ニュースな
2000年4月9日

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 ◆今週の記事

◆「政変」の一週間

 あれからたった一週間しか経ってないのか…。先週自分で書いた「史点」を見ながらそんなことを思う。とにかく傍観者としてはこの一週間は長かった。いや実際にはアッという間なんだけど、密度の濃さといいましょうかね。なんせ一国の(しかも自国の)最高権力者がいきなり目の前からいなくなり、慌ただしく次の人に変わっちゃったんだから。
 先週「史点」執筆中に「小渕首相入院」の一報を知った。ちょうど連立を離脱した(させられた?)「小沢一郎」ネタをほぼ書き終えたところで、気分転換にネットに入ったところ「首相入院」の文字が目に入ってきた(確か11時ちょうどぐらいだった)「おいおい」と思いつつ「やっぱりかつての『身内』を斬るのは『人柄の小渕』としては神経にこたえたのかな」などと思っていると、11時半から青木官房長官が記者会見で首相の入院を発表する様子がTVに映し出されていた。この時点で発表されたのは「入院した」という事実のみだったが、入院したのがその日(4月2日)の未明であったという点に僕も不審を感じた。首相が入院したってのにこのタイムラグはいったい?僕はこの時点で「不測の事態」を感じてそのままTVやらネットやらで「速報」がないか様子をうかがいつつ1時過ぎまでねばっていた(笑)。結局国民に事態の深刻さが伝えられたのは翌日になるわけだが、その後明らかにされた話によると、青木長官が最初の記者会見をしたこの4月2日午後11時半には政界の舞台裏でほとんどの工作が終了し、次の首相もほぼ決定してしまっていたことになるから驚きだ。

 4月1日に小沢自由党を斬り捨てる党首会談があり、これが終わった5時間後、小渕恵三首相は自宅で脳梗塞のため倒れた(青木さんの会見では本人が不調を訴えて…となっているが、真相は分かったものではない)。周囲に察知されぬよう官邸の裏に乗用車を呼んでそのまま順天堂医院に運び入院。4月2日の早朝に青木幹雄官房長官が緊急事態を自民党の一部幹部に告げ、正午から秘密会談が行われた。参加者は青木幹雄官房長官、村上正邦参院議員会長、野中広務幹事長代理(この直前に「サンデープロジェクト」に出演したのを僕はたまたま見ていた)森喜朗幹事長、亀井静香政調会長の5人。現在の自民党主流の中枢メンバーですな(青木さん以外はみんな濃いなぁ)。呼ばれなかった幹部もいるわけで、その人はお気の毒です(笑)。それはともかく、この5人で事態への対応を話し合った。その後出てきている話によるとこの時点では小渕首相の容態の程度が分からなかったため何も決めずにいったん散会している(もちろん真相は分からない)

 そして午後7時頃、青木長官が小渕首相を病院に見舞い、ここで「小渕首相から総理代理をつとめるよう指名された」と発表されていたが、これがまたかなり怪しい。このわずか30分後、小渕首相の容態が急変し昏睡状態に陥ったことになっているのだ。小渕さんが青木さんに総理の重任を託するなんてことがちゃんとできたのかどうか。一時的に日本の最高指導者が存在しないと言う状況があったことで、このあたりあれこれ内外で議論を呼んでいる(もっとも異例中の異例のことなので対応はどこの国でもあんがい似たようなことになったかもしれない)
 午後9時に先ほどの5人が再び集まる。ここで青木さんが「首相臨時代理」になることが決定される(大平首相急死の時も官房長官だった伊東正義氏が総理代理をつとめた)。そして状況からして新首相を決定しなければならないことになったが、これはいくつか案が出ては消えたようだ。まず青木さんが「キャリアなら宮沢喜一蔵相、沖縄サミットを考えて河野洋平外相」と首相候補を挙げたという。ここの掲示板を見ると分かるが、僕もこの二人がすぐ頭に浮かんでいた(もっとも書き込んだ時点で「森有力」の流れが報じられており少し後退してますけどね)。しかし宮沢さんが固辞したこと、河野さんは党内の力関係が弱いことなどでこの二人は早々に消えたようだ。党内の有力者といえば小渕派に次ぐ勢力を率いる加藤紘一前幹事長がいるが、彼は公明党との連立に批判的な言動を行っているからこれも現状では消去(もっとも加藤さん自身も今回は避けたと思う)。やはり自らの派閥を率いる山崎拓氏も同様。一時はこの密談に出ている亀井静香本人や中曽根康弘元首相の名まであがっていたそうな。で、結局は「森でいこう」という結論に落ち着いたわけだ。ハッキリ言って能力とか政治姿勢とかいう問題ではなく「とりあえずこれなら一番波風が立たない」という実に日本のムラ社会的な人選だと言える。

 正確なことは分からないが、どうやら青木さんが首相入院を発表した11時半の段階では「森首相」という話がほぼまとまっていたと思われる。しかし先述のようにこの時点で国民には首相の容態すら公表されなかった。いやはや政治というのは恐ろしい。その後僕が速報がないかねばって起きていた4月3日午前1時まで例の五人の密談は続き、野中氏の幹事長昇格をはじめ人事関係を決定して散会した。翌3日は小渕首相の真の状態が国民に徐々に知らされる一方、自民党内では「森でいきますよ、いいですね」という決定済み事項了承の根回しが行われた。だから僕らが「後継は?」などと騒ぎ出した頃には全て舞台裏の密談でコトは決まっちゃっていたのでありますね。後で知ったらなんか拍子抜け(笑)。改めて日本の政界の談合・根回し体質の根深さと面白さを知らされた気もする。

 かくして森喜朗氏が日本の第85代総理大臣になってしまった。まさに「棚からぼた餅」の総理の座だが、やはり森さん嬉しそうである(笑)。巨人の松井選手と同じ町の出身(代々町長を務める家柄)で、「松井より有名になるにはあれしかないな」と総理の座を狙ってはいたようである。総理を目指した動機がホントにその程度のものだと困っちゃうんだけど。サービス精神は旺盛なようであっちゃこっちゃでウケを狙って暴言を吐いてしまう人でもあるようだ。これからの「クエスチョンタイム」の討論が楽しみである(笑)。
 ちなみに今度のことを教訓に、首相に万一のことがあった場合ただちに権力の委譲が行えるよう制度が決められるそうで、森首相は安心して倒れられます(笑)。

 ところで首相交代という歴史的ドタバタの陰で霞んでしまったが、連立を離脱した自由党を割って出た野田毅前自治大臣を中心とするグループは結局総勢26人となりかつての自由党の過半数をとってしまった。海部さんがいるのは分かるとして、二階さんとか中西啓介さんといった「小沢側近軍団」のメンバーがいたのには驚いた。これまでも数々の側近・親友に見放され続けた小沢さんだが、この二人まで寝返るとは大ショックだろうなあ。この自由党分離グループは新党「保守党」を旗揚げしたわけだが、この大看板(しかも明らかにやっつけ仕事の字!)を見た記者達は思わずズッコけていたという。かく言う僕も爆笑してしまったが。まぁ「友愛」とか「太陽」なんてのもあったからな。「民主党」だって当時けっこうズッコけたものだ。まぁあの名前からしてもさっさと自民党に合流するのは目に見えているな。
 それにしても「自・公・保連立」ってなんだかなにかの保険みたい(笑)。

◇一年後のコメント◇
ちょうど一年後の「史点」でこの時誕生した首相の退陣表明を書いているわけで…この一年の日本政界ネタはいろいろと濃かったなぁ。面白かったですけどね。



◆フランス人の意地?
 
 フランス人というと、その「中華思想」が話題になることが多い。どこでも自分の国や文化をひいきにするものだが、こと自国の文化に対する強烈な自負は中国とフランスで特に強烈だと一般に言われる。そういえば両者とも食文化の二大巨頭でもある。ちなみに僕が習った大学のフランス語教官(日本人)は「フランスは良いところですよ。フランス人さえいなけりゃ」とジョークを言っていたものである。場合によっては鼻持ちならないところもあるようだ。

 世界は今や英語が事実上の標準語となりつつある。先日日本の21世紀懇とやらが「英語を第二公用語に」などと言っていろんな方面から反発を喰らっていたが、一国の公用語とするかどうかはともかく現実問題として英語の知識なくして国際活動はできないんじゃないかというのが昨今の情勢だ。インターネットの普及がそれに拍車をかけている気配も感じる。人口で対抗するなら「漢字文化圏」の結束ぐらいしかないだろうけど…あ、話がそれた。とにかくこの情勢をもっとも苦々しく思っているんじゃないかと思われるフランスでちょっとした騒動が起きていた(元ネタは確か読売)

 フランスの「建国の英雄」の名を冠するド=ゴール国際空港を拠点とするエールフランス社が、社員のパイロットに「ドゴール空港管制区域では英語で交信せよ」という「命令」を出した。そして3月23日から実施に移したのだが、一部パイロットたちがこの命令に反発し、「ド=ゴール将軍は英語にノンを言ったはずだ」と書いたパンフレットを配布して抗議を行っているという。
 当然ながらこの命令はあくまで安全管理の要請によるもの。日本でもそうだけど、世界中の航空管制はほとんど英語で交信が行われている。フランス国内空港はフランス語で良いとしてド=ゴール国際空港のような「ヨーロッパのハブ空港」では英語交信が多く行われており、フランス語を使用するエールフランス機がいるために英語とフランス語の交信が入り乱れる、はなはだ危なっかしい状態が生まれていた。外国のパイロット達から不安を訴える声が大きくなってきたため、今回の命令が出されることになったようだ。

 この元記事によるとカナダのケベック州の反応が出ていた。ケベック州と言えばフランス系住民が多数を占め、異常なまでに徹底した英語排除・フランス語偏重主義がとられている有名なところである(当然独立騒動もある)。こういうところだから当然航空管制もフランス語。今度の本国フランスでのこうした事態には「恥ずべき決定」という批判の声が上がっているそうな。



◆南京景観問題
 
 南京といえば中国の南部、長江流域にある大都市である。古くからこの地方の中心都市として存在していたが、とくに14世紀に朱元璋が明王朝を建てた際、その首都とされた。明王朝は南から中国を統一した珍しい王朝なのでこういうことになったのだが、これも三代目(といっても一代目の子だが)永楽帝が乱を起こして帝位を奪うと、都は北京に移された。それでも南京には太祖朱元璋の墓があるため(ひとりぼっちなんだけどね)重要視され続けた。今日でも南京には市街のあちこちに城壁が残っているのだが(実際に行って観てきました)、これはほとんどが明代に作られた城壁だそうである。その後南京の町は中華民国の成立により再び首都とされたが(これまた建国の父・孫文の墓も南京にある)、日中戦争時に日本軍の攻撃を受け当然ながら城壁もかなり破壊された。戦後50周年を機に日中共同で城壁修復事業が行われたのもこうした歴史的経緯があったからだろう。僕が南京を昨年の今頃訪れたとき、上海からの高速道路を出るとすぐに城壁が見え、その城壁にある昔ながらの城門をくぐる形でそのまま南京市に入ったが、あの城門はやたら新しかったのであの辺は「修復」部分なのかもしれない。

 さて、僕もその時南京市内を見物したからよく分かるのだが、最近の南京は近代的な高層ビルがニョキニョキと伸びている。南京だけではなかったのだが、あのあたりの大都市は今やどこも大建築ラッシュで、古い建物を壊してはやたら近代的なビル群を次々と建てていた(そのため巨大なビルのすぐ裏手に「社会主義中国風」の小住宅があるというアンバランスな光景が見られた)。みたところ「〜公司」といった企業や銀行、ホテルのビルがほとんどだったような気がする。高層ビルみたいなホテルの窓からで朝の南京を眺めたが、ホントに高層ビルばかり目立つ光景だった(全然更新してないけど「旅」コーナーに写真あります)

 南京は上記のような歴史の町であるため、地方中心都市であると同時に歴史観光の町でもある。ここにきて日本の京都と同様、南京にも「景観論争」が持ち上がってきた。地元の新聞によると南京市内には8階建て以上の高層ビルがすでに600以上存在しており、南京市政府はこれらが「古都の景観を損ねる」として特に城壁周辺に高層ビルを建てることを規制する方針を打ち出したとのこと。それだけ中国の経済も発展したという見方もあるんだろうけど。杭州の観光地・西池に行ったときも、あたりに高層ビルが見えるため「興ざめだ」と言っていた観光客もいたっけ。僕は気にならなかったですけどね。

 ところで本題とは離れるのだが、この南京で先日気になる事件が起きていた。南京周辺には外国企業との合弁工場が多く、工業団地なんかが形成されているのを目撃してきたのだが、そうした合弁企業の一つ「亜星ベンツ」のドイツ人副社長一家四人が強盗に惨殺されるという事件が4月2日に起きた。犯人四人はすぐに逮捕されたが、この強盗たちは南京を含む江蘇省北部の出身で、外国人が住む住居内に窃盗目的で侵入、そこを副社長に発見されたため「居直り」で副社長を殺害したものらしい。何も一家全滅させる必然性はなかったはずなのだが…。この痛ましい事件には中国政府もショックを受けたようで、「特に外国人を狙ったものではない」という警察のコメントを発表している。
 僕もこの事件が外国人排斥運動などとは思わない。でも僕が最近感じている(短期間ではあるが実際に触れてみて思いが強くなった)中国社会の現在の「危なっかしさ」がこの事件の背景に感じられる。改革・開放政策のもとで急速な経済発展は確かにしているんだけど、それに乗り遅れた貧困層も出現しており、それが法輪功のような宗教団体に吸収されるならまだしも(これもこれで問題があるが)、凶悪犯罪に走るケースも多くなってきている。改革・開放は結構だけどどっか急ぎすぎてバランスを欠いてるように思うんだよね。



◆元KGB大統領大活躍!?
 
 あ、プーチンさん正式にロシア大統領に当選したんだっけね(確か就任はまだだと思うが)。「史点」ネタからは漏れてしまってましたね。今回ネタが少ないので取り上げて差し上げましょう(笑)。

 プーチンさんといえばなんだか「急に出てきた人気者」というイメージしかない。人気が出た理由も首相としてチェチェン紛争に強硬な態度で臨んだってことだけだもんね。それとあとは若さか。「若さと強さ」が今のくたびれきったようなロシアの国民には魅力的な刺激剤に見えるのだろう。
 それを知っててやってるんだろうが、プーチンさんという人はとにかくパフォーマンスが多い。選挙運動中に戦闘機に乗り込んでチェチェン入りし兵士たちを激励したのは記憶に新しい。プーチンさんはいちおう「大統領代行」の地位にいて「核のボタン」も握っているわけだが、この戦闘機搭乗の時はボタンを入れたスーツケースを手元に置いてなかったらしく、批判を受けていた。もっとも前任のエリツィンさんも核ボタンを預けるには恐ろしい人であったが(笑)。
 当選後もパフォーマンス癖は治らないようで、今度は北極海で原子力潜水艦に水兵姿(笑)で乗り込んで潜水を体験してそのまま一夜を明かした。なんでも新水兵の慣習にのっとって海水を100グラム飲むなんてこともやったそうな。その翌日も巡洋艦上から北洋艦隊のミサイル発射を視察。こんなことをやっていたためモスクワへ帰るのが遅れ、エネルギー問題に関する定例の閣議に間に合わす、結局閣議は中止に。この件をイズベスチア紙は「世間には『次は宇宙ステーションのミールに乗り込むだろう』という冗談すらある。元首らしくない行動はやめ、国事に『浮上』すべき時だ」と皮肉ったという。宇宙ステーション「ミール」といえば予算の都合で廃棄がいったん決定されていたが、出資者が現れたため無事存続が決まって、久々の宇宙飛行士が向かったばかり。「やりかねんな」と思うところはある。

 まぁこの程度のパフォーマンスなら「ロシアの指導者はいつも退屈させないなあ」などと楽しんでいられるのだが、なんてったってプーチンさんは元KGB。自ら戦闘機に乗り潜水艦に乗るあたりは本職スパイの血が騒ぐのか(たぶんデスクワーク組だったんだろうけど)。そういえばこのところスパイ容疑でアメリカ外交官が追放されたり「スパイ狩り」が実施されていたっけ。KGBの血が変な方向に騒がないよう祈るばかりだ。
 


2000/4/9記

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