ニュースな
2000年6月4日

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 ◆今週の記事

◆20世紀最後の衆議院解散!
 
  さあ解散だ、解散だ!実に3年8ヶ月ぶりの衆議院解散。この前の衆議院選挙の時の首相は、あの橋本龍太郎さんだったんですよ。とっくに忘れちゃってましたよ、僕なんか(笑)。

 衆議院ってのはご存じの通り議員の任期は4年間。しかし解散がありうるため実際の任期はもっと短い場合がほとんど。そのために「国民の意思をより反映しやすい」と考えられており、そのために参議院に対していろいろな面で優越する、なんてなことも学校で習ったはずだ。
 それにしても現在の衆議院はなかなか解散しなかった。昨年の秋頃から「解散説」が本格的に騒がれるようになり、一時は1999年中に確実に解散という話にまでなっていた。それが過ぎると「年明け解散」、それがさらに過ぎて「二月解散」「三月解散」…とズルズルと予測がのいて行っちゃった。なんだか一時のテポドン騒動みたいである(笑)。そして九州・沖縄サミットがあることを口実にサミット明け、もしくは任期満了の10月までやらないんじゃないかという観測まで出てきた。そんなとき、小渕さんが倒れてしまった。皮肉なことにこの事態によって「解散」が急に早まることになっちゃうのである。総選挙の最中に大平総理が急死して同情票が集まり自民党が大勝した前例にのっとる形で、「小渕弔い合戦」をやろうと自民党は動きだした。小渕さんの自民党・内閣葬を公示日直前にぶつけてくるなど、なかなか露骨である(笑)。最近制作された自民党のポスターも「小渕前首相の思いを受け継いで…」などというコピーが使われているそうな。
 しかし最大の「誤算」は小渕さんが倒れた直後のドタバタで内閣総理大臣になってしまった森喜朗さんの存在そのものだったろう(笑)。先日の「神の国」発言で支持率急落+不支持率急上昇。泡を食った自民党の一部から解散延期説まで飛び出したが、さすがにムチャとみて日程は予定通り進めたものの、「昭和の日」法案は廃案とし、当初流れるはずだった「戦争決別宣言」を強行決議したりして選挙対策に追われていたのは先週も書いているとおり。それにしても「昭和の日」の件では森さん、推進派にうらまれてるだろうなぁ。村上正邦さんなんて「あいつにするんじゃなかった」なんて思ってるんじゃなかろうか。ちなみにこの「昭和の日」をめぐるドタバタでカレンダー業界がえらい迷惑をこうむったなんてことも報じられていたな。

 ところで衆議院解散の直前、野党から内閣不信任決議案が提出されていた。中学校の公民でも習う三権分立の制度によれば、衆議院が内閣不信任決議を行った場合、内閣は10日以内に衆議院が解散されないかぎり総辞職をしなければならない(日本国憲法第69条)。過去に何度かこの不信任決議による衆議院解散が行われているが(先述の大平首相の時のケースもこれだった)、今回はそのケースとならなかった。いちおうこの6月2日の衆議院でもこの不信任決議案は議題にはなっているんだよね。伊藤宗一郎議長が「本日の議題は内閣不信任決議案についてであります…」とあいさつした直後に、議長の後ろから青木官房長官が紫色の「ふくさ」に包まれた「解散の詔書」を持って入場してくる。これをうけとった議長が「日本国憲法第七条により、衆議院を解散する!」と読み上げ、この時点であっさりと衆議院は解散されてしまった。不信任決議案は無視する形となったわけだが、もとよりこれは与野党共に承知の上でやっていること。国会ってのはその日その日のシナリオがちゃんとあって議事が行われるところなので、この辺のやりとりはお芝居のノリに近い。でも、やっぱ見ていて面白いことは事実ですね。
 それにしても何ともアッサリと解散詔書を読んでしまったせいか、衆院解散時の名物(というか「七不思議」の一つといわれる)「バンザイコール」が起こるのに時間がかかっていたのが笑えた。議長が宣言してから7秒間もシーン…と静まり返っていたのはなんだったのだろう。アッサリで拍子抜けしたのか、それとも今ひとつ選挙に乗り気になれないせいなのか。

 それにしても「憲法7条により解散」とは何だろうか。恐らく公民の教科書でもこの件についてはあまり触れていないように思われる。日本国憲法は第一章が「天皇」で第二章が「戦争放棄」つまり9条だから、「7条」は「第一章・天皇」のなかに含まれていることになる。では憲法の7条を見てみよう。

第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の告示に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
(以下略。「十」まであるもんで)

 はい、これが第7条なんですね。ここに並んでいる「天皇の国事行為」の一つに「衆議院を解散すること」というのがある。もちろん天皇が自分の意志でそれを行えるわけではなく、「内閣の助言と承認」を必要とする。つまり内閣が自由に衆議院解散を決定することが可能である、というのが、この「7条解散」の根拠となる論理だ。調べてみたら大日本帝国憲法でも同じ7条に、天皇が議会の召集・解散を命じることが書いてあった(もちろん、内閣の助言と承認なんてものについては書かれていない)。ともかく、この第七条を根拠に「衆院解散は首相の専権事項」という「定説」が生まれることとなったわけだ。おかげで歴代首相は勝負どころとなる衆院解散をいつやるかというのを常に念頭に置かねばならないことになっている。

ベタなネタとは思いつつ、描いちゃいました(笑)何人の漫画家がこれをやるやら そんなわけで、その解散を最終的に決定したのは森首相その人であるわけだけれど、そのあまりの不支持率の高さもあって、全国から応援演説を断られているようだ(あの下半身スキャンダルの宇野宗佑首相以来!)。解散直後ともなれば各党党首は全国に遊説して気勢を上げることになるのだが、森さんは自民党奈良県連主催の講演という、なんとも地味な舞台で話が出来る程度だった。「神の国」発言以来メモ無しのおしゃべりは禁じられているようだが、たまたまメモ無しでしゃべった際に「沖縄の万博」などと言い出したため、周囲の不安をあおっていたが、やっぱりまたやってしまった(笑)。

 内容は民主党を「共産党と組もうとしている」と攻撃するもので、最近自民党の一部政治家が好んで使う文脈で、べつだん珍しいものではなかった。しかしそこで「共産党は綱領を変えないと言っている。天皇制も認めないだろうし、自衛隊は解散になる。そういう政党と、どうやって日本の安全を、日本の国体を守ることができるのだろうか」と言っちゃったのがまた騒ぎになってしまった。
 「国体を守る」というフレーズは、太平洋戦争末期の日本で盛んに言われたものだ。その場合の「国体」とは「万世一系の天皇が統治する日本」に他ならない。実際、日本の陸軍は「国体の護持」つまり天皇制の存続のために「本土決戦」「一億玉砕」をやろうとしていた。これに先立つ1937年にも文部省は「国体の本義」なる文書で「国体」とは天皇中心の国家そのものであると定義している。こうした歴史的経緯を知っていれば「国体」なんて危なっかしい表現は避けるべきだった。
 あえて弁護して言うなら、森さんは「国体」を単純に「日本の国家体制」の意味で使ったつもりなんだろう。だったらそう表現すればよかったのだ。天皇の話題の後に「国体」なんて使うから、またまた野党にツッコミのネタを一つ提供することになってしまった(笑)。これで森さんはもう選挙期間中はしゃべらせてもらえないだろうなぁ。選挙の結果に関わらず自民党内で辞めさせられそうな気もする。

 選挙日は6月25日。それまで何が起こりますか。このところの自民党の動きからすると民主党のスキャンダル探しに奔走する可能性が高いかもなぁ。
 



◆金さん、北京をご訪問
 
 最近の北朝鮮はいろんな意味で目が離せない。ただ、以前に比べてましな情勢になってきているのではないかと思うことしきりだ。

 5月30日、韓国の新聞・中央日報が北京の消息筋の話として、金正日・朝鮮労働党総書記が29日に列車で北京に入ったらしい」と報じた。この報道を受けて中国側が肯定も否定もしなかったことから、一気に騒ぎは大きくなった。翌31日には韓国外交部もこれを事実として認め、どうやら噂が真実味を高めてきたところ、6月1日になって中国そして北朝鮮政府が公式に金正日総書記が北京を訪問したことを発表することになった。中国側からはちゃんと金総書記の訪問の様子を映した映像も数多く公開され、予想外に精力的な金総書記の外交活動ぶりが印象づけられることになった。金総書記の映像といえば、北朝鮮のTVが流す、白馬にまたがった英雄像(ウププ…失礼ながら笑っちゃうんだよな)やもしくは精気のない顔で会議や式典に臨んでいる姿などを見る程度だった。そこいくと今回の北京訪問の映像はホントにビックリするほど「精力的な政治家」の映像になっていて驚かされた(「影武者」じゃないかと思ったほどだ)

 もともとこの金正日さんについては「大馬鹿者説」と「わりとまとも説」の両説があった(北朝鮮で喧伝される「大天才説」は除外しておく)。前者はその行動の奇妙さと徹底した秘密ぶりと「やたらに持ち上げるって事は能力がないんだろ」という観測から出てきたものだが、後者は金さんのそばにいた亡命者などからの情報によるところが大きい。で、どっちが本物なのかというと、やっぱりよく分からないのであった。
 とにかくこのお方、表舞台に出てこないからその能力の程が分からないのだ(我が国の首相をみれば表舞台に出ることの大切さがわかるというもの)。金正日総書記は一国の最高権力者でありながら外交現場に立つことがほとんどなく、1983年に訪中したことが一度あるだけで、それが「無能説」の一つの根拠ともなっている。しかし今回の映像を見る限り「あんがいまともなんと違うか」という印象を受けた(影武者でなければだけどね)。これなら来る南北首脳会談もそこそこ無難にこなしてしまうのではなかろうか。ひょっとすると南北首脳会談のための「外交予行演習」をしに行ったんじゃなかろうか(笑)。

 今回の訪問でもう一つ注目しちゃうのが、金正日総書記の「肉声」だ。この人の肉声はあの「朝鮮人民軍に栄光あれ!」といったあの一言しか公開されておらず、秘密のベールに包まれていた。今回の訪中でも映像は公開されたものの当初は音声が入っておらず、「ああ、やっぱり」と思っていたのだが、いきなり4日になって中国側が音声をつけて映像を公開してくれた。挨拶言葉程度の公開だったけど、噂通りの早口ですなぁ(笑)。

 今回の訪問の目的についてはあれこれ言われているが、まぁ結局のところ推測の域を出るものではない。その上であえて考えるならば、中国との結びつきを強調することで、これから対話を進めていく韓国に対して自らの立場を強めておくことが最大の目的だったんじゃないかなぁ。中国側にしても自らの国際政治における影響力を強調できるメリットがあったわけだし。同じ時期にインドの大統領が北京を訪問していて(これについて注目しているマスコミはあまりなかったなぁ)、アメリカ中心の国際政治に対抗するべく中印関係を深めておこうという腹がお互いにあるらしい。今回の北朝鮮外交もそういう中国側の思惑の一環と取ることも出来そうだ。

 そして中国は今回の金正日総書記の訪中を事前に韓国政府に通告していたことが、その後明らかになった。どうも森さんが韓国を訪問した時点ですでに金大中大統領はこの訪中について知っていたようだ。このあたりも中国側の配慮を感じることが出来る。
 ところでこの同じ時期にに日本の与党三党の幹事長(あの野中広務氏もおりますな)も北京を訪れていたのだが、どうも彼らには金正日訪中の情報はもたらされていなかったらしい。これがホントだとすると(この手の話はどうしても憶測を交えざるを得ないので…ひょっとしたら極秘に通告されてるかも)、日本はまたしても東アジア外交の蚊帳の外に置かれたことになるんだけどねぇ…。



◆フジモリ大統領三選だけど…
 
 ペルーという南米の国の位置を良く知らなくても、そこの大統領の名前だけは日本人は良く知っているに違いない。そう、あのフジモリ(現地ではフヒモリ)大統領だ。日系人ということもあって日本では知名度だけでなく好意的に見られることが多いのだが、実のところ国内ではその強硬な体質に批判的な人も少なくない。そのことが今年行われた大統領選でも吹き出してきていた。これまでも何度かこの大統領選の話題を「史点」ネタにしてやろうと様子をみていたのだが、どうやら一区切り決着が付いたようなのでようやく今回にいたって登場である。

 フジモリさんと言えば、やはり「やり手」の大統領と評価せざるを得ないだろう。日本人であそこまで自分の意志を押しきれる人はそうそういないだろうなと思えるほど、なかなかに実行力のある政治家である(その意味では「日本人」ではないんだろうな)。実際フジモリ政権のもとで治安の回復や経済の自由化が進み、国内の公共設備も整い、貧困層の生活も向上したところはある。その一方でそれまでの中間層が没落している傾向もあるようで、それがそのままフジモリ支持・不支持の階層性を反映してしまっているようだ。
 大統領としての任期切れが近づくと、フジモリ大統領は3選を禁止した法律を改正するという強硬手段に打って出て、自らの政権維持に走り出した。これが国内の反フジモリ派だけでなくアメリカ合衆国をはじめとする外国からの「独裁者」との批判を呼ぶことになった。まぁ確かに発展途上国でよくみられる「開発独裁」の体制と言え無くはない。
 これに反発して反フジモリ派の急先鋒となったのが経済学者のアレハンドロ=トレド氏だった。彼はインディオの血も引いているらしく、反フジモリ派の多い白人層だけでなくインディオも含めた幅広い支持を集め、急にフジモリ氏の最大の政敵として浮上してきた(だいたいフジモリ氏が人気を得た一因もそのインディオと似た東洋的な顔立ちにあったといわれている)。4月に行われた大統領選の第一回投票ではトレド氏がフジモリ氏に予想以上に肉薄して2位につけ、勝負は決選投票に持ち込まれた。ところが決選投票直前になってトレド候補側から「選挙制度に不正が行われる可能性があり、それが解決するまで決選投票を延期すべき」という申し入れがあった。首都リマの弁護士協会や国際監視団なども同様の見解を示したが、フジモリ側は決選投票を強行した。
 
 この事態にトレド氏側は投票直前になって支持者に「不正選挙のボイコット」を訴えるという非常手段に出た。要するに選挙は事実上フジモリさん一人が立候補する「信任投票」になってしまったわけで、予想通りフジモリさんが当選する結果となった。しかしそれでもトレド候補の呼びかけに応じて「不正反対」と書くなどした無効票も全体の3割に上ったという。なお、ペルーの民間メディアが選挙の実態を報じたところによると無効票・白票とトレド候補の名前を書いたものをあわせると、フジモリ大統領に投じた票にわずかにおよびはしないものの、かなり肉薄しているとのことである。

 この結果を受けて、5月28日、トレド陣営はリマの中心部で大規模な反フジモリの集会を行い、選挙の無効を訴え気勢を上げていた。そこまではいいのだが、かなり気になる発言も見られた。トレド氏はフジモリ大統領を批判する際に「日本的なことをするなら、ほかの所でやれ」と言ったのだ。この場合の「日本的」とは「不正」を意味する形で使ったらしい。談合体質とかあれこれ考えると思い当たりフシもなくはないのだが(笑)、これは明らかに人種感情を刺激して反フジモリ運動に利用しようと言う腹だろう。未確認なのだが日系人を含めて「チノ」と呼んで罵倒するセリフもあったようだ。「チノ」ってのがアジア系を蔑視する言葉とか、テレビで紹介していたが、さしずめ「支那人」とか「三国人」みたいなもんであろうか(^^; )。あっちからみたら日本人も中国人もみんなおんなじだろうし。「フジモリはモンテシノス(国家情報機関のトップ)のゲイシャだ」という発言もあったそうで(「日本」といえば「ゲイシャ」!ペルーでもそうなのか!)、これも人種差別的発言ととって差し支えないだろう。どうも「扇動」という言葉が頭に浮かびますな。

 ともあれ、フジモリ政権三期目がスタートした。トレド氏をはじめとする反フジモリ陣営は外圧・内圧を利用して政権を攻撃を続けるだろうが、今のところはそう大きな動きは起こしそうにない。似たケースだとフィリピンのマルコス政権崩壊の時が思い浮かぶが、あの時は軍部が大統領を見放したから動いたわけで、ペルーも最終的にはフジモリさんがどこまで軍とうまくやっていけるかが政権の命運を握っているだろう。ちなみにトレド氏はインドネシアのスハルト政権崩壊のケースを念頭に置いてるみたいだけどね。



◆フィジー情勢複雑怪奇
 
 太平洋の小さな島国・フィジーのクーデター騒動発生からすでに二週間がたってしまった。前々回の「史点」ネタにしてるけど、あれを書いた時点では事態がここまで進むとはおよそ思っていなかった。「人質事件」なんてレベルではなく、ホントに政権交代騒動にまで発展してしまった。これについては自分の文章を読んでいても「読みを外したなぁ」と思うばかりだ。そして未だに解決をみていないってのにも驚くほかはない。

 武装グループがチョードリ首相はじめ国会議員を人質にとって国会議事堂に立てこもったのは5月19日のことだった。その後長い長い交渉が行われ、首相解任などをマラ大統領が受け入れて断続的に人質は解放されていったが、武装グループの指導者であるジョージ=スペイト氏は、あくまで現行憲法の即時停止とマラ大統領の辞任を要求し続けた。そうこうしているうちに武装グループを支持する市民や兵士の一部が行動を起こし、武装グループに批判的なテレビ局を襲ってテレビ局側の一人が死亡する(今回の騒動で初めての死者)という事態が起こっている。
 
 事態が思わぬ方向に動いたのは5月29日だった。それまでマラ大統領支持を表明していたフィジー国軍が、いきなり国内に戒厳令をしいた。そしてフランク・バイニマラマ総司令官がマラ大統領から政権を委譲されたと発表があった。マラ大統領が事態の打開を図って(実は娘さんが観光大臣で、人質の中に入っている)軍と了解の上で戒厳令・政権委譲を認めたとも言われるが、その後の事態の推移をみていると必ずしもそれだけではないように思われる。翌30日、バイニマラマ総司令官は「憲法の停止」「マラ氏はもう大統領ではない」と表明した。そしてさらに翌31日には「新憲法が出来るまで私が大統領を務める」として、ここに軍事政権復活が宣言されたわけだ。なんだか結局武装グループ側の要求をそのまんま飲んでいるだけのような気がするんだが…。どうやら、これもまた「クーデター」であるようだ(こっちの方が軍部がやってるぶん本物のクーデターと言える)。そしてこの軍事政権復活の舞台裏では以前やはりクーデターで政権を掌握したランブカ元首相が暗躍しているとの噂もあり、どうも穏やかではない。

 この二つの「クーデター勢力」の話し合いはいまだについていない。新政権側は、武装グループらに罪を問わない約束を出しつつ人質の即時解放を要求している。武装グループ側にしてみれば要求がほぼ達成されたんだから聞き入れてもよさそうなものだが、新首相にマラ大統領の娘婿がなるらしいということに反発して、依然人質全員の解放には応じようとしていない。なんだか「トンビにあぶらげさらわれた」って気分なのかも知れない。

 この複雑怪奇な情勢にオーストラリア、ニュージーランドなどオセアニアの「先進国」は強く批判を表明し、警戒を強めている。そして現在行われている最中のシドニー・オリンピック聖火リレーも、フィジーでのリレーは中止することがシドニー五輪組織委員会により決定された。オーストラリア政府はこの措置を「民主主義を踏みにじったテロリズムに対するスポーツ制裁」と明言しているそうである。
 


2000/6/4記

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