう「気分」が多分にあったわけで、石破さんはそうした偏狭なナショナリズム、排外主義、ポピュリズムにも「そんな昔の話ではない」と警鐘を鳴らしている。確かに、最近その手の「気分」がより具体的に姿を現している感はあって、僕もこれは大事な詩的だと思う。
それと、日中戦争の泥沼時に議会で軍を批判する演説、いわゆる「反軍演説」を行って軍部の怒りをかった斉藤隆夫衆議院議員の件に触れているのも注目点だ。石破さんとしてはもっと触れたかったのかもしれないが、割と簡潔。斉藤隆夫議員は国家総動員法にも反対していたが、この「反軍演説」は決して反戦平和の主張をしたわけではなく、人類の歴史は戦争の歴史、と明言した上で戦争をするならちゃんと計画的かつ精神論に逃げずにやれ、「聖戦」の美名に隠れて国を誤らせるな、としごくリ現実的なことを言って当時の政府と軍部を批判した。またそれが余計に怒りを買ったのだろうが、当時の国会は軍部に同調し、彼の演説の多くを国会の議事録から削除したあげくに圧倒的多数の賛成で斎藤の議員除名処分を決定した。この演説の議事録からの削除部分について「復活」を石破さんは提案していたが、今のところ実現はしてないみたい。
この斉藤隆夫、それでも「翼賛選挙」の妨害にも負けずに次の衆院選でトップ当選を果たしており、彼の主張にひそかに同調する国民が少なくなかったことも分かる。こうした非翼賛候補への妨害工作を敗戦間際に「違法」と判決を下した例もあるし(NHKで「気骨の判決」というドラマになった)、冷静に判断し行動する人は少ないながらもいた。そうした人たちが排除・迫害されたり覆い隠されたりする当時の時代の空気ってのは、いつまた復活するか分かったものではなく、常に警戒しておく必要がある。
歴史に無知な政治家が多い、ってのは今に始まったことではない。この「石破所感」はそれほど注目されてはいないし、内容に目新しい話があるわけではないのだが、この程度の「歴史的常識」くらいは政治家の多くにわきまえてもらいたい、という意味でも出しておくのは大切なことだったと思う。村山談話から30年、その村山さんがこの世を去る直前にこの「所感」が出たというのも巡り合わせ。何十年か後にこうした歴史的文書が「あの時、そんなことを言ってたのに」なんて形で評価されたりしなきゃいいんだが。
2025/11/19の記事
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