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2000年1月23日

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 ◆今週の記事

◆新たなる「万里の長城」?

 「万里の長城」を知らない人はまずいないでしょうが、簡単に説明を。
 戦国時代ごろから各国が北方民族の侵入を防ぐために各自に作っていた長城を、統一秦帝国を作り上げた始皇帝が繋ぎ合わせて修築を行った。これがいわゆる「万里の長城」の起源とされる。これは今の長城よりかなり北方に位置し(衛星写真で調べてやっとわかったそうですが)、しかも土塁のデカいもの程度の構造であったという。現在見ることが出来る「万里の長城」は明代に建造されたもので、いかにも「北虜」に悩まされた明らしく、堅固かつ壮大なものだ。もっともあの壮大さはモンゴル対策というよりも国内向けの権威誇示の意味合いが強かったとも言われている。昔から素朴な疑問として「あんな凄いもの造っているのに、明ってしょっちゅう北からの侵入を受けてるよなぁ」と思っていたものだが、どうも聞くところではあの形の長城が完成したのはようやく明も末期のことだったそうで、明王朝はあの長城を王朝の生涯をかけて作り続け、出来上がった頃には国が滅んでしまったというわけだそうな。結局のところあの「長城」が役に立った事ってあんまりないらしいんですね(もちろん全くの無駄とも言えなかったみたいですが)
 …そして、こんにちに至って中国最大の観光資源となって国に貢献している訳なんですが(笑)。

 さて、以上は前フリ。本題は現代の話である。
 中国人民解放軍系の新聞の報じたところによると、中国西方の新疆ウイグル自治区の西側の国境線480qに鉄条網による「新たな万里の長城」が建設(?)されたとのことだ。なんでも1996年から設置を行っていたそうで、同時に国境線沿いに車両用・歩行用の巡邏道路も500qにわたって建設されているという。「新たな万里の長城」という表現はなにも僕が考えたわけではなく、これを報じた解放軍系の新聞が自分でそう表現しているんだそうだ。さすがは中国、というべき「歴史的表現」ではあるが、実際にこの鉄条網の「長城」には「本家」と同様の意味合いが与えられていると言えそうだ。
 新疆ウイグル自治区といえば、いわゆる「東トルキスタン」。ここが現代的な意味で「中国」領域に加えられたのは清代からで、「新たな領土」という意味で「新疆」と命名された。もともと中央アジア文化圏ともいうべき地域で、イスラム教徒が多く、清代から独立傾向を強くもち何度も反乱を起こした歴史を持っている。人口も1000万人もおり、中国内部でも「最大の少数民族」というべき存在だ。

 それだけに中国の中央政府が相当にこの地域の動きを気にしているのは確かなようだ。現実に独立運動やテロも起こっており、イスラム寺院がその温床となっているとして宗教政策の締め付けが行われたりしている。そして、近年の世界的な動きであるイスラム原理主義運動の展開の影響がこの地域にも及んできている。前にもこのコーナーで取り上げたような気がするが、アフガニスタンなど中央アジア諸国のイスラム原理主義武装勢力の中に中国国籍を持つ者がいることもしばしば報告されている。
 新疆ウイグル自治区の西側はカザフスタン、キルギスタン、タジキスタンなど、近ごろイスラム武装勢力が騒がしい国々がそろっている。当然ながらこれらの波がウイグルに波及してしまうわけで、これを阻止しようという発想から、この鉄条網の「万里の長城」が築かれたわけだ。
 
 こんな長大な範囲を鉄条網と道路だけで阻止できるとも思えないんだけどね。国内向けの引き締め策という意味も強いのかも知れないな。その辺もちょっと「本家」を連想させるところがある。
 



◆ピノチェト氏、本国で裁判へ

 チリの大統領選は決着がついた。反軍政の中道左派連合が推すラゴス候補が右派系でピノチェト政権にも関わっていた対立候補を破り、新大統領に選ばれた。さっそくラゴス次期大統領は「チリ人はチリの司法が裁く。私の政府はその決定を尊重する」と発言し、ピノチェト元大統領の軍政下における行為をチリの法廷で裁くことをほぼ確約した。ピノチェト元大統領は病気治療のためにイギリスを訪れていて、スペイン政府がその逮捕を要請し、イギリス法曹界がすったもんだになっていたことはこのコーナーでもとりあげていたとおり。先日、ピノチェト氏の病気の状態がおもわしくないことを理由に「釈放・帰国」という話がまとまったのだが、どうやらいずれにせよ本国のほうで彼は裁かれることになりそうだ。

 アジェンデ左派政権をクーデターで打倒し、軍政をしいたピノチェト時代に、「反政府的」とみなされて逮捕され、殺されたり行方不明になっている人は3000名にのぼると言われている。軍や警察による拷問の被害者にいたっては3万人を数えるという。まぁ世界ではもっとひどい数字もあるのでまだ「少ないな」などと思ってしまうところもあったりするのだが(やれやれ)、とにかくこれらの恐怖政治時代の出来事についての詳しい検証がようやく行われるというわけで、一歩も二歩も前進である。このままだったらピノチェトさん、のうのうと終身上院議員で生涯を終えられましたからね(スペインのフランコのケースだな)

 チリ国内の世論調査によると、ピノチェト元大統領の裁判を自国で行うことに国民の約6割が賛成しているという。「あれだけのことしていて6割?」という気もするのだが、これにはチリとしての事情もあるようだ。ピノチェト氏自身が上院議員として健在で軍部にも影響力が現在もあることで、表だって彼の過去をほじくり返すのを避ける傾向があること。また軍部が依然として隠然たる影響力を持っていて文民統制が完全とは言えないこと、このためにマスコミがあまりこの件に触れたがらないことなどがあるという。だから海外メディアや外国ばかりが大騒ぎしているんだなぁと納得したところもある。

 ピノチェト氏の容態が本当に悪いとすると、今度は帰国を急がせた方が良さそうだ。生きているウチに白黒つけなきゃいけないことがイロイロとありますからね。

◇現在から一言◇
その後のピノチェトさんですが、裁判にいたるのは相当に難航しているようで。最近は精神鑑定をやってるとかやってないとか…
 



◆エクアドルで政変発生!
 
 「今週はなんだか大事が起きないよなぁ」「まあそれはそれで世の中平和で結構なこっちゃないですか」「しかし毎週ニュースネタで歴史絡みで四つも記事を書くなんてたわけたことをしている奴にとっちゃ大変だぞ。上の二つの記事はかなり息切れしているように見えるが」「確かにネタとして苦しいですねぇ、でもチベットネタは相変わらず不透明ですしね」「チェチェンの戦闘も相変わらず泥沼状態だしな」「日本じゃ英語を21世紀に「第二公用語」にしようなんてどっかの首相私的諮問懇談会が言ってましたっけ」「そりゃまぁ、おまえ、ここは植民地だから」

…などと一人漫才をやって記事を一つつぶそうかなぁ、などと思っていたら救いの手は南米からいきなり差し伸べられた(笑)。南米は赤道直下の国エクアドルで政変が起きてしまったのだ。これがまた先住民(インディオ)が主導した政変というちょいと珍しいモノだった。

 エクアドルなんて国の情報は日本ではほとんど報じられない。だからこういう大事件があると、最近の動向がドドッと流れてくる。中南米はだいたいどこもそうだが、ここエクアドルも深刻な経済危機の状態にあった。マワ大統領は緊縮財政を進めて、これが行き詰まると今度は自国の通貨を廃止して全部アメリカドルに変えちゃおうという「ドル化政策」を打ち出し(一見無茶なようだけどアルゼンチンもこれをやろうとしている)、これが結果としてインディオが多く含まれる貧困層を直撃することになった。なんせ昨年の物価上昇率60%・失業率17%というとんでもない状況で、大統領の支持率だけが7%に落ち込んでいた(笑)。

 エクアドルという国ではインディオは全人口の約4割を占め、決して「少数の先住民」ではない。これが数千人規模で大統領の経済政策を批判する大規模なデモを21日に行い、とうとう国会へも乱入し始め、暴動状態になりつつあった。これについに軍部が動き、混乱を収拾するためにマワ大統領に辞任を要求した。ま、事実上のクーデターだ。マワ大統領はテレビでクーデターを非難する声明を行ったが、翌22日になってグスタボ・ノボア副大統領が「憲法に基づいて新大統領に就任する」との声明を出し、マワ(前)大統領もこれを認める声明を出したようだ(ご本人は亡命したとの噂もある)。クーデターによる軍政はそれこそ上記のチリの例もあって国際社会の目が厳しかろうということで、副大統領がそのまま大統領にシフトする「無血革命」のスタイルがとられたようだ。この「革命」のキッカケとなったインディオ民衆たちのその後の動向は依然として不透明とのこと。

 こうしたドタバタが起きて政権が不安定だと、外資の逃亡が続出するだろうし、新政権も大変だろうとのこと。とにかくどこも「経済」だよなぁ、まず。
 



◆「きんさん」が生まれた年は?
 
 4つ目のネタがどうしても浮かばなかったところへ、一つの訃報が報じられた。あの100歳の双子の姉、「きんさん」こと成田きんさんが107歳でまさに今日亡くなったのだ。NHKなんかほとんどのニュースのトップでこれを報じていた。明日のワイドショーはこれ一色だろうなぁ、などと思っていて、ふとこれを「史点」のネタにとりあげてみることにした。もちろんワイドショー的なノリはやりません。この「きんさん・ぎんさん」の生まれた年に興味があったのだ。
 以前、僕がバイトで出ている塾で歴史の授業時間に生徒と「きんさん・ぎんさんが生まれた頃何があったか?」という話題になった。年号が苦手な僕は(今でも歴史上の大事件の年号はほとんど言えない!あんなのは上2ケタだけ知ってりゃ十分なのだ)「日清戦争は記憶にないだろうけど、日露戦争は覚えているはずだ」と適当に答えている。そんなこともあってこれを機会にこの年になにがあったかちゃんと調べてみようと思ったわけだ。

 きんさん・ぎんさんが生まれたのは1892年(明治25)の8月1日。今年と同じ辰年だった。ちょっと細かい日本史年表を開いてみると、この年はこんな事が起きている。

2月 第二回総選挙(ふえー、まだ2回目だったか!)
    出口ナオが綾部で新興宗教「大本教」を創始。(ここまで古いともはや「新興」とも呼べませんな)   
3月 帝国大学教授・久米邦武が論文「神道は祭天の古俗」を問題にされ休職となる。(すでにこの手の学問弾圧があったわけですね)
6月 京都市営の水力発電所開業。(これが日本初だったそうです)
    小包郵便の開始。
    予算審議で衆議院と貴族院が対立、明治天皇の裁決で予算案成立。(もめると天皇の裁決だったのか…)
11月 新聞「萬朝報」創刊(日本近代史ではよく目にする新聞。この年発刊だったんだ…)
    大井憲太郎が東洋自由党結成。(ぜんぜん知らん…)
    森鴎外がアンデルセンの「即興詩人」を翻訳。
12月 この年末の日本総人口が4108万9940人と推定(半分以下ですなぁ。この中にきんさん・ぎんさんも入ってるわけです)

国内的にはこんなもの。海外は大したネタはなかったのだが、ドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟に対抗するためフランスとロシアが軍事協約を結んだのがこの年だ(露仏同盟そのものは前年に成立)。のちにこれが「三国協商」へと発展していく。世界初のガソリンエンジン自動車が完成し、翌年にはディーゼルエンジンも完成する。エジソンもこの翌年に「映画」を発明している。

 翌々年には日清戦争だ。年表で前後をよくみると、ちょうどこのころ紡績工場がさかんに造られ、日本はまさに「産業革命」をやっている最中だったことがわかる。そして同時にストライキなどの労働運動、農村での小作争議などが早くもあちこちで発生している。

 うーん、凄い。遠いようで近いような。107年という時間の重みを感じますね。
 


2000/1/23記

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