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2000年5月28日

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 ◆今週の記事

◆アメリカのチャイナシンドローム
 
 「チャイナ・シンドローム」って言葉は原子力発電所の事故などで一つの例えとして使用されることがある表現だ。つまり原子炉がメルトダウンを起こし、炉心が地球を溶かして地中へと落ちてゆき、ついには地球の反対側へ抜けてしまうだろうと妄想だ。もちろんちょっと考えれば分かるだろうが物理的にそんな事はあり得ず(中心へ落ちていくのはまだ良いとして、重力によって反対側に抜けることは出来ない)、一種のジョークなのだが。そこになぜ「中国」が出てくるのかというと、これがアメリカ人の科学者の言ったジョークであるからだ。アメリカ人にとって中国はまさに「地球の裏側の国」なのだから。

 この「地球の裏側の国」に対し、5月24日、アメリカ議会下院は「恒久的な貿易最恵国待遇」を与える法案を可決した。「貿易最恵国待遇」とは、その国より有利な条件でよそと貿易を行うことはしませんよ、というぐらいの意味を持つ。特に中国を特別扱いするという訳じゃないのだが、他国に与えた有利な貿易条件は必ず中国にもしてあげます、ということにはなる。この中国に対する「最恵国待遇」は1970年代にカーター大統領時代に始められ、以後アメリカの対中国政策の基本線となってきた。アメリカは同じ社会主義国だったソ連に対しては頑として最恵国待遇をとっておらず、ソ連に対抗するために中国を味方にひきずりこもうとしたところがあるようだ。この最恵国待遇はいつの間にか当然のこととみなされるようになり、あのトウ小平も「最恵国待遇」の略称「MFN」の意味を長い間理解していなかったと言われている。一応毎年議会で中国の人権状況を考慮しつつ最恵国待遇を続けるかどうか審議することになっていたのだが、あの天安門事件(1989)が起きた直後ですら最恵国待遇はなんらもめることなく継続されている。当時のソ連の大統領ゴルバチョフはアメリカがバルト問題を根拠に最恵国待遇を与えてくれないのを怒り、「じゃあなんで天安門事件の中国には与えているんだ」と言ったとのこと。

 この「最恵国待遇」を政治的に利用しようとしたのが1990年代に台頭してきた、クリントンら民主党勢力だった。クリントンらは天安門事件後のブッシュ共和党政権の対中国外交を「軟弱」と激しく批判し、中国から亡命してきた民主化活動家らをとりこんで、中国の人権状況が改善されなければ最恵国待遇を見直すという態度を示した。そして1991年の選挙で大統領になってしまうのである。クリントン政権は中国に対して「最恵国待遇」を人質に「人権」の改善を要求していく。
 ところが。ブッシュの対中国外交を批判して政権に就いたはずのクリントン政権はその後(直後からと言っていい)大きく中国政策の舵を旋回させていく。気が付いたら中国との結びつきをブッシュ時代以上に強め、より中国向きの外交を展開するようになっていた(多少のイザコザはあったにせよ、大筋ではそうなってしまう)。今回の「恒久的な最恵国待遇」の法案はもちろんクリントン大統領が推進したもので、これからはいちいち毎年議会で審議しなくても中国に対する待遇は変わらないことになった。それじゃこれまで言っていた「人権状況改善」の方はどうなるんだと思ったら、申し訳のように「中国の人権問題を監視する委員会の設置」が義務づけられていた。中国側はこれに「内政干渉」と一応噛みついていたが、自分達の欲しいものが手に入ったわけで、こんどの可決を最大限に評価していた。

 それにしても…と今度の可決を見ていて思わされるのが、アメリカにおける中国の存在感の大きさだ。思えば歴史的にもアメリカはなんだかんだ言いつつこの地球の裏側の国・中国と密接な関係を続けてきた。クリントンの「豹変」を見ていると、いまその中国政策を批判している共和党のブッシュ.jr候補が仮に大統領になった場合も同じ「豹変」をするんじゃないかと予測される。実際、今度の議会の可決でも共和党の議員の方が賛成してるんだよね…。じゃあなんでアメリカはいつも看板に掲げているはずの「人権」を横に置いて中国と結びつこうとするのだろうか。中国という巨大な市場(少なくとも人口では他を圧する)に進出を図りたいという経済界の要求が強いとはかねがね言われているのだが…または、将来の大国と予想されている(なぜか日本では「近未来の分裂解体説」が一部で盛んに唱えられるが)この国とつかず離れず渡り合っていこうという長期的な思惑なのか…。

 そんなことを考えていたら、5月27日に、アメリカ国防省が将来のアジアに関する予測をまとめた報告書なるものの内容が明らかとなった。その中では中国について「合衆国にとって永続的な競争相手」と規定し、「安定して強大であれば東アジアで常に自分の影響力拡大を狙う一方、不安定で弱体化すれば、対外的な軍事的冒険主義で政権浮揚を目指すため危険な存在になる」との予測が語られているという(朝日新聞の記事より)。どっちにしても相当に警戒している表現とは言える(まぁ国防総省の作る予測だからね)。日本についてはアメリカから離れて独自の武装路線(核武装含む)をとるか、中国の覇権を受け入れる可能性にまで言及している。このあたり、先頃話題になったハンチントンの著書「文明の衝突」の未来予測と重なる部分が多く、アメリカ人の平均的な考えであるのかも知れない。

 ともあれ、先頃EU(ヨーロッパ連合)とも話し合いをつけて、さらに今度の恒久的最恵国待遇をアメリカから引き出した中国は、いよいよ年内のWTO(世界貿易機関)への加盟を実現することとなる。中国政府はこれを近年の至上目標にしていたわけだけど、それは同時に世界の資本主義社会の荒波にさらされるということでもある。その辺の覚悟が出来ていれば良いのだが。
 もっともあの国はもともと「商人文明」とか言われてますからねぇ。あんがい、アッサリと資本主義化を実現して諸外国とタメを張ってしまうかもしれない。
 

◇一年後のコメント◇
現在のところ米ブッシュ政権は中国に対して、この文の中で国防省が言っているような「戦略的競争相手」って表現を使ってますね。このころよりは米中関係はいささかギクシャクしてきている。もっともブッシュ政権は中国だけじゃなくて世界中を敵に回しかねないところもあるようなんだけど。
文中で触れている中国のWTO加盟だけど、方向性としては固まっているものの、細かいところの調整でまだまだ先になるようだ。
 



◆「戦争決別宣言」とは?
 
   今日本の政界はもっぱら森喜朗首相の「神の国」発言の話題でもちきりだが、その騒動の陰でひょこっと国会に現れ、あっさりと消えていった面白い議題があったことをご存じだろうか。その名も「戦争決別宣言」という。現時点ではまずお流れになりそうな雰囲気なのだが、なんとなく放って置くには惜しい気もする話題なのでここでとりあげてみた。

 これはもともと「不戦の誓い」という名前で案が持ち上がっていた。言い出しっぺは今や「影の総理」とまで呼ばれる野中広務・自民党幹事長。脱線するようだが最近の「いしいひさいち」の政界ネタ漫画にこの人がやたらに登場するようになったあたり、その存在感の大きさと首相の影の薄さがよく分かる(笑)。この人、自民党史の1頁を飾れるほどの策士でありマキャベリストでありなかなかしたたかな政治家なのだが、こと「歴史認識」に関しては妙にこだわりを見せる人でもある。以前、国会で「戦前の大政翼賛会のようにはならないでくれ」と発言して騒ぎになったこともあるし、中国や北朝鮮に対する戦前への反省姿勢も含めた外交活動を積極的に行ってきたこともある。この野中幹事長が4月に国会でブチ上げたのが「不戦の誓い」の国会決議の提案だった。要するに日本国憲法の平和主義の精神にのっとって「日本は戦争はもういたしません」と国会で決議しようというものだ。これを九州・沖縄サミットの目玉の一つとする狙いもあるようだ。
 その後この提案は与党内でまとめられたが、公明党が「もっと不戦の意思を明確にすべきだ」と意見する一方、村上正邦参院議員会長(例の神道政治連盟議員懇談会の代表ですな)らが「こんな『不戦の誓い』じゃ自衛戦争もできんじゃないか」と突き上げをして、結局この決議案は「戦争決別宣言」なる名称に変更された。で、その案はマスコミによると以下の通りだ。

 戦争決別宣言(案)
 20世紀を顧みると、人類は2度の大戦はじめ多くの戦争により言語に絶する惨禍を被り、冷戦終結後10年を経た今日にあっても続発する武力衝突や核、ミサイル等の大量破壊兵器の開発、拡散が憂慮されている。

 今、21世紀を迎えるに当たり、日本はじめ各国は、過去の戦争の傷跡や新たな武力の脅威に対し、人類の最大の願いである国際平和の実現への決意を新たにし、戦争の惨害から将来の世代を救わねばならない。

 先の大戦で多くの犠牲を出し、唯一の被爆体験を持つわが国は、日本国憲法に掲げる恒久平和の理念の下、歴史の教訓に学び、国際平和への貢献に最大限努力するとともに、九州・沖縄サミットを契機に、日本はじめ各国が国家間の対立や紛争を平和的な手段によって解決し、戦争を絶対に引き起こさないよう誓い合うことについて、世界に向け強く訴えるものである。

 …良い文章じゃないですか(^^)。もっともこの文を載せた産経新聞はひどい日本語だと怒ってましたがね(笑)。
 まぁ確かに日本国憲法で言っていることをここで改めてやる必要があるのかという意見はあるだろう。でもサミットでブチ上げるネタとしてはん日本独自のものとしてアピール度はあるんじゃないかな?そうでもしないと日本で、しかも沖縄で行われる今度のサミットってなんの「日本ならでは」の特色も出せないで終わっちゃうだろうし。その時首相が誰かも分からない現状では…(^^; )。

 ちなみにこの宣言案と一緒に出されているものがまた凄いのだ。その名も「世界連邦実現に関する決議」という。世界の恒久平和をはかるため、世界連邦の早期の実現を提唱するものらしいが、これが自民党から提案されているというのが凄い(^^; )。深読みすれば単なる選挙対策の人気取りに見えなくもないが…誰が考えたところなのか、個人的には興味がある。
 「戦争決別宣言」「世界連邦実現に関する決議」ともに野党は突っぱねる方針。もちろん内容にはケチをつけられないようだが、「あまりにも唐突に過ぎる」ということで決議には賛成しないことにするようだ。自民党もそう読んだ上でやろうとしてるのかもしれないけどさ。

【補足】
ところがどっこい!なんとこの「戦争決別宣言」は5月30日に衆議院で与党三党のみの賛成で議決されてしまいました。うーん、これだから政治ってのは(^^; )。どうも「神の国」発言への反発が予想以上に強いもんだから、総選挙に向けて与党は「平和主義」を前面に押し出すことにしたらしい。似合わないことを…(笑)

◇一年後のコメント◇
そういえばこんな決議をしていたこと自体全く話題にされていないような。



◆イスラエル、一気に撤退
 
  どこから撤退したかといいますと、イスラエルの北の隣国、レバノンの南部から。この地域にイスラエル軍が最初に侵攻して占領したのは1978年の3月のことだから、もうかれこれ22年もの間ここを支配していたことになる。その支配が、ここ数日だけで一気に終わってしまったのだ。

 イスラエルはその成立事情から建国以来周辺イスラム諸国と何度となく戦ってきているが、1978年3月にレバノン南部へ軍を進めたのはパレスティナ解放戦線(PLO)のゲリラ攻撃に対する報復を理由としてだった。この時は国連がイスラエル軍の即時撤退を決議し、イスラエルも3ヶ月後には撤退している。しかし1982年6月に、またしてもPLOの掃討を目的としてイスラエル軍がレバノンに侵攻、当時PLOが拠点としていた西ベイルートを包囲し、PLOはベイルートを捨て、さらにレバノン自体からも撤退した。この際にレバノンの親イスラエル派の兵士により難民の虐殺が行われるなど悲惨な内戦が展開された。
 1985年6月にイスラエルはレバノン南部国境沿いに「安全保障地域」なるものを一方的に決定し、この地帯にイスラエル軍及びレバノン人の親イスラエル派(イスラムではなくキリスト教マロン派教徒)の民兵組織「南レバノン軍(SLA)」を駐留させ、支配を続けることとなった。これに対して反イスラエルを掲げて戦ったのがイスラム教シーア派政治組織「ヒズボラ」の勢力だった。ヒズボラのバックにはシリアなど周辺イスラム諸国の支援があり、一方のSLAにもイスラエルからの武器供与や給料支払いが行われ、双方とも最前線で激しく戦った(戦わされた?)。90年代になってもイスラエルによる大攻勢やベイルート爆撃などが続けられたが、イスラエルはラビン政権の時代についにPLOとの和解を進めることになる。その後ラビン暗殺という事件も起こったが、中東和平への流れは変わらず、パレスティナ国家の成立が実現の方向となり、99年にはイスラエルに穏健派のバラク首相による連立政権が成立した。そしてこのバラク首相は「1年以内にレバノン南部から撤退する」と明言したのである。その期限は7月7日まで、ということだった。

 しかし事はそう簡単には進んでくれなかった。ま、それが政治というもんなのだろう。イスラエルは撤退するにはするが、なんとか好条件で和平に持ち込めないかとあれこれ画策していた。そのためにこのところかえって軍事衝突や爆撃が相次いでいたのだ(「史点」では話がまとまってくるのを様子見してました)。シリア領内のイスラエル占領地域・ゴラン高原の事も絡めて特にシリアと交渉をして話をまとめる気だったようなのだが…結局この交渉は決裂。そうこうしているうちに20日ごろからヒズボラの攻勢の前にSLAが次々と拠点を放棄し始め、戦線は崩壊の様子を見せ始めた。やむなくイスラエルのバラク首相は数日中の完全撤退を表明、当初言っていた期限まで一ヶ月以上を残して完全にレバノン領内から撤退することになった。
 イスラエル軍が完全撤退した25日をレバノン政府は「解放の日」として特別休日としたそうである。イスラエル軍の撤退を知ったレバノン国民は驚喜し、この休みを利用して「南部」を一目見ようとする若者達で道路はごった返したという。

 ところで、SLAの戦線が崩壊したのは考えてみれば無理もない。それまで「飼い主」だったイスラエルが引き揚げてしまうんだから。SLAの幹部は「イスラエルへの亡命もレバノンでの収監も望まない」とか言って、レバノン政府に恩赦を要求していたが、これまでの経緯から言えば気の毒ながら虫が良すぎるってもんだろう。もちろんレバノン政府は彼らへの恩赦を拒絶しているが、投降は呼びかけている。下手に扱うと宗教対立が激化する恐れがあるから、慎重に事を進めざるを得ないだろう。
 一方のヒズボラの方は、イスラエルの旧占領地域を制圧、事実上の占領支配を行っている。レバノンのホス首相は、「ヒズボラは責任ある政党であり、国連、政府と協力している」として、その支配を容認することを表明している。こうなると気になるのはイスラエル本土と国境を接することになったヒズボラが勢いに乗ってイスラエルまで侵入する可能性だが、ヒズボラのナスララ党首は会見で「越境攻撃はしない」ととりあえず明言し、国連やレバノン政府と協力する意向を示していた。
 その辺でうまく治まってくれると良いんだが。
 とか言ってるそばから、ヒズボラの兵士が元SLAの人を銃殺したというニュースが先ほど流れていた。
 

◇一年後のコメント◇
最近「史点」で採り上げてないけど、その後はイスラエルを巡る情勢は悪化の一途をたどっている。シャロン氏が「聖地訪問」を強行してパレスチナ和平は吹っ飛ばされ、おまけにこの張本人が首相に選出され、案の定強硬策を進めていて、もはや最悪の情勢と言っても良いみたい。頭が痛くなるので「史点」ネタにはしてないんだが…



◆「神の国」のその後
 
 森首相が「天皇中心の神の国」という言葉を発したことから日本政界が大騒ぎになったことは二番目の記事で書いたとおりだが、その余波は一週間たった今でも続き、どうやら来たる総選挙の争点にまで尾を引くらしい。

 5月22日、現在の自民党では非主流派の指導者であり、前々から首相候補として名が挙がる(先月も上がっていた)加藤紘一・元幹事長が化学関係学協会連合協議会主催の講演会で「神の国発言」の問題に触れた(元ネタは朝日新聞記事)。講演のタイトルは「科学技術立国日本」というものだったが、そこで日本の歴史に触れているうちに流れとして出てきたものだろう。なんでも「体細胞を使って亀井静香を100人つくっちゃいけない。神様に怒られる」とある意味強烈なギャグを飛ばし(笑)、「このへんから森喜朗さんの世界へ入っていく」として日本人にとっての「神」論を展開し始めたのだそうだ。加藤氏によれば「日本人にとっての神は土着の山岳信仰のようなもの」「天皇家はその自然と人間との間を結ぶ、神主さんの頭領であって、日本社会の中で権威として存在してきた」と述べたという。そしてそうした天皇が神と直結させられたことについては「薩長が江戸幕府と対決するために、神として天皇陛下を利用し、1945年まで異常な時代をつくってきたと思う」と自分の考えを披露していた。
 この歴史観はおおむね正しいと僕も思う。「山岳信仰のようなもの」というのは日本人の自然崇拝的な宗教観を言っているのだろう。天皇が「神主さんの頭領」というのもそう的外れではないと思う。そして明治から昭和の敗戦まで天皇史上での異常な時期とみなす見方にはほぼ賛成する。戦後、天皇制は国の統合の象徴として維持されたが、これについても加藤氏は「いいことだ」とし、「中曽根さんがそう言っていた」とも言ったそうだ。あの中曽根さんがねぇ…(^^; )。ま、とにかく直接的ではないにせよ森発言に批判的な姿勢を示したことは確かだ。その後28日には静岡県で行った講演でも「神の国」発言に触れ、「総選挙でテーマとして論じられるのもいい。天皇家がなぜ1000年を超えて続いているのか、神道とは宗教なのか、日本人の文化なのか。日本人のアイデンティティーとは何か。党首間で国会やテレビで討論するのもいい」と言ったという。この辺については自民党内でも議論があるようだが。

 加藤氏にギャグのタネにされた(笑)亀井静香政調会長も吠えていた。民主党をはじめとする野党が「神の国」発言を総選挙の争点の一つにしようと画策していることに対し「待ってました!だ。受けて立つ」と彼一流の調子で言っていた。「宗教や宗教以前の信仰みたいなものがあふれている日本。そのことを表現した。天皇主権のようなものは想定していないことは子どもが見たって分かる」と森発言を擁護し(おいおい、それは「神の国」だけの説明だろ…?)「民主党、共産党は無神論。われわれはそうではない。霊的な存在を否定するかしないか、堂々とやってやろうと思っている」と話をドンドン暴走させていた。「暴走」と書いたが、この発言はかなり計画的。数日前に野中広務幹事長(おっ、今回二度目の登場)がやはり「この論議はいきつくところ有神論か無神論かという問題だ」と発言しており、亀井氏もこれと連携した発言をしたのだろう。にしても、この「有神論か無神論か」なんて議論はそれこそ子どもが見たって争点がずれていることがわかる。これはなんとでも言って争点をずらし、野党側を煙に巻こうという「作戦」なのだろう。策士・野中もちょっとひねれなかったようだなぁ。野中さん、やはりぼやきが出てしまったのか、日曜日に出たテレビ番組で「(森さんの)24時間の行動と発言は、すべて首相としてある。だから小渕さんは命を縮めた。そこのところを首相も考えてほしい」と苦言を呈していた。

 当の森首相といえば26日に記者会見を改めて行って国民に陳謝をしていたが、発言そのものの頑として撤回はしなかった。いや、僕は個人的には撤回なんてしなくていいと思っている。これまでにも多くの政治家が失言をしてきたが「撤回」すれば済んじゃってるところもあった。政治家の発言はそうおいそれと撤回していいものではないはずで、その意味では森首相の今度の意外にもかたくなな態度は誉めて上げていい(笑)。ひょっとして「天皇中心の神の国」と信じる勢力からの圧力でもあるんだろうか。
 それにしてもこの会見、誰がやろうと思ったんですかねぇ。僕が自民党幹部だったらやらせませんね。静かにして嵐が過ぎ去るのを待つべきでしょう。やったところで全く予想通りのことしか言わないんじゃ支持率低下に歯止めがかかるわきゃないってもんで。実際直後にフジテレビが行ったアンケートでは不支持率は7割以上にも上昇してしまっていた。

 ところで。今度の騒動で廃案の危機にさらされている法案がある。いくつもあるんだけど、ここで以前から話題にしている「昭和の日」の法案も危ないのだ。4月29日の「みどりの日」を「昭和の日」に改名するという、アレだ。これ、例の神道政治連盟議員懇談会が推進していて、公明党の賛成を得るために「いろいろな思いで国民が昭和の時代をかえりみる日」と趣旨をぼかして、どうにか参議院は通過していた。現に僕も前回「ほぼ実現」とか書いていた。ところが、今度の森発言の騒動で衆議院での審議入りがストップしてしまっているのだ。
 よほどあせっているのか、自民党の植竹繁雄・衆院内閣委員長は28日に栃木県連大会のあいさつで、「今日の平和と豊かな日本を築き上げて下さった昭和天皇のお心を忘れないためにぜひとも通過させたい」と述べ、「日本が占領政策によって解体されようとしたときに、自分の身はいかになろうとも日本国民を救って下さいという昭和天皇のお心が今日の日本を救ってきた」「日本の伝統であるこの民族の精神を忘れてはならない。昭和天皇に報いる日をご支援下さい」などと続けたという。なんのことはない、やはり昭和天皇個人を崇め奉る祝日にしたいわけですな。
 

◇一年後のコメント◇
こんな時代もあったねと〜ってな感じですな。衆院選で結局自民党は大負けしなかったし、来る参院選でも「小泉人気」で勝利しそうな雰囲気。
 


2000/5/29記

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