ニュースな
2000年7月23日

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 ◆今週の記事

◆お姫様、恋の逃避行

 実は以前にも書こうとしてしばらく様子をみてとっておいた話題である。今週はネタ枯れ気味なので復活採用(笑)。
 バーレーンという国が中東にある。名前は聞いたことがあってもどこにあるのか分からない国の代表かも。正確な位置は地図で確かめて欲しいのだが、アラビア半島のペルシャ湾岸に存在する半島といくつかの島を領土とする小国だ(偶然だが、今日放送していたNHK「四大文明」でメソポタミアとインダスを結ぶ国としてここが登場していた)。周辺にはカタールとかアラブ首長国連邦とかクウェートとか似たような小国が存在するが、いずれも石油を輸出して大きな利益を上げている点と君主国(王か首長がいる)である点が共通している。そしていずれもイスラム教国であることは言うまでもない。

 このバーレーンの現在の首長(まぁ日本の「藩」の殿様が生き残ってるようなもんでしょう)ハマド・ビン・イサ・アル・ハリファさんという。この人のいとこの娘にあたるメリアム・アル・ハリファさん(19)がこのメロドラマ(?)の主人公である。いとこの娘、ぐらいならかなり近親の王族といっていいんでしょうね。
 このメリアムさんがアメリカ海兵隊隊員ジェイソン・ジョンソン伍長(25)と首都マナマの市場で出会ったのが昨年1月の話。どういうドラマがあったのか詳しいことは分からないが、ともあれ若い男女は身分も国境も宗教も民族も越えた恋に落ちてしまったのである。で、交際がはじまったわけだが、当然の如く王族でもあるメリアムさんの家族は大反対。そもそも異教徒との交際・結婚じたいが戒律で禁じられているそうで、メリアムさんはやむなく極秘で文通による交際を細々と続けることになった。
 しかし、ここからが凄い。昨年の11月に、恐らく二人で示し合わせた計画だったのだろうが、メリアムさんは男装し、身分証を偽造してアメリカ海兵隊員になりすまてバーレーンを脱出してしまった(…下手なスパイ小説みたい)。そのまま二人で民間機に乗ってアメリカへ渡った。
 バーレーン政府はただちに事件をアメリカ政府に通報、メリアムさんの帰国を要求した。シカゴ空港に降り立った二人にアメリカ移民帰化局の捜査官が尋問を行ったが、メリアムさんは「帰国したら生命の危険にさらされることになる」(ありえないことではないような)として逆にアメリカへの亡命を申請した。現在この「亡命」を認めたものかどうか審査中とのこと。「亡命」を認めてしまうとバーレーン・アメリカ両国間の外交関係にひずみが生じる恐れもあるとのことで(そもそもアメリカがここの油田を最初に開発していて、以来縁が深いらしいのだ)、成り行きが注目されている。

 ところでこの人騒がせなカップル(失礼!)は、その後なぜかラスベガスの教会でめでたく結婚式を挙げ、カリフォルニア州の兵舎で新婚生活を幸せな送っているとのこと。しかしジェイソン=ジョンソン君のほうは「軍律違反」(そりゃそうだろうな)により伍長から一兵卒に降格させされてしまった。これが先月のことで、だから今頃新聞に載ったわけですな。 

◇一年後◇
その後聞くところによると、このお姫様無事にアメリカ市民権を獲得したらしい。
◇さらに一年後のコメント◇
このお姫様、「同時多発テロ」の影響で迫害を恐れた家族の呼びかけに応じて帰国してしまったとのこと。

 



◆中台間に密使暗躍!?

 台湾の李登輝前総統が「中国と台湾は特殊な国と国との関係」という、いわゆる「二国論」を言い出したのはちょうど一年ほど前のこと(昨年の「史点」参照)。それにちなむのかどうなのか分からないのだが、7月19日付けの台湾の有力紙「中国時報」はちょっとしたスクープ記事を発表していた。1990年代前半、つまり李登輝さんの総統在任初期において、台湾と中国双方から「密使」が派遣されて「両岸関係」の修復を図ろうとしていた、というものだ。この記事にはその「秘密会談」の模様を写した写真も載り、台湾側の「密使」と名指しされた本人・蘇志誠氏も大筋でこの報道を認めたというから、かなり信憑性の高いスクープだと言えそうだ。

 この「密使会談」が実現したのは1991年6月16日だったという。「両岸接触」の話は大陸中国側からもちかけられた。1988年1月にあの蒋介石の子である蒋経国総統が死去し、その腹心であった台湾出身者である李登輝さんが新総統となったが、「蒋王朝」の終焉が接触のチャンスだとみたのか、中国側はわずか二週間後に「李登輝工作」を発動させていたという。仲介役として香港の儒教学者・南懐瑾氏を選び、この先生の台湾での教え子である蘇志誠氏に交渉役の白羽の矢が立ったという次第。蘇氏は李登輝総統本人の意も受けて香港のホテルに赴き、「密使会談」に臨んだという。
 今でこそ李登輝さんといえば「反中国」の急先鋒みたいな扱いをされ、大陸中国からも目の敵にされているが、調べてみると明確に「反中国」の姿勢を表すようになったのはここ最近のことなのだ。総統に就任した当初は「共産党との内戦状態終結」宣言の発表とか「中国統一」の段取りを決めた「国家統一綱領」制定などの意図を示し、中国側にも事前に説明していたという。それが台湾で「総統選挙」を行うようになったあたりから明確に対立構図が出てきたように思われる。もっともそれ以前の「共産党VS国民党」という「中国正統政権」をめぐる争いからはかなり後退(?)した「台湾独立論」になってきたわけだが。その辺の変化がいつから出てきたのか、興味のあるところだ。
 ちなみにこの報道によると中台間の「密使」による交渉窓口はこの十年、脈々と続いてきたものであったという。とりあえずこの窓口が一応閉ざされたのは政権交代が起こって陳水扁新総統が就任した今年5月のことだというから、ここ最近の中台間の風雲の中にあってもお互いの連絡は途絶えていなかったことになる。ま、外交なんてのはそういうもんらしいが。

 陳水扁総統は「台湾独立」を綱領に掲げる民進党の党首だった。しかしいざ就任するとさすがに大急ぎの「独立」は口にしなくなり、中国との交渉を呼びかけるスタンスをとるようになってきている。一時「独立綱領」の変更も検討されていたが、さすがにこれは党大会で維持することが決定されている。
 とにかく独自の対中国交渉を行いたいと考える陳総統だが、このところ言うことを聞かない野党、かつての与党で今も大勢力の「国民党」とそこから分離した「親民党」とに手を焼いている。このところこうした野党の政治家が勝手に中国訪問をしようとしたり中国から大物を呼ぼうとしたりする上に、陳総統が肝いりで結成を呼びかけた超党派の「対中国交渉懇談会」も各党の反対で成立自体が危ぶまれ、大陸中国からも無視を表明されている始末。先日も陳総統が野党どもにブチ切れた発言をしていたが、確かに同情すべき状況ではある。
 とにかく台湾関係は単純ではないですな、ホント。

◇一年後のコメント◇
この「中台密使」ネタはその後「パート2」が暴露された。ここに出てきた蘇志誠氏も知らない別のルートが李登輝氏と共産党の間にあったというのだ。こちらもまたかなり信憑性の高い話で、中台間の政治の舞台裏の複雑さが思い知らされる。最近、李登輝さん一派は新党を作って国民党と袂を分かち、台湾政界をますますややこしくしているようだが。



◆いまさらですが「海の日」
 
 幸い、昨年このネタを使っていなかったんで今年使ってしまいましょう(笑)。来年は使えなくなりますけどね。
 7月20日は1996年から「海の日」として国民の祝日になっている。趣旨によると「海の恩恵に感謝し、海洋国家の繁栄を祝う」日ということだそうである。そりゃまー、日本は海に囲まれた島国だし、海との関わりは深く、「海の日」なんて祝日があるのも悪くはない。僕などはいちおう海賊など海の上の歴史をやっているようなものだから、個人的には「海の日」があること自体は歓迎したい。しかし、問題なのはなんでこの日が「海の日」になったのかということなのだ。

 いちおうこの「海の日」、7月20日は正式に国民の祝日となる前に「海の記念日」に指定された歴史がある。「海の記念日」を作ったのっていつだと思います?なんと昭和16年(1941)なんて昔のことなんですよ。年末に太平洋戦争が始まろうかっていう年ですね。それ以来ただの「記念日」として延々と続いていたのを半世紀以上経ってから「海の日」にしちゃったわけだ。
 じゃあ「海」と「7月20日」はどう関わるのか?これを正確に知ってる日本国民はかなり少ないはずだ。話は明治9年(1876)にさかのぼる。明治天皇がこの年の6月2日に東北・北海道視察巡幸に出発している。北関東から東北各県を視察し、7月16日に青森で灯台巡視船「明治丸」に乗船。その船で函館を経由して太平洋沿岸を南下して、7月20日に東京湾に入り横浜に夜8時に入港した。そう、この「お召し船・明治丸が横浜に入港した日」が「海の記念日」ひいては「海の日」の根拠なのである!「なんじゃそりゃ?」と思う人がほとんどではなかろうか。「海の日」を祝日に制定する際の「趣旨」にこのことは一言も触れていないはずだ。
 記念日に制定するほどの重要事とは思えないのだが、どうやら「天皇が船に初めて長時間乗った」ってことが重要事であるらしいのだ。じゃあ安徳天皇とか後鳥羽天皇とか後醍醐天皇とか…さらにさかのぼって「東征」をした神武は?などと危ない方向にまでツッコミを入れたくなってしまうのだが、やっぱり「明治天皇」に絡ませるのが最大の目的だったのだろう。ちなみにこの明治天皇を祭る明治神宮(恐ろしいことにこの事実を知らない参拝者がいっぱいいる)のHPに載っていたのだが、この明治天皇船上の三日間、海が荒れていて船が揺れたが、明治天皇は終始「端然」としていたのだそうな。これで自ら操船した、とかいうのなら記念日にしたっていいんだけどね(笑)。
 この「海の記念日」を「海の日」にするべく推進した大物が、あの日本船舶振興協会(現「日本財団」)の会長で「競艇のドン」といわれた笹川良一氏。なにせもともと戦前右翼の大物である。彼にとっては「海の日」はこの日でなければならなかったんだろなぁ。
 個人的には「咸臨丸が太平洋を横断した日」とか「坂本龍馬が海援隊を作った日」とか「堀江謙一が太平洋を横断した日」とか(笑)いろいろ考えれば他の候補もいっぱいあったと思うんですがね。

 ところで、毎度愛読(爆)している産経新聞名物コラム「産経抄」だが、「海の日」関連で相変わらず妙なことを書いてますな。

 歴史に「もしも」は禁句だというが構うものか、あえて問うてみたい。もしも日本列島が海に囲まれてなかったら…。つまりユーラシア大陸と陸続きだったとしたら、恐ろしいことになっていただろう。
 ▼“天の鳥舟”が登場する『古事記』や『日本書紀』の海幸山幸的神話はなく、海辺の情景が描かれた『伊勢物語』も生まれていなかった。柳田国男晩年の名編『海上の道』も、彼の友人・島崎藤村の絶唱『椰子(やし)の実』もこの世に現れなかった。

 …そりゃまぁ、日本列島が海に囲まれてなかったら今見るような「日本文化」は無かったでしょうねぇ。しかし、もし陸続きだったらまそれはそれで違った素晴らしい文化を作ったかも知れないですけどね。ま、どうせ次の段が言いたいが為の前ふりで深く考えずにお書きになってるでしょうから、深くは突っ込まずに(^^; )。

 ▼恐らく日本語という言語そのものが成立していたとは思えない。そうだとすればその言語から生まれた日本文化も存在していない。「海」の字の中には「母」があるが、日本列島をとりまく海こそ日本という国の母であった。
 ▼日本列島が大陸と陸続きだったら、間違いなく中国やロシアの一部となるか、属国にされていただろう。広く読まれた『国民の歴史』(西尾幹二氏)の大きな骨子の一つは、「日本はユーラシア大陸に対峙(じ)した独立の一文明である」というものだった。西洋文明はもちろん、東洋文明からも独立して存在したという。

 前段と同じで、そりゃまぁ海に囲まれてなかったら日本語はまた違うものになっていたでしょう。しかし、ここにも出てくる『国民の歴史』なる自称ベストセラーやこの作者と同じ主張をする人達の発言を見ると、どうも「中国と陸続きだったら中国の一部になり中国語を話していただろう」と勝手な妄想をしているようなのだ(だから最初のほうに「恐ろしい」という表現がある)。だから「海は有り難い」って論法になるわけ。何千年も中国と陸続きだけど言語は全く違うし独自の文化も持っている朝鮮半島のことはどうなるんですかねぇ?朝鮮は確かに朝貢関係により中国と「属国」関係になったと言えなくはないけど、日本もちゃんと朝貢してた時期があるし中国文明をずいぶん導入してるんだけどなあ。「西洋文明」「東洋文明」って分け方もそもそも近代ヨーロッパの産物なんだけど、それを無批判にふまえた上で「日本文明」をそこにちゃっかりと加える論法も面白い。一般的定義では「文明」ってのは一国にとどまらない普遍性を持っていて周辺に波及していくものを言うんですけどね。
 …独自文明論をしつつ「『海』の字には『母』が入っている」などと漢字解説を始めちゃうあたりにも「日本文明」論の限界が見えちゃってる気もする。
 


◆贋作・主要国首脳会議

…とある島国の地方の島に八カ国の首脳が集まりましたとさ。

日「お忙しい中、こんな遠くまでようこそいらっしゃいました。中でもフランス大統領は真っ先においでになられて」
仏「名古屋で相撲を見なきゃいけなくて。あなた、その体格なら力士にもなれたのでは?」
日「いえ、私はラグビー一筋でしたので」
英「そういえば、あなた、ラグビー部のコネで名門大学に試験無しで入学されてましたなぁ」
日「……。そういえば、英国首相、お子さまの件おめでとうございます」
英「あ、これはどうも。首相在任中に子どもができたのは英国史上150年ぶりなんですよ」
日「いえ、深夜に路上で泥酔して逮捕されたご子息が無事釈放されたそうで」
英「ケンカうってんですか、あんた」
米「まーま、ケンカはやめて。私はここに来る直前まで中東のケンカの仲裁してたんだから。ここに来てまでケンカを見せないでくださいな。サミット終わったらまたケンカの仲裁に戻んなきゃならないし…」
日「そういえばご高名な奥様の姿が見えませんが」
米「あんたが前にウチに来たとき、挨拶で"How areyou?"っていうところを"Who are you?"って言ったろ。私が気遣って"I'm Hillary'shusband."ってジョークでごまかそうとしたのに"Me too."って大ボケかましてくれちゃった。おかげで『ヒラリー重婚疑惑』なんてのが出て来ちゃって、ただいま選挙戦最中の彼女、『モリには会わない』って怒ってるんだ」
加「うん。その話で私も同伴を控えた」
英「あ、うちも。まぁ産後間もないし」
露「私もあっちゃこっちゃ寄って大変だったから妻は遠慮させた。ちょっと変なところも通ったし」
独「わたしゃ就任早々変なことに巻き込まれたくないもんね」
伊「このクソ暑い時に亜熱帯まで行きたくないとか女房に言われちゃって」
仏「ウチは夫婦ともども相撲見物に来たようなもんだしなぁ」
日「へん、いいですよ、ここは男の戦場。奥様方には『銃後』を守っていただきましょう」
伊「出た!名物の『アナクロ・シツゲン』という奴ですな」
日「アナクロなどととんでもない。私はわざわざサミットの議題に『IT革命』を…」
米「つい先日『イット革命』とか『IC革命』とかおっしゃっていたそうですが」
日「あんただって『尚泰王』なんてのの詩なんか演説で持ち出しちゃって。前にも『タチバナノアケミ』なんて日本人もほとんど知らないような歌人の歌を引っぱり出してきたけど、どうせ『日本通』のブレーンから入れ知恵されてるだけだろー!」
仏「日本通というなら、私ですな。ちゃんと晩餐会のメニューも理解できたぐらいで」
露「おっと、私も柔道やってたから日本通なんですよ、これでも。今度の沖縄入りで空手も見てきたし」
独「あんたはかつて我が国の東半分担当のKGB職員だったもんなぁ。スパイとしちゃあ格闘技はなんでもできないとね」
加「私はアイスホッケーをやりに来ただけみたいだなぁ…あれも氷上の格闘技(笑)」
仏「しつこいようだけど格闘技と言えば『相撲』でしょ」
日「いやいや、なんといっても『格闘技』なスポーツはラグビーでしょ」
英「でもあなた、大学入ったらすぐにラグビー辞めちゃったんですよねぇ」
米「うーん、息抜きにこういうスポーツ談議をするのも良いですな。そのために来たようなもんだ。亡き前首相がリゾート地を選んだのは正解でしたな」
伊「じゃあ次回以降もリゾート地で開催しましょうか、我々にとっちゃサミットなんてもう社交サロンみたいなもんだし」
日「あのー、そう言われちゃうと発展途上国一年分の債務がチャラになるだけの金を投じてお膳立てをした我が国の立場は?万国津梁館なんて豪華な建物も造り、天下のコムロに曲頼んでアムロちゃんにも歌わせたんですよ。このたった三日間のために大変な投資を…」
独「まぁおたくの国じゃバラマキ投資やら債務救済はお手のものだから。今後も両方ともたのんますわ」
仏「恵み深い『神の国』だそうだしねぇ」
日「ああ、こんなことで『国体』が護持できるのか!?」
露「じゃあ次は沖縄でやればいいでしょ、国民体育大会。」

 …この会談はフィクションであり、実在の人物・国家とは、例え連想するものがあっても一切関係ありません。
いや、ホント、サミットネタではこんなもんしか書けなくて…(^^;)
 
◇一年後のコメント◇
調子に乗って今年もやってしまいました。来年もやれると名物シリーズ化して面白いかも。いや、サミットそのものの継続の方が危ういかな?
 


2000/7/23記

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