ニュースな
2000年1月16日

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 ◆今週の記事

◆チベット少年をめぐる騒動

 先週も話題にしたけど、今週も次々と続報がでていたなぁ、この騒動は。しかし「続報」ばかりが出るものの、具体的な話がなかなか出てこず、真相がまだまだ藪の中状態であるところが、この事件の不思議な特徴だ。逃げられた中国、逃げてこられてしまったインド、逃げられたチベット現地、逃げ込まれたチベット亡命政府…といった主に4者の思惑が入り乱れ、水面下でさまざまな交渉を現在やっているようである。思惑はそれぞれのようだが、どうもどの勢力も「事を荒立てたくない」というのが本音のようだ。だからこそなかなか具体的な話が出ず、奥歯に物がはさまったような物言いが多いのだろう。

 昨年末にチベット仏教カギュー派の活仏カルマパ17世(前回15歳と書いたが14歳が正しいらしい)がヒマラヤを越えインドへと入国した。普通に考えれば中国からの「脱出」であり、中国が「分裂主義者」と目の敵にしているダライ=ラマ14世とも会見したことからも、かなり政治的意図による亡命ではないかと思われた。だからただちに大体的に会見でも行って中国批判をするんじゃないかと予想されたのだが、これまでのところ会見もほとんどなく(あるにはあったが大したことは言ってなかった)、おまけに現時点まで正式の「亡命表明」すら行っていない。非公式にインド政府に要求しているって話もあるが、どーもインド側が迷惑がっているらしく、ウヤムヤ状態が続いている。正直なところインドも中国と関係を改善しつつあるところであり、妙に中国を刺激するようなマネを避けたいという意図があるのだろう。

 それを知ってか知らずか、今度の事件発覚後の中国の対応も驚くほど冷静だ。国内のマスコミにはあまりこの事件について流していないようだが、外国メディアや自国の英字紙には「カルマパ国外脱出」を正式に認めている。ただしカルマパの「置き手紙」が存在していると主張し、これはあくまで「亡命」ではなく、歴代カルマパが所有している「黒帽」をインドへ取りに行ったのだと言っているわけだが。カルマパ君がダライ=ラマに会った時点で激怒モンだと思ったのだが、不思議なほど静かな姿勢を続けている。あくまでインドがどう出るか待っている形らしい。

 この両者の狭間で微妙な動きをしているのがダライ=ラマ率いるチベット亡命政府だ。それこそ大喜びして世界に向けて騒ぐかと思ったら、これまた驚くほど静かである。チベット亡命政府から出てくるカルマパ関連のコメントは、いずれもカルマパの居所や今後の身の振り方について断片的に述べたものばかりで、しかも政治的な話題はほとんどみられず宗教上の話に絞っている気配もある。インドに面倒みてもらってるようなものだから、インドの顔色をうかがいつつコメントを出しているように感じられる。とにかく歯切れがあまりよくない。「黒帽」の件についてもカルマパが実際にこれを取りに行きたいと要求していることを明かしており、必ずしも「置き手紙」の話が中国の完全なデッチ上げではないことを示唆していた。そしてカルマパ君自身も「修行に来た」と言っているようなんだよね。またやっかいなことにこの「黒帽」がある歴代カルマパゆかりの地シッキムは中国との国境近くにあり、カルマパのシッキム訪問はインド政府が中国を気遣って許可しないだろうとのこと。とにかく何事もモヤモヤとした状態が続いている。

 この最中、いろいろとやら妙な人物やら怪情報も登場している。
 笑ったのが「私が本物のカルマパだ!」と主張する人がインドに出現したこと。1月10日にダワ・サングポさん(22歳)なる青年がテレビカメラの前で「私が正統のカルマパだ。先代カルマパの側近の一人が私を発見したが、ダライ=ラマのもとへ行く途中仕組まれた交通事故で死んだのだ」と主張した。だったら早く名乗れよ、とツッコミを入れちゃうところなのだが(笑)、カルマパ17世については以前にも16世の側近が別の少年を「本物」と擁立しようとした事件があるのだそうだ。「活仏」認定っていつもこんな調子らしいんだけどね。やっぱそこは権力が絡む問題ですから。
 またチベットから「カルマパの叔父」を名乗る人物がやって来て、カルマパ17世への面会を求めていた。どうも中国政府の意図を受けた者ではないかと疑われたため、インド政府・チベット亡命政府は彼をとりあえず追い返したとのこと。
 またカルマパ17世の行く先についても、「アメリカへ亡命だ」とか「台湾へ行くそうだ」などの勝手な憶測(そしてたぶんそういう願望を込めて言ってる人がいる)による情報が乱れ飛んでいた。結局これらはチベット亡命政府の高官によって否定されているけど。

 まだまだよくわからんことの多い騒動だ。とりあえずカルマパ17世は「難民」扱いでインドにとどまるという見方が有力だけど…しばらく様子観ないと分かりませんね。どっちにしても意外に大ごとにならない空気も強くなってきました。 
 



◆キューバ少年をめぐる騒動

 さて、お次はキューバの少年の出国をめぐる騒動。これがまたなんとなく似てるんですよね。ここしばらくネタ候補の常連だったのだが、上記のチベットの話と絡めて初登場となった(笑)。

 この少年の名は、エリアン・ゴンサレス君という。まだ御年6歳。しかしこの少年の行方がアメリカ大陸の注目を呼んでいる。
 彼がキューバを出国したのは昨年の11月下旬のこと。母親とその再婚した夫、つまりエリアン君の継父とに伴われて、この少年はキューバから出国、海を渡ってアメリカはフロリダを目指した。当然ながら密出国である。カストロ議長率いる社会主義政権で、しかも経済的には必ずしも良好とは言えないキューバから、自由と富を求めて目と鼻の先にあるフロリダへ渡るケースはよくあることだが、この途上での事故も跡を絶たない。これまでにも密航者が途中で難破して連れ戻されたり、逆にアメリカに引き上げられたり、はたまた両者の争奪戦となることもあった。今度のケースでは、船が難破して多くの死者を出し、アメリカ側が救助した中にこのエリアン君がいたという恰好だ。

 ややこしくなったのは、一つにエリアン君の両親(母親と継父)が遭難の際に死亡していたことだった。まだ6歳のエリアン君に「亡命するかいなか」だの判断できるわけもない。こうなると唯一の保護者はエリアン君の実の父親(母親の前夫)でキューバに住むファンミゲルさん(31)になるわけで、彼にその身柄を預けることになるというのが原則のようだ。実際、アメリカ移民局はエリアン君をキューバへ送還することにいったん決していた。キューバ政府が少年の送還を要求していることは言うまでもない(しっかり言ってるが)
 ところが予想通りフロリダに多く住むキューバ人を中心に大規模な反対運動が起きた。せっかく自由の国アメリカに亡命してきたのにわざわざ送り返してやることがあるか、ってなところだろう。エリアン君のおじがやはりフロリダにいるそうで、彼をアメリカに住まわせるべきとの主張にも一理はある。
 しかし移民局ってところは最近じゃ移民をいかにしてくい止めるかを考えているような機関であり、正直なところ亡命だろうとなんだろうとヒスパニック系の受け入れはあまりしたくないところ。それが「送還」という処置を決定したし、また「実の父親のもとに帰す」という大義名分もあった。実際面白いことにアメリカの世論調査では送還賛成派が優勢で、調査するごとに賛成派が増加しているとのこと。このあたりに今のアメリカ社会のキューバ難民問題への考え方の傾向がうかがえる。移民局は送還反対運動を受けて1月14日の送還実施は見送ったが、単なる延期であり送還の決定そのものは覆さない方針とのこと。

 それに呼応して、ということなんだろうか。この14日にキューバの首都ハバナで10万人規模といわれるデモ行進が行われ、エリアン君の早期帰国実現を訴えていた。母親たちを中心に組織したデモだそうで、「私たちの息子を帰して」とシュプレヒコールを上げていたそうな。キューバ政府はというと、「エリアンはマイアミの大人たちが繰り広げる政治的な茶番劇の犠牲になっている」とコメント。「マイアミの大人たち」とはもちろん亡命キューバ人たちのこと。非難対象を彼らに絞ることでアメリカ政府とアメリカ社会を刺激すまいという意図が見えますね。最近アメリカとキューバの関係修復も噂されているし、いい加減この地域の「冷戦」も終わろうとしているということかな。



◆チリ老人をめぐる騒動
 
 どうせならタイトルを統一しちまえ、というわけでして(^^)

 「チリ老人」とは、以前にもこの「史点」に登場したピノチェト・元チリ大統領のこと(昨年10月10日の記事に登場)。彼は1973年に軍事クーデターを起こしてアジェンデ社会主義政権を打倒、その後1990年に民主化が実現するまで秘密警察を駆使した恐怖政治を行っていた。最高権力の座から退いた後も上院議員として居座り、自分の政権下で行われた弾圧・虐殺・粛清の数々は不問に付してしまっていたのだ。ところが昨年10月、治療に訪れたイギリスで彼は突然その身柄を拘束された。スペイン政府が彼の政権下にスペイン人に対して行われた悪事を罪状に、イギリス政府に拘束・引き渡しを要求したのだ。それを受けてとりあえず拘束したイギリスだったが、その後の処理にはいささか困っていたようで、かなりの議論も呼んでいた。
 ピノチェト元大統領がそうとうに酷い悪政を行っていたことは確かだろう。しかし一国の代表者であった人物を過去の罪状によって他国が逮捕しちゃっていいのかどうか。人道的な観点と法的な観点とのせめぎ合いが起きていた。いったん「スペインへの引き渡し」をロンドン刑事裁判所が決定したものの、ピノチェト氏本人の抵抗やら法的に疑問視する声やらがあって、決定が延び延びになっていたわけだ。

 年が明けて、どうにか結論が出たようである。結論は意外…というべきなんだろうか、ピノチェト氏の釈放、チリへの帰国というものになるようだ。理由はピノチェト氏の「健康状態悪化」とされている。「ホンマかいな」と疑う向きもあるかもしれないが、なにしろ御年83歳の高齢、何が起きてもおかしくはない。一部で噂される話によると、万一ピノチェト氏がイギリスで拘束中に死んでしまったりした場合、彼が「殉教者」にされてしまう恐れをイギリス、スペイン、チリの各国政府が抱いたのだという。実際に医師の診察でも健康状態の悪さは確認されているようだ。
 とりあえずイギリスとしては「一国の指導者であろうと過去の人権抑圧は許さない、という前例をつくった」ということで、この経緯を自己評価している。もちろんアムネスティなど人権団体からの抗議はそうとうあるようだが…何やらフランスも軍政時代の行方不明者5人についてピノチェト氏に尋問を要請しているとのこと。

 彼の帰国の影響がささやかれているのが、何と言っても本国であるチリ。今年は大統領選挙の年であり、ピノチェト氏の元子分なんかも立候補している。これがどう絡んでくるのか、今年の一つの注目点ですね。
 



◆トルコ囚人をめぐる騒動
 
 最後のはタイトル統一に苦労していたりして(笑)。「騒動」ってほどのことじゃないんですけどね。これも何度かネタ候補になった話題なんですよ。

 トルコの囚人とは、トルコ領内に住むクルド人の独立を求める武装組織クルド労働者党(PKK)のリーダー・オジャラン議長のことだ。この人が逮捕された経緯はまさにスパイ小説顔負けの劇的な展開なのだが、ちょっと情報錯綜という所が多く(そこらへんがまたスパイものみたいなところでした)、「史点」ではとりあげにままにここまで来た。ようやく取り上げた頃には大した話題ではなくなっちゃたな。
 オジャラン議長率いるクルド労働者党は、確かに民族独立運動組織には違いないのだが、やってることはテロ行為そのもの。まぁIRAにしてもバスク解放運動にしてもコソボ解放軍にしても似たようなものだが、とにかくトルコ政府はこの組織の壊滅を目指し、ついにはリーダーであるオジャラン議長の逮捕にまでこぎつけた。オジャラン議長が罪状を認める映像なんかもテレビで流していたような記憶がある。そして裁判が行われ、数々のテロ・殺人行為の罪状によってオジャラン議長は国家反逆罪により「死刑」を言い渡された。
 ところが、である。裁判のさいちゅうからすでにそういう観測があったのだが、トルコ政府はオジャラン処刑をただちに実行する気はなかったのだ。そして今月12日、トルコの政府与党はオジャラン議長の死刑執行手続きを、欧州人権裁判所がこの裁判についての調査を済ませ判断を下すまで先送りする意向を示したのである。なんとこの調査に約2年もかかるのだそうだ。
 
 さて、「欧州人権裁判所」なるところが、なんでトルコの裁判について調査し、またトルコ政府がそれに遠慮しなければならないのだろうか。前にも書いたことだが、実はトルコは現在EU(ヨーロッパ連合)への加盟を国家の最重要課題と位置づけているのだ。あそこはヨーロッパなのかとつい書いちゃうところだが、少なくとも当人はそのつもりになっているようで(このあたり、「しりとり人物伝」でやった建国の父ケマル=アタチュルクの影響なんだろうか)、最近やたらと積極的である。「宿敵」ギリシャとも関係改善にいそしんでいるのもその辺の思惑があるらしい。
 しかしヨーロッパ諸国にしてみれば、やはりトルコは「異質」な存在。だいいちイスラム教国だ。別にEUがキリスト教団体というわけではないが、彼らにしてみればかなり異質な国と見られるのは間違いない。また、欧米人が二言目には「文明の尺度」のようにいう「人権問題」というやつがある。「ウチらと同じぐらい人権感覚もってくれないと仲間に入れてあげないよ」ってなもんらしい。だからこそトルコは今度の裁判では慎重を期し、欧州人権裁判所の「検査」も受けることにしたわけだ。
 最近のEU諸国では「死刑廃止」が世の流れ。トルコもこれに配慮して死刑制度廃止も含めた司法制度改革に取り組む予定とのこと。これ以外にも経済改革も進めて、いっそうの「欧州化」を図ってEU加盟を果たしたい意向だそうだ。
 もともと日本同様に急激な欧米化をやった国ではあるのだが、ちょっと最近急ぎすぎてないかなぁ。そんなにEU加盟って魅力があるのか(EU自体の意義は僕も大いに認めるけどね)。東欧諸国にも言えることだが、仲間に入れてもらいたいがために無理しちゃって、あとで反動が来ることがありますからね。ご用心、ご用心。
 


2000/1/16記

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