ニュースな
2000年2月27日

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 ◆今週の記事

◆アメリカ大統領ランキング発表!

 昨年辺りからこの手の人気投票とか人物ランキングの企画が多く行われているが、とうとうやってしまいました、アメリカ歴代大統領ランキング。これはアメリカのケーブルTV局C−SPANが企画したもので、歴史学者58人に歴代大統領の能力を「内政」「外交」「経済運営」「道徳性」「危機対応」などなど各部門について評価・採点してもらい、ランキングしている(まさに歴史SLGマニアが喜びそうな企画である)。それらを全て足し算した総合ランキングが、以下のようなものとなっていた。日本の新聞等では全部は出ていなかったが、C−SPANのサイト(http://www.c-span.org/)で確認できる。

1位 リンカーン
2位 フランクリン=ルーズベルト
3位 ワシントン
4位 セオドア=ルーズベルト
5位 トルーマン
6位 ウィルソン
7位 ジェファーソン
8位 ケネディ
9位 アイゼンハワー
10位 リンドン=ジョンソン

ひとまずベスト10まで出たところで一息入れてコメントを。総合上位3人はいずれも「危機時の指導力」部門の上位3人と同じである。よく言われることではあるが、歴史上の有名人とか英雄扱いされる人って、その時代がたまたま大変な時代だったためにその行動が目立ってしまったというケースが多い。「時代が英雄を作る」というやつだろう。もちろん上位三人はそれぞれ優れた指導者だったことは間違いないが、能力があっても平穏な時代を担当した人は、こういうランキングでは不遇である。

11位 レーガン
12位 ポーク
13位 ジャクソン
14位 モンロー
15位 マッキンリー
16位 ジョン=アダムズ
17位 クリーブランド
18位 マディソン
19位 ジョン=クインシー=アダムズ
20位 ブッシュ
21位 クリントン

現大統領がようやく登場(笑)。ちょうど真ん中辺りである。クリントンがこの位置なのはやはり「道徳性」部門で最低にランクされてしまったのが大きい。盗聴事件起こして辞職したニクソンよりもこの部門では低いのだ。それにしてもレーガンって意外に高評価なんですねぇ。

22位 カーター
23位 フォード
24位 タフト
25位 ニクソン
26位 ヘイズ
27位 クーリッジ
28位 テイラー
29位 ガーフィールド
30位 ブレン

知らん名前がこのあたりから急増する。ちなみにカーターは僕が最初に覚えたアメリカ大統領だ。再選に失敗した後の外交活動の方が目立ったという不思議な人である。

31位 ベンジャミン=ハリソン
32位 アーサー
33位 グラント
34位 フーバー
35位 フィルモア
36位 タイラー
37位 ウィリアム=ヘンリー=ハリソン
38位 ハーディング
39位 ピアース
40位 アンドリュー=ジョンソン
41位 ブキャナン

このあたりに名前が載っちゃった人はもうお気の毒と言うしかない。ほとんど知らない名前ばかりだが、グラントには覚えがある。南北戦争の将軍ですね。フーバーは「世界恐慌」が始まった年の年始の演説で「資本主義の永遠の繁栄」と言っちゃった間の悪い人である。栄えある41人の歴代大統領の最下位を射止めたのはブキャナン。この人の在任期間は1857〜1861年。勘の良い方はお気づきでしょう。南北戦争直前の大統領なんですよ(つまりこの次がリンカーン)。事典で調べたところ、奴隷廃止論にも存続論にも良い顔しちゃって双方から怨みを買ったという気の毒な人であった。本人は奴隷廃止論だったんだけど、憲法上は即座に廃止もできないという立場をとっていたようだ。それで南北戦争を防げなかったということでこの最下位ランクなのだろう。ホント気の毒な。
 ついでながらこの表を作っていて気が付いたのが、意外に同姓の大統領の組み合わせが多いこと。さらにこのうち二人の「ジョンソン」には共通項がある。10位のリンドン=ジョンソンはケネディの次、40位のアンドリュー=ジョンソンはリンカーンの次の大統領。そう、いずれも先代が暗殺されて副大統領から昇格した大統領だったのだ。
 今年の大統領選ではブッシュ.jrが候補に出てますけど、苦戦みたいですね。彼が当選すると初の親子大統領となり同姓がまた増えるのだが・・・
 
この記事掲載後、指摘がありましたので訂正します。同姓の大統領の両アダムズも親子大統領でした。ですからブッシュ・ジュニアがもし大統領になった場合は史上二度目の親子大統領となります。

◇さらに一年後のコメント◇
なんでも、先日アメリカでまた「最も偉大な大統領は?」という世論調査でレーガン氏がついにトップに躍り出たそうです。こっちから見ていると「はて、何かしたっけ」って気もするんだけど、「冷戦に勝った(?)」という理由が大きいようです。それと闘病生活とか最近彼の伝記本が売れたことも一因のようですな。



◆スターリンはロシア人だった!?

 タイトルを見て「なんじゃそりゃ」と思った方もいるかもしれない。スターリンとはもちろんソビエト連邦の名高い独裁者のあの人である。どうも「ソビエト」というと「ロシア」と同一視しちゃう傾向があるようで案外日本人には知られていないところがあるのだが、彼はソビエト連邦を構成するグルジアの出身で、生粋のグルジア人である。脱線話で恐縮だが「グルジア」を英語で書くと「ジョージア」と同じスペルになるため、アトランタオリンピックの開会式でグルジア代表が入ってきたらジョージア州の観客に大受けしていたものだ。

 しかし。ロシア国防省の機関誌「赤星」がこのたび報じたところによると(僕自身はそれによった産経新聞の記事によるが)、スターリンは実はロシア人の「不義の子」ではなかったかという疑惑が浮かんでいるのだそうだ。本当の「父親」は帝政ロシア軍参謀本部将官で地理学者のロシア人プルジェバリスキー氏ではないかというのだ。この「疑惑」が列挙されていたが、歴史ミステリとしてもなかなかに面白い。

 まずスターリンは1879年12月21日に生まれている。ところが1920年代にスターリンはなぜか自らの出生日を「1878年12月19日」に変更している。この1878年にプルシェバリスキーはスターリンの母親と親密になったという「状況証拠」があり、スターリンは後年出生の秘密を隠すために出生日を変更したのではないかというわけだ。おまけにプルシェバリスキーはその後死ぬまでの約10年間、スターリンの母親のもとへ毎月送金をしていたなんて話も出ていて、これがホントならかなり信憑性のある話ということになる。
 さらにプルシェバリスキーの死後、その友人が少年スターリンを神学校から首都の軍事学校に転校させていること、スターリンが帝政ロシア軍に親近感を持ち、これを弾圧したトロツキーを憎んだことも「状況証拠」に挙げられている。まあこれはちょいと弱い感じがしますが。
 スターリンが権力の絶頂期にあった1946年、彼は優秀な地理学者を表彰する「プルシェバリスキー賞」なるものを設けている。これがどうやら実の「父親」をひそかに顕彰するためではなかったか…という見方も出ていた。うん、これはかなり現実味のある話だ。

 前述のとおりスターリンは生粋のグルジア人なのだが、対独戦争にあたってやたらに「ロシア民族主義」をブチ上げて戦意を鼓舞していた(映画ネタだとエイゼンシュテインの「アレクサンドル・ネフスキー」「イワン雷帝」がこれと関わっている)。これも実は父親がロシア人だったからでは?とこの「赤星」は書いているという。
 とどめを刺すのがスターリンの英語通訳をしたトロヤノスキー元駐日ソ連大使の記した回想録。これによるとスターリンは外国要人との対談でしばしば「私たちはロシア人だ」と口にしており、通訳は彼がロシア人でないことを知っていたのでそのセリフを「私たちはソビエト人だ」と言い換えていたという。トロヤノスキー氏は「スターリンは自らをロシア人とする特別な感情を抱いていたのではないか」と書いているそうな。

 まあいずれにせよこれだけでは「憶測」「疑惑」の領域を出ない。「ロシア人」の件だって単にスターリンが自らの少数民族性を強調するよりは「ロシア人」を名乗る方が有利だったという考え方もあるし。スターリンの出生疑惑についてはソ連時代からいろいろと噂があったそうで、今回のはその流れの一つと言うことらしい。あれほどの大物でも不透明なところがまだまだあるのですねぇ。
 



◆チベット活仏脱走その後

 昨年の暮れにチベット仏教カギュー派の少年活仏カルマパ17世がチベットを脱出してインドに入ったのはこのコーナーでも取り上げた。しかしその後大きな動きが見られず、どうもインド側・ダライ=ラマ側・中国側のそれぞれの思惑が入り乱れてお互いに様子をうかがっている観があった。当初もうちょっと大事になるような予想も出ていたが、いずれも「事を荒立てたくない」という気分のようで、このまんまズルズルと忘れられていくニュースかなという空気があった。

 しかしどうもここに来ていくつか動きが出てきた。まずカルマパ17世がダライ=ラマ14世とともに公式の行事に出席。そこでカルマパ17世は「チベットは赤い中国に破壊されてしまった」等の内容を含む自作の詩を披露し、初めて明確に「反中国」の気持ちを表明した。これはかなり突っ込んだ発言(詩ですけどね)だと言える。彼に対して中国側はあくまで穏やかな帰国を求めていたようだが、ここまで言っちゃったらもう戻る気はないのだろう。
 一方、ダライ=ラマの方もイギリスのBBCテレビのインタビューで「もう譲歩しない。チベット人は怒っている。私が生きていようといまいと、完全な自治が実現しない限りチベット問題は残る」とかなり強い調子の発言を行っている。「チベット文化が完全に失われれば、世界の損失となる」とまで言っていた(前から思っているのだが、チベット問題って絶滅動物保護運動に似た発言が多いな)。この中でカルマパ17世の脱出は本人の決意によるものだったと明らかにし、彼について「聡明で強く、修行すれば貢献できる」と絶賛したそうだ。なんか一部にはダライ=ラマ側が彼の出現を迷惑がっているのでは(つまり後継者問題が絡んでいる)との見方があったので、この発言は事実上カルマパを亡命チベットの後継者に育てようと決めたことを意味しているのかも知れない。これらの発言を見ていて気が付くのだが、ダライ=ラマの願望はあくまで「チベット文化の維持」で、そのためにチベットの完全な自治(独立ではない)が必要ということになるようだ。
 「私の残りの人生を、空気がきれいで明るい空のチベットのどこかで過ごしたい」とも語っていたという。そう、もう40年以上チベットに帰ってないもんねぇ。「どこかで」という部分には政治的宗教的指導者としての立場を離れて、というニュアンスも感じる。実際ダライ=ラマは「チベットの自治が実現したら「転生」をやめていい」とも言っていると聞いたことがある。今回こうした比較的強い調子の発言が出てきたのにはこうした「晩年の望郷感」が大きく働いているのかも知れない。

 ところでカルマパ17世のほうは、インド北部のシッキムに行く意志を明白にしたそうだ。ここには彼が中国から脱出する動機になったと言われ、中国側が発表したカルマパの置き手紙にも書かれていた「黒帽」があるという。この人の活動もやっぱり政治的と言うよりは宗教的動機が大きいのかも知れない。
 
◇一年後のコメント◇
そういえば先日、カルマパくんのインド亡命が正式に認められていましたな。中印間でこの辺は話をつけたみたいです。もっとも両国の領土紛争地域である聖地には行くなって事になってるらしいですが。



◆「秩父原人」の住居跡?
 
   今週は飛鳥の宮殿跡の発見もあったが、どうも情報不足もあって書くネタがまとまらないので、こっちの「秩父原人」の話題のみを取り上げることにしたい。
 埼玉県秩父の山の中、前期旧石器時代の地層から多くの石器と、「住居跡」と推測される複数の穴が発見された。時代はなんと50万年前!現在の人類の歴史がせいぜい頑張って1万〜2万年というところだから、そのとんでもない古さには圧倒されてしまう。もっとも「人類」の最初のものは200万年前ぐらいの話だそうだが…
 ともかく、50万年前、この地方に「人間」がいたことは確かなようだ。この段階の「人間」を「原人」と呼ぶ。中国の「北京原人」やインドネシア・ジャワ島の「ジャワ原人」なんかが有名だ。これにならって「秩父原人」なんて言葉も使用され始めている。しかし肝心の人骨が出てこないんだよね。日本の土壌が骨の保存に適さない(溶けちゃうんだそうな)のでこれからも出るとは期待し難い。ちなみに北京原人の骨は発見はされているものの日中戦争時の混乱で行方不明となっている。実は日本でも戦前に「明石原人」なるものの骨が見つかっていたのだが、これまた戦災で焼失している。

 それにしても原人がいたこと自体にはさして驚きはしなかったのだが(北京にいたぐらいですからね)、「住居」と思しきものを作っていたとするとこれはやはり驚きだ。北京原人などのケースから「原人」たちは洞窟などに住んでいたのではと推測されていたのだが、今回の発見からすると簡単な「住居」ぐらいは建てて生活していたことになり、これまでの「原人」像が大きく変わる可能性がある。ヨーロッパの方でも住居跡と思われる原人の遺構が見つかっているとかテレビでチラッと言っていたので、研究者の間ではある程度予測されていたのかも知れない。もっとも住居にしては規模が小さいなどの理由から「祭祀場」などの宗教的なものではないかとの見方も出ている。

 ところで「人類」の歴史については、歴史の教科書の冒頭に「猿人」「原人」「旧人」「新人(現世人類)」という変遷を見せる図が必ず載っていたはずだ。しかし実際にはこういう風にストレートに進化を行ったわけではなく、様々に枝分かれしていくつかの「人類」が出現して行き、その中で生き残って世界中に「繁殖」しちゃったのが今の我々、現世人類であると言われている。つまり北京原人にせよジャワ原人にせよ今回の秩父原人にせよ、それらは我々の直接の先祖というわけではない。現世人類が世界中に散らばったのは人類史からいえばかなり最近のことなのだ。

 ところで今度の発見について産経新聞の一面コラム「産経抄」が面白いことを書いていた。部分引用する。

「人類の進化過程を猿人→原人→ネアンデルタール人→現代人という説はほぼ否定されている。原人と現代人とは直接のつながりはないらしい。したがって“秩父原人”はただちに日本人のルーツ解明の手がかりになるかどうか。それはわからないが、秩父の生活遺構から建物柱穴跡が発見された。▼北京原人は洞くつで暮らしていたが、“秩父原人”は小屋を建てていた? とすれば明らかに高度の文明をもっていたことになる」

前半は僕がすでに書いたとおりのことだ。ところがこの文の後段は「日本はこの頃から高度の文明を持っていたんだぞ、参ったか!」と言いたかったとしか思えない(^^; )。とくに「北京原人は洞くつで」というくだりがわざわざ入っているのは、最近この新聞がやたらに強調する「中国とは異なる日本文明」論と軌を一にするものだろう。直前に現代人とは関係ないらしいって自分で書いてるのにねぇ。今度の発見からすれば北京原人だって住居を作ったのかも知れないし、そもそも当時は陸続きだったんだろうから、日本だ中国だなんてばかげた区別もなかったはずなんだが。それと「文明」って言葉を簡単に使いすぎるよな、ここは。
実を言えば僕はこの発見の一方を聞いたとき、この新聞が恐らく「日本に世界最古があった」とはしゃぐんじゃないかと予測していた。まさか看板コラムでこんなに見事にやってくれるとは思わなかったが…(笑)

◇一年後のコメント◇
ご存じの通り、この辺の話はその後大いに疑問視されることになっちゃった。さすがにこの文では僕もマスコミ経由の話をそのまま受け入れて書いてますね。ただ、後知恵的に言わせてもらいますと、「住居」の話はかなり危ないなと感じてはいました。「原人観が変わるかも」うんぬんの部分についてはマスコミで書いていたことをそのまんま書いてるわけですが、例の捏造発覚後にかなり無茶な話であると言うことを聞きましたね。まぁ僕だけでなくかなりの人がこの「秩父原人」ばなしにふりまわされたわけですが…


2000/2/27記

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