◆「サティ」ってなんでしょう?
もちろん某百貨店のことではありません(笑)。
「サティ(サティー)」とはインドのヒンドゥー教徒に古くから見られる風習で「寡婦殉死」などとも呼ばれている。そう、夫に先立たれた妻が、夫を火葬にする際その火に飛び込み、あとを追うというあの風習だ。なんとも物凄い風習なのだが、ヒンドゥー教徒の一部には今なおこれを美化し、ほめ讃える傾向が強いという。「夫婦愛」なんて甘っちょろいものではない、酷いときには周囲がサティを「美徳」とするあまり未亡人にこれを強制するような空気すらあるという。要するに夫に身も心も捧げることの体を張っての証明と考えて、最高の美徳と見なしているわけだ。実際ニュースでも時々この「寡婦殉死」が行われた、そしてこれに多くの人々が熱狂したという話が伝えられることがある。
この風習がいつから始まったのか調べてみないと分からないのだが、思えばインドの古典「ラーマヤーナ」にも主人公の妻シータが身の潔白を証明するため火に自ら飛び込んでみせるという場面があった(どうでもいい連想だが、「天空のラピュタ」のヒロインの名前ってこれがルーツなんじゃ…「ラーマヤーナ」のことも出てくるしねぇ)。これがその後のサティの風習につながるとすると、相当古くからこうした発想が存在していたことになる。
この「サティ」という風習を問題視したのはもちろん近代になってからなのだが、案外早い。18世紀から19世紀初頭に活躍した社会活動家ラーム・モハン・ローイがこの風習を批判し、その根絶に努力している。このかいあって1829年にサティを禁止する法律も出来た。まだイギリスによるインド統治が始まる前の話だ。しかし、その後も根強くサティの風習は農村部を中心に生き残り続けた。このあたり、同じくインドの抱える伝統であるカースト制と似たところがある。似ていると言うよりも一体化しているところがあるようだ。
昨年の11月にインド北部のウッタルプラデシュ州でこの「サティ」と思われる事件があった。病気で夫を亡くした妻が、やはり夫の遺体を焼く火に身を投じて焼死したというのだ。しかも、本人は花嫁衣装をつけ、火葬に立ち会う村人達は祈りの言葉を唱えながらこれを見守ったという。さらに「サティが行われる」という情報が周辺の村にも事前に伝わっており、見物人がこの村に押しかけていた。これほどまでに事前に情報が出回っていながら警察も含めて止めようとする人はいなかったという。明らかに法律違反の行為なんだけど…。
インドのナラヤナン大統領は1月25日に、翌日の共和国記念日を前にした恒例のテレビ演説を行った。この中で大統領はこのサティが現在でも行われていることについて警告し、「170年以上前に禁止されたのに今も起き、もっと悪いのは、それを自殺とか聖なる犠牲とかと言い逃れることだ」と、それを美化する風潮が残っていることを批判して、女性差別廃止に取り組むよう国民に訴えたという。
これも「文化」だ、と言ってしまえばそのとおりなんだけどね。カースト制度もそうだけど、こちらからは「悪習」にしかみえないものでも、当人達は「それが当たり前」と思って平気で暮らしている事が多いわけだ。火に飛び込んだその未亡人も案外喜びに満ちて死んでいった可能性が高いように思う(実際死んだあとその行為を讃えられるわけで)。だからこそこうした風習を根絶することは困難なんだよなぁ。
ところでこの事態によってミャンマーのカレン族の武装組織の中でも大きな動きがあった。
カレン民族同盟(KNU)というミャンマー最大の反政府勢力にして少数民族独立運動組織があるのだが、27日にこの組織のボー・ミャ議長(73歳!)が突然解任された。どうやら今度の病院占拠事件の責任をとらされたということらしい。今度の占拠事件を起こした「神の軍隊」はこのカレン民族同盟の中の急進派が分派したものだったらしいが、ともかくこの事件の結果、タイのカレン民族同盟に対する感情は明らかに悪くなったはずだ。
これまで軍事政権が続くミャンマーと、タイは仲が悪かった。タイとしてはカレン族の国境地帯での活動がミャンマーとの間のちょうどいいクッションになると考えていたようで、実際に経済的・医療的な援助をカレン族に提供してきた経緯がある。
しかしこのところタイ・ミャンマー両国の関係は改善しつつあるようなのだ。またミャンマー自身も相変わらず軍政を続けてはいるがASEAN(東南アジア諸国連合)にも加盟し、国際社会に復帰しつつある。その勢いで反政府勢力への攻勢も強めていてカレン族はますます追いつめられている。弱小化していくカレン族には「クッション」としての役割は期待できないと考えるタイはますます彼らに冷たくなる…といった具合でカレン族には近ごろ苦しい状況が続いていた。だからこそこうしたテロ活動に走って国際的注目を浴びようというグループも出てくるというわけだ。
こうした状況の中での議長解任。これはカレン民族同盟がミャンマー政府との和解に応じるというサインでは、という見方も出ているそうだ。
◇現在から一言◇
このカレン族が「聖なる双子」を崇めているという話はこの記事書いた後に耳にしたこと。で、その双子が先日タイで保護されていた。タイ人いわく「いたって普通の子供」だったそうだが、男の子の方は煙草なんぞ吸っていたなぁ…
1月23日、この中佐爆殺事件に抗議する大規模なデモ行進が首都マドリードで行われた。参加者の数、なんと1100000人(数を認識するためわざとこう書いてみました)!先頭には首相と前首相が「平和と自由のために、テロはノー」と書かれた横断幕を持って歩いたという。とにかく100万人である。こんな大勢がデモ行進するという規模のものすごさは、当然政府が音頭をとった部分もあるのだろうが、「テロ復活はいい加減にしてくれ」という市民の憤りの表れととるべきなんだろうな。
1997年にもETAによる地方議員殺害テロに抗議するデモが行われ、この時も参加者は100万人を越えていた。これをうけてETAが「無期停戦宣言」を出すということになったのだが、ここに来てまたしてもテロ活動が復活。そこでまたこの大規模抗議デモとなった次第だ。ETAもいい加減テロじゃ物事は解決しないと悟っていると思っていたんだけどなぁ。バスク人にもテロ反対派がちゃんといるんだし、ぼちぼち「独立」を至上のものと考える発想をやめて「共存」を図って欲しいところだ。
この献金疑惑が、ついに国境を越えてお隣フランスに飛び火した。
ドイツ統一達成直後、旧東ドイツの製油企業がフランスの大手石油会社エルフ・アキテーヌに売却されるということがあった。この時に、エルフ社側からドイツ与党キリスト教民主同盟側に8500万マルク(約46億円)もの巨額かつ不明瞭な金の振り込みがあったという。これだけでも疑惑をイロイロと読んでいたのだが、ここにきてこの金のうち3000万マルク(約16億5000万円)が、実はフランスのミッテラン大統領(当時)が盟友であるコール首相に贈った選挙資金だった、という報道がドイツで始まったのだ。報じたのはドイツの公共テレビだが、そこではミッテラン(ご本人は1996年に死去)に近い筋の証言として、資金贈与の事実を認めた上で「これはワイロではなく選挙資金であり、(フランスの)国益のため、欧州のために支払われた」という話を紹介しているという。それにしても他国の選挙に資金を提供するとはねぇ。それは問題にならないんだろうか。
さて困惑したのはフランス政界だ。今のところ「そんな話はしらん」と与野党共に黙殺しているようだが、内心この「飛び火」に戦々恐々としているようなのだ。聞くところによると、この「エルフ・アキテーヌ社」という石油会社、もともとフランスの国営企業で最近民営化されたものなのだが、同社はフランスでは「政界の貯金箱」などと噂されるほどで、実際にあれこれと疑惑が取りざたされてきた会社なんだそうだ。そんなわけで今回の疑惑についても「あの会社ならやりかねん」という見方が広がっているらしい。これまであれこれとヤミに葬られた疑惑の多いこの会社、深く突っ込むと何が出てくるものか分からず、フランス政界は与野党共に深入りしたくない事情もあるようなのだ。
産経新聞webに紹介されていた話なのだが、フランス人の間ではコール元首相はフランスの友人であり、東西ドイツ統一の英雄だという見方が強い。そのコール元首相が「晩節を汚す」ことになったわけで、「その原因がフランスにあった、なんて事になると困る」という懸念があるんだそうだ。ひょっとするとドイツ側でもこの「英雄」の一大スキャンダル話を拡大して、フランスも巻き込んでやれってぐらいの気分が無いとは言えないかもね。ミッテランさんは「死人に口無し」だし。
◇一年後のコメント◇
この事件の余波は今も及んでいて、ミッテラン大統領の息子さんも逮捕されちゃっていたような。