ニュースな
2000年3月19日

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ


 ◆今週の記事

◆中国全人代あれやこれや

 中華人民共和国の国会にあたる全国人民代表大会(全人代)が先ごろ閉幕した。一党独裁体制である中国のことなので、開催期間も約二週間ぐらいで日本の国会に比べればアッという間に終わってしまうものだが、やはりそこにはいろいろと現在の中国が抱える問題が表面化してくる。今回クローズアップされた大きなテーマはやはり中国共産党内部における「政治腐敗問題」だった。

 3月10日の全人代で中国最高人民検察院検察長が党幹部の汚職に関する調査報告を行っているが、それによると昨年一年間に摘発された汚職事件は38382件にのぼり、前年比9.4%増というなんとも深刻な数字が伝えられている。内容はお定まりの贈収賄・公金流用などで、県レベル以上の党幹部が2200人摘発され、うち地方の省や中央官庁レベルの高級幹部が3人いたという。
 この報告がなされる直前の8日には江西省の胡長清元副省長が収賄罪(日本円で総額約7000万円だが、中国の物価から言ったら大変なことである)より処刑されている。中国の裁判ってのはときに物凄いスピードで行われるもので、この人物の死刑判決が一審で出されたのはつい先日の2月15日のこと。わずか二週間後に行われた二審は一審判決を支持し、裁判は二審でオシマイの中国ではこれで死刑確定となる。3月7日に死刑執行が最高人民法院によって認められ翌8日には処刑というスケジュールだった。裁判はともかく死刑執行の日程は明らかに全人代での報告とタイミングを合わせて行われたものだ。
 処刑された元副省長は、経済事件で処刑された党員としては過去最高の地位についた人物だった。この元省長を「みせしめ」として全人代開会中に処刑することで党幹部の引き締めを図り、ひいては国民の政治不信のガス抜きをしておくという狙いが党中央にはあっただろう。10日の検察院の報告では今年の目標として「重大密輸案件で、国家業務に携わる者の収賄や密輸放任などの犯罪を暴き出す」ことを掲げたという。昨年は経済特区となっている福建の廈門(アモイ)で党幹部か絡んだ大量密輸事件が起こっており、この全人代の常務副委員長がやはり収賄・密輸容疑が大会直前に発覚している(当然と言うべきかこの副委員長は全人代には出てこなかった)。政治腐敗はもはや地方レベルの話では無くなってきているのだ。まぁ地方が腐敗して中央は大丈夫というわけには当然いかないだろうが。

 僕は「倭寇史」を研究テーマにしているが、当然そこで中国の明代史に首を突っ込むことになる。明代でも中国の地方官僚・中央官僚はともにひどい腐敗を起こしているのだ。中央集権制の明では中央官僚達は地方の県やら州の地方官をあちらこちらと異動しながら勤めていくが、その在職期間中に可能な限り収賄やら何やらで財産をためていこうとする傾向があった。もちろん真面目に行政に取り組む官僚もいたとは思うが、何しろ短期間で異動させられてしまうし(その地域との癒着を避けるためなのだが)、だいたい自分とは縁もゆかりもない地方に赴任させられるため不案内で(自分の出身地には赴任させられない原則である)やることといえば財産集め(もちろんそれをさらに上への贈賄に使うわけだが)ぐらいということになりがちだった。地方役人になるとこれがまた給料がバカ安で、賄賂などの給料外収入でもとらないとやっていけないという事情があり、別段「不法行為」と思っていた節はないようだ。いちおうこうした「腐敗」はよくないと考えるところはあったようで、中央から監察官を派遣して地方行政の監視を行う制度もあったのだが、この監察官がまた賄賂を受けて腐敗するというのがオチだった(…なんか身近なところで最近似たような事があって問題になってましたなぁ)。中国におけるこうした「金銭感覚」は「水滸伝」なんか読んでると濃厚に出てくるので非常に参考になると思う。「倭寇」や密貿易にからむ汚職が見られるのも、今中国で問題とされている密輸汚職を連想させて面白い。

 まぁ歴史的に以上のような「金銭感覚」の下地がある上に、近ごろ「改革・開放政策」の中で経済が発展し様々な利権が生まれる一方で、政治体制は相変わらずの一党独裁体制で党幹部がそれらの利権を握れてしまうという構造が、この大汚職問題を引き起こしているということなのだろう。WTO加盟と世界経済への参加にやっきになっている中国としては、国際的信用を得るためにもこうした腐敗構造に追及のメスを入れざるを得ない。実際、今度の全人代で上海の代表団から「行政の市場への独占的介入を禁止する法律を制定するべき」との提案が出されたという。その結果がどうなったかは確認できなかったんだけど、国際市場である上海ならではの提案と言える。

 …「あれやこれや」とかタイトルつけたけど、汚職問題の話ばかりになってしまった(汗)。
 この大会が終わった後、朱鎔基首相は記者会見で総統選が行われている台湾問題に触れた。ここで「台湾独立は絶対に認めない。やるなら武力も辞さない」とかなり強い口調で言った上に「太平洋の向こう側の国が台湾問題を利用している」と名指しはさけたもののどっかの国を批判した(まぁペルーとかメキシコではないだろうな)。中国の軍幹部なども「独立派の陳水扁候補が当選するようなことがあったら戦争だよ」などと外国TVの取材に陳候補を名指しして答えていた。
 前回、台湾で初めて民主的な総統選挙が行われた際には、台湾海峡で軍事演習を行って「独立」への脅しをかけたことが裏目に出て、より独立的傾向を持つ李登輝氏の当選を招いてしまっている。その「反省」からか今回はなるべく静観の構えを見せていたが、ここにきてあれこれと強気な発言が出てきた。これも「ガス抜き」ってことなのかな。

 さあその結果はどうなりましたでしょうか。それは一番下の記事をご覧ください(笑)。



◆「日本赤軍」の黄昏

  「日本赤軍」。もはや多くの日本人がその存在を忘れてしまっているような観さえあるが、これでもレッキとした(?)有名国際テロリスト集団である(ちなみに英語略称は「JRA」だったりする)。安保闘争・学園紛争華やかかりし頃(1960年代末〜70年代初頭)、「共産主義者同盟赤軍派(共産同赤軍派)」を結成した重信房子(現在49歳)らが、海外の社会主義国などに拠点を構えて軍事訓練を行い、そこから日本に再上陸して武力革命を実現しようと言う「国際根拠地構想」を目標に掲げて中東へ出国し、国内の同志を集めてそちらで1971年に結成した「極左テロリスト集団」である。メンバーはだいたい30人ぐらいと言われている。
 この「国際根拠地構想」とやらは今見ると何やら滑稽観も漂うが、当時はそういうのをかなり本気で追及する人が出てくる空気があったんだろうなぁ、などと後の世代の僕などは推測するほかない。ついでながら実は僕の親は重信房子と大学が同じで学生時代の彼女の顔を知っていたりする。ニュースで彼女の写真が出ると「いつまでも若い頃の写真ばかり出して!」などと変な怒りをぶつけたりしている(笑)。

 さて、中東で軍事訓練を受けた彼らは実際に多くのテロ事件を起こしている。反米=反イスラエルということなのか、パレスチナゲリラと手を組んだものが多い。1972年のイスラエル・ロッド空港での乱射事件では100人以上を無差別に殺傷(うち24名死亡)。翌73年にはパリ行きの日航機をハイジャックしたドバイ事件。さらに翌74年にはオランダのハーグのフランス大使館占拠事件を起こし、フランス当局に拘束された同志を釈放させた。さらにさらに翌75年にはマレーシア・クアラルンプールのアメリカ大使館を占拠してやはり人質と引き替えに日本で拘留中の仲間を釈放させ、ちょっと飛んだ77年には日航機を乗っ取って仲間の釈放と600万ドルの身代金をせしめたダッカ事件を起こしている。特にこのダッカ事件では当時の日本政府が「人命は地球より重い」という名セリフを吐いて、いわゆる「チョー法規的措置」というやつで(笑)赤軍派メンバーを釈放したことで有名だ。それにしても70年代には毎年のように彼らが騒ぎを起こしていたわけですなぁ。
 その後はしばらく表だった活動を見せなくなり、80年代後半になって1986年のジャカルタの日本大使館等爆破テロ事件、翌1987年のローマにおける英米大使館爆発物発射事件、1988年のナポリの爆弾テロ事件(米兵含む5人死亡)などの爆発系テロ事件を起こしている。しかしこれがハッキリした活動の最後で、冷戦構造の崩壊、中東和平の進行という歴史の流れの中で彼らは次第に忘れ去られた存在となっていった。
 90年代になるとルーマニア、ペルー、ネパールとなにやら変わったところで次々と赤軍派メンバーが逮捕され、1997年2月にはレバノンで赤軍メンバー5人が旅券偽造等の罪で逮捕・投獄された。今回話題となっているのはこの5人のことだ(ちなみに以上の文は警察庁のサイトに出てたのを参考にしてます)

 このレバノンで服役していた5人がこの3月で服役期間を終えた。当然釈放となる訳なのだが、日本政府は彼らの身柄の引き渡しをレバノン政府に要求し、釈放される五人もレバノン政府に「政治亡命」を求めていた。苦しんだのはレバノン政府だ。正直なところ彼らはもはや完全な「厄介者」に間違いないのだが、何しろ「イスラエルと戦ったアラブの英雄」ってことでレバノン国民における彼らの人気は絶大なものだという(そのおかげで日本人全般に好意的という話も聞くが、同じ日本人としては複雑な心境である)。このへんの心理はイスラエルにさんざんいじめられたレバノン国民の立場になってみないとわからないものであるが・・・特にロッド空港の乱射事件に参加した岡本公三容疑者(52)の英雄視は相当なものがあるという。
 結局、レバノン政府はこの岡本一人の政治亡命を認め、あとの4人は事実上日本に引き渡すという作戦を採った。「事実上」というのは、直接「引き渡し」をやってしまうと国民世論の反発を招くので、ひとまずお隣ヨルダンに「国外追放」し、そのヨルダンがまた「国外退去」させてさらなる第三国に行かせ、そこから日本に行かせてしまうというややこしい方法を採ったわけだ。まぁ結果は同じなんだけど、こういう政治的演出というのはいつの時代でも行われるものである。それでも四人の追放措置をとった政府に対するレバノン国民の反発は強く、マスコミによる政府批判や激しい反対デモも行われたという。

 日本に帰ってきた四人の赤軍メンバーだが、ただちに日本の警察に逮捕された。しかしまぁそれでも帰国できて内心ホッとしてるんじゃ無かろうかって気もしている。「革命」だの「闘争」だのにはもう疲れちゃってるだろうしね。

◇一年後のコメント◇
この年の年末になって文中にも出てくる重信房子が逮捕されるんですよね。同じ日にアメリカ大統領選が大混乱に陥ったりしてますが(笑)。



◆ローマ法王ミレニアム懺悔
 
 これ、結構海外(とくにキリスト教世界)ではデカいニュースとして報じられたようだ。日本でも報じられはしていたが、やはりどこか他人事で「へーっ、面白いですねぇ」という感じで報じられ、僕もそう思いつつ報道を見ていた。歴史的な事には違いないけど、やっぱり真には迫ってこないもんですね。

 ローマ・カトリック教会の最高指導者・法王ヨハネ=パウロ2世(79)は、3月12日のサンピエトロ広場のミサで「キリスト教会が2000年にわたって行ってきた罪」を懺悔(ざんげ)した。この「2000年間の罪」とは何かというと、まず「ユダヤ教徒に対する迫害」であり、十字軍を初めとする「異教徒への蛮行」があった。確かにヨーロッパには中世以来ユダヤ人迫害の歴史があるが、そこに教会の指示・指導があったことは否定できない。また十字軍が「聖地エルサレム奪還」などと言いながら実態はイスラム圏への侵略活動であり、しまいには同じキリスト教徒のビザンチン帝国を攻撃するという蛮行を行っている。すでに歴史の常識となりつつある事であるが、これを宗教の最高指導者がハッキリと「罪」と認め懺悔したというのは考えてみると大変なことである。他にも「宗教戦争や教会分裂における教会の責任」「南米などの人々への信仰の強制や奴隷化」「女性の尊厳に対する侮辱」などについても言及し、懺悔を行っている。なんだかヨーロッパの歴史上の諸問題総懺悔のおもむきもあるが、ヨーロッパの精神的支柱であるキリスト教会がいずれについても深く関わってきたことは否定できないところだろう。

 今度のローマ法王の「懺悔」については確かに大英断だったと思うし、正直賞賛すべき行為だと思う。しかしその一方で「そこまで全部謝らなくても」って気もしちゃうところもある。世界の大宗教は多かれ少なかれ同様の事をやっているわけで、何もキリスト教会ばかりが悪事を働いていたわけでもない。これに刺激されて世界各国の宗教指導者が同様の懺悔をするってんなら大いに結構だけど。実際、今度の懺悔についてはバチカン法王庁内部でも「一法王が過去2000年分を勝手に懺悔しちゃって良いのか?」という疑問の声があったそうだ。また懺悔して解決するという問題でもないし。

 今度の懺悔は少し前から予兆があった。今年は2000年と言うことで法王の聖地エルサレム訪問が行われる(ネタにしそこねたのだが、先日エジプトも訪問しイスラム指導者と会談したり聖書ゆかりの地でミサをしたりしていた)。エルサレムと言うことはユダヤ人国家イスラエルを訪問するわけで、その際に過去のユダヤ人迫害とカトリック教会との関わりを明確にしておく必要があったのだ。今度の「懺悔」についてイスラエル側も「ユダヤ教とキリスト教両宗派の改善に大きな里程標となる」と大いに評価している。
 しかし、ドイツのユダヤ教中央評議会は「ナチスのホロコーストに対する明確な言及がない!」と噛みついていた。ユダヤ人に対する歴史上長きにわたる迫害への懺悔の中にこのホロコーストも組み込まれているのだと思うが、ユダヤ人の一部では「当時の法王(ピウス12世)がナチスの反ユダヤ主義に対して毅然とした態度を示さなかったのが良くなかった」と、ホロコーストに関するカトリック教会の責任を追及する声があり、明確な言及が無かったことに不満を持ったわけだ。こういうのって日本の戦争責任論でも出てくるけど、キリがないんだよなぁと思うところも。

 余談ながら、そのむかし教会改革をとなえたためにコンスタンツ公会議で「異端」とされ、火あぶりにされちゃったチェコ人・フスの名誉回復の話がバチカンで進んでいるそうな。そういやバチカンって最近になってガリレイ(地動説を唱えたため宗教裁判にかけられた)に謝ったりしてましたもんね。



◆台湾総統選決着!
 
 さあて、注目の台湾総統選、決着が付きました!結果は「台湾独立」方向に一番向いていると言われる野党・民主進歩党の陳水扁候補が見事当選。国民党を離党して無所属で選挙に臨んだ宋楚瑜候補はこれに肉薄と大健闘。当初本命視されていた与党・国民党公認で名門出のサラブレッド連戦候補はまさかの惨敗!この結果はほとんど誰も予想しなかったんじゃないだろうか。それだけ直前まで票読み困難な選挙戦だったと言える。僕も2月20日付けの「史点」で台湾総統選挙をとりあげているけど、当時クジで五番を引き当てた陳候補の当選を全く予想していない(笑)。「連戦」って名前が面白いなぁなんて思ってた程度だ。

 この結果にはいろんなことが言えそうだが(今日あたりから専門家があれやこれやと分析してますが)、一つには台湾の人々の「台湾人意識」が思った以上に強烈だったということは言えそうだ。今朝のTV番組などでも「台湾の人は8割が「中国人」ではなく「台湾人」と答える」という話を盛んに取り上げ、中国からの分離意識うんぬんが論じられていた。もっとももともと中国人って「中国人」っていうひとかたまりより地方意識が強い人達なので別に台湾人だけの現象とも言い切れないのだが。まして台湾は日本領だった時代もあるし、戦後国民党が大陸から入ってきて、彼らいわゆる「外省人」に過酷な支配をされたということもあって、大陸とは切り離された独自意識が強くなったのは当然ではあるだろう。

 今回陳候補へさらに票を回してしまったのが、一番上の記事で触れた大陸側の「恫喝」とも言える「独立断固阻止」の発言だったろう。陳候補は名指しで「独立論者」と批判され、軍人の一部は「陳候補が勝ったら戦争だ」などと口にしていた。もちろんホントにやるとはほとんどの人は思ってなかったろうが、これがかえって台湾人の怒りを呼んで陳氏への投票という流れを作った可能性は大いにある。面白かったのが連戦・宋楚瑜両候補が、こうした大陸側の発言を利用して「陳氏が当選したら戦争になるぞ!」とネガティブキャンペーンを張ったことだ。「戦争へ行こう、戦争に行こう」と男たちがタスキをかけて行進するCMを見たが、まぁ露骨なもんである。これもかえって陳候補へ票を流したかもしれないな。ちなみに最盛期には台湾のTVCMは7割が選挙CMに占拠されていたそうな(^^; )。アメリカ以上のネガティブCM作戦が展開されていたようだ。
 
 それと、中国絡みだけではない。今回の総統選の結果は文字通り歴史的な事件なのだ。あの「中国国民党」が初めて政権の座を完全に追われてしまったのだ!この政党のルーツはあの孫文が1905年に東京で革命組織「中国同盟会」を作ったのにさかのぼれる。辛亥革命後これを母体として「国民党」が作られたが、これは袁世凱の弾圧で解散。1914年に孫文が中華革命党をまたも東京で結成し、これが1919年に「中国国民党」として改組され現在に至るわけだ。孫文死後は蒋介石がこれを率い、日中戦争、第二次大戦終結まで事実上の中国代表政府として存在していた。第二次大戦後は毛沢東率いる共産党との戦いに敗れて台湾に逃れ、ここに政権を築くことになり、その後も中国代表政府として国連に出ていたが、アメリカが中華人民共和国と国交を結んでしまったために中国代表の地位を失った。蒋介石とその子蒋経国の時代が終わると次第に台湾は民主化の方向へ向かい、現在の李登輝総統のもとでいっそうの民主化が進んだ。しかしその結果は国民党が政権の座からひきずりおろされるという形で出てきたわけだ。今回の選挙には国民党による長年にわたる一党独裁支配が台湾人に愛想を尽かされたという性格もあるのだ(なんでも連戦氏、蒋介石未亡人宋美齢さんの支持まで取り付けたがかえって逆効果だったとか)。どうやら李登輝さんも国民党の歴史的政権失陥の責任を党内から問われ、党主席を辞任することになるようだ。

 さて、もっとも「独立派」とみなされ中国からも警戒された陳水扁候補が次期総統と決まったことで、東アジアに一気に緊張が高まるか・・・という見方もあったのだが、今のところ平穏。あれこれ脅しをかけてはいたものの、今世界経済へのよりいっそうの参加と経済発展を目指す中国が今さら世界から孤立するような作戦をとるわけもない。また陳水扁次期総統もいきなり「独立」なんて出来るわけもなく、「大陸との対話」を盛んに強調する姿勢を見せている。なんでも総統になった五月には副総統ともども北京を訪問し、江沢民主席・朱鎔基首相らを台湾へ招待したいというのだが・・・・さてさて実現しますかどうか(前者はともかく後者はかなり厳しいだろうな)。こうした発言をうけたせいか、中国共産党は現時点で驚くほど冷静で、「しばらく様子をみよう」というコメントも出しているようだ(一部の方には拍子抜けか?)。国民党が相手の方が歴史的な経緯からやりにくくもあり話やすくもあっただろうが、この陳水扁という台湾生まれの台湾育ちにはどう対応したものか図りかねているというところじゃないだろうか。

 もちろん中国が「台湾独立」を認めるわけはない。推測だが、今の中国政府首脳が考えている「統一策」は、中国沿岸部を台湾並みの経済状態にさせて台湾との経済的結びつきを強め、事実上国境の意味を無くしてしまった上で、ソフトランディング方式で「合邦」させようというあたりではないだろうか(なんかEUに似てきたか?)。とにかく、今後の展開に注目だ(ああ、ありきたりな結びの文)

◇一年後のコメント◇
台湾についてはここから一年、まさに激動…でもないか、とにかく様々な話題が出てきました。最近話題の「台湾論」騒動もこの一連の動きの中で出てきたもんですしね。この記事を書いたときよりは台湾の複雑な内部事情を知ることが出来たし、個人的にもこの一年いろんな意味で台湾ネタが熱かったです。ところで記事中にもあるまさかの惨敗を食った連戦国民党党首に関してですが、この選挙直前に日本で連戦の伝記が出版されてるんですね。図書館で見かけて読んだら次期台湾指導者と断定して話が進んでました。とくに冒頭文書いてるのが「外しまくり」で一部で定評のある(笑)長谷川慶太郎氏だったのが面白かった。うっかり断定予測をするもんじゃあないですな、ホント。


2000/3/19記

<<<前回の記事
次回の記事>>>

  「ニュースな史点」リストへ