ニュースな
2000年5月21日

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 ◆今週の記事

◆スリランカ内戦事情
 
 スリランカの内戦といえばタミル人反政府組織がからんでいるとみてだいたい間違いない。「タミル・イーラム解放の虎」(LTTE)という凄いお名前の反政府ゲリラがあり、その総数たった7500人と言われているのだが、これがなかなかに強力なのだ。それが先月末にスリランカ北部のジャフナ半島をほぼ制圧し、北部の要衝エレファントバス基地を陥落させ、政府軍兵士少なくとも数百人が死亡させた。事態を重く見たクマラトゥンガ大統領兼国防相は5月3日に1948年の独立以来始めての「戦時体制」を宣言、50歳以下の軍務経験者に出頭を呼びかける一方、マスコミ対策など戦中の日本みたいな治安維持法体制を敷いた。ジャフナ半島の付け根にあるジャフナ市に3万人もの政府軍兵士が孤立しているとの話だが、その後「解放の虎」側から半島からの政府軍撤退を条件とした停戦の申し出があったりして予断を許さない状況が続いている。

 ところでこの「解放の虎」って以前からやたら強いんだけど、その原動力はなんなのだろうか。タミル人ってのはインド系の住民でヒンドゥー教徒。仏教徒のシンハリ人が多いスリランカでは少数派で、そうした宗教的な原動力が確かに考えられる。しかしそれだけでこの強さは説明できない。軍事力の背景に経済力あり。この「解放の虎」は麻薬密売ビジネスをやっているのだ(同様のことはあちこちのゲリラにあるな)。ちゃんと商船団も保有していてタイに積みおろし基地まであるのだという。新聞の報道によるとアフガニスタン産の麻薬をパキスタン経由で購入して、それを商船団で通常貿易と一緒に運んで欧米各地に売るのだという。他にも各地のテロ組織への武器卸しビジネス、密入国斡旋ビジネスなども手がけているという。恐れ入ったことにインド料理・スリランカ料理のチェーン店までヨーロッパで展開し利益を上げているという。レストランに食いに行って知らず知らずゲリラの資金源にされているというのも恐ろしいな(^^; )。こうしたビジネスで得た豊富な資金で武器を購入しているわけだ。
 これに対し、スリランカ政府はお隣インドから協力の約束を取り付け、さらにイスラエルなどから最新鋭の兵器を購入して対処するようだ。下手するとゲリラ側よりも装備費用捻出に苦労している様子だ。クマラトゥンガ大統領は兵士達に「数週間以内に最新の兵器が届く!」と呼びかけて励ましているそうだが…。

 その後大きな動きを聞かないな〜と思っていたら、5月17日にスリランカ東岸の仏教寺院で「解放の虎」によると思われる爆弾テロが発生、17人が犠牲となった。この日はお釈迦さんの誕生日ということで国民の祝日とされていて、そこを狙ったまさに卑劣な犯行。タミル人の犠牲者も出ているらしいとのことだ。まったく神も仏もありゃしませんな。

◇一年後のコメント◇
この内戦、まだやってるんだよなぁ…休戦しちゃあ開戦の繰り返し。そういえばこの文に出てくるクマラトゥンガ大統領の母親で世界初の女性首相バンダラナイケさんは昨年亡くなったのでありました。



◆フィジーで「クーデター」?
 
 フィジーといえばオセアニアの島国で、観光地としては日本でもけっこう有名。「太平洋の島国」なんていうと楽園ムードが漂って、およそ政治的ドタバタと縁が無さそうに思えるのだが、なんとこのフィジーで「クーデター」騒ぎが持ち上がってしまった。そしてそこに実に興味深いフィジーの歴史的経緯が浮かび上がってきたのだ。

 5月19日午前10時(現地時間)、フィジーの首都スバにある国会議事堂に7名の武装グループが突入してこれを占拠、マヘンドラ=チョードリ首相以下七名の閣僚、その他大勢の国会議員を拘束した。そして首謀者と見られる実業家のジョージ=スペイト氏が直後に「フィジーの先住民のために文民クーデターを実行した」と声明を発表、これをインターネットに流した(この辺が今どきのクーデターである)。彼らはこの声明で政権の奪取と憲法の無効化を宣言し、フィジー系政党であるフィジアン・アソシエーション党のラト・シラトル議員を暫定首相に指名したほか、閣僚名簿も勝手に発表してしまった。クーデターの発生直後からスバの町では暴徒化した一部のフィジー系住民による商店への放火・略奪行為も行われたという。同国のマラ大統領はただちに武装グループを非難する声明と共に非常事態宣言を発令、市民に速やかに家に帰るよう呼びかけ、だいたいその日のうちに市内の混乱は収拾したようだ。隣国であるオーストラリアやニュージーランドなどの政府はただちにこの武装グループを「犯罪的」と非難し、またフィジーの軍・警察も武装グループには呼応せず、マラ大統領に従うという姿勢をただちに示した。孤立化している「クーデター派」だが、そのまま国会議事堂に首相らを人質にして立てこもっている。この原稿を書いている時点で政府側の説得に応じて何人かの人質が解放されてはいるようだが、首相の身の安否は判然としていない。
 それにしてもたった7人による「クーデター」ってのが凄い。このへんがフィジーならではと言うべきなのか。実際オーストラリア政府などは「これはクーデターではない。人質監禁事件だ」と言っており、それは確かに的を得ているようだ。なんだか現在のにらみ合い状況は先日日本で起きたバスジャック事件と似てきているような。

 ところでこの「クーデター」騒動の背景にはフィジー国内の人種対立が濃厚にあることが見てとれる。このクーデターを起こした連中は声明にもあるとおりもともとフィジーに住んでいたフィジー系住民なのだが、監禁されたチョードリ首相はインド系なのだ。フィジーは以前イギリスの植民地だった時代があるが、その時期に同じイギリス領だったインドからかなりの移住者があり、独立後もフィジーに根付いて経済的にも比較的裕福な階層を形成していたのだった(このあたり、東南アジア諸国の華僑の事情と似ているような)。そしてそれは政治にも反映し、インド系政党による政権が成立した。これに反発して1987年にフィジー系の軍人ランブカ中佐がクーデターを起こしてインド系政府を打倒し、自ら首相の座に就いてしまったこともある。ちなみにこのランブカ元首相が今回の事件では「クーデター」一派の説得役に当たっているというのが歴史の面白いところ。
 その後憲法が改正されてインド系住民の政治的権利が拡大され、民主的手続きによってちょうど一年前に現在のチョードリ政権が成立した(うーん、「史点」ではまるで気づいておらんな)。しかし今回の「クーデター」首謀者の声明でもインド系による政府に対して激しい憎悪が見えているように、先住民でありしかも経済的にも貧しいフィジー系住民のインド系住民に対する対立感情はかなり根深いもののようだ(ついでに言えば宗教的な差違も多少影響しているようではある)。実際、今度の「クーデター」の噂が広まると首都スバの市内に繰り出した暴徒はインド系住民の商店を中心に襲っていたという(これまた、インドネシア政変時の華僑の被害を連想させる)。インド系住民は一時恐慌状態に陥ってオーストラリアの高等行政官事務所に保護を求めて殺到したそうだ。

 上記のネタでもやっているが、世界中こうした人種・民族対立ってのはどこにでもあるものだ。「太平洋の楽園」でもそれと無縁ではないのだなぁ、とちょっと悲しくなっちゃったりもするのだ。

◇一年後のコメント◇
このフィジーネタ、しばらく「史点」を賑わしてくれた。フィジーの話をこんなに書くことになろうとはこの時は筆者もちっとも予想していませんでした。



◆イギリス皇太后100歳
 
 以前、「史劇的伝言板」の方で「今も生きてる歴史的人物は?」という話題が上がっていた。即座に思い当たるのが西安事件の主人公・張学良、蒋介石の夫人で孫文夫人・宋慶齢の妹の宋美齢などの名が挙がっていた。どちらもほぼ100歳になんなんとするお年である。そしてそこに歴史的役割は別として同世代ということで僕が挙げたのが、イギリスのエリザベス皇太后だ。つまり現在の女王エリザベス2世の母親である。それにしてもヨーロッパっちゅうのは自分の子どもによく同じ名前をつけるものだ。そんな話題がつい先日あったので、読売新聞でみかけた以下の話題が目についたのだ。

 このエリザベス皇太后が今年8月4日に満100歳を迎える。なぜかは知らないがそれに先立つ7月19日に記念式典が行われるとのこと。この式典は首相官邸(あの安アパートのような建物のことかな?)のわきの近衛騎兵連隊本部に皇太后はじめ王室一同を迎えて行われ、騎兵隊・軍楽隊の総勢7000人に各種慈善団体がくわわって大パレードを行う予定だそうだ。たぶんイギリス王室の歴史上でももっとも長生きした人だろうし、それはそれで歴史的イベントになる資格はあるだろう。
 ところが、先日になってイギリスの国営放送BBC(日本ならばNHKにあたる)が、当日にこの式典およびパレードを生中継放送しない方針を決定していたことが明るみとなり、保守派を中心に反発を招いている。保守系大衆紙「デイリーメール」は「連続ホームドラマの放映を優先し、王室を冷遇する気か!」と大体的に反発キャンペーンをやっているという(ってことはその時間帯に連続ホームドラマがあるわけだな)。野党に回っている保守党の「影の内閣」の文化・メディア・スポーツ相も「BBCの対応は、王室に対する侮辱だ」と非難をしたそうな。
 ところでBBCはなんで中継をしないことに決めたのだろうか。BBC自身がラジオ放送で聴取者のアンケートをとったところ、「イギリスも王室も変わりつつある」という意見が多く、多数の人がBBCの「中継しない方針」を支持したという。そうやらその「連続ホームドラマ」を見たい視聴者の方が多かったということのようだ。BBCが生中継をしないと決めたのもそうした視聴者の意向と無縁ではないだろう。それに皇太后って今の日本でもそうだけど、今ひとつ存在感がないもんですからね。1989年正月に昭和天皇が亡くなった際、その当日や葬儀の日にはテレビが一斉に中継や特番に追われたのに対し、視聴率がえらく低く、レンタルビデオ屋が大繁盛したことを思い出すなぁ。

 さらにこの論議に拍車をかけたのが、「チケット販売問題」だった。この式典は近衛騎兵が「主役」をつとめるせいか国防省が担当して仕切っているのだが、この国防省が式典を眺められる観覧席を法人用のボックス席として、1ボックス(20人分)を10000ポンド(約170万円)で販売する計画であることが明らかとなったのだ。これに対しても「皇太后に失礼」との声が保守党を中心に上がっているという。もっとも国防省側は「式典の公的負担を軽減するための措置であり、価格も妥当」と弁明しているそうだが。

 そういやあ、ブレア首相のお子さんお生まれになったようですね。在任中に子供が産まれた首相は157年ぶりとか。名前は首相の祖父と同じ「レオ」に決まったそうで。イギリス名物の「」でも2倍の賭け率だったとのこと。それにしてもなんでも賭の対象にするよな、ここって(笑)。
 なんだか関係ない話で締めくくってますなぁ(^^; )。



◆ああ、やっちゃった…
 
 森喜朗内閣総理大臣。やっちゃいましたねぇ、とうとう。一ヶ月半前のドタバタでいきなり首相になってしまった際も、森さんの「暴言(放言)癖」は懸念のタネだったわけですが。いつか何か言うだろうとは思っていたんだけど、私の予想をはるかに上回るお言葉を発してしまったようですなぁ。

 さんざん報道されてたから、どういう発言かはほとんどの方はすでにご存じであろうが、確認のためにその発言を再録してみよう。発言は5月15日の都内のホテルで開かれていた神道政治連盟国会議員懇談会の結成30周年記念祝賀会のあいさつで行われた。そのあいさつでこの懇談会の顧問を務める森首相は同懇談会の歴史を振り返る形でこう言ったのだった。

「最近、村上正邦自民党参院議員会長をはじめ、皆さんの努力で「昭和の日」が制定された。天皇在位十年のお祝いもさせていただいた。ややもすると、今、私は政府の立場だから、及び腰になるようなことをしっかりと前面に出して、日本の国はまさに天皇を中心としている神の国であるぞ、ということを国民にしっかりと承知していただくという思いで活動をしてまいりました」

 主語が村上参院議員をはじめとする「神道政治連盟国会議員懇談会」であることは間違いない。どういう団体であるか、僕は詳しくは知らないが名前がそのまんまだからまぁだいたい予想はつく。戦前の国家神道的なノリでの宗教性を政治に反映させようということが目標なんでしょうな。ここでも言ってるけど、昭和天皇の即位60周年記念式典(60年なんて半端な年にやったのは政治的事情があったわけだ)やら昨年の天皇在位10周年記念式典なんかも、この懇談会に属している議員達が率先して進めたところがある。そしてこの「史点」でも昨年採り上げた4月29日を「昭和の日」に改称する運動を進めてついにほぼ実現(すでに参院は通過)させたのもこの議員懇談会のメンバーたちだった。ちなみに「昭和の日」は実現したと言うことで、この手の人達は今度は11月3日を「明治の日」にするべく動きだしている(以前冗談半分でそういうこと書いたら、ホントになってきたので怖くなっているところだ)。総じて言えば、彼らのあげた「成果」はいずれも「天皇」を軸としている。まさに「天皇は国の中心である」ということを強調しようという政治的活動をしてきたわけだ。その意味ではこの森首相発言は、彼らがやってきた30年の運動をそれなりに正確に総括する文になっていると言える。「(政府側が)及び腰になるようなことを前面に出して」と、世間的には少々アブナイと思われる運動をやってるんだということも、わざわざ言っているしね。

 問題なのはこの団体が「神道」を看板に掲げており、それと天皇を密着させて政治的に利用しようという魂胆が見え隠れ(あ、隠れてないか)するという点だ。しかも森さんはそうしたこの会の目標をハッキリと表現してしまった。「日本の国はまさに天皇を中心としている神の国であるぞ、ということを国民にしっかりと承知してきいただく」と。そう、これがまさにこの「懇談会」の目標なのだろう。この発言が物議をかもしてから森首相は「天皇のことは悠久の歴史と日本の伝統文化を表現している」と弁明していたが、単純な「天皇が中心」ではなく「天皇を中心とする神の国」っていう表現はどう聞いたって天皇と神道を直結させる発想としか思えわれないってもんだろう。「そのつもりはなかった」って本気で言うのであれば単に国語能力に欠けているということになる。早稲田雄弁会出身だというのに(笑)。それと良く聞くと「…神の国であるぞ、ということを」と強めの断定の終助詞であり、命令的な表現である「ぞ」が使われている。国民に向かって「〜あるぞ!」という口調を使っていることになり、僕はこの辺にも彼(もしくはこの団体)の感覚を感じるところがあった。
 天皇だってこんなことを言われたら迷惑ってもんだろう。実際宮内庁は「迷惑」と言っていたけど。天皇家が神道と関わりを持っているのは事実だけど、その関わり方はもっと複雑だ。たぶん歴代天皇のほとんどは仏教徒だろうしね。幕末以降名君にされちゃった後醍醐天皇なんて真言立川流などという邪教一歩手前(手前でもないか…?)の仏教宗派に入れ込んでいたし。多くの日本人同様、天皇家も宗教には歴史的にルーズだったと思えるところがある。またルーズだったからこそ権力を失いながらも「最高の権威の源」として存在し続けられたんだと思う。
 天皇と神道の直結、いわゆる国家神道は江戸時代後半からはっきりと現れて、明治になって結実したという歴史の浅いものでしかない。そしてこの「神道政治連盟」そして今度の森発言が想定する「天皇中心の神の国」って形態は、実のところ明治から昭和前期にかけてのほんの一時期に存在したにすぎないものとも言える。そしてそういう「国」がどういう結果を生んだかは歴史をみればわかるとおりだ。

 しかし正直なところ、森首相が本気で「日本は天皇中心の神の国」だと信じているとは僕は思っていない。この懇談会だって人付き合いの一環というノリで入っていたんじゃなかろうか。村上さんは森さんを首相に立てた張本人の一人だしね。発言が話題になった当初からこの発言について「リップサービスだろう」いう観測が内外(そう、案外海外メディアがそうとっていた)からあがっていた。おりしも首相を過去から良く知る渡辺恒三・衆院副議長も「森君には哲学とか見識というものがないから」「古い言葉で言えば、世渡り上手というか、非常にひと付き合いを上手にやってきた」と言っているそうな(「文芸春秋」6月号)。たぶん今度の発言もその調子で「世渡り本能」を発揮して神道政治連盟懇談会を持ち上げた表現をしたんだろう。なにせこれまでもその場のノリで数々の放言をしてきたお方だ。この会合に出席する直前に、森首相は自民党を支援する宗教団体「霊友会」の会長の葬儀にも出ているから、必ずしも彼が「神道信奉者」だとは思えない。まぁいずれも支持団体へのご機嫌取りでしょうな。そのご機嫌取りが図らずもその懇談会の目標をずばり突いてしまっていたわけですが。
 それでも、この発言に続く部分には森さんの本音が入っているように思える。各マスコミで表現が若干異なるのだが、こんな風に言ったらしい。

「人の命というのは、お父さん、お母さんからもらったものだ。端的に言えば神様からいただいたものだ。神様からいただいた命は、まず自分の命を大切にしなければならない。人様の命をあやめてはならないということが基本でなくてはいけない。神様であれ仏様であれ、天照大神、神武天皇、親鸞上人さん、日蓮さんであれ、宗教は自分の心に宿る文化だ。神も仏も大事にしようと学校でも社会でも家庭でも言うことが、日本の国の精神論から言えば一番大事なことなのではないか」

 まぁ要するにここでも別に「神道絶対論」をとなえているわけではない。だが「宗教教育は必要だ」というのは彼の一貫した主張のようだ。森首相の地元・石川県は一向宗の本場というせいもあってか「信心」ということにうるさいなんていう話も聞いたが、その辺が影響しているんだろうか。親鸞の名が上がっているのもそのせいかな。「日蓮さん」は与党を一緒に構成する公明党の支持母体・創価学会に配慮して言ったんだろうな。それでもその創価学会からは今度の「神の国」という表現についてはかなり強烈な反発があったようだけど。なにせ日蓮宗の国教化が究極の目標にみえる団体だもんなぁ。それにしても「天照大神」はともかく「神武天皇」って信仰の対象になっているという話はあまり聞かないのだが。
 信仰がそれを信じる人の精神を律して道徳的規範となるということは、実際にあることなのでこれ自体は否定できない。だが特定の宗教に対し信仰心をもたねば道徳的にならないかというとそうでもないだろう。無宗教で立派な人ってのもちゃんといるわけだし(だいたい日本人の大半が無宗教と言われてますからな)。また一方で宗教ってのは理屈を通り越したものに根拠をおいて人々を規制するため、一歩誤った方向に進むと自分を絶対化したままブレーキがかからなくなりがちという危険性も持っている。そのことを教育においても考慮した方が良い。
 ところで森さんご自身は宗教的教育をお受けなんだろうか?道徳的にも胸を張れる自信がお有りなのであろうか(笑)。

 あれこれと書いてきたが、つまるところ森さんはドジだった。さらに言えば政治家として総理大臣として自覚に欠けていた。個人的に何を信じようと考えようと勝手だけど「最高権力者」の口からこういう発言が出たらどういう反応が出てくるかという想像力に欠けていたのは確かだ。衆議院解散・総選挙を間近に控えてのこの発言、野党各党は大いに攻撃・利用しているが、それは当然ってもんでしょう(裏返すと選挙間近でなかったらそれほど大きくやらなかったような気がするんだよな、特に民主党(笑))。その点でも「困ったちゃん」だよな、ホントに。徹底して党首討論等、逃げ回ることにしたようだが。
 思えばこの人、なんで首相になっちゃったんだっけなあ(笑)。
 
◇一年後のコメント◇
今から思えばすっごく懐かしいネタ。この「神の国」を初めとする数々の発言で森内閣の支持率はドン底にまで落ちるわけだが、今やそれを引き継いだ小泉内閣の支持率は、ちょうど前内閣の支持と不支持をひっくり返した異常な高支持率。今にして思うと森さんも不当に悪く言われていたような気もしてしまう(とくに末期ね)。「俺とあいつの何が違うんだ!」とボヤいていることだろう。まぁ国民世論なんてのは移り気なもんだし…
 


2000/5/21記

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