ニュースな
2000年2月20日

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 ◆今週の記事

◆189番目の国連加盟国

 へー、国連ってもう189カ国も加盟してたのか。というのが第一印象。これでも全世界の国が加盟しているわけではないので(スイスみたいに頑固なのもあるからねぇ)、世界中には200以上の「国家」があるということのようだ。
    2月17日、国連の安全保障理事会は南太平洋の島国ツバルの国連加盟を賛成多数で承認した。最高機関である国連総会の承認を得なければならないが、このまま国連加盟が決定するのは確実。ツバルという国名は知ってはいたものの、どんな国かは全く知らないため、ちょいと調べてみることにした。
 ツバルは南太平洋のど真ん中、ほぼ日付変更線のあたりに位置している。もともとイギリスの植民地で、1978年に独立している。「国家」とはいうものの面積はわずか25平方q。人口はたったの一万人。「村」ですね、これじゃ。まぁ世界にはバチカン市国みたいなところもあるから、これでも最小国家というわけではない。
 ところで国連安保理は15カ国で構成されている。今回、ツバルの国連加盟の賛否を問う投票では14カ国が賛成した。残りの一カ国は反対はしなかったものの、「棄権」という態度を示したのだ。さて、その一カ国とはどこだったか?なんと、中華人民共和国だったのである!

 なんでまた人口14億(?)を抱える超大国が人口1万の極小国の加盟承認に賛成しなかったのだろうか?実はこのツバル、中華人民共和国にとって無視できない点を一つ持っているのである。それは…中華民国、つまり台湾と外交関係があるという珍しい国なのだ(ここまで中国をフルネームで書いていたのはそれを表現するためだったんですね)。なんでまたツバルと台湾に国交があったのか不明なのだが、とにかくそうだった。中華人民共和国は当然ながら自らを「唯一の中国政府」としており、国連決議でも中国の国連代表権は人民共和国の方に認められている(それまでは台湾側が中国代表だったんだよなぁ)。中国はそれを理由に安保理で「ツバルの国連加盟承認を支持できない」と表明したのだった。
 中国は安保理の常任理事国、いわゆる五大国の一つだ。この五大国が「拒否権」なるものを持っているのはご存じの通り。かつて冷戦時代にアメリカやソ連が乱発した、発動すると議事が絶対通らなくなるというあの伝家の宝刀だ。中国がそれを発動したらツバルの国連加盟は実現しなかったわけだが…「中国とツバルの両国人民の長期的な利益と、南太平洋諸国などの要望に配慮し、加盟を妨害はしない」と中国代表は言って、「反対」ではなく「棄権」という形を取ったのでありました。
 しかしまぁ、思わぬところに思わぬ問題が潜んでいたものであります。



◆総統選はまず縁起で勝負
 
 お次は上のツバルの話に出てきた、中華民国こと台湾のお話。台湾はただいま総統選挙戦のまっさいちゅうだ。
 候補者は五人いて、それぞれ副総統候補がくっついてセットで選ばれることになっている。このへんはアメリカの大統領選をモデルにしたんじゃないかと思うところ。2月14日、この五組の候補者番号を決めるくじ引きが行われた。候補者番号とは選挙の公告や投票用紙で名前を並べる順番などに使用されるものなのだが、そこは台湾、なにかと縁起を重要視する文化のため、この候補者番号の抽選だけでも大騒ぎとなるのだ。くじ引きの結果、各候補の番号が決定したが、各陣営それぞれに自分の番号がラッキーナンバーであると解釈を発表していたりする。

 一番を引き当てたのは与党国民党から離脱して、今でも一応有力候補と見られている宋楚瑜氏(前台湾省長)。「一番」には細かい縁起の理屈は要らないようで、宋候補は親指をぐいと突き出し「一馬当先、台湾第一!」と言ったそうな。いちいち翻訳するのも味気ないので以下もそそのまま漢字で紹介していこう。
 二番を引いたのは与党国民党の総統候補連戦氏と副総統候補蕭万長氏のコンビ。引き当てた蕭氏は指を二本立てて(Vサイン)「連蕭勝利、台湾昇級!」と言っている。「連戦」って名前も「2」に向いてますもんね。国民党ではわざわざ「2」がラッキーナンバーだというコメントを出していて、その根拠は「今年が2000年」ということと「くじ引きが行われたのは情人節(バレンタインデー)。恋人は「二」人だ」とかいうもの(笑)。
 三番を引いた李敖候補は「三陽開泰」とコメント。四番を引いた許信良・朱恵良氏のコンビは「双良平方、事事如意」。「良」が二つで二乗して「4」と言いたいのだろうか?ビリの五番を引いてしまった陳水扁氏は「五月新総統、五番陳水扁」と。まぁ縁起なんていくらでも担げるもんであります(笑)。

 縁起がどう影響したのか不明だが、この直後、「一番」を引いた宋候補を、古巣の国民党が約12億円(!)にのぼる党資金横領、文書偽造容疑で告訴した。投票まであと一ヶ月だというこの時期のこんな話を出してくるとは謀略的な匂いがプンプンするが、実際これで有力だった宋候補の支持がかなり落ちたと言われる。台湾政府成立以来(というか中華民国以来でもあるんだけど)の与党国民党が初めて政権を失うのではと言われている選挙であるだけに、もう手段を選ばないところがあるのかもしれないな。

 ちなみに前回の総統選挙時、台湾海峡で威嚇の軍事演習を行った中華人民共和国だが、今回はだんまりを決め込んだ模様。前回のあれは評判悪かったからねぇ。
 
◇一年後のコメント◇
結果はもうご存じの通りですね。いやぁ僕も陳水扁さんだとはこの時点ではこれっぽっちも思ってなかったですよ。この文章でもその感じが出てるでしょ?ただ「連戦苦戦」とは認識していた覚えがあります。



◆聖職者支配はもうイラン?
 
 選挙の話が続きます。今度は突然イランに飛びます。それにしてもタイトルがこの国名定番のギャグですいません(^^; )。
 イランの総選挙の投票が2月18日に行われた。この選挙は現在政権をとっているハタミ大統領がすすめる「改革路線」に対する、国民の審判という性格を持っていて、ハタミ大統領もこの日を「イランの歴史的な日になる」としていた。

 開票作業はなかなか大変なようで、20日のこの原稿執筆時点でようやく大勢が判明しているという状況だ。結果はハタミ大統領の路線を支持する改革派がまさに圧勝のようである。現時点でまだ半分ぐらいしか開票が済んでいないので明確なことは書けないのだが、一部では改革派議員が議会の7割を占めるのではとの観測も出ている。投票率は80%を軽く越えたという(今年の日本の総選挙はどの程度いくのであろうか…)。国民の選挙への関心の高さは、そのまま大統領の改革路線を支持する声となっていたということになるのだろう。

 イラン・イスラム革命が起きたのは1979年。欧米資本を導入し上からの近代化(西欧化)を押し進める一方で急激な改革のために貧富の差を拡大させたパーレビー王朝が打倒され、イスラム教シーア派のホメイニ師がイランの指導者となり、聖職者が政治を指導する一種の宗教国家を成立させた。徹底した反欧米姿勢、厳格なイスラム主義政策を進めて世界をいろんな意味で驚かせたが(なんといっても「悪魔の詩」作者処刑宣言には驚いたものだ)、1989年にホメイニ師が死去(余談ながらこの年は昭和天皇、手塚治虫、美空ひばり、田河水泡と日本でも大物がやたら亡くなっている。そうそう、ベルリンの壁も亡くなった)。その後10年がかりで、徐々にではあるが自由化の波が広がってきていた。ハタミ大統領が登場(1997)すると、開放・自由化政策がピッチを上げて進められるようになった。もちろん聖職者を中心とする保守派の抵抗も激しく、いくつかトラブルも起こってはいるが。今回も保守派はハタミ大統領を「経済政策に失敗した」として攻撃したが、国民の大多数は「それは聖職者・保守派が政治の中枢にいすわっているからだ」と判断したようで、圧倒的に改革路線が支持されると言う結果を生んだ。
 
 今回の投票日は本当にイランにとって「歴史的な日」になるかもしれない。これからも多少すったもんだが予想されるが、宗教と政治の分離が進められていく可能性が高いと感じる。トルコとかエジプトみたいにそこそこ折り合いをつけていく政治体制に移行して行くんじゃないかな、と思うところ。



◆極右政権参加その後

 うーん、いつまでも話題が続いてますねぇ。このオーストリア極右参加政権については。またいくつかその後の話題を拾ってみましょう。他にこれといったネタがございませんでして(笑)。
 
 まず面白かったのが、前に僕が当コーナーで書いた予想通り、EU各国の極右政党がこれに勢いづいた。フランスの「国民戦線」はもちろん、ドイツのネオナチ勢力も大いに盛り上がっていて、オーストリア自由党へのエールを送っていたそうだ。ドイツではこの勢いに乗ろうというのか、ドイツ自由ナントカ党(すいません、正式名称忘れました)という明かな「極右政党」が結成され記者会見を行っていた。名前からしてオーストリア自由党への便乗である。ナチスとか右翼には神経質だったドイツでの政党結成は、確かに画期的なことではあるらしい。
 それにしてもヨーロッパの「極右」って他民族排除が基本方針でしょ?それがどうも各国の「極右」どうしに「連帯」みたいなもんが感じられるのは面白いところ。これ持論なんだけど、民族主義者とかナショナリストどうしって、相手の国は敵視していても本人同士は馬が合うってことがあるようなんですよね。単なる思想ファッションというところがあるんじゃないのかな。

 それにしてもその後のEU・アメリカその他各国のオーストリアに対する風当たりは相当なものがあった。イギリスの皇太子が訪問を中止(現地で行われる英国イベントそのものが中止になったため)したのをはじめとして各国の要人がオーストリア訪問をとりやめたし、逆にオーストリア側の首相やハイダー氏本人が外国を訪問しても無視されちゃったり。「外国人排斥」というイメージに引きずられて観光客が激減し、経済的にも影響が始まっている(思えば観光はこの国の主要産業みたいなもんだよな)

 これじゃあオーストリア国民も怒るだろうと思うのだが、こういう場合むしろそういう冷たい仕打ちをする外国に恨みが向きやすく、国内は結束する傾向がある(満州事変以降の日本もそんな感じだったと思う)。確かにその向きもあったが、19日に極右政権に反対する大規模なデモが首都ウィーンで実施されていた。外国からの非難に対して「オーストリア国民だって嫌がっているのはいるんだ!」という姿勢を示すデモンストレーションであったようだ。参加者は15万人と言われ、彼らは市内を4ヶ所からねり歩き、王宮前広場に集結した。
 この王宮前広場は、1938年にオーストリアを併合したヒトラーが、自分の故国であるオーストリアに入って、演説を行った有名な場所だ。わざわざここを集合場所に選んでいるところに、ハイダー党首とヒトラーをだぶらせている反対派の思いがうかがえる。
 当の本人ハイダー党首は「デモに行くのは労組や左派政党から金をもらった人たちだろ」と相手にしないポーズだそうだ。

 しかしこれからどうするのかなぁ。どう考えても自分から投げ出さない限り「合法的」にこの政権を倒すわけにはいかないはず。EU各国もそのことで頭を痛めているところだろう。オーストリアにしてもいろんな面で孤立化し、影響が甚大になってくるはずだが…
 


2000/2/20記

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